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世界はいま、経済の発展を願うあまり地球環境を無視して、温暖化や異常気象をもたらせています。消える島。消える安定。襲う台風。ハリケーン。竜巻。逸脱した人心。増加する犯罪。これは、全部繋がっていることを知らなければなりません。人心乱れる時、天変が必ず起き、人々は爪を伸ばし、髪の毛を染め、自分中心に生きるのです。そして覇者は(政治)は利権のみを優先します。先進国の産業の中心(戦勝国)は軍事産業です。産業の基礎の基礎。それは作ったものを売りさばくこと。売れ残っては儲かりませんね。アメリカの軍事産業に携わる国民は全体の就労者の30%にもおよびます。そう、売らなければなりません。売れなければ国が失業者に溢れ、政権がつぶれます。今、死の商人は国家の魔性となって、この世界を牛耳っています。売れなければどうするか?作った武器が賞味期限を迎える10数年後とに戦争を起こします。それが世界の決まりになってきたことを知ってください。朝鮮戦争。ベトナム。中東。イランイラク。アフリカ。そして、今度は必ず経済のために、10年以内にアジアで。。。神の名のもと。いまではテロも戦争も「宗教戦争」になりました。それはね、しなくってもいい戦争だからこそ「宗教」に名を借りているように思うんです。神様は地球に数え切れないほどいます。僕の詩を読んでくださいね。人の愚かさが生んだ神々が笑っているんです。「その星の神様」その星はひとつしかないのにかみさまがたくさん住んでいるかみさまは土地がすきでひとびとにとりあいをさせているかみさまはひとごろしがすきでひとをころす道具をつくらせているその星はひとつしかないのにかみさまがたくさんいるかみさまはひとりじめがすきでたべるものをたくさんすてさせるかみさまはおもいやりがなくってとおくのたべものがないひとが死ぬその星のかみさまたちはお金がすきでみんな病気になってもきにしていないその星のかみさまはそんなふう信じているひとたちを動かしている松尾多聞どんなことがあっても、人が人を殺してはなりません。どんなことがあっても、国家が殺人を糧にして生き延びてはいけません。どんなことがあっても、戦争を、少しでも認めてはなりません。どんなことがあっても、経済を人心に優先させてはなりません。どんなことがあっても、殺戮には理由も正当性もないのです。どんなことがあっても、どんなことがあっても、私たちは家族です。ひとつの地球に住む仲間です。どんなことがあっても、こんな小さな星では自分たちだけが本当の幸福を手に入れようとしても無理なのです。全国の詩人たちの言葉を聞いてください。戦争は神に名を借りた悪魔の所業であることを知ってください。⇒■多聞のエッセイ「鬼面」■昭和20年8月15日太平洋戦争は、日本が連合国に無条件降伏をして終了しました。第一次世界大戦と第二次大戦を含めての日本側犠牲者は軍人民間人を合わせて300万人にのぼります。 しかし、この間に日本軍の侵略により犠牲となった東南アジアの人々は、なんと、2000万人を越え、中でも中国では1000万の犠牲を強いられたのです。歴史上このような短期間に大量の殺戮を犯した民族はありません。そうして、このような動かしがたい事実を自国民に対して隠し続けている国家はありません。なんとも情けなく被害を被った近隣の国々が怒りとともに抗議するのは当然の結果といわざるを得ません。 これは、南方資源と領土を追って人間の根本にある欲と修羅が組織的に引き出されてしまった現実だったのです。愚かな指導者と保身に彩られた国家体制が犯した犯罪です。 現在、原子力衛星は武器を携えて成層圏を飛翔し、国家はテロリストを養い、人類を破滅させうる爆弾が照準を各国に合わせています。戦勝国と言われる米、露、仏、中、等は兵器の製造をやめることなく今でも輸出の中核をなしています。特に米では軍需産業が製造業に関わるものが30%に達し、まさに主要な産業になっています。 人間は武器を持つと使いたくなります。アメリカの銃社会をみれば明らかです。日本は豊臣秀吉の時代に刀狩りが行われて以来、市民が武器を所持したことはありませんが、闇のルートで銃が流通するに至り凶悪犯罪が倍増しています。悲しいかな人間にはもう一つの顔、鬼面が潜んでいるのです。世界の「死の商人」は今、国家が請け負い南に武器を運びます。そして、ささやかな援助の陰で大量の殺人が行われています。まさに先進国が犯した過去の過ちを開発途上の国々に繰り返し行うことを国家の支えとしてる現状が浮き彫りになっているではありませんか。環太平洋に起こった大型地震も、振り返るとその直前に大国の勝手なエゴによる地下核実験が行われていることが明らかなのです。阪神淡路大震災の直前にも某国の地下核実験が行われ、自衛隊は大地震に備えた訓練をしていたといいます。 東洋の思想では人間の心の状態を(姿)十界(10通り)あるとしています。いわゆる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の名前が付いた心です。この心は縁によって刹那に変化を続けるといいます。 人間はどこに生きるのか主眼がなければ簡単に三悪道に沈み環境を変えてしまうとも。 私たちは歴史を正確に検証し、未来に生かすことのできる正しい教育を今こそ広めていかなければなりません。私たちの生活環境を構築するのは私たち自身の心であり、それは正しい歴史を価値としてはぐくまれる知識であり、そこから生まれる知恵に他ならないことを利害を超えて広げていくことでもあります。 この星は、北半球の国々は南半球の飢餓と戦争、病気と離散によって豊かに繁栄しているように感じているのは私だけでしょうか?私たちの過ちを彼らに転嫁して繰り返すことを強要する生産と消費を最重点におく先進国の社会システムは鬼の所業に他なりません。世界の警察を自負した大国は自らが大量に兵器を売りつけた国を批判し、攻撃して市民を苦しめています。 心はお金に換えることはできません。産業に優先させるべき宝でなければならないと思います。私は私の住む社会を許すことができません。なぜなら。「犯罪があり、行うものがいて容認するものがいれば、紛れもなくその罪の量刑は同じ」なのです。あなたも、その国に住んでいるのです。挽 歌 やがて花は咲き誇り人は春に身をやつす満たされし大地の血液よ彼の戦場に春を伝えてよ嗚呼苦しみに生きる人別離と病の友人たちよめぐる夢は遠くかすみ足音だけを残しゆく嗚呼力なき幼子たちよ走りゆく母の手にあれ叫びの吐息は風となりとどき我が呼吸となる遠く離れし大地にも伝わり響いてくるよ苦しみに生きる人たちよ春の詩は必ず流れ来るめぐる夢は風に乗りいま世界にこだまする諍いに挽歌を歌う声は母なる地球に轟き渡るやがて花は咲き誇り人は夢に身をやつす春を伝える大地の息吹よともに挽歌を響かせよ多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.30
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(鳥の飛翔) 空を鳥のように飛べたらいいなぁ みなさんも子供の頃に憧れませんでしたか?僕も空を飛びたいという気持ちを強く持っていました。空を自由に羽ばたく夢まで見ていたことを思い出します。「空を飛びたい」それは人類の夢でもありました。 1930年 ライト兄弟のキティーホークは人類初の動力飛行に成功しましたが、それ以前にも実際に羽を手に貼りつけたり、木を工夫して飛び降りた人達がいました。そして、多くの犠牲が「夢」に散っていきました。(ライト兄弟のキティーホーク) 現在、人類の夢は達成されています。そして、宇宙にまでも足を伸ばし、宇宙ステーションが国際協力のもと建造されています。 人間は、鳥のように自由に自己の能力を発揮しながら空を飛ぶ事は出来ませんでしたが、形を替えて夢は実現され、それ以上の夢が更に広がっています。(2004年の国際宇宙ステーション) 人々は夢を見ることが可能だから輝いて見えます。 しかし、その夢は確かに実現するとは限りません。 それは実現しないと感じる事の方が多いのかもしれませんが、夢を追い求める姿にこそ可能性が付随していると思います。まさしく、人が大空を飛んでいるように、遠い希望かもしれません。 しかし、夢があるから希望が生まれ、希望があるから人は勇気を持って人生に立ち向かう事が出来るのです。そして、その姿にこそ幸福が立ち寄ってくれることでしょう。(北海道のカラマツ林に登る旭日) 僕はたくさんの夢を持っていました。実現することは出来なかった夢たち・・・でも、いま、形を新たに夢たちが歩み寄ってきました。 夢は必ず実現します。どんな形態に変わろうとも、夢は人が思う形に近づいてきて訪れようとしています。夢とは幸福の道しるべ。 過ぎ去る時間を嘆くことなく、自分らしく、もう一度、夢見て行こうではありませんか。夢は見なければ、「夢」は絶対に叶うことがないのですから。*****************かすかな夢を見て笑っていたあの頃雑踏の中にいたんだ。かなしい君と僕は風に揺れて散った。僕はタンポポが大好きです。なぜか涙が流れるから。今日は、僕の若き日の夢を代弁してくれる花の詩をどうぞ。「タンポポ」です。画像をクリックすると、貴方も飛翔できますよ。【タンポポ】花言葉は「真心の愛」タ ン ポ ン ポ かすかな夢を見て笑っていたあの頃雑踏の中にいたんだかなしい君と僕は風に揺れて散った黄色い想い出の中菊になれないでいた小さなタンポポの花もっと私に話しをして君は上目に僕を見てせがんでみせたよね苦しい時間の中で僕は風に揺れていた歯ぎしりばかりで菊になれなかった小さなタンポポの花タンポポ タンポポ僕の花タンポポ タンポポ君の花いま野山を駆け巡れ綿帽子よ高く舞いあがれとおく 遠く とおくまで松尾 多聞●今日の俳句作品●風起こすタンポポのそら綿帽子●今日のお別れソング●この大空に翼を広げ飛んで行きたいよ悲しみのない自由な空へ翼はためかせ子供の時 ゆめみたこといまも同じ夢をみている「翼をください」でお別れです。←クリックランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.27
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僕は流浪(るろう)の旅人である。少なくとも男性には「流浪癖」がある人がいる。そして「流浪」という言葉に憧れている人も多いのではないだろうか。北海道の夏。大きな荷物を持って、自転車で、バイクで、徒歩で、たくさんの人々があてもない旅に訪れる。そんな方々にキャンプ途中で出会い、話し込むことも多い。彼らの目的を聞いて驚くのは、皆一様に「自分を探すために北海道の旅を選んだ」という。学校を休学した人もいた。仕事を辞めて来た人も。家族と別れた人。僕は僕で、さほどそこまでは意識してはいないのだが、少なくとも日常に発見することが難しい「自分」に出会いたいから旅をする。となれば、どちらも似たような感慨をもった旅人なのかもしれない。だから、そんな彼らとの出会いは嬉しいし、いつも人生や哲学の話になったりもする。ここで「流浪」について改めて勉強することにした。***********************るろう-しゃ ―らう― 2【流浪者】 さまよい歩いている人。さすらいびと。***********************さまよ・う ―まよふ 3 【〈彷徨〉う】 〔「吟(さまよ)ふ」と同源か〕(1)当てもなく、あるいは目指す所が見つからずにあちこち歩き回る。迷い歩く。さすらう。「肉親を求めて焼け野原を―・う」「修羅の街(ちまた)に―・ふ/高橋阿伝夜叉譚(魯文)」(2)一定の場所にとどまらず、行きつ戻りつする。「生死の境を―・う」「道子は声も―・ふやふに/婦系図(鏡花)」(3)心や考えが決まらず迷う。思い迷う。落ち着かない。「色めかしう、―・ふ心さへそひて/源氏(真木柱)」***********************さまよ・う【▽吟ふ/〈呻吟〉ふ】 悲しみ嘆く。呻吟(しんぎん)する。***********************しんぎん【▼呻吟】(名)スル苦しみうめくこと。「句作に―する」「虐政のもとに―して/慨世士伝(逍遥)」***********************(※印三省堂提供「大辞林 第二版」より)流浪の旅人を国語辞典で調べてた内容をまとめて見ると、次のようになるのではないか?○流浪の旅人とは彷徨い歩く人々であり、心の方途が未だ定まらず思い迷い嘆き悲しみ、その苦しみにうめいているのだ。僕は今日も日本海の雄大な太陽が傾きを見せる中で考えていた。バイクや自転車に載せた大きな荷物よりもさらに重い心の荷物を抱えながら孤独に独り「旅」を続ける人たちのことを。恋に破れたのかい?仕事が合わなかったの?持った夢が砕けたのかい?何処かに逃げたかったかい?思うようにはならなかったの?大丈夫だよ。僕だってきっと同じさ。心が轟(とどろ)く「何か」を探す人々は、きっと今も何処か大自然の中でこの星空を見上げていることだろう。苦しみに嘆き、しかし遠くを見つめながら、ゆっくりと立ち上がろうとしている。そう、この広大で優しい北海道の懐に抱かれながら。嗚呼、流離(さすらい)の旅人たちよ。生きることのすべてを人の悲しみのまことを再生の時に託す如くに。不凍の森のカムイ達よ凍てついた心を暖めよ。流浪の孤独なるものを、、僕の作品「流浪の旅人」を是非読んでください。写真を↓クリックすると北海道の森林が貴方をいざないます。「流 浪 の 旅 人」 言葉が凍えて消える道マイナスの空に弾けて君の顔が壊れてゆくよ不凍の森のカムイ達よ我をいま見おろし給へ雪原を歩む流離い人を大きな凍裂を響かせてうつろなひとに覚醒を北の空へいま導き給へ帰る場所を失った者よ北を目指して歩けよと幻想を求めんがためと白銀に征服された世界よここにも命は生きている遥かな春を待っているよ涙が凍てつくほどに身体が火照いる幻よ吐く息をも轟かせよ生きることのすべてを人の悲しみのまことを再生の時に託す如くに不凍の森のカムイ達よ凍てついた心を暖めよ流浪の孤独なるものを松尾多聞●今日の俳句作品●フクロウの森に不苦労探しけり●今日の短歌作品●悩みなん何処にかある幸せを悲しく森に問わず語れば札幌はずいぶん秋めいてきました。虫が鳴いて月が映えています。とても良い季節になりました。みなさんの所はいかがですか?残暑も納まり、涼しい夜を過ごしていますか?では、今日はこのへんで。じゃね。バイバイ。多聞でした。●今日のお別れソング●フランスのピアニスト・リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman)1976年レコードデビューした曲はあまりにも有名です。「渚のアデリーヌ」←動画でお楽しみくださいね。癒される旋律で素敵な夜をランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.26
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誰でもが一度は考えたことがありますね。「宇宙の向こうはどうなってるの?」って。そして誰でもが考えるからすごいことなのです。これは、私たち個々が持つ永遠のテーマかもしれませんが、ここ10年ぐらいで少しわかってきたことがあります。今日はそんな話をしましょうね。世界は象が支えていた時代がありました。その時には「宇宙」などは存在せず、星の住む世界が私たちのを取り囲んでいたのです。人間はその程度の世界観をもっていました。そう、人間は悲しいかな「観測出来ないもの」=「知らないもの」=「存在しないもの」=わずらわしい事だと決め付けてきました。しかし、私達が知ろうが知るまいがこの世界は存在する!ここがとても大きなポイントであり、それを認識することとは「知ろう」とすることであり、「私は知らない」ことを認識することなのです。人は昔から観察できるもののみを信じて、その中に潜む大切なことに目をそむけてきたようです。それは、実在するものや法則を無視することでもありました。釈迦は自分の寿命を法華経の中で説いています。そして、それは私達が考えることも出来ない世界観でもあったのです。ここで説かれる「一功」(いっこう)という数字があります。一劫とは?直径が約160キロにもわたる岩山があったとします。その岩に数年に一度だけ天女が降臨して羽衣で撫でます。そして、いつしか岩は磨耗して無くなるのです。その岩が無くなるまでの時間が一劫なのですが、これはものすごい時間の流れですね。***********************そして、釈迦の寿命がはじまります。釈迦の口頭説明でお聞きくださいね。「私が出現し、そして人々に仏と呼ばれることとなったのは無量無辺百千万億劫の昔のことである。」(これは無限をも超越する時間の流れだと思います。初めがないくらいの時間だね。那由他ナユタとは億や兆のずっと上の数の単位だね。)「例えば、あなた方が認識できる全ての世界を砕いて塵にしましょう。そして東方に五百千万億那由他阿僧祇(これも数の単位)の国を過ぎてその塵をひとつだけ置いてください。」「このようにして、全ての塵が無くなるまで行います。」「そして、塵を置いた世界と通り過ぎた世界がありますが、その全てを再び塵に砕いてください。」「その塵の一微塵を一劫という時間の流れだとしましょう」「わたしが成仏してから今まで経った時間というものは、その粉末の数の劫よりも、さらに百千万億那由他阿僧祇劫ほども長い時間なのです。」「そういう無限の過去からずっと、わたしは常にこの宇宙に存在して生き方や振る舞いを教え続けてきたのです。」「そして、他の百千万億那由他阿僧祇劫の国においても、同じように導き功徳を与え続けてきたのです。」 ***********************この時間の流れは最初が無いほどのものでしょう。そしてこの世界観は宇宙を想定しなければ説明がつきません。また、ここで言う百千万億那由他阿僧祇劫の国とは、無数の星やその場所のことだと仮定しなければ僕には理解できないのです。最近の宇宙科学や物理学の成果は飛躍的なものがあります。宇宙の実像に歩み寄る努力が行われています。この始まりは重力の研究からで、重力と電磁気力が基本的には同じくらいになる段階なのに、そこに必ず歪が生まれることに着目されました。そして、どうしても「これまで人間の観測出来なかった他の(異時限)」の力が働いていると想定されています。さらに、宇宙の形状についてはいろりろな説があるんですが、最新の理論によると、「膜宇宙」といって、変形しながら泳ぐ「ヒラメ」みたいなイメージのようです。縦横方向には大きな広がりはあるが、それに比べて厚さはあまりないといった構造のようです。宇宙はビックバンと呼ばれる爆発によって誕生したといいますが、最新の宇宙観測の結果から、宇宙は膨張しているがビックバン以前から存在していたらしいということになってきています。「エキピロティック説」と言うのですが、複数ある膜宇宙が、たまに衝突する事があって、この衝突した部分から爆発が起こる、これがビックバンだろうと言われてきています。宇宙は銀河みたいなものの集まりであり、我々が観測出来ない「時限」の空間にも取り巻かれている。そんな感じなのかもしれませんね。私たちの宇宙は一塵であり、もっと大きく無限の宇宙が集合し、時空を超えて存在する。私たちは、いま、そこまで辿りつこうとしています。僕は思うんだ。「観測出来ないもの」=「知らないもの」=「存在しないもの」=わずらわしい事それではいけないよ。「観測出来ないもの」=「知らなければ」=「存在を想定」=大きな夢であることそしてあのゲーテは言いました。「世界のあらゆることを知るよりも自分を知る事の方が難しい」人が宇宙の仕組みを知りたい事は、本当は自分自身を知りたい事自分を知る事=人を知ること=繋がること=ひとつの世界に生きること。銀河も宇宙も異時限も同じ「ことわり」で出来ているなら、その「ことわりが」私たちの中にも必ずあるんだ。そしてそれは歓喜でり、つながりであり、無限であることだろう。人を知り、自分を知り、世界を知りたい私たちは宇宙の神秘にたどり着きたいから生きています。犬の心を知るためには犬の気持ちにならなければ。人の心を知るためには人の心にちかずかなければ。自分の存在を知りたければもっと大きな世界を想像しなければ。人の存在とは釈迦がいうように最初が無いほど、無限に偉大なものかもしれないと思う、そんなぐうたら詩人でした。今日は時間をかけて書いてみました。ブログの容量がないのでここでやめました。今日も僕の朗読でお別れです。初雪の恋←クリック聞いてくださいね。では、バイバイ。多聞でした。●今日の俳句作品(これ傑作だよ)●鳴く虫の音符を残す月夜かな●今日の短歌作品●ゆかしきに虫が泣けれる満月に我は泣けねど人を想わん●今日の詩作品●今日は僕の「恋のカマイタチ」です。画像をクリックして音楽も楽しんでくださいね。↓【かまいたち 3】 【▼鎌▼鼬】 体を物にぶつけても触れてもいないのに、鎌で切ったような切り傷ができる現象。厳寒時小さな旋風の中心に生じた真空に人体が触れて起こるといわれる。かつては、イタチのような魔獣の仕業とされた。鎌風。[季]冬。《―萱負ふ人の倒れけり/水原秋桜子》三省堂提供「大辞林 第二版」より ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.23
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昨年の初め、札幌は歴史的豪雪で大変な被害を受けました。「よし!やったるぞ!」ボランティア仲間が僕の呼びかけで集まってくれました。緊急出動!札幌豪雪救援隊!テレビ取材を多聞隊長が受けた模様はここをクリックしてくださいね。 私達の社会は複雑化が加速し、情報速度の急進とともに益々高度化が進んでいます。しかし、この時代だからこそ、より細分化された援助の需要が増加しています。どんな形でもかまいません。貴方も気持ちや思い入れを形に出来る時代が到来しました。方法はいくらでもありますが、ただ、心の発露としての援助であり、自身の気もちの中にも「自己完結性」をもち続けることを忘れないでください。近くにある将来に貴方の援助を心待ちにしている人達が必ずいるのですから。 日本には何らかの障害を持つ(痴呆老人を除く)方々が人口の10%に迫っています。他の先進国の数字はこれを上回っているのです。さて、遅くに目が覚めてしまった。嗚呼、寝ないとね。今日は僕の朗読でおやすみなさい。「雪原の陽炎」 朗読スタート2004.02.21 松尾多聞 朗読ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.22
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こんばんは!今日は僕の誕生日!そこで!記念ってわけではありませんが、、、僕がテレビ出演を依頼されてカメラの前で朗読した番組の模様を「YouTube」でご覧ください。↓僕のテレビビデオ朗読スタート※気に入った方はYouTubeへのコメントと評価をお願いしますね。この時の思い出を「詩作」にまとめたものが「凍笛(とうてき)が鳴る道」です。ここをクリックすると音楽が鳴り、吹雪の石狩平野が出現します。「凍 笛 が 鳴 る 道」 雲は流れて空高く凍笛が聞え来る低く遠い音色が木々をも眠らせた背中を丸め暖炉に蒔をくべいれるあの冬に父が踏んで創った雪の道高く冷たい雪壁を辿りもがいてた背中だけを信じながら母と続いた凍笛が襲いかかる寒さを呼び込み大地に響いて家族を一つに導いたくべる炎に映し出す命をかけた道父が拓いた細く長く吹雪に霞む道いま私の目前にもつづいて見える私も踏みしめ私の道を拓いてゆく 松尾多聞今日は朝から山登りしました。とっても涼しかったなぁ。いいデイキャンプとなりました。●今日の短歌作品●愛しくて 泣いて貴方を想ったのほんの少しの心が痛くて多聞●今日の俳句作品●連峰に届けと如く蝉鳴きぬ多聞●今日のお別れソング●嗚呼、なんてしびれるバラードなんだろう。旋律を聞いているだけで胸が熱くなってしまうんだ。今日はイーグルスの「Desperado」でお別れです。←クリック 僕もこんな無法者になりたいな。夏の終わり。残暑厳しい折り、皆様元気ですか?お腹を冷やさないでくださいね。では、多聞でした。バイバイ。ごめんなさい!前回の日記だけど、、、間違えて消しちゃったの。コメントいただいた方々すいませんでした。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.19
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描画:松尾多聞僕の父は今は著作家だけれど、元教員をしていて、僕はいつも転校を繰り返していたんだ。僕が小学生になるとき、入学した学校は全校生徒が18人の寒村にあった。石狩平野の真ん中の、それはそれは寂しく貧困な土地だった。入学したピカピカの一年生は僕と文子ちゃん。その年は二人だけだった。皆が家族ぐるみの付き合いで助け合いながらの生活。お医者は無く、怪我人や病人がある時は部落で一番の博学である父の元へ運ばれてくる。今は、車で15分ほどで海を見る場所まで行ける道程だったけど、部落の人々は海など見たこともない。そんな生きることが精一杯の土地だった。冬には道が無くなり、交通が遮断されて、人々は冬眠状態に入る。しかし、学校を開校しないわけにはいかず、父は朝早くから除雪ばかりをしていた。そして子供たちは遠い自宅からスクール馬橇(ばそり)で通学して来た。雪だるまのようになりながら、でも笑顔いっぱいで凍ったお弁当を持って通学して来た。ある日のこと。僕が札幌の祖母から送られてきた荷物を開くと、そこには僕の大好きな「チューインガム」が忍ばせてあった。僕は嬉しくって、みんなに見せたくなり、学校の昼休みに食べて見せたことを思い出す。包装を校庭に投げ捨てた瞬間だった。みんながその小さい紙を拾った。七歳の僕はびっくりして聞いたんだ。「その紙をどうするの?」すると三年生の山田さんが言った。「家に帰ってさ、この裏の白い紙にお絵かきするの。ありがとう。」って。札幌で育った僕は衝撃を受けた。幼くともその貧困に涙したことを思い出す。給食など無かった。だから昼飯を食べることが出来ない子供もいた。父は、そんな子供たちのために、いつも何かを与えていたように思う。だから我が家はいつも貧乏だった。山菜ばかり食べていた。タンポポを採取する仕事は僕の役目。立派な食事になったことを思い出す。四月の末に「エゾヤマザクラ」が校庭に咲いた。僕らはそこで食事を皆で分け合いながら食べた。こんな楽しい花見は無かった。嬉しくって春が来て、みんなが笑顔でいた。文子ちゃんは、僕にね、自分で採って来てくれたアイヌネギの卵とじを食べさせてくれた。美味しくって。文子ちゃんが大好きで。抱きついてしまったことを思い出す。そして一年生の夏。事件は起きた!そう、ライオンズクラブが何も無い校庭に一脚のブランコを寄贈してくれたんだ。子供たちはもう大変!朝の6時から学校に駆けつけてブランコの取り合いになった。僕は学校の横で暮らしていたんだけれど、皆の情熱に舌を巻いてしまった。楽しかった!ブランコって最高だと思った。でも一年生の僕らは遊ぶことが出来なくって、みんなが帰ってから、文子ちゃんと二人でブランコして遊んでいたんだ。でも、別れの時はきたんだ。僕ら家族がまた「札幌」へ戻ることになったのは僕が二年生になる少し前だった。僕はたった独りになる文子ちゃんにお別れは出来なかった。悲しくって辛くって。文子ちゃんのこと考えると、このまま一緒にいたいと思った。でも、札幌へ帰らなければならない。文子ちゃんが僕に聞いたんだ。「この部落から札幌へ帰っちゃうんだね。。。」僕はウソをついた。生まれて初めて七歳の僕は彼女へウソをついた。「雪が溶けて、また桜がさいたらね。一緒にお弁当を食べようね。」って。僕は幼いながら、この土地の貧困と困難を知っていたし、文子ちゃんが独りになってしまうことも知っていた。僕はその夜に、おかあちゃんには内緒でずっと泣いていた。そして、札幌の小学校に転校した僕は文子ちゃんと文通していたのだけれど、いつか途絶えてしまった。僕は男らしく彼女を守ってあげたい小学生だったけれど、ウソをついて別れてしまった。僕はあの時、僕の一番大切な人にウソをついたんだ。「天までとどけ」は文子ちゃんの思い出。←クリックしてくださいね。今日は涙が流れてしまいました。詩はこんな気持ちを顕せる素晴らしいものです。日本の伝統!琴の旋律が貴方を北海道へいざないます。「天までとどけ」怖い人が来たら守ってあげるブランコの取り合いで泣いたあなたに慰めをいっていたね揺れた体は天まで届け青い空まで登っていけ胸を張ったら遠くが見えたもっと大きく揺らせるんださくらが咲いたらその下で一緒にお弁当を食べようね僕が転校するまでに咲くよ揺れた約束天まで届け空まで登って花よ咲け小指を出したら涙が見えた針を千本持ってないといった松尾多聞文子ちゃん。元気かなぁ?今は立派なおかあちゃんになったかなぁ?僕はそんな思い出をずっと抱いて生きています。あのころ。あの時。僕がついたウソはどうだったんだろう?いまでもそんなこと考えているんだ。今日はとっても切ないな。【付録】この物語の家族を描いた詩もあります。「凍 笛 が 鳴 る 道」是非ごらんください。●今日のお別れソング●ザ・ガードマンのテーマでおなじみ。ホイットニーが歌う名曲「貴方のことをいつも愛することでしょう」「I Will Always Love You」でお休みなさい。バイバイ。。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.10
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北海道は札幌。今日ね初めての真夏日になりましたぁ!!「いんやぁ!なまらあっついんでないかい!」って、みんな言ってたよ。湿度も高く、不快指数は80だとか、、、、暑さに弱いドサンコ達は目もそぞろだったんです。(←北海道は暑さに弱い。。。)でね、そんな中!僕はもちろん!裸で暮らしていましたが(まってましたぁ!この暑さ!)幸福について考えていたんだ。今日は僕の幸福論を読んでくださいね。ちょっと面白いかもよ。※写真は洗濯物を干す僕(今日)多聞流「幸福論」一之巻幸せとは?幸福とは?自己の実現とは?人生の幸福には温度差があります。それは深く感慨を巡らせると最終的には、自分で決めている温度差なのかもしれません。そう、天国も地獄も。そして極楽もすべて。きっと私たちの心が「価値観」により決定できるものなんだ。って思うよ。違う!って考える人が大勢いると思うけれども、これからの僕の話を聞いてみてくださいね。●生かされている必然●僕らは地球に生まれました。それは自分で選んだようには感じられないけれども、「必然」だとすることが深く哲学することのスタートだとしてみないかな?もちろん!これは「仮説」なんだけれども、僕が信じている「縁」によるものだと感じて欲しいな。もっと、話を飛躍させてもらえるならば、僕はね「必要とされて」あるいは「必然」に生まれてきた。そして生きている。そんなふうに思うんだ。どうして、こんなに飛躍した仮説を僕が書いているかと言うと、それには深い裏づけがあるからだとしておきたいな。だって、僕らはこの宇宙がなくては居場所がないし、地球がなければ同じ。親がいなければ存在しないし、国や社会がなければ生きていけないよ。自分ひとりで生まれ育ったように力んで生きることは、幸福から遠ざかる一因になっている気がしてならないよ。※仲間と海で盛り上がる多聞です。●自分が大切から起こる苦悩●人は皆、安定して、しかも安穏と生きていたいと願うものだね。しかも、辛いことがあったり、自分に何かが「突然に」起こったりすると、戸惑い嘆き、死んでしまう人もいるくらいだ。人は自分を大切にする。物を揃え、着飾り、自分を良く見せたいと考えているよ。政治家も社長も、お父さんもお母さんも、みんなどこかで虚勢を張るんだね。それはね、儚い自己実現なのかもしれないね。だって、メッキみたいだもの。そして、人はそのことに触れられると、めったにないくらい怒り、そして抗議するけど、そのときだけは、世間から「なさけない」って言われることだろうね。人には「保身」がつき物でね。それを乗り越える大きな勇気が必要なのかもしれないよ。偉い社長さん(上司)や政治家の話をご自分なりに分析してごらん。ほとんどが「保身」につながるんだ。これは「こだわりや利権」っていう「魔性」からきた人間の根本的な過ちでもあるんだ。だったらみんながもっと大きく愛のある「自己実現」に向かい、そして目的をもって生きて行けると、そんな小さなことは「くだらなく」なると感じる。●数字に込められた生き様●暦には十二支や土用(どよう)でおなじみの五行思想なんかもありますね。これには、きっと先人が編み出し、見つけた深い意味があることでしょう。僕も感じるのは「日本の不景気」についてなんだけれども、オイルショックの一次も二次も「寅年」。バブル経済がはじけたり、過去の景気が終焉したのも「寅年」。そして、五行思想は作物の植え付けや生育。食物の安全や旬にとっても関与していることがわかるんだ。そして、地球やそこに住む僕らに関与するもっとも大切な数字は「7」なんです。西洋でも、東洋でもね、「7」がなんでラッキーなのでしょうか?これはね、僕が思うに「感覚的」に人々が認知している潜在意識だと感じるんだ。その理由はねとっても深く難しくもあるものなんです。●地球が決めた「7」と言う周期●僕たちが「節目」とする年齢は幾つだろうか?一般的なことを考えてみましょうね。(7の倍数)・7歳 =親から初めて離れて小学校に通います。・14歳=大きな思春期が訪れます。・21歳=そろそろ社会人としての感慨を抱きます。・28歳=社会の一員としても自覚と苦悩があります。・35歳=家族や社会に安定をもたらす思想が芽生えます。・42歳=厄年。心身ともに自己管理を必要とされる社会人そう、これらはすべてが人生の「節目」の時期。身体も心も大きく変わろうとする時期なんですね。それは「人生の苦悩」とも捉えることができるんだ。もし、あなたが、ここの年代を経験している方なら、自分のことを思い出してくださいね。そして仏法の世界でも「7」は大切だとされていますね。七代とか初七日とか、49日(7の倍数)。そう!この地球では「7」で新陳代謝が行われていて、落ちることも成長することも「7」で決まるのです。って思うんだ。これが人生の新陳代謝なのかもしれない。●氷河から生まれた人間たち●「人」が生まれたのは約500万年前。では、人はどうして人となったのだろうか?それはね、氷河期がとっても大きな役割を果たしているんだ。バブルがはじけたり、オイルショックを経験した日本人はすごかった!ものすごく工業技術が発展するんだ。これは経済の氷河期にあって、それをバネとして進化した人間の姿でもあったんだ。もちろん!たくさんの企業が淘汰されたことでしょう。庶民も苦労のどん底に生きて奔走していました。そこで僕は考えるんだ。氷河期は70万年に一度(七の倍数)で訪れてきます。(地球を脅かす彗星もしかり700年ごと)部分的に休み睡眠につく地球は氷河期という繰り返しの中で、生物を進化させ、恐竜を鳥に変え、草花に「花」を咲かせ、大陸に四季を与え、人間に頭脳をもたらしてくれた。地球の歴史を省みると、氷河期を越えた生物たち(生き残った)は、飛躍的な進化を遂げていることがわかるんだ。●人生氷河を乗り切る自己の実現●偉人とされる方々が歴史の中では多数登場しますね。ベートーベンは苦難の人生に「歓喜」を得た「苦悩の英雄」、ダビンチは気違いといわれ、キリストは磔に、ソクラテスは毒杯に倒れた。、、、彼らは自分の思う「自己の実現」(目標とするもの)に命を堵して生きていました。我々が出来ることではありませんが、彼らの人生を思ってしまうのです。人生における節目。それは苦難でなければ意味がないのです。なぜならそれは地球が行った氷河の歴史が証明しています。しかし、彼らは「不幸せ」だっただろうか?って考える。とっても崇高で孤高の「確信」とは、あまねく「自己の実現」だったに違いないと思うんだ。こんな崇高な人生があるのだろうか?僕はね、彼らになってみないとわからないことだと感じるけれども、素晴らしい!そんな人生を羨望してしまう。だったら、僕らにも人生の「氷河」が訪れ、苦悩させてくれるのならば、これが地球の「ことわり(理)」ならばね、自ら進んで受け入れてみたいと思う。なぜならば、ダーウィンが言っているとおり、「人は人生で進化する。それは代を重ねる以前から。」なんだ。苦悩を、、、苦しみを、、、「チャンス」と受け止める心とは、それは、大きな哲学と理念なんだ。生涯の目的であり、生きていることだよ。そんなこといったら?人生って「辛いもの?」なんて言われることもあるかな?でもね、山には登って観なければ見渡せない景色が壮大に広がっているんだ。到達しなければ、感じることのできない幸福や、孤高の勇気があるはずだよ。それは、生きている本質であり「歓喜」でもあるんだ。移ろう地球の「ことわり」の中。僕たちはね、地球が行ってきた進化の苦難を人生でも生かされて、求めて、苦悩するからこそ、人間の幸福である「ゆるぎない」自己実現の道を歩むことができるんだ。---------僕は、自然と触れ合うアウトドアに生きていたいと思う。観て触れる心があったなら、声が聞こえたなら、それが一番の「教師」であると思えるから。人は何故?自然から離れようとするのだろう?私たち人間の生き様はあまりにも儚く愚かであることは「原爆」をみると明らかであるはずなのに。。。想いをめぐらせることが愛情なら。もっと大きく考えればいいのに。辛くってしかたがないんだ。そんな今日のドサンコだったよ。●今日の詩作品●人はみんな美しいはずだよ。そしてこの世界に大切にされていて、必ず幸福をつかむ力を持っています。それは、「つながり」という勇気をもった時から。僕の作品「君の詩(うた)をどうぞ。←クリック●今日の俳句作品●原爆を落とす人さえ人なのに●今日のお別れソングだよ●今日のテーマにあわせてさ、優しく素敵な曲をみなさんへ!boz scaggsで「we're all alone」でおやすみなさい。-------------今日も最後まで読んでくれてありがとう!暑かった北海道からまたね。多聞でした。バイバイ。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.09
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「大海のしずく」嗚呼ぼくはひとしずくに朝葉のしずくに成りたい太陽に育まれた風に乗り生命の森に降り立ちたい葉に踊っては惜しむよう大地の血脈を辿りながら川となり流れを創造するそんなしずくに成りたい嗚呼ぼくは母なる海へと地球を覆う海に成りたいさよならを知らない海に生命の息吹に飲まれたい海の深さを知らないまま水面の波と踊りながらも苦しみ喜び迷いいるなら深さをもつ海に成りたい嗚呼ひとはみな水のよう温度と風が惑星をつつみ水を創って海を創造したきっと命は源へ帰るんだ深き海には光は届かないだから照らす愛情がある見えないから照らされるそんな心に辿りつきたい嗚呼ぼくはさよならなどさよならを乗り越えたい何度も巡る心はさざなみ繰り返される営みの中で世界は何時までもあるよ大波のみ見える深き海も多くの生命に生かされて海も強く生かされている嗚呼ぼくはつながりにねつながりを正に知りたいさよならを知らない世界それはここにあるんだね川は海へとそして大海へそして海は深くつながる水はぼくらの同心なんだそんなしずくに成りたい2007.08.07 TAMON心でも、体でもなく。ぼくはさよならの海に浮かんだ船になりたいな。海の深さや波を知った航海に、いつも身をまかせていたいんだ。それはきっと自分を知る人生の航海。ヒューマンセーリング。水の惑星に生まれた僕等は、水に生かされている。しかし、人も水もことわりが同じならば、ぼく達はさからわず、与えられたすばらしい命を繰り返し学び、実践したいな。そんなこと。今日は朝露に濡れた桔梗の花を見ながら考えたさ。●今日の短歌作品●いずくにか流るる川の源のしずく一滴 海の如くに今日の札幌はね、またまたムシムシで暑かった!びっくり!なんか変だね。最近の温暖化はね。綺麗な地球を綺麗なまま子孫に残したいね。とっても感じました。ではでは、多聞でした。またね。バイバイ。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.07
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積丹半島は神威力(カムイ)岬に降りる夕日。夕日は紅く燃えて、ゆっくりと海へ帰ってゆく。ここで私の作品「初夏の紅」を読んでくださいね。←クリックで音楽が流れます。「初夏の紅」 漆黒の空を日は射し蔭りゆくつかのまの時空に夕陽を彩り消えた人風も雲も置き去りにして松尾多聞そうなのです。夕日は赤い!どうして?赤いのか?今日は、そんなことを書いてみようと思います。そもそも太陽の光は七色ありますね。そう、あの虹の色だね。(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)セキトウオウリョクセイランシって覚えると便利。その他にも「赤外線」や「紫外線」なんていうのもおなじみですが、この「色」はそれぞれ光の波長が違うのです。そう、光とはたくさんの波長(波)の束だったんですね。ちょっとわかりずらいので、もっと簡単に説明しますね。まず、光を「海」だと思ってくださいね。赤は大きな「うねり」なのです。船をひっくり返すほどの大きな波。そして「紫」は吹く風に海面が揺れる細波。うねりの幅と大きさが違うのです。そして光は地球の大気に触れて輝きますが、この大気に吸収されて波長の小さな光はさいぎられて見えなくなってしまうのです。そして、一番おおきな「うねり」である「赤」が大気に翻弄されることなく、私たちの目までたどり着くというわけ。だから夕陽は紅いのですね。そう、遠い太陽から来た光は「うねり」ながら夕陽を創り出し、赤の大波となり私たちの一日を美しく輝かせてくれます。そして心には温度があります。くわえて、私が考えるのは心にも色があるということ。いきあたりばったりの心は、きっと波長の短い「紫」なのかもしれませんね。ころころ変化を繰り返す移り気は、うねりも小さく遠く人生を左右する「色」には成りきれません。心の大きな「うねり」とはきっと、愛情であり志であり、大きな夢なのかもしれません。あなたの大きな心は何色ですか?橙?黄色?それとも赤?紅く赤く燃え立つ人生とはゆるぎない大きな心の「うねり」に支えられ裏づけされているもの。やり通してこそ人生。続けるからこそ人生。あきらめないからこそ人生。自分の心の大きな波長を「言い切る」からこそ人生でもあります。その自信と確信を持てる生き方をして、そして何時も赤く紅く!燃えていたいものです。あなたは夕陽をみましたか?あなたの夢は何色ですか?●今日の俳句作品●沈む陽に置き去りにさる孤独かないんやぁ。今日の北海道は蒸し暑かったぁ。いまやっと涼風が窓をたたいています。夕陽に照らされながら、こんなふうにまた、積丹へ出かけたくなりました。皆さんの夏はいかがですか?少しでも、自然に溶け込んで星や夕陽と話をしてみてはいかがですか?そんな時間を作れる夏になればいいですね。今日も、最後まで読んでくれてありがとう!ではでは、今日はこのへんで。多聞でした。バイバイ。。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.06
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ドラマ「北の国から」の原作で有名な倉本聰さんが主宰する「富良野自然塾」には、『地球の道』がある。これは地球が誕生して46億年の歴史を460メートルの散策路で展示したビックオブジェだという。換算すると一歩の幅が60cmの人なら、一またぎで600万年を歩む計算となる。となると、人間が誕生したとされる500万年前は460メートルの最後のたった50cmにすぎない。そして、近代化のさきがけとなる「産業革命」から現在までの道程は、わずか0.2mmばかり。しかし、私たちはこんなチッポケな存在にもかかわらず地球が営んできた460メートルの恵みを受け取り、あまつさえ破壊までしようとしているんだ。 この地球の歩みは、私たちにとっては「愛情」そのものではないだろうか。しかし、私たちは、その壮大なドラマを受け入れる器を備えているのだろうか?とても不安になり、心配になってしまう。愛は与えるもの、、、しかし愛を受け入れる器も心には備わり育まれなくてはいけないと感じるんだ。心の中に誰でもが持っている灯篭に灯をともすことが出きるから愛情が大きく広がり、そして、灯されようとする事を拒まずに心を広げた人の魂にも大きな輝きが育っていくものだ。暗黒の夜には、人は明るい温もりをもとめる。そして人は磁石が鉄を吸うように寄りそうことでしょう。そして、寄り添った仲間にも魔法の磁力は備わるだろう。そして大きな光りの集まりとなって、行く手をさらに照らし出すんだ。私たちの地球は、すでに私たちに大きな松明を用意してくれていた。それを人間は受け取ったのだろうか?そう、地球にはきっと意思があり、それに従って星を構成してきたに違いない。地球が存在する要因のひとつに私たちが「生きる」ことが含まれているのだ。逆に説明すると「私たちがいるから地球も存在する。」そんなことを真剣に考えていると僕は、知らず知らずに涙が流れるんだ。そこで地球を、そこらに転がっている「石ころ」に例えて見る。石ころは、ただ転がってはいないだろう。長き悠久の歴史に彩られて、「そこにいたいから、そこに石がある」。赤い花は偶然に赤く花開くものではない。「自らが赤く花開くことを決めている」から鮮やかに咲き誇る。人は肉体ばかりではなく、心がある。そして、ただ生きているだけではなく、たくさんの目にはみることのできない繋がりによって生かされているよ。そして、かたじけなくも、この地球に抱かれて生きているよ。自らの意思で灯された温もりは消して途絶えることはなく、それは愛の走馬灯のように巡って人を社会をてらすことだろう。その意思は「地球の意思」と限りなくつながっていなければならないと思うんだ。星も人も宇宙も、ただ生まれてきたのではありません。幸福になり、幸福にしたいから生きていけるのだと信じている僕がいます。●今日の詩作品●もうすぐ、、、来週の8日は暦の上では「立秋」になりますね。忘れないで生きることだけは起きあがることの大切さを愛する人の大切さを忘れないで今日は僕の「夏のおわりに」でお楽しみください。←クリック夏の終わりに 八月に別れを告げる風夏の終わりに思い出す憧れは丘の上に置いたまま細い坂をゆっくり上りながら語り合った貴方との大切な時野の花は活きているね一生懸命だね素敵だね真っ直ぐにときめいているよ僕達も見渡す生き方をやめよう素直にがんばろうよ貴方の面影は風が来るたび薄れて貴方の臭いも今の僕には届かないなんども何度も風は過ぎていったでも今日は貴方の誕生日だね忘れないで生きることだけは起きあがることの大切さを愛する人の大切さを忘れないでもう触れてはいけない貴方がいるでも僕は憧れを語りたいんだまるで僕は故郷を忘却した伝道師伝える意味も帰る場所も解らない灯台があって港があって迎える人達がいる本当の幸福をそれを大切にいてください君が最後まで君でいてくれるようになにもない僕の夏が過ぎていく松尾多聞●今日の俳句作品●転がれる石に意思さえあるものを●今日のお別れソング●映画「ゴースト(ニューヨークの幻)」のハイライトシーンを見ながら「主題歌」を聞いてくださいね。セクシーで泣けてきますよ。(かえって、寝られなくなったりして、、、笑)Unchained melody(放たれた旋律)←クリック。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2007.08.02
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