戦国ジジイ・りりのブログ

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2017年10月27日
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カテゴリ: 江戸めぐり
さてここからは江戸の前期を中心に浅草寺の歴史を見ていきます・・・

それゆえに、前回言い訳した通り本シリーズがなかなか進められなかったワケで、
テーマは浅草寺でありながらポイントは寛永寺に置くという、
例によって視点のズレた記事になることをご了承ください。


前回は現地の看板に沿って江戸期まで入りましたが、
解説板が頼朝からイエアスまで飛んだからといって、
その間有力者の庇護を受けなかった訳じゃない。
寺社の保護は為政者の重要な責務だからね。


鎌倉公方の 足利持氏 が経蔵を寄進したとかいう歴史を紹介している。

現地の為政者の崇敬だけではなく、明応年間(1492-1501)には
後土御門天皇より天下安全の祈祷を命ぜられるといったニュースもあり、
浅草寺の観音様の霊験は遠い貴人にまで届くほどのものだった。


室町期も後期に入ると、建前は室町幕府の出先機関だった鎌倉公方は古河へ逃げ、
代わって関東初の「侵略者」・後北条氏が次第に坂東に食いこんでくる。
当然、後北条氏も浅草寺を庇護する。

大永年間(1521-1528)には北条氏綱が浅草寺を祈願所に定め、
以後浅草寺の別当は後北条氏配下の遠山氏か伊丹氏から出すこととされる。

天文4年(1535)および元亀3年(1572)には浅草寺が火災で炎上するが、


天正18年(1590)の小田原攻めで後北条氏が滅ぶと、
同年関八州を与えられたイエアスが入府してあらたに浅草寺が祈願寺に定められる。
その後をかいつまむと、前回の解説板のようなカンジになるのですが、
もうちょっとだけ付け加えると、5代将軍綱吉の不興を買った浅草寺の別当は追放され、
以後は輪王寺宮が浅草寺別当を兼帯して寛永寺の支配下に入り明治を迎える。

それ以前ほどの強いつながりはなくなった・・・が、庶民の強い信仰が
その後の浅草寺の繁栄を支え続ける、という感じかな。

て、ここで終わらせればわたくしも実にラクなんですが、
それじゃロクな紹介にもならんし、いくつか勉強したことなどもあるので
もう少し続けます。


浅草寺も寛永寺も、ともにメジャーな大寺。
しかし、江戸期においては両者はかなり対照的な歩みをすることになった。
対照的だからこそ、浅草寺の歴史をたどっているうちに寛永寺のことが
頭から離れなくなり、寛永寺シリーズや日光シリーズなどでさんざん考えた
寛永寺の創建のナゾをゼロからおさらいするハメになった。

まあ、結局は収拾がつかなくなって知恵の輪がさらに複雑に
こんがらがっただけですが、数日前、行方不明の資料を探しているうちに
とある論文を印刷しておいたものを見つけ、「天台談義所」なるものの存在を知った。

「檀林」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
仏教界における学問所のことだそうで、論議・談義をする談義所は
大ざっぱに言って檀林と同義語になると思います。
『中古天台に於ける談義所』(尾上寛仲)によると
南北朝・室町期に入って天台談義所は次第に数を増していったらしく、

【(1)近江國一、(2) 美濃國六、(3) 尾張國一、(4) 信濃國一、(5) 上野國八、
 (6) 下野國十、(7)常陸國四、(8) 下総國一、(9)上総國一、(10)相模國一、
 (11)武藏國七、(12)肥後國二、(13)計四十三となる。此の外國名の到明しない
 もの若干がある。】

だそうな。

ぶっちゃけ、もういつ印刷したのかも覚えてない論文で、
内容の把握も全然していなかったけど、あらためてこれを読んで
はっと 天海の前半生 頃を思い出した。

あいにく、同論文には各談義所の名称がすべて掲載されている訳じゃないけど、
室町期に入ってできた談義所の中に「長沼談所」、「仙波佛藏院談所」がある。
さらに、ウィキで「檀林」を検索すると、天台宗の著名な檀林の中に
「中院」と「江戸崎不動院」の名がある。
これらの寺や地名は、 「上野第二編(14)」 に出てくるもので、
「長沼談所」は長沼宗光寺のことで、天海が復興させた寺。
「仙波佛藏院」は仙波無量寿寺の北院のことで、中院も無量寿寺に属する。
北院はのちイエアスと出会った後に喜多院として天海が復興させている。
「江戸崎不動院」は蘆名盛重とともに常陸に移ってきた天海が入った寺で、
関東八壇林のひとつに数えられている。

そうか、天海って「学僧」だったんだな。
あちらこちらで勉強しまくってたもんな。
天海というと政治向きの話題が多くて学僧ってイメージは一般的に薄いと思うけど、
『寛永寺』が語る天海の事蹟のひとつとして天台教学の振興が挙げられてたしな。
天海が学僧だってことを思い出すと、それまでとはまた違った見方ができるようになる。

武蔵には7つの談義所があったと尾上氏は言っているけど、
当時の武蔵って広かったからね。
武蔵の談義所のすべてを知っている訳ではないので確実なところは言えないけど、
おそらく奥武蔵がほとんどで神奈川にいくつか、といったところじゃないかと思う。

つまり、いわゆる「江戸市中」あたりは関東天台からすると辺境の地で、
ロクな・・・いへ、教学の盛んな寺はやっぱりほとんどなかったんだろう。
別に浅草寺をおとしめるつもりはさらさらありませんが、
もし浅草寺サイドが採用している「天海の推挙によって浅草寺が祈願寺となった」
という説が本当であれば、なおさら江戸市中は天台教学の空白地帯だと
言えるんじゃないかとも思った。
だって、もしそういう寺が沿岸付近にあったなら、
学僧の天海はまず教学の盛んな寺を推したんじゃないかと思うから。

でも、そういう寺はなかった。
わたくしは天海が推挙した説はないと思ってるけど、
誰かが祈願所となる寺を探していたことには違いがないワケで、
天海でなくとも向学の気風の高い寺をリストアップするだろう。

あるいは、大道寺重祐は祈願寺となるような天台の寺を探せと下命があったと
言ってるけど、イエアスは「天台か真言の寺」と言ったかもしれない。
とりあえず、祈願ができれば良かったんだもの。
まだその頃のイエアスは天台に執心してた訳でもないだろうから、
天台でも真言でもどっちでも良かったのかもしれないよな、と思った。

ま~、真言宗は皆無といっていいほど縁がないので、
実のところはどうだか知りませんが、たぶん真言も付近には大した寺は
なかったんじゃないのかな。
だから、古刹の浅草寺がクローズアップされて祈願寺の地位をゲットした。


天海とイエアスの出会いの時期については、これまでは状況から考えて
ただ漠然と慶長12年(1607)説を採っていた。
それ以前に顔合わせぐらいのことはあったかもしれないけど、
きちんと面識を得るのは天正18年(1590)じゃちょっと無理があるだろう
と思っていた。

でも、天正17年(1589)に天海が入った江戸崎不動院、
慶長4年(1599)に不動院と兼帯で天海が入った無量寿寺、
慶長9年(1604)に天海が久下田の地から旧地の長沼へ移転して復興させた宗光寺。
これらの寺を復興させたこと自体は知っていたけど、
その中身が教学の盛んな寺だったということになれば、
天海の経歴はただいくつかの寺を復興させただけのものではなく、
関東天台の重要な古刹を次々復興させたという華々しいものになる。
その手腕がイエアスの耳にまで届き、慶長12年(1607)の叡山の紛争解決依頼に
つながる流れなのか、と1人で納得した。
そこで見事にミッションを果たした天海はイエアスの信頼を得、
その後の御前論議などでこれまで培ったものをいかんなく発揮して
2人の親密度が深くなっていったんだろうという推測はそう無理がないと思う。


2015年にニホニウム(元素記号113)が新元素として認定されたというニュースは
日本人にとっては感動的なものでありましたが、研究グループのリーダー・森田先生の
ことをニュースか何かで見てた時、

「新元素はゼッタイある!!!」

という信念に基づいて、先生が「113」という数字にこだわる生活を
ずっと続けていたというのを知った。
あんまり細かいことは覚えてませんが、お賽銭は必ず113円というこだわりを持って
いつも持ち歩いていたって話がすごく印象的だった。

「あきらめないで信念を持ち続ければ、いつか道は開ける」

そういうエピソードを知って、いくつか抱えている歴史上のナゾを
自分も食い付き続けていこう・・・
TVを見ながらひそかに決意したわたくしは、その後もスキあらば
寛永寺や小早川隆景の相続問題についてあれこれ考察を続けてきましたが、
浅草寺の勉強を始めて以降寛永寺と輪王寺宮の洗い直しに取り掛かった1年前は、
考えすぎてほとんど自滅したようなもんでした。

どうにも考えがまとまらなくて、「もういいや~、ライトにいこう」と
やっつけモードになって再開したとたん、タナからぼたもちがいくつか
ぼとぼとと落ちてきました。

めぐりあわせというのは実に不思議なものだと思わず苦笑いも出ましたが、
まあ人生なんてそんなものでしょう。

ぼたもちの1つは談義所を知ったことですが、
次回はほかのぼたもちを基に考察のしなおしの簡単なまとめをしようかと思います。


※これまでの寛永寺創建についての記事は
「上野第二編(16)」 以降数話
「上野第二編(52)」
「上野第二編(65)」
あたりかなあ・・・
あちこちで書きちらかしているので、わずかな記述の分は
もう思い出せませぬ・・・


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最終更新日  2017年10月27日 23時25分49秒


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