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もう8月! そして長い長い梅雨も終わり、夏ですよ…。 私の嫌いな夏が来た…。 もう一年中秋でいい。 秋が1番好き。 夏虫が湧きすぎなのよ!外出たら蚊がさすし、Gに怯えるし、うっかり食べ物放置するとコバエ湧くし! 何故かどこから種が飛んできたのか、庭にね、去年から藪からしっていうつる草が生えてね、 去年知らずに放置したらうちの庭木全部藪からしに覆われて二階までツル伸びて、昔から来てくれてる植木屋さんに泣きついて取ってもらったんですよ。 今年も生えてきたんで1ヶ月に1度のペースで見回りに行って引っこ抜いてます。 でも見逃してた1本が二階まで伸びてた…。 本当はね、お父さんが亡くなったあと、家を売って小さな安いマンション買って引っ越す予定だったんです。 1人で暮らすにはどう見ても一軒家は広すぎて…。 でも伯母から、父が自分が亡くなった後も私がこの家で暮らしていけるよう、床下から外壁、風呂場、色々塗り替えたりカビが生えない塗装を施したりしてくれてたって聞いて、 住めるだけこのまま住んでみよう、と。 兄達にも実家はいるだろうし。 まあ古い家なんで外壁塗装やらなきゃあと30年もつか分からんので住めなくなったら市の団地に応募でもしようかな。 とりあえずチマチマ断捨離はしてます。 お皿を少なくして、使って無いものは捨てまくって…。 もう使わない、コーヒーメーカー、湯沸かしポット、でっかいホットプレート、台所だけでも山のように出てきて、もうどこから手をつけたもんやらです。 最近は一人暮らしの本ばかり集めて参考にしたり。 あとは諦めてでっかい本棚を買いました。 本が3段ボックス4つに収まりきらないんですよ。 本だけは捨てられない、やめられない趣味だからなあ。 二階に設置しました。組み立ては1人でやったよ!重くてむりだと諦めかけたりしたよ! ほとんど自分の部屋に行ってません。 好きな店に通ったり通販したり、本当に好きな色に染めた部屋だけど、 多分これから少しづつとっぱらって行くと思う。 ホコリ被るしね。 仕事から帰って疲れて今に敷いた布団で寝て、起きて居間でご飯食べて、 二階で過ごす機会がなくなりつつあります。 最大の要因はエアコンがある部屋が居間だけなんですよね。 全部屋にあったんですが、みんな壊れてしまって。 父の部屋にあるエアコンは稼働してたから夏は父がつけて寝てましたが、 居間に新しいエアコンを取り付けた際、父の部屋のエアコンと居間の古いエアコンがつながってたので工事で父の部屋のエアコンを遮断せざるを得なくなり…。 私がいっつも父が生きてた時も居間で寝てたのがこれもあるんです。 私の部屋のエアコン、有線なんですよ!リモコンが!子供の頃取り付けてもらったビンテージもののエアコンですよ! 壊れてからは夏や冬に過ごせませんよ、いくら好きな部屋でも…。 これからますます暑くなる前に、断捨離進めないとね。 今年は父の新盆です。
2020年08月03日
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7月末だよ? なんなのこの寒さ。 今長袖のパジャマ着てるよ? こんにちは。 19日、無事父の一回忌終わりました。 その日は奇跡的に薄曇りではありましたが晴れまして、山の方の霊園なのにアチィ…。 いつも人がいないのにこの日は結構車が泊まってました。 13時からお経あげて頂き、終了後5人でお墓へ。 いやー、お堂で入れ替わるたびに消毒、椅子の間隔は広い。お坊さまもマスク、たいへん。 5人だけだからか、お坊さまの経本ペラペラかなり飛ばしてたなあ。 終わりにありがたいお話聞けるのにそれも無し。 時代だね。 お墓、しばらく誰もきてなかったから草は伸び放題、隣のお墓の木から落ちた?謎のつぶつぶに占拠され、まずは掃除からでした。 しかもさらにアチィ…。 兄が「年寄りはこの季節ダメだな、倒れるぞ」というほど汗だくでした。 うち親戚みんな年寄りだからね…。 母が冬、父が夏と綺麗に命日が分かれたなあ。 母の時は寒かったよ。 もうずっと気になって気になって、ついに口に出した「ねえ、塔婆の字ヒョロすぎない?」に全員吹き出しました。 写真のようになんか…力が抜けた文字で。 みんな思ってても口には出さなかったらしく、それからせきをきったように弟子に書かせた?これもう素人がバイトで書いたレベルだろ?と笑いが止まらなくて。 孫と子供とお嫁さん、5人の賑やかな一回忌でした。 食事会などは時期柄無しで、お墓で解散。 私の可愛い姪っ子あーちゃんは大学生になったもののリモート授業で大学にまだ行けずかわいそうで。 喪服姿が大人っぽくてむむはびっくりしました。 ヤンチャな甥っ子りょーは男の子っぽく少しイケメンに。 今小4か5…悪い、むむさんど忘れした。 2人に会えてよかったし相変わらず義理姉のさっちゃんは明るく楽しく優しく年齢通りに見えず若い! みんな元気でよかった。 20日の本命日は普通に仕事でして、変わって頂いた方にお礼したのですが、 オーナーさんがなかなかやる方で1ヶ月も前から休むと伝えて紙に書いて事務所に貼り付けといたんですが、 ある日ひょんと昼勤のKさん20日18時まで勤務と貼り紙が出現しKさんが???となりながら毎日を過ごしていたら突然前の日にKさん明日18時まで仕事ね、とオーナーさんに言われ、 それを聞いてなんちゅーブラックな職場だよ!私1ヶ月前から休みって伝えたのに!と青ざめましたとさ。 本当にKさんすみません…。
2020年07月30日
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びっくり。 もう1年経つんだねぇ。 お久しぶりです。 パソコンを開くことがあまり無くなってしまったので、ついにスマホから初投稿。 お父さんがいなくなってから、一人暮らしにも慣れずに1年、いや、お父さんが倒れてから一人暮らししてるから1年7ヶ月かな? あっという間でした。 その間に世の中大変な事になりましたね。 コロナ。これで世界が様変わりした感じ。 お気軽に遠出できなくなり、マスクは必須。 この前風邪ひいて熱出した時も「コロナ!?」と怯えて医者に行こうにもまず行っていいか確認取らなきゃならないと言う。 お店に入るには消毒。お店の時間も短縮してたり、外食もままならなくなってますね。 こんな世の中になったのをお父さんが見たらなんで言うかなあ、と時々考えます。 お父さんが家のローンを完済して遺してくれたおかげで、私の少ない給料でもなんとか住んでいられます。 固定資産税がめちゃくちゃ安かったのも助かりました。 車も遺してくれたからあちこちいけるけど、車検と税金が痛いかな。 給料の大半を税金に持って行かれるので、削れるとこが食費と光熱費。 ガス、水道はめちゃ安いので電気代に命かけてます。 でも、一人暮らしには一軒家は広すぎます。 2人で暮らしてた時に使ってた長机は片付けて、小さな机を居間に置いてそこで食事とか食べたら少し寂しさも紛れました。 一人暮らし模様にしようと断捨離したり要らないタンスを捨てたり。 でも私、片付け下手なんですねぇ。 家散らかり放題なの。 お父さんがいたから、怒られてたから綺麗に片付けてただけだった。 皿洗いも嫌いみたい。 そんで、料理が好きじゃないみたい。 父と暮らしてた時は自炊派だったのに今じゃあまり自炊しない。 仕事帰りに半額弁当買ってきてサッと済ませちゃう。 もしくは何も食べないで寝ちゃう。 だって作ったって誰も食べてくれないんだもの。 おいしいね、今日は失敗だね、しょっぱい。 誰も何も言わないんだもの。 美味しくないんだもの。 いつかは自炊に切り替えないと健康に悪いから、いつかは始めるつもりだけど、今は弁当でいいかなあ。 お父さんの一回忌は19日、兄家族と私だけで行う事になりました。 こんな時期だし、うちの親戚高齢者多いからね。 20日は本命日。 1年を機に私も色々変わらなきゃなあ。
2020年07月11日
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本当にお久しぶりです。毎日暑いですね。クーラーかけっぱなしですよ…。前回からパソコンの調子がやっぱりおかしくて、あの後壊れてしまったんです。で、新しいパソコンは買ったんですがなかなか一から設定する気力がなく…。スマホから書こうかなと思ったんですが、写真の貼り付けがいまいちサイズが分からず。季節は過ぎ、今にいたっちゃうわけです。遅れましたが、7月20日、7時57分。父が旅立ちました。本当に静かな旅立ちでした。私、前日の金曜日柄にもなく掃除をがんばっちゃったんですね。散らかった居間とトイレと洗面所をある程度片づけて、掃除機かけて。で、朝から頑張ったもので疲れてそのままバタンキューと寝てしまったんです。一応夕方5時にアラームかけてお父さんのお見舞い行こうとしていたのですが、全く気付かず。22時頃起きて、あー、今日お父さんのお見舞い行けなかったな…、と思いつつ、ご飯食べて、そのままスマホ見たり寝付けないでいました。手帳に記入したとき、お父さんが倒れてから今に至るまでずーっと日付に線を引いていたのですが、20日になぜかぴたっと引くのをやめてしまい・・・・。その日の朝でも線を引いていたのに。1月4日のお父さんが倒れた日の欄と記載を眺めていたら、携帯に電話がかかってきました。朝の6時前だと思います。最初、コンビニからだと思いました。オーナーさんからかな?と。でもこの時間、オーナーさんは帰宅している。電話を取ると、病院からでした。父の血圧が下がってきている、急変、危篤と思っていい、間に合わないかもしれないから、急いできて欲しいと。私は泣きながらお願いします、急いでいきます、と電話を切り、兄に電話。出張の多い兄ですが、偶然にも帰宅途中でした。父の事を伝え、すぐに伯母たちにも電話。伯母は急いでいても運転には気を付けて、大丈夫か、何度も言ってくれました。なんで金曜日にお見舞い行かなかったんだろう、泣きながら運転し急いで病院に駆けつけると、すでに兄が来ていて看護師さんからお話を聞いているところでした。もう内臓が機能を保てないこと、昨日高かった血圧がもう半分しかないこと、耳は聞こえてるから話しかけて、血圧戻る患者さんもいるから、そういわれました。兄と二人、お父さん、親父、声を掛け合いました。父は相変わらずすやすや寝ていて、でも明らかに息の仕方がおかしかった。ヒクっ、ヒクっというおかしな息をしていて、取り付けられた心電図も上が90を切ってました。今何を父に話しかけていいのかわからない、話しかけて血圧を戻させて、まだ頑張らせるのか?兄と2人、ほとんど黙ったままでした。私は父の手を握り、ここにいるよ、と話しかけるしかなく。看護師さんが来て、流動食点滴をするというので、消化できるのか聞いたら、消化は出来ないかもしれない、でも生きてる限り必要なものだから、ゆっくり流しますね。鼻から通したチューブを開けると、血が一瞬逆流するのが見えました。(あとから伯母と話したのですが、父は癌の治療を全くしていないため全身に癌が転移していたのではないか?と思います)それから少したって、心電図を見たら数値が0になっていました。兄に急いで知らせると、父はとても早い呼吸を繰り返しています。でも顔は苦しみなく、いつもの通り。もう血圧はすでに測れなくなっていて、数値も26とかぶり返しても低いままでした。兄と2人声をかけながら手を握っていたら、数値が0から変化しなくなっていました。人工呼吸器をつけているので息はしてるんです。だからまだ生きていると思っていました。これ、人工呼吸器で息してただけだったんですね。看護師さんが来て、心停止していますので医院長を呼んできますね。と言われ、医院長さんが確認を取ってくれて、父の死亡が分かりました。人工呼吸器を外されて息を全くしていない父を見て、分からない間に父は逝ってしまったんだと知りました。本当に、すーっと、静かに静かに逝ってしまいました。そこでやっとああ、お父さん、もう逝っちゃったんだねぇ・・とお顔を撫でるとこができました。兄も、よく頑張ったよ、と言っていました。1月4日に倒れ、その日持たないと言われ、2月15日にここの病院に転院し、もう長くはないと言われ、昏々と眠りつつけ、弱った心臓とたくさんのガンを抱えながら、ここまで父は生きてくれました。父の時間は1月4日の寒い冬で止まっています。脳が死んでいる人は体温調節ができないそうで、看護師さんたちがタオルを手に巻いたり布団をかけたりして調節してくれていましたから、父が季節の気温を感じられたか分かりません。春には父が毎回楽しみに桜の開花を見に行って、満開になったら一人で花見をした公園と、私と2人毎年花見に行った公園の写真を撮りに行き、わずかに目を開けた父に見せてお話しし、お見舞いのたびにその日、最近あったことを話し、6月には限定で発売される農家さんのトマトを買いに行って父に匂いを嗅いでもらい、七夕には病院に飾り付けてある笹の葉と短冊の話をし、短冊に父が幸せな夢を見続けますよう、願いを書き、7月14日の父の誕生日には(今年は15日にお祝いになっちゃったけど)ベッドに小さく飾り付けをし、花粉のついてない百合の花とケーキの匂いを嗅いでもらい、父は生きてくれました。植物人間になっても、永く生きてくれました。父にたくさんの思い出をもらいました。父に幸せな時間をもらいました。20日、やっと家に帰ってきた父と3日間過ごし、23,24日に通夜と告別式を身内だけで行いました。父が元気な時に「俺の葬儀は身内だけでいいよ~」と言っていた言葉通りに。父がひげを伸ばしてかっこ良く整えたときに写真撮ってと言われ、現像したとき「これ、俺の葬式写真に使って、いいなこれ」と言っていたものを写真に使いました。今は居間に父の遺骨と写真などを飾り、私もほとんど居間で過ごし、寝て、一緒にいます。体調が悪い人が出たため、代わりに出勤しているので週5で働き、くたくたになっても遺産手続きや市役所の手続きをしなければならず、何もない休みの日は洗濯や洗い物をすましたら爆睡してます。食べ物なんて作る気力もないので買ってきて食べたり、スパゲティなど簡単なもので済ましたり。ふと、家にもう1人きりだと実感してボロボロ泣いたり。1月までお父さんと普通に話してたのになぁと思い返したり。私がちゃんと働けない分、父には迷惑かけました。母が早くに亡くなり、父と17年、2人で過ごしてきました。ケンカしたり、何気ない話したり、旅行したり、文句言ったり、笑いあったり・・・・・。父は幸せだったのでしょうか?私の幸せはどうでもいいから、父には幸せになってほしかった。今にして思えば、この半年以上の時間、長い長い別れの時間を神様にもらったのかな、と思います。お父さんよく頑張ったね。ありがとう、天国でお母さんに会って、永く離れていた分いっぱいお話してね。幸せな時間をありがとう。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。これからここの日記は、たまに呟きと日常と、父の思い出でも書こうかなと思います。
2019年08月19日
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父の亡くなった後の話を最近伯母や兄としています。だいたいは私が一人でどう生きていくか。私、吐き気タイプのパニック障害を20年患っておりますので、今までまともな就職に付けず、週3日のバイトや契約社員で働いていました。今の仕事もそうです、今は週3日のパート。月いくら稼げば生きていけるか計算中です。家の固定資産税と車を維持するなら保険は兄が払ってやると言ってくれてます。でもこれからは父が2年に一度一ぺんに払ってくれていた年金も月一に変え自力で、光熱費、食費、税金、保険・・・。車を維持するならガソリン代に2年に1度の車検代10万の貯金もしなきゃならず、兄的には月12万は欲しいな、とのこと。父の残すお金は家電が壊れたときのいざっていう時のためだけに使うようにしなさい、と伯母。果たして私の今の体力、病気との兼ね合いでそれだけ働けるのかが心配です…。契約社員の時の週3だって(まあすっごいひどいいじめや悪口など受けてたからかもしんないんですが)休み休み働いていたんです。今の仕事も1年で体調壊して休んだ回数は5回です。それを週5,6日となると…‥。私は父がいたからこそ生きていけたのかもしれないな、と思います。私1人ではなんて何もできない出来損ない。どう生きていったらいいんだろう‥‥。
2019年03月04日
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こんにちは。養療病院に父を転院させ3月となりました。父は3日間を持ってくれ、今もここで過ごしています。お隣に同室の方も入られました。このおじいさんも人工呼吸器。ただ、父と違ってずっと寝てる姿しか見たことがありません。そう、お見舞い行くと父、ずっと起きてるんです。今まですやすやと寝てる姿の方が多かったのに。やっぱり環境が変わったからうまく寝られないのかな…。そんで父に色んな変化が出てきました。まず、反応がなかったのに手を握ると強く、爪が食い込むほどギューッと握ってくること。実際手を動かして握ってきてるのか、脊髄反射なのかは分かりません。なかなか手を放してくれないのです。人の顔をじーっと見るようになったこと。実際見えてるのか分かりませんが、目を開けてずーっとみつめてます。そんで眉を下げ、泣きそうな目をするのです。これは脊髄反射なのか、父の無意識の意志なのか分からないです。ただ、私には父が泣いているように思いました。あるときは私の顔を見てべーっと舌を出し、引っ込めない。脊髄反射?でも横に顔を向けたときや口をむにゃむにゃしたときしばらくベロが出るときはあるけど、今回そんなことなかったな…。あれ?もしかしてこれ、元気な時お父さんがよく私に向かってやってたあっかんべーでは?と思い、嬉しくなり私もあっかんベーっと返し対決してきました。脊髄反射かもしれません。でも意思疎通を感じ楽しかったです。だからこそ、今病院に通うのも、買えるのも辛いんです。私や伯母たちが見舞いに来てる間はいい、けど帰ったあと父は1人ぼっちで何を見て、何を感じて過ごしているんだろう。たったひとりぽっちで長い一日を過ごしているんだろう。その間、私は笑っていいのか、ご飯を美味しいと感じていいのか、出かけていいのか。寝て過ごしてしまってもいいのか。話を楽しんでもいいのか。その間も父は一人ぽっちなのに?考えるほどせつなくて、寂しくて。伯母たちに道を教えるため、伯父の車を先導して近道を走った時、近道は林道なのですが伯母が父を姥捨て山のようなところに置いてきてしまった、と涙が止まらなかったそうで、それからは林道ではなく遠回りの大通りの方を走ってもらっているそうです。この前も体位替えの体制が悪かったのか、ずっと父の手足がプルプル震えて止まらなかった時、このままでいいのか、この病院でよかったのか、やはり高くてもS病院がよかったのでは…と後悔ばかりが押し寄せました。私の選択は間違っていたんじゃないか、S病院の方が父はゆっくり眠って過ごせたんじゃないか?もしかしてこんな悲しい気持ちにならずゆっくりお見舞いできたんじゃないか?やはり人数が足りなく看護士さんたちも痰の吸入も取り切れてんの?というほど簡単に終わらせ、体位替えは父の下にシーツを敷いたものをずらすだけで終わり。ショックでした。やっぱり見学だけじゃわからない、入ってみないと分からないとこってあるんだなって。そんな中で父は過ごしているんだと思うと・・・・。髪の毛のカットも看護士さんのタイミングでお任せしておるんですが、父の可愛い長めの七三分けがバッサリカットされいがぐり坊主になってたのも父じゃなくなったみたいでショックでした。看護に邪魔なのはわかっていますが、いや、斬新、斬新だ・・と言い聞かせています。なんかすごくしんどいです。そしてバイト先から近いからバイト前に寄ってお見舞いしてからバイト行こうと思ってたのが実行できてません。父に会うのにけっこう精神力使うようになってからバイト前に疲れそうで…。終わったとならいくらでも会いに行くんですけどね。終わるの夜なので…。
2019年03月04日
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もう本当に悩みぬきました――――!!病院の相談員さんに一緒に決めましょうか?と言われ相談するも決着がつかず、看護師さんに相談したら「近いってもの一つの考え方ですね」という考えも汲みつつ・・・・。父にとってはどっちが居心地いいだろう?良い最期を迎えられるだろう?手厚い看護はどっち?自分で介護できない以上、父にとって最適な場所だけは妥協したくはないんです。12日までに決めてくれと言われ、12日に各病院へ質問をまとめた用紙を見つつもう一度聞きたいことを聞いてみました。父は痰の吸入が多いがそこは見てもらえるのか?足の褥瘡のケアは?看護師さんは何人に何人体制?うるさくはないか?いっぱい考えた中で、一旦はS病院に傾きました。父の貯めた貯金は父が使い切っても問題ない、と。ですが、差額ベット代は出せない(父の入院が一体何カ月になるか予想つかないため)、マッサージは半年まで国の予算でできるがそれ以上は自費、マッサージが肌の弱ってる父に果たしていいのか?4人部屋全員が人工呼吸器ならうるささとしては2人部屋の方がいいのでは?人工呼吸器の数から看護はN病院の方が頻繁に看てもらえるのでは?体位を変えるのはN病院では2時間おきだけどS病院は4時間おき。もし呼吸しにくい体制になって苦しかったら4時間我慢しなきゃならない。という事を兄に伝え、兄も「S病院は最期まで見てくれるって言い方ではなかったんだよな‥」とのことで、N病院に決めました。伯母たちにも遠くなるけど私も頻繁に車で連れてくから、ごめんね、と断って。となるとトントン話が進み、15日に移動の日になりました。それまでに父には病院移ることになったよ、今の看護師さんたちの声が違うからびっくりしないでね、と散々伝えておきました。移動の日は長女のはつ伯母ちゃんと私しかこれなかったので、9時には病院へ。担当医がいましたが、少し頭を下げて行ってしまいました。結局なんか1カ月半で担当医3回しか見なかったし、話も同じことの繰り返しで雑な対応の人だったなぁ…。今までお世話になった5階と3階のナースセンターへお礼とクッキーを持って行ったのですが、物は受け取れない、と断られてしまいました。仕方ないからN病院に渡そうね、と伯母と言い、10時10分に父を救急車に乗せ移動。救急車には伯母が乗り、私は担当の看護師の方とお話をした後、お礼を言って自分の車でN病院へ。ここの病院は看護師さんがとっても手厚い看護をしてくれて良い病院でした。ありがとう。寝巻だけ持参で、救急車自体は地元の病院が出してくれました。伯母いわく、中から外は見られなかったから道が分からなかったし、お父さんすごく暴れたよ、足とか手がパタパタ動くのよ、とのこと。父、びっくりした様子。私は病院に着き、相談員さんが来るまで記入する紙に父の事を書きつつ、相談員さんと病室へ父がついたから移動しましょう、と病室へ。ここから3日が勝負ですね、と話しながら。病室の用意が整う間に担当医さんが来てくれました。ふっくらとした方で優しい穏やかな話し方をする方ですが、話はつらいものでした。伯母と聞いたのですが、向こうの病院からの経過報告をゆっくり説明してくれた話によると、父は癌で片肺が潰れていること、もう片肺にがんの転移があること、これが膨らみ、血管に食い込み血管が破れると呼吸ができなくなり、水に溺れた状態になり亡くなること、2日前に同じ事例がったこと。心臓もこれだけ心筋梗塞やカテーテル手術をしてきてボロボロなこと、酸素も実際1月は人工呼吸器の数値20で配給してきたが今は40なこと、どんどん呼吸しづらい状況になって気いる事。もう長くはないこと。私が泣いてしまうと、ごめんね、と謝ってくれました。病院では本当に看るだけしかできないこと。治療は何も出来ないこと。やっぱりもう長くはないんだ。酸素配給がこんなに倍になるってことはもう2カ月持たないんじゃないのか?先生が一旦離れた後、伯母になんでこんな体中ボロボロになっちゃったの?と言われましたが、私を責め立てるように聞こえました。私の食事がいけなかったのかな、やっぱり。タバコ?おさけ?何がいけなかった?私じゃお父さんを長生きさせてあげることができなかったんだな‥‥。私も自分を責めました。病室は白く広々としたところで、まだ父しかいなかったので父は窓際のベッドでした。窓が大きく、外は広々とした茶畑に大きな空が広がってました。春にはあそこの木に桜が咲くんじゃない?と伯母と話し、良い所だね。と。ただ、やはり父は全く落ち着かないようで。失敗したと思ったのが、ここ呼吸器が古いタイプでうるさいんですよ。スコー、スコー、って結構。S病院の方が静かだったのかな‥と後悔しました。「どっち選んでもどっちにしろ後悔するところはあるよ。決めたなら後悔はやめなさい。伯母ちゃんはここの玄関ホールを入った時、ぱあっと明るくて広々して、ああ、ここでよかった!と思ったよ」伯母は結構気に入ってくれていました。父は前の病院では寝てばっかりでしたが、もうぱっちり目を開けて全然眠らないんです。やっぱり音がうるさいのかな‥?違う音が落ち着かないんだな‥。枕もなんか前の病院では常にベッドを起こしていたため寝やすかったみたいですが、普通にまっすぐなベッドに申し訳程度の高さの枕でお父さん寝にくくない?痰を取りに来てくれた看護師さんも、ぱっと取ってぱっと帰る感じで「今の病院と比べると養療病院はショック受けますよ」と言われてきました、確かにすごく心配になってきました。これは、国で救急病院には看護師さんの人員をたくさん配置してますが、このような病院だとぐんと配員が減るんだそう。伯母ちゃん曰く「今まで真綿で包まれるような温かい看護を受けていたから、養療病院での扱いにびっくりしたわ」しばらくして先生がさっき撮ったレントゲンを持ってきて見せてくれました。確かに治療していた右肺は縮んで真っ白でした。何のための治療だったのか、免疫治療なんてしなければよかったってくらいに。そして左肺には最初右肺に見つかったのと同じくらいの大きさの3cm大の新しい癌ができていました。成長が速すぎない?確かに何も治療はしてないけど、12月は何もなかったよ?こんな速さだと、血管押しつぶすのも早そうです。本当に春まで持つか分からないくらいに。2時間くらいいて、今日は心配だけど帰りました。3日間、ストレスに父が耐えてくれるか、ちゃんと寝てくれるか、最後に見た父は今にも消えてしまいそうなほど心細く見え、この病院で本当に良かったか、今でも悩んでるところです。
2019年02月27日
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父を受け入れてもらえる養療病院は4か所。うちの周りの市を含めたら結構な数養療病院はあるのですが、父は人工呼吸器をつけ、また痰の吸入数が多いため、『介護養療病院』ではなく『医療養療病院』になってしまうそうです。人工呼吸器の設備などがあるのが医療養療病院だそうです。で、S病院の相談員さんが指定してくれて連絡を取った中で3か所、OKをいただきまして、次は見学に行ってきました。そこの相談員さんに院内の案内、見学、入院後の案内、見積もりを相談するのです。まずはうちから1番遠い隣の市のN病院に兄と2人で行ってきました。相談員のYさんはとても親切で気さくな感じの方です。病院の見た目は古め、でもとっても大きな3階建ての病院です。「駐車場が無駄に広いんですよ」と言っていただけになんとあちこち合わせて100台入るそうで…。周りは茶畑。奥に雑木林が見えます。実はここ、私のお気に入りのビュッフェのあるお店のすぐ近くでして(あるのは知らなかったんですが)、普通の道で行くとかなり遠いのですが、裏道通るとかなり早く行けることが判明しまして。しかも私の働いてるバイト先から車で7分。中はちょっと迷路みたいでした。でもすれ違う看護師さんたち皆さんこんにちは~とあいさつしてくださいまして、雛飾りや壁紙、飾りなどアットホームで、陽の開けた明るさが気に入りました。父が入院するとなるとナースセンターの前の2人部屋。人工呼吸器は6台。員室で相談。父は後期高齢者なので入院代、食事代などはどこの病院もみんな一緒で、何が違うのかというとアメニティ代。これが病院ごとで違うんだそうです。(アメニティは日用品、病院服、タオル、おむつなんか)ここはおおよそ月18万くらい。それ以上は行かないそうで。父の年金内でぎり賄えました。それから相談員さんの話では、人間最期まで残るのは『耳』だそうで、これは亡くなってからもしばらく聞こえるとか。だから周りが楽しそうだと穏やかな顔になるという。父もやはり耳は聞こえてるんだそうです。あと、病院を移る際のデメリット。目も見えない、体も動かない、話せない耳だけ聞こえる今の状態の父のような方だと、いつも慣れ親しんだ病院での声から離れ、がたがたと揺れる救急車で運ばれ、違う声の中で生活を始めるとそれはすごいストレスで、中には3日で命を落とされる方もいるとか。私たちは最期までお世話をさせていただきますよ、でもお父様の終の棲家になるのですから、他の病院もしっかり見学して、良い所にしてあげてくださいね。との優しい言葉をいただき、一旦家へ帰りました。次の病院までの時間があったことと、保険を見たいと兄が言ったので。(うちに着いたらしっかり兄のお小言頂きました。部屋片づけろよ・・雨戸閉めっぱなしってどういうことだよ・・廊下ぐらい箒で掃除しろよ…)保険、父3か所入ってて、一か所はがん保険なのですが、これはもう今回もらえないかもな…とか、何が必要なんだ?とか、電話かけたり2人でこれも悩みました。午後は反対の市にあるK病院。ここは小さめの病院でした。6階建てくらいのビルみたいな。住宅街の中で景色はよくない。案内してくれた相談員さんはなんだかせかせかした方でした。院内はちょっと暗く、父が入るのは4人部屋。人工呼吸器は3台。なんだか印象は老人施設のひどい版みたいで、ここにはいさせたくないかな…という感じ。相談は普通の小さなイスとテーブルだけの部屋で、ここは月16万くらい。20人くらいの患者を1人の看護師が見ること、お父様の終のターミナルになるのだから最後まで見させていただくこと、などなどいろいろお話をいただいた後、いきなり入院契約書を差し出され、いや、あと一か所見学に行くので‥というと、早めに返事くださいね、出ないと私、次々患者入れちゃいますんで。と。印象悪かったのですが、父の終のターミナル、という事派が響きました。そうなんだ。前のN病院でも言われたけど、父にとってそこは最期の場所になるんだ。父の人生の終着点なんだ。そこからもうどこにもいかない。病院で迎えさせてしまう最後に涙が出ましたが、だから良い所、過ごしやすく、安心できる場所を選びたい。今日はこの2件。兄的にも今のところはN病院かな‥とのことです。この日は帰りに丸亀製麺でうどんを食べて2人で父のところによって、父の顔を見ながら今日の事を話しながら、そのあと帰路につきました。兄と2人で食べに行ったの初めてかも。新鮮。昔はこれでも少し普通ではない状態で育ったので、お互い仲が悪くはないのですが話し方があまり分からず普通の兄妹とは違う感じで大きくなってしまったため、頻繁に話し始めたのが大人になってからという感じでした。兄という概念がちょっと薄かったんです。次の日は伯母姉妹と兄の4人で見学。兄とK病院の帰りに外見だけ見てきたS病院は兄に教えてもらったスマホのGoogleナビで家から車で7分で着きました。ここなら伯母姉妹も自転車で通える!と言ってました。林の中にあるとても大きな病院です。静か。とっても静か。案内してくださった相談員さんは事務的でしたが、すれ違う看護師さんや掃除の方皆さんこんにちは、と丁寧なあいさつをくださいます。院内はとてもきれいで静かな空気が流れていました。陽がっふわっと当たる感じ。2人部屋を見たとき、木の穏やかな壁の広めの病室に「あ、ここにお父さん居てもらいたいな…」と思いました。父が入るのはナースセンター前の病室。父は重篤度が高いのでどこもそうみたいです。4人部屋も静かな陽が当たっていて良い感じでした。相談員さんと相談。寝たきりの方の部屋にも歌唱隊が来て歌を聞かせたり、体が固くならないようマッサージをすること、月一回髪の毛を切るため2500円くらいのお金がかかること、父にかかりきりにはなれないけど、18人に一人の看護師さんがつくこと、呼吸器は16台?くらい。リハビリには本当に長けたとこなんです。リハビリセンターがあったり、談話室があったり、患者さん同士で交流会があったり…。でも父にはそれは出来ないこと。そして驚くべきはアメニティ代、10万円強。呼吸器の部品代、加算加算でなんと入院費諸々込み月22万。それで収まるかは不明です。まだまだかかりそう。前金は20万。N病院ですら5万だったのに。病院への移動は民間救急車を使うので8万。その他おこずかい(そのお金から必要なものを買う)が必要で‥‥良いなと思った2人部屋も、4人部屋も差額ベットで2人部屋で月5万かかるのかなぁ。無料のベットは4人部屋。空きが出たら入れるそうで・・・・。病院を出て兄が一言「N病院だな…」お金さえこんなにかからなければほんとにS病院はいいとこだったんです。伯母姉妹も気に入ってたし、何より頻繁に通うであろう私と伯母姉妹の家から近い。でも父がここにいるイメージがとても湧いていたんです。陽のふわっとあたる部屋に横になる父。陽の光を感じるなら、その目でもわかるであろうし、居心地もとてもいいかもしれない。決めるのはなぜか私に託されてしまいました。まずよく通うのが私だから、兄はN病院にしたのは少しでもお父さんにお金を私に残した方がいいから。私はお父さんのお金を使い切ってもいいからここでもいいのでは・・という事と、兄の考えを聞くと、兄的にはN病院、S病院どちらも感じ的に良かったのでどっちでもいいとのことで…。父の年金はすべて病院代に使うほかに、父の貯金から父の保険代、光熱費、国の保険などに月10万くらい吹っ飛んでいくので、よく考えて決めな、と。伯母姉妹の家に帰りによって、夕飯をごちそうになりました。叔母は私の話は参考にするな、決めるのはむむとようちゃん(兄)なんだからね、と言いつつ、今日の病院は周りはさみしいけど感じはとても良かった。何より近くだからあそこにいると思ったらさみしくない、と。自転車で通えるし、頻繁に行ける。伯母たちは今入院してる病院にも頻繁に通ってくれています。慕っていた実の兄ですから、会いたいでしょう。N病院のアットホームな感じは気に入ってます。病室が殺風景でなければ。S病院の手厚い看護、空気は気に入っています。病院代が高額でなければ。父にとってはどっちがこれから最後まで気持ちよく過ごせるんだろう‥‥
2019年02月27日
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あれからもう1月末ですね。 父は4日を乗り越えただけじゃなく、今でも眠り続けてます。 脳の大半が死んでしまったため、植物人間になってます。 最初はできなかった自発呼吸もしっかりしてます。 人工呼吸器は15日に手術をして気道に穴をあけ、首から繋いでいます。 自力で咳ができないため痰の吸入が欠かせません。 口から人工呼吸器を入れていた時は痰を吸い出すのも非常に苦しそうで、時間もかかり、何度か痰が詰まって窒息しそうになり先生を呼んで緊急処置しましたが、 喉に穴をあけたことで気管に入ってた管もなくなり本人的にも分かるかどうか不明ですが楽そうで、 痰自体も取りやすくなったそうです。 喉から痰を取ったあとへの口になり口をなかなか開けてくれなくて「怒ってる~!?Iさん口開けて~」と看護師さんを困らせています。 目も時々開けて「お父さん起きてるの?」というときもありますが、見えてはいなく視線も追わないので光を感知してる程度と思われます。 耳は最期まで残る器官だそうで病室にいるときや来た時や帰るとき話しかけています。 話は理解してるか分かりません。 相変わらずつねっても手を大きく動かしても反応はなく、目を開けたり口をムニュムニュ動かしたり大あくびしたり、手や足をぴくっと動かしたりするのも脊髄反応で自分の意志ではないそうです。 最初のうちは肺炎で毎日39度近くまで熱を出して抗生物質が欠かせなかったり、痰が頻繁に詰まって機械がピーピーなったり心臓の機械もピコンピコン頻繁になり、 しかも体が固くならないため体の寝る向きを2時間ごとに看護師さん2人で変えてくださるのですがこの後に危険な状態になり大変でしたが、どれも今は落ち着きました。 たまに目を開け、今は昏々と眠り続けています。 気持ちよさそうに眠って、たまにするあくびや口をムニュムニュするしぐさが可愛くてお父さん可愛いなぁと思いつつ。 8日に兄と決めて泊まり込みをやめ、普通の生活に戻る事にしました。 そんなに仕事も休めないし、先生も戻った方がいい、幸い持ってくれているし、とおっしゃってくれました。 もし仕事中に父が亡くなったら仕方ない、と決めました。 兄は頻繁に休めないので、私はパニック障害のため週3日しか仕事してないので私がまめに病院に来るよ、と言い、兄は来られるときに来ているようです。 伯母たちも割と頻繁に来てくれています。 私が行けなかった時は父の様子を伝えてくれたりします。 父と食べる予定で買った箱買いのミカンやリンゴが消費できないので伯母の家に持っていったり、伯母に頼まれて買い物したりしたついでに夕飯をごちそうになる機会も増えました。 1人で生活していると夕飯なんて適当に済ますのできんぴらやお鍋がありがたいです。 兄と父の通帳や保険を見ていろいろ整理しています。 父が継続通販していたものを中止したり、電気のアンペアを下げたり、私が新聞を読まないので新聞をやめたり、家の駐車場を片付けてそっちに車を入れるために今の駐車場を解約したり。 お金のかかることは極力やめています。 灯油ストーブを使っていましたが灯油代と電気代がかかるので電気ストーブに変えたり。 今は一軒家に私1人でいます。前は父が入院してても退院があるから寂しくはなかったけど、もう父は家には戻ってこられないのでずっと一人。 近所の付き合いがある方には父が心筋梗塞で倒れたことは伝えてあったので会うとお父さんの様子どう?と声をかけてくれていましたが、 私が頻繁に雨戸をあけ忘れることがあるので心配してくれていたようです。 近所のおじさんとおばさんたちにお父さんの事聞かれたので話しました。 何かあったら何でも言ってと言ってくださいましたが、極力自分の事は自分でやらなきゃです。 (ただ、救急隊員の人が入れないからと外した玄関の格子戸が取り付けられなかったので向かいのおじさんが手伝って取り付けてくれました。優しい。ありがとう) 仕事先では案外私が変わらず仕事してるので安心したと言われました。 さすがに4日から休み続けて初出勤したときはすごく心配してくれていましたが。 オーナーさんともあいかわらず仕事上がりに20分ほど仕事の話や父の話、くだらない話などしています。 1度一緒に働いてるUさんが私の事を「元気そうだけど笑顔が笑っているような泣いているような感じがする」と言っていたと聞かされてた時は泣きそうになりました。 生活はほんとに普通です。眠って起きて、食べ物は美味しいと思えるし、将来の不安が何もない。逆におかしいんじゃないかと思えるくらい普通で感情が壊れたのかと。 たまにボロボロ涙が出るけど、慌ただしく洗濯して部屋が散らかり放題だからたまに片して、めんどくさい皿洗いして。 もうお父さんと話はできない。 私が作った料理を食べてくれない。 一緒に月一回の贅沢の回転寿司にも行けない。 もう一緒に旅行行くこともない。 ケンカもできない。 話して笑うことも、愚痴もきいてくれない。 母が亡くなって17年、2人で暮らしてきた日常に二度と戻れない。 でも病院に行けば眠る父がいる。それだけでいいんです。父が生きてるってことが嬉しいんです。 先生からは健常な人が人工呼吸器をつけても持って1年、父の場合は癌や心臓病があるから持って数カ月と言われています。 でも明日の事は考えないで、今日の父に会いに行きます。 顔色もよく、気持ちよさそうに眠り続けて、ほんとにあと数カ月?と不思議に思えるような感じです。 状態も落ち着いてきたので今日相談員さんと話をして、今後療養病院に移すそうです。 出来たら今の病院でケアしてほしいけど、そうもいかないようで。 自宅で介護も、もっとひどい状態で介護してる人もいるけど、人工呼吸器に機械をいっぱいつけてる今の状態ではかなりの覚悟がいるそうです。 私の場合、手伝える人が近くにおらず、伯母たちも高齢で兄も仕事や家族があり、私1人になってしまいみんなから無理と言われたので、療養病院になります。 出来たら近くの病院がいいけど、そんなとこに父を1人にさせるのは可哀想だな。 また更新しますね。 長々すみませんでした。
2019年01月29日
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4日は病院に行く日。私は父が心筋梗塞起こした日から何かあってもいいように居間で寝ていました。私は6時頃起きてスマホをしていたら、7時過ぎころかなぁ。父が起きる音がしました。トイレに行く音から洗面所でドライヤーをかけていて、私もトイレに行ったのでその音は聞こえました。そのとき父に「おはよう」って声をかければよかった。だっていつもの日々が続くと思っていたから居間に戻って、父が来たらおはようって言って、昨日の科捜研の女の感想や重大発表は何だったのか聞くつもりでいました。私がまとめておいたごみを父が出しに行きました。私が行ったほうがいいかな…そう思っていました。行けばよかったんです。ゴミ出しくらい。ゴミ出しから帰ってきて洗面所に行った父が、しばらくすると息を深く吸い込むような、吐き出すような音を出し、すぐにドタン、と音がしました。あ。と思ってすぐに居間の扉を開けると父が倒れていました。目はつむっていて、口からはうーという声が漏れていました。「お父さん、お父さん!」と声をかけすぐに119へ電話。この時は冷静に対処で来ていたと思います。救急隊の人はすぐうちの場所を把握してくれ、今向かってます、と。何をしたらいいか聞いたら気道確保してくださいと。父のところに戻り、首を後ろに曲げ「息して、息してお父さん」ですが父の反応が無くなっているのに気づき、すぐまた119番、心臓が止まってると。心臓マッサージの方法をすぐ指示され、父の心臓を1,2,3・・と繰り返し押し続けました。心臓って本当にべこっと押せるんだな、とか、そんなことを考えつつ、お父さん、救急車くるからね、息して、ずっとマッサージをし続けました。救急車の音が聞こえたとき、やっと来た!と思い玄関へ。救急隊の方が処置を続けてくださり、私は居間へ移動して救急隊の方にお父さんの保健所を渡し、質問に答え、すぐに一緒に病院に行ける用意をしてくださいと言われ適当な服に着替え、兄の携帯がつながらないので、兄の家へ電話しました。さっちゃんが「あらむむちゃん、あけましておめでとう」「あけましておめでとう、お兄ちゃんいるかな?」「今すぐは出られないけど、伝えるよ」お父さんが心臓が止まって倒れたこと、これから救急車で運ぶことを伝えるとさっちゃんはびっくりして、すぐお兄ちゃんに伝えるから!と。地元の心筋梗塞時に入院してた行きつけの病院か、埼玉医大か聞かれましたが、今の状況から行ける方をと伝え、地元の病院へ連絡を取っていただき、父を救急車へのせ、私は前に乗りすぐにしゅぱつしました。救急車の中でもずっと心臓マッサージは続けられていました。地元の病院は5分程度で着き、すぐ処置室へ。私は家族室へ連れていかれ、兄に地元のS病院にいることを伝えました。しばらくしたら救急隊の方が見え、今の状況、引継ぎなど伝えてくれました。父は心臓が動いたと聞いたとき心底ほっとしました。しばらく後、考えたよりも早く兄が来ました。(いえ、もっと時間は経っていたかもしれませんが、けっこう早く兄が自宅から来たのでびっくりした)今伝えられる人に電話した方がいいよね、と、兄は母の実家へ、私は父の妹の伯母姉妹へ。私は仕事先に連絡し、しばらく休む旨伝えました。先生にしばらくして呼び出されました。父は口から管をいれられ胸はバクバク大きく動かされていました。色んな機械がついていました。そして先生から、心臓マッサージが遅かったため脳がダメになったこと、これは回復しないこと、ガンで片肺が潰れていること、今日持つかどうかわからないこと。兄は立ち尽くし、冷静に話を聞いて返事を返していましたが、私はそのあと泣き崩れてしまいました。なんで、なんで今日なの。だって朝まで普通に動いてたじゃない。私朝何も話さなかった。家族室にまた連れていかれ、兄とぽつぽつと話をしましたが、よく憶えていません。多分どんなふうに倒れたか、その後の経過とか、誰に連絡した方がいいかとか、そんなだったと思います。LINEで父の様子や病院の結果などは兄にまめに連絡していました。なので経過は分かっていたと思います。兄は泣かないって強いなぁ、とか考えつつ、ガンで片肺潰れてたとか、なんで?だって先生良くなってるって言ってたじゃない?あれなんだったの?優しいウソ?ぐるぐる考えているうちにまた先生が来てくれて「もう時間の問題ですね」あっけなく父とお別れなんて、こんなことってあるんだ…もうすぐお父さん死んじゃうんだ‥涙は出なかったです。感情がすっ飛んだというか。兄が伯母たちにそのことを伝え、しばらくして伯母たちと伯父、あと母の実家から連絡受けて近くに住む母の妹の叔母ちゃん夫妻が来てくれました。(さっちゃんも来てくれたんだけど、風邪をひいていたので早々に帰宅しました)処置室隣にある個室に移された父の前にみんなで囲んで父の名を呼んだり話しかけたりしました。父に付けられた心臓の機械の数値がめちゃくちゃ上下して、すぐピコンピコン音がしました。父は眠ったままでした。いつまで父の顔を時々見つつ座っていただろう。伯母たちが一旦帰り、気づいた時には15時回っていてびっくりしました。8時にここに来たような…もう15時?早いね?父の様子が少し落ち着いたとのことで、5階の個室に移されました。それからみんなで長い時間を過ごし、今日は持ちそうだとのことで、夜皆一旦帰り、兄と私が泊まり込みました。泊まり込みは4日続きました。その間兄も休みを取ったので下のコンビニでご飯を買い、食べ、ペットボトルを飲み、皆が来てくれて父を囲み話をし、帰ったら兄とぽつぽつ話をし、夜は交代で眠り…父は一向に目を覚まさない。いつ急変するか分からない。意識はないのに苦しそうな父。病室で兄にもし仕事に復帰して、仕事中にお父さん亡くなったら動揺しない?大丈夫?と話したことがあります。兄は高速バスの運転手で、長距離の運転が多いため、連絡受けてもすぐに帰れないからです。兄は、残酷なようだけど、ガンって聞いた時から覚悟はしてきたからね、もし電話受けても動揺はしないと思う。と答えました。私は覚悟が足りなかった。兄のような覚悟がなかったんだな。兄の強さが分かった気がしました。オーナーさんに電話したときは、むむさんとお兄さんがいろいろしてくれてから、お父さんは幸せだったと思うよ?と言ってくれました。そうじゃないよ。私は散々父に迷惑かけて心配させて。親孝行すらしてない。母の時に後悔しつくしたから、父にはその分後悔しないよう、自分の時間を父に使おうと決めたのに。結局後悔だらけ。ご飯作んない日もあった。もっとご飯美味しいもの作ればよかった。あれだってこれだって。父の寝顔を見ながら、後悔ばかりしました。
2019年01月29日
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本当にお久しぶりです。書こう書こうと思っていたんですけど…なかなか筆が進まなくて。まず父の免疫療法ですが、病院に行って採血、レントゲン、1時間くらい待って診察、そのあと点滴ルームで「イミフィンジ」の点滴。点滴はお父さんが来てから用意して点滴するので合計90分くらいかかるんです。で、その間付き添いはできないので私はテラスで飲み物買って終わるまで待って、一緒に帰宅。というコース。ほぼ1日がかりですね。これを2週に1回、金曜に行ってました。で、これが本当によく効いてたんですよ。1回で癌がほぼ無くなっちゃって先生もびっくり。効いてますよ!って。ただ、私が気になったのはレントゲンの肺に映る白いもやもや。なんか回を増すごとにもやもやが広がってるので先生に「これなんですか?」って聞きましたら、薬が効いてる証拠ですね、としか。副作用もなくしばらくは元気に点滴に通ってたんです。でも12月に診察したら「間質性肺炎になってるのでいったん点滴お休みしましょう」イミフィンジって調べたらアストラゼネカの製品で。お母さんと一緒の間質性肺炎って、ここの商品は必ずかかるのか!?って思ったほど。でも先生が言うには、間質性肺炎になって半年ほどお休みして、また点滴して・・・という患者さんもいらっしゃるので大丈夫ですよ、とのことで・・・。次は1月4日に診察になり、その間はお休みしていました。でも、日に日に父の呼吸がおかしくなって、少し動くとぜーぜーと息切れするようになりました。私が仕事から帰ってきたら「お父さん、今日居間掃除したら死にそうになったよ!」と。歩く、動く、そんな動作ですぐに息切れがするようになったんです。「なんでこんなに苦しいのかなぁ」「動くとすぐに息切れするんだよなぁ」思えばこの時医者に連れて行くべきでした。でも1月4日が近かったため、父も次の診察の日でいいよ、と言っていてそれを信用してしまった私も今思うとバカでした。年末は父が動けないため、トイレ、台所、居間、風呂と私が掃除し、30日も調子が少し良かったため一緒に年末、正月の買い出し。父には押して歩くかごを持っててもらって、必要なものは私が走って持ってきて、お刺身とお昼のピザは一緒に選んで。31日は買い込んだお酒を飲みつつ手巻き寿司、父も美味しそうに食べていました。食欲がめっきり減っていたんですが、この日は美味しそうにほおばって。年末日本の歌や紅白や、テレビを見つつ、ゆく年くる年を見て「あけましておめでとう」私だけ初詣に近くの神社に行き、父は1時には寝ていました。元旦は早くから起きて、父が毎年作ってくれるうちのお雑煮「せぇもち」(福島の地方料理)を作り、おせちとお刺身を用意し、張り切って買った久保田を開けつつ乾杯。「今年もケンカもするかもしれないけど、よろしくお願いします」せぇもちやおせちをつまみ、テレビを見つつお酒を交わし、来年もこんな正月が過ごせると良いな。と考えつつ。夜はお歳暮にもらったしゃぶしゃぶ用のお肉でお野菜も入れてしゃぶしゃぶ。本当に楽しい正月でした。2、3日は私が仕事。2日は父と箱根駅伝を見つつせぇもちを食べ、少し寝て仕事へ。3日はほぼ寝て過ごして仕事へ。「じゃあ行ってきますー」「いってらっしゃい」それが最後の会話になってしまいました。
2019年01月29日
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19日、父が退院しました。10時に迎えに行き、手続きをしてやっと解放。家にご帰宅となりました。「やっと帰れる―――!!」父がなんだかうれしそう。しかし私の具合が19日はよろしくなくて帰って寝込んでしまったものですから、大したお祝いができなかったなぁ‥。この前心臓の方の定期診察のため地元のかかりつけ医に行ってきたとき血液検査をしてきたそうなんですが、白血球数が少ない少ないとは聞いていたのですが、普通3500以上ないといけないらしいのに父500しかないんですよ!そんな少ないとは思わなかった・・・・。非常に感染症にかかりやすい状態ですから気をつけろと言われてきましたが、外歩く時もマスクつけて行けって言ってるのにそのままひょいひょい行っちゃうんですよね…。たぶん自分の身に何の変化もないので危機感が薄いんだと思います。でも肺炎にかかったら死ぬと言われているのでマスクつけて、これからの季節。帰ったらうがい手洗い。私もやらなきゃな。次は28日に免疫療法ができるか病院に行くのですが、これ、まだできないんじゃないかなぁ‥‥。でもバイトから帰って夜家に電気がついてるのを見るとなんだかジーンときました。1人じゃないんだなぁ、って。
2018年09月23日
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前回おでんで怒られたときから、おでんが怖くなってしまいました‥‥。どうしてもおでんのお客さん対応していると他ができなくなってしまったり、レジ打ちが大変だったりと、本当にどうしようもないんですよ・・・・・。前回怒られて帰るとき、車の中で「はあーーー!!!はあーーー!!」と大きく声を出しながら息をしないと呼吸が苦しくなってしまい、次の日バイト行ったら行ったで手足は震え、声は震え、心臓はバクバクし、また帰りも呼吸がおかしくなって。こんなんであと3月までおでんあるのに続けられるのかなぁ…。おでん始まるまでは「バイト頑張ろう!」となってたのに、いまは「バイト行きたくない…」に切り替わっています。パニック出始めちゃってるのかな。と思ってたらデスネ。金曜にピンチヒッターでバイト出たとき、一緒に仕事する人が前上司だったんですね。いつも仕事時間が合わないんで私がおでんできないの知らないIさん。この日は金曜という事もあっておでんが飛ぶように売れて仕込みを任されてしまいました。仕込みなんてまだ1回習っただけだよ~!もうバックヤードにあるネタ全部持ってきて片っ端から配置を考えつつ仕込んで仕込んで・・・。おでんのお客さんが来たときはオーナーさんが出てきたりIさんがレジ打ちをやってくれておでんおでんおでん・・・・。恐怖もふんだくりもないですよもう。あっという間に終わってました。その代わり疲れも倍増。でも呼吸は普通だし震えもなかったです。オーナーさんに「ほんとに料理やってんの?」と手際を笑われたりしておでん恐怖症も少しは収まったみたい。もう少しバイト続けられそうです。克服したら1年をめどに頑張ろうかな。
2018年09月22日
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先週の一時帰宅の時、父がナスの天ぷらをご所望だったので作ったのですが、今週の日曜も「ナスの天ぷら作って」と。また?どんだけ好きなんだ。まあ病院食はもう喉を通らないようだし家にいる間くらい好きなものを食べさせてあげたいし・・・。「ナスの天ぷらとね、あと色んな野菜の天ぷらをね…」「あのね、あなた明日病院に帰るんでしょ?残った天ぷらをそのあと食わなきゃいけないの私なんだよ?ナスとミョウガがあるからそれだけで我慢しなさい」父も天ぷらに夢があるのは分かりますが、残ったら明日から天ぷら三昧なのは私です。少量作るためにたくさんのお野菜を買ってもその後の使い道を考えなきゃならないんです。結局たくさんのナスの天ぷらとこの前安かったので父が食うかと思って買ってきたミョウガ、あとニンジンを天ぷらにしました。結局ミョウガが残ってしまったんですが、私ミョウガも嫌いなので今冷蔵庫で静かに眠っています、ミョウガの天ぷら。
2018年09月18日
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この前の土曜からの一時帰宅の時に免疫療法のパンフレットを父から渡されました。『イミフィンジ』という薬です。これがびっくり!とんでもなく副作用が多いの!!先生の話なんだったんだよってくらい!!肺、胃腸、内分泌機能、糖尿病の可能性、肝臓、腎臓、筋炎・横紋筋融解症・・・・・・。どこかしらに副作用が出る可能性があるとのことです。こんなの見たら怖くなっちゃいますよ。父もビビってたよ。でも父は受けるという。大丈夫かな‥‥。とのことで、ほんとは今日初めての免疫療法だったんですが、白血球の数が減りすぎて危険らしくて中止になりました。次の通院日にまた決めるとのことです。お父さん、今感染しやすい状態なんじゃないかなぁ‥‥。マスクとかつけないで大丈夫なのか‥‥。確かに足とかに赤い斑点やあざっぽいのが見えるんですよ。あれ、白血球が少ない影響なのかな。それと、ながーい入院でしたが、明日退院になります。ビビってた入院費用も少なく済みました。後期高齢者だからなのか?よくわからない…。私の独り暮らしもやっと終わり。明日から父のいる生活ですが、それは嬉しいのですが私明日から3日間バイトでして。迎えに行ってちょっと休んでバイト行かなきゃならないのでご飯が、ご飯が良いのが作れない‥‥。明日は簡単なもので済まさないと…ごめんねパパ。
2018年09月18日
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朝ゴミ出しに起きたらなんか玄関から見える空が紫っぽい?ゴミ出し行って感動しました。朝焼けがきれいなの! 少し写真のモードを変えて撮ってみました。夕焼けみたいに綺麗だった!ホントは肉眼で見たほうがきれいだったんだけどな…。ずー―っと眺めてたら色が薄くなってきて朝になってしまいました。いい朝だった。
2018年09月14日
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父の放射線治療が14日に終了します。これで一応ひとまず治療が終わりです。10日に先生の話を聞きに病院へ行きました。放射線&抗がん剤治療の効果ってすごいですね。父の肺のガンが小さくなっていました。ここまで小さくなるんだ・・・とびっくり。リンパの方はCTを撮らないと分からないそうです。無くなってると良いなぁ。これから2週に1回、1年間は『免疫療法』という治療をするそうです。抗がん剤と同じ時間点滴をして、自己免疫で治していく?治療で、再発率は50%まで抑えられる?難しくてわからなかったですが、そのような方法で、父や兄や私に治療をするか聞かれましたが(考えてきてくださいと正確には言われた)、今までの治療に比べすごく副作用の少ない治療だそうで、父は即答で治療をすると。兄に聞いてみたら再発率が抑えられるならいいんじゃないか?とのこと。治療を始めるにあたって1回目は点滴後に3日くらい様子見が必要で入院が伸びることになりました。免疫療法がうまくいってくれれば父と長く一緒に暮らせる。今までこれと言って副作用なく治療をしてこられた父だから、これから1年間、一緒に頑張ろうね。
2018年09月13日
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今年の夏はほんっとに暑かった!冷たいものが美味しかったなぁ。中でも今年自分の中でヒットしたのがかき氷&メロンソーダ。かき氷はイチゴシロップを買って毎日食べてました。夜に食べるのが一番おいしい。メロンソーダはメロンシロップに炭酸水を割って。氷入れて飲むとすごくしゅわしゅわしておいしいんですよ。今かき氷食べたらあまりおいしくなくて…。今年もこの2つはお終いかなぁ。
2018年09月11日
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土曜日にいつもの時間に家を出て父を迎えに行ったら途中から道が大渋滞起こしてて、1km進むのに30分もかかりやんの。結局8時の約束の時間から40分も過ぎて病院に着いたら父が入り口でずっと待ってたようで、飛び出してきました。2か所も工事で片道通行だったんですね。帰り私がどんだけ渋滞にはまったか見せてやんよ!と道を通ったらすげえ渋滞だ‥‥!と驚いていました。父の体重が52kgになってました……。なんかね、家ではモリモリ食べるとこを見ると病院食がまず過ぎて喉を通らないらしくてほとんど食べてないみたいです。そこは無理しても食べなきゃダメだろうに…。体重落ちても家から帰ると必ず2kg太って帰ってますので。今回ご所望は煮込みラーメン。あと、店で店員さん用に業務用でおでん販売してるので、いくつか買ってきたので日曜はおでん。煮込みラーメンはお碗3杯くらいペロッと食べて、おでんは15個くらい食ってました。食欲は家では戻ってるみたいです。なんで家ではこんな食べられるんだろう?って不思議がってました。日曜は従兄妹が千葉から池袋へイベントに来ていたので、伯母の家にそのまま遊びに来たので私もおでんを仕込んでから伯母のうちへ遊びに行ったので父は1人ご飯で、おでんの数は父がそのくらいは食った、とのこと。(従兄妹はうた☆プリの大ファンでよく遠征しに来ます)(最近アニメ、漫画好きという事も知って、会うと話が盛り上がります)父の白血球数がかなり減ったので、まだ数日残っていたんですが抗がん剤治療は7日で終了になりました。あと14日までは放射線治療だけ。それで晴れて退院できます。長かったなー。10日に話を聞きに行くんですが、これから1年間、月2回新しい抗がん剤治療をするそうです。つまり新薬ですかね。これはよーく話を聞くつもりです。新しい薬、つまり副作用の症例など資料があまりないものだと危険なのは母で知っているからです。母の場合イレッサが早くに承認されて使い始めたのですが、何せ新薬、副作用が先生にもわからなかったらしく、手の皮がむけまくっても、首にケロイドができてもそれ全部副作用だったのに先生からは皮膚の塗り薬を処方されただけで飲み続けて2カ月で間質性肺炎になって苦しんで苦しんで最後はモルヒネで何も分からなくさせて亡くなったからです。正直寿命は1年と聞かされていたのに、イレッサを飲んだせいで5カ月で亡くなったんです。最期の7日前、まだ意識が鮮明な時「イレッサなんか飲むんじゃなかった」と母がつぶやいてたのが今でも耳に残ってます。それがあるので父が「イレッサだったら絶対断る」「新薬の症例を聞いて納得しなきゃやらない」と言ってました。怖さは分かってるからね。今日は兄も来るので3人でよーく聞いてきます。それにしても父の退院は楽しみだけど治療費と入院費がどんだけかかるか怖いなぁ‥‥。
2018年09月10日
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今までの仕事の基本服が自前のTシャツで、イベント、夕飯の買い出し以外はろくに家から出ないままだったので、最近病院にしょっちゅう行くようになって初めてTシャツ以外の普通の夏のチュニックとかの服がほとんどないことに気づき、今年の夏はアクシーズファムのすっきりデザインのチュニックやシャツを集めまくっていた白むむです。三井アウトレットやモードオフやメルカリで買いまくりましたよ。痩せてからすっかりアクシーズファム好きになりました。さてさて。8月末よりおでんの季節がやってまいりました。ついでに中華まんも増えました。地獄です、もう地獄祭りです。ただでさえレジでやること多いのに、それに加え商品陳列管理やらやんなきゃなんないのに、揚げ物、焼き鳥、中華まん、おでんの仕込みですよ?いや仕込みはまだ私はやらせてもらえませんが。今までの方がまだ楽だったことがはっきり分かりました。だっておでんって種類多いじゃん?覚えきれないじゃん?大きい方の器を頼んだお客さんのおでんは1つ1つメモ取ってそれで会計打ち込まなきゃじゃん?(慣れてなくて覚えきれないから)できる気がしない‥‥‥‥。さらにおでんってもう決まって買う人少ないんですよね。「卵と…えっと、何にしようか?」と悩まれると人がいないときはいくらでも付き合えるのですが、はっと気づいたらレジの列ができててお客さんすごくイラついてて、そういうときの対応を習っていなかったのであとでオーナーさんにめっちゃ怒られました‥‥。「お客様、レジでお並びの方がいらっしゃいますので、あとで必ずお会計いたしますので選んでいていただけますか?」的な対応をして次のお客様をお呼びしなきゃいけないのに、私その臨機応変が全然できてない、半年も働いてそれは恥ずかしいことだ、あとレジ袋の入れ方が下手、経費無駄に使ってるのむむさんとH君ぐらいだ、と散々説教されてさすがに泣いてしまいました…‥。情けないですね、仕事ができないって。もうすっかり意気消沈。この仕事向いてないかもしんない。辞めた方が迷惑かけないかもしんない。それなのにオーナーさんは仕事を週4に増やしてほしいという。話もう全く違ってきてるし、こんなの週4もできる気がしないし、私はお父さんがあとどのくらい生きられるか分からないからなるべく一緒にいて介護したいって言ったのに…‥。ぐちぐちすみません。もうしばらくしてやっぱきつかったら仕事変えるかもの勢いです。辛い。
2018年09月07日
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前回胃腸の様子やめまいがおかしくて、物も食えなくなってどうしても50kgを割れなかった体重がガンガン減って、「わあ!もうすぐ目標体重まで1kgだ!体重計のメモリの写真とっとこ」と喜んだあと病院で胃潰瘍、十二指腸潰瘍関係の薬を2種、めまいの薬を1種もらって飲んでたら、食べ物は食べられるようになったんですがガンガン体重が増えてもう飲みたくないよーー。19日バリウム検査。これはもともと市の健診で予約していたものです。まだ胃腸の様子悪くって。検査結果は貧血は無くなってましたー。腫瘍マーカーも婦人科の病気のだけなんですってね。これもパス。悪玉コレステロールがここ20年高いままだったんで3か月後にまた採血をして高かったら薬で治す。あと鉄分不足なんで鉄分を取れって。まだめまいがするんだけど、ひどくなったら別の病院行きます。この前の台風のあと父から電話が。うちの被害は開けっ放しにしてたお風呂場の窓あたりが土だらけになってて、(閉めとけよ)洗濯物がぶっ飛ばされてて、(なぜ取り込まない)コキアの植木鉢が倒れてて、そのあと来た佐川のお兄さんが大きな植木鉢を一つ割りました。その植木鉢にはもともとゼラニウムが植わってたんですが、この夏の暑さで水やりを少し怠ったらあっという間に枯れていてなにも植わってなかったし、元々古くからあるレンガの鉢なんでもう寿命だろうし、佐川のお兄さんが泣きそうなほど悲痛な顔をなさっていたので2人ですみません割ってしまって、いえもう寿命でしたし気になさらないでください、と話しながら土を片した後、これは持って帰らせていただきます!うちの方で処分させてください!と植木鉢のかけらを片して持ってってくれました。良い人だなぁ。
2018年09月03日
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今週のバイト、すっごく具合が悪くて…。めまいはするし、吐き気はするし、背中は痛い腰は痛いでつらかった・・・。そんな中今回は土曜日に父を迎えに行ってきました。けっこうちょくちょく電話をくれるので父にしては珍しいなと思ったんですが、私が今週具合が悪くてお見舞いに行かなかったからかな?お父さん体重53kgまで落ちてました~。食欲がないんだって。病院のご飯もほとんど食べてないとか。でもお腹は空かないんだって。私がヘロヘロだったんでたいしたご飯を作ってあげられなかったんですが、餃子が食べたいとのことで手作りは今作れないよ、と、冷凍の大阪王将の餃子を焼いたんですが、ご飯半分、餃子4個でもう食べられないって。本当に食欲無いんだなぁ…。では食べられるものは食べましょうと、カステラ、スイカ、トウモロコシ、アイスと色々出してみましたが、これは食べてくれました。どうもご飯がダメみたいです。頬もこけちゃって、腕も細くなって、これ、抗がん剤の副作用なんでしょうね。でもそれ以外は元気で、家に帰ってさっそく庭の草むしりをして10か所以上蚊に刺されたり、私が寝てるまに皿を洗ってくれたり。私の方は月曜に病院に行ってきたんですが、7月に市の無料の健康診断の結果が出てて、貧血になってました。あとものが全く食えなかったのは胃腸炎かな?とのこと。貧血の原因を調べるため採血をしたのですが、会計がやたら高い!と思ったら腫瘍マーカーも調べるんですってね。お父さんがガンなのに私までガンになってたらわらえん話だ‥…。父を病院に送って行ったあと点滴を受けに病院に戻ってきたんですが、点滴は700円だった。安い。
2018年08月28日
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櫻日和鮎実さんの『パニくる!?』いままでパニック障害を扱った漫画がなかったので、同じ病気の方の体験談を見ることができてすごく勉強になった本です。私もパニック障害になってから20数年、今も治療中ですが、パニック障害に色んな種類があるって知りませんでした。作者の方は過呼吸メインですが、私は吐き気メインなんですよ。平気な顔してても始終吐き気がしているので、もう吐き気がない状態って忘れてしまいました。でも過呼吸の方がすごく大変そうなのがよくわかります。で、読んでいて電車に乗れない、外出られない、パニック中はただうずくまってシーンと我慢をしているだけなのも同じだ―!と思いました。私のころはパソコンで調べられる時代ではなかったので、吐き気、動機、手のしびれ、手汗、息苦しさ、時々起こる発狂しそうな感じなど、ほんと分からなくて。3年家から出られなくて引きこもっていました。これが遅すぎたんですね。今までの時間をダメにしてしまいました。あと親や周囲からの暴言もすごかった‥‥。自分がどうしてこんなこともできないのかわからなくて苦しんでる中の暴言ってさらに追い込まれるんですよ・・・・。で、死んだほうが楽になると考える。私は付き合いが悪くなったので友人が1人を残して全員去っていきましたが、櫻日和さんは本当に友人の方、周りの方に恵まれていると思います。それだけでも救われるんです。心の病気だから、辛くても周りからはそうは見られないのがつらい・・・。あと私の失敗は病院を間違えたこと。6件ほど病院を移っているのですが、その中の2件が薬を大量に処方する病院だったんですね。1番最初に診察受けたところでは1回2錠1日3回だったのに、一時1回9錠1日で21錠も処方されて。そのせいか、今の病院ではいろいろ減らして必要な分1回4錠1日3回になってるんですが、1回でも飲み忘れるとひどく具合が悪くなっちゃうんですよ・・・・。精神科も善し悪しが本当にあるので、合わないと思ったら転院した方がいいです。絵も綺麗で読みやすくて、パニックがどういう病気か分かりやすいので、周りにパニック障害で苦しんでいる方がいたらご本人でもご家族でも読むのにお勧めです。というか、櫻日和さんは最初美少年漫画で知った漫画家さんで、そちらもすごくおもしろいですよ~。
2018年08月23日
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なんか変なコメント入ってるな…後で何とかしよう。基本土日は治療はお休みなので、大体の方が一時帰宅で家で過ごすそうです。先週はいちいち点滴針外してたら先生が大変だろうと父は帰らず病院ですっごい暇な2日を過ごしてたそうなんですが、(見舞いに行けなかったのは私が2日とも寝過ごして夜になってしまったため)点滴針は土日は外してくれると知って今週は帰る!金曜迎えに来て!というので行ってきました。4時に放射線が入ってるので4時半ごろ、と言われてきたんですが、思いのほか早くついてしまい4時10分に病院へ行くと、すでに父が着替えてナースセンターへ話をしていました。それから検温と血圧計って、OKが出たのでやっと帰宅。今日は秋晴れのようで気温も高くなく過ごしやすくて、外へ出られたことが嬉しいのか、お父さん少しはしゃいでました。相変わらず副作用はまったく出ず元気なのが安心。帰りにはま寿司で寿司食ってこう!というので生もの大丈夫なの!?って聞いたら、食事制限ないもん。とのこと。免疫は落ちてるんだからいいのかなぁ・・・と思いつつはま寿司へ。元気な時は月1ではま寿司に行ってたんですが、久しぶりに父に会って一緒に食べてるとしみじみ嬉しくて、ふと『一人暮らしの人が実家に久しぶりに帰って親と飯を食うってこんな気分なのかな』とも思い…。いつもは150円の贅沢寿司も「これ高い奴だよ!!」と止めてたんですが、今日は好きなものを食べてもらいました。それからの2日間は楽しかったなぁ…。外泊は2日までしか許されてないので日曜の5時ごろに送っていったんですが、この2日は1人でいるときは全くつけなかったテレビもついてて、病院の話をしたり、朝昼夜とご飯作って。父の希望でクリームシチューを作ったんですが、美味しそうに食べてくれてました。そんで病院食まずいまずいとさんざん愚痴きかされて。心筋梗塞になるまえは体重が60kgあったのですが、入院入院でいま54kgしかないんですよ。朝になると父が起きてきて新聞読んで、夜はトイレに起きる物音も、ああ、お父さんが家にいるんだなぁと。だから日曜日に帰るとき、父も「ああ、また病院か…」とさみしそうでした。私も明日からまた1人の生活に戻るのでさみしくて。今の状態は副作用はないのですが、免疫は落ちてるので風邪を絶対引いてはだめだという事。肺炎になったらお終いという事でした。父が家にいる間、この夏の異常な暑さはどこ行ったってくらい寒かったので病院帰った時少し水っぱなが出てて風邪?って心配したのですが、熱もないし大丈夫だろうとのこと。ちなみに体重ですがこの2日間で2kg太ってました。どんだけいつも飯食ってないんだ‥‥。次は土曜に帰るとのこと。それを楽しみに今週も頑張ります。
2018年08月20日
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父がいると父の栄養考えてメニュー組み立てるんで、何品かできるんですが、ぶっちゃけ1人の時って腹いっぱいになれば何でもいいです。なんで今メニューがめっちゃくちゃ。基本的に夜しか食べず、朝と昼はすっ飛ばすか買い置きのパンかじってすますのです。自炊もしますがめんどくさいときは買ってきて食べるので・・・・・・。1日目 キムチチャーハン2日目 キムチチャーハン3日目 夜買ってきた半額の12貫お寿司(377円)と半額から揚げ(100円)4日目 アボカ丼(ご飯に切ったアボカドとちぎった海苔散らしてわさび醤油をかけて食べる)5日目 半額時に買った味の素の冷凍ギョーザとぶった切ってマヨネーズと醤油かけたレタスキムチチャーハンが2日続いたことを言った時点で父に「馬鹿か」と言われました。
2018年08月14日
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父の入院中は1人で一軒家に住むことになるのですが、最初はさみしくて仕方なかったです。たいてい1泊2日入院だったので、夜ご飯は外食を楽しんだり、夜中に自由に過ごしていたのですが、今回は2週間、1週間、1カ月と長い期間だったので、パパ体調はどうだろうか?暇してないだろうか?具合悪くなったらどうしよう?そんな心配ばかりしてました。今回1カ月の入院ですが、病院へお見舞いに行ったり、洗濯物取りに行ったり、バイトで行けない日もあるけど結構な頻度父に会えるので、そんなさみしくないです。幸いなことに抗がん剤治療中ではあるものの具合が一向に元気なのでそれも安心ではあるかなー。こっちで困ったことと言えば、夜まったく眠くならず朝になったら寝て、バイトやお見舞いがない日は1日中眠っちゃうことですかね。こんなんでお見舞い行かなきゃー・・・・と思いつつ寝てしまい、行けなかった日もあるくらい眠いんですよ…。で、夜はまったく眠くならないという悪循環。幸いバイトは夜からなのでそれはいいんですが、洗濯物や掃除なんかができなくて…。疲れてるのかな。そんで移動がめんどくさくてほぼ1日中居間にいます。電話あった時すぐに対応できるように、と、居間に長座布団しいて掛布団と枕で寝ての生活してたら定着しちゃって。扇風機とエアコンが動く部屋が父の部屋と居間しかないのもありますね。今年あっついじゃないですか!人間って一間で事足りるんだなー、と実感しましたよ・・・・。
2018年08月12日
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なんか写真横になっちゃった。仕事場へは「大きなカバンは持ってこないで、場所がないから小さなカバンで。あと現金はなるべく少な目でね。無いと完全に言えないけど一応防犯のためね」と言われていたので小さなカバンで通ってるのですが、それじゃちょっと寂しいなー、と思いUFOキャッチャーで捕った骨付き肉の大きいのを1つぶら下げて通ってたんですね。よく同僚のUさんにムニムニされていたのですが、この前骨付き肉のちっさいのが出たので2個取ってきたんですよ。で、カバンに付けて出勤したらUさんから「増えてるーー!!」とむにむに。UFOキャッチャーの話をしてたらオーナーさんが、「俺むむさんの精神年齢が分かんなくなってきた・・・・」とのお言葉頂きました。なんでしょね。自分でも自覚してるんですがひっくいんですよねぇ・・・精神年齢・・。
2018年08月11日
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タイトルこっちに書けばよかった‥‥。8日に父を迎えに病院へ行ってきました。なぜって?9日の地元の病院の定期検診が朝9時からだから、その日迎えに行くとなると朝6時に病院に行かなきゃならなくなるからだよ。無理だろ?3時から抗がん剤が始まるから、3時頃キテーとのことですので、抗がん剤待つ時間もあれだから3時過ぎに病院へ。これから抗がん剤が始まるとこでした。小さな点滴袋。これが父のガンをやっつけてくれる薬で、抜け毛や吐き気や免疫力低下などの副作用を持った薬なんだな。しばらくしたらマスクつけて病院来なきゃな。気持ち悪くなったらすぐ教えてくださいねー、と看護師さんに言われハラハラしてましたが、本人はいたってケロリとしてまして。気持ち悪くないの?と聞いたらまったく、全然へーきー。とのこと。抗がん剤の点滴自体は15分くらいで終わり、あとは生理食塩水の点滴を流すそうです。(なんか抗がん剤の前にも食塩水を流すと言ってたな)抗がん剤の点滴外す際に看護師さんが全身割烹着みたいなの来て厳重に防御して外してまして、怖い薬だな…。と。そのあとすぐに放射線受けて今日は一時帰宅しました。初めて抗がん剤入れたので、気持ち悪くなったり何かいつもと違う感じでしたらすぐ病院に電話してください、と言われたんですが、さして何もなく。ただ、シャワー浴びた後と温かいお味噌汁飲んだ後に鼻血がドバっと出たのでびっくりしました。どうも体が温まったから出たみたい。その日は家にいる間鼻にティッシュ詰めてました。でも父がいるってやっぱいいなぁ。これから1カ月寂しいけど頑張ろう。しかし7日に入院して8日にもう帰るって‥‥。9日午後抗がん剤に間に合うよう送っていきましたが、私がひどい下痢に襲われたので早々に一人帰宅し、しかしはま寿司で大好きなうに1艦100円やってたので意地でも食べて帰りましたとさ。うに美味い…。
2018年08月10日
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7日に入院道具もって入院しました。ですが抗がん剤は明日からとのことで、放射線が終わったあとお昼を病院内の食堂で食べました。(お昼も出ますがどこか食堂などで食べるなら止めますがどうしますか?と聞かれ、食堂で食べますと即答した父。ご飯まずいんだって)これが―長いんだー。食堂までの道のりが長いのなんのって!病院内の奥の奥にあるのよ!!父も「こんなに歩くのかよ・・・・」とうんざりしてました。ただ、メニューはみんな日替わりですが美味しそうなの!チキンソテー定食とガパオライスが気になったんですが、冷やし豆乳担々麺が美味しそうなので。しかも500円。さらにライスとおかずかヨーグルトかコーヒー牛乳がつくの。やすい。父も同じのにしたんですが、食べて一言「固い!」麺が固かったみたいです。確かに歯ごたえありましたし。美味しかったんだけどなぁ。いつも7分茹でのスパゲティを15分茹でさせたりとにかく麺が柔らかくないと入れ歯の父にはきついのですが、なぜこれを選んだのか‥‥。7日は説明だけ受けて入院、前と同じ4人部屋だったけど今回は窓際じゃないので暗いの。そんで今回は全員抗がん剤治療の人みたい。無料のベットがまたふさがってて差額ベットになったので、空き次第無料のベットに移れるようお願い。1カ月差額ベットはきつい・・・。帰ってお兄ちゃんとオーナーさんに説明。お兄ちゃんには副作用が多いこと、完治ではなく延命、腫瘍の縮小にチェックが入っていたことを伝えました。オーナーさんには前もって9日午前中地元の病院で心臓の定期健診、午後に放射線があるため送りに行くため仕事を休ませてもらえるよう伝えてあったのですが、急きょ入院になったため、8日の仕事の日父を一時帰宅させるため迎えに行くのにどうしても仕事に間に合わないので休ませてもらえるようお願い。その時言われたのですが「月曜日も働いてもらえる?週3日にしたい」ええ!?ぜんっぜん話違うじゃん!!辞める際に引き留めてもらった時にこれから何があるからわからないから週1~2日しか働けないって言ったじゃん!納得してたじゃん!何で増えるのさ?もう忘れてんじゃないのさ!だいたい新しく入った人どうなってるのさ!?私の代わりって入ったじゃない。父の病状が落ち着くまで無理ですとは言ったけど・・・・どんどんなんか信用がなくなってきた…‥。初めっから週1~2日で働かせるつもりなんかなかったな?なんなんだよーもー・・・・。
2018年08月07日
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1日に放射線を当てる箇所を決めるCT検査をしました。けっこう大きめの範囲、パパのお胸にマーカーで印が。これ消さないようにお風呂も気をつけなきゃなりません。んで、6日に初めての放射線治療を受けに行ってきました。ですが。12時治療なので車で向かっていたところ、父の携帯に電話が。病院からで、まだ来ないので電話をしたとのこと。え?今11時20分だよね?父と????となりながらも病院へ。放射線科へ行ったところ、今日から入院ですよね、と言われ。え?はい?と大混乱。訳の分からないままとりあえず放射線治療を受けるためお着換え。放射線科って、待合室って期間中顔ぶれがほぼ一緒らしくて、知り合いになってお話が弾む方が多いですね。全身着替える方とズボンだけ、上半身だけ、着換えなし、と様々で、病気の個所によって違うのかなと。放射線は10分くらいで終わり、感想は「何だか分かんない」とのこと。ただじーっとしてたら終わるらしいので、効いてるのか全然実感がないそうです。待合室で待っていたらがんセンターの看護士さんが来て、なんと今日から抗がん剤治療のため入院だという事を聞かされました。待って知らない、放射線を受けるから抗がん剤はしなくていいと聞いた、入院の用意なんてしてない。さっきの電話は入院に来ていないかららしい。病室に行ってみると先生が来て、どうも行き違いがあって私たちに話が通ってなかったらしいです。抗がん剤治療も並行してやるんだって。先生と話をしたところ、父は年齢の割に元気だから抗がん剤もやろうと決まったこと、ただ高齢であるため、20日間(月~金、土日休み)で点滴をすること、これは1回にドーンとやって3週間休みの従来の方法をやると副作用で死ぬ確率が上がるらしく、この方法なら1%の危険度で済むこと、毎日通うのは大変だから1カ月入院した方がいいこと、だそうです。心臓に負担がかからないか聞いてみたところ、この薬は心臓には負担はかからないそうで、もちろん抗がん剤の中には心臓に負担のかかるものもあるとのこと。父と相談した結果、入院することに決めました。心配ではあるけども‥‥。入院は明日から。今日は帰りがてら山田うどんでサラダうどんを食す。これ美味しいんだ。父はざるそば。出てきたのがしょぼくてえーー・・・と父が言ってましたが、290円ならお値段通りでしょう。病院に通うようになってから、決まってお昼食べて帰っていました。ガストや山田うどん、いつも行くラーメン屋などですが、最近発見したラーメンショップがすんごく美味しくてよく通うようになったよ。
2018年08月06日
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おはようございます~。23日、病院に行ってきました。兄ちゃんとは病院のロビーで待ち合わせ。んが。13時に放射線科でお話があるのに5分前になっても兄が来ない。呼び出し機で呼ばれてしまったので父が受け付けやってる間に兄に電話。「今着いた」「お兄ちゃん!もう診察呼ばれる!早く1階の放射線科に来て!!」なんでも12日は1時間待たされたようで、今日はこんなに早いと思わなかったそうです。ぎりセーフ。そのあとすぐ呼ばれました。先生の話によると、範囲を広げれば出来ないことは無いので放射線受けますか?とのことです。ただ人間の一生に浴びることができる放射線の全限度まで浴びるんですってね。少し怖くなってしまいましたが、抗がん剤よりははるかに危険は少ない。新聞で読んだんですが、抗がん剤って心臓にものすごく負担がかかるんだとか。それ見たとき、父は大丈夫なんだろうかと一気に不安になっていたところだったのです。でも父的には「俺の身体ってそんな大変なことになってたんだな」と今更実感。放射線の方が怖いそうです。別室で看護婦さんから説明会を受けました。放射線をするので抗がん剤は受けなくていいとのこと、目的は『癌の制御』。リンパの方は死滅に追い込めるらしいけど、肺はどうもダメっぽい。そして月曜から金曜の1週間ぶっ続け、土日休み、を1か月半続けること。入院するしないの相談がなかったので、8月1日にもう1度CTを取って、6日から通うそうです。その中で1週間のうち1日だけ診察日があること。父は自分で通うよ~と言ってましたが高齢者の運転は甘く見ると非常に危険です。がん患者に運転させられるか!という事で、治療は午前中にしてもらい、片道40分、私が連れて行くことになりました。休みの日は兄が連れて行ってくれるそうですが、兄はちゃんとした仕事ついてるから疲れさせちゃいけない。私は週2日5時間のバイトだし。なるべくなら私が連れてかなきゃ。9月半ばまで、頑張ろう。ちなみにオーナーさんに午前中通うのでバイトは出られることと、でも診察日がバイトの日に重なったら出勤できないとのことを伝えたら、「診察日出勤日以外にできないの?」などなどいわれ・・・・。あれ?時間考慮してくれるって話は……‥‥。なんだか結局人手不足だから辞めんなってことなんだろうなぁと思ったらちょっと幻滅…。でもオーナーさんの顔見たらそんなこともなんだか吹っ飛んじゃうんだよなぁ。ユニークすぎて…。もやもやと妥協と色んな感情が入り乱れ中。
2018年07月26日
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12日結果報告聞きに行くはずが…。今年うち自治会の地区の班長なんですよ。(こんな時に限って‥‥っ!)で、回覧板と一緒に皆さんに回していた募金のお金をこの地区の班長の班長(ややこしい)というか、班長さん例えば1区A班みたいに、うちの方A、B、Cと3人班長分かれてるんですが、その班長の中で回覧板の中身を持ってきてくれたりとまとめ班長さんがいて、その方にお金を届けに行くよう父に頼まれてたんですね。で、私眠くてすっぱり忘れてしまって。届けてないこと知った父が「役立たず」と一言。その瞬間すーーっっと血の気が引き、父的には届けてないの?役に立たないなぁ的に行ったんでしょうけど。私にはその言葉が、今まで父のために頑張ってきたりお仕事も何もかも、全部否定されたように聞こえて。「・・・その言葉、娘的にも傷つくんだけど」「だって役立たずは役立たずじゃん」なんか何もかもどうでもよくなってしまいました。役立たずだからどうでもいいよね。だって何やっても役立たずだし。兄ちゃんにLINEで言われたことやもうダメなことを話し『12日お父さん連れてってくれる?私もう行く元気ない』てな感じでご飯作った時も役立たずの飯でごめんね、ちょっと今月足りなくてお金借りるときもクズにお金貸すのむかつくだろうけどごめんね。とメモ書き。12日は兄が父を連れてって説明を聞いてきてくれました。私は12日自分の病院に行きました。じつは前日にメモ書きが机に置いてあり…、仕事帰りだったもので疲れてそのまま寝てしまい、メモは病院の待合室で見ました。『冗談で言ったのにそんなにキズつけていたなんて御免な、18年間親父のめんどうをみてくれてるむむに感謝してます、永くない命ですがよろしくお願いします』こんなこと書かれたらもう何も言えないじゃないですか。待合室でボロボロ泣きましたよ。父にはここでは書ききれないほど迷惑や面倒をかけてたのに、こんなこと言うんですよ?昔だったらとんでもない暴君ぶりを発揮し、絶対謝らないのに・・・・。先生に事の顛末を話し、メモを見せ、父が死んだらどうしよう、どうしようと泣きました。いい話じゃない、お父さんが死ぬことは考えないで、と言われてしまいました…。帰ってしばらくして、父と兄が帰ってきました。表情は芳しくない。兄がとつとつと説明してくれたことは、ガンの種類は扁平上皮がん、たばこが原因。リンパにがんが5つ、肺に大きいのが1つあること、リンパのガンのうち1つが離れていて放射線治療ができないかもしれないこと、抗がん剤治療はできるけど、1週間入院。ただ、父の場合高齢、心筋梗塞のためリスクが高いため、合併症が起きたら1カ月で死ぬこと、だから治療するか考えてきてくださいとのことでした。リンパに5つ?増えてない?PETの結果ではリンパにがんの小さいのがあるとは言われてたけど‥。話は父も聞かされていて「1カ月で死ぬかもって言われたけど、何もしなくても死ぬんだし抗がん剤受けるよ」場は重苦しかったです。父は今どんな心境だろう?死ぬのは怖くないんだろうか?でも一番不安で怖いのは父だろう。23日に放射線ができるか結果を聞きに行きます。それによってまた治療方針が変わってくるらしいです。夜、父にメモ書きを残しました。メモを見て泣いたこと、父がいなくなるのはやだ、面倒ならいくらでも見る、まだたくさん父と話したり笑ったりしたい、治療頑張ろう、長生きしてよ。父は朝、メモを見てそっと手帳にしまってるのが見えました。今では普通に話してます。23日は兄も私も休みなので一緒に行きます。
2018年07月17日
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お久しぶりです!ほんっとーに忙しい1カ月でした。父の方ですが、6月に紹介された病院へ行ってきました。いつも母のお墓参りに行く途中にでっかい病院があるのですが、そこでした。片道40分くらい。とおい・・・・。そこの「がんセンター」に通院してます。「告知しなくてもばれっばれだよねこれ」と父と。近代的な病院で、でっかなロビーには自動ピアノ、マップを見なくちゃ検査室の場所が分からない複雑さ、窓のある場所が限られてる洞窟感、広すぎる病院内、自動再診受付機でもらうフードコートの呼び出し機のような機械で呼び出される診察室、会計の呼び出し。24時間openのローソン、スタバ、美容室、すっごい遠くにある広い食堂、案内役のペッパー君。ホスピーという変なロボットが院内をうろついてて、「お父さん!ロボットがいる!」「こいつの通行を邪魔したい!」すっごい病院でしたわ…。最初に診察、それから1週間かけて8本分の採血、レントゲン、造影剤を使ったCT検査、MRI、ガンの位置を特定するPET検査をしました。(造影剤使うと気分悪くなる人もいるようなので心配しましたが「造影剤入れた途端身体がか―――っと暑くなった!」と興奮してたので心配して損しました)その結果ですが、やはり肺がんであること、リンパ転移があるのでステージは3、心筋梗塞をやっているため心臓の様子も見ながら前の病院と連携しながらの診察や治療。血液サラサラの薬を飲んでいるため、手術すると血が止まらなくなるので手術は無理なこと、内科的治療(抗がん剤、放射線)で行くことになりました。悪性か良性かは言われてないのですが、初めてリンパ転移を聞き、ステージは3まで進んでいたので悪性だと思います。余命は聞かされていないのが少し希望あるとこ。何の症状もなかったので、心筋梗塞の時レントゲン撮って初めて見つかって、本当に寝耳に水でしたよ。でもここで見つかってよかったねとも言われました。母の時はもう手遅れだったからなぁ。気管支鏡でがん細胞を取って詳しく検査しないと、その後の方針が決められないのですが、日帰りでできる検査も父の場合血液サラサラの薬のため簡単にはできず、まず血液サラサラの成分を一時的に無くして検査して、また再開するため1週間ヘパリン点滴を打って検査することになりました。6月25日に入院、すぐヘパリン点滴を24時間1日も休まずぶっ続けでしなきゃならず、また点滴の機械はバッテリー式でバッテリーの充電コードを抜くと30分しか持たないため、寝るかテレビ見るかのベッド上でしか動けないというなかな可哀想な感じで、お見舞いに行くたび暇だ暇だ言ってました。検査は気管支に内視鏡を入れるので少し苦しいとは言われて心配したのですが、そのためにぼーっとする薬を入れると聞いていたのです。検査日に一緒に検査室へ行き、見送った後病室で待っていたのですが帰ってきて聞いたら、「分かんないうちに終わってた」とのこと。検査室へ入って薬打って、気づいたら終わってて少し息苦しくてぼーっとするとの事で、2時間安静の間ほとんど寝てましたね。起きて痰を出すとき血痰が出ましたが、まあそりゃでるわな。次の日に退院、血痰は収まって今は家にいます。12日に検査結果と今後の方針を聞きに行きます。入院して治療するのか、通院して治療するのかがまだわからずといったところ。父と一緒に車運転して病院に行き、検査付き合って、入院中は空いてる日はお見舞いに行き、週2日のバイト、6月は2回他の方の代わりに出勤もして、食事は塩分、脂分控えめなメニューで昼と夜を作り…。(朝は青汁とバナナ食べてます)一カ月は疲れがたまって帰って寝る生活ばかりで、2年間欠かさずやってたアプリゲームのイベントもめんどくさくてすっ飛ばすほどでした。あ、バイトですがね、実は父のガンが分かった時点でなるべく父の看病やらお世話に回りたくて、突然休むこともあるかも知らんと思い、迷惑かけるので入ったばかりで申し訳ないのですが、次の方が決まったら辞めますとオーナーさんに伝えたんですよ。オーナーさんには心筋梗塞からガンから事細かに報告していたので、まあ普通なら入ったばかりなんで辞める、そう、仕方ないね。で終わると思ってたんです。実際辞めると伝えたときは2回ほど話し合いの場を設けてもらい、何度も念を押され、何か方法はないかいろいろ提案をオーナーさんが模索していましたが、面接に来た方がいたそうで、じゃ、その人が決まったら6月15日で・・・・。と一度は決まったのですが、それからしばらくしてIさんからショートメールが来て、オーナーさんがすごくすごく私の事を心配してて、時間調整をするからやっぱり働かないかと言ってます、むむさんてきにはお店に迷惑かけるからと思ってるでしょうが、看病の息抜きにもなるし、ここは甘えたら?と言っていただいて…。そのまま働かせていただいてます。何でこんな知り合って、働いて3カ月のペーペーに優しくしてくださるんでしょうね…。
2018年06月28日
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この前、5月20日の事です。この日自治会のもめごとがあって、父とちょっと近所へ外出していたんですよ。そのとき父が「胸が痛い・・」パパは10年前から狭心症で、カテーテル手術を5.6回受けていますがそうとは思えないほどピンピンしており、たいてい「胸が痛いから病院連れてって」と言ったら血管が狭まってて、でも「お風呂入ってから行く」という程度には動けたし、即入院になっても1泊2日で帰ってきてたんです。その日の痛がり方は違ってて、いつものように「痛さは1から10で言うとどのくらい?」と聞くと「9」と。今回はただ事じゃないと思い、その場所から救急病院まで車で近かったため、急いで駆け付けたところすぐに処置室に運ばれました。そしてどうも心筋梗塞を起こしていると。すぐ手術をするとお医者さんが言って、父の脈を診ていたのですが「あれ?脈弱いね?」とその瞬間、父が目を見開いてぶるぶるしだし、取り付けた機械がピコンピコン鳴り出し、先生が「不整脈だ!」と心臓マッサージを試みました。娘さんは外へ出ていてください!と促され、半泣きで表へ出た後しばらくして呼ばれ、父は酸素マスクをつけ「これが心筋梗塞です」とお医者さんに言われ。心臓が一度止まったそうです。(父曰く「綺麗な花畑を見て、あれ?ここが天国か?」と思ったそう。嘘か真かわからんが)その後すぐに緊急手術、CCUと呼ばれる心臓専門の集中治療室へ運ばれました。父の通ってる病院とその連携したこの病院の助かるところは『心臓専門の病棟があること』それのおかげて処置も早く助かったんだと思います。もし病院から遠くにいたら、車の中で心臓が止まっていたら…と思うと今でも怖くなります。CCUで父の顔を見て生きてくれてよかったと涙ぽろぽろ流してしまいました。すぐ兄に連絡して入院に必要なものを買いだし、サヨちゃんも来てくれて、酸素を吸いながら「100まで生きたい…」とつぶやく父に「じゃあ禁煙しなきゃねぇ・・・」「楽しみがなくなる・・・・」とやり取り。狭心症起こしていっつもお医者さんからタバコ辞めてと言われても、医者はみんなそういうんだ、と毎日8本は吸ってた父。それでも退院のめどもつかず、CCUにいる間は毎日家に一人でいたとき電話が怖くて怖くて。夜ボロボロ泣いて明かりを消すと不安で電気をつけたまま寝ていました。毎日お見舞い行ってたのですが、CCUってほんっとに機械以外何もないの。「暇すぎる…」と父はカーテンの閉められた空間の中1人で外の音を聞くか、寝るかしかないらしく、相当暇だったようで2日もすると少しボケたこと言い始めました。(CCUにいる間お金かからないから一般病棟じゃなくてずっとCCUでいいよー、とか。金はかかるにきまってる。)3日目にやっと一般病棟(と言っても、心臓専門の病棟で4人部屋。病棟へ入るにはインターホン押して自動ドアを開けてもらわなきゃ入れない)に移り、5日目には点滴も取れ、7日目から心臓リハビリというものを始めました。なんか歩かされたりリハビリ室で少し運動したそうです。1人暮らしを続けてたある日、私に電話がかかってきて、30日に父の事で先生からお話があるので来てくださいと。30日午前中に自分の医者に行き、先生に「呼び出しがあって不安ですー」「退院のめどが決まったんじゃなかな?」なんて話をして、午後に父の病院に行き、父との面会中1人まず呼び出されたときにもう嫌な予感はしていました。まず今の状況。元気そうに見えるが心筋梗塞のダメージが残ってはいる。リハビリは問題なし。ステントを入れたらそこに詰まらないよう薬を塗るのでたいていそこは血管が狭まったり詰まったりしないが、20人に一人効かない人がいる。それが父。今回血管が完全に詰まって流れなくなったとこもステントの入ったとこでした。そんで。どうも悪性の肺がんになっていると。レントゲンに半年前無かった3cm台の影があると。大きくなるのが速いと。泣きはしなかった。あー、お母さんと同じ肺がん。いま告知が普通なんですってね。母の時は告知するかしないか言われてする方を選んだのですが…。悩んだすえ、すぐばれるからと父を呼んで、先生から伝えてもらいました。父の顔色は変わらなかった。あー、肺がんになってますか、と。病室に戻るとき「なんで癌になったんだろう」「ガンだけはなりたくなかった」「お母さんと同じかぁ」病室帰って「やっぱ80歳まで生きられないのかねぇ」「どうせ2.3年もいきられないんだろう」「こうなったらどうせ死ぬんだから死ぬまでタバコ吸ってやる」とやけ気味に。母の看病から臨終まで見てるもんね。一番泣きたいのは父だ。その日は長く一緒にいて。帰って兄に報告したときわんわん泣きました。泣けるだけ泣きました。もしかしたら父まで写真の中だけの存在になる。声も、私がばかなことを言った時ちょっと笑うしぐさも、何気ない話も、一緒にお出かけも、何も見られなくなる。あの日のように固い母を触った、動かない母を見つめたように父も動かなくなる。もしかして、それは近い未来。母が早くなくなった分、父と長く2人暮らしを続けた分。絶望は深くて。今はまだ検査しないと分かりません。心筋梗塞をやっちゃってるのですぐに手術とかできない。退院は1日にして、今は紹介された病院の診察待ち。父とまた2人で家にいます。また後日報告します。長々重い話を失礼いたしました。
2018年06月06日
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こんにちは。お久しぶりです。いやー、ここ3カ月、いろいろありすぎましたよ・・・。まず、3月中旬からパート?に出始めました。仕事しなきゃしなきゃと焦ってはいたのですが、そんな折たまに夜中にふらふらとマックのポテトを食いに行き、その隣にあるコンビニにたまに寄ったりするのですが、その日店員さんに見知ったお顔が。「?・・・??全然変わってないけど、名札の名前もそうだし声も一緒…」会計終わった後に思い切って「あの、妙な質問いたしますが、昔古本屋に勤めたことはありますか?」と聞いたら「うん、むむさんでしょ?」古本屋時代の副店長だったんですよ!『息子の彼女におじさまと呼ばれたい』と言ってた(かなり前の記事参照)方とは別の。古本屋時代は店長1人、副店2人、あとバイトで構成されていたので、ほんっとーにひっさしぶり!今このコンビニの副店長ですって。少しお話に花が咲いてそのあと帰って、別の日にまた行ってみたのですがその日は出勤してなくて、店員さんに「Iさんによろしくってお伝えください」と伝言をお願いして帰ったのですが、その後スマホにショートメールが。私が古本屋時代から電話番号を変えていなかったのと、Iさんが私の番号を消していなかった奇跡から届いたショートメールに「今人手が足りないので、よかったらバイトしませんか?」と。今だ。今のタイミングしかない!大変さとか、人間関係の不安さとかありましたけど、何よりこれ以上父に迷惑をかけたくなかったのと、自分で稼ぎたかったのと、社会にかかわりたかったのでえいやっと飛び込みました。オーナーさんがまたとんでもなくいい方で、面接後にあれよあれよという間に採用、1週間の研修の後(オーナーさんが言うには)パートに入りました。当初の予定とちょっと違って来年までは週2で働いてます。いやー、コンビニってすっごい覚える事いっぱい!すっごい大変なの!レジ業務のものすごい多さと、たばこの種類を覚える事(たいていのお客さんは番号で仰ってくれるんですが、たまにタバコの名前で指名してくる方もいらっしゃるので位置はお待たせしないよう覚えなきゃいけない)、商品の補充、陳列、掃除、コーヒーの補充、宅急便、商品受け取り、ゴミ出し、揚げ物調理、入った商品の点検などなど・・・・・・。いままで働いてきたどの仕事より覚えること多くて大変!毎回注意を受けています・・・・。コンビニが長時間拘束がないこと、長時間の場合は夜な事(あまり人が来ない)(研修時はいつも真夜中にやってました)が分かりました。疲れ切って働けないよ・・・・。はじめてお給料もらった嬉しさは無かったですね。また稼げるようになったんだ!って。幸い職場の方皆さんほんと良い方ばかりで、いつも大変ながら笑いの絶えない職場です。とくにオーナーさんが笑かしてくるのがほんとにもう。その2へ・・・・。
2018年06月06日
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この前ちょい用事があって、ものっそ久しぶりに兄の家にお邪魔したんですよ。どんくらい久しぶりかって、たぶんあーちゃんが幼稚園卒業以来?うちにいつも来てくれるし、なんとなく忙しい兄の家にお邪魔するのは悪いなと思って誘われない限り行ってなかったんですよね。すっごい子供仕様のおうちになってました。でもなんだかおしゃれ的な。兄と久しぶりに二人でくっちゃべったのですが、まあたいてい会うときいつも父が目の前にいるので、父の前ではできない、父の老後とかの話ですかね。あと兄のおうちの事とか。ある程度の年齢になると、兄妹の会話もいいいものです。そのときりょーがいたのですが、ニンテンドースイッチやってまして、兄がその時の話をしてくれたんですよ。なんでもりょーがスイッチかって!って言った時期は大人気中で常に品切れ状態。で、りょーが「ないならamazonで買えばいいじゃん」と言ったので、amazon見たそうなんですよ。当然ながらそこで出てるのは全部プレミア価格。ですがにいちゃん元々のスイッチの価格を知らなかったそうで。「なに、スイッチってこんな高いのかよ…でも人気ゲーム機ならこのくらいすんのか…?」ってその価格を定価と信じてたそうで。そんですぐスイッチの定価を知って、りょーに「おま・・・!こんな価格で買えるわけないだろ!買えるようになるまで我慢しろ!」 しれっとamazonを勧めるりょーもなかなかですが、それを疑わなかった兄も兄だよ・・・・。と爆笑ですよ。ちなみに私は当時PS2をまだ4万円の時期に一生懸命金貯めて買ったのですが、2週間後に母がデパートのくじ引きでPS2を当ててきて、それを兄がもらい、その2週間後にPS2の価格が2万近くに値下げが発表され2段階絶望しました。「お前あれ4万で買ったの…?」「当時の給料6万のうち毎月ちみちみ貯めて買ったさ!」散々兄に馬鹿にされましたとさ。
2018年04月03日
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いやもう花粉はいいんですよ。毎年の事なんで。結局去年から今年にかけて1年中花粉?アレルギーで目はかゆくないんですが鼻水とくしゃみが止まんなかったです。で、知らんうちに花粉症に突入。でも今年は目に来ないかなー。あまり痒くはならないですね。今年は3月に入ってから薬もらいに行きました。毎回ながらこの季節は薬代が痛いぜ・・・・。だがこれからはいちねんじゅうなんだぜ・・・・・・。ひどかったのは兄一家の方ですね。あーちゃん以外全員花粉症、まだ小さなりょーも花粉症!かわいそすぎる・・・・。兄なんか目はごしごし、くしゃみ連発してて、あれ!?私もしかして今年そんなひどくない?と思ったほどでした。アレグラ星人とお友達の季節。
2018年03月24日
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お久しぶりです。ここに書かない間に数年前からiPhoneデビューしてまして、4sより始まり今や7です。そんでもってアプリ生活楽しんでおります。父はスマホなんて使いづらい!といまだガラケーなのですが、さて、父の唯一の趣味は麻雀でして、若い時分からやってるくらいなのですが、楽しむための麻雀で。親戚で集まると朝までやってましたね。こわい。今は近くの兄妹で時間があったら月3~4回集まってやってますが、それでは足りないらしく、麻雀やりたいなーと常日頃から言っておりましたので、「じゃあ、これやったら?」と、軽い気持ちで私のiPhoneに初心者から中級者までの麻雀アプリインストールして渡したら、「こりゃ面白い!」と夢中に。操作が簡単でいいみたいです。それから毎日朝から私のiPhone奪って5時間~8時間ずっと麻雀漬けです。「・・・・・飽きないの?」「ぜんっぜん飽きない。面白い!」いまや私がレシピアプリ見たりゲームしたいときは「返して」という毎日です。やだパパ娘はちょっと戦慄しちゃったよ・・・・。
2018年02月17日
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夏の間は2階は暑くて暑くて、クーラーは壊れてるし(そもそも25年物のクーラー)扇風機もないしで居間で寝てたのですが、今年は涼しく熱帯夜もなく過ごしやすくていいなーいいなーなんて思ってるうち、寒い…肌寒い・・・・。秋もたけなわって感じですね。そんな折、どうやらものっそ久しぶりに風邪ひいたようで。アレルギーは収まってきているのですが、それとは違う鼻水、咳を連発していたら、「おまえそんなとこで寝てるから風邪ひいたんだろ」と父。「熱が出ない限りこれは風邪ではない!」といいはりずびずびやってたら、身体が痛い、だるい、頭が痛い、食欲が全然ない、とオンパレード。でも熱はない。でもしゃべる気力もない。しんどかったですね・・・・・・。ここ数年風邪ひいたことなかったので。今も腹は減るども全く食欲なくて、身体痛くて、居間で寝てたら父から毛布やら布団やらもっさもっさかけられていました。嬉しいけど暑いがな。ありがとうとうちゃん。はー、早く治んないかな。ポカリを飲んでおとなしくしております。
2017年10月09日
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まいっとしの事なんですが、全然慣れない花粉の季節。それでも5月を過ぎれば症状は今まで止んでたんです。それが今年は5月、6月を過ぎてもくしゃみ、鼻水はじゃんじゃんでて、8月。まだ止まらねぇ‥‥!1か月半でこの前保険に入った時にもらったボックスティッシュ10箱使い切ってしまい、こりゃいかん・・・と8月前半に耳鼻科に行ってきました。診てもらったらアレルギーがあるとのことで、アレルギーが増えたのか検査してもらうことに。アレルギー検査って血液検査なんですが、会計青ざめるほどおたかいデスネ・・・・。この時もらったお薬は『アレグラ』。アレグラ星人のアレ、病院でもらえるんですよ。春の花粉の時も去年からアレグラもらってます。あまり眠くならないんですよね。で、昨日検査結果聞きに行ってきましたら、スギ、ヒノキ以外は陰性、ただスギが相当悪化してるとのことでした。え?スギ花粉ってまだ飛んでるんですか?と聞いたら、ヒノキもスギもまだ飛んでることは飛んでるらしいんですね。えー・・・いつ終わるのー…と絶望しましたが、目はかゆくないし前よりは軽くなったのもあって、いちおうお薬は終わりにしてみて、また我慢できなくなったら来てくださいとのこと。しかし今年だけでこんなの終わってくれたらいいんですが終わんなかったら2月末から8月までえんえん花粉症ですよ?イヤすぎる‥‥(TT)
2017年08月25日
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向こうの広場で何やら人が集まってるので行ってみます。この幸せなんですか!!「ふれあいコーナー」で、大量のひよこと2匹のハリネズミにさわれるとのこと。ハリネズミのつぶらな瞳にごっつい手触りの背中もいいのですが、もっふもふ!もっふもふのひよこたちにはかなわなかった!!ひよこの方は抱っこしていいので手のひらにそっと包んで持ち上げると、体温で気持ちいのか目をつむって・・・ふかふか~、あったかい~、かわいい~・・・幸せだ!!ひよこ達のせなかをもっさああと撫でるともふもふで・・・。たまらぬ・・・。でも子供たちとかいろんな人たちにこんなに触られて、ストレスとか、そういうので死んじゃったりしないのかな…。小さすぎるとすぐ死んじゃいそうで怖い。昼の明かりと違って夜のライトの乏しい中で触れ合うとまた違ったたのしさがありますね~。手前にいた豚。なんでか箱の中で2匹そろって寝てたのでほほえましい。このあと飼育員のお姉さんがヤギの檻に入ってふんの掃除したら、えさの時間と思ったのかとなりの羊、ヤギが鳴き始め、豚さんも全員起きだしかっぱつに動き出して楽しかった。奥に猿山があったのでしばらく眺める。夜の猿山、みんな活発だな‥。寝ないのかな。ライトアップされてるから寝られないのかな?動物と触れ合ったら手を洗う。出口に薬用せっけんがあったので手を洗って、まあだいたい一周して、この辺であと閉園まで30分ってとこなのでささっともう一周してみました。カピバラさんとこに戻ってみたらもう眠そう。鳥たちはほとんど真っ暗で見えないので、馬さんともう一度見つめあって、残り時間は水族館をひたすら眺めてました。飽きない‥。ひらひら飽きない‥‥。出口に向かおうかと思ったら小さな部屋に昆虫コーナーがあったのを見つけ、ざっと見て回って帰りました。見られる動物は少なかったけど、夜というシチュエーションがすごくおもしろかった!動物は見ててやっぱり飽きないな~。また違った一面を見るのもいいですね。もうひとつ夢中で見てた小屋があるのですが、大量のモルモットの小屋で、モルモットは真っ暗な中ほとんど寝てたのですが、木の小屋の壁を十数匹のゴ〇ブリがカサカサはりついて走り回ってまして。こんなに大量のGを見る機会も(そんな機会も持ちたくないのですが)めったにないのですげえ!すっげえ!と思わず夢中になってみてました。(やな楽しみ方だな・・・・)
2017年08月20日
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夜だからか、ほとんど動物寝ちゃってるんですよ。活動してる子が少ない少ない…。「ホンドタヌキ」4匹うごいてました。なんだろうね、ずーっと眺めていられるよ…。たのしいよ!かわいいよ!名前忘れましたが、ダチョウではなく、エミューっぽいの。でっかい!2匹うごいてましたが、ライトがないのでお顔がよく見えず…。奥に人がいっぱいいたので見に行くと、カピバラさんがいました。どうやらえさやり体験をやってて、今終わっちゃったみたい。写真撮っていいですよ、とのことですので懸命にカメラ向けるも、この子達動きが速い!!一時も止まってくれないのでぶれぶれ。カメラってっても一眼忘れたので、iPhone7なんですけどね。夜ズームにするとやっぱ画像悪いね。さっきえさやり体験で飯食ったんじゃ??また何か食べてたんですが、飼育員さん「ああ・・・おしり向けちゃってる‥」しばらく眺めて、そいじゃ次行こうかね、と足を向けたのがどうやら馬小屋。お馬さん4匹、ロバ??さん1匹、まだ起きてごはん食べてました。この白いお馬さん綺麗だった。ロバさんは、しばらく見てたら小屋からお顔を出してくれました。かわいいのぉ・・・。そんなに広くない園内ですが、やっぱりじっくり見てると時間があっという間に過ぎてっちゃうので、名残り惜しいけど移動します。
2017年08月20日
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夏?夏ってなんだっけ状態です。もう涼しい。雨ばかり。梅雨今かって感じ。なんなんでしょうね。いや過ごしやすいからいいんですけど、あまり冷夏だと農作物が…野菜とか高くなっちゃうから困る…!だいたい扇風機で過ごせるのが間違ってる。そんな夏ですが、この前「ナイトZOO」というものがやっておりましてね、2日間だけなんですが、滅多に見られない夜の動物園ですよ!あーちゃんたちが来るので一緒に行こうかと思ったのですが、兄たちが次の日仕事、夜も遅いという事で、1人寂しく行ってきました。車で行ける近くの動物園です。近くだとあまり行かないんですよね…動物園好きなんですけど。何年か前に行って以来かな。夜9時まで開園してるんですよ。真っ暗の方が面白かろうと夜7時に家出たんですが、寄り道してたら着いたのが7時半。1時間半しか見られねぇ!!人はまばらでした。カップル多め。ぐすん。でも1人ででっかいカメラ持って三脚で撮影してるおじさんもいるからなんかいいや。入ってすぐにものっそ小さな水族館があるんですが、名前は分からないけどひらひらした尾っぽがきれいなお魚が泳いでて、夜のライトアップもあってすごく綺麗!いつまでも眺めていられる―!!このひらひらが!金魚もいるんですよねぇ‥‥。手前にはフラミンゴとか。動きを見てるのも楽しい。この風景が座って眺められる位置にベンチがあるんですが、時間があまりないので・・・もっと早く出ればよかった!!ライトっぽいのはこういうのしかないのでほんと真っ暗なんです、園内。まさに「ナイトZOO」つづく。
2017年08月20日
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もう8月!はっやいなぁ!なんもしてないよ!わたし嫌いな食べ物はけっこうあるのですが、それでもまあ口に入れられる程度には食うことはできるものばかりです。ですが、食える食えないの問題じゃなく、口に入ったら瞬時に吐き出すほど喉が受け付けないのが『お肉の脂身』豚、牛、羊なんでもダメです。鶏の白いとこもダメ。皮はカリッカリに焼けば食えるんですけど。とにかく気持ち悪くなるんですよ。瞬間吐き気を催してしまうほどダメ。これがあるから給食の時間は地獄でした。私のころは班を組んで机くっつけて食べるのですが、誰か1人でも残してると給食終わりにしちゃダメで、唯一パンだけは持って帰ってよかったので、お肉の脂身がある給食の時は先生に見つからないように全部パンにはさんで仕舞いこんだりしたり。別の学年でも全部食べ終わるまで給食終わりにしちゃいけなくて、私1人掃除の時間になっても取り残されて泣きながら給食見つめてました。焼肉食べ行っても脂身部分食いちぎって残したり、そもそも脂身だらけで食えないお肉ばっかりなのでロースかハラミしか食べられません。外食ではお肉入ってたら全部避けます。ステーキだったら脂身だけ切って残します。なか卯の親子丼大好きなんですがあれも鳥の皮が食べられないのですべての鶏肉の皮を取って避けて食べてます。(めんどくさいことにお肉は大好き人間です)ですので肉まんもダメなんですよ。あんなの脂身分かんのかよ?と思われるでしょうがはっきりわかります。脂身部分に当たった瞬間吐き気に襲われるのです。そんな私が食べられて、しかもものすごく美味しくて大好きなのは『551の豚まん』はじめてお土産でもらった時「食えるかなぁ‥‥」と心配だったのですが、これ全然脂身の味がない!しかも美味しい!皮も甘い感じ!幸せの瞬間でした。大阪によく行く友人がいるのですが、お土産にだいたい豚まん買ってきてくれるのですごく楽しみにしてます。いつもありがとう!写真は豚まんと一緒に買ってきてくれた京都の「SIZUYA」さんのペッパーカルネ。このカルネ、ちょっと焼いて食べるのすっごく美味しいんです!ハムと玉ねぎとマヨネーズ??ソースが挟まっててもうすごく大好き!パンも美味しいの。ただ、京都にしかないパン屋さんで友人が買って帰ってその日のうちに貰える時限定でお土産にもらうので超レア。
2017年08月05日
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夏の間の寝巻は甚平さんを着てます。暑いので動きやすい甚平さんはデザイン的にも大好きで、可愛くて肌触りの良いものを4着くらい持ってて着まわしてます。昼間もたまにそのまま甚平さんでうろちょろしてることもあります。この前朝顔柄の赤い甚平さん着ていた時に富士薬品の常備薬交換に来たお兄さんに、「座敷童子みたいですね!」と笑顔で言われました。どう受け取ったらいいの?富士薬品のお兄さんは楽しい方で、昔夏のあっついひに訪問していただいた時に、今日はお休みですか~?と聞かれ、昼寝してました~。と答えたら、「ずるいです!俺この暑い中今仕事してるのに!!」いやほんとごめんなさい・・・・。
2017年07月29日
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なんだか7月も終わりに近づきましたね…。昨日おとといと2日間、こちらでは寒かったんですよね。クーラーも扇風機も止めてタオルケットかぶって寝てましたもん。私大変な報告をしてなかった。ここに書かない間に甥っ子も産まれたんですよ!今小学校低学年。すっごくやんちゃな男の子で、うちに遊びに来るたび暴れてあーちゃん蹴飛ばして姉弟ケンカ始めます。てか、一方的にあーちゃんが我慢してブチ切れたらりょーくんふん捕まえる感じです。産まれてから4歳くらいまではまったく顔も見てくれなかったし、話しかけても返事してくれなかったし他人行儀だったんですけどね。まあうちに数えるくらいしか来てないし、人見知りだったんですが、妖怪ウォッチが好きと聞きましてね。むむさんUFOキャッチャーで頑張ってすごくでっかなジバニャンのぬいぐるみとってプレゼントしたんです。それすっごく喜んでくれましてね。そこから打ち解けた感じです。打ち解けてからがすごかったです。あばれるあばれる、さけぶ、男の子ってすっごいな!と思うほどです。毎日相手にしてるお母さんってたいへん・・・・・・・だねぇ・・・。今では和気あいあいですが、いまだりょーくんからは名前で呼ばれたことないですね。おばちゃんとも呼ばれないかな。まあいつかむむちゃんの名前で呼んでくれるといいなぁ。甥っ子もものすっごくかわいいんですよね~。ふふ~。相変わらずじいじは孫からガン無視です。だって全然話しかけないんだもん。あれほどもっと声かけなさいって言ってんのに。りょーくんから「ねえ、じいじはなんであのいすからうごかないの?」と不思議がられたことはあります。普段でもトイレとごはん以外座椅子から全く動かないほどTVしか見ないインドア派だからなぁ。もっと活発になってほしいんだけど…。あーちゃんは4月から高校生になりました。てか、あの子の頭の良さはちょっとすごくて言葉失いました。偏差値に換算したらすごかった。頭良すぎ。高校に入ってからスマホ買ってもらったので、LINE交換してたまにお話してます。可愛さぜんっぜん変わりません。むむちゃんたまんないぜ!
2017年07月28日
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この前友人とお茶してた時、「この前の『孤独のグルメ』の皿うどんの話さ…」「待って、私まだ録画見てないから、食べるシーンの話なら聞く」「五郎さん食いすぎ」「知ってた」『孤独のグルメ』今season6録画して、TVが空いてる時に観てます。(朝~夜10時まではパパのTVタイムで一切こちらの見たい番組は見せてくれませんので私が見たい番組全録画です)(前のDVDレコーダーが壊れたのでBDレコーダー買ってもらいました。ひゃっほう)そもそも孤独のグルメは私は漫画から入ってまして、TVドラマになってたのに気づいたのはseason3からというとんでもないスルーっぷりでした。1から3はレンタルで借りたりして今までの全部見てるんですが、最初初めてTVのゴローさん見たときは、漫画とのあまりのギャップにすっごい驚きましたが、TVと漫画は別と考えて楽しんで観てました。ただほんとにすんごいぶりに漫画の2巻が発売され、喜び勇んで購入したら漫画のゴローさんに強い違和感が。あれ・・・ゴローさん、こんなおやじギャグ言う人だっけ・・・・????性格…変わった…???amazonのレビュー見てやっと気づいたんですが、2巻は完全にTVのコミカライズだ。批判多かったんですが、私はでも2巻は楽しめましたよ。ドラマはほんとに美味しそうなご飯!さらに松重さんの美味しそうな食べっぷり!深夜の飯テロですから録画して正解だよ…!!ですが回を増してこっちがハラハラするほどの大食い選手権になってきて…。いったい外食にいくらかけてるんだろう、ゴローさん・・・。そんでどこまで食うんだろう‥‥!!!!それでもその食いっぷりも結構楽しいです。というかそのお店に食べに行きたい。マイベストオブ行きたい店は、ジオラマまで作っちゃったジンギスカン焼き肉の『つるや』さんです。この前『釣りバカ日誌』とのコラボやってまして、その企画を知らなかったもんですから浜ちゃんが回転寿司の店に来たときは心底びっくりしました。で、ゴローさんがミチコさんの働くお店に食べに来たときは笑いました。あの中で孤独にご飯は無理ですよねー。朝父が新聞を見ててTVが空いてる時にたまに見たりしてるんですが、父も一緒にたまに見てまして、松重さんの食べ方を見て、「この人はすごく綺麗に食べるね。それに比べてあのAD石井は・・・・」と怒りを募らせてます。(AD石井とはありえへん世界という番組のぽっちゃり調査隊といういわゆる食レポのようなコーナーに出てる、ぽっちゃりどころではない体重のADさんで、どんな高級素材も、高い、美味しそうなご飯もすべて一口で流し込むという味わってなさぶりはすざましく、食べ方もたいへん汚く、ツイッター、番組の感想では批判の嵐で、父はいつもイライラ頂点にしながら見てます。てか、あの番組ジャニーズが出演してなかったら見る人激減してると思う)
2017年05月28日
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今まで見返しには来てたんですよ。でも別のとこでブログ始めたらなかなかこっちの更新に来なくなっちゃって。始めたブログは今までのとこから移動した人形ブログなので、上のリンクからは見られなくなってるんですが、リンクの貼り直しがもうわからん。最近人形より日々日記のほうが増えてきたので、またこっちでのんびり始めようかなぁと思いつきまして…。何年ぶりだ?10年たってない?てことでお久しぶりです。超お久しぶりです。やってない間もここに来てくださった方がいらっしゃったようで、もう感激ですよね!ありがとうございます!ここに来てない間に変わりましたよ~!すっごい近状変わりました!●3年前に13年勤めていた仕事を辞めました。精神的にけっこう来ちゃってて、むしろ最後の方はよく雇ってくれていたな‥!状態でして。感謝以外にありません。●体重が13kg痩せた。気づいたときに6kg痩せてたんです。まあ原因が甘いもの大好き人間でしたのでお察しですが、いつからか味覚がガラッと変わりまして、あんなに好きだった甘いものがみんなしびれるほど激アマに感じてしまい、薄アマを好むようになったり食べなくなったりしたら痩せてて、ふんじゃあついでだからもっと痩せてみるか!と。2年かかりましたが、今も結構食事に気を使ってるのでダイエットはっきり言って楽なのないです。●病院をあれから2回変わった。最後の「春を探しに」の病院から東京の病院に移って、そこから地元近くの病院に転院しました。精神科って相性ありますから、ドクターショッピングになってしまいがち。●この日記によく出演してたもよこちゃんが結婚した。数年前です。結婚して横浜に行っちゃって、でもこっちにたまに帰ってきた時会ってたんですが、お子さん産まれてからめっきり。めでたいけど、子育て忙しいからこれは仕方ない。今は数年に一度単位かな。●パパが定年して今は家にいる。定年後もバリバリ働いてたんですが、もう結構体しんどいようで、数年前すっぱりやめました。仕事人間で全く趣味がないため、今やることと言ったらTV1日見て過ごす、たまに兄妹で集まって麻雀、皿洗い。(私が料理は作るけど皿洗いがめんどうで、私が動く前に洗っちゃう。愚痴付き)●ガラケーからスマホに。数年前についにiPhoneに変えました!しばらくは5sをずーっと使ってたんですが、7が出てデザインは好きじゃないけど画面と音がいいから今は7使ってます。アプリと写真を大量に使うため、256GB位のにしたんですが「もうそれパソコンと一緒ですよ!?いいんですか!?」とお店のお兄さんに説得されました。●今は写真はミラーレス一眼を使ってる。ご縁がありいただいたものなんですが、綺麗!背景ぼやける!素晴らしい!というより持ってたコンデジが全滅したんでそれしかない。●PCが変わった。突然クリスマスといういい感じの日にぶっ壊れたので、散々電機屋巡りしてすっごい音と画面のきれいな型落ちとはいえ最新っぽい機種を購入。こんくらいですかね。のろのろ更新になると思いますが、また付き合っていただければ幸いです~!
2017年05月24日
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パパの会社と私の通ってる病院は歩いて10分しか離れてないので、車で会社に行くときたまに送ってもらってます。こんなに近いのに入院してた時電話かけないと来ない親父の冷たさ。パパ寂しいよまったく!今日も送ってもらったら、会社の駐車場まで止まりで「後は運動がてら歩け」と言われちゃったので、春を探しに行きました。風の強い日で、風見鶏もこの調子。寒いよう。もう1つのでかい病院前に咲いてる花。名前が分らないんですが、この時期によく見られるんですよね。私も大好きな花なんですが、そして家で植えてみたいのですが、花屋さんに売ってないの。球根とか種から出来るのかな。ピンクがかわいいなぁ。唐突に道端に刺さってる靴。誰が何のために。ムスカリ。なんかこうまんまるでいいですよね。沢山咲いてました。茶の木の新緑が綺麗ですね。私の住んでる地方の垣根とかは大体茶の木なんです。そろそろ新茶飲みたいなぁ。今日は風が冷たいけど日差しのいい日でした。病院行って帰りにパルコ寄って帰りました。3月に入荷と聞いた涙の子ヤギぬいぐるみがまだ入ってないので聞いてみたら、延び延びになっていつ入ってくるか分らないとの事。予約という形をとらせてもらいました。タオル地でかっわいいんですよ。いつ入ってくるのかなぁ。
2008年04月16日
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電車で仕事帰りに家の近くでにゃーにゃー聞こえてくるので、どこにネコが!!と探したら、アパートの横の小さな檻の中にでかいのが2匹詰められてました。いつからいるのか不明ですが、飼い主が仕事の時はまあ、家の中からだから仕方ないとはいえ、これはちょっと狭すぎて可哀相だった。上と下と端に行き来できる穴があって、でも高さが上も下も大人ネコ1匹がギリで、2匹下に降りたりすると動くのがやっとってくらいかな。檻から手を入れるとぺろぺろなめたりしてなつこいんです。毛並みも綺麗で、可愛がられてる様子。でも可愛いにこした事はないので触りまくりました。癒される~~~!威嚇してるわけではないです。鳴いた瞬間撮ったらこうなった。君ちょっと怖いね。美人さんです。頭をしきりに手に押し付けてくるなつこさ。花柄の首輪がイカス。君たち本当に可愛がられてるのかい?
2008年04月14日
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