全22件 (22件中 1-22件目)
1
もう3日前のことになりますが、同級生の父親が88歳だったかでその2日前になくなったので、私は近所の4人の人と共にその埋葬のための墓穴を掘る役を当てられ、墓穴を掘りました。初めての体験です。昔のように土葬ではないので、それほど深くも大きくもないのですが、それでも大きさは80センチ平方、深さは1メートルくらいのものです。野方と名前がついていて、昔からの墓堀は1番きつい仕事という風習が残っていて、あさ9じ頃からはじめて、10時過ぎにはお酒やビール、つまみがそこに運ばれてきますし、昼ご飯も運ばれてきます。1時からの葬儀の時間もそこにいて、運ばれてきた遺骨を入れた箱と共に、葬儀で使った幾つかの飾りのようなものをいれて、埋めます。そして土をかぶせて土饅頭を作ります。そこまでが野方の仕事です。 はじめは、あまり他のことは手伝えないので穴は私がほとんど掘ってやろう見たいな気持ちで行きましたが、結局4人で交代交代に掘りました。2人は70代後半ぐらいの人、もう一人は65歳くらいの人で、私は1番若かったのですが。特に困難もなくほれました。なくなられたそのMさんには、私の家が戦後まもなく酪農をやっていた時に、搾った牛乳を入れた大きな缶をせおって、近くの峠を越えてとなりの村の集配所まで運んでもらうという、大変な仕事をしてもらったことがあるそうです。すこしまえにそんなこともしりました。私自身の生まれる前後の時期で、もちろんそんなことは覚えていませんが。 葬式はずいぶんお金がかかる気がします。坊さんらには全部で30万ほど払わなければならないようですし、葬儀の後の夜の故人を偲ぶ会のような宴会に出た食事なども、ずいぶんお金のかかったものに見えました。 その同級生の友人自身が1年位前に脳梗塞で倒れたりして、今も後遺症が残っていて少し舌がもつれるところがあります。それなのに朝5時過ぎには起きて6時頃には車で名古屋の近くまで仕事に出かけています。大工さんです。大変だな―と思っています。 坊さんの主役も同級生で、彼は盲学校の校長でもあります。気さくないい人ですが、彼も掛け持ちで大変だとは思います。
2005.04.30
コメント(0)
妹が苦しんでいる。明確にはわからないけれど、そのなかには私の彼女との関係の仕方もかなりその原因になっている部分がある気がする。彼女は最近良く、私といてもくつろげない、楽になれない、安心できない、みたいなことをよく口にする。夕食を私と共に取りたい気持ちにはなれない、とかも。 彼女が帰って来てから私に良く言っていた言葉がある。今もときどきいう。彼女の言葉を、そのまま受け止めて欲しい、そうやなー、とか、そう感じてるんやな―、とか、何か受容的な言葉で受け止めて欲しい、評論しないで欲しい、いろいろ言われると苦しくなる、とか。私は彼女の言葉を、彼女がそう感じていることは理解できるけど、現実にいろいろな条件があって、そうすることは困難じゃないか、みたいな言い方で、彼女の考えていることを否定してしまう、だけど、という言葉を言わないで欲しいとか、そんなことを彼女はいい続けて来た。 そう彼女が言いつづけてきたことにはたぶん大切な意味があり、そうしないでいる私が日常的な関係の中で、日日彼女に苦痛を与えている部分があるのだと思う。 私自身はそんな彼女の言い方に対して、私は彼女にカウンセラーとしてかかわっているわけではなく、彼女と私の生活を成り立たせてゆく経済的な条件も作っていかなければならないし、彼女の言葉と現実の関係を明確にしてゆかないと返って彼女が苦しい立場にたたされたりすることにもなるとか思う、生活の現実を生きているから、言う必要のあることは言うみたいな言い方で、彼女が受け止めて欲しいようには受け止めないで来たと思う。 しかし、たぶん私は彼女の言葉を自分の理解で批評してしまうところがあるのだと思う。必要以上に。彼女は自分の言うことの全てを現実化しようとしているわけではなく、そんなことできもしないのだから、言葉は言葉として、そのときそう彼女が感じていることはそれとして、そうかーと受け止めてゆく、あるいは受け流してゆけば良いのかもしれないことが多いのかもしれない。 彼女の今の苦しみの中に、明らかに私との生活も苦痛であるということもある。彼女はここも自分の居場所ではないと感じていて、どこにも居場所がないといったことをよく口にする。そんな風に彼女が感じてしまう関わり方をしている私の問題、関わり方の誤りについて、もっとよく自覚できるようになりたい。
2005.04.30
コメント(1)
上の写真の細い木がコシアブラの木です。普通はこの細い木をびゅーんと曲げてトッています。よく折れるのはもう少し太い木で、大きくなっているものです。芽が上のほうについているので、それを採るために曲げると折れるのです。 昨日も37パックほど売れました。 しかしもうあまり採ることが出来なくなりそうです。もう葉が開きすぎているものが多くなってきているのです。しかし、その葉の開き掛けたコシアブラの姿はとても美しいです。
2005.04.28
コメント(0)
このところ、憑かれたようにコシアブラの芽を取っている。コシアブラの木は、たいてい細くてひょろーと伸びていて、ちょっと採りにくいところにあったり、大きくなっていたりしていて、大きく曲げなければ採れないときは、ベシッとよく折れる。とても柔らかい木で、その折れ方が何か痛々しいような感じの折れ方で、思わず申しわけないなーという感じになる。芽を摘むときも、大こな芽はほとんど摘んでしまうから、コシアブラの姿は無残なものになる。その他、もっと芽のとりやすい木にするため、私の背丈くらいのところできってしまうことも多い。みな私の金儲けのためにすることだ。同じようなことを榊にもシキミにもやっているわけだから、私にとっては特別のことではないのだけど。 結局、私が食べている食料やサプリメント、使っている紙、きていつも面や毛糸の服などもまったく同じことがなされているわけで、そんなことを思うと、私たち人間の植物や動物への圧倒的な依存のことに意識が行く。 自分の残酷にも感じられる仕事からそんなことを思う。 しかし今年からよく花の枝も切り取って売るようになったのだが、去年までよりも花の美しさが深く感じられる。この木の花は売れるかどうかに意識が行くとき、花の姿を良くみることになるからだろう。 昨日はそんなコシアブラ採りをしている時に、3度も繰り返し雷に襲われた。車の中で雷をやり過ごし、病んだのででてゆくとまた少しして強い風が吹き、山の木々がざわざわ、ゴーゴー音を立て始め、雷がまた襲ってきてまた車の中に逃げ込む、そんなことの繰り返し。コシアブラの芽を採るのにとても多くの時間がかかってしまった。 しかし昨年まではそんな雷がきても、カッパ着て大きな木の下でじっとしているしかなかったのだが、今年は車の中に逃げ込めるから、ずいぶん楽だ。
2005.04.26
コメント(0)

このところ榊やシキミを採るのはやめて、もっぱらコシアブラの芽を摘んで道の駅に出している。昨日は朝34パック出したのが11時頃には売り切れ、その後採ってきて25パックくらい出したのが全部売れた。コシアブラの芽は、たらの芽より良いかを理があるなどして、とても人気がある。テレビでもよく天ぷらにして食べると美味いなどと紹介されているらしい。 イチゴを入れる透明なパックくらいのに80グラムほど入れて、輪ゴムをかけてバーコードを張って出す。1パック300円。近くの山に群生しているところがあり、今のところ採ってくるのも簡単だから、榊で苦しい思いをするよりよほどいいから、これに集中することにした。後1週間くらいの短いあいだしか採れないだろうけれど、これで少しお金のほうは一息できるだろう。京都行きの前後5日間ぐらいは仕事をしていないから、その分を取り返すにもこれがいい。 昨日は最後に25パックほど出した後、午後3時頃からまた山に入り、1万5千円分くらいのコシアブラを採ってきた。もっとも今日は道の駅が休みだからそれほどは売れない。とりあえず他の2つの店に10日20パックぐらい出してみる。 妹は昨日の夜に帰ってきたが、夜なかなか眠られず苦しそうだった。ただここでは、私の前では苦しいことを表現できることが、いいといえばいいのだろう。しかしもう長くそんな状態が続いている。何とか打開策を見出したいのだが、どうしたらいいかわからない。 上の写真は野の花社から道の駅にむかう途中の、新緑に輝く春の山を写したもの。この山々の美しさには、それを目にするたびに心奪われる。このの山の中にいきていることの喜び。 京都に行ったとき、樟葉の駅でアビと待ち合わせているときに、通り過ぎてゆく若い女の人たちの豊かな胸や、ぷりっとした腰、すらっとした足などに魅入られていたのも楽しい時間だったが。 そしてパック入りコシアブラを追加。
2005.04.25
コメント(2)
妹も兄も精神的に障害を抱えた人だ。妹は精神的に極めて不安定で、自己否定的な言動を繰り返し、常に肉体的にも精神的にもしんどい旨の訴えがあり、私はその彼女の苦しみを緩和しようと、彼女に、あるいは彼女が必要とする食料を買い、サプリメントを買い私にできる範囲で精神的にも楽になれるよう働きかけながら生活している。もちろんかえって彼女を苦しめる言動をする私もあるのだけど。 そんな中で昨日書いたようなことを言えば、彼女は負い目を感じ、ここで暮らすことがよけいに苦しくなる面があるかもしれないとは思う。ただこのところとても私に対する言動が、私の困難を考えない甘えた感じの、しかもとんがった言葉で表現されることが多くなっている気がしたので、ここの、私の困難と彼女の言動の関係について、明確な形で言う必要を感じ、そうした。彼女が深い精神的な障害を抱えていることは事実だが、かといって私も過剰な負担を抱えることはできないし、それはとても心身ともにきつい。また彼女はまったく物事に対する理解力のない人ではなく、よく話せばことを理解できる人だということもある。そう私は感じている。私は彼女を、心身ともに障害を抱えている人ではあるが共に生きている人ととしても感じている。ここでの生活上の困難は、彼女もそれなりに考えそれなりに配慮する責任があるとも思う。そういっても、そんなことをいうべきではない人もいるだろうけど。 ともあれ、私の昨日書いたような彼女に対する言葉は、そんなに悪い影響は与えなかった気がする。彼女はあらためて自分の言動と、私の困難との関係を考えてくれたみたいだ。最近彼女は私のことをけちだということがよくあったのだけれど、そういう言葉の現実の意味を感じ取ってくれたと思う。 彼女は少し私を楽にさせたくも思い、女友達のところに泊まってくることにした気がする。そうしようとしていったわけではないけれど。 兄はこのごろ少し躁状態に入り、活動的になり、多弁になり、よく電話もかけてくるし、いろんな相談を持ちかけてもくる。一昨日も病院の近くの喫茶店で3時間近く話し合った。彼はそう状態に入っている自覚はあり、前のような失敗を繰り返したくないから気をつけているみたいだけど、それでも私から見るとずいぶん危うい考え方で金を作ろうと考えたりしている。でその危険性について一昨日も昨日もその喫茶店や電話で話した。彼は私のような人間とそんな話が出来ることを喜んでいてくれた。これまで長い間、そんなことを真剣に話し合える人がなかったようなのだ。 とりあえずこの兄妹ととの関係を、少しでも良いものにしたい。この3人の困難を共に克服し、共に生きられ、その関係を深め豊穣化できれば、これまでの困難や苦しみはとても大きな財産になる気がする。まだまだ何度も大きな波に出会うだろうが、何とか1歩1歩歩んでゆきたい、彼らと共に。
2005.04.24
コメント(0)
今日は久しぶりに一人静かな夜を過ごしている。妹が可児市の女友達のところに泊まっていて、帰って来ないからだ。久しぶりに静かな夜。やはりこの方がとても落ち着く。昨夜も彼女とここの経済状態、私の仕事の困難さ、彼女のそうしたことに対する自覚の不十分さ、といったことについてかなり突っ込んだ話し合いをした。 いろんな差し入れを貰ったら、すぐに人にやることを考えるのではなくて、ここの経済状態を良く考えて、そうしたものをなるべく最大限に使い、ここの食費を安く上げることを考えて欲しい。私は彼女のもっとも身近にいる人間であり、その私の経済的な貧しさ、困難などにできるだけ配慮することなしに、他の人のところに物を持っていったり、ここにあるものを十分に使わずに腐らせたりすることは、バランスがかけている。 そんな中で次のようなことも言った。私の採ってきた榊が、花市場では虫がくっているなどの理由で30本1束が1000円くらいでしか売れない。2日かけて採った6束の榊が5000円くらいの金にしかならない。ほかのものも採ってきて夜遅くまで仕事をしたりすることで、何とか7,8千円の仕事にしているが、それでも支払いが多くて貯金が減り続け、毎日毎日どうやって暮らしてゆくか、少し不安に思うくらいの生活をしているのが現実だ。他人のことを考える前に、そういう私の困難について考えてほしい。 彼女の生活の仕方、言動が、そうした私の現実とかけ離れているときが良くあるので、言わずにおれなくなり、そう言った。 彼女との関係で私のほうにも何か彼女を苦しめてしまう言動もあると思い、何かを変える必要を感じているのだが、関西から帰ってきた後はまた元のような自分に戻っている。そんなきがする。 写真は今日入った山に咲いてた野のバラ
2005.04.23
コメント(0)
昨日は朝妹との話し合いにエネルギーを使ったこともあり、榊など採りに行く仕事が中途半端になったので、前の山に生えているコシアブラの芽を摘みに行き、2時間ほど摘んで帰った。そして妹を乗せて道の駅に行き、透明のパックに入れて、1パック300円のを20パックくらい作り出した。出すそばから売れてゆきだし終わったときには7パックが売れていた。全部売れれば2700円くらいの儲けになる。そのほかに榊も23束くらい出したし、そのあと山に行き水苔などを30ケースくらい採ったから、昨日は何とか1万円くらいの仕事をしたことになる。少しほっとする。 上の写真はコシアブラの芽です。
2005.04.21
コメント(0)
今回の2泊3日間のたびは、京都の東本願寺、真宗大谷派の人々に対する過去の私の犯罪行為について、謝罪することを主要な目的とするものでした。そのついでに和尚の弟子、サニヤシンたちに再会することなどもしてきました。 いつかもう少し落ち着いた時にその謝罪については書きたいと思いますが、今できる範囲で少し書いてみます。 事件いついての主体的責任の取りようということについて、深く考えるようになった東京拘置所在所の、1986年頃から、1度はこの生身の身体とこころをもって東本願寺に行き、被害被った当事者である大谷派の人々に対し謝罪したい、そうする責任が加害者の私にはあると思いつづけてきました。もちろんこれは私の事件で被害を被った全ての人々に対する思いでもあります。 刑務所出所後すぐにでもそうしたい気持ちもありましたが、とりあえず友人などのところを回り、その後郷里に帰り、実家の惨状を目にしてその修復など始めたこと、その後の経済的な苦しさなどから、なかなかそうした方向に踏み出せない、出さないままで来ました。 こうした状況の中で、最近になってもうそろそろそうしたこともはじめてゆかないと、いつまでたってもそうしたことが出来ない状況が変えられないようにも感じ、そのことに踏み切る最初の1歩のような感じで、東本願寺行きを用意し、実行しました。 しかし端的に言えば、東本願寺に実際に赴き、境内や本堂などに上がり、またその宗派の代表者である熊谷さんに会うことなどしても、あの28年程前の事件をどのように謝罪してよいのか、それがよくわからない感じがありました。加害者として謝罪するのは当然であり、そうすることの必要は明確に感じながらも、何かことのリアリティ―が自分の中で十分なものとして感じられない、そんな感じがありました。 私はそのことをその謝罪の場で、宗務総長である熊谷さんにも伝えました。彼はそのことをよくわかるといい、理解し受け止めてくれました。 今はこのことについてこれ以上書くのは止めます。微妙なことで、きちんと書くのはとてもエネルギイがいる感じがするからです。 この謝罪についてはある事情で毎日新聞の記者が取材してくれ、19日の朝刊の記事になっています。そこにかかれていることのアウトラインはそれでいいのですが、そのような記事にはできない部分での、私の中での心の動きや、謝罪の場の現実がありました。 そこで起こったことをどう受け止め、どう考え、これからはどうしてゆくのか、あらためてもう少し考えてゆく必要があるのを、強く感じています。 今日はこれ以上書くのは止めます。これで5日ほどお金を稼ぐための仕事はしていません。何か経済的な先行きの不安を感じています。山の仕事の展望が今ひとつ苦しく、その仕事がハードなので、この5日間の日日から切り替えて、山の仕事にかかることが、なにかその切り替えの間際に、不安のようなものをうんでいます。
2005.04.21
コメント(0)
妹が苦しんでいて私はどうしたら良いかわからず、少しアドバイスが欲しかったから、モンジュに電話した。少し事情を話すと、栄養の不足の問題と霊的に過敏、影響を受けやすくなっていることが考えられること、今は妹をどうかしようというのではなく、デバムが野の花社の中で、存在全体とつながろうとするような時間を、たとえ短くても良いから持ったほうがいいとかいわれた。またそれと関連してそのためにもそうしたことをするための特別な空間を作り、その場所を日常的に綺麗にしたり、水を備えたりすると良いとも言われ、妹のためにはもともとあった社を綺麗にして元のところに戻したほうが良いとも言われた。多少は言い方、、ニュアンスは違うかもしれないが。社を移そうとしたりしていると、兄の同級生の奥さんがきてくれたので、手伝ってもらってきれいに拭いてもとの場所に返した。天理教の死んだ家族の霊を祭るところで、妹は母が死んだとき、天理教の儀式で母の魂を御霊様に移す儀式を見ている。そんなものを母屋のすすけた場所に置いていることも、少しは妹に良くない影響を与えているかもしれないと思い、そうした。 もっと書きたいけど明日は長く運転することになるから、もう寝よう。
2005.04.17
コメント(3)
昨日の夜は、妹が大変に苦しんでいました。彼女の苦しみに対して、今の生活を維持すること、生活する上で彼女が必要なものを購入してきたりすること、などはそれなりに出来ていますが、彼女とのコミニケーションの仕方に関しては、多分私にもだいぶ問題というか、返って彼女を苦しめてしまうようなことばのかけ方をすることが良くあるようです。 私が現在の野の花社の経済状態などを正直に伝えていることなどから、彼女は自分が私の負担になっていると感じ、それなのにどうすることも出来ずにいる自分を責めたりして、心をすり減らしているようなところがあります。 何か私も自分のあり方を返る必要があるようにも感じます。このままではこの状況が変わらないばかりか、悪くなっていくように感じるからです。そのことを静かに感じている朝です。少しこ寒い気持ちのよい朝です。何かを変えようという気持ちが湧き上がってきた朝です。 近くの女友達が作ってくれた11個苔球だったかの苔球は、その翌日の一昨日には良い物が8個ほど売れてしまい、昨日見に行ったときには3個しか残っていませんでした。それを知らせると友達も喜んでいました。他の人のはそんなに売れていないところからみて、作り方のヒントも得ました。自分で美しく作ったものが人に喜ばれて売れてゆく、やはりこの方が私の行きかたにも合っている感じがします。とりあえず5月は榊の新芽が出始めて、よけいにとりにくくなる時期ですから、すこしづつ苔球つくりもはじめてみようと思います。 明日は2泊3日ぐらいのたびに出ます。愛車、軽トラのタンポポ号に乗ってゆっくり西のほうに旅立ちます。これも私のこの間の生活の1区切りとなること、新しい生活の始まりになるような気がしています。ほんとに少しずつの変化でしかないでしょうが。 一昨日は100円ショップのようなところで、私たち兄弟3人のために、おそろいの1厘ざしの小さな花瓶を買ってきました。あとからその写真を挿入しておきます。昨日は風呂のレンガ積みも少ししました。
2005.04.17
コメント(2)
今日は岐阜の生花市場に苔13ケースと、榊の枝の30本入りの束6束などを持っていった。こけのことは職員にどんなものが良いのか聞いて、2ケースは出すのを止めて出した。結局苔は1ケース500円で11ケース5500円、榊の枝は1束1000円で6000円くらい、その他しきみの小束なども合わせて計15000円の稼ぎ。まあまあではあるけれど、榊は2日間かけて、かなりハードな労働でやっと6000円にしかならない。13日に出していればもう少し良い値がついたのだろうけど、私の出したものは虫食いがあるとして、安くなってしまう。なかなか良い物がないのだ。 それに比べて苔はおよそ2時間ぐらいでとれたもの。たいして深い谷に下りてゆく必要もないし、林道の近くにいっぱいあるから、すごく楽だ。苔を採ることを専門にしている人などおらず、少しゲテモノ扱いのようにみられているのか、毎回出す人もほとんどいない。ただそんなに売れてゆくわけではないだろうから、毎回毎回20ケースも出して、1ケース500円で売れるかどうかは、まだ分からない。それでも雨の日も採りに行くのは比較的簡単だし、苔球作りに寄与することのほうが気持ち的にはしっくりくる。苔採りと苔球作りを専門にして、名古屋のほうにも出したりするようにすればもう少しいい収入にもなり、気持ち的にも楽しくなる気がする。道の駅にも1ケース1000円くらいで3,4ケース置いても良いかもしれない。 ところで昨日は近くの女友達の作ってくれた、とても華やかな感じのする苔球を10個ほど、道の駅に出してきた。1個1000円から500円、道の駅の店員の女性も、これなら良いわ、売れると思うといってくれた。これからはこうしたものを自分で作る方向により多くのエネルギィーを注いだほうが良いかもしれない。道の駅だけでは売上はたかが知れているだろうけど。 明日あたりその道の駅に出した苔球を携帯で写してきて、ここに載せようと思う。採ってきてパレットにいれて川で洗った苔の写真もあとで入れておこう。
2005.04.15
コメント(0)

昨日は生花市場から帰ってきたあと、山にシキミを採りに行ったのですが、シキミを採り終わって返ってくる途中、売れるかもしれない花が目に付いて、切るかどうか迷った利してなかなか帰ってこれず、帰りが予定よりすっかり遅れてしまいました。花に迷う私です。
2005.04.12
コメント(0)
今日も山の中でヒキガエルの鳴き声を聞いた。鳴き声の聞こえるほうへ降りてゆくと、湿地帯のような谷間の水の中で、愛し合うヒキガエルの姿が目に入ってきた。もうこうなると携帯を向けようがなにしようが、何かが終わるまでオスは雌を離そうとしない。それどころかこの磁気のオスは何でも動くものに抱きつくらしい。ずいぶん懐かしい光景だ。ちなみにいうと返るにはペニスはない。だからオスは腰を動かしたりはしない。ひたすら抱きついているだけだ。だったと思う。
2005.04.10
コメント(2)
今日も山の中でヒキガエルの鳴き声を聞いた。鳴き声の聞こえるほうへ降りてゆくと、湿地帯のような谷間の水の中で、愛し合うヒキガエルの姿が目に入ってきた。もうこうなると携帯を向けようがなにしようが、何かが終わるまでオスは雌を離そうとしない。それどころかこの磁気のオスは何でも動くものに抱きつくらしい。ずいぶん懐かしい光景だ。ちなみにいうと返るにはペニスはない。だからオスは腰を動かしたりはしない。ひたすら抱きついているだけだ。だったと思う。
2005.04.10
コメント(0)
たった今ADSLへの変更が終わりました。IP電話も接続できましたから、これからは全国1律3分8・4円だかで電話がかけっれます。これで電話代がかなり安くなるのではないでしょうか。嬉しいことです。インターネットの接続のというか、速さも100倍以上になったようです。たしかに速くページがでてきます。 少し雲はありますが暖かな陽気です。昼からはシキミを採りに行きます。生花市場に始めてしきみの小束を出すためにです。いろいろ試してみます。なんせまだ生花市場に出し始めて4ヶ月、ほんのひよこなのですから。これまでよくやってきたのだと思います。 さて少し早めのお昼にします。
2005.04.08
コメント(0)

今日は1週間ぶりくらいに風呂に入ってきました。サンホームのです。上の写真はそのとき携帯で撮った私の上半身ヌードと、浴場、いえ欲情ではありません、の写真です。我ながら贅肉のないひきしまったからだだと思います。その点は自慢です、にこにこ。我とあらん女性はこの私に触れにこい、にこにこ。返って逃げられてしまうのかな。うむむむ。 今日は昼近くまで雨が降っていたので、午後からいつもの谷の入り口付近にゆき、土佐ミズキとクロモジの枝を切ってきて、道の駅とこぶしの里に計30本ほどだし、あとはこの間世話になっているところなどに二本づつ置いてきたりしました。花の配達は野の花社らしくて快いです。花からすれば私はとんでもない簒奪者ですが。
2005.04.07
コメント(0)
昨日はだいぶ暖かく、確かに昼間は下着と長袖のシャツ1枚だけでおれたのだけど、夕方になって少し肌寒く感じ、ストーブをつけたら妹に、寒いの、おかしいわ、何処かからだが悪いのと違うといわれてしまった。今朝も室温は15度なのにこさむく、冬と同じ防寒の服着てストーブをたいている。体力が落ちているのだろうか。この間のハードな労働などから、体力の基礎的な部分が少し落ちているのかもしれない。あの体力のないかに見える妹さえストーブなどつけなくて良いのだから。 きのう山で会った森林組合の人が、私たちのような榊の切り出しをする人の多くが身体をいためる、そりゃ―榊の重いのを背負って山を歩くのだからなーといっていたが、そういうこともあるのかもしれない。もう少し山のことを知り、体力をあまり消耗しないようにしないと良くないだろう。 ついてるファシリテーターさんさんの日記など読み、今の私はほんとうにやりたいことを信頼しておらず、お金に対する、生活を維持するお金に対する恐れから、仕事をしているところがあり、その分わくわく楽しい生活をしていないのかもしれないと思いもした。 お金のことなど心配することからではなく、まずやりたいことをすることにして、それをどうしたらできるか考えてゆくことか。私自身はやりたいことがありそれを実現するために、経済的な基礎を作ろうと悪戦苦闘しているわけだけど、やりたいことをすること、そのための基礎を作ることが分離している。普通はそんなもので、私などまだやりたいことがあるというだけでましといえば言えるのだろうけど、やりたいことをしながらそのことで金を得ることができるよう工夫していくことをしたほうが良いかもしれないとも思う。 下の写真は昨日入った、野の花社の近くの谷、山林を写したものです。ここは私の少年の頃までは、私の家の田んぼが会ったところです。その後誰かの手に渡り、木も植えられていたのが5,6年前の雪害で気が倒れたりして、そのまま放置されています。こうした光景を見ると野の花社のある地域、あるいは多くの日本の山林の荒れ果てた現状を、リアルに知らされる思いがします。
2005.04.07
コメント(0)

今日の生花市場での売上は、7000円くらい。前回1ケース500円で売れた苔が今回は1ケース100円だったこともある。何か理由もあるのだろうけど、今回は水ですこし洗って上のゴミなどできるだけ撮り、綺麗にしたし前より良い物出したつもりだけど100円だった。そう甘い儲け口はないということでもある。 ともあれ昨日などは、インターネットで苔に関するページを検束して、すこし苔について、個毛玉の作り方について目を通してみたりした。苔のことについて何も知らない自分のことをあらためて知った。何もかもそれなりの水準の知識や、技能、感性など得るためには、本気でその中に入らなければ難しいこと。そんなあたりまえのことを無視して金だけ儲けようとしていた、自分のことを見つめ直すいいきっかけにはなった。 しかし榊の良い物が取れないし、山の仕事もここへきて、1つの壁にぶち当たっている感じ。すこししんどい。上の写真は昨日林道でとった土佐ミズキ―川べりのもの、とクロモジの花です。
2005.04.06
コメント(0)
今日はあまりよくない榊以外には、土佐ミズキとキフジを少し、それと苔を40センチX60センチくらいの大きさのパレットに8杯、といってもこけは1枚分をそのパレットに敷き詰めたもの、そんなものを岐阜の生花市場に出荷した。榊は良いものがなく、1束が3000円でうれた以外は1500円、1000円とどうしようもない値段だった。それでも誰かが3000円で買ってくれたことはありがたいことだ。ともかくこの3月中頃から入っている谷も、もうあまりいい榊がなくなっている感じで、次の場所を探さなければならない。しきみの小束作るために国有林へ入っていたので、いい榊のあるところがまだあまりわからないこともあり、1つの谷や山の斜面を採り終わるとなかなか次のところが探せない。 でも今回始めて苔を8パレット出して1パレット500円の4000円で売れたことは、ちょっと明るい材料だ。苔は今のところかなり採りやすいところにあるし、採る時間も比較的短くて済む。まあとう分毎回10パレットくらい出して見たいと思う。4,5000円にはなるのだから。苔だま作りも友達から教えてもらうことになりそう。榊より私にはそういうほうが向いている気もする。苔だまは人のこころを癒す側面も持っているだろうし。特に都会の人々にとって。そういう方向へ方向転換するのもいいだろう。榊採りなどの力仕事じゃなくて、すこしは芸術的なというか、創造的な仕事になるし。問題はそれでどの程度の収入を得ることができるかだけど。ともかく今の仕事を当分は続けつつも苔だまの作り方も学んでゆこうと思う。
2005.04.04
コメント(0)
今日入った谷で懐かしいヒキガエルの産卵の声を聞き、近づくと小さな湿地の水溜りの中で数匹のヒキガエルが産卵のために集まっていました。私に気づくと彼らは泥の中にすこしづつもぐりこんでゆきましたが、榊を背負っていた私はすぐに携帯を取り出せず、しばらくして取り出したときは、みなもぐりこんで姿を隠してしまっていました。この写真はその後私が棒切れで彼らを取り出して写したものです。幼いとき、少年の頃は彼らを捕まえて家に持ってゆき、皮をはいで腹綿を出し蒸し焼きなどにして食べたものです。
2005.04.02
コメント(0)
ISDMからADSLにインターネット接続を変更する手続きをしている途中で、まだNTTからそれようのモジュラーがきていないのに、接続の形態が変更され、昨日は1日インターネットへの接続が出来ませんでした。プロバイダーに電話して改善を求めたところ、今朝になってやっと回復しました。ともあれ8日ごろからADSLにようやく変更できるので、IP電話も使えるようになり、電話代も安くなります。これは嬉しいことです。半年間ほどインタネットの接続料も無料になるか大幅に割引されるようですし。 今日はこのあとすぐに仕事に出かける準備をします。午後から雨が降ってくるということですから。
2005.04.02
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1
![]()