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そんなこんなで、悩んだものの、結局、嫁が腹を決め、産科のお世話になりました。情けない話ですが、私は自分の意思決定をできませんでした。どういう結果になるにしろ、受け入れる覚悟はできていたものの、産科or自宅、嫁に私の意思をはっきり伝えられたか、というと疑問です。もちろん、産むのは嫁、私が意思を決め、伝えたとしても、どっちに転ぶかなど、わかりません。しかし、今想えば、自分の意思を伝えることが、嫁と、出産と向き合うことだったのではないか。嫁の覚悟に比べれば、私の覚悟など、へなちょこもいいところでした。悩んだ末だっただけに、母子とも無事に、生まれてくれた時は、本当にありがたかった。命懸けの出産を超えていく命の尊さ。それを二人目にして感じることができたように想います。不自然な医学に屈さず、一時間で颯爽と産み終え、更に「産後すぐに子どもを抱きたい」という希望をわずかな時間ながらかなえた嫁。本来すぐに赤ちゃんを連れ去られてしまうところ(羊水を洗ったり、計測をしたりする、というくだらない理由のために)、医師が来る前に産み終え、助産婦さんに頼み込んで、赤ちゃんを抱かせてもらったというんですね。天晴れです。見上げたもんだよ、屋根屋のフンドシ、です。普段から、不自然な医学に翻弄されながらも、何とか回復しようとし続ける、からだに、命に感動させられっぱなしですが。わが子が生まれる時はそれもひとしお。嫁とわが子に感動、感謝。医学のみならず、リスクを誤魔化しがちな現代ですが、それと向き合うことで、命は輝き、成長します。今回、自宅出産には至りませんでしたが、それはきっと、まだまだ私たちが未熟なためで。次があるかなどわかりませんが、もしあるなら、嫁がもっと安心してことにあたれるように、私自身、そして家族が成長していたい、と想います。
2011.08.12
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(上)から少し空いてしまいました。娘を産科で産んだ時の、嫁の経験的な不安、違和感。それに、現代の産科に対する、わが家の思想(自然に添うという)的抵抗感。出産は、極めて自然な現象。不自然な生活にまみれていても、女性のからだは悪阻という調節期間を経て、自然へ戻っていきます。悪阻が終わっても、不自然なこと、理にかなっていないことをすれば、からだが反応しやすい。だから、妊婦さんには、菩薩のような神々(こうごう)しさが感じられるように想います。対して、改善傾向はあるようですが、まだまだ現代の産科には、不自然を感じてしまいます。出産前は、「妊婦は鉄不足になりやすいから」という理由で、検査なしで鉄剤がバカバカ処方され、出産後は子宮収縮剤なんてものまで出されている(賢い嫁は一切飲まなかったが)。分娩台なんか、取り上げる人が楽なように作ってあるじゃないですか。仰向けに縛り付けられて、外野に「いきんで!」と意気込まれたって、ねぇ。拷問さながらですね。妊婦さんは腹が据わっているからまだしも、私ならビビッて縮こまっちゃう。それで、規定の時間内に生まれてこなければ、切ったはったになっちゃいます。帝王切開が多いようですね。最近は。嫁も帝王切開こそないものの、一人目出産時の会陰切開にショックを受けていました。大事なところを切られるなんてのは、やっぱり尋常じゃないですよ。自然に裂けるのと、刃物で意図的に切るのでは、その後のからだの変化、復興はまったく違ってきます。予後が違ってくる。「切る」という意が入っていると、影響が後々まで残るように想います。人災と自然災害のように。帝王切開も、医師にとっては技術的に簡単らしいですが、された方にとっては、その後、からだに問題が起きやすくなるように想います。臍下丹田の辺りを切られるのは、やはりまずいのでしょう。そんなこんなで、未熟な医学が、その思い込みを妊婦さんに押し付け、いたずらに苦しめているように感じられてなりません。からだの自然を否定して、破壊して、妄信する医学を押し付ける。新興宗教みたいでしょう?あるいは、戦後、日本文化が西洋文化に踏みにじられたような。現在の科学妄信、経済妄信が自然を破壊し続けるような。まぁ、その縮図なのですね、きっと。私は理屈でガタガタ書きますが、妊娠中、超自然状態の嫁は、直感的不安を覚えていたのではないでしょうか。
2011.08.09
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テレビを見ました。久々に。ここ数年、アンテナとつながれていない、気の毒なわが家のテレビ君。地デジ化によって、いよいよDVD専用となりました。そんなわけで、テレビを見ないわが家なのですが、嫁のご両親が「自然農」を扱った番組がある、ということでわざわざ録画しておいてくれたのです。土曜日に放送された、テレビ朝日系列の「人生の楽園」という番組。果たして、それを鑑賞しました。あな、なつかしや。そこに、昔通った、奈良(といっても三重との県境)の赤目自然農塾が出てきたではありませんか。そして、自然と添う、という、今やわが家の軸となった生き方を教えてくれた、師・川口由一さん。元気そうで安心しました。農塾までは、住んでいた大阪から片道およそ2時間半。時々でしたが3年通いました。そこは、とても人がいきいきする場所。時間はかかりましたが、通って本当によかったと想っています。そして、また、是非訪れたい場所。生まれ故郷のような感があります。(わが家の自然農庭。写真中でも上6下10種類の野菜が育っています。わかるかな?) それにしても、自然農がテレビで取り上げられるようになるとは。番組中で、その根幹にはほとんど触れられていなかったものの、世の中大きく動いているのを感じます。心ある人によって、メディアが正しく使われたのなら、世の中はどんどん素晴らしくなるでしょう。その時は、わが家のテレビも再び日の目をみるかもしれませんね(地デジ対応機種でないから、駄目か)。追伸今回、嫁の実家で録画をみましたが、テレビが一家に一台ある必要は全然ないのでは?私は経験ないですが、テレビ一台に近所の人が集まって、というなつかしの風景、加えて現代の録画機能に、つながりを取り戻す可能性を感じます。
2011.08.08
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出生から2ヶ月。長男はおかげさまでスクスク、丸々と育っています。忙しくて、あっという間に時が経ってしまいましたが、ここらで出産の裏話を。実のところ、産む直前まで、産科の世話になるかどうか夫婦で悩みました。最終的に、自宅出産で私が子をとりあげる、という、両家の両親が聞いたら卒倒するのではないか、というプランと、産科の世話になる、という二択で悩んだのです。産科で産むのがまだまだ当たり前の世の中、世間からすれば、なぜそこで悩むのか、わからないかもしれませんね。大きな理由は、娘を産科で産んだ時の、嫁の経験的な不安、違和感。それに、現代の産科に対する、わが家の思想的抵抗感が重ったのです。(なら、産婆さんは?という選択肢もありそうですが。私どもの住む宇部市はシステム的にできないのだそうです。医師の許可がいるらしいのですが、許可する医師がいないのだそうで)
2011.08.05
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当治療院の養生術講座が山口県のタウン情報誌「トライアングル」8月号(書店等にあります)に掲載されました。「気分スッキリの朝活」というコーナーで、2ページまるまる、大きくとりあげられています。6月末に取材を受けた当初、メディアに対する不信感がどこかにある私は、内心、掲載料などとられるんじゃないか、などと心配していたのですが。それはつまらん思い込みで。今となっては失礼なことだったなぁ、と反省しています。素敵な記事に仕上げていただいた記者さんたちに感謝。それにしても、ろくに広告も出していない当院をよく探りあてたなぁ…。志が伝わったのでしょうか。情報誌を通じて、またおもしろい出会いがあるといいですね。 ちなみに、8月の養上術講座は4,7,10,21,24日開催予定です。
2011.08.01
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