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私たちは心が疲れてしまう時があります。その原因は様々です。ある女性は、ご主人の死をきっかけに心が疲れて外に出れなくなってしまいました。また、ある男性は、大学受験をきっかけに引きこもりになってしまいました。今多くの人の心が疲れているように思います。 そして、そのことが表面に現れた時に、まわりの人の対応も様々です。 (1)腫れ物に触れるように接する人がいます。その人は、どう扱ったらいいのかわかならいので、おだてたりなだめたりします。 (2)同情する人もいます。「かわいそうだね」「つらいんだね」等の言葉を連発し、相手に同情して、相手を弱い人と扱って対応します。しかし、その人自身はいいことをしていると感じるでしょうが、心が疲れた人を弱者として扱うために、自分で回復する力を削いでしまう場合があります。相手の可能性を信じてあげること も必要です。 (3)励ましたり、無理な指示をする人もいます。「こうすればいいんだよ」とか、「がんばらなくちゃ」と励ましたり、相手が間違っていると決め込んで、そこから抜け出させてあげようと無理な指示をします。そうすると、その人は「私は人に迷惑をかけているのではないか?」「周囲の期待に答えられない私はダメな存在だ 。」とますます疲れを増長させてしまいます。ゆっくりと自分自身を見直す時として見守ってあげることが大切だと思います。 そして、ここでしてはいけないのが犯人探しです。「自分のせいではないか?」とか、「あの人のせいではないか?」とか、「その人自身が弱いからいけないのではないか?」と、責任の所在を明らかにし、犯人を探そうとします。しかし、そんなことをしても全然相手の助けにはなりません。 そんな時、しっかりと受け止めてあげること、そして、相手のあるがままを受け入れてあげることが大切です。「あなたはあなたでいいんだよ。」と、相手の行為や目に見える部分ではなく、存在そのものを受け止めてあげることが必要です。そうすることで、その人自身が自分の足で立ち上がって行くことが出来るようになりま す。 そして、あなた自身の心が疲れてしまった時には、自分に対して前述したように接して行くここと、もう一つの奥の手を紹介したいと思います。それは、2000年前のクリスマスに生まれたイエス様が、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と言 われました。みなさん、イエス様のもとこそ、永遠の安らぎといやしがあります。 私は18歳の時に、人生に息詰まって「死んでしまいたい」と本気で思いました。そんな時、私の本棚にあった一冊の聖書に目が留まりました。そして、無我夢中で聖書を読んでみました。その時、この『わたしのところに来なさい。』という言葉に出会いました。自分の居場所を失い、消えてしまいたいと思っていた私に取って 、自分の居場所を発見した思いで我を忘れて祈りました。「私を救って下さい。」と。その瞬間、いいようもない安らぎを感じて、涙が止まりませんでした。そして今日、その救われた喜びがあまりにも大きいので、神様に自分の生涯を献身して牧師になりました。 今でもその感動は消えていないどころか、ますます大きくなっています。私たちの心が疲れる時、それは、自分自身の黄色信号が出ている時です。ですから、ゆっくり自分の人生を見つめ直したり、立ち止まって見る時間とされたらどうでしょうか? そして何より、神と出会う時となったら素晴らしいと思います。 今日心が疲れていませんか? それは、最も恵みの時かも知れません。祝福を祈ります。
2010年11月29日
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完全癖な人が、人生を満足して生きている姿を見たことがありません。それは、完全を求めても、それは切りのない世界であり、らっきょの皮むきと同じようなものだからです。 いつも「まだダメ」「まだダメ」と、現状を否定して理想だけを追求しても、人生は敗北感だけしか与えてくれないものです。いつも欠点をほじくりだして、無理やりなおそうとしても、不満といらいらしか出て来ません。 例えば、散らかった部屋、車の引っかき傷、自分の容姿、仕事の出来等、そして、誰かの欠点、それは、生き様、言動、センスと、悪いところばかり見ていると、人に優しくし、愛すると言う大きな目標を見失ってしまうことになります。しかし、だからといってベストを尽くさない訳ではありません。それは、人生の悪い部分ばか りに捕らわれ過ぎないこと。そして、完全癖にならないことです。 もっと現在を楽しみ、感謝をし、自分の失敗をも笑い飛ばせる心のゆとりを持って、よい部分を伸ばして行ったらどうでしょう。このように生きていたら、人生が楽しいですし、満足ですし、人に対しても寛容になれますし、自分の能力が最大限発揮されますので、完全癖を持ってる人以上に優れた生き方が出来るはずです。 どうぞ、完全癖を捨て去って、ベストを尽くした自分をほめてあげたり、現状に感謝をして、あるがままを受け入れる心を持ってみて下さい。そうしたら、人生が今より100倍楽しく、充実し、輝いてくるはずです。
2010年11月21日
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戦後、日本的なものはよくないということが盛んに言われて来ました。それは、その一つ一つが軍国主義に繋がったと思われたからです。しかし最近では、日本的なもののすばらしさが多く語られるようになってきました。 この日本の文化は、善し悪しや優劣ではありません。西洋の文化の方が優れているという根拠は一つもありません。私たちは、善し悪しや優劣を超えて、自分が日本人であることを喜び、誇りに思って行きたいものです。 最近、家族関係が破壊されています。そして、家族の破壊が学校の破壊、職場の破壊、社会の破壊に繋がっていることにお気付きでしょうか? 西洋では、個の確立が重要視されます。日本にもそのような個人主義が盛んに取り入れられました。自分の意見を持つということに価値が置かれました。 しかし、その結果、大切な家族の輪が失われています。連帯感の大切さが失われています。寂しいことです。よく日本人の行動の動機となるものには、「みんながそうしているから。」というものがあると言われます。しかし、こういうものはマイナスであるというような受け止め方がされているように感じます。しかし、「みんな がそうしているから私もそうする」というのは、家族や職場、社会の連帯感においては非常に大切です。そして、これこそ日本人の持っているすばらしい点ではないでしょうか? 私たちは、変えられないものを受け入れ、変えた方がいい変えられるものを変えていきたいものです。日本人であるということは、どうひっくり返っても変えることが出来ません。ですから、どうせならば、仕方なくその事実を受け入れるのではなく、もっと積極的に、「日本人であってよかった!」と誇りに思ってもいいのではな いでしょうか? 神は、確実にこの日本を愛しておられます。キリストは、日本が欧米化してほしいと決して願っておられません。キリスト教とは、多様性を持った宗教です。キリスト教をバター臭く、アメリカの宗教と思っている人がいると思いますが、それは、アメリカの文化と融合したからです。そして、日本にそのままの形で輸入されたから です。本来は、当たり前の日本人が、当たり前の姿で教会に来て、そのままの姿でクリスチャンとして自信が持てて、社会でよい影響を与えることです。 神はあなたのありのままを愛し、この日本を日本として愛しておられます。私たちも、この日本を愛し、日本人であることに感謝して行きましょう。愛国心が軍国主義に繋がるという考え方は本当でしょうか? 2000年の歴史の中で、軍国主義になったのは極一時期だけです。日本にはすばらしい要素がたくさんあります。その 良さが経済大国を作り、世界に車や電気製品等を輸出しました。オンリー1の日本を私は大好きです。あなたはどうですか?
2010年11月14日
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私は人と待ち合わせをすることが多くあります。ある日のこと、待ち合わせをしていた人から電話が入りました。それは、どうしようもない理由があって遅くなるということで詫びていました。 待ち合わせに遅れるのは何らかの理由があると思います。しかし、いくら非の打ち所のない言い訳が出来たとしても、待たされる人もそうですし、遅れる方の人もいい気分はしません。 また、遅れる人はなぜかいつも遅れるようですし、時間の不足を嘆いています。どんな仕事をするにもそれなりの時間はかかるものです。その中には、予測やコントロールが困難なものもあるだろうと思います。しかし、そういった不測の事態を計算に入れて計画を立てていれば、どんな場合にも必要な時間を確保することは出来 るはずです。 みなさんの知り合いにも、もしかしたらよく遅れる人がいるかも知れません。またあるいは、みなさん自身がよく遅刻をする人かも知れません。そこに付き物なのは言い訳です。「どうしてもやらなければならない用事があってね。」「そちらに向かう前に二ヶ所も立ち寄る場所があってね。」「この仕事はとても大変だからね。 」 もちろん大変だと思います。そして、「大変じゃない」と言うのでは決してありません。しかし、ほとんどすべてのことは予測できる事態のはずです。そして、どうしてもやらなければいけない用事に何十分かかり、二ヶ所立ち寄るのに何時間かかり、今やっている仕事が何時間くらいで終わるのか、待ち合わせの場所まで何十分 くらいかかるのか? 車が渋滞したり、電車の人身事故等が起きた場合等々に何十分かかるのか等は予測できます。 私たちが遅刻のサークルに克つためには謙虚になることが必要です。時間があってももう少し早めに準備をはじめる必要があることを認めること。そして、みなさんがいつも、5分、10分、30分と遅刻をしているなら、その分早く出る努力をすることです。そうしたら、それだけでどれだけストレスが減るでしょうか。 私たちは、やるべき仕事を少しでも早く手をつけ、待ち合わせ時間には少しでも早く出発するようにしましょう。そうしたら、必ず遅刻の悪循環が断ち切られるはずです。これであなたのストレスは間違いなく激減され、心にゆとりが生まれ、平安で幸福な毎日を過ごせることと思います。 豊かな祝福がありますように。 God bless you!
2010年11月08日
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ベルナノスのいう人は、『他人の喜びに喜びを見出すこと。これが幸福の秘訣である。』と言いました。私もそうだと思います。 しかし私たちは、自分の喜びに喜びを見出すことこそ、幸福の秘訣であると考えやすいと思います。一見して、お金持ちになり、豪邸に住み、高級車に乗り、豊かな生活をしている人が幸せだと考えやすいです。また、権力があり、有名人として生きることが幸せだと考えやすいですが、実際は、成功者ほど孤独であったり、物質 的には豊かなのに心がすさんでいる人は多いものです。 それは何も、豊かであることがいけないという話しではなく、その人がどんな状況の中にあっても、他人の喜びに喜びを見出しているか、自分の喜びに喜びを見出そうとしてるかにかかってくるだろうと思います。 私は牧師として、他人が幸せになることをひたすら願っています。そして、神の言葉を語りますが、その人が喜んでいる姿を見て、無上の喜びに浸ることが出来ます。これはどんな人にも言えると思います。他人の喜びに喜びを見出そうとしたら、間違いなく幸せになる事が出来ます。 他人の喜びに喜びを見出さないと、そこに入って来る感情はねたみです。自分の幸せだけを願っても、世の中自分より幸せそうな人はいくらでもあります。そうすると、その途端に不幸を経験し、惨めな思いになります。その時、自分の心の貧しさに原因があると気付く人は望みがありますが、その不幸と惨めさの原因は、そのね たみの対象者だと考えるのです。 世の中で、相手を否定したり、非難したり、いじわるをしたり、何らかの悪意を持ってやって来る人は、ほとんど間違いなくねたみの思いがどこかに潜んでいると思います。その人の持っている自由とか、豊かさとか、賞賛とか、富や栄誉を自分がほしいと思っているからです。これでは、ますます不幸で惨めな状態になってしま います。 しかし、その相手の喜びに喜びを見出せたとしたらどうでしょう? つまり、「よかったね。」と心から言ってあげることです。そして、一緒に喜ぶことです。そうしたら、絶対に幸福になるし、喜びに溢れることが出来ます。 そして、さらにもう一歩進んで、他人の喜びに仕える事です。そう生きれたら、最上の人生を生きることが出来るはずです。イエス様というお方は、まさに他人の喜びに仕えた人です。他人の喜びのために、他人が持っている不幸を身代わりに背負って十字架について死なれました。それによって、罪を赦し、悪魔を追い出し、心 と体の健康を与え、祝福を与えられ、天国に入れて下さいます。それは他人の喜びです。その喜びに仕えるためにイエス様は生きられました。私たちは、誰かの身代わりに死んだり十字架にかかることは出来ませんが、しかし、そういう思いで生きることは出来るだろうと思います。 天国と地獄とは、ただ単に死んでから行く場所ではありません。この世にすでに存在しています。それは、他人の喜びに喜びを見出し、他人の喜びに仕える人の心はすでに天国ですし、自分の喜びに喜びを見出そうとしている人には、ねたみが付きものです。そうなったら、心は地獄のようになるだろうと思います。天国と地獄を 分けるのは、他人の喜びに生きるか、自分の喜びに生きるかで二分してしまうように思います。 あなたは愛されています。そして、あなたの喜びを喜んで下さり、あなたの喜びのために仕えて下さっている方がいます。その愛に感動し、その愛を受け止め、今度はあなたも、他の誰かの喜びを喜びとし、喜びに仕えて参りましょう。そんな幸せと喜びの天国のような一日一日をすごして行きましょう。祝福を祈ります。
2010年11月04日
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