心理士夫妻ブログ

PR

プロフィール

gherardini

gherardini

カレンダー

バックナンバー

2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2025.07

カテゴリ

カテゴリ未分類

(0)

心理職

(7)

妻 皮膚むしり

(3)

妻 休職 その後

(9)

心理学

(1)

育児

(2)

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2024.04.04
XML
テーマ: 心理学(999)
カテゴリ: 心理学




今回は、ふと思い出したこころの授業についてです。

小学校でも中学校でもあったと思いますが、1つだけすごく覚えている授業があります。

それは、小学生の頃の、ある『どうとくのじかん』です。

『どうとくのじかん』は、だいたい例があって(どうとくの本)、それについてどう思うかを考える授業だったと思います。


ある時の授業で、〝Aさんが転んでケガをしていました。あなたならどうしますか?〟みたいな、内容は少し違うかもしれないし、もっと例は具体的で長かったけれど、だいたいこんな感じの時がありました。

全員に考えを書かせる時間をとって、私は「かわいそうだな、助けたい、と思うかもしれないけど、でも、見て見ぬふりをすると思う。」みたいなことを書きました。

そしたら先生が、書かせる時間に教室内を歩いて見て周り、私の書いたものも見て、何かコメントしていたと思います。そして、自分は発表で当てられると察しました。

その後、書かせる時間が終わり、発表の時間になりました。数人当てられて、なんとみんなが「助けた方が良い、すぐ助けます」みたいなことを発表していました。



そして、その後、察したとおり発表を当てられた私は「私も、助けると思います」的な発表をしました。

先生は、「あれ?さっきはそんなこと書いてたっけ?さっきは何て書いてた?」と言いました。それを聞いて、私は全消ししてもう文章はないけれど、さっき書いた「見て見ぬふりをすると思う」的なことを発表しました。


この授業で、〝人を助ける〟ことが望ましいことは誰でも分かりますが、〝あなたならどうしますか?〟という問いだから、私は、普段の私ならどうするかをちゃんと想像して、傍観者になることを正直に書きました。

それで間違ってないと思ったし、むしろ〝傍観者になってしまうかもしれないけど、勇気を出して手を差し伸べよう〟的な事が、この授業で言いたいことだと思ったので、自分の意見は合ってると思いました。


だけど、全員の前で発表させられる状況で、しかも大多数の意見が自分と違う(少なくとも発表だ当てられて答えた人は全員)と、自分も〝この授業の正解の答え〟を答えないといけないと思いました。そしてちゃんと〝この授業の正解の答え〟を、ギリギリのところで舵を切って、模範回答しました。

なのに、私は〝間違った〟のです。


また話は変わって、別の場面ですが、小学校2年生の時の授業ではない時間に、先生がふと〝みんなのお母さんは優しいかな?〟と聞いて、みんなが「お母さんは優しい」の方に手を挙げていたので、私もそっちに手を挙げました。そっちが大多数で正解だと思ったからです。

でも、1人活発な男の子は「俺のお母さん、怒るしむっちゃ怖い」と言って〝優しくない〟に手を挙げ、クラスじゅうに笑いが起きました。

そしたら先生は、なんと「優しいから怒るんだよ。だから優しくない方が本当は優しいんだよ。」と言いました。

「は?」って感じです。「いや、むっちゃ怒られるし、怒ることが優しいとそう思ったから、〝優しい〟に手挙げたんやん」と、私は本当は正解していたのに、空気を読んで〝間違った〟方に手を挙げさせられたことに、納得がいきませんでした。

小学校2年生は、みんな「優しいから怒るんだよ。だから優しくない方が本当は優しいんだよ。」ということを知らないと先生は決めつけ、そして全員の前で意見を表出させ、〝間違えさせた〟のです。


この場面も『どうとくのじかん』も似ています。別にダメなわけではないはずだけれど、私にとっては、過剰に空気を読んで〝模範回答〟したのに、間違えさせられて、悔しい思いをし、恥となり、全く納得がいきませんでした。

どうしてクラス全員の前で意見を表出させるのか、人と違うことは間違い、人と違うと思われたくない、とか、そういう繊細な想いを、ただの恥にさせられました。

まさか、そこまでも含めて『どうとくのじかん』での学びだとでも?いや、結果的に学んだわけですが。

私の感じ方の問題はありますが、そういう子どもも、そうでない子どもも、当たり前だけれど色んな人がいるでしょう。


私の学校だけではなく、多くの学校で『道徳の授業』または『こころの授業』はあると思います。しかし、そういうものにまず教科書があるのがナゾです。なぜなら、教科書があれば案に模範回答があるはず(先生はガイドラインがないと授業することが難しい)だろうし、本来、模範回答ではなく個々の考えを尊重することが(臨床)心理学だからです。




私がただ、〝間違ったら終わりだ〟みたいな感じ方をする、ちょっとこじれたヤツなだけかもしれませんが。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.04.04 20:00:07
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: