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ほぼ十年前に高校生相手に書いた「案内」です。今年は東京でオリンピックだそうで、案外ピッタリかなと思って復刻します。
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北京でオリンピックをやっていて、テレビがやたらオリンピック化していて、ウザイ。海外旅行どころか国内旅行もほとんど出かけない僕が、唯一行ったことがある外国の首都が北京だから、ぼくは中国びいき。
天安門広場というものを実感したくて行ったのだが、ぼくの予想をはるかに超えたところだった。日本なんて要するに海の彼方の弱小国だと中国歴代の王朝の人々は考えたに違いないな、と、その時、実感した。農薬混入餃子とか、開会式の口パクとか、いろいろ批判されているが、そんなに言わなくても良いじゃないか、そんな感じで見たり聞いたりしいる。
歴史的に見れば 1964
年の東京オリンピックのときの日本だって、その当時の技術や常識として、かなりなことをしていたんじゃないだろうか ?
『公害』とか『人権』とかが、こっち側の常識となったつもりで向こう側を指差していろいろいっているけれど、日本の農薬の使用の現状だって、果たして胸を張ってよその国のことをいえるような様子なんだろうか。TV放送の場面から垣間見えてくる人権無視や見かけだけを追い求めている実情だって、決して世界に誇れるような様子ではないだろう。番組制作の現場では口パクなんて、きっと常識化しているに違いない。テレビのニュース・キャスターと呼ばれている芸能人。彼らには、もう、ニュースを冷静に客観的に伝えるという報道のイメージはない。主観的感情の垂れ流しをやっているに過ぎないように見えるからそう呼ぶのだが、彼らの口調には、日本は大丈夫で中国はアブナイと先験的に考えているのではないかと疑いたくなるところがある。その上、それを口に出して言っても平気だとでもいう程度の感覚しかないので、とても国際的とは言えないだろう。特にアジアの国々に対して、根拠のない上から目線が氾濫しているのではないだろうか。
今回案内する 「ナショナリズムの克服」 ( 集英社新書 ) という本の中にこんな会話がある。
森巣博 ぼくみたいに、あっちのほうがすごいなあ、と手放しで感心する必要もないけれど、よその国と比べて、自分の国は特別で、人間的で、安全で、正しく美しいなんてふうには考えないほうがいいのは当然なんじゃないだろうか。大げさな抑揚で語るテレビキャスターを見てると、世界の果ての井戸の中の蛙の主張を聞いているようで、うんざりしてしまうのだ。
ルース・ベネディクトの『菊と刀』や、和辻哲郎の『風土-人間学的考察』を皮切りに、暇にあかせて読みまくった膨大な日本人論のどれに対しても、違和感を覚えるばかりでした。第一、どの著作も、論の骨格であるはずの肝心な『日本』および『日本人』の定義を非常にあいまいな形で処理しているんです。
姜尚中
共通しているのは『日本・日本人はどこか特別なんだ』という漠然とした自意識です。
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