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このあたりの道を、特に林道をドライブするのが好きだ。と言っても山仕事に行く途中や帰りのそれだ。うねうねとうねり、緑の木々、道端の崖の上から垂れ下がった大きなシダの葉、道の脇を流れる谷の水の透明な煌き、道から重そうに飛び立つコジュケイ、白い尾を見せながら道の脇の藪煮に走りこんでゆく鹿。そんなところを右に左にくるくるハンドルを回しながら走る。ときには道の上で休んでいる蛇を、踏みつけてしまうこともある。今日も榊の切り出しを終えた後の、そんなドライブを楽しんだ。 そして今日は、途中で、すこし深い淵のある谷川の脇にタンポポ号を止め、海パンに着替えて、その淵に降りてゆき水を浴びた。まだ3時ころだから水も温かい。谷の水だからとても美しい。その淵に身を沈めたりしながら、もって来たライフプラスの石鹸をタオルにつけて、身体を洗う。この石鹸の匂いが好きで愛用している。世間知らずの私が知らないだけで、もっといい匂いのする安い石鹸はあるかもしれないが。ともあれ頭のてっぺんから足の先までその石鹸をつけ、タオルで身体をこすり、髪の毛をぐしゃぐしゃにして泡立て、水の中、淵の深みに身体を沈める。ごぼごぼと水の中で音がする。懐かしい音。 水の中で立ち上がると、陽射しが照り付けている谷が目に入る。ただ嬉しい、ここにいることが。こんな風にしていられること、仕事と遊びの見分けがつかなくなるような気持ち。 今日は5日ぶりにかなり本格的に山仕事をした。何とかからだが対応できるようになっているのを感じながら。またすこしエネルギイが上がってくるのを感じながら。上の写真は、今日通った林道を写したもの。
2005.07.28
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シキミの小束をすこし作った後すこし遅い朝食を摂る妹がつくてくれたものいつものように些細な感じ方の違いで2,3の諍いをし談笑しもっと言いたいことを言うのを押さえつつ心迷わせつつ食後の休息にこのパソコンのある自分の部屋に入る暗い部屋の蛍光灯をつけつつこの部屋が好きという思いに襲われるのを感じるこの部屋がすきこの部屋を愛している私が修理し私がととのえかなり散らかってもいるこの部屋が好きここが私の居場所そんな思いのそこからこの私が好きという思いも湧きあがってくるいろいろなことに途方にくれ気分も低迷し途惑いつつここにいるこの私この私を愛しているこのわたしがすきあふれるほどに涙もあふれるほどにこの私を愛しているなぜかそんな思いがあふれてくるありがとう上の写真は、去年の野花社に移植し、今年初めて花を咲かせたもの。名前は忘れました。
2005.07.27
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昨日は私を訪ねてきた人と、午後3時頃からずっと話し合ったりする。最も夜8時頃からは、私の中学生のときの同級生2人も交えてだったが。そんなこともあって、山の仕事はせず。午前中は大矢クリニックに行き、背中のレントゲンを撮ってもらい、骨は異常無とのこと。その後サプリメントの紹介の仕事を、3件ほどする。購入にいたるまでの人はなし。ただし自分のペースは分かってきた感じがある。無理をしない。ただありのままを言うだけ。こんなんではいつまでたっても購入してくれる人はないのかも。しかしそんなものの紹介をしたからと言って、私自身は関係が悪くなる気がしない。まだはじめたばかりだからだろうか。 今日は山仕事をすこしはじめる。榊の小束を作るための枝切りに前の山に入る。ゆるゆると身体を慣らして行く感じ。持ってきた小さな枝で20束くらい作ったのと、ストックしていた榊の枝40本を他の人にとって貰う。いくらかお金になる。その後、猪のまだ幼い子どもを見に行く。うりぼうと言うやつだ。上の写真はそれを写したもの。
2005.07.26
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まだ一昨日痛めた肩、肩甲骨のあたりが痛い。たいした痛みではないけれど、山で重い榊を背負ったりするのは負担がかかりすぎるような気もし、また身体がまだそんな仕事はするなと言っている感じもあり、昨日は1日家のなかで横になったり、本を読んだりしながら過ごす。 稼ぎ時に稼げない不安はある。 一方でこうして静かな時間を過ごせることは、いいことだ。 身体の痛みに、少し意識を向けながら 椅子に座って 何もせずに時を過ごす 昨日は早とちりしたけど 今日が私の誕生日 一応身体のこと医者に診てもらいに行くつもり 昼からは客があり どんな形であれ 今日はその人とそれからはすごすことになる 妹は昨日のワークショップの中で 他の人が自らの幼少期の苦痛な体験を 涙を流して語るのを聞いたりしたようだ あそこにくる人はすぐに涙ぐむのねー とかも言っていた そんな場にいたことだけでも良かったと思う 上の写真は10日ほど前山の中で汗だくになって、榊を切り終え、タンポポ号のところまで運んだ後、撮ったものです。
2005.07.25
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妹が迷いながらも鳥山さんのワークショップを受けに行った。良くあるように出かける寸前まで迷いながら。ここから車で25分くらいのところにある、賢治の学校歩・ホットで、昨日から2日間の予定で開かれている、鳥山敏子さんのロールプレイの技法など使ったりする、自分探しだったり、自己回復・自己実現のためだったりするワークショップだ。 鳥山さんは確か小学校の教師だったひとで。25,6年前から竹内演劇研究所に参加したり、和尚のところも訪れたりして、今はシュタイナー教育に学び、大人も子どもも共に成長してゆけるような場を、賢治の学校の活動など通して作っていこうとしている人、などといえるかもしれない。あくまで私の理解では。 私自身出所後1年間の内に4回ほどだったか彼女のワークショップに酸化した事があります。私にとってはとても心癒され心の滋養を与えられる場でした。それで妹にも行くよう勧めていたのですが、やっと自分から行く気になってくれました。 何か彼女の困難を解きほぐす手助けになることが起これば良いのですが。 私は肩が痛いため、まだ仕事に出ていません。
2005.07.24
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あけがた小便がしたくなって目がさめるとカナカナ カナカナ カナカナヒグラシの澄んだ鳴き声が 野の花社を包んでいた痛む肩をかばいながら起き上がり布団の上に座ってしばらくの間それを聞いていた野の花社の横の荒れ果てた母屋の裏庭の柿ノ木でもヒグラシが1匹鳴いていた私の部屋の近くだからカナカナ カナカナその鳴き声がひときわ、明瞭で澄み切っていて心地よかった 上の写真はヒグラシの鳴いていた母屋の裏庭と柿木を写したもの
2005.07.24
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今日は朝早くから道の駅に出すシキミなど作って、9時頃には道の駅にゆき、策や自分で作っておいた榊や、一昨日採って来て数が半端なので市場に出さなかった榊の枝、シキミなどそれぞれ10本くらいと、水藻の乾燥したのを袋に入れたもの3つ、計4500円分くらいを出してきました。 その後帰って来てから昼ご飯を食べ、1時過ぎから山に榊の枝を切りに行ったのですが、仕事が終わり近くなって、榊の大きな木に登り枝を切っていて、つかんでいた枝が折れたためだったか、3メートルくらい上から山の斜面に墜落しました。 痛いのなんのと言って、山のなかで一人大声でうなっていました。しばらくは声も出なかったのですが。どうも右肩、肩甲骨のあたりを痛めたらしく、そのあたりに痛みが走ります。しかし骨に異常はないみたいで、きりきりとした痛みはなく、一応腕は動かせます。ただ切った榊の枝を一つにまとめて縛ろうとすると、いためたほうの腕に引く力が出ません。引こうとすると痛いのです。 何度かサル、いえサブも気から落ちたことがあるのですが、今回が一番きつい気がします。 猿も木から落ちる サブも木から落ちる
2005.07.23
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私の郵便貯金の口座に7月14日荷3000円が振り込まれていました。T・Hさんという人からです。多分私の本の代金だと思うのですが、住所がわからなくて送れません。局へ聞けばわかるのかもしれませんが、もしこの書き込みを読まれていたら、メールで住所を教えて下さい。
2005.07.21
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えー、お笑いを一席。 一昨日の朝のことです。どうもこの2,3日おいらのちんちんの先の皮のあたりが痒くなっている気がして、ふともしやつにやられているのかもしれないという気がしてきました。で、まことにお粗末な話ですが、おいらのちんぽこの先のほうの皮を、しげしげと見つめて探しましたところ、糞ー、いましたいました、とても小さなやつですが。まったく、どこに噛み付くんだ、このやろう、おいらもずいぶんなめられたものだ。よりによってこんなところにか見つかれるなんて、とほほほー。
2005.07.20
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この間少し榊の値段が良くなって、これなれどうにかやっていけるかなと思っていた矢先、15日と今日の20日の榊の値段がとても安くなり、1日め一杯働いてとった150本ほどの榊の枝が、5500円ぐらいの収入にしかならない。これにガソリン代なども引いたら4000円くらいか。きょうはちょっとこのことで落ち込む。見通しが立たないのだ。市場に品物を出す人の実情かもしれないけど。ともかくこうした世界で生き抜いてゆくということは、相当ハードなことだとあらためて思い知らされる感じ。今日は一昨日とその前に撮って置いたドウダンツツジ160本くらいが6000円くらいで売れたから、やっと1万円は越したが。 妹にもそんな現状をこの夜になって話し、今妹と2人分の生活を維持してゆくための金を稼ぐのは、非常に苦しいこと、だからここにいるならパートとかアルバイトの仕事につき、ある程度稼いで欲しい、出なければ連れ合いのところに帰るか、生活保護を受ける形で私から自立した生活をして欲しい旨伝える。 彼女も苦しいかもしれないけれど、どうもこのままの状態では生活のめどが立たない感じがする以上、そういわざるを得ないと思いそう言った。 今日は市場から帰ってきて、一眠りしてから、ドウダンツツジを採りに行く。しかし最近人に聞いた新しい場所に行ったため、ドウダンツツジを見つけられなかった。しかも急な斜面をかなり高くまで上ったため、とても疲れてしまう。ときにはこういうことも山の仕事ではある。 汗だくになって降りてきて、タンポポ号を留めていた林道の下の谷川に降り、ひんやりとした水で顔を洗う。その後その流れに口をつけて、その水を飲む。ほてった身体に気持ちがいい。 上の写真はその谷川の流れなどを写したもの。
2005.07.20
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昨夜はひょんなことから、とても心と体が癒される温灸を八百津の友人の家で受けました。今日も朝8時からそれを受けに行きます。ともかくここんところ精神的にも肉体的にもハードな日日が続いたので、ひょんなことから訪れたそんな機会に飛びつきました。 名古屋のなんやの寛さんでよく名の知られている、八百津の可児寛ーカニカンと私は昔から呼んでいますーの家に、宮崎に住んでいる反原発の活動家だとかいう人が訪ねてきて、こんばん泊まるのだけど、以前私の本を読んだことがあり、私に会いたいと言っているというカニカンからの電話が、道の駅に苔球用の苔などを出荷していた私の携帯にかかってってきました。どうしようか迷っていたのですが、身体が疲れているのを感じていたことや、今朝は花市場に少しでも品物を持ってゆきたいと思っていたこともあり、行けませんと返事しました。その電話に出たその人に直接。その後その連れ合いの女性が出て、南のほうから来た暖かい温灸をしてあげるからぜひきてくださいとのこと、彼女の暖かい、エネルギイーのある言葉に、私はすぐ飛びつき、それならすぐ行きますと返事して、そうなりました。 夕方5時頃にはカニカンのところにつき、人風呂浴びて体をきれいにした後、自らもそうした女の人に、温灸というものをしてもらいました。彼女も連れ合いと2年程前かそこを訪れたときに、カニカンから借りていった私の本を読み、今度そこを訪れたときは、ぜひ私に温灸をしてあげたいと思っていたそうです。とても有難いことです。そんな気持ちのこもった電話での彼女の声だったこともあり、いけませんと言ったばかりの言葉を、掌を返すように、行きますにしたのだとも思います。 鉛筆くらいの太さの2本の金属製の管に、火をつけた線香のようなものを入れ、暖めた管を身体に当てながら柔らかくマッサージしてゆくようなその温灸という方法は、とても心地良いものでした。そしてそれは彼女ー妹とほとんど同じ頃に生まれた人ですーの暖かな人間観、価値観、世界観といったものに支えられたものであることで、よけいに心地よいものになっていました。 ちょっと眠くなってきたので、ここで一旦止めます。
2005.07.18
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爪白癬の写真、また間違えていました。今日になってよく見てると2つがまったく同じなのに気ずき、またしらべてみると、昨日のは載せていませんでした。相変らずそそかしい私です。今度はほんとうに機能摂ったものを載せます。
2005.07.17
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朝少し前パソコンに向かっていたら、停電する。最近雨が降るとよく停電するので、またかと思うが、雨は少ししか降っていない。ブレイカーを見に母屋の玄関のほうに行くと、やはり漏電ブレイカーが降りている。上げてもすぐ降りる。いよいよだめになったか、と思いつつも、漏電ブレイカーから出た先に2つあるブレイカーの一方を切ると、漏電ブレイカーは降りない。しかしその線は野の花社のほうには行っていないので、その状態では野の花社のほうはどうしようもない。ついている船のほうからコードをひっぱって行こうかとも思うが、待てよと考える。 たぶん漏電している場所は、母屋のさらに向こうの長屋の西の端の、元精米所になっていた部分だから、その手前で線を切ってしまえばいいのではないかと、ふと思う。それでゴム手袋を両手にはめ精米所のところに向かい、その手前の線の出ている部分に、片方づつペンチを宛てて切る。電気だからばしばしくるかもしれないとも思ったが、片方づつならそんなことはないはずだと思いつつ。何事も泣く簡単に切れる。その後漏電ブレイカーを作動させても切れなくなる。 やったと思いつつ野の花社にきて見ると、電気はついている。中部電力にきてもらわなければだめかな―とも思っていたから、これでほっとする。そして何でも自分でできることは試みてみることの大切さと、そこからくるささやかな自己信頼感を感じる。 上の写真はその漏電していたと思われる、骨組みだけになっている元精米所を写したものです。
2005.07.17
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上の写真は、今日、少し前に写した爪白癬です。
2005.07.16
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昨日の朝のことですが、花市場に行く準備をしようとしておきようとしたところ、脹脛のあたりの筋肉がひどく攣りました。しばらく痛みに耐え気を送ったりして、引きつりを収めて行きましたが、収まった後は歩き辛くてびっこを引きつつ歩く幹事でした。その後、この1年間使い続けてきているライフプラスという会社の、ワンダージェルという、サロメチールに似たサプリメントを脹脛に塗りました。 使ったことのある人からそういうときのそれを使うと、すぐ引きつりから来る症状が回復することがある旨聞いていたことを思い出し、とっさにそうしたのです。もともと筋肉の疲労などの回復に役立つ旨も聞いていて、仕事に疲れたときは足や腕の筋肉のあたりに使っていたのですが、そうした使い方をしているとたしかにすぐ気持ちよくなりはしますが、サロメチールなどの効き方との違いはわからない感じでした。 ところが今回は、こむら返りで痛んでいた脹脛に塗ったら、すぐ嘘のようにその痛みが消え、普通に歩けるようになりました。自分でもびっくりしてしまいました。その後生花市場に持ってゆく榊などを積み込む際もまったく気になりませんでした。市場から帰ってきて、山に入り、山を上がったり降りたりしているときもまったく気になりませんでした。後からそのことに気づいたのですが。 もっともこのことが直ちにそのサプリメントの効果とは言い切れません。たまたまそういう状況が成り立っただけなのかもしれません。たとえばそのこむら返りが比較的軽かったのかもしれません。そんな可能性もないとはいえませんが、前に書いた、2年間に渡って医者からもらった、かなり高価なクスリなどを飲んでいてもまったく治らなかった爪白癬が、同じ会社のサプリメントを摂って治り始めていることなどからも、やはりこの会社のサプリメントはかなり良い物なのではないかという印象を、今回も深めました。 上の写真は6月25日頃、治りかけている爪白癬の足の親指を撮ったものです。前に写したものより、爪のきれいになっている部分が増えていることがわかります。 いえ、今調べたところ、この写真は6月24日にすでに個々で紹介したものでした。私もいいかげんなことを言うものです。もう少ししたら今写して登録し直します。まだそう変わりはないのかもしれませんが。
2005.07.16
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おとといの山での仕事中、何処かで携帯を落としてしまいました。持ってこなかったかなという思いもあり、帰ってきてから探してもなかったので、やはり山で落としたのだと思いました。あの携帯には多くの人の電話番号も打ち込んであるなど、仕事や生活上とても大切なものなのだということに、そんなことを通してあらためて気づかされました。 でも昨日、市場から帰ってきて来た後、妹と、あらかじめ時間を決めておいて山に探しに行き、11時半ですが、山の昨日仕事をした場所の前の林道に立っていて、妹に携帯に電話してもらいました。11時半キッツかりに、山の右手のほうからかすかに携帯のめろぢいが聞こえてきました。ほっとしつつ、なおももう1度なるのを聞いて正確な方向を確かめてから、その方向に山を上りました。ある程度登ってからまた耳を澄ましていると、近くから携帯の音が聞こえてきました。そちらのほうに行き下のほうに眼をやっていたのですが、どうも違うようで、目線を上げると、私の背丈より少し低いアセビの木の上のほうの枝に引っかかっていました。なんか懐かしいような、滑稽なような、嬉しい気持ちになりました。 それを手にして、さっそく妹に電話して携帯が見つかったこと、妹の尾k下だということを伝えました。妹も喜んでくれました。 その後ドウダンツツジを採りに行ったのですが、欲張ったこともあり、切ったドウダンを1回で山からおろせず、2回も山の頂じようと林道に置いた車の間を往復することになり、さすがに疲れました。山ですから日陰は割と涼しいのですが、日のあたる林道の近くはやはり暑く、汗がだらだら流れて服がびしょびしょになりました。山仕事だから長袖を着ていることもあります。 上の写真は園山からの帰り道の林道と愛車タンポポ号を写したものです。道の真中にもススキが生い茂っていて、タンポポ号はそれを押し倒すように走るしかありません。 帰ってきて夕食を食べた後、前の川に行き、水に使って石鹸でからだと髪、頭を洗いました。川は私にとって大きな風呂、浴場のようなものです。夏の間だけは。 今日は疲れたので、山に行くことはせず、体を休めます。この半月よく働きました。それで何とかこの半月の売上は10万を越しました。8月には山に入る権利の金7万を入れなければならず、ここ1月半はこのくらいのペースで稼ぐ必要があります。なんとかできそうです。
2005.07.15
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ミクシイというサイトにも日記が書けるように登録しました。少し前。2つ書くのは大変なので、この楽天に書くのが自動的にミクシイに藻か枯れることになるという設定をしました。この書き込みはそのことがうまく行くか調べるためのテストでもあります。 上の写真は野の花社の庭に咲いたマーガレットです。色がもう少し青くて綺麗です。
2005.07.14
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上の写真は白い感じだけど、ほんとうは薄いピンクの帽子です。2,3日前に八百屋の魚秋に寄ろうとしてこの帽子をかぶってタンポポ号から出たところ、とおりがかった下校中の中学生の女の子3人がくすくす私のほうを見て笑いました。この帽子が可笑しいのか、といて私も笑いました。その後魚秋に入って買い物をしていると、いったん通り過ぎた中学生3人がまた引き返してきて見せの中の私を覗き込み、くすくす笑っていました。笑われるということはとても楽しいものです。 買い物を済ませて外に出ると、少し向こうに歩いて行っていた3人の女の子は、また私を笑っています。私が帽子にさわり、これがかという仕草をすると、またきゃっと笑います。私も楽しくてまた笑ってしまいました。 ひょっとすると私はと手も可愛いのかもしれません。にこにこ。
2005.07.12
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今日は朝から美女とデートで、ご機嫌でした、にこにこ。昨年末だったか、熊本に用事が出来ていった際、会って親しく話しあたりしたレイさんが、なごやに用事があって来たので、近くの私のところに寄ってくれたのです。新岐阜の駅前あたりで待ち合わせ、我が軽トラタンポポ号で花市場、兄のいる病院、岐阜城を遠くに見る鵜飼大橋、長良川を見つつのドライブの後、野の花社に着きました。 車の中では妹のことをよく話しました。彼女は妹の感じ方がよく理解できるところがあり、話しているととても参考になり、、考えさせられもしました。妹とよく話し合ってもらえたらなあと思いもしましたが、妹は用事があって出かけていて出来ませんでした。 野の花社で少し休み、作成中の風呂や、私が作ったキッチンを見せ、私の部屋も見てもらいました。彼女は、兄が高い金を出して買ったと思われる、大きな机とセットになった、何処かの社長が座るような椅子に座ってご機嫌でした。にこにこ。その後、私がシキミの注文を受けていることもあり、2人でタンポポ号に乗って、山に行きました。朝飯も花市場の食堂でおごってもらい、この山に行くときも近くの七宗食品で弁当とお茶を買ってもらいました。山で食べるためです。 山では私がシキミを採るのについてきてもらい、一緒にシキミを採ろうとしましたが、彼女がはいていた運動靴が山歩き用にはむいておらず、滑りやすいので安全な場所から見ていて貰ったりしました。1時過ぎから、少し展望の開けた道端に行き、石垣のブロックこしかけたりして、弁当を食べました。 前に会ったときはこげ茶色ぽい服だったためか、やせて見えたレイさんは、今回は水色のジーパンと白い上着姿で、意外にボリュウムのある豊かな体つきで、美しくて、柔らかな感じの人柄の人で、そんな女の人と山のなかで何の屈託もなく談笑しているということに、久しぶりに心くつろぐものを感じました。と共に私も恋人ができて、こんな山にときどき共にきて、共にときをすごすことが出来たら楽しいだろうな、とふと思ったりもしました。ちなみにレイさんは連れ合いもいて、子どもさんもいる人です。 上の写真は、その後その近くでレイさんが見つけた、ねじり花です。 その後野の花社に帰ってきて、少し休んだ後、3時過ぎに野の花社を出発して、可児市の名鉄線の今渡駅まで送りました。特に細かい計画を立てたわけではありませんが、ほとんどすべて予定どうりに行きました。6時過ぎ新幹線のぞみで岐路につくということで、その後乗り換えも会ったりするから、今ごろやっと家にたどり着かれたことでしょうか。 レイさんとのデイトの前に、花市場に出したものは、全部で3万円近くの売上になりました。手数料を引いた分です。少しほっとしています。
2005.07.11
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今日は朝から美女とデートで、ご機嫌でした、にこにこ。昨年末だったか、熊本に用事が出来ていった際、会って親しく話しあたりしたレイさんが、なごやに用事があって来たので、近くの私のところに寄ってくれたのです。新岐阜の駅前あたりで待ち合わせ、我が軽トラタンポポ号で花市場、兄のいる病院、岐阜城を遠くに見る鵜飼大橋、長良川を見つつのドライブの後、野の花社に着きました。 車の中では妹のことをよく話しました。彼女は妹の感じ方がよく理解できるところがあり、話しているととても参考になり、、考えさせられもしました。妹とよく話し合ってもらえたらなあと思いもしましたが、妹は用事があって出かけていて出来ませんでした。 野の花社で少し休み、作成中の風呂や、私が作ったキッチンを見せ、私の部屋も見てもらいました。彼女は、兄が高い金を出して買ったと思われる、大きな机とセットになった、何処かの社長が座るような椅子に座ってご機嫌でした。にこにこ。その後、私がシキミの注文を受けていることもあり、2人でタンポポ号に乗って、山に行きました。朝飯も花市場の食堂でおごってもらい、この山に行くときも近くの七宗食品で弁当とお茶を買ってもらいました。山で食べるためです。 山では私がシキミを採るのについてきてもらい、一緒にシキミを採ろうとしましたが、彼女がはいていた運動靴が山歩き用にはむいておらず、滑りやすいので安全な場所から見ていて貰ったりしました。1時過ぎから、少し展望の開けた道端に行き、石垣のブロックこしかけたりして、弁当を食べました。 前に会ったときはこげ茶色ぽい服だったためか、やせて見えたレイさんは、今回は水色のジーパンと白い上着姿で、意外にボリュウムのある豊かな体つきで、美しくて、柔らかな感じの人柄の人で、そんな女の人と山のなかで何の屈託もなく談笑しているということに、久しぶりに心くつろぐものを感じました。と共に私も恋人ができて、こんな山にときどき共にきて、共にときをすごすことが出来たら楽しいだろうな、とふと思ったりもしました。ちなみにレイさんは連れ合いもいて、子どもさんもいる人です。 上の写真は、その後その近くでレイさんが見つけた、ねじり花です。 その後野の花社に帰ってきて、少し休んだ後、3時過ぎに野の花社を出発して、可児市の名鉄線の今渡駅まで送りました。特に細かい計画を立てたわけではありませんが、ほとんどすべて予定どうりに行きました。6時過ぎ新幹線のぞみで岐路につくということで、その後乗り換えも会ったりするから、今ごろやっと家にたどり着かれたことでしょうか。 レイさんとのデイトの前に、花市場に出したものは、全部で3万円近くの売上になりました。手数料を引いた分です。少しほっとしています。
2005.07.11
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今日も山に行くのは9時過ぎと、スタートは遅かったが、昼頃から雨がときどき降り始めるなか、かなりいい榊がかなりの量採れた。たぶん1万円くらいの売上分はあるのではないだろうか。このところいい榊だけ出していることもあり、良い物は100円以上の値がついているから、少しやる気になっていたのだが、このくらい採れると少しほっとする。それでもはじめのうちは良い物が見つからず、今日もだめかとあきらめかけていたのだが、なおも尾根の先へと歩いてゆくと、最近はあまり人が入っていないと思われる、いい榊がぽつぽつとあるところに出会った。榊の木自体は少ないのだけど、最近切られていないためいい枝がついているのが多かった。 こういうときはほんとに嬉しくなる。途中雨がかなり降ってきたので、もう止めようと思い枝をからげていると、また雨がやんだ。それで枝切りを再開して、また50本以上採った。まあいい枝だけで100本以上はあった。2時過ぎまで切って、それから雨のなか、カッパを着て枝のより分け、整理をした。終わったのが4時半頃か。こんなペースで仕事ができ、毎日1万くらいのものが採れればかなり楽になるのだが。 昨日は岐阜の市場に行き、病院に行き兄にコーヒーと野菜ジュウスの差し入れをし、そのご関市のダイソウで、苔球を入れる洋風の色つきのガラス容器などを買ったりした。それやなにやかや、出費の多い日だった。野の花社に帰ってきて昼飯を食い、道の駅に榊やミズゴケなどを出しに行き、その後4時頃から山に入り、ドウダンツツジを採った。はじめていったところだったが、岩山の頂上まで行くと、かなり良い物があり、やはり100本ぐらい採れた。帰ってきたのが7時近くか、夕飯食べて整理して、仕事が終わったのが9時過ぎか。 夜に食い込まないような山の仕事のペースを作ること、当面そのことをクリアーしたい。そうそう、朝この日記を書くのも止めよう。これがかなりの時間を食うのだ。今日も朝5時半頃から書き始めて、7時近くまでかかってしまった。 上の写真は、今日言った山の林道の途中に群生していた水藻を撮ったものです。
2005.07.09
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あまり妹のことは書きたくないけれど、この感の妹とのかかわりは私にとっても途方にくれるようなところがあります。ともかく朝から晩まで、不定愁訴とでも言うような彼女の不安やどうしたらいいかわからないといった、嘆きのようなものに私は出会いつづけています。 昨日は、ここに来てからの1年間、彼女はずーと同じことを言いつづけていること、そのことについては何の進展もないこと、ともかく何か彼女自身の中にそうした苦しみ、困難を生み出す何かがあるのではないか、どうしてそうなっているのか、自分を見つめる必要があるのではないか、とこの間何度も繰り返していることをまた言いました。かのじょはそういわれても抽象的に聞こえるだけで、どうしたらよいのかわからないと、これまでと同じように応えます。そういうことに取り組んでいる人びと、グルウプはかなりあり、そうした人々と出会いながら、そうしてゆけば良いのではないか、私も1時期そんな感じで苦しくて仕方がなかった時期がある。逃亡生活を続けているときに。もう人のことなど考えず、そうした苦しみから自由になりたくて、必死で金を稼ぎ、グループセラピーを受けたり瞑想したりしてきた、彼女だってそういう方向に歩みだすことはできる、そうしたほうが良いのではないか、などとこれまでも繰り返し言ってきたことを、また言ったりしました。 しかし彼女のなかからは、どうも内発的なそういう欲求は出てこないみたいです。 私自身にも生活上の余裕がないことや、内的な限界があって、彼女を受け止めきれず、彼女がここでの生活に心安らぐことがないように仕向けているところもあるとは思います。ともかく、今の私には彼女との関係でも、どうしてよいのかわからず、途方にくれているところがあります。 昨日はそんな話し合いのなかで、正直に言えば私は彼女と共に生活してゆきたいとは思っていないこと、自分で稼いで自立した生活をして欲しいこと、50も超えた大人として、私との関係に責任をとって生きるというのなら、基本的にそうする必要がること、これまではそんなことを言うのは彼女が苦しむことになると思い言わないで来たけれど、ほんとうはそう思っていること。感じ方も、考え方も大きく違う2人が共に生活するのは、とても困難だこと、私自身今のような彼女との生活は負担に思っていること、そんなことも正直に伝えました。なにか彼女がはっきりとした意識をもてないでいることに、そういうことを伝えていないこともあるかもしれないという思いもあったからです。そういえば昨日というか、一昨日の夜寝てからこんな夢を見てうなされました。妹が洪水で水かさが増した前の川に車ごと落ちてゆき、流されてゆくのですが、道の上からそれを追いかけるだけで私はどうすることも出来ず、うなされつづけました。まだ寝てなかった妹がそれにきずいて、部屋の外から呼びかけて起こしたくれましたが。 写真は榊の花です。
2005.07.09
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昨日は兄の主治医に呼ばれたことなどもあり、生花市場の品物を出した後、病院のケースワーカーにも会い、兄とも面会してきました。兄は今回の強制入院は私の要請で行われたということを、これまで正確には知っていなかったようでしたが、最近そのことをきちんと知ったようです。彼は第三者機関に退院の請求を出しており、そのこととの関係でかもしれません。 ともあれ昨日の面会では、そのことに話題が集中しました。なぜ入れたのか、退院させろ、保護者を止めろ、俺がここでどんな目に遭っているのか知っているのか、弁護士に相談したのか、とか問い詰め、机をぼんぼん叩いて、怒りを剥き出しにしました。兄としては当然のことで、とても納得できず、とても苦痛なことには間違いないのだと思います。 私は入院させた理由、弁護士になど相談しなかった、当分入院してもらう旨はなしました。もちろん彼はそのこたえを怒るだけで、机の上にあった植木鉢を私に投げつけようとさえしました。もちろん付き添っていた看護士に止めさせられはしましたが。兄弟の縁を切る、もう面会に来るなとも言いました。 保護室に入っているのですが、少し落ちついいた状態だったのが、最近は相当荒れているようで、病院も相当のエネルギイを彼に使っているようでした。 しかし彼のそういう状態は、とてもエネルギイのある状態で、鬱で無気力になっている状態より、よほどいい状態にも感じられます。剥き出しの自己主張があるだけで、物事の相互関係などを理解して、物をいい動くなどということはないのですが、自分を偽ってはいないだけ、まだいい気がします。 主治医はこの状態を病気の症状と捉えて、とりあえずクスリで落ち着かせて、その後精神療法を行う、みたいに言いました。私はそれに対してはこう言いました。こうした病院ではできないことかもしれないが、今の彼を薬で押さえておとなしくさせ、また無気力な状態にするのではこれまでの繰り返しで、またそうになればおなじことが繰り返されるから、そうしたやり方はあまりいいとは思わない。彼がこのままの状態で自分のやっていることの意味を理解していくことができるようにして行けたらいいと思う。ただ私には金も余裕もないから、そうしたことができるような状況を作ることはできないが。 主治医は兄のために特別なチイームを組んで、彼にかかりきりになる形でならそれも可能だが、ここではできない見たいに言いました。至極当然の言い分でもあり、兄のここでの治療ということでは、ともかく薬で押さえてゆくという方針に同意はしました。 多分私は兄に対してできるかぎり手紙でも書いて、この間のことを詳しく説明したりして、話し合うというか、コミニケーションを取って行く必要があるのだろうけど、なかなかそういう作業が出来ません。仕事もあるし、妹との関係もあるし、私の時間も取りたいし。いろいろ途方にくれつつ、できる範囲でその都度やっていくしかないのですが、ときどき気が重くなります。 主治医は薬で押さえるということを言いますが、そこにも問題はあります。兄と彼との間に信頼関係がないこと、兄はエネルギイをダウンさせられ、身体的にも精神的にも楽でなくなる薬など、当然のように飲むことを拒否しているからです。 昨日はそんなこともありこちらの山には入ることは出来ませんでした。でも私は朝8時前から10時ころまで、その病院の裏の山に入り、放置されていて藪になっているようなそのなかにたまにある榊の木から、榊の枝をかなり切り取りました。それを病院の前の小川に漬けておいてから、病院に行きました。どこでも自分の仕事をすること、、そうして生き抜いてゆくこと、そんな気持ちになり相している自分を愛しています。
2005.07.07
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今月になってから、まだまともに働いていない感じもあり、昨日は雨も降っていましたが、山のなかに入りました。もっぱらシキミを採り、ときどき榊の芯という、枝ではない小さな木を採りました。朝は妹とかなりシビア―な話し合いをし、10時半頃になって山に出かけたこともあり、とってきたし気味を小束にするのに、夜の10時ころまでかかってしまいました。最もその間他のこともしていましたが。 山のなかではよく雷雨に襲われることもあります。 風が吹いてきて 木々がざわめき くもが走り 雷が遠くからちかずき そして次第の近くの野山に襲い掛かる 私は木下に身を潜めて 脅えつつただそれをやり過ごす そんなことがときどきあります今年はまだあまりそんなときはありませんが。ヴィメイ、そんなふうです。雨の中の仕事もまた、それなりの味わいがあります。これからは濡れてもあまり苦にならないから、よけい雨の中でも仕事に出かけるときは、あります。 バクタはスピコンのあと、待っていてくれたのですか。私は、心潤うセッションを受けた後、すぐに帰りました。6時ことのことでした。バクタが教えてくれたミクシイにも入りました。 上の写真は、昨日山で車をとめた岩井谷林道の濡れたススキなどを撮ったものです。 うえのしゃしん
2005.07.04
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一昨日の夜メールを見たら友達から、名古屋で次の日になごやスピリチュアル・コンベンションというのが開かれるということで、参加してみないかと呼びかけられた。そのアドレスがかかれていたので覗いてみると、キネシオロジイやタッチホーヘルスなど、体験してみたいものが幾つかあり、仕事も一応けりがついたところなので、思い立っていくことにした。軽トラはその前の虱騒動もあるので、その夜運転台と幌をかけた荷台の両方にバルサンを焚き、虱退治をした。その上で朝8時過ぎに野の花社を立ち、11時少し前に会場に着いた。 大きなホールに机を8列くらい並べおよそ50くらいのグルウプがあろうかというほど、たくさんの出展者がいて、何度か回ってもあまりなにがなんだかわからないような感じでした。Dも幾つか体験してみたいブースというのかな、でてきたし、通りがかりで話し掛けて、フィーリングがあったら試したりして、1セッション500円から3000円で、結局1万5千円ほど使いました。スリーインワン・キネシオロジイとか、タッチホーヘルスとか、タイ式マッサージとかも受けましたし、カラーセラピーやタロット占い、オーラ測定とかもやりました。ホロスコープなど使わず、生年月日を知らせた上でただてのひらを私の手のひらの上におき、触れない形でですが、私のことを知りリーディングしてゆくようなセッションも受けました。最後に受けたそれが私にはとてもよかったのですが。 キネシオロジイにも興味はありましたが、私を受け持った女性は、少しキネシオロジイの形式にとらわれた見かたをしている気もして、少し違和感もありました。でも20分ほどのセッションでは、多くを期待するほうが無理かもしれません。彼女はわたしは5さいころに何かを体験し、そこで得た考え方にそって今も生きていて、苦しんでいる人ばかりが集まってくることになるみたいな断定的な言い方をしました。そういうところがないとは言い切れませんが、そんな括り方葉精神分析の悪いところを受け継いでいるような、誤りがある気がしました。 それでも現在の困難や過去の苦しみについて私は語り涙を流しました。刑務所での生活もそうでしたが、たしかにここでの生活も私のありのままの気持ちにそって生きているとは言いがたいところがあり、何かを絶えているようなところがあり、機会があればそれは悲しみとして表出されるのですが。ともあれ悲しみを表現する機会を与えてくれたその人のも感謝しています。 オーラ写真も面白かったです。もっともこれをそのまま受け取っていいのかどうかは、今の私には分かりませんが。上の写真がその写真を携帯で撮ったものです。私は写真を撮る前は、きっと私は活動的だから赤い色が強く出るのだろうなと思っていたのですが、出来た写真は、黄緑色のきれいなものでした。説明してくれた女性は、これはヒーリングの能力のある人のオーラで、胸のあたりが青いのはヒーリングと言ってもボデイワークとかじゃなくて、もっと精神的なことにむいていることを表しています、みたいに言ってくれました。私自身ボディイワークには、もう一つ気持ちが動かないところもあり、自分のこれからやりたいことと、言われたことが合っているので、やはりそうかな―と思ったりしました。元の写真はもっと黄緑が濃いというか、鮮やかです。 最後に受けたセッションのことはまた後でかけたら書きたいです。
2005.07.03
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6月29日は兄が入院している精神病院で今年初めての家族会が開かれました。兄の主治医になる可能性もある30代半ばの女性の医師が、「統合失調症への心理社会的援助」という題で講義をするということもあったので、参加してみました。その日は岐阜の生花市場に榊などを出しに行く日であり、会は午後からでしたが参加することにしたのです。 講義自体は用意したレジメにそって、ほぼそれを読むに近い形で行われ、いくらかの付け足しがあったくらいの、面白みのないものに感じられました。 ただ講義とうって変わって、その後の質疑応答のような場では、患者の家族が患者とのかかわりや、地域社会の人々とのかかわりにおける困難を、なまなまし語られたので、とても生き生きとした場になりました。私はとなりに座った60台くらいの女性が、兄と共通した部分もある症状があるということで、会が終わった後も30分ほど話し合ったりしました。ともかく患者の家族会ですから、家族が語る患者とのかかわりはとてもすさまじいところもあり、私が兄との関係でこの半月ほどで嫌になってしまったようなことを、何十年持つづけているような人もいるわけです。 眠くなってきたので根ます。
2005.07.03
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昨夜は痒くて寝苦しかったです。今日も虱に食われた後が小さく赤くはれていて、それが左手左足に集中していて、痒いです。でも昨日の残りのものと見える虱は、ときどき発見しますが、新しいのが食いついているようではありません。多分あの虱は車の幌にした、古いシート、テントの中にいたのではないかと思います。ともかく半端じゃない量の虱でした。まるで大量の虱を体にかけられてようなそんな感じの、群がりようでした。 上の写真はそのわきの下のあたりに食いついている虱を撮ったものです。足の付け根のあたりが最も激しいものでした。 ともかく念のため、もう1度、今度はたんすの引出しも開けて、衣類にもバルサンの煙がしみ込むようにして、バルサンを焚きました。タンポポ号の運転席も、今夜バルサンを焚くことにしました。そのほか少しづつともかく虱退治をやってゆこうと思います。
2005.07.01
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昨日は道の駅に行きシキミと榊、水藻の乾燥したのと苔球用の苔、それにドウダンツツジの苗を出してきました。6,7千円分くらいにはなっています。しかしドウダンツツジの苗が500円で売るるかどうかはわかりません。水藻はとてもよく売れています。今は挿し木の時期でその挿し木の切り口に水藻を巻くと良いとか言うことで、売れているのかもしれません。 そのあと野の花社の前の山で、ホウバの苗を取りました。3千円くらいにはなるかもしれません。野山の中の売れるものはかなりにあるものです。ともかくこの3年間の経験が少しは私を鍛えてくれているようです。 そのあと我が軽トラタンポポ号に幌をつけました。上の写真がそれです。いつも行く長島カーサービスに行き、今のシートでは榊などの葉が焼けるので、幌のようなものをつけたいのだけど、と相談したら、廃車した軽トラの荷台の前方のフレームを取って、後ろにつけてくれました。幌用のふるい車のテントもくれました。あとは私が近くの京升屋建材店で、トマトの手などに使う棒を3本買い、野の花社の前でそれらを組み立てて幌を取り付けました。その途中で撮ったのが上の写真です。 ところでそんな仕事を終えて、夜8時コロ妹の用意してくれた遅い夕食をとったのですが、その途中に私のノウスリブのシャツを着た剥き出しになっている腕に、虱が一杯食いついているのに気づきました。それで食事の後川で身体を洗い、近くの森ストアーから持ってきてもらった35度の焼酎を身体に塗りたくりました。しかし虱には焼酎はほとんど効目がありませんでした。 どこにそんな大量の虱がいたのか、よくはわかりません。昨日幌をかける仕事をするとき、道具を探していて古いカーペットをめくり上げたりしたこともありそれでかもしれません。ただ仕事用の作業服が長い間廊下に積み上げてあり、それを着たからかもしれません。あるいは、その後調べたら、たんすの中の衣類にも虱が発生しているようで、そのためかもしれません。 ほとほと嫌になりました。この虱を退治するのは容易ではないようです。この野の花社の全体の徹底した清掃、虱退治の薬の散布、そのための畳み上げ。カーペット類の焼却、衣類の煮沸といったことをする必要があるようです。当分はできないから、当分はしらみと共生するしかありません。 今も体中のあちこちで虱がもぞもぞしています。かゆいかゆい。 幸い妹の部屋、衣類などには発生していないようですが。
2005.07.01
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