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犬派の私が野良猫の赤ちゃんを保護した。 乳離れをしていないので母猫を捕まえて一緒にしてあげなさいと獣医さんに言われ、母猫も捕獲。 突然猫を育てることとなった。 母猫、仔猫が五匹。未経験で野良ちゃんなので、怖いです。 それでも今日で四日目。母猫にはまだまだ威嚇されっぱなしだけど、子供たちは大きくなっている気がする。 でも今朝… 一番小さくても目が見えなくても活発に動き回っていた仔猫が逝ってしまった。 原因は多分親猫に踏まれ肺を損傷したのだろうとの事。 獣医さんは懸命に治療をしてくださった。 でも病院から帰宅してみると、もう動かなくなっていた。 野生ではこういうことやカラスの攻撃で、すべての仔猫が育つことはまずないらしい。 私が保護しなかったら、まだ生きていたかもしれない。 野良猫が増えすぎて、少々困っているので、保護して避妊去勢手術をしているのだが、こういうことがあると、自分が間違っているのではないかと不安になる。 亡くなったねこちゃんと一時間以上一緒にいるがまるで自分の赤ちゃんが静かに眠っているようだ。 愛情込めて、看護をしようと考えていただけに ショックは隠せない。 もう悲しい思いはしたくない。 皆元気に育って欲しい
April 16, 2012
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シルク・ド・ソレイユ、ゼットを観ました(^O^) ドキドキハラハラ楽しかったです(*^o^*) 今はディズニーランドでスペースマウンテンに乗るために並んでま~す(^^)v シルク・ド・ソレイユとディズニーで\15.000.-。(斜めの席) 娘と来ていますが、十分楽しめます☆ 皆さんもいかが?
November 28, 2011
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すっごい久しぶり!!笑っちゃうほど久しぶり。 震災以来、人間不信に陥り、そんな日々の中で仕事が忙しくなり、物資発送、ボランティア もストップ。「何かしなくちゃ」と言う思いだけがお頭をよぎり、日々に没頭していました。 そんな忙しい中で、頭を整理することができたかな?人は人、自分は自分。そして自分の性格も良くわかった。今はしばらく東北の方々との接触はやめようと決めた。頭の中が100%東北になってしまうから。不器用な人間で、右といったら右。左といったら左。融通が利かないのです。今でも目に焼きついている震災直後の惨状。ニュースは見れない。信用できないから。こんな私が東北に目を向けたら、きっと又暴走してしまう。 最近マラソンと言う名のジョギングを始めました。短距離の大会にも出てみたいと思っています。 今でも必死で戦っている方々、ごめんなさい。何もしない私を許してください。上手にがんばれない自分が情けないです。
November 12, 2011
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震災後結婚する人が増えているという。明日何が起こるかわからないので、大切な方と人生をともにしたいと思うのは当然です。 結婚をする人が増えていることはTVで知った。 そして離婚をする人が増えていることもまたTVで知った。震災後、震災についての考え方の違いが夫婦関係にひびを入れてしまった。震災支援のことでの意見の違いや何気ないはき捨てるようなことばが、互いの不信感を生み離婚の原因になっている。 かくゆう私もこのパターンで、いま家族に不信感を感じててしまっている。震災被害にあった人たちを支援したいと強く思っている自分とTVでしか情報を得ずにすべてを知ったように語り、何も行動を起こさない人とが分かり合えるにはどうしがら良いのだろうか?どんな言葉で説明をされても、どんな言い訳をされても、一度感じた不信感はぬぐえない。 そのためどういう風に付き合っていけばよいのかわからない。夫婦なんだから家族なんだから多少のすれ違いがあってもやり直すことはできる。しかし不信感を抱いてしまった場合ほんの少しのすれ違いが、お互いの意見を素直に聞き入れることができない。 だから少しのすれ違いも乗り越えられない気がする。どうしたらこの不信感を払拭すればよいのだろうか? 人を助けたいと思う事が自分を不幸にする。矛盾している。支援をする立場であの人間が元気でなければ、支援される方は迷惑であろう。できれば自分は心身ともに元気でいたいと思う・・・・。 多くの支援をしている方々に、疲労やこういった矛盾無理解と戦っている。みなの心が壊れないように上手く付き合って行くにはどうしたらよいのだろうか?
June 9, 2011
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【ご注意ください】販売価格は1円ではございません!!【見積もり】シモン/Simon 保護メガネ 深美眼 SE-21 スペクタクルタイプ 私は冬から眼鏡をかけている。近視・乱視・遠視・老眼と両方の目がそれぞれでいわゆる「がちゃ目」。運転するときにとても目が疲れるので、相談して作った眼鏡。今ではかけていたほうが楽である。中近眼鏡なので、横目で何かを見るときなど、視点が定まらずぼやけてしまうが、運転のときの不快感よりも楽なので、今ではこの点においては見づらくても無視。しっかりフレームなので、重く、鼻の両側にくっきりとあとがついてしまうが、レンズの特性上この眼鏡しか選べなかったのである(眼鏡屋さんが選んでいるときに痺れを切らして「これで良いのでは?」言った物で妥協をしてしまったとも言えるが...。)しっかりフレームゆえきちんとかけないと相手から目が見えない。下がってしまうと斜めになってしまうのも恥ずかしい。自分に関心を持たなくなってきた私にとって眼鏡をきちんとかけるというのは結構大変。接客のときは気をつけて眼鏡の位置を確認するようにしている。手で直すだけであるが・・・。 免許の更新に行くと視力検査をする。交通安全協会で書類を作成するときに、眼鏡をかけたまま写真を撮影をした。そして視力検査のとき眼鏡をかけたまま検査をした。するとおまわりさんが「今まで眼鏡をかけていないよね?」「冬からかけ始めました」「ではかけないで視力検査をしてみましょう」「あ?見えた」こんなやり取りがあった。視力検査は眼鏡をかけずにパス。目だけは良い自信があった私が眼鏡をかけずにいられなくなったけれど、免許証に「眼鏡使用」とは書かれなくてラッキー☆。きっと常にかけていなくても大丈夫なんだろうけれど格安眼鏡店で作ったはずがとても高い買い物になってしまったので、かけ続けてやる~~なんて。
June 7, 2011
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ついにインプラントの土台を埋め込みました。差し歯の土台の骨が裂けて膿むことが度々ありそれを治す事はできないと言われ、インプラントにすることに決めました。あれから8ヶ月 長かったけれど、骨の回復を待つにはちょうど良い時間でした。なぜなら膿んでしまった箇所は抜歯から4ヶ月経っても骨の回復が遅く土台を入れる前に鼻の横とあごの骨を削って土台の補強のために埋め込むという、移植手術を最初にしなければならないと言われていたからです。大掛かりな手術になることと顔がとても腫れるといわれていたので、この移植手術を怖く感じていました。 当初この移植手術は震災後の月曜日に行われる予定でしたが、JR東海道線は止まっておりこの近郊はパニックしていました。担当の先生も病院のたどり着くことができず、手術は延期となっていました。その後先生の転勤などもあり、抜歯からしっかり半年待つことになりました。5月歯のCTを取ると移植手術はしなくても大丈夫というお墨付きを頂き、それから準備をして今日無事手術ができました。 手術室で行われるので、緊張していましたが、部屋の中に入ると意外とTVを見ているかのような感覚にとらわれ、緊張は収まっていました(その前は遅刻してしまったことが、多少の緊張とあいまって、ドキドキしていたのですう)看護師さんと雑談をしているとSASの曲がかかりました。さすが茅ヶ崎!!お願いしてボリュームを大きくしてもらいました。始めは勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」「C調言葉にご用心」次は・・・麻酔が効いてきたため覚えていません。広い部屋に始めは看護師さんが一人と私だけだったので、少し寂しく思いましたが、先生方、ほかの看護師さん等5,6人入ってくるといかにも「手術」という感じがしてきました。 50分ぐらいして意識が戻ったときにはすっかり終わっていました。酸素補給用の鼻のチューブをテープで顔に貼り付けていたのですが、「はがします」と同時にベリッ!!思わず声を上げてしまいました。先生は「ごめんね~」といいながら残りの3枚もベリベリッとやっちゃってくれました。ムダ毛が取れたかしら??術後は少しベッドで休憩。まだかすかに麻酔が効いているので、30分ほど完全に眠ってしまいました。目覚めてボーとしていると針でさすような痛みがありました(いたいよ~)。すぐに痛み止めの薬を飲むようにいわれ帰宅しました。 やはり気が張っていたのかしら?帰宅後はぐっすり。起きて家事をする元気はありませんでしたが、代わりをしてくれる人もいないので、一時間以上かけて冷凍のキーマカレーを暖め!?かかったのよ~(^。^;)食事の支度をしました。 私の想像していたよりあっさり終わりましたが、残ったのは唇に当たる糸とボーっと情けない顔の中年。 一大イベントはこれにて終了☆
June 6, 2011
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人生にはさまざまな出来事が起こる。人生の後半に差し掛かった方の中にはさまざまな困難を乗り越えて、「辛かった事も今では良い思い出」という方がいる。さまざまな出来事がその方を強くしたのだろうか?乗り越えると言うことはそういうことなのだろうか? 今私はつらいことの真っ只中。何年か経ったら私もそのように思えるのだろうか?乗り越えられるのであろうか? 震災の被害者の方々も、今とても苦しい精神状態にあるであろう。この方たちもいずれこの震災を「思い出」として懐かしむことが出来るようになるのだろうか? では地震・津波に加えて、原発の被害にあっている人たちはどうなのだろうか?私はそうなれるとは思えない。原発事故によって、住むところだけでなく、町まで失った。正確には町を捨てなければならなかった。いくら原発を受け入れることによって、県民が優遇処置を受けていたとはいえ、地震・津波で家族・家・仕事を奪われ、原発事故によって町をうばれてることになってしまったのである。首都圏に電気を供給するために・・・政府の対応に腹も立っているだろう。憤りをどこにぶつけてよいのかわからず悔しい思いをしているだろう。この方たちの心にも「思い出」として残るのであろうが、どんな「思い出」になるのであろうか? そして原発事故といえば、放射能汚染。これは後世に何十年と被害を残す。その被害者はいまは福島県民に及んでいるが、いずれいろいろな形で日本各地で、被害が出るだろう。風によって各地に放射能が広がることに寄ったり、汚染食物を食べてしまう等によってである。このこともいつがわれわれの中に「あんなことがあったな」という「思い出」として残るのであろう。が、ただ思い出して昔を懐かしむなんて軽いことではないのではないだろうか?怒り悲しみ苦悩懺悔… 上のほうに記した思い出とはある意味思い出して、辛かったけれど乗り越えられて良かったと自分を誇りに思えるもののように思う。しかし原発事故に関しては何十年後にどのような「思い出」となるのか想像してみると決して明るい「思い出」になるとは思えない。 事故前の生活をただただ懐かしむようなときが来る様な気がしてならない。「あの頃はよかったな~」素朴な時代を生きた人たちが懐かしんでいるのとは違う意味で、今の普通の生活を。。。 いまはまだ、日々思い出が辛いものとなっている。何年掛かるわからないが、放射能を含む震災被害から立ち直って、誇りを持って、胸を張って、『思い出』と思い出せるようにするにはどうしたらよいのか、皆で考えていけたらよいと思う。
June 5, 2011
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カラーの曲線を生かしたサムシングブルーのブーケ【生花】【花束】 今日は私の誕生日。誰も言ってくれないから自分で言っちゃう☆Happy birthday to me!! やっと人生半分。。。。!?・・ってこの倍生きるつもりか?ご長寿おばあさんになってしまうよ。でも平均寿命まで、40年近くある。さて何をして生きようか?何が出来るかな? 以前アートクレイシルバーの先生をしていたとき、もうすぐ70歳という生徒さんがいました。自分の親よりもお年が上だったので緊張して接していました。だいぶその年に近づいてきた事と母がその歳を越えていることを考えるとあのお年で習い事を始めようとするお姿に感動してしまいます。今自分が何かを習うというのはとても億劫なことであるので、尊敬の念すら感じます。 これから先もいろいろなことが起こると思います。自分がどんな風に変わっていくのか、はたまた変わらないのか。人生の充実期だとおっしゃる方もいますが、全く先が見えませんし、したいこともないですし、娘の結婚や介護のことを考えると、今はまだ力強く楽しんだ人生の後半を過ごせる自信がありません。 すれ違う年配の方の笑顔を見ると様々な出来事を乗り越えてきた自信がこの笑顔を作っているのだろうなと感じます。乗り越える自信があるかい、自分?・・・無いなぁ~でも後悔して過ごす一年より楽しい一年のほうが良いので、なんとかこの1年悔いの無い年にしたいと思います(^0^)v 被災地では気温上昇とともに、様々なものの腐敗が進みにおいがきつくなり、ハエが大量発生しています。どうか殺虫剤や芳香剤を支援してください。他にもまだまだ必要とされるものがあります。どうかご支援のほどをよろしくお願いいたします。ふんばろう東日本プロジェクト
June 4, 2011
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マンションリフォームお見積り無料!【お見積り無料】マンションリフォームお見積り 建築施工のプロにお任せ下さい! ネットサーフィンをしていると時間がどんどん過ぎていきます。震災関係のHPを観ていると本当にあっという間。情報収集は大事ですもの。読んでいる内に頭が痛くなってきてしまうこともあります。特に原発事故関連の話は勉強が必要だし正しい知識を獲たいと思うし、必死に読みます。でもいつも最後には政府の批判になってしまう。 そんなときの気分転換には、物件情報を見ることです。一軒家、マンション、アパートをいろいろと観ていると、こんな間取りならどんな生活が出来るかな?なんて想像しまくり。いつかもし引越しをすることがあるなら、やっぱり海辺。大津波が東北を襲ったばかりで、たとえ大きな津波が来ないといわれている相模湾でも、やはり皆が避けたいところ。でも私はやっぱり海辺の物件。出来れば部屋から海が見られれば、最高!!だって、海を見ながらボーっとするのが大好きなんです。でも駅のそばや海辺はどうしても高いの。この賃貸なら借りるのに収入がこれだけ無いと苦しいよな~そんな仕事今の私じゃ無理だぁ・・勝手に落ち込んでみる。持ち家があろうが、海から近かろうが、想像するのが大好き。 私、こうして気分転換をしています。・・・実際に借りるとしたら、現実は厳しいのですけれどぉ。。。 現実の厳しい生活をしている方々には失礼なのですが、最近の日本の揺れ動きは被災者でなくても辛いものです。皆さん!!たまには気分転換をしましょうね。
June 3, 2011
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★6月3日9:59まで30人に1人がタダ!★虫を凍らせて退治! 殺虫剤は使っていません!凍殺ジェット 這う虫・飛ぶ虫 300ml 先日物資を送った気仙沼市のお方からお礼の電話があった。いろいろお話を伺った。その方はたくさんの親戚を失い、行方不明の方もまだいるという。海辺に家があった方は多くほとんどが全壊・半壊の被害を受けたと言う。いまその方は半壊した家の雨漏りする二階に住んでいる。 「いま必要なものは何ですか?」と伺うと、川まで洗濯に行っているので、洗濯をあまりしなくて済むように、130~150の女児の服が欲しいとおっしゃっていました。この時代に、川で洗濯って、信じられない現実です。でも電気水道が不自由な場所ではまだまだこの様に過ごしているのです。 そして震災からもうすぐ3ヶ月。先月石巻市に行ったとき、魚の腐ったにおいに皆が気が遠くなりそうなった。あれから一ヶ月。さらににおいはパワーアップしたに違いない。それのにおいが充満しているという。そのせいで、ハエが多い。子供にハエがたかってかわいそうに思うと嘆いていた。もし自分がその状況にいる、と思うと生きる気力を失いそうである。 それでも被災者たちは生きていかなければならない。偶然物資を送った縁で知り合ったそのお方に、更なる支援を約束して電話を切った。女児の服、防虫剤、殺虫剤、芳香剤を送ろうと思う。雨漏りで、タオルと使っているといっていたので数枚タオルも入れようとも・・・。 ブログの名前を変えようと思う。って変えられるのか? 支援をお願いいたします。出来ることで構いません。ふんばろう東日本プロジェクト
June 2, 2011
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お好きな本数をどうぞ!!ヒマワリが激安の1本89円じめじめした季節に潤いを☆お花を飾ってみてはいかが? 今日で生理が15日目。終わりをみせない生理が私を不安にさせます。年齢的に終わりを向かえる前の不順なのかもしれないけれど、今まで二週間を超えたことはないし、市からちょうど癌検診の案内が来たことで、余計不安になっています。案内が来たので、もちろんもう少ししたら癌検診には行きたいと思いますが検診の結果が出るまで不安は続きそうです。精神的にきつい今だから生理が不順になっているだけだと冷静になればわかるのだけれど、きつい時だけに余計なことを考えてしまいます。皆さんの生理の終末はどうでしたか? 支援をお願いいたします。 ふんばろう東日本プロジェクト子供を守る民にご協力お願いいたします。eシフト
June 1, 2011
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寄せ植えなどのアクセントにどうぞ♪【ポット苗】【鉢花】ヒポエステス苗1ポット【花苗】 毎年この季節になると花の終わったローズマリーをばっさりと切ります。梅雨の季節なので蒸れない為と、這いずりタイプのローズマリーちゃんを立ち木タイプのように見せるための努力のためです。でも私って切り出したら止らないのよね。 確か娘が赤ちゃんだった頃、前髪を切りすぎてとっても周りからブーブー言われ・・・(T。T)今年も懲りていません。やっちゃいました。 あーらすっきり☆ ・・・写真で見比べるとすごいな・・・誰がこんなに切ったんだ~?って私じゃん(¬。¬)計画ではたらーりときれいに垂れているのは残すはずだったんだけど、あ!!左手でまとめて持って、ばっさり・・・まあローズマリーちゃんは強いから大丈夫だけど、見た目が寒くなっちゃったな~うちのゴールデンみたい。。。? そうですロングヘアーの素敵なゴールデンの飾り毛をばっさり切ったのは私です。決して動物虐待をしたわけではありません!!暑いから少し切ろうなんて軽い気持ちで始めたはずなのに、夢中になって切りまくってしまった。しかも散切りに・・・ご近所のお犬友達にブーブー言われてきれいに切りなおしたけれど、「しばらくはゴールデンですか?」と言うお決まりの質問をされなかった。懲りない私・・・ガクッ。 でも切るのって楽しくありませんか?一度にばっさりでは無くて少しずつ少しずつチョキチョキするのが~。私はおかしいのか? 散切りにされてしまったローズマリーちゃん。ごめんなさい。又一年がんばってください。
May 31, 2011
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空気が逆流しない!圧縮袋 バルブ付60×80cm掃除機ノズルで楽々圧縮100均 今日は湘南地方は朝は肌寒く昼は暖かく夜は又肌寒く。油断すると風邪を引いてしまいそうです。洋服選びが難しい。 衣替えもやっと終わりました。たくさん洋服を捨てようと思っていたのだけれど、あまり捨てられ無かった(T。T)。だから「すっきり」しなかった。 タンスの開け閉めが、軽々しくなるイメージを持っていたんだけどなあ。もったいないばばぁ~出現かぁ?。ひどくよれよれのものは無いので捨てるのがもったいない。かといってブランド物ではないけど、知人に進めるのも気が引けるし、出したものはそのまま戻すことになりました。しばらく洋服を買わないで増やさないように気をつけます☆。今年の成果?↓ ご支援お願いいたします。http://fumbaro.org/ 放射能線量は厳しい問題です。福島第1原発事故 福島・飯舘村の積算放射線量、20ミリシーベルト超える
May 30, 2011
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入梅してやっと衣替えを始めました。冬物を整理してみると着ていない洋服がたくさんあることに気付いた。決して無駄買いをしてきたわけではないが、少しずつ少しずつ増えていった証拠。娘のお古まで来ているんだもの増えるはずよね。 何年かに一度思い切って処分するがどうしても溜まってしまう。今年は大処分の年かもしれない。・・・な~んて思って引き出しからすべてを出してみて、出しただけで嫌になってしまった!!。こうやってPCを打っているけれど、少し目線を上に向けると引き出しから出した、洋服が溢れている(T。T)放置中・・・・・誰が片付けるのだろう・・・っって私だ~(T0T) これでも↓上着だけです(T。T)やっぱり買いすぎなのかな?思いっきり捨てるか?ハ~ 震災以来ほとんど自分の物を買ってはいない。被災した方々のことを思うと贅沢をしてはいけないと思った。経済が停滞してしまうと思っても買えないでいる。 無駄だけを省く・・・何が無駄なのか・・・。難しい。
May 29, 2011
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昨日はエクレール「お菓子放浪記」を見に行きました。その帰りについお菓子を購入してしまいました(*^o^*)だってお菓子で幸せな気持ちになりたかったんですもの☆プリンです。容器は見てのとおり卵の殻。(^。^)ソースは二種類。プレーンとラム酒風味。私はラム酒風味を食べました。大人の味ですね。美味しい。夫は「何も掛けなくても美味しい」と言っていました。 写真を撮るために少し動かそうとしたら、力が強過ぎて殻にひびを入れてしまいました(T。T)。卵の殻を使用しているので、甘くて美味しいものを少し食べたい方にはぜひお勧めです。 新宿駅東口地下出口から出て歌舞伎通りを少し行ったところでショーケースを出して売っていました。周りを見る余裕がなくどのビルの前だったかわからないのですが左手側にあります。私はあま~いお菓子が大好き(^0^)そんな「お菓子」が人を幸せな気持ちにさせるなんて買わなきゃね!(b^ー°)エクレアがあったら間違えなく買っていたかもo(^-^)o皆も好きなお菓子を食べて心の余裕を持って毎日を進んで生きましょう。 まだまだ個人避難宅では食料が不足しています。メディアに流れない真実です。どうぞ皆様支援をしてください。皆で少しずつ「ふんばろう東日本プロジェクト」 http://fumbaro.org/未来の子供を守りましょう!!「子ども20ミリシーベルト基準の即時撤回と被ばく量の最小化のための措置を求める緊急要請」 http://t.co/bhgHtKa
May 28, 2011
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たっぷりかけたビターチョコが美味しい!牛乳と卵のエクレア 「エクレールお菓子放浪記」を見に行った。とても良かった(^0^)。最近サスペンスやアクション物を見ることが多かったので素朴に素直に感動した。1時間も電車に揺られて観に行った甲斐がありました。いつも思い立って時間があったら観に行くスタイルで映画を楽しんでいたので、今日の映画鑑賞は一大イベント!!。 偶然この映画を見つけたのだけれど、予告編で災害前の被災地でロケをしている事を知り、とても美しい映像に驚き、私の知っている石巻市とはあまりの違いにきちんと見てみたいと思い立ちました。でも新宿での公開は一週間。時間が出来るか心配でした。 内容は戦中戦後の話。戦争映画ではなく戦中の日本人の話となると悲しく暗くなることが多いのですが、このお話は辛く悲しい経験があってもさわやかに実にさわやかに心に響くものがありました。後半部分で思わず涙がこぼれてしまいました。あまりに・・・主人公の「アキオ」君の演技もすばらしい。まだまだあどけなさが残る顔なのに驚きの演技力。脇を固める役者さんも実力者ぞろい。ものすごい一体感を感じました。観客は戦争関係のお話なので、年上の方々が多かったのですが、このお話はお若い方にもぜひ見て欲しい。 このお話が現実にあるとしたら、私は今の日本も捨てたモンじゃないと感じました。あればの話ですが・・・。そしてエンドロールを観ながら、「エキストラ」 のところに差し掛かると又涙が出てきてしまいました。スクリーンに現れる名前の中にはいまだ行方不明の方もいるのです。亡くなられたも。 今までいろいろな映画を見てきましたが、「エキストラ」さんのことを気にしたことはありませんでした。きれいな映像を見た後で、震災被害で多くの命が奪われ、撮影に使った岡田劇場も今はなくそんな現実を突きつけられてしまったから。 被災地の被災前の姿を見たくて足を伸ばした映画でしたが、35年のロングセラー小説の映画化だけあって見ごたえは充分でした。久しぶりのさわやかな後味に劇中歌の「お菓子と娘」が耳から離れなくなっています。http://www.eclair-okashi.com/「ふんばろう東日本プロジェクト」http://fumbaro.org/
May 27, 2011
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【propaganda プロパガンダ】にっこり♪雨の日もハッピーなアンブレラ◆今だけP10倍◆「USE ME UMBRELLA COLLAPSIBLE ユーズミー アンブレラ 折り畳み」(傘、アンブレラ、雨、折り畳み傘、折りたたみ、大人用傘) 02P01Mar11 震災以来ばたばたと毎日が過ぎて行き、息抜きの映画を観に行ってないことに気付いた。気付いたときにはすでに遅く、近所では公開終了し、観損ねた映画が多々ある。ネットで映画情報を見ていて、ふっと観たいと思った映画を連ねてみることにした。 エクレール「お菓子放浪記」 ~~被災地もロケ地に使われている GANTS PERFECT ANSWER ~~観たかった続編 パイレーツ・オブ・カリビアン 生命(いのち)の泉 ~~娯楽映画の王 岳 ガク ~~小栗旬様が好き ダンシング・チャップリン ~~チャップリン様、草刈民代様、周防監督の組み合わせが観たい。 プリンセス トヨトミ ~~空想の世界に興味あり。 マイ・バック・ページ ~~妻夫木聡様、松山ケンイチ様の競演を見てみたい。 手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく ~~一筋の光明が得られるかも・・ 英国王のスピーチ ~~ 実話だけに期待できる。 八日目の蝉 ~~井上真央様、 阪急電鉄 片道15分の奇跡 ~~心が暖かくなるかも・・ 豆富小僧 ~~可愛すぎるキャラクター 名探偵コナン沈黙の15分(クオーター) ~~アニメ好き。一人で見に行くと子供に珍しがられる。 まほろ駅前多田便利軒 ~~瑛太様、松田龍平様の競演が観たい。 気にし始めたらきりが無い。「ドラえもん」も観たいしぃ、「わさお」も・・・改めて見ると何と言う一貫性の無さ(T。T)でも観たいものは観たい。さあ時間との勝負。どれだけ観れるかな? 食糧難に困る日本人がいるなんて信じられないかもしれませんが被災地にはいるのです。どうか少しでも支援してください。ふんばろう東日本プロジェクト
May 26, 2011
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被災地の避難民たちの支援のされ方に差があることはこの目で見て来て知っている。しかし今だに大きな避難所に物資を送れば、個人宅避難所にも荷物が届くと思っている人たちがいる。あまりのひどさに余裕のある地域住民(同じ被災者)が、個人で物資集めを呼びかけ配っているほどなのに・・・。個人宅避難所に初めは行政は物資を送っていても避難所指定を取りやめてしまうこともある。大きな避難所に入らないと避難民ではないと言うことのように感じる。津波で何もかもなくした人たちは裸同然。すべてを支援に頼らなければならない。大きなメディアでは大きな避難所しか映し出されない。芸能人が訪ねて来たり余った物資を捨てている情報を流したり。だから多くの国民が誤解する。でも現状はそうではない。友人から聞いたのだが、TVの仕事をしている方が、取材したすべての情報を流すことが出来ずとても苦しいと話していたそうだ。これは事実であろう。時間の制約もあるし国民の関心を得られるものを選んでいる、仕事だから仕方が無い。 一方では、貧困生活の中不治の病におかされたこどもを報道する。感心が集まり寄付をしようという動きになる。人助けが出来るわけだ。これもTVの力だ。だから一概にメディアをすべて批難は出来ないと思うがしかし腹立たしい。 大きな避難所まで物資をもらいに行けばよいと安易に言う人もいるが、家族分の物資を手で運ぶのか・・・多額の義捐金が集まっているが、それはいまだ配分されてはいない。服や生活用品は津波で流され、ライフラインの未復旧によって食料の保存が出来ない、交通手段は無い、運んできてもらわなければ生きてはいけないのである。そういう地域がいまだ多数あることを報道して欲しいと思う。報道し国民の関心をもっともっと被災地に向けて欲しい。不実な報道には敏感なのに、報道しないと言う行動には鈍感である。 震災からしばらくの間はTVのCMで、「日本の団結力」等と言う言葉を良く聞き、日本人て素晴らしいと、感動したものだが、今、全く興味を持たない国民が大勢いるのは何故だ?震災直後とは違った、苦しさが今被災地を襲っている。原発事故とは違うが、無関心と言う人的被害だ。地方紙は必死にその地域のことを書こうとしているが、その配送されるのはその地域だけ。ネットでも配信しているが、見る人は限られている。 少しでも関心を持ってもらいたくて、様々な活動が起きているが、やはりメディアの力にはかなわないと感じるときがある。マルモリのように、何度も繰り返しTVで流し、紙面には毎日悲惨な状況であることを伝え続けて欲しい。紙面すべてが悲惨になることは無いだろう。恐るべしメディアの力・・・しかし頼りにはなると信じたい。
May 25, 2011
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ソーラー発電機(太陽光発電機)(ポータブル式)300W, 50HZ 2ヶ月近く待っていた、ソーラー式ポータブル充電器が届きました。箱には重々しく「精密機器」「取り扱い注意」 の文字が・・・緩衝材を巻かれたダンボールに入れられ中身も緩衝材で梱包してありました。箱の緩衝材をはずすだけでどきどき・・・(^。^)「精密機器」「取り扱い注意」の文字に緊張が増します。箱から出して緩衝材と透明ガムテープとの戦い。ただはがすだけなのにやたらと丁寧にテープをはがしている自分に何故?と気付き思わずクスッ(^。^)。 外観は3億円でも入っていそうなケース 充電中。緑色のライトが4つになったらフル充電。開くとパネルが現れます。開くとこんな感じ。パネルと一体型だから重い(@。@)でも・・・ この様な大きさです。私のやっぴー号にもらくらく乗せられます。コンセントも2つあります。大きな家電には対応できません。でも非常時には充分かと思います。ポータブルタイプでなければもう少し安いものもあります。いざと言うときのために痛い出費かもしれないけれど(痛い出費でした(T0T)少しでもパニックしないためにお一ついかが? 「ふんばろう東日本プロジェクト」 http://fumbaro.org/
May 24, 2011
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3,11からどうも感情が麻痺してしまっていたようだ。ドラマを見ても映画を見ても友人と話をしていても心のそこから笑えなかった様な気がする。 今日録画をしておいた「鬼平犯科帳」を見て、ぼろぼろ泣いてしまった。涙が自然と出てくることに少々戸惑った。でも素直に感情が反応した様子。好きで録画しておいたが、見る気になれずにいた。 学生時代から電車の中で、漫画を読んでも泣いてしまって、恥ずかしい気持ちになっていたほど涙もろい私。ずっと何も考えずに泣くことが出来なかったようだ。もちろん被災者の方々の話を聞くと涙が出てきてはいたが、日常生活ではほとんど感情が死んでしまっていたようだ。きっと被災地の方々も同じと言うかもっと元気でいなくてはと気を張って生活しているのだとは思うが、自分のこの状態を考えると被災地の方々はさぞかし心に大きな痛手を負った事を改めて認識する。その心のことを考えると胸が締め付けられる。どうか、どうか、一日でも早い、心の安らぎが訪れることを祈ります。 物資の援助や資金援助だけではなくエールを送りたいと思った。東北関東大震災 被災者の皆様への応援メッセージ - 署名活動するなら『署名TV』 http://t.co/5yi3Icq
May 23, 2011
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湘南地方では最近雨が多い。雨で憂鬱になる人もいるようだが、私は雨が好き。外出するときに傘を差すと、雨がカーテンの役割を果たし、傘の中が世界のすべてのように感じるから。隅っこに縮まっていると安心するのと同じような感じかな?雨の中傘をさしながら、いろいろと考えるのも好き。こういう時はいろんな発想が沸いてくる。発想と言えば聞こえが良いが、空想あるいは妄想!?な場合もある(¬。¬)子供の頃に鏡遊びをしたことがある方はわかるかなぁ。買い物に行く時なんかはどんな物を買おうかなぁとか、銀行へ行く時などは妄想に入ってしまうかも。すれ違った方の服装や髪型から、その人の職業や趣味などを勝手に想像する・・・もしかして変な人?でも憂鬱になってばかりいないで、傘や長靴を可愛いものを買ってこれっておしゃれよね。そうよ。一種のおしゃれをして、♪ピッチピッチチャップチャップランランラン♪カバンが濡れるけど、土砂降りも好きだなぁ。「そこまで振るか~」なんて雨に突っ込んだりして。濡れたら着替えればよいのさ。デート、通勤、通学だって着替えを持っていけばよいのさ。工夫次第で楽しいものさ。暗くなっても梅雨は来る。雨と付き合わなければならない。ならば本価格的な梅雨を前に、今から準備しませんか?http://www.asahi.com/shopping/special/TKY201105220064.html可愛い雨具を紹介していました。毎日楽しく過ごしましょう!!
May 22, 2011
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『民間保護団体福島県動物救済の苦悩』 http://amba.to/jCOuzF今様々な動きが起こっています。そしてその苦しみもたくさんあることを知ることが出来ます。 何をどう保護したくて、政府が動いているのかわからないが、どうして政府の意見が一枚岩にならないのか知れば知るほど、歯がゆくて仕方がない。生き物の保護にも二転三転する政府に、われわれ国民を救えるのだろうか。はなはだ疑問である。国民は動物保護だけでなく、国民保護についても深く関心を持たなければならにと思う。放射能汚染で、福島県民は苦しんでいる。子供たちはすでに、多量の放射能にさらされている。この子達に素晴らしい未来はあるのだろうか?子供が産めますか?と言う女子高生の言葉は、心に突き刺さった。動物保護を切り口に、国民の生活についても関心を持っていただきたい。 "福島県 動物 保護活動" - 関心空間 http://t.co/hLVbu3n
May 21, 2011
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http://www.eclair-okashi.com/ この映画には宮城県石巻市の美しい風景も使われている。北上川の映像はとても穏やかで、大自然を感じさせる。とても美しい。雄大で時の流れがゆっくりで、あくせくした毎日に潤いを与えてくれるような風景だ。 しかしTVで映画の宣伝をされたとき、震災後の北上川の映像が映し出された。これは私が見た今の風景だ。劇中に現れる葦原など何もなかった。ただの「川」であった。近所にある護岸整備をされて昔の面影など何もない川のようだった。美しさなんて全く感じられなかった。自分の見慣れた川としか心に留まらなかった。流木の多さと川沿いの道がひどく損傷していることしか、気にならなかった。以前のこの川がこんなにすばらしいとは私には想像が出来なった。 震災によって、こんなにも変わってしまったのかと愕然とした。震災にあわれ津波で町が壊滅してしまった人々は私が受けたショック以上のものを心に受けてしまっていると感じた。すべてが変わってしまったのだから。思い返せば、私がボランティアで伺った石巻市松並付近は碁盤の目のように道が整備されていた。きっとここも以前は整然と家が立ち並び、美しく住みやすかったのだろう。今は見る影もない。予告編でしか知りえないが、映画の内容ももちろん素晴しいが、背景の風景も今は貴重は映像である。この美しい風景を再び取り戻すまで、心にとどめておきたいと思う。取り戻せるようにしたいと心から思う。そういう意味でも見る価値のある作品だと思う。 5月21日テアトル系にて、公開特集です http://movie.goo.ne.jp/special/eclair/http://www.eclair-okashi.com/
May 20, 2011
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日本人は枯れる運命なのかもしれない。花瓶の花が枯れ始めているのを見てそう思った。 少子化時代になり、慌てふためいて政策を打ち出す政府。しかし政治家は利権争いに忙しく一枚岩にはなれない。意見を闘わせるのはより良い結果のためには必要である。 そして専門外のことはプロの意見を聞き入れる。解らないことは恥でも罪でもない。解ろうとしないことが罪でなのである。 しかし今子供を守ろうと言っていたその口から子供を危険にさらす言葉を放つ。放射能。守りたいと思う。子供の、またその子供の未来を。国民が声をあげて国を動かさなければならない。無関心のつけは自分の子供に回ってくる。のんきに構えていて良いのだろうか。日本人が枯れない為に動き始めた方が良いと思う。何が出来るかわからないが、取り合えず、抗議活動か・・・。見て賛同して欲しい。http://bit.ly/kiuirR
May 19, 2011
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ついにインプラントの土台を入れる日が決まりました。歯並びが悪く子供の頃からコンプレックスだったので、娘が小学生のときに矯正をしました。そのため前歯は5本差し歯になっています。その差し歯のうち一本の骨に異常があり抜かざるを得なかった。その後はインプラント、入れ歯、差し歯(正確にはブリッジで私の場合前歯7本のブリッジ)の選択があった。今は良い入れ歯があるが前歯なので避けたい。差し歯となると上の前歯がすべてブリッジで繋がることになると言われ矯正した時に入れた残りの4本の歯は無駄になる。だって、「前歯だから良い歯を入れましょう」なんてそのときの歯医者さんに言われて、高価な差し歯を入れてしまったので、とってももったいない!!そうなるとインプラントにするしかないのである。前歯全部をブリッジにするのとインプラントにするのと、どっちがお金がかかるかと言えば、高価なブリッジにしなければ、インプラントのほうがお金がかかる。んが、ブリッジにするためにはあと2本健康な歯を差し歯にしなければならない。H歯科の女医さんも「それはもったいないこと」と、言って下さったので、即決で、インプラントにすることにした。「そんなすぐに決めなくてもいいのよ」と先生が戸惑うほど、決断は早かったかな?でも良く考えなくてもインプラントしか選択肢はないよな、と今でも思う。 そのH歯科ではインプラントをしてくださる先生が、高齢のため出来なくなってしまったので、隣町の口腔外科のある病院に行くことにしました。 そこで抜歯。骨が戻るまで、半年待ちました。抜歯から、4ヶ月経ったときにCTを撮り骨が成長していないことがわかったので、骨の移植手術をすることになっていました。それが震災の三日後。あの頃関東はパニック中。移植手術のため朝8時に病院に着いたけれど、先生が病院にたどり着けず延期に。そしてその先生も3月一杯で交代と言うこともあり、1ヶ月先延ばしになりました。そして新しい先生は「もう一ヶ月待ったら、抜歯から半年。もしかしたら骨の移植をしないで済むかもしれないから、少し待とう」と助言をしてくださった。以前の先生が相性が良かったので、交代する前に先に進めようとしていたけれど、震災のおかげで、新しい先生の話をちゃんと聞くことが出来何とか半年待つことが出来ました。H歯科で、入れ歯を作っていただいたのですが、やはり異物。入れ歯を早く取りたかったのかもしれません。おとといCTを撮り、骨が成長していることを確認できたので、骨の移植手術はなし☆。もしやるとしたら鼻の横とあごの骨を削り取り歯の根元に移植するので、はっきりと「腫れます」と言われていました。下手をしたら、「高熱を出して寝込むかもしれません」だって…とっても怖かったんです、実は…でも抜歯と同じぐらいの傷で済むとの話に、とっても安心しました。とはいえ、異物を入れるのですから大変なことになるのでしょうけれど・・・ ブログを書きながらの今、邪魔な入れ歯を取っています。だって~チョコチョコ歯磨きをしなければ、気になって仕方がないんのです(T。T)土台を入れても骨とつくまで、3ヶ月待たなければなりません。この入れ歯ともまだまだ付き合わなければならないのです。そう考えると大事に使わないと。。。はめていないときに家族に会うと「頼むからしゃべらないでくれ」といわれてしまう・・・アレルギー予防のためにマスクをしているから、それで気が緩んで忘れてしまうことがあるんです(^。^;) 今日は移植手術をしなくて良いとの言葉に、ほっとした1日でした。
May 18, 2011
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今まで20キロ圏内動物たちの救済ををしてきた人たちがいる。その方たちは悩み苦しみ、もがき続けていた。支援を呼びかけ、行政に働きかけ、喜び絶望してきた。様々な案が浮上し、期待しても期待したような成果はなく消えていった。今回の案は命を閉ざさないで済むかもしれない。上手くいかず頓挫して又絶望を抱いてしまうかもしれないが、期待したい。挫折を繰り返したからこそ今度こそ救って欲しい。震災前と同じような生き方が出来なくても、研究用となっても、私は死ぬより良いと思う。この行く末をじっくりと見ていきたい。希望を持ちたくなる話です。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110517/t10015927071000.html
May 17, 2011
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http://www.youtube.com/watch?v=9h3g4kG5TMI石巻市雄勝町の現実です。ここは道路以外は手付かずで、出来るだけ多くの人手が必要です。家がポツポツと残っていますが、かろうじて住めるところなら避難所に行かないでここに暮らしています。もちろんライフラインは回復していません。物資の供給もほとんどありません。歩いたり同じ境遇の方と協力して生活しています。http://fumbaro.org/を参考にどうぞ物資を届けてください。出来ることでよいのです。ご協力をお願いいたします。
May 16, 2011
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相馬の野馬追い。新聞で読んだが開催のための運動が盛んになっていると言う。しかし疑問が1つ。今は警戒区域に指定されていてその中の人間以外は放射能物質と呼ばれ、命を奪われると言う。指定される前に避難した動物たちの中に野馬追いに参加していた馬もいる。その馬も参加するのだろうか?今野馬追いのための馬は半数ほどしかいない。避難した馬たちが参加しても数は足りない。しかし20キロ圏内にいた馬も行政からしたら、放射性物質。その中からも安楽死される馬が出るのだろうか?野馬追いに出るから行政曰く安心なのか?今あの場所にいる動物は処分される。では以前いた動物はどうなのだろうか? そこのところをはっきりして欲しい。士気を上げる為に野馬追いを開催するのはとても良いことだと思う。しかしそれだけの関心を少しでも今殺されようとしている命に向けられないのだろうか? http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110428k0000m040075000c.html行政は保護を公言したが、保護したのはほんの数匹。たった数日で、あれだけの範囲の動物を本気で保護する気があるのだろうか?放浪している動物に限って保護するとは・・!? あの区域の中で生活していた人は確かにいる。しかし何度スクリーニングをしても数値は安全だったと言う。ならば何故!取り残された命は皆死の宣告を受けなければならないのだろう。人間を守るため?あれだけの大惨事を引き起こしておいて今さら人間だけを助けようなんて。。。。ペットも家畜も人間の心と共に生きてきた。ともに過ごしていた人間の身体は救っても心には見向きもしないのか?20km圏内の動物に生きる権利はないのだろうか?ともに暮らした人の心が傷つくことには無関心か?放射能除去には何十年と言う月日がかかる。それだけの時間があれば、動物たちの安全確認と保護をできないだろうか?乳牛等の食用関係の動物たちは、寿命を全うさせるだけでも良いと思う。何も手を下さなくても・・・悲惨な状況下で、動物まで手が回らないという意見もわかるが、これぞ日本!!と自慢したくなる動きを見せて欲しい。 震災から動物保護をしていた方のブログです。悲痛な叫びが聞こえてきます。http://ameblo.jp/oa2542/
May 16, 2011
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桃生町から雄勝町へ向かう道で、北上川沿いを走りました。そこで目にしたものは・・・走り進めるうちにどんどん道が悪くなりました。海への距離が縮まるほどに道の状態が悪くなり、挙句の果てには上り下りが、工事のために分かれて水面がとても近く感じます。ほとんどスピードが出せません。工事車両がたくさん通っていて砂埃もすごかったです。ビニールマットを引いてあるので、最後のところは本当に道が悪くなっていたので、助かりました。
May 15, 2011
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GWが過ぎて杉花粉症の人が減ると、私はアレルギーに苦しみ始める。アレルギーの原因は「かもがや」という、イネ科の植物。アレルギーをお持ちの方は理解できると思うけれど、風が強くなくても目がしょぼしょぼして、おも~くなって目を閉じたくなります。だから一日に何度も目を洗い、目薬を差します。飲み薬はあまり飲みたくないので、対処療法で乗り切るつもり。でも、目がしょぼしょぼしてしまうと、体中だるくて眠くなってしまい、食事の支度なんて投げ出したくなります。主婦にとって食事のしたくは結構な重荷。なのに体がだるくてやる気がなくなると、毎日店屋物を取りたくなります。でも店屋物をそんなたくさん取れないから、この時期は食事を作ってくれる人を頼みたくなります。誰か食事を運んで~~~(~0~;) おなじ苦しみをもっているひとがいたら、愚痴を言い合いましょうよ☆
May 15, 2011
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ボランティアで行った、お宅がきれいになった様子です。きれいにする前の状態は家主に遠慮をしてとりませんでした。とても元気な家主さんです。これでも御年70才。ボランティアに来ている私たちに、大福を振舞ってくれました。お昼にはおにぎりや漬物まで。リーダーから、無駄遣いをしてはいけないと怒られていました。これからお金がかかるのに、無償で来ている私たちにこんな振る舞いをしてくれちゃうんですもの・・・。 ボランティアに行くお宅は皆優しいです。中には生活に疲れ、きつい言葉をかけてしまうこともあるかもしれませんが、ほとんどはとても良い交流が出来ます。人間の温かみも感じることが出来ます。こちらが癒されているような気がします。懸命に生きていると自然と人に優しくなるのでしょうか?
May 14, 2011
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5月9日の雄勝町の写真です。片付いてきているほうだと思いますが、震災から2ヶ月も経とうとしているのに、まだこんな状態です。人々は自分の家に住めません。皆さんはライフラインの寸断された生活を出来ますか?私は無理です。今現在だって、電気でPCを動かしているのですから・・・いざとなれば、何とかするでしょうが、恵まれた生活をしている私たちには想像できない毎日を送っている人々がいまだにいるのです。忘れないでください。海面が近いと思いませんか?道路にアスファルトもありません。震災前は普通の道でした。こういうところはまだまだたくさんあります。
May 14, 2011
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今日はわが夫婦の結婚記念日。でも忙しいから何もしません。一般的な日本人男性同様、夫は記念日なん覚えているタイプではありませんでした。それが悔しくて、若い頃はギャーギャー言ったものです。あまりにうるさいので、今では懸命にお花を買ってきてくれます。男の人がお花を買うのは恥ずかしいようですね。人に話すと驚かれます。ギャーギャー言ったわりには欲しいものは特にないし、食べたいものもあまりない。となるとお花・・・にたどり着いたみたい。私が花が良いと言ったのかな?もう覚えていませんが、元気の出るひまわりの入った花束が、ここに飾ってあります。もう結婚して何年かな?時間の経つのは早いものです。縁側で、せんべいをかじりながらお茶をすするような年寄りになりたいと思っていたけれど、そんなおとなしいお年寄りに私はなれるのでしょうか?っとぉ・・・そもそも長生きできるかしら、こんな無謀な人間で・・・(¬。¬)
May 14, 2011
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3泊4日の宮城への道のり、総走行距離1286km相棒やっぴー号は運転手のわがままに良くぞついてきてくれました。その大事なやっぴー号の異音の正体はベアリングの不調。磨耗が激しく交換することに。他の部分に損傷がないため、部品自体の寿命ではないかとディーラーの方に言われました。悪路を走り上り放題下り放題。若かったら何ヶ月でも走っていたい道のり。やっぴー号は運転手とは違い若いけれど、乗る人間が人間だからきちんと直してもらいます。ディーラーの話を一応聞いてから、「運転手に問題あり?」確認しなければ気が済みませんでした。「それはないです☆」安心しました。しかし夫に言われなければ、修理が遅くなっていました。今日も少し乗りましたが、今はかなりの音がすることがわかります←遅いっつうの!!下手をしたら、またこのまま行ってしまったかもと思うとちょっと怖い。教えてくれた夫に感謝をしなければ・・・。皆さんも車で行かれるときは十分に、整備と確認を。
May 14, 2011
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震災後関東は計画停電をしていた。そのとき電気の大切さを改めて知った。原発に頼らない電気。そう思い、ソーラーランタンを購入した。一ヶ月待って、やっと届いた。きっとすごい数の購入者がいたことだろう。嬉しくて使ったみた。充電中日が陰っても充電していた結構明るいです。 そういえば、石巻市をぐるぐる巡っていたら、一箇所だけ、ソーラー発電機が3台も設置されているところがあった。避難者は「これから梅雨に入ってこのパネルも使えない日もあるだろうから困る」と言っていたが、個人避難者宅にはソーラー発電機なんてないのだ。大きい避難所だけはケアが進んでいると改めて思った。避難所に入れば良いと言う方もいると思うが、どんなに壊れていても離れられない人もいるのだ。家があるのに避難所には行けないと言う控えめな方もいる。避難所に入れば、プライバシーはない。でもその分手厚いケアが受けられる。個人避難宅は支援は少ないが自由がある。しかし、どちらも苦しいことには変わりはない。 避難者と言う呼ばれ方を早くされなくなれば良いと心から思う。
May 13, 2011
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5/11ボランティアを終わってボラセンに戻ってきたとき、携帯機能の万歩計は3847歩。チョコチョコ動くので、歩数は増えませんでした。時間を見るときに目に入るので、「ふ~~ん」ぐらいにしか思っていなかったんです。でも2回も道を間違えて帰宅すると、なんと26604歩!!しょぼついた目が一気に開いてしまいました(*0*)何でやねん、って思わず関西人に。車に乗っているだけで、こんなに増える原因と言ったら、道路の悪路のせい。段差が多くてバンピーなんです。ボーンボーン・・飛ばしていると、ガーンガーンかな?車には良くないけれど、乗っていると楽しいものです(←お前だけだよ・・・)そのせいか?やっぴー号の異音は(:。:)万歩計の歩数を伸ばしたい方はどうぞ東北へいらしてください。ただし被災地はあれでもきれいになったほうだと思いますが、本当にまだまだ道まで、手が回らないのです。覚悟してお出かけください(^。^;)
May 13, 2011
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今回お片付けに伺っ家主のオーヤン(リーダーがオーヤンフィーフィーに似ているとあだ名を付けた)さんの話3/11に地震と津波に襲われてからのサバイバルの話である。 まず、車を捨てて高台に逃げた人が、助かった。オーヤンさんのマンションは4階建て。その4階の廊下で、難を逃れたのがオーヤンさんと3家族。その日は雪が降っていて、とても寒く、着る物も食べるものもなくひたすら、波が引くのを待った。あまりの寒さに、4階の空き家のドアをこじ開け中に入り、その日は過ごした。次の日にオーヤンさんが目にしたものは瓦礫の山と化した町と多くの犠牲者。あちらこちらにご遺体があったという。中には波と共に、壊れた家の中に入ってしまった方もあった。ライフラインは断絶、連絡手段はなく孤立状態。歩くことも容易ではないなか、近所のスーパーから流れてきた食材を周囲を見ないようにしながら、皆でかき集め3日間を過ごした。隣の魚加工工場から、パックに入った魚も散乱していたので、パックが敗れていないことを確認した上でそれも食材にした。 こんな状況の中、多くの貴重品が家の中から姿を消した。震災の翌日から始まっていたそうだが、人の弱みに漬け込んだ卑劣な人たちがいると怒りと悲しみをあらわにした。 早く片付けないと衛生上良くないので、元気のある人たちは自分の家の瓦礫を片付け始めた。しかしタンス等の倒れた家具を戻そうとするとその下から、マグロ(ご遺体のことをみなそう呼ぶそうだ)が出て来てしまうため、途中であきらめた。自衛隊や行政が動き始めたら、まず最初に、マグロのある場所を片付けてもらう。行方不明者の捜索とやらである。 3,4日の後、仙台市内のお兄さんが、車に様々なを詰んで運んでくれたと言う。連絡が取れなくてとても心配をしていて、ご自分も被災しているのに、瓦礫で通行がとても困難な中助けに来てくれたのである。 救済の手が伸びてきても、そのマンションが無事であっても一度も、戻ってこない家族もある。2ヶ月経った今でも、3/11に干したタオルがそのままになっている。 しばらくすると行動を起さなければ生活が出来なくなってきたので、お兄さんが軽自動車を購入してくれた。ガソリンはない。放置されている車から、ガソリンを抜いて車を動かした。ずっと畳に直接寝ていたので皆体が痛くくて仕方がなかった。こんな生活を強いられるとは夢にも思わなかったと言う。そして安い布団と日持ちのする食材を購入しに走った。オーヤンさんの自宅にはたくさんの調味料が無事だったので恐る恐る取り出し、小料理屋を営んでいた経験を生かし食生活が偏らないように気を配ったそうだ。 しかしオーヤンさんの体は限界だった。心労から胃潰瘍になり、心が折れてしまったのである。そのため片付けは2ヶ月先の今回となったわけである。5/11現在もライフラインは普及していない。ガスはガス管に海水が入り込んで使い物にならないので、当分復旧はしないそうだ。水道も同じく、給水車に頼っている。トイレは仮説トイレを使用中。電気は近くに女川原発があるので、ここの権力者に女川原発経由で圧力をかけてもらい何かマンションの入り口まで来いているが、マンションの配電盤が海水で壊れてしまったので、家の中まで電気が来るのはまた先の話になっている。オーヤンさんやマンション避難者たちは、4階から大声を出し給水車に忘れられないように気を配ったり、その人たちにあだ名をつけたりして明るく過ごした。オーヤンさんは言う。明るくしていないと負けてしまいそうだ、と。明るいほうが楽しいと。皆でやってこなければ生きてはこられなかった。見ず知らずの3家族と一緒だったから今がある。若ければ私もボランティアをしたい。まだ夜薬を飲まなければ良く眠れない。 近くオーヤンさんは実家に引っ越す。少しでも心安らかに眠れるようになることを祈るばかりだ。
May 13, 2011
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さまざまなことが有り過ぎて、頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えていきます。分単位で書きたいことが変わる。書きとめようと思うのだが、その間もない。 とりあえず目に付いた洗濯物の話10日に汚れたくさい洗濯物をホテルの洗濯機で洗ったが、2箇所しみが取れなっかた。11日もしっかり汚れた。だから念入りに洗ったけれど、落ちなかった。このしみはなんだろう。とりあえずこの部屋にご遺体はなかったので、そういう汚れではないことはわかっているのだけれど、魚かなあ?汚れても良い洋服なんだけど、臭いを思い出すから消したい。今朝夫を藤沢駅まで乗せて行った時、車内の臭いにはあまり反応しなかった(←鈍い?)私がかいでいたにおいは、ほとんどが、体についたにおいなのかな??あんなにひどかったら落ちなくても仕方がないかな?思い出の一つとして残しておくことにしようかな・・・(つぶやいています) 車内で思い出した。前回宮城県に行ってから、車のスピードを上げると走る音に違和感を覚えていた。もちろん今回も。特に行きは意識はしていた。でも普通に走るとそんなにひどいとは思っていなかった。しか~し夫はにおいより音に反応していた。「変だよ」まだディーラーが始まる前だったけれど、担当の人がいたので、一緒に乗ってみてもらった。一言「変ですね」。きゃ~~あれで、高速かっ飛ばしてきたのよ~~生きてて良かった。明日見てもらうことにしました。やっぴー号の危機!!。ん?タイヤの空気圧をあげてもらったからかな?まっプロに任せよう。 「ちんすうこう」沖縄のお菓子私が被災地へ持っていったものです。子供用にと思って購入したのですが、これって、大人のほうが喜ぶよね。でもきっと子供だって喜んでくれるはずだと、自分に言い聞かせていました。大きい避難所にはもう全国からお菓子が届いてきている、皆が発信したおかげだ。私が行ったのは小さいところばかり。だからきっと子供も・・・でもしっかり大人が喜んでいました(^。^;)やっぱり気が抜けているやっぴーでした。でもさ大人だってお菓子食べたいよね? 私が行ったのは小さな避難所ばかりと書いたけれど、もう食料はたくさん届いていた。でも保存の利くカップラーメンやジュース等ばかり。生野菜や加工肉はなくとても喜んでいただけました。良いのか悪いのかまだわからないけれど、代わりにジュースなどをもらってしまいました。相手のお気持ちだから、ありがたく食事のときにいただきました。早く電気が通って、誰かが冷蔵庫と保存の利かない食料を送ってくれることを祈ります。 今回は、おあとがよろしいようで・・・・
May 12, 2011
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今日も石巻のボラセンにゴー(^0^)上手く昨日のリーダーに会えて、昨日と同じ現場へ向かった。メンバーもほとんど同じ。皆リーダーと一緒にあのうちを片付けたかったんだ~。でも私より若いけどエロ親父。ピンク好きで、昨日なんてピンクのパンツ見せてるしぃ。 最後の一部屋の片付けとピアノの運び出し。車を持っている人が少なかったので、半日で帰ることをやめ移動に車を出すことにした。女性二人と男性一人。昨日も車を出しているので、車の中は片付いているから大丈夫(^。^)V男性は初めてのボランティアで、車中で女同士の被災地状況会話にとてもショックを受けていました。しかもその男性は(二人組み)「宿が取れていないけど何とかなるさ組」であった(T。T)休憩も睡眠もボランティアの仕事なのに。特にこの現場はにおいがきついから(いかの腐った臭いほどじゃないけどね)ホテルを取ってゆっくりシャワーを浴びたほうが良い・・・終了までに、宿は取れていなかった。野宿でも良いと言っていたが、どうなったことやら。 最後の一部屋、すごかった。4.5畳ほどの押入れ付の部屋は物があふれていた。「物」とは、タンスと中身、押入れの中身、流されて来たもの、そしてありがとう~~さ・か・な☆「さかな」と呼んではいけなかった。あれは魚群!!地震や津波で倒れた家具の下やカーペットの下、吹き溜まりならぬ波だまりの所、いたるところに昨日から「さかな」が出現していた。一匹で小さくて乾燥していれば全員問題はないが、缶ビールのケース一杯分ほどの「さかな」の塊。しかもサイズ大。タンスを上げたと同時に現れたときには、おばさんの私だって思わず声を上げてしまった。だって上げるときに動いた足が踏んでしまったんだものぉ~~~ヌルッ(T0T)しかも腐っているからくさつ!!皆無言、フリーズ。主婦は負けないぞ~~!!スコップと土嚢袋を両手に持って戦闘開始。一緒にタンスを上げたOLさんも果敢に攻めてくれたのですが、においに耐えられず戦線離脱。わたしゃあ口で息をしながら、必死で袋に詰めたわよ。・・・そのOLさん、吐いたそうです(げー)。 何も我々が格闘したのは「さかな」だけではない。昨日は玄米30キロ今日はもち米30キロ・・なんて家の中にあるものすべて。ちょっと「さかな」が変り種なのかな? 朝男性人は1,5mほどの高さから濡れたピアノの排出。完了時には皆で「ウォー!」(^0^)濡れた衣類が今日も攻めて来た。衣装ケースに海水と缶詰って誰が持てるのよ「~~#」もう分割排出。引き出しなんて開かないから中身を出すのにハカイダーに変身。かかがまなければこれは楽しい(^0^) 皆自分で出来ることを探してどんどんやるので早い!!やってて楽しい。良い仲間に出会えた運もあるのかな? ボランティアは、休憩も大事。この休憩で、仲間同士の絆も深まる。依頼主との対話もとっても大事。今日で、この現場でのボランティアは終了。早めに終わったので、家主とゆっくりお話をしました。それはまた後ほど。 ボランティアは必ず名札を身に付けます。石巻市は↑こんな感じ。多賀城市はガムテープ、今は変わっているかも。岩沼市では現場に出なかったから、腕章だったな。 あの地域は魚加工工場がたくさんあるし、もう目の前が海なので、津波が来たら当然魚もいらっしゃる。それが2ヶ月も放置されているのだから、臭くて当たり前だ。無事だった箇所で住んでいる方には申し訳ないが、これは本当。東北道を走りながら、「くさっ」と何度叫んだことやら・・・。常磐道では叫ばなかったよ☆ リーダーのブログです。タノンティアブログ
May 12, 2011
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震災から2ヶ月の5月11日を宮城県石巻市で迎えた。まさにその時間をボランティア清掃を終えてからの帰宅途中で迎えた。アナウンスの合図で、車を停車し皆で黙とうを捧げる。2ヶ月経った今日でも見つからない人は多数。建造物は破壊されまま道路は寸断されたまま流されてきたさまざまなものは山済みのまま。「復興し始めたから大丈夫」という世論に私は反発する。どこも大丈夫ではない。確かに復興は進んでいる。でも復興するって何?町がきれいになること?人々の心が立ち直ること?生活が安定すること?私にはわからない。仙台市に宿を取った人たちは言う。「あれ?ここは本当に被災地?」仙台だって被災地である。そこに生活している人たちの心はひどく痛んでいる。ただ、震災の痛手を忘れようと明るくしているだけである。そして海へと足を伸ばせば、多数が命を落とした場所がある。少し海辺に比べて被害が少なかっただけである。ただそれだけ。 どうか東北を忘れないで欲しい。震災を風化させないで欲しい。泣いている人、気力を失いかけている人が多数いることを知ってほしい。 全国から救いの手を差し伸べて欲しい。
May 12, 2011
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宮城県からの帰路、、、道を間違えた。しかも2回。 前回帰宅するときに、携帯ナビの言うとおりにしたら、レインボーブリッジを通らず、東名に乗せられた(私の設定が悪かったのだが)。だから今日はナビを使わず、看板凝視で、無事葛西JCTまで来る事が出来た(^0^)んがしかし、レインボーブリッジには到達しなかった。何故なら、「早く帰りたい、早く帰りたい」とぶつぶつ言っていたら、レインボーブリッジの前の大黒ふ頭で、ふっとハンドルを左に切って湾岸線からはずれてしまった。すぐに間違えに気付いたが、一車線を走りながら、「どうせ、このまま新道方面に向かうだろう」などと思っていたら、大黒線から二車線になったところで横羽線に看板が変わった。しかも羽田方面・・・・?今羽田から来たはず・・・そう、下ってきたのに、上ってしまったのであ~る(¬。¬)ぎゃ~と叫びながら最初の出口で降り、Uターンしてまた高速に乗り、三っ沢経由で、帰宅した。首都高代2回払った、そしてレインボーブリッジを通れなかった・・・(T。T)レインボーブリッジをわたってから左方面なのにぃ、なんでぇ~~ もう一回は頭の中が、トイレに行くことでいっぱいだったため、三陸道から東北道へ向かう道を間違えた。(トイレ、トイレ)ちゃんと仙台南部道路に進路をとっていたのに、ふっと・・・・・ハンドルが動いたの、勝手に!!これもすぐ気付いたよ。だって、三陸道のはずが常磐道になっていたモン。(確かここから常磐道の看板を見た気がする。)でもここでは「きっと東北道に繋がっているさ、もうすぐトイレに行ける」「トイレ、トイレ・・・」あれ?相馬方面?東京じゃない?東京が出ない・・・出ない、出ない、と思っていたら、常磐道が終わってしまった。思いっきり間違えていることに気付いたのは高速終点の看板を見たとき。 途中で降りることも出来たのに、安易に「常磐道でも帰れるさ」なんて思った私が馬鹿だった。常磐道は繋がっていなかった。。。さっさとUターンすればよいのに、一般道をしばらく走り、結局ナビに聞いてしまった。ナビ様は一般道のUターンを指示し来た道を戻り、間違えてから一時間してやっと東北道に乗れた。もう!!し~じらんない(T。T)ちゃんと地図見ろよ(~~)高速代・・あたま痛い。この後も間違えることになるとは・・・高速代・・・。 何で、しょっぱなで間違えて、また横浜で間違えるかな~~しかも地元だよ。そりゃ疲れてはいたけど、横浜だよ? また帰路で、レインボーブリッジを通れなかった←こだわってます。え~~~ん(T。T;)また珍道中。
May 11, 2011
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昨夜寝たのAM2時過ぎ。ブログに書きたいことがたくさんあるのに、過労とお酒で回らなくなった頭で考えていたので、時間がかかりすぎました。朝はゆっくり寝ていようと思ったのに、6時半にお目覚め。一応七時過ぎまでベッドの中にいて、筋肉痛の体を味わっていました。 宮城県大崎市は曇が出ていますが晴れています。今日は風がないことを祈ります。 洗濯した服を着たら、何だか魚の臭いが・・・気のせいなのか、臭いが取れないのか、気にしすぎなのか、判断してくれる人がそばにいないのでわかりません。 今日の予定は昨日の伺ったお宅に半日だけ行こうと思います。そして、那須の友人に会いに行きます。出来たら、福島のお友達の顔も見たいのですが、彼女も忙しいので、都合が合えばの話になります。では皆さん今日も一日がんばりましょう(^0^)☆
May 11, 2011
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このあたりのガソリンの相場はリッター150円から155円。ちょっとお高めなので安いところを探しました。セルフエッソスピードパス可発見!!朝石巻に行くときに給油をしました。 わかりますか?吸盤で付いているのです。 靴下を干しています(^。^)最近ちょっと出掛けるときは、下着や靴下を夜のうちに洗うようにしています。帰宅したときに洗濯物が少なくて済みますし、もって行くものも少なくて済みます。支援物資を探しているときに、良いものを見つけました。今のホテルにはたいてい物干し用の仕組みがしてありますが、小さいものならかさばらないので、もってきました。特に今日は助かりました。泥だらけの洋服と昨日の洋服を洗ったので、干す場所を考えなくて済みました。 このホテルはたくさんのサラリーマンが泊まっていて、エレベータは早くても各階に泊まることが多いので、なかなかが来ません。うふふ・・・エレベーターを待っている間に、キョロキョロしていたら、缶チュウハイを見つけてしまいました(^0^)。いろいろあって、お酒を控えていたのですが、何だか今日は飲んでやる~~と言う気分だったのでホント何ヶ月ぶりかで飲みました。美味しかったです。っか飲みながら打ってます。酔っ払いで~す。プハ~~美味しい。 写真の整理もしなくてはなりません。昨日まだまだ片付いていない現場を見てしまい、運転しながらデジカメと携帯で、たくさん撮りました。まだ全く見てもいないので、整理して、アップをしたいと思います。今0時23分。何時まで起きているかな?起床が遅いし、こんな生活は家では出来ないので、やりたいと思います。 今、車まで朝食用に買ったものを取りに行ったのですが、車を空けた瞬間魚のにおいがしました。風は強くても暖かかったので、窓を少し開けて作業をしていたから、思いっきりあの臭いを車も吸ってしまったようです。消臭剤を新しくして、明日は窓全開かな? ん~~地震じゃないのに、揺れています。←酔っている証拠ですね。酔っていなければやってらんないのかもしれません。 毎回そうですが、あの状況を早く何とかしなければと、強く強く思います。私はこれからは自由に出ることが出来るかわかりません。被災地での活動も明日が最後かもしれない。そう思おうと何だか寂しい。物資を渡した方と話をするとどうしても感情移入をしてしまう悪い癖なのかもしれない。電気、水道、ガスがまったくない生活をしている人がいまだに減らない。計画停電だけで、大騒ぎの地域にいると、余計に不憫でならない。 家庭があっての自分。十分わかっている。もちろん後方支援は絶対に必要。でも現場の支援は絶対的に足りない。主婦が、家を空けることは好ましくない。ましてや家業をおろそかには出来ない。わかっているから辛い。自由のみになれたら・・・ふっとそう思おう。
May 10, 2011
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被災地には清掃以外でもたくさんのボランティアの方々が来ています。医師、マッサージ師、理容師、美容師・・・昨日訪れた、水浜避難所には理容師さんたちが山形から来ていました。今日はボラセンで、美容師さんたちを見かけました。手に職がある人はこういうボランティアが出来るのだとある種羨ましく思いました。 仕事を終え、ボラセンに戻ったら、炊き出しをしていました。茨城の日本料理屋さんです。メニューは豚汁と寄せ鍋。一人帰ろうとしていたらリーダーが炊き出しを食べないのかと声をかけてくれました。まだ夕食には早いし、おなかもあまり減っていませんでしたが、皆が美味しそうに食べているし、もうこんなチャンスはないかもしれないので食べることにしました。食べたのはもちろん豚汁。だって寄せ鍋だと、魚が入っているかもしれないから・・・さんざん魚と格闘してきたから、今は魚系のものは控えたかったんです。 豚汁。野菜がたっぷり入っていて、とても美味しかった☆リーダーともう一人の男性と一緒に食べたのですが、男性は食べるのが早くて、あまりの美味しさに寄せ鍋にも挑戦!!彼曰く「美味しい!!臭みがないですよ」その言葉で、リーダーと私は寄せ鍋まで食べてしまいました。ふわっふわのつみれの美味しいことったら(*^。^*)。そしてなんと私のだけ鶏肉も入っていたんです(^0^)v結局2杯も食べたことになるので、帰路はお腹が苦しくて、ズボンの紐を緩めてしまいました。 さらになんとセブンイレブンの出張車までいました。10時から18時までなので、早くに出発するボランティアさんは買うことが出来ないけれど、ボラセンで、テント生活を送っている人たちには有難い事だと思います。ボランティアをサポートしてくれる方々は本当に有難いです。多賀城市でもパンやおにぎりを出してくれました。岩沼市でも炊き出しがありました(私は食べられませんでしたが)すべて自己責任で動いているボランティアにとってこういうことがあると、またがんばれるんです。ホントに美味しかったです(*^0^*)そして、いろんな職種の人たちが、復興に向けて、動いていることを感じます。 そうそう今日まで、福島、宮城、岩手のcoco壱では「どんなに食べても1000円」、セールをしていたんですって。皆でがんばっているんだなぁ~~ 、
May 10, 2011
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ボランティアをしたお宅は、海から400mなのでボラセンから移動しているときから、かなり魚のにおいがしていました。そして外も中も魚がたくさん落ちていました。さらに家の中は濡れているので、皆の洋服は魚の屍骸の混じった泥だらけ。 昼食時に臭いの話になったとき、魚の臭いはきついけれど、イカの腐った臭いは家の中なら、15分でギブアップするほどキツイとリーダーが教えてくれました。私が昨日かいだ臭いは、きっとこれだったのでしょう。私もあの臭いは嗅ぎたくありません。 ものすごい風が吹いていたので、顔はざらざら。仲間の一人が、「泥パックになる(^。^)」と言うので、「泥じゃなくて、砂、だから砂パック!」「えっじゃあ、サンドパック?」「そう、サンドバッグ…!?」すっかり漫才です。午後から帽子を脱いでいたので、頭皮まで、砂が入り込んでしまいました。魚の臭いの中での仕事だったので、すっかり慣れてしまっていましたが、ボラセンで、二人を下ろしマスクをはずして一人宿へ向かい始めたら、自分がかなり魚くさいことに気付きました。車が汚いので、作業をしたままの格好で、車に乗っていたのですが、窓全開!!涼しくなったら窓を閉めて汚れたポンチョを脱ぎました。でも臭い。頭は砂だらけ、体は魚臭い、宿に戻ったら、即シャワーです。ここは洗濯機があるので、シャワーの後は即洗濯。シャワーを浴びる前に気付いたのですが、髪に魚の臭いがついていたのですね。入念に頭を洗いました。 今こうやって、PCに向かっていますが、まだ臭いと感じたので、先ほど綿棒で、鼻の中を掃除しました。グリグリっとな・・・(^。^;)
May 10, 2011
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私が清掃を手伝ったお宅の方は、とても明るく活発な人。ピアノの先生をしていたり、ボーリングの腕前もかなりのものだそうです。物資の無い中、私たちにお茶とランチボックスを差し入れてくれたり、昼食時には即席漬けを出してくれました。皆申し訳なくありがたくいただきました。 でも、震災のショックから、体調を崩し、全くやる気を失ったそうです。出張病院で、治療を受け、やっと2ヶ月たった今、片付ける気持ちになったのです。 基本的に、ボランティアが来るときには申し込んだ方は、ボランティアが捨てて良いかどうかを確認をするために一緒にいてもらいます。さまざまなものを捨ててしまう場面に立ち会ってもらうのは忍びないのですが、思い出のある物や貴重品などは勝手に捨てられないからです。 時間になり、かなり片付いたので終わりにし、さよならの挨拶をした後、車の中から(私の車に乗っている3人)が手を握り負けないでください、と声をかけると、泣き出してしまいました。昨日会った方と同じです。明るくしていても、それは本当の明るさではないのです。振り返れば、ずっとラジオをつけていました。また何かあるかもしれないから、警報や注意報を聞くためです。怖い、怖くて眠れなかった。きっと今でも怖いのでしょう。でもそれが少しでも薄れれば、やらなければならないことが、たくさんあるのです。前進あるのみ。本当の笑顔が戻る日が早く来ることを願ってやみません。
May 10, 2011
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今日は晴れ。週間予報で雨と出ていたので嬉しい(*^0^*)。昨晩のうちに降り雨は行ってしまった様子。ありがとう(^0^)配送の手伝いをしようか、昨日物資を運んだ人の手伝いをしようか、石巻のボラセンに行こうか迷っていましたが、先に出ていた二つに、私は必要無い様なので、ボラセンに行くことにしました。9時半にボラセンに着き、マッチング。チームは気の合う仲間でした。向かった先は石巻市松並。マンションの1階部分のお宅の清掃です。ここは海から400mのところで、いたるところに魚が落ちています。 昨日も清掃し、今日は二回目。きっと昨日は部屋の中に入り込んだありとあらゆるものを出すので、精一杯だったと思います。今日は潮で、濡れたすべてのものをゴミとして出しました。3部屋もあるので、2部屋とトイレ、お風呂が精一杯でした。このマンションは1階の天井まで、波が押し寄せたので、シンクの上の食器棚に入っていたタッパーや器にまで海水がたまっていました。たんすの中も然り。洋ダンス和ダンスすべてが濡れていてとても重く運び出すのが大変。特に着物は「これを着て海に入ったら、絶対に泳げない」と仲間の一人が言うほど。タンスたちもゴミなので、タンス自体が水を含み重く、出すために破壊しました。シンクは大きいので、破壊。すっかり「ハカイダー」です。 上に乗っているものをすべて出してから、カーペット、畳の順に出しました。そこからたくさんの砂と魚との戦いがありました。魚と言っても箸の長さくらいのものから、ひじから指先ぐらいのものまで。それはとんでもない量でした。泥を集めているつもりが魚や魚の内臓だったり。味噌樽も30キロの玄米もすべて廃棄。玄関はゆがんで開きません。私たちの出入りは壊れたベランダ。 でもこのマンションには、4階に3家族が住んでいるのです。見知らぬ人だったけれど、、津波から逃げるとき階段を上って知り合い、住める家がないので、ここで過ごすことにしたのです。この地域はまだライフラインが復旧していません。給水車が、サイレンを鳴らしてきたときは、皆地震か津波の警報と思い、身構えました。漫才のような明るい会話をしていたけれど、やはり危険は覚悟の上なのだと感じました。 ひどいです。このマンションはきれいなほうですが、周囲の建物はほとんど基礎しか残っていません。マンションが壁になった後ろの建物は、運良くきれいに残っていますが、車や流されたものが入り込み全く手がつけられそうにありません。あれを見たら、何もする気になれないのも当然。信号機が稼動していないので、警察官が大勢います。 夜行バスに乗って、日帰りで、数時間でも多くの方が、この現状を見て、感じて、被災者の心に少しでも近づいて欲しい。そして、少しで構わないから、片づけを手伝って欲しい。そうすることで、被災した人たちの心が、救われます。どうか大勢の方が、現地入りしてくださいますように。 被災しても海も山も田畑もとてもきれいです。美しい宮城県ぜひ体験してください。
May 10, 2011
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楽天ブログは難しい 書きたいことがたくさんあるのに、字数制限で、かなり飛ばしました。ただいま0時22分書きたいことを一生懸命整理して書いたのに、字数制限で、3回も書き直しをしました。もう考えられない(T0T) 明日は起きられないかもしれない。明日の天気予報はあまりよくありません。起きられなかったら、家屋の清掃等のお仕事ができない代わりに、パソコンに張り付いて、情報を流し続けます。一応配達の仕事を予約しているのだけれど、「軽」がネックで、変身の電話が来ません。 軽でもたくさん詰めるのに。 書き出せなかった気持ちをここで書けば良いのだろうけれど、今はもう頭は睡眠状態。今日は寝ます。ただいま12時半あ~~歯を磨かなければ・・・
May 9, 2011
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朝9時前に宿を出発。10時頃、桃生町で、物資をお渡ししました。お渡しした方は、沿岸部で、家が流され、消防団に入っていた夫は防波堤を閉めに行ったまま、まだ見つからず、実家に避難しています。三十分程お話ししましたが、家族を亡くしても明るく過ごそうとしているようで、はじめは災害に合われた方とは思えませんでした。しかし話をしているうちに涙ぐみ、こらえていることが伺えました。かける言葉も持ち合わせていない私はもっぱら聞き役。でも「話を聞いてくれるだけで、心が軽くなりますと」言ってくれました。 家が酷い状態の中、子供たちの必要なものは無事で、持ち出すことが出来、さらに、あの悲惨な状況の中でかつて家にあった物を拾い集め、洗濯したり、洗ったりして、今の生活に使用しているとのことでした。拾い集めているときの気持ちを思うと、心が痛いです。 11時半過ぎに雄勝町に到着。道中、水上川に沿って走りましたが、河口に進むにつれ、道も川岸も様相が変わっていきました。はじめはただ、草がなぎ倒されているように見えましたが、次第に海岸線と同じような景観になりました。道もどんどん悪くなり、最後のほうには舗装は完全になくなり、鉄板の上を長く走ることになりました。「災害救援~~」のダンプと自衛隊の車がたくさん走っています。この道は本来幹線道路なのでしょう。 私が言った避難所は雄勝町の森林公園の中にあり、そこに行くには北上川沿いに走ってから、海岸線沿いも走らなければならないのですが、震災から2ヶ月がたとうとしているのに、まだ、酷い状態でした。引き取った下さった方は、車二台、家丸ごと破壊されてしまったそうです。そして、代車を出してもらってもガソリンがないので、壊れた車から取り出して利用したそうで、車が調子悪くなり2台出してもらった代車も一台は修理に出すことになったそうです。背に腹は代えられなかったと・・・。その避難所は子供が一人いて、災害を目の当たりにして、しばらくは母親にべったりだったそうです。今日は避難犬と一緒にとても楽しそうに遊んでいました。引き取ってくださった方は、その子が、皆を明るくしてくれると話していました。物資を出しているときに、塗り絵を見つけ男の子だけれど使うか聞くと、「子供って色に気持ちが現れるのよね。しばらく前は心配していたけれど、今はきっと大丈夫。」と、言っていました。明るい塗り絵をしてくれると嬉しいのですが・・・ 海抜何メートルではなく海抜何センチ。。。。 午後1時半雄勝町水浜 (避難所)保育所に到着。ここもわかりませんでした。10キロは余計に走った・・・?石巻でもこの地域は山間部もあるので、山道でがけ崩れもあり、要注意。受け取ってくださった方は、猟師さんの奥様。この歳で0から借金して、また漁業をすることは出来ない、と話していました。漁船って、すごく高いのですね。金額を聞いて驚きました。ちなみに、その地域はホタテを育てていたそうです。農業は国が補助してくれるけど、漁業は何もしてくれないと怒って居ました。確かに漁業に補助金とは聞かないですね。「主食と副食の違いよね。」。2,3年無収入になると嘆いてもいました。始め200人いた避難者が今は75人になり、仮設住宅が出来始めているので、だんだん減って、避難所として公認してもらえなくなる日が来るそうです。全員が仮設住宅に入れるとは限らないから・・・ 3時半 折浜町蛤浜避難所に到着さすがリアス式海岸。曲がりくねった道で上り下りすごい。さっきも言ったとおり、運転は大変でした。 20人小さな部落 ほとんど支援をしてもらえなかったそうです。わかってほしくて、大きな看板が出ていました。ふんばろう東日本プロジェクトのおかげで、日本中から物資が届き始めているそうです。私もその一人ですが・・・こちらの方もやはり漁師の奥様63歳になるだんな様は借金をしてもまた漁業をしたいと言っていて、先の見えない生活を嘆いていました。蛤浜はとても狭い地区で、避難所に使用している家以外は全滅。二人行方不明のまま。一日でも早く心が穏やかになりますように・・・ 蛤浜避難所を出てから、しばらくはきれいな道を走りました。しかし、渡波方面に向かうに従い、アスファルトのない道が増え、目印になるものは何もない茶色い世界の中を進んでいきました。自分が曲がるところが、道なのか私有地なのか全く見分けが出来ません。 渡波は海から、100メートルぐらい下離れていません。 相手のお宅を探しているとき、あまりの酷さに言葉を失いました。きれいに窓に車が、刺さっているのです。一つの家に大体3台ぐらいづつ。←これはここで物資を渡した方から聞いた話です。今はほとんど、車は取りはずされ、片付いているわけではなく、放置してあります。 この方の家は、向かいの家が壁になり、強い波があたらなかったので、周りがひどい損害を受けているのに、1階部分の損傷だけで済んでいます。残った2階で生活をしていて、こういう方々の行政の支援は少ないです。3,11の日、彼女は波に襲われ浮かび上がり流されないように4時間も向かいの壁になってくれた家の1階の屋根にしがみついていたそうです。ご夫婦で手をつないで、必死にしがみついたと。九死に一生を得たとはこのことでしょうか?しかし前に壁があっても、波は彼女の家を突き進んでいました。裏側に回ると壁すべてが、打ち付けられなおされていました。「まだリフォームしたばかりなのに・・・」 もう一人ここで、九死に一生を得た方が。このお宅を教えてくださった、男性です。彼は車に乗ったまま波にさらわれたそうです。さらわれた時「もう死ぬんだ」と笑ったと言うのです。あきらめるしかないだろ、助かるか助からないかは紙一重なんだよ、と。何だかしょんぼりしてしまいました。こういうときの人間はこんな反応をするのでしょうか? わからないしわかりたくもないです。 物資を受け取ってくださった方は、ご近所さんのお世話係。そうやって、余計なことを考えたくないから動いていたいといっていました。 最後は石巻市大街道南ここも海から100m位。17件も貸家を持っている方でした。このあたりも渡波と同じように波が家々を貫いています。でも湘南にある防砂林のように防波林が植えられていて、津波を弱らせていたのです。建物が他の地域よりも残っていました。このお宅へ向かう途中、両側がごみの壁でした。こんなにごみがたまっているのを見ると夢の島に行った気になります。めったに見ることの出来ない光景です。 このお宅では、何でも17件分欲しいとおっしゃっていましたが、ある分しか渡すことが出来ず、心苦しかったです。うけっとって下さったのは娘さん二人。目ざとく湘南ナンバーに気がつき、「湘南から来たんですか?」と、驚かれてしまいました。でも、「何かあったら、今度は私たちが助けに行きます。」と心強い言葉をかけてくれました。 もう6時です。だいぶ日が暮れてきました。後は帰るだけだと思っていたら、ものすごい異臭にびっくり。魚の腐った臭いとちょっと嘔吐したにおいが混じっていて、南三陸でかいだ臭いを思い出しました。ずいぶんごみが片付いているはずなのに、地面の砂は片付けられないから、どうしても臭いが残ってしまうのでしょう。 少し沿岸部から離れてしまえば、とてもきれいな町です。田んぼだらけだったり、ビニールハウスだらけだったり、、、海もとてもきれいでした。山もきれいでした。内地もきれいです。早く沿岸部もきれいになって欲しいです。
May 9, 2011
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8時3分 吾妻PA出発します。 前後ろ誰もいません。風で揺れても、全然平気o(^-^)o 9時30分 宿に到着 大崎市は2度目ですが、古川駅付近は、交差点が狭くて、つい信号を見過ごしてしまいそうになりました(;_;)。 周りの人が怖かったのではないかと心配です(T_T)。 これから現地に向かう道を吟味します。 では、お休みなさい PCで検索してみてください「ふんばろう東日本プロジェクト」 楽天ブログ「やっぴーのこころ」
May 8, 2011
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