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昨日、学校が初日でした。長々と、書いたのだけど、保存しないで送信したら、送信できずに消えてしまった…。すべてが水の泡。覆水盆にかえらず。寝耳に水の出来事。ちょっと日本語を使いたくなったので、水でまとめてみました。特に意味はないのだけど。気が向いたら昨日のも再び書きます。私は昨日の学校で、沢山友人が出来ました。ジャパ人は25歳男子グロ、26歳女子いく、コリアの22歳クリスティー、イタリーの28歳アンドリュー。これがよくつるむ仲間となりました。イクと、私はそれぞれ一人で別のクラスなんだけどね。いつもどこいても孤立しがちだった私ですが、オーストラリアに来るために、改名しておいて良かったよ笑私の以前の登録画数は「孤立、他人に足を引っ張られやすい」というものだったからね。(何かあったときに、画数が悪いからだ…と思いたくなくて、パブリックな登録の改名をした。)ま、それが全てとは思っていないけど、自己暗示にもなるしね。自ら声をかけやすくなるし。今日も、そのメンバーでランチを食べに行った。イタリーのアンドリューとは、悪友になりつつある…。週末学校の有志のアクティビティ(レクレーションみたいなもの)でグレートオーシャンロードへ行くんです…。私、日曜に行ったばっかりなんですけど…。知ってたら、行かなかったのに…。グロとアンドリューは行くらしくて、私にも行かないの?ときいてきた。私が、その時の写真があるよと、アンドリューにカメラを見せたら、自分は君のより良いカメラを持ってるんだ!といってきた。確かに私のは3年ものだから、古いけどさ…。確かに彼のはなかなかのデジカメで…。しばらくしたら、読めるもんだったら、この辞書使ってもいいよ~と、私にいたりーの辞書を渡してきた。私は得意のホラで、周りにこう書いてあるよ、と適当に説明したり…。「カメラは確かに、あんたのほうがいいものだよ。それは認めるけど、辞書は私の方が上だね!」って言ってやったけどね笑でも、アンドリューは「I WIN!」と勝ちを譲らなかった…。私が、一人だけ別館での授業だもんで、知ってるくせに「の~!の~!」(行かないでーのジェスチュアー)。今まで、あまり英語をやってて良かったなって思ったことってなかった。高校までは英語が好きだったし、大学でも嫌いとはいえ勉強してたけど、全ては自己満足だった。それを利用して何かをしたことがなかったから。テストでいい点を取るために勉強してきたことの何物でもなくて…。でも、今こうやって、日本人同士でも英語を使って会話をするけど、(説明が面倒な時は日本語を使っちゃうんだけどね)英語が話せるから、こうやって、イタリーの人とも冗談が言い合えたり出来るし、コリアの子ともファッションの話が出来たりする。これって凄いことだなーって本当に思うんだよね。日本にいたら日本の友達しか出来なかっただろうし、今インターナショナルな友達がいることが、凄く不思議に感じる。今日クラスの先生に「内容が簡単すぎるのでクラスを変えてほしい」と願い出た。こちらは自らリクエストをする文化。誰か私の心中を察してくれるだろう…なんていうのは通用しないんだってこっちに来て10日。その辺は私も分かってきたところだったし。そうやって、違うクラスの子達と私はつるんでるし、クラスも変えてもらうつもりでいたから今の、クラスの子たちとは端から仲良くしようというつもりがなかった。先生は「明日もう一度授業を受けて、やっぱり簡単だって言うなら、クラスを変えましょう。今日、ボスに話しておきます」といっていた。すぐには変えられないと…。そうは言ったがやっぱり、今のクラスに暫くは残るつもりでいる。やってることは高校レベルの問題だし、クラスメイトのレベルも高いとは言えないけど、私のレベルも、もうちょっと上げなくては、今のままでは更に上のクラスへ行っても厳しいかなと考えたので…。クラスのみんなとも仲良くしなきゃ…。多分カンボジアのクッキーが、私のことを妙に気にしていることに、昨日から気がついていた。今日彼女が私のとなりに座り、私の親友によく似てるの!!という。それでか!!と分かりました。今度写真を見せるねって。カンボジアと中国人のハーフとかって言っていたなぁ…。私は意外と、チャイニーズに間違われるようで…。日本人顔だと思うんだけど。お昼も一緒に食べない?とクッキーは誘ってくれたけど、例の彼らとの約束もあったので…。クラスに残るなら今度からは仲良くしなきゃね。放課後、名古屋出身のグロとお互いのバックグランドを話し合った。ところどころ英語で、ほぼ日本語でこそこそと…「英語警察」なる、先生たちが、巡回して、英語以外を話していないか、見て歩いているので、目を盗んで、とりあえず、今まで何をしていたのか、これから何をしたいのか…。彼とは乗りもあるし、良い友達になれそうです。英語だと気がつかないけど、日本語になると、別の言葉の壁が、低いけど、名古屋と北海道ってだけでもあるんだよね笑今日は私が、ホストファミリーにご飯を作ってくれといわれていたので、あまり話す時間がなかったけど、ずっと語り合っていました。私はたまに日本語を話すヨン様から韓国語を習っていたので、韓国人の人たちに使って話すと「OH!!」と喜んでくれる。お名前はなんですか?何歳ですか?どこに住んでるんですか?などなど。グロと一緒に居ると、彼の韓国人クラスメイトがいたので、少し話したら私のことを「ガールフレンド?」とぐろに聞いていた。グロは少し考えていた。私が「YES!OFCAUSE(ええ、もちろん)」というのとグロの「JUST FRIEND(ただの友達)」という発言が重なった。ちっ!否定されたわー。たまにブラジルのロナウドとも会う。彼は22歳のヤンガーなんだけど、さすが南国の人…。はっきりとした顔立ちで、大人びて見える。私と目が会うと、軽く手を上げ‘ウィンク’をしてくるの~!!!これが彼の挨拶なんだと思う。変ないやらしさもなく、キザにも感じない。彼は私のことを「TINA」て呼ぶ。これは韓国のクリスティーがつけた私のイングリッシュネーム。グロはめっちゃ馬鹿にしてくるけど。もちろんクリスティも、イングリッシュネーム。「僕は女の子の名前と顔は忘れないんだ」と、昨日言っていたとおり、いつ会っても私の名前はきちんと覚えていてくれている。「ティナはブラジルにもある名前だよ。可愛い名前だと思うよ」なんてね。お姉さん勘違いしちゃいそうなんですけど…笑さすがサンバの国からやってきた熱い男だよ。さて宿題をやらねばね…。もうあのクラスには行かないと思っていたのだけどさ…。
2004.11.30
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今日は初のツアーに参加。日本語に嫌ってくらい浸ってきました。普通は日本のツアーって高いから、安いなら英語でも良いかなぁ…。って思っていたら、なんととっても安い日本語ツアーがあったので、ラッキーだった。出発は8時半。私はトラムや、ツアー会社を探す時間を考えて早めに家を出た。って言っても、朝ごはんを食べる時間もなくて、少々寝不足気味の身体を引きずって…。と思ったら、メットカードという私はマンスリーで購入している定期券の様なカードを忘れた!!この国は正直者が馬鹿を見るような仕組みになってるなぁと思っていたんだけど、そのカードだって、トラムは一応カードリーダみたいなのが中についてるけど、通している人と、通していない人は、う~ん…半分くらい。実際私も期限の切れているカードをカードリーダーに通して、有効だと信じ込み乗っていたことがあった。「あ、これ違う!古いカードだ!」と気づいたのはもう、帰りのトラムだった。でもたまに係りが巡回しているらしくて、不正が見つかった時は100ドル罰金だと、多分デリクは言っていたと思う。今日は、まだ寝ているヨンを起こさないように、いつものように中から鍵をかけて家を出たんだ。そして、そのメットカードがないことに気づいたわけ。慌てて戻ったら今度は、鍵をもって出るのを忘れた!なんてお馬鹿なんでしょうか…。ドアを必死にノックし、ヨンを起こそうと試みたが…。昨日の夜、夜中に彼は帰ってきた。私は一人がけのソファに腰掛ボーっとしていて彼は三人がけのソファに横になり、「今日は何をしたの?」「楽しかった?」「明日は何するの?」なんて会話をひとしきりすると、昨日はびっちりサッカーで、怪我をしてしまったというヨンはお疲れのよう。すぐに寝息を立てだした。何だか、可愛いので起こしたくなくて、私は黙ってテレビを見ていた。でも、ツアーが早いので、寝なきゃ行けないんだけど、どうしよう…という複雑な気持ちで…。すると彼がぱっと目を開けた。彼から視界に入らない場所にいた私をきょろきょろと探し、「ここだよ」というと、こっちを見て再び眠りに入ってしまった。「もうベッドに行ったほうがいいよ」と彼の横に座り揺り起こすけど、「う~ん…」といってはそのまま起きない。彼を起こさないように気を使いながらテレビを見ていたけど、その心配は無用だった見たい。何度も何度も起こしたけど、全然起きず、テレビも消して、電気も消して、私も寝る準備をし、「もう2時を回ってるよ」というと、やっと「2 O'clock…」と私の言葉を繰り返しむくっとおきだし自室へ痛い足を引きずって歩いていった。そんなこんなで早起きしなけりゃならない私は寝不足になってしまったわけで…そして、私は家のドアをノックしながら昨日のことを思い出し、ほぼ諦めていた。昨日あれだけいっても起きなかったんだから、遠くから聞こえるノックの音ごときじゃ彼は起きてはくれないだろうと…。諦めた。トラムは、カード無しで一か八か乗ってやる。鍵のほうは…私まだ彼の携帯番号聞いてなかったんだよね。っていうか、私の携帯自体、自分からかけられるけど、人のが繋がらないと言うわけの分からない状態にあるから、解決するまでは良いかなって…。だから、彼が家を出る前を見計らって、何時に帰るか聞くとか、鍵をどっかに隠してもらうとか、外泊中のホストファミリーを通して彼と連絡を取らなくてはいけないという全く面倒なことになってしまった。もしくは黙って彼が帰っていないようなら外で待つか…。と思っていると、トラム乗り場。いつもなら5分と待たないうちに来るトラムが時間を確認すると、今日は日曜のせいで、次に来るのが15分後だ。それだと、間に合わないわけではないけど、ツアー会社を見つけられるかに掛かる…。15分か…。もう一度家に戻って、ヨン様たたき起こして、鍵を手に入れるか…。片道7分。往復14分だから、これはちょっと危険だ…。次に乗り遅れたらもう、支払いの済んでるツアーも駄目になるかも…。朝から私は嫌な気分になりました…。結局、鍵は諦め、時間に遅れるのが嫌いな私は、タクシーを拾い、駅まで行き、何の困難なく、ツアー会社を見つけ、余裕で到着。だって、会社の前には大きなバスと、その近辺に散らばる、日本人…。間違いなく、日本語ガイドのツアー参加者でしょう。途中の休憩で、バーバに電話を入れて、鍵のことや、ヨンの携帯番号の説明をしなくてはいけないことが重荷だった…。なんていったらいいのよー!何だか面倒になってきたので、私が帰るときに彼が家にいることを願うことにした。ツアー参加者は相変わらず殆ど団体だったんだけど、中にはバッパー(バックパッカーの略)の人も着ていて、私の隣に最後の女の子が座った。バスが走り出し、しばらくして、話しかけてみた。私が行こうとしていたパースから彼女はオーストラリアをラウンドして昨日メルボルンに着いたらしい。私の妹と同じ年くらいの大学生の彼女と道中いろんな話をしながら、観光名所も一緒に回った。「ガイドさんにお友達はまだトイレですか?」と書きかれたりした。「お二人で参加ですか?」とか。「参加は別々だったんですが、席が隣になったので」「てっきりお友達同士なのかと思ってました!」ま、無理はないけど。彼女、Y香ちゃんのお陰で、私のツアーも寂しい思いをせず楽しいものとなりました。しかし、メルボルンの都会を離れて、グレートオーシャンロードを走る道。海は綺麗だったよ…。私は、このツアーで何を見るのかイマイチ知らなかったんだけど岩を沢山見たね。自然が作り出した巨大ながけとかね。しかしよー。そこ着くまで4時間だぜ?1時間もお昼休憩とってすることなかったので、私は現地の人たちと水辺に足を浸かったりしてみました。透明なビーチで感動的。楽しかったよ。いろんな人と話したし。ワーホリでこっちにきてたお嬢さんが、現地のオージーと結婚することとなり、昨日結婚式で、こっちに来たって言う私の両親くらいの人たちの写真を撮ってあげた。いろいろ話す中で、私がまだ学校始まっていないから、友達いなくて一人で参加してるんですよーというと、自分たちの娘が3月までいるからあったらどうだということを言ってくれていた。通りすがりの人間に、なんとご親切な言葉でしょうかね。お気持ちだけで本当十分です。さて、鍵のことは頭から消し去ろうとしていた時、なんと出てきたよ!!天にも昇る、というのはまさにこの事か!ほっとした。本当に。旅が楽しめるってものだよ。満足の中、12時間の旅を終え、Y香ちゃんともお別れをして、私は帰途に着きました。(トラムは無賃乗車しちゃいましたが。って言っても私はカード買ってるしね。持ってなかっただけでさ!)すると、電気がついてる。ヨン様いるんじゃん!かぎなくても心配要らなかったなぁ~なんて思っていると、鍵は二重で掛かっていた。ということは不在…。私のために、廊下の電気をつけておいてくれたのね(:-;)…あぶねー。鍵なかったら大変だった!!よかった。さてついに明日からは恐怖の学校が始まります。とっても怖いです。着いていけるのか、理解できるのか、私がクラスで一番出来ないんじゃないかって。私がアッパーのクラスに入れられたのは現在の実力じゃなくて「やれば出来そう」←声がでかいから。なんて理由だけなんじゃないかって、とってもナーバスになってしまいます。今日はこれから、日本食を作って食べたいと思います。もう恋しくなってきた…。ウーロン茶が飲みたいよー!!しょっぱいものが食べたいよー!!
2004.11.28
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あー寂しいよー。今日はヨン様と、二人きりの夜なのに、「ちょっと出てくるよ」って出かけてしまった…。「何処へ…?」と私が聞くと、「駅まで。多分12時半くらいに帰ってくるよ」はぁ…。寂しいぜ。つれないよ~。何しに行くんだよー。ショックで言葉がとっさに出てこず。「分かったよ。気を付けて」と見送る。私が9時半に帰ってからの会話はヨン「今日は何処に行ってきたの?」私「サウスゲートに行ってきたよ」ヨン「楽しかった?」私「んー疲れたよ」ヨン「疲れたんだー」それだけ。「SEE YOU」って言って別れただけさ。私ももっと気持ちを伝える英語を覚えないと…。もっと彼と話したいし…それにしても、今日も暑いよ、メルボルン…。今日はぶらりと来たトラムに乗ったら昨日行ったビーチへ行く物だった。キルダストリートも何だか賑やかなので、海には行かず、ストリートをぶらついて、再びトラムに乗って帰ってきた。メルボルンの街を流れるヤラ川は車からは見たことあったけど、自分でいたことがなかったので、映画を見ようか、ヤラ川に行こうか迷い、ヤラ川沿いのサウスゲートをぶらついてから映画を観ようと決めた。私ってば、どんどん色んなことできるようになってるんじゃない?マックに入るのも怖かったのに!ってか、今でも実際怖いんですけど。。。ちょっとぶらつくとヤラ川をクルーズしていた船が戻ってきた。1時間くらいのクルーズならちょっといいかも!乗ってみよう!と近づいてみると「90分クルーズ無料」の看板が!!「タダ!?」という言葉に惹かれ近寄ってみる。本当にタダなのかしら?よく分からないけど、人ごみに一人で並んでみた。イタリアかスペインか分からないけどちょっと訛りのきつい英語が聞こえた「皆さん予約はされてますか?」と。周りは「ノー」といっているので、この人たちが乗れるなら私もいけそうだ!!6時半の本日最後のクルーズのため私は6時から並んでいた。半信半疑のまま船に乗り込み、いい場所をキープ。乗客もそれほど多くはなくいい感じかと思いきや、出発5分前にオージーの団体がぞろぞろと船の近くに現れた。船員は殆どヨーロッパ系な感じの人たちで、あわただしくテーブルセットを始めた。ちょっと…折角英語を使わずに、タダという言葉に惹かれて、ここまで100点満点で乗り込めたのに、なんか嫌な予感がしてきた…。「ちょっとテーブルを下げてもいいですか?」といわれたくらいはよかったのだけど、更にどんどん人が増えて、船の真ん中にぽつんとしたテーブルに席を変わってもらえませんかということを訛りのきつい英語で問われ私は「えー…」と、嫌な顔をしたけど、それ以上否定の英語も思いつかず、分かったよといって一人真ん中になったわけ。ま、一人で乗ってるのは私だけだしね…ま、景色が見えないわけじゃないし、タダだし、いいか…って。結局出発したのは7時を回った頃。みんなもっとしっかりしよーぜ…。と思いつつ、これがオージーなのね…。と半ばあきらめた。注文も滞りなく済ませ、景色を楽しむ。しかし、そんなものもつかの間の話で…遅い…どんどんみんなのテーブルに飲み物や料理が運ばれてくるのだけど…。私のはズーっと後回し。やっと来た私のアイスカプチーノ。とりあえずきてよかった。隣のカップルはすでに食事を終えていたのですけど…そして、もう一つ言わせてもらうなら、ぬるいんだって!オージーたちはどんどん酒を飲み酔っ払い、食事を済ませた。気づけば船は折り返した。私のDIPS、まだ来てないんですけど…私はもう景色どころでなくて、いらいらし始めた。「調子はどうですか?」なんて一人の店員が声をかけてきた。「私のオーダー来てなんだけど」と完璧に言った。オーダーを取ってくれた、日本人好みのかっこいい店員が私のところに再び来て何か言ってきた。訛りのせいか、私の学習不足か…何回か聞きなおしたけど、だめ。分からない。彼も忙しそうにしていたので、去っていった。このクルーズって90分間だけど、30分遅れての出発だよねぇ。予定通りなら8時に戻るんだけど、8時半までなのかしら?どっちよ!!私のところに料理が来た時はすでに7時50分…。船はもう波止場に戻る準備を始めている…おいおい!慌てて、私はディップスをほおばったさ。水をくれるように頼んだもののそれもこない!水くらい降りたら飲むか…と思っていたら、店員がグラスを持って私のほうへ来た。「ありがとう」というと「あぁ、すみませんこれは隣のお客さんのお水でして…」チクショー!!何だよ!!もう船着くじゃんかよ!座っている席でチェックに10ドルおつりが来るように入れていたが、その受け皿はさっともって行かれた。他の乗客は降りる準備をしている。でも、私はおつりをもらうまではここを立てない。でも、おつり、本当にもらえるの?私がいくら払ったのかちゃんと確認したの?もらえなかったら、英語でなんていえばいいの?もう、頭の中はそんなことでいっぱい。折角のクルーズが台無しになってしまいました…。最終的にはおつりも、水も着たんだけど、もう到着してからでした。あぁ。タダはタダではすまないということなのか?ここは自己主張する国なのに言葉を使いこなせないって、全く疲れます。明日は朝早くから格安ツアーに参加です。こっちは日本語ガイドなので、乗ってくる人も日本人!私みたいにひとりで参加する人とかいればいいのに…。やはり孤独になってしまうので…。ここで孤独に負けたら、オーストラリアへ来たと言う旅自体が失敗になってしまうから、今は一人でいることには強気でいなければいけないと思う。それが出来るから、私はここへ来られるんだ。他の人ならきっと出来ないと思う。と心新たにしました。でも、今はちょっと日本語に浸りたいです。。。
2004.11.27
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今日はハードでした。。。朝起きて外はすでにあっついくらい。いつものようにホットミルクにミロを入れて庭のいすに腰掛けてそれを飲む。ほっとする朝のひと時。空を見上げる途中、韓国人留学生のヨン様が昨日干してた洗濯物にふと目が行き… 「そうか…彼はブリーフ派かぁ」と妙に納得する。別にどっちでもいいんだけど、トランクスタイプか、ボクサータイプの人が多いんだろうと思っていた私にとって、ちょっと彼のブリーフが好感度を上げた。拘りがあってのことだろうと思うので。そうか、そうか…といいながらミロをすする爽やかな朝のひと時を楽しむ。明日から月曜までバーバとデリクは祭りに出かけるため家を留守にする。私とヨン様の二人が家を守ることになるんだけど、彼は多分家に戻らないといっていた。なんだよー。遊ぼうぜー。しばらく家を空ける間、メルボルンはとっても暑くなる予定だので犬のボブはホテルに預けることになり、バーバと二人で行ってきた。私は今日も再びクイーンズマーケットに。出かけろ出かけろとうるさいので、日曜日私は格安のツアーに出かけます。そのための靴を買いに。それだけではなく家でも履いていられる靴がほしくて。。。どうもこの家の中で靴を履くって言う習慣は私には馴染まないねぇ。郷に従うけどもさ。普段私が家の中で履いてるのは飛行機の中で履くために買った100均のスリッパなのでそろそろぼろぼろになってきてた…。しかし、まぁここまで重宝するとは思わなかったよ。サンダルも持ってきて履いてたんだけど、バーバに「ノイジー シューズを脱いできなさい」って言われるから、「快適な靴」を求めに出たのです。今時は日本からの修学旅行生が着てるのね。家に戻り今日は夕方からバーバとの約束が。ビーチに行くと言う約束。なんといっても今日は暑かった…。しかし暑いなぁ~って思っていたけどまさか「37℃」もあったとは思わなかった!!バーバもびっくりして何回も37℃と繰り返していた。「まだ季節は春なのよ?夏ではないのに…37℃って!!」37℃なんていったら北海道だったらニュースになってるよね。でも、日本の風と違って、(特に東京や大阪とかの)乾燥しているから「うだるような暑さ」ではないんだよね。ビーチでは今日、ラジオの公開生放送をやっていて沢山の人がいる中それは行われていた。私たちはその放送を聞きに来たんだけどね。何を隠そう、そのDJって言うのかキャスターは、我が家のデリクなので。ちょっと誇らしい気持ちになったねぇ笑。シンガーが生で演奏したりイベントも盛りだくさんだったけど、「彼って有名なの?」って聞いちゃうレベルでして…星の博士みたいな人もゲストで着てて、簡単な挨拶を交わした。さすが「すべての星を知り尽くした男」と言うだけあって暇さえあれば双眼鏡で星を覗いたり、人に星の話をしていた。ディレクターらしき人がデリクにPCを使って凄い速さで指示や状況を打ち込む。そんな裏方を見ることってなかなか出来ないから、興味深かった。8時とか、9時段階でも「現在の気温まだ32℃…」なんて事も書かれているしね。こういうことをデリクは仕事でしょっちゅうやるのかと聞くと年に数回と言うことなので、今日は特別だったようだ。そんな日に見に来られて良かったなぁとは思ったけど、ここからが大変。後片付けをスタッフと混ざって私も一緒に手伝ったんだ。4時間ほどにわたるそのラジオ番組のために沢山の機材が持ち込まれていたから。人は私のことを「アジアから来た女の子のAD」だと思ったんだろうな~。ちなみにその頃、バーバにヨンは今何やってんの?と聞くと彼は今日も教会に行っているようで。本当熱心だよ。金土日はびっちり教会に行ってるらしい。バーバは彼にもっと遊んで楽しんで欲しいみたいだけど。バーバが無宗教だからそう思うんだろうね。オーストラリアはキリスト教徒がやっぱり多いから、私以外キリスト教だとしたら、私も教会に行くように言われたかもしれないよね。そんなこんなで家に戻ったのは12時半を回ってから。本当疲れました。乾燥した風はいいけど、お陰で髪がバリバリ…明日は35℃だそうです。今日よりは涼しいようだ…。何しようかな~ヨンはすでに寝ていたけど、部屋の電気がついていたので、バーバが消しに行った。私はドアの入り口でそれを見守る。暑いので上半身は裸のようだけど、その下は例のぱんつかしら笑??ヨンさんよぉ~気をつけた方が良いわよ!!ちなみに私はさすがに下着は外に干さず自分の部屋のウォークインクロゼットに干していますから。
2004.11.26
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メルボルンのホストファミリーはビジネスライクな人が多いと聞いたけど、ここはそうではないようで…いつも「明日は何をする予定?」と必ず聞かれる。私は日本でのハードな仕事の日々、喧騒を逃れて、ここ、オーストラリアへやってきたので、今はまだのんびりしたい気もある。街に行っていろいろ見たりするのももう出来るし、これからゆっくり行動範囲を広げて行きたいと思っている。「特に、明日の予定は何も」と昨日バーバラに言うと、彼女が「フェイシャルマッサージに行くから一緒に行かないか」と提案。それも15ドル1200円ととってもお安いので行くことに。気を使ってくれてるんだよね~。私はこっちに来て5日。学校は月曜から始まるので、まだ友達もいないでしょ。だから一人で寂しいんじゃないかって。でも基本的に一人好きなのよ。だから気にしなくてもいいのに。なんでも一人で出来るし。気を使う相手と一緒に居るくらいなら、一人でいたほうがいいって事が私は多いから。でも、そんなこと英語で伝えるのは難しい。日本語でもなんかきつくなりそうな言葉だし、英語だったらどういえばいいんだろうね。なので、今日は朝からバーバと二人で行ってきた訳。しかし、なんと、私の名前が予約されておらず…。さすがオージーだね。「でも、まー何とかするわ」とカウンターの女性に言われて(なんか食ってるしね。とにかく物食いながら仕事してる人多い!)とりあえず上の階へ。アジアのエステティシャン(おそらくチャイニーズ)に2時間かけてじっくりやってもらったけど…実際こんな本格的なマッサージは初めてでして…。肌のカウンセリングもしてもらったことがない私。ちゃんと聞きたいのに、初めてが英語での説明なんて…。とにかく「肌は美しい。でも、オイリー」と言われました。仕方ないよ。日本人典型の混合肌なので…。「強かったら言ってください」と言って二本の棒をあごに押し付けられた。「これは痛い?」「ノー」「これだったら?」「…ノー」とやり取りを何度かして、棒を顔に這わせる。そんな棒くらい痛くないよ、と思っていたら突然ビリビリ!!ときた。電気を当てられていたらしい…。英語が分からないって恐ろしいね。電極の強さを下げてもらいました…。すべてが終わり、バーバラと通りを歩いていると、彼女が「そういえば、お金を払った?」と私に聞いた。ブッキングのトラブルで、私は何がなんだか分からず、バーバラが支払っていたのは確かに一人分だけど、私は結局請求されなかったので、私の聞き間違いで、バーバラは2人で15ドルと言ったんだろうと考え始めていたところだった。「え、払っていないよ」というと彼女は手をたたいて喜んだ「やったね!」と。「やっぱり向こうの間違いだったの?」というと「トラブルでごちゃごちゃしたから、分からなくなったんでしょう」「私ってラッキーね!」「本当ね」なんていいながら街を歩いた。その後バーバラと超でかいクイーンズマーケットに行ってナンを買ってもらった。でかいのね。それも。その後バーバは更にボディーマッサージに行くということで、そこで分かれた。私は日本にいる友人もってぃに電話する。昨日彼女に電話したら留守電だったので、母親にかけた。今日はモッティも休みでよかった。日本との時差を考えてまだ寝てるかなって思ったんだけど。しばらく話していると、私の後ろに人が並んだので、電話を置いた。すると、現地の人に、公衆電話の使い方を聞かれた。でも、私もコインでかけるやり方がイマイチわからず、いつも40セントづつ損してきた。一緒にやってみたけどつながらず、「私はカードでかけたのでわかりません」と言って分かれました。マーケットで靴を見てると「これの小さいサイズある?」と聞かれた。え~???!!!すっかり店員だと思われてる…。テンパる私。「Im not a…」まで言うと「ここの店員じゃないの?あらごめんなさい!」と言われた。店で支払うのもどきどきなのに、すごい勢いで私が当然英語を話すと思われてると、話せなくなる!それは仕方ないよね…だったまだ5日だもん…と自分を慰める。バーバラとデリクは私の英語の上達が早いといつも言ってくれる。私はそうは思わないんだけど…という。「でも、初日に昨日はよく寝られた?と聞いたらその時はイエスとしか言わなかったのに、次の日に聞くと、イエスの他にも、リフレッシュしたわって言ったじゃない。あなたはすぐに話せるようになるわ」ってね。買いかぶり過ぎだし、毎日聞かれる「Did you sleep well?」に「Yeah, I slept well」と答えた上、まだ何か違うことを言わなくてはいけないような、期待にこたえなくてはいけないような密かなプレッシャーを感じるときもある。なかなか難しいよ。一向に耳が慣れた気配も感じないし。相変わらず私の理解は「LITTE BIT」です…。昨日の夜はバーバと二人でタイ料理を食べに行った。オーストラリアの米は、NOT BAD。でもタイ米は私のセレブな口にはどうも合わない…。一緒に住んでるヨンは昨日も体調が悪く家にいることを選んだ。私たちが行ったそのお店は彼のお気に入りの店…行きたいけど行けない彼は「oh~no~」と切ない声を出す。私とバーバ彼を「なんて可愛そうな男の子なんでしょう!」といって撫でた。そんなPOOR BOYは私たちを玄関まで見送ってくれた。食事が終わり家に入る前にバーバと、ヨンになんて言うか打ち合わせをする。「分かってるでしょ?こういうのよ、‘OH~’」と、どれだけ素敵な食事だったかを、自慢すると言う打ち合わせ笑。
2004.11.25
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ヨン様こと、韓国留学生のヨンのことを今日は書きます。まずはじめに、私は意志の疎通もよく出来ない相手を好きになるとことはよく分からないと思ってきた。言葉が通じないなんて、どうやってその人を好きになることが出来るの?と。でも、ヨンとはお互い不自由な言葉で話しているけど、彼を可愛いなって思ったりもする私がいる事に気がついた。言葉ってあんまり関係ないんだなぁ~って。その人のやっぱり性格だったり、お互いのフィーリングだったり。昨日彼は病院に行ってきたのだと言って帰ってきた。腹痛らしくて、原因は分からないんだけど、おそらくストレスだろうと医者に言われたそうで…。私はヨンがバーバラに説明しているのを黙って横で聞いていた。「学校がストレスなの?」と言う質問に彼は「両親からのるプレッシャーだと思う」と言っていた。彼は私と違い正規留学だから、これから進学したり、そういうことも考えて一生懸命勉強しなくちゃいけない。お金を出してるのは親だろうし。私は自分で働いて、何かを見つけにここまでやってきたから、親のプレッシャーはないしね。逆に「無理せずにだめなら帰っておいで」って言うくらいだし。なんか、つらそうなヨンを見ていると、撫でてあげたくなってしまう、私の母性本能。彼はよる私のところへ必ず「なにやってるのか」と言って来る。話したいことは山ほどあるけど、なかなか話せないのがフラストレーション。でも昨日はかなり色んな話をした。韓国では成人男性は軍隊に入らなくてはいけないでしょ。どんなものなのか、私はよく知らなかったけど、彼は今年出たばかりだから相変わらず早起きみたい。ステイ先は無宗教だけど、彼はクリスチャンで、殆どいつも教会に行ってるらしい。それだって、私にとっては新鮮だし。彼はとってもシャイな男の子だから、そうやって毎日私の部屋に来る事だって、なんか意外なんだけど、必ず来て私の机の上を眺めたりする。「あー。これは なんですか?」と日本語で聞いてくる。昨日の晩はいったい何時間くらい一緒に居たか…。昨日は私が韓国語を彼から習った。私の知ってる韓国語は簡単なあいさつと「ぺガマニアッパヨ」(お腹が痛いです)という言葉。意味通じる?ときいてみたら「あー」と言ってちょっとにやりとしていた。誰に習ったのか、そんな言葉と言うことを言っていた。これは韓国へ行く時のガイドブックに載っていた言葉で妙に仲間内ではその言葉を覚えて使っていたから。後は「ケシミアン セタヌン イスムニカ?」と言ってみた。カシミアのセーターはありますか?と。全然関係ないけど。通じなかった。カシミアも、セーターも。何たることか。でも、韓国には日本人を嫌いな人は多いと聞いている。でも、彼はそうでないようなので安心した。夜も大分更け、それじゃ、寝るかと言って分かれた。「ぐっなーい」「すうぃーとどりーむ」なんていって、しっかり挨拶も済ませた。が、しかし、すぐに私が着替えていると、再びドアのノックが…「言いたいことがあったんだけど…」わたしが「も?」(韓国語で、何?の意)というと「忘れたから次でいいや」「重要なことなの?」「いや、日本語のこと」なんだ、そんなことでわざわざ来たの?!もう一度挨拶のやり直しをして、私はベッドに入り本を読もうとしたら、再びノックが!!!「あー。チキショウ は なんですか?」と日本語でいってきた。あまり奇麗な言葉でないことを説明し、再び彼を中へ促しお喋りタイム…。寝付けないの?と言いながら、ちょっと可愛かったりする、やっぱり母性本能 笑彼について質問はないか聞かれたときに「ガールフレンドはいるの?」と聞いてみた笑。シャイな彼にちょっと意地悪な質問かなとは思いながら~「沢山いるよ。ただの ガールフレンドは」と強調してきた。「ガールフレンドと恋人は違うからね」とまでいってきやがった。「じゃぁ恋人はいるの?」と間髪いれずに聞いたらはにかみ「No」と答えた。「これって重要な質問でしょ?」と私が言うと、「何で?」と言うところが、彼らしく、とってもくすぐったい~~!!おそらく韓国人男性がそうなのかは分からないけど、彼はシャイで、プライドが高い。自分のことを聞かれたり、話したりするのが実は好きなんだと思うね。私のイメージする韓国人男性の典型な気がします。顔立ちも韓国人って感じだしね。目が細くって笑彼がサングラスを持ってないと言うから、もし使うなら私の使っていいよというと、「バーバラにも、出かける時サングラスをかけたほうがいいよと言われた。でも、自分の目は小さいので、日に当たってもダメージを受けないのだと話したら、バーバラも納得してそれ以来言わなくなった」といったのを聞いて、私も妙に納得してしまいました。今日もヨン様は渡井のところへ何するんでもなくやってくるのでしょうか?
2004.11.24
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ここ数日、外国だなぁ~と感じることがある。バーバラが鼻歌を歌いながらお菓子を作っていたり、デリクが遅く帰ってくると、二人で庭に出て仲良くお酒を飲みながら語っていたりするのを見る。韓国人の留学生のヨン様も何食わぬ顔でDVDの鑑賞。違和感はないんだけど、これは日本ではないことだと思う。今日は建物を見たいと言う私の要望にお勧めしてくれた、築150周年の図書館へ午後から一人で行ってきた。でかいねぇ。やっぱりスケールが違うわ。芝生でみんな日向ぼっこしてる。いちゃついてるしね。外国だわ。後私が感じた外国は…オーストラリア入りしてから、4日。気やすく声をかける輩が多いのも、ならではでしょう。一番最初に「SHI IS COOL!HA HA」ってすれ違った男に言われたのはなんとなく馬鹿にされたようでむっとした。ツンとしてやった。街を歩いてるとHI!とかHELLO!とか当たり前に声かけられるでしょ?一人、車から「ニーハオ!」と黒人男性。中国人じゃないんですが…。でも、今さっき家に戻ってくる途中に、「HEY!BABY!」と言われてそっちを向いたら「WOOO!!!!YEAHHHHH!!!」と… ハハハ…外国ですねぇ。初めてベイビーなんていわれたよ。
2004.11.23
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今日はバーバラとトラムに乗ってシティの銀行で口座を作って来た。口座なんて簡単に作れるよなんて話を聞いていたけど全然…。バーバラ居なかったらどうなっていたかねぇ。窓口の人が説明してくれる英語をバーバラが私にもう一度説明してくれる。それでも私の理解は「LITTLE BIT」。困ったもんだよ。でも、なんとなく理解して、2,3日でカードが届くのでOK。その後は留学のエージェントのところへ行き、学校を決めるための資料を出してもらった。一箇所は私が日本にいるときから目をつけていた、安くて、日本人の少ない学校。んで、もう一つ紹介されたのは普段は高いけど、今授業料は安くなっていて、日本人の多い学校。日本人の率って結構みんな重視してるもので、私もそうかなって思っていたけど、バーバラは日本人が多いほうが絶対良いという。日本人の少ない学校はその国同士で固まってしまうらしくて、やっぱりどうしても孤立するらしいし…実際、今ホームステイしていて、十分英語漬けの日常を送っている。学校で日本人の友達が出来たからといってかまわないと、3日目にして思ってる。1ヶ所目に行ったのは私の行こうとしていた学校で、そこには日本語が通じるスタッフが居なかったのでバーバラが付き添ってくれた。それだけでもありがたいことだし、実際留学センターまで付き合ってくれただけでもありがたかった。その後、次の学校まで一緒に来てくれて、何度も帰り道の駅や、通りの名前を確認して、別れた。一人でランチをして、その学校に行かなければいけない。次は日本人スタッフが居るので、行けば安心だ。でも、私一人でこっちに来て買い物をしたことがない!昨日なんて、コインがそれぞれいくらなのか分からず、「MORE MORE」と言われてんぱってたくらい。でも、コインは昨日の晩勉強したのでばっちり。肩慣らしにマクドナルドで食べることにした。それだって、何回行ってることを聞き直したか…「Sorry?」ってね。でも無事に食事して、いざ学校へ向かう。と、エレベーターに乗ったら、別れて30分がたつバーバラが乗っていた!「時間があったから戻ってきちゃったわ」と。なんていい人なんでしょう…一緒にランチをしようと言いに振り返ったけど、私はとっくに歩いていってしまって…と言っていた。そこで、一緒に学校に入ったけど、案内してくれた女性がバーバに「チェックテストがあるので」と言って結局彼女は帰っていった。その日本人女性は関西のノリで話しやすい。日本語を話せる安心感てやっぱり大きいわ。普段早口の私が、英語になると当然そうも行かないから。彼女は私とバーバの会話を聞いていて「英語をやってた?」ときいた。もちろん私は「いいえ」と答える。英語科だったことは恥ずかしく言えないとずっと思ってきたから…でも彼女は時々私の英語力をチェックしながら「うーん…これは良いかも知れない!久々にハイレベルな日本人だわ」という。まじかよ…大体ここの学校自体がオーストラリアの中で等級が一番高いところに位置していて、ここでの中級が、他の学校で言う上級になってしまうんだそう。テストを受け、学校のボスとあってインタビューを受けた。レベル4は日常会話に事欠かない程度の英語力。地元で働ける程度。レベル5は時事問題なんかを自ら話したり出来るほどの語彙力。レベル6はネイティブ並みというところで、私はレベル4に近いレベル3にクラス分けされた。更に5週間でレベル4にあがるカリキュラムが組まれた…日本人はたったの2人…後のほとんどはレベル2だそうです。正直、着いていけるのか心配です。このクラスに入ったのは私が物怖じしないと言うことと、発音ができていると言うことと、声が大きいと言う理由から、頑張れば伸びると言うことだそうで。有難いんだか何なんだか…来週の月曜からスタートです。何はともあれ、そこの女性も言っていたけど、今まで5000人位の人をカウンセリングしてきて、ホストマザーが一緒に見学まで来てくれたのなんて初めてなんだそう。私は恵まれてるよ、と言っていた。ちょっと高いんだけど、ネットも自由だし、家も奇麗だし、街まで簡単にいけるし、きっと良い所みたいです!
2004.11.22
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ホストファザーのデリクが日本語を使えるようにしてくれたので、書けるようになったよ!改めて、オーストラリア入りしたにゃんです。やっぱり旅って簡単にはいかないのよね。大阪で前職の同期だったK子に送ってもらい関空を出発。ちょっと時間ギリになってしまって焦ったけど、全然間に合った。だけど日本人の女の子が一人遅れて、結局飛行機を30分止めたわけ。ブリスベーンからメルボルンへ乗り換える時間が2時間弱と、これもぎりぎりだったのに、荷物を受け取ったのがすでに一時間を切っていて、結局乗れなかったの…次の便に変更してもらった。私は黙って聞いていただけで、口を出すほど英語を話せないのは困ったもんだ。でも特に焦ることもなく、落ち着いてメルボルンへ到着。出発前に遅れる旨エージェントに電話してみたけど、初めてで全然違うところにかけてしまって、怖じ気付き、諦めた。タクシー乗ってステイ先へ到着。イラン人だというタクシードライバーはやけに親しげで、明らかに日本人の私をカモろうとしていて、実際カモられたんだと思うけど、反論するほど英語をしゃべられないのって、悔しい。多分10ドルくらい。約850円くらいかな。着いてすぐにバーべキュー。その後ドッグランのための公園へ。自宅を出て36時間。数時間の睡眠を飛行機の中でとったけど、疲れたー。飛行機に乗っていた時間は合計で14時間ほどだったけど…んで今日は午前中から海に行って、午後からデリクと携帯を買いに行って来た。約8000円の一番安いタイプのもの。もちろんEメールも写メールもない。帰ってきてすることもないので一人で近所を散策して来ました。歩いて五分くらいで結構都会になるの。札幌で言うところの豊平区を散策した感じかな。全然大きくて規模が違うけど。この辺で一人歩きがだめなような危険なところはある?と聞いてみたら、「たまに酔っ払いがいるくらいで、大抵は安全だよ」といってたんだけど、そのとおりのようです。かなり歩きつかれて家に戻ったら「レッスンだ」っていって、電車に乗る練習。多分簡単。デリクと電車で街まで行ってトラムと言う市電のようなもので帰って来た。両方家の近所に駅があって便利。メルボルンの街の中を車で海の帰り走ったけど、すごいきれい!「着てよかったー」って思った瞬間。私の見たのはオーストラリアの一部で、メルボルンの一部で、ZONE1の一部で、CITYの一部でしかないと思ったら、すごい興奮してきた!昨日実際家に着いてホストファミリーと過ごしたけど他にする事がなかったらどうしよう…一年も…って思ったけど、トラムにも乗れるようになったら、全然飽きない気がします。ステイ先のpcが日本語使えるって便利だわ。まめに書きます!
2004.11.21
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今日は、これから(今は午前11時)大学時代の仲間と集まってランチタイム。もってぃと、Mりんと、久々に再会したYりと。M季は仕事でこられない。あまり来る気がないようにも思える。いつもそう言うから、今回は早めに計画を立てて、1ヶ月も前から言ってたのに、結局自分は抜かしてくれという。別にいいけど。でも、こうやってみんなで集まる機会ってもう無いのに。私は後二日もすれば豪州だし、Mりんは旦那の転職で年明けか年内には道外へ行ってしまう。夫婦共に北海道出身でなければ、再び北海道に戻ってくるって事はまず無いのが常だし…。私が戻る頃にはもってぃだってUSAへ行くような感じになってる。私もあわよくば、もう一年、違う国での生活を…とも思ってる。こうやって集まるのって、もってぃやMりんとはたまに会うけど、Yり交えるのは、彼女が大学をやめてしまった3年生の夏以来かな。もう4年も経って皆変ってしまっただろうか。私自身は変ったと思う。だって、海外での生活なんて、英語を勉強していても、考えたこと無かった。海外で生活したいから英語を勉強してたわけでもないし、「K野サンに会ったから」という一つのキーワードだけでのと号になっちゃったから。だから、今思うと、少しでも英語を勉強してて良かったなって思う。ただそれだけ。キーワードが一緒なら、私が大学まで英語を勉強してなかったとしても、無知のまま行ってたかも知れないしね。人生って何があるか分からない。1年前の今頃なんて、別にまだ仕事を辞めようとも思ってなかったし。若い夫婦の新築の契約に奔走していた頃だったな。「やっぱりうちは、無理だわぁ~」なんてご主人に解約の話されたりして、あわわわしてたのを覚えている。必死だったもん。でも、この頃は楽しかったようにも思えるなぁ~。ちょっとの間は順調だったから。でも、12月に入って真剣に考え始めるんだけどね。上司とのそりの合わなさが浮き彫りになって。溝が崖になり始めたから。旅行資金の準備。銀行口座の管理。妹への渡航中の依頼書。生命保険の切り替え。荷作り。時間の確認。もうそろった。明日はのんびり日本を満喫して、明後日飛び立ちます。
2004.11.17
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今日もカフェから。色々と準備がまだ残っているので札幌駅へ来ました。昨日の夜は日本では最後と、元彼のTとあった。妹の家だと意外と近くなる。8時半ごろメールがありお誘い。「10時頃行く」と伝えたんだけど「もっと早くこれないの?」と彼。女の子にはそれなりの準備がある訳でさ…とりあえず9時半には行く様にするよと伝え準備。妹から借りた自転車が錆びていて開けることが出来ず諦めて徒歩で向った。夜遅く一人歩きが出来るのは日本だと言う安心感からなんだよなぁ~なんて思いながら。相変わらず男の一人暮らしの部屋は汚い。私が彼女だったら「もう~私がいなきゃ何にも出来ないんだからぁ~」とか何と言って片付けてやるけど、私はやつの彼女でもなんでもないからそんなことする気は全く無い。されても困るだろうしね。早く来いって言った割りには二人でミッションインポシブルを見て、ヤツは、バンドのHPで日記の書き込みをしなくちゃいけないとせっせとへたくそな文章を綴っていた(あ、人の事言えなかった!)彼のバンドは今年の3月にデビューして、北海道内では順調にライブ活動などしている。私は一度も見たこと無かったけど…。彼のバンドの着歌が出来たと、たまたま私の携帯にお気に入りに登録してあったサイトだったので、すぐにダウンロード。何か、頑張ってるじゃんと感心。最近私がはまっているのは【THEイナズマ戦隊】で、持ち歩くCDは彼らのものだけになっている日常。彼らは北海道の酪農大学出身で、4人中メンバーは大阪の堺市出身だから、道産子バンドとは言えないんだけど、それを知ったら余計応援したくなった。Tと対バンしたこと無いか聞いてみたところ、無かった。何だよ~無いのかよー。見には行ってたらしいけど…。ヤツの所からは夜中帰ってきた。妹に「朝にはならないと思う」といって出て来たし、帰る準備をしている私に「なんだ、泊まっていかないの?」と言われたからこそ帰ってきた。付き合ってるときは私が彼をとても好きで、いつも彼の機嫌ばかり伺って、彼の言うとおりに何でもしてきた。今はもう別れて何年も経って、やっと対等の立場になって、彼の言う言葉に自分の意思で返事をすることができるようになったから、それが心地いいから。敢えて「いや、帰るよ」と言える事がちょっと嬉しかったりもするんだ。彼には何も求めてないしね。願うことは早く有名になって、私の自慢になって欲しいいうことかなっ。銀行に行ってトラベラーズチェック(旅行者用の小切手)を作りにいこうと思ったんだけど、お金を下ろし損ね今日は出来なくなってしまった…。もう3時だし。ちょっと、びっくりなんだけどオーストラリアドルが上がっている様で…1ドル80円の計算で色々計画してたのに、なんだか93円位になってるっぽい…。ちょっと~困るよ~…。
2004.11.15
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昨日、12泊13日の実家生活を終え、再びわが町札幌へ舞い戻ってまいりました。日本の北端に位置する故郷は強い風が吹きすさみ、更に荒んだ過疎化の進む私の故郷はより寂しさを物語る中、見送りに来てくれた母の顔の笑顔は心なしか寂しそうに見えたものです。私の札幌での滞在を、快く歓迎してくれない妹も、仲が悪いわけではないので、着いたら着いたで、夜遅くまでしゃべり続けていました。私の出国の準備を手伝うわけでもなく、ベッドの上から高見の見物。私のあげたパジャマを着て。(このパジャマ、妹の彼氏は「俺の前ではそれを着るな」というほど気に食わないそうで…彼氏のいない時だけ着てるんだそう。どれほど嫌われてるのよ、私のパジャマ。)結局、妹は朝もぜんぜん起きず、一緒に買い物へ行く予定がかなり押した。お昼に大通りに出てまずはランチ。大学時代の仲良しだったYりっこが働くレストランへ。彼女が3年生のときに大学を辞めてしまってから、4年くらいが経つけど、その間に会ったのは2回くらい。彼女の誕生日にメールをしたら、もう使われていなくなってしまったから…。学校を卒業して、仲が良かった友達とも、社会人になるとなかなか会えないのは確かよね。きちんと連絡をまめに取り合わないと、離れがちになってしまう。特に彼女は学生の頃から離れてしまったから。イイ子だから仲良くしていたかったんだけど…今日妹とお店へ行って、彼女に豪州行きのことを話した。店内も込み合ってて全然話もできなかったけど、買い物途中知らないメアドからメールが。Yりっこだった。私のメアドは彼女の元には残っていたのね。彼女とまた連絡が取れることが嬉しい日となりました。妹と別れて私はまつげパーマのお店へ。試験の間3ヶ月は女を捨て勉強に集中していたから、パーマが取れていても我慢した。その後かけにも行けたんだけど中途半端な時期になってしまうので今日まで我慢してきました。向こうではもうかけられないかもしれないし、最後と思って。徐々に準備がそろっていく。昨日、バスで札幌に戻ったとき、父からメールが来た。年に何度かしかしないメール。父親の超へたくそな文章が、それでも、やっぱり父親なんだなと思わされた。「にゃんが帰った後、あしゃん(愛犬)が玄関の所でずっと鳴いていたよ」あしゃんとももう1年は会えないのかと思うと寂しくなる。「大人として人に迷惑をかけないように。無事に帰ってくるのを楽しみにしてるよ」という事が書かれていた。父は私が仕事を辞めてまで決意した豪州行きをまったく反対しなかった。「向こうの人と知り合って、結婚とかになったらどうする?因みにママ駄目って言うんだけど」と父に話したら。それも「誰と結婚しようと反対はしない。周りがどうこう言っても本人が決めた事に反対したって意味ないしね」って。ちょっとびっくり。「ママとパパも結婚反対されたの?」「そりゃぁ、多少はあったさ」因みに兄は「いいんじゃねーの?そして、俺に女の子を紹介してくれ」だって。最近外人女性に興味を持ち始めたらしい…。「お前は英語が話せないだろう」と、父。「そうなったらやるよ。俺は、意外とやれば出来る子なんだぞ」と威張っていた。やれば出来るっていくら言っても、やらなかったらそれは出来ないのと同じことだからね~。やっぱり、行動力が伴わなきゃね。
2004.11.13
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今日が実家で過ごす最後の朝です。何も変わらないけどね。今回の滞在は、高校を卒業して、札幌に出てきて以来一番の長期滞在になったけど、あっという間に過ぎていった。前はもう、自分の家に帰りたくて帰りたくて仕方なかったけど、今回は、寝床も自分の使っていたものだったのもあったのは勿論、もう帰るべき、自分の家がないから、そんな気持ちにはならなかったんだと思う。ホームシックになるホームがないから、帰りたいにも帰る場所がないもんね。後出発まで3時間弱。母にピアスをあげた。「はい。形見ね」「本当に形見にならないように気をつけなさいよ」といわれた。今日は父が休みで、今、用事足しから帰ってきた。機嫌が悪いようで…。私が自分の使ったバイクを昨日のうちに片付けなかったから怒っている様子。昨日はバイクを使う予定でいたんだけど、どうしても具合が悪くて起きることが出来なかったんだ。大雨に降られ、びしょびしょ。「錆びたってしらねぇからな」とブツブツ文句をいっている。「分かった分かった」と私は軽く流しながら、実家を出る支度を黙々と進める。《機嫌悪いまま実家を出て、オーストラリアに出発する。万が一私が無事に帰国できなかったとき、父は娘との最後の会話が怒っていたものであると悲しいだろうなぁ》と私は考えていた。何だかんだと文句をいいながらも重たいバイクを物置にしまうのを手伝ってくれた。でもやっぱり機嫌は悪い。母は横で犬を抱いたまま機嫌の悪い父を見ている。バイクを高いところに上げるとき、父が私に指示をした。「お前はケツを持て」そりゃもう怒ってる感じさ。だから私は黙って父の「おしり」を持って上にあげてみた。怒ってる顔がちょっとだけニヤッとしていた(笑)「あんたはほんとに…馬鹿じゃないの」と母が横で笑っていたわ。私との最期を思い出すときが怒っていたときより「馬鹿なお調子者の娘がいたなぁ」と言う方がよっぽど良いだろう。では実家とはしばしのお別れ。http://pksp.jp/liplip/では日記をVOL1で再び携帯から更新しま~す。
2004.11.12
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VOL1にも綴った高校時代、お互いを親友と言い合った友人M。それがちょっとした仲たがい、と意地の張り合いで絶交状態になってしまった彼女との事。今日初めて彼女のお墓参りに行ってきた。前日はかなり雨が遅くまで降っていたのに、朝になると空は晴れ上がっていた。バイクだと行けないかも…と思っていたけど、晴れてくれたので、ツーリング日和となった。友達に教えてもらった彼女の眠る場所へと向かう。途中で供えるお花と彼女の好きだったお菓子を買った。お店で「仏壇用のお花?」と聞かれ、実際はそうだけど、菊の花とかを供えたくなくて、もっと綺麗なお花を供えたかったから、トルコ桔梗などで綺麗に作ってもらった。「実家の?」なんて聞かれて、いちいち「友達の…」なんて応える気もなくって「えぇ…まぁ…」なんつってね。たまたま高校生のときにバイトしてたお店だっただけに余計にちょっと面倒で。霊園の場所は聞いていたけど、お墓の場所までは聞いてなかった。一つ一つ見て探すつもりだった。でも、直ぐに見つかった。胸が詰まる…。周りの掃除をし、雨水のたまった花瓶を洗い、私の持ってきた花を供えた。そして墓石の前に立ち、手をあわせると、昔年の想いに涙が出てくる。ここまで来るのに、長い年月が経ってしまった。《来るのが遅くなってごめんね…》そうつぶやくことで精一杯だった。横の墓誌には彼女の名前が刻まれている。「享年17歳」生きていたら、先日25歳になったばかりのM。折角、距離を隔てても、仲直りしたのにその後直ぐに逝ってしまった。私が来るのを待っていてくれただろうか?それとも、ひどい奴と怒っていただろうか?今は、彼女が見ることの出来なかった将来を、私は彼女の分も、前向きに、強くたくましく生きて行きたいと思う。彼女も天から応援してくれてると良いんだけど…。
2004.11.09
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土曜日にホストファミリーにやっとこメールを出した。挨拶と、私の写真を添付して。しかし、まぁなんですなぁ。英語って難しい。ホストファミリーは決まったの早かったのに、結局メールするの遅くなったのは、英文を作るのから逃げていたからなのよね。大体私が書いた文が通じてるかわからないしね。でも返事がくるのは楽しみです。さて。5月に実務上の仕事を終えて私は『自由人』になったけどそれから、半年が経ちました。あっという間だった。宅建の勉強と言う目的が3ヶ月ほど間に挟んだし、バイトもしたりしたから、何かしてた気にはなるけど、でも、だらだらと6ヶ月してたような気にもなる。働いていた頃は毎日が長くてねぇ~。半年って言ったら…毎週金曜の進捗会議で「来週迄にはアポをとって…来月は頑張ります…」なんて言い訳を20回以上しなきゃいけないことになる。そして「アポだけじゃ契約ならねぇぞ!毎回同じ事ばっかり言ってんじゃねぇ!」って大ボスに怒られてたんだろうなぁ。無駄に過ごそうと思えば簡単に時間て過ぎて行くんだって分かった。人生で今、一番贅沢な時間の使い方をしてると思うよ。もうこんな事は無理かもね~。とは言いながらも、私の人生設計はちょっとづつ狂い始めてるのは確か…。まず宅建の合格が危ない!これ一番ではないだろうか?1点の差で落ちる可能性かがかなり高い。8割くらい不合格になりそうな予感…(かなり高いじゃん)あとは、日本に残していくお金のこと。私の認識不足のせいだと思うんだけど、失業保険って3ヶ月待機の後の認定日で支給されるのはたったの1週間分で、私の計算では1か月分出ると思っていたところだったのでかなり予定が狂ってしまった…出発までに2か月分もらうつもりが5週間分になってしまった痛手は甚大です。精神的にも。帰ってきたらもう一年カナダへ…なんて夢は遠いかも。もし、何も見つけられなかったら、日本でおとなしく再就職する道を選ぶつもりでいたけど、それも宅建落ちてるんじゃ「帰国したらうちにおいで」と言ってくれる会社にも断られてしまう…。宅建取得が条件だったから…2社とも。もう一年宅建の勉強ってか?嗚呼そんなの嫌だ~…。でも、まぁ今悩んでも仕方ないんだよね。落ちてしまったものは私の頭の悪いせいだし。(でも心の隅では“何で今年は難しい問題の年なのよ!簡単な年なら絶対受かってた!”って思う気持ちもあるんだけど。)折角、今後の一生にあるか無いかの一年の旅なんだから、今は前向きに、済んだ事を悔やむよりも新しいものを見つける努力をして、だらだらせず過ごしたいなって改めて思う。1年なんかもあっという間だろうし。とはいっても、確実に年は食っていくしね。実家に帰ってくると「もう結婚してもいいんじゃない?」見たいな話が出てくるしね。全然そんなつもりは無いのに。
2004.11.08
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今回の実家での長期滞在は5月の滞在より快適に送れているその大きな理由としては札幌で使っていた自分のベッドのマットレスで寝られる快適さが挙げられる思う。随分違うものだよ。しかし、ここは私のスペースではない。もう何処にも私の本当の居場所は無くなってしまったから。それって長いこと独り身の私にとって、一番大切にしていたものだから(だから独りってこともあるんだと思うんだけど…違う?)実家に戻って1週間あまりがたって、かなりストレスになっているんだと思う。すごい勢いの本数で夢を見る。その中で最近は不思議な夢も多かった。私の妹が「除湿機がほしい」と言う夢を見た。何故除湿機?と思って朝起きたら私の母が、私に第一声で「除湿機欲しいんだけど、インターネットで探してくれない?」だった。「え…?」っと思ったけど、そんなこともあるだろうと思いほっておいた。でも、やはり気になって「私が起きる前に除湿機の話し誰かとしてた?」と聞いてみた。たまたま話し声がレム睡眠中(体は寝てて脳は起きてる状態)の私に聞こえてきたのかもしれないと思って。でもそれは無いと言う。これは不思議なことだ…。と母と話していた。その翌日の夢は私がお店に「ジバンシーのウルトラマリン下さい」と香水を買いに行く夢だった。朝起きたらテレビの上にウルトラマリンが…。私は兄がウルトラマリンを使っていることなんて知らなかった。普段はつけていなかっただろうし、休日で出かけるからちょっとしていっただけだと思うけど。でも、これは視覚による認識は無くても、私自身、思い入れのある香水だったから、それもレム睡眠に、その香りをかいだのかもしれない。でも、部屋も離れてるしなぁ…。その話も母と話し不思議だなぁなんて話をした。昨日の明け方の夢は…私は自分が号泣していることに気がついて目がさめた。ぼろぼろと涙が流れて、悲しい思いで胸がいっぱいになり起きずにはいられなかった。なんだったんだろう…次々に出されるアルファベットから連想される悲しい思い出に号泣していたらしい。それで何が連想されたのかは覚えていないんだけど。きっとこれもストレスなんだろうなと自己分析してみた。独りで泣く事もなくてそんな出来事もない。でも、確実に、渡航を控えて気持ちの中に思う事は色々あるはずだ。でもそんな心のゴリゴリを解消する術もなくて…それを涙を流すことで解消させようとしたんだろうなって思う。オーストラリアへ旅立つことに、今の私は全然迷いもなく、不安はあれど「何とかなるだろう」って思っている。そんなつもりでいたから、ちょっとショックだったかな…。ま、それだけ私も繊細な心を持ち合わせていると言う事なんだろうけど。その程度に思うようにしていた。でも、今日もまた泣いていたか、泣きそうになって目が覚めた。朝3時頃。母が台所で父と兄の弁当を作っているときに目が覚めたらしかった。夢の中で母が私にフィアンセの所へいっといでと声をかけた。私は、「そうだ…いかなきゃいけないんだ…」と思う。そんな私の躊躇を知ってか、母は「今ならまだ結婚を止めても良いんだよ。今ならまだ引き返せるよ」と言った。明らかに私はマリッジブルーになっていて、フィアンセの顔を思い出す。彼と私は、ダサくて、昔っぽいトレーナーをペアルックで着ちゃうようなバカップルらしかった(それは今思い出すとちょっと笑っちゃうけど)でも、本当に彼で良いのかな?って言う迷いがあって…。それでも彼はやさしい人だと思うし、私が結婚を止めると言っても、彼は私の気持ちを尊重してくれると言う確信もあった。それだけに辛くて私は結論を出せずにいた。私が泣いてしまったのはそういう辛さではなくて、母が「辞めても良いんだよ」って言った言葉だったんだと思う。結婚なんて今の私には相手もい泣けりゃまだまだする気もないから関係ないとして、この夢は日本を離れることに対する迷いなのかもしれないなぁ。もう出発まで2週間を切ったから、私が思うよりもずっと心はナーバスになっているんだろう。普段私はいつも強気でいる。そうやって人にも思われていると思うし。だから夢の中でしか素直になれないのかもしれない。強気でいる自分は弱い自分を隠すための詭弁でしかないのかもしれないなぁ。
2004.11.07
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私のギターの腕は練習と共に上達しているように思われる。と言うのは飽くまでも私自身の感想だけど。同時に、指先の痛みが何をしていても痛い…。やっぱり男の人と違って、指の皮が薄いのかもしれない。「何で指が痛くなるの?」と兄は言う。「でも、最初は痛かったんじゃないの?」と私が聞き返すと「痛くなかったし、俺は最初から弾けた」と、調子に乗った答えが返ってきた。兄は、あまりしゃべらないけど、しゃべると、馬鹿事ばかり言うなぁ~と思う。私はなるべくそれに返事をしないようにする。調子に乗るから。でも、折角喋ってる時くらいは返事をしてあげようという気にもなり、私の気持ちは複雑になる。「ドラゴンボールの実写の映画って、悟空は誰がやるんだっけ?まだ決まってないのかな?」なんて私が言うと「俺だ」って言う答えはまず、予想圏内。でも「いや、違う…」と勝手にキャスティングを妄想し始めた。「俺はベジータだな」と言い出し、昨日ちょうど我が家でホームパーティーみたいな事したもんで父の友人や親戚が集まっていたんだけど、その中のメンバーで構成を始めた。「G藤のおじさんがクリリンだ」(G藤のおじさんははげてるから…?)「H山のおじさんは魔人ブー」(体の大きいおじさんなので…って、おじさんは兄の上司でもあるんでないのかい?)そうやってくだらないことを喋り出したので「ハリウッド映画とは思えない貧祖キャスティングだね」と私が言って話が終わった。たまにそんな会話に付き合わされることがある。昨日、また一曲ギターで弾けるようになった。森山直太郎の「さくら 独唱」。もう、どうせ「聴いて」って言ったら昨日と同じ事になるから勝手にぽろろ~んって弾きながら歌ってたら「音出るようになったね」と言われた。私から求めると、逃げていくので、勝手にしておくのがいいのだろうと思う。実兄だけど、扱い方がいまだに分からない私です。しかし、昨日たくさん人が来たけど、ニュースの話や、私の渡豪の話になった。私は自分のことを、理解してもらおうとは思ってない。特にこんな場では話しても無駄だから。だから、「何でも好きに言ってろ」と思う事が多々ある。田舎から出たことのない酔っ払い親父たちが、海外の生活についてあーでもないこーでもないと言う。うちの父も酔っ払って好き勝手に言ってる。私は、はいはい、そうだねーって言って黙って聴いてる。「海外ではタクシーやバスなんか、乗り物に乗ったら絶対駄目なんだ!危険なんだ!」とかね。勿論危ないところもあるけど、乗り物に乗ったら駄目だ、何て言ってたら、生活出来ないっつーの。ただの旅行でなく、生活するのが目的なんだから。頭の堅い田舎もんが集まって、全く!
2004.11.05
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兄の許可を得たので、VOL2に書き込めることとなりました…。ほ。実家に戻って3日目の朝を迎えたけど、毎朝飼い犬のあしゃんがドアをしゃりしゃりする音で起こされるんだ。こちらと言うと、とっても穏かなもんで何もする事はない…稚内に行ったくらいで、後は特に何もしてない。ちょっと変わったことと言うと、札幌にいるときから兄におねがいしてたんだけどギターを始めた。兄はギターを始めてもう十数年経つし、その道に進もうとしていたくらいだからそれなりに弾けるので。もっと直ぐ出きると思ったけど、甘かったね。難しい…弦を抑える指がヒリヒリする…しかしながら努力の賜物で、「上を向いて歩こう」は一曲弾ける様になりましたよ。かなりゆっくりだけど。それで昨日の夜兄に聴かせようと思って部屋を訪れた私。自主練と違ってつっかかるものでさ、それでも私は最後まで聴かせようと頑張ってるのに兄は「もう、良いんじゃないか…」とつぶやき、私の演奏を止めようとする。「もう帰れってか?」って私が言うと「もう寝るから」と追い出した。「わかったよ。明日はもう一曲聴かせられるように練習しておくよ」「いや、別にいいわ…」聴けよー!
2004.11.04
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試験が終わってから、2週間。引越しの準備をしたり、渡豪の準備をしたり、いろんな方に見送ってもらったりあっという間だった。昨日、実家に到着し、庭に建てた5帖くらいのスペースのプレハブに荷物を収容し、ひとまず落ち着いたところ。兄がいない隙を狙って、勝手にパソコンを使って日記を書いているという感じ。今後もそうやってこそこそしなくちゃいけないかも知れないなぁ。香田証生さんが殺害されてしまった。私がそれを知ったのは、昨日の夕方。引越しのために、テレビは朝の7時の段階ではずされていて、移動中は私のCDにポータブルのスピーカをつなげて六時間ほどの車中を過ごして来たから…。私の家族はどっちかというと、地震のニュースの方を気にしている感じで…。ニュースを見ても地震が先のことも多いし…もちろん、被災者の方々は大変な思いをしていると思う。「でも、人が日本の代表として殺されたのにどうして…?」という思いは拭いされない。確かに、日本は何につけてもマスコミが騒ぎ立てすぎることが多いと思う。この人質事件にしても、騒いで問題を大いに大きくしてもらうことがアルカーウィの目的なのかもしれない。だから今回はマスコミも慎重になるように政府関係者から言われているのかな?とか思ってみたりするけど…それはない話だろうか?本当に彼の死は痛ましく、残念に思う。私は彼のことが他人事に思えないのだという事を割かし無関心な母に話した。でも相変わらず興味はなかったようだ。「海外に出てしまえば、いろんな人と会っていろんな影響を受ける。その殆どは自分の判断に委ねられて、止める人がいない生活になる中、いろんな好奇心の中で「あそこは大丈夫だったよ、安全だよ」と言われれば、私だって行ってしまうかもしれない」なんてことを話したけど母は「行かなきゃいいしょ」と一言、言っただけだった。もっとも、社会情勢について母と話そうなんて思う私が悪かったのかもしれないわ。引越しの手伝いに母がきて、お昼に帰り、翌日のお昼に父兄がきた。母が帰った日の夜もってぃが仕事を終えて遊びにきた。もうずいぶん遅くなってからだったけど。彼女とは幼稚園から一緒で地元も一緒だから、私が実家に戻ってるうちに帰省できるかもしれないようなので、 帰ってきてくれることを楽しみにしている。もってぃも帰宅し、一人になり、残りの作業はまだ残っているものの、早起きして始めることにし、もう休むことに。なんとなく感慨深いものがこみ上げる。この部屋に引っ越してきたのは13年12月。大学4年生で4月からの就職先も決まっており、あとは卒業を待つばかりの一番いい時期だった。部屋のグレードも多少上げて大満足だったし。その3年の間にこんなに状況が変化するなんて思ってもなかった。大体、大学を卒業することは“もう英語とは一生おさらばだー!”という解放感もあった訳だから…。それに高校卒業してからずっと一人暮らしをしてきて自分のスペースは確保できてきた中で、29日の夜は「これが自分の部屋で自分だけ過ごす最後の夜なんだ…」って感傷に浸った。翌日の朝は、父兄に片付いてない!と怒られない様にと7時に起きて作業開始と思っていたところが、おきたのは10時で思いっきり寝坊…。母から「もう二人とも向かってるよ」と言う連絡にあわわわわ…とは言いながらも、ぼぉ~っと外を見てみる。「最後の朝かぁ~…」寝坊してるのに、やっぱりマイペースなB型の私…。何はともあれ、ガスのおじさんと一悶着あったりもしたけど、ひとまず実家に戻りましたので、出発まで残り18日。英語の勉強もしたいと思います☆
2004.11.01
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