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「これは、いいんじゃないか?!」 と思いました。
本を読むことは、自分と世界との 「あいだに立って」 考えてみることなのではないでしょうか。 一部の引用ですが、ボクが、反応したのは、
さまざまな局面で分断が見られる今日、多様な他者とともに自分らしい生き方を模索し、皆が生きやすい社会をつくっていくためには、白でもなく黒でもないグラデーションを認めること、葛藤を抱えながら 「あいだを生きる」 ことが、ますます重要になっていくのではないでしょうか。
「あいだを生きる」 という言葉づかいですね。サンデー毎日の日々を暮らす老人にとって 「あいだ」 っていう言葉が、実に魅力的だったんです。
「おわり」じゃなくて、「あいだ」です(笑)。 というわけで読みました。こんな 目次 です。
第1章「말 マル 言葉」 各章のはじめには、それぞれの ハングル について解説があって、そのあと本論という段取りになっています。まあ、ボクが今使っているワープロソフトでは ハングル の打ち方がわからないので、具体的な引用は端折ります。で、 第5章 のはじめあたりにこんな文章があります。
第2章「글 クル 文・文字」
第3章「소리 ソリ 声」
第4章「시 シ 詩」
第5章「「사이 サイ あいだ」
サイ は、時間的な「あいだ」と空間的な「あいだ」の両方を指す。ボクが棚の前で期待していた結論にたどりついたようですね。 「あいだ」 で始まる何かを生きる。韓国語文学の翻訳という仕事において、朝鮮語・韓国語と日本語の 「あいだ」 に立っている斎藤さんは、そこでの思いをこんなふうに書いています。
「子どもたちのあいだで人気です」などと言うときも、「知らないうちに問題が起きていた」というう場合の「うち」も、「仲が良い」と言うときの「仲」も、 サイ だ。
サイ は何かが始まるところ。
翻訳の仕事も、サイに位置している。(P134)
朝鮮語にも日本語にも長い長い歴史がある。その中で、この言語を学ぶ誰もが「サイ」である今を生きている。小さく見えるちがいに目をとめて、ときにはマルとクルとソリという呼び方で自分の思いを整理しながら、学んだことを活かしたいと思う。サイを歩いてきた人たちの足を、けとばさないで生きたいと思う。(P145) で、彼女は、 けとばさない ために、 「サイ」 から聞こえてくる 「ソリ」 、すなわち、 「あいだ」 で暮らし、それぞれのことばを話す人々の 声 に耳を澄ますことを呼びかて、こんな話を紹介しています。
1982年、初めて韓国に行った時のこと、知り合いになったふたりの幼稚園児を育てている女性と「子ども大公園」行ったときに、彼女との会話の中でのことです。 「日本に、サルジモッタヌンピヘンギがあったでしょう?」 韓国の女性 の、この、なにげない ソリ を聞いて、 斎藤さん は、ひょっとしたら、日本語を学んでいるという、少し年上であったであろう、その女性の ソリ=声 を支えている 意識の深さ 、あるいは、 歴史意識 とでもいうべきものに対して、
「サルジモッタヌンピヘンギ」- 直訳すれば、「生きられない飛行機」だ。
さて、最近どこかで飛行機墜落事故があったっけと、私はとっさに頭をめぐらしたが、思いあたらなかった。そしてようやく気づいた。神風だ。神風特攻隊のことを言っているのだと。
あれが、私の受けとった、いちばん深い 「あいだのソリ」 だったと思う。(P149)
ビックリ仰天された? のではないでしょうか。
「奪われた国」と「奪った国」の「あいだ」に立つことだ! というおそるべき 発見 の体験を、この本を読むであろう 若い人たち に伝える必要を感じていらっしゃるからでしょうね。
「隣の国の人」たちとお出会い下さい。 おススメです(笑)。
追記
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