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今日は少し落ち着いた3人の生活だった。兄が金がないためか、自分で酒を買ってきて飲むこともないので、私が買ってきていた日本酒で済ませていることもある。妹が酒の飲みすぎはボケにつながるとか、ノートに書いてあまり飲まないよう促したこともあるだろう。朝は私がお雑煮と言うのか、餅を入れたなべを作り、昼は近くのスーパーですしを買ってきて食べ、夜は私が年越しそばを作る。そのたびに兄は2合ぐらいの酒は飲んだかもしれないが、それ以上は飲まなかった。だから昨日のように正体がなくなるほど飲まなかった。そんなこともあり、落ち着いていたから昼ころ野の花社にきた妹も楽そうだった。母屋と浴室のある空間の間が壁がなくなっているところがあったので、昨日からそれをふさぐ作業に入っていたのだが何とか今日で終わった。明日からは天気の具合がよければ、井戸の屋根を葺き替えるか野の花社の庇が落ちてしまっているところを直すつもり。昨日の重い気持ちが少しなくなり今日は楽しいことが多かった。兄が少し酒を自制してくれたこと妹が兄を恐れないで兄と触れ合っていること兄が私の浴室などでの仕事に対しようやるなと言ってくれたことなどもあるあの6月の激しい季節を経てようやく訪れている和解の流れそれが感じられるのが何よりも嬉しい。それ以上のことはない気がするのだけれど。掃除もしたいがまだ出来ていない。これが私たちの大晦日、今年1年もまたあまりにも多くの人の助けを得て、何とかここまで生き延びてこられた。本当に感謝に絶えない。本当にありがとうございます。
2005.12.31
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朝7時ころ起きるともう焼酎を飲んでいた兄が昨夜玄関で倒れてめがねがどこかへ行ってしまった、というので探して見つけてやり、その後朝飯を食べてから私は、昨日のつづきの水道管の防寒パイプ付け。そのあと榊の小束5本の注文がありつくり、昼近くから便利屋の仕事で近くの人のところの雪で痛んだ雨どいの修理などする。昼ご飯を食べてからは、浴室のドアの外の母屋との間の天井の、板を張る。浴室の隣のスペースでストーブを焚くとしたら、母屋の天井裏などに火の粉が入らないようにしておく必要もあるため。結局遣り残す。兄は朝昼晩と焼酎のお湯割りを飲み、夕方は小便をするために庭に出ようとして、玄関でまた倒れこみ起き上がれなくなる。妹と私で起き上がらせ、小便をした後横にならせる。妹がかいがいしく世話をする。どこかに行くと言いつつ、妹は食堂に居座りとりとめもなくしゃべり続ける。そのあいだ兄はお湯割を飲んでいた、黙って。そのあと小便をしに出て倒れ込んだのだ。2人に介抱されて横になる兄は少し嬉しそうだった。私はそのあと妹としんどいやり取りもするこの2人との関係が今の私には少し重い。妹とともにこんな私たちを助けてくれている人のことを1人1人思い出してみたりもしたのだが。この生活のあてどなさのようなものにふとくらくらするときがある。来年は兄が病院に帰ったらあるところから子猫を貰ってくるつもり多分今の私も妹も子猫の可愛さに癒されるところがあるだろう
2005.12.30
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2005.12.29
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今日は朝市場に少しばかりの榊などを出した後、あれこれとお正月の買い物などして、昼ころ兄の病院に行く。ごく穏やかに振舞う兄を乗せ、いろいろ話をしながら帰る。野の花社の近くの喫茶店で妹と待ち合わせ、久しぶりに3人で話し合う。特にきつい話をすることはなかったけれど、あれだけ兄との生活に不安を感じていた妹が、割とやわらかい感じなのでほっとする。野の花社に着くとすぐに酒を飲みだす兄、妹はその兄に何か酒の肴になるものケイチャンのただ暖めるだけで良いようなものをフライパンで暖めて出していたみたい。私は風呂の水道管が凍りつくので、凍結防止のパイプのようなものを巻きつけたりする仕事をしていた。昨日の夜は凍り付いて水が出なかったので、今日の昼間に融けているだろうと思い、そのうちにしたほうが良いと思ったからだ。でもやはり凍り付いていた。しばらく凍り付いていると思われるあたりを手のひらで握り締めて暖めていると、水が流れ出した。そのあとパイプを巻きつけたのだが。結局、温水器のほうもガスと電気は切った上でほんの少しだけ水を流しっぱなしにしておくことにする。井戸水をポンプでくみ上げている方式だから、そんなに電気代はかからないこともある。それを終わって食堂で兄とともに酒を飲む、兄は焼酎のお湯割を、私は日本酒をかんして。妹は飲まなかったけれど、同席して話し合いながら、妹は少しこの6月の兄のそう状態のことを話したがる兄はもう病気のでそうなったのだから、あまり責めるなよとか言いつつかわすそのあと兄はあれから初めてのことだが私に対して15000円を出し1万円は私へのお金の返還5000円はこの暮れ正月の食費だという。あのときのことでお前にもかなり金を使わせてしまったなと言いつつ。緩やかな関係の回復を感じる。兄のほうからそういいだしたので、ほっとするところもある。話の中から結局酒を飲みたくて帰ってきたところもあるのもわかってきたけれど。6時過ぎになって早々と横になりたがる兄の床を妹と3人で作る。妹は心配で自分の気に入るように作りたがるので、それに従ったりする。3人の生活の始まり。妹は明日からはどこかに行くようなことも言っているけれど。私は明日からは野の花社の周りの修理など、遣り残していることを出来るだけするつもりこの間あまりやっていない掃除もしたいし、山の仕事は休むだけで、そう休むつもりはない。でも金に負われる気持ちはなく少しのんびりすごせそうで、気が楽だ。多くの人の援助もある。ほんとにありがたいことだ。
2005.12.29
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兄が29日、明日から1月の3日までここに来ることになった。もうそのことは1週間ほど前に、話の流れの中で決まっていたはずだけど、妹はそのことが不安で、何とか病院にとどまらせようとする。妹は過去の兄との関係に傷ついていて、兄がここにくるというと、いつも不安が昂じてくる。兄が来てしまうとそんなに苦痛な様子ではなく、何くれとなく兄のケアーをしてしまうようなところがあるのだけれど。兄は兄でここ半年以上病院を出ていないのだから正月という機会にここに来たいというのは良くわかる。私自身は兄がここに来たいのは当然だし、それを拒む理由がないから、ただ自然な流れでそれを受け入れようとするのだが、そのことについて何度も妹と話し合いことになる少しくたびれる。明日は市場に朝早く出かけた後、買い物などしてから兄を迎えにゆき、兄とともに帰ってくる予定。さて今度のこの兄弟妹の生活はどうなるのか。特に変わったことは起こらないだろうけれど。
2005.12.28
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2005.12.27
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昨日の売上は27,608円でした。南天の長い木と実のついたのが、20本で500円。かなりがっかり。前回の高値が1本300円くらいだったから、150円くらいにはなるかなーと思っていたのだけれど1本たったの25円。初めて出したのだから、どんな南天がいいのかまるでわからないままだったこともある。しかし榊の枝が20本で5000円にもなっていたのにはかなりびっくり。ベテランの人が出しているのが30本で4000円ぐらいだったからどうして私のにそんな高値がつくのかわからない。けれどありがたいことだ。眠いから寝ることにしますねむねむ、、、、、
2005.12.27
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2005.12.25
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2005.12.25
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ここのところ雪が降ることもあり、ときどきタイトルに書いた本を読んでいる。私の師、和尚の1981年ころからのアメリカ行きとその周りに作られたオレゴンの共同体そこで起こったアメリカとの対立彼の弟子のシーラなどの犯罪とそれへの市の対応などに関するこの10月に発行された本だ。師 の直面した困難とその困難にただありのままに対処しているそのあり方宗教的な盲信みずからの弟子の彼にたいする盲信なども含めてに対する徹底した批判などなぜか読んでいて涙が出てきた。私は彼の考え方の1部に受け入れられないところがあるけれど、彼の生き方考え方に対しては親鸞などに対するのとは比べ物にならないほどの共感があるその点ではアビの感じ方ととても違う。私は親鸞が阿弥陀仏への明け渡しを求めているのを感じそのようなあり方には受け入れられないものを感じているまた親鸞に望むのは酷な話だが、彼の既成の宗教や国家、天皇信仰などに関する批判は和尚のそれと比べたらなされていないに等しいことのもたいした共感を覚えないもちろんこれは私の知る範囲でしかないが和尚が現代の社会、世界の中でそのあり方の根本的な変革のために徹底的な批判を加えそのためにさまざまな困難に直面してきていること彼自身人を弟子として受け入れる気持ちなどないのに人々の精神的成長のための1手段としてのみ、方便としてそうしたあり方を選んでいたと思われることなどにも親鸞などよりは深い現実の人間へのかかわりようを感じる。私は私が自分自身でいることを助けてくれた数少ない人の一人としてそして私の社会変革への思考に深い光を与えてくれた数少ない一人として和尚をとても深く愛しているそう感じた。この本を読んで。ありがとうおあほうニコニコ 間違えた。和尚
2005.12.25
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2005.12.24
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今日の売上は、少し前に届いた市場からのファクスによると37,157円でした。そのうち榊の小束167本の作り代、手間代が5、000円ほどかかっており、ガソリン代などが2,000円くらいで、3万円が純利益といえる。21日と22日の2日の労働だから、1日の日当としては、かなりいいということになる。12月末という1番値のいいときであり、おまけに雪で榊が少ないということもあり、だが。今日の市場は、大雪が降っているにもかかわらずたくさんのものが出荷されていた。やはり多くの人が雪にもかかわらず働いているのだな-と感じた。そうしないと稼げないのだから、やはり仕事をするのだ。それでも榊は少なかった気がする。今日は榊の芯が10本で4000円榊の枝が115本で18700円榊の小束が167束で16700円でした。今日は朝から時々は小止みになるものの雪が降り続いており、山仕事はせずに、屋根の雪下ろしなどしていました。この時間もぽっぽ、ぽっぽと降っています。明日は止むということなので、ともかく山に入り、榊を採ってくるつもりです。あと6日間ぐらい、できるだけのことをやるだけです。
2005.12.23
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2005.12.23
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このところ、ここで大森さんとのかかわりなどについて書いている関係もあり、大森さんとの関係について、よく考える。そして、さまざまな形でこの私が、彼が死刑判決を下されることに加担していることを、改めて自覚し、悲しさを感じる。詳しいことは今ここでは書かないが、1972年ころからの彼との出会いの中で、私がもう少し勇気を出して、自分を大切にする道を選んでいたら、そしてそのような中で彼とかかわっていたら、彼は死刑判決を受けるような立場にたたされることはなかった、多分そうだろうと思う。彼は私と出会った72年ころ「性と文化の革命」を書いたウエルヘルム・ライヒの思想に惹かれてもいた私自身もかなりにライヒに傾倒していた。ライヒの思想はいわば自分を大切にする思想につながるもので、彼の思想にもっとかかわる努力をしその線で大森さんとも本気で話し合い、具体的な何かを始めていれば、その後の私たちの生き方は、とても大きく変わっていった可能性がある。私自身は事件の後の逃亡生活の中でライヒの本に再会し、私の思想と行動の根本的な変革の機会を与えられたのだが。その後もいろいろの機会に結局彼が死刑判決を受けることに加担するような行動、言動を私はとってしまっている。彼が逮捕される機会を作ってしまったり、彼の裁判の証人として法廷に出て証言した際も、裁判官が彼が黒と感じるような証言をしている。もちろんそれは私の意志ではなく、彼らが彼らの都合のいいように私の証言を利用した、感じ取ったということなのだが。大森さんを本当に大切に感じていたら、もう少し違った証言が出来たかもしれないその事を思う。大森さんはとてもおおらかで、人懐こくて、オープンなひとで、普通の人間としてはとてもいい人だった。そんな彼を死刑にされたくないと切に思う。
2005.12.23
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朝雪の降る中、ゆっくり生花市場に行ってきました。こんな雪の降る道は初めてでした。一度だけすべって、対交車にぶつかりそうになりました。
2005.12.23
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先ほどまで一面の銀世界の中をさらに埋め尽くすようにぽっぽぽっぽ降っていた雪がいつか止みふと南の空を見上げると綺麗に晴れ渡っていた厳しい寒さの中で働いていた私への夕方の贈り物
2005.12.22
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雪の中を山から下りてきて振り返ると厚く積もった雪の中に私の足跡があり私の影があった登ってはまた降りてきた足跡振り返って携帯のカメラを向けている私の影フードつきの上着を着た影真っ白の雪の中にわずかに灰色に写っている私の影がいとおしい影には冷たさもなくもののような実体もなくただ光の中で光の不在を示しているだけだまったく光がないわけではなく光が周りより少ないだけのことだけど誰かがこの影を見ていてくれる誰かがこの白い雪に写った灰色の影を慕わしげに見ていてくれるそんなこともあるかもしれないと思う冷たい雪の中働くのを恐れていたのがうそのように、今日は良く働いた雪の中ですべり雪の中で転がり雪の中に長靴が隠れるまでずぼっとはいりこみ雪ののっかった木の枝から落ちてくる雪の塊、雪の粉を全身に浴びながら何かこんな労働が在ることが楽しく今日も1日良く働いた私の影と共に
2005.12.22
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2005.12.22
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つい先ほど午後8時40分くらいに、やっと今日の売上のファクスが市場から届きました。なんと、47,642円の売上でした。この2回ほどの高値のことからすれば、予測は出来る額なのですが、実際にこうして知らされると、われながらすごいなー、嬉しいなー、です。桐が大小あわせて115本で8、500円榊の芯が26本で13、000円榊の枝が45本で9、000円榊の小束が200束で20、000円純の売上では55,000円です。手数料など引いたりして47,642円です。これは多分この仕事をはじめてからの私の最高額の売上です。雪が降って榊が採れないと嘆いていましたが逆に雪が降って他の人がいい榊を採ってこれないので、私が雪の積もっている山で、寒さに耐えながら採ってきた榊がいつものよりかなり質が悪いのに良い値がついているのです。ああ-、こういうこともあるのだという感じです。厳しいなーと思っていたことが、私には良い条件になっていたのです。不思議なことです。そして何かありがたく、嬉しいことです。桐は昨日の午後から、妹に手伝って貰って採りました。一人ですると、なかなかはかどらない部分があるのですが、桐の木に登って、高枝バサミを長く伸ばして切ったものを、そのまま挟んで下に下ろし、下にいる妹に受け取って貰うと、手間が省けます。一人だと、高い木の上で切ったものを、ビニール紐で結んで一つづつ下につり下ろしてゆくのですが、その作業の全体がかなり時間を食います。だから妹が手伝ってくれると助かります。昨日はその桐採りのあと、近くの七宗食品に入って妹と共に、力うどんを食べました。妹の労をねぎらい、お礼のつもりで。手伝い料1000円も出しました。妹はこうした肉体労働が好きのようです。桐のつぼみを束ねたものを、小高い崖の上にある畑から下の道に止めてあるタンポポ号に運ぶ仕事もして貰ったのですが、急な坂道を上がり降りすると体が温かくなると喜んでいたりしました。昨日はその他に朝早く起きて、7時半ころから近くの山に出かけ榊の芯や、枝も採りました。昨日もよく仕事をしました。榊の小束200は5日ぐらいまえからたのんでいたものが昨日までに200以上になったので持っていったものです。今年はあと3回ほど出荷できるはずです。もう少し頑張って、正月は少しは余裕のある気分で迎えたいです。それが出来そうで、嬉しいです。今年は本当に良くやったと思います。自分を褒めてやります。よくやったよ、サブちゃん デバムにこにこ、嬉しいなー。
2005.12.21
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3, とりあえず明らかにしておきたいこと ここまで書いてきて、こうしたことを書く前にとりあえず明らかにしておいたほうがいい気がするので,次の点についての私の見解を述べておきます。 1976年3月2日におきた北海道庁爆破事件では、2人の人が死亡し、100人近い人が重軽傷を負いました。大森勝久さんはこの事件の容疑者として同年9月に再逮捕(すでに7月ころ逮捕されていた)され、後にその件で起訴されました。そして1審、2審、最高裁でも死刑判決を受け、1994年ころから確定死刑囚として札幌拘置所の拘禁されています。 このことについて私は事件は大森さんの犯行ではないと考えています。その理由はいくつかあるのですが、まず犯行声明は東アジア反日武装戦線の名で出されていることがあります。しかし当時の大森さんは東アジア反日武装戦線の思想と行動に一定の共感するところはありつつも、多くの点で批判的でした。たとえば東アジア反日武装戦線は、武装闘争だけが唯一の革命的な戦いであるとして、他の地道な合法的な戦いの価値を認めていませんでした。しかし大森さんは、私もですが、そうした合法的な戦いも大切なものだと考えていました。 また東アジア反日の人々は、ありもしない東アジア反日武装戦線に志願する日本人というような考え方をしていましたが、このことにも大森さんは批判的でした。大森さんは、私もですが、そうしたありもしない東アジア反日武装戦線に志願するのではなく、日本人として日本の内部から、アジアの人々の反日闘争に呼応して反日闘争を行っていくべきだと考えていました。その名前としては日本・反日戦線、というようなものを考えていました。 こうしたことから大森さんがやったとしたら、東アジア反日武装戦線というような名前を選ぶはずがないということがあります。 その他にもたまたまその事件の1週間ほど後に当時関西にいた私は、大森さんと電話で話をしたことがあり、そのとき彼は爆弾闘争の準備はしているが、まだ原料の1つのクサトールを入手していない旨伝えてきたこともあります。 その他の点もありますが、ともかくこうしたことからこの事件は彼がやったのではないと考えています。 ただとは言っても、彼は具体的なことについては話しませんでしたが、当時札幌にいて、しかも人の殺傷も含めた戦いをしたい旨私にも語っていたこともあり、私は絶対に彼がやっていないというまでの確信はありません。彼の裁判の証人として出廷した際もその旨の証言をしました。そしてその私の、一抹の不安のようなものはあるという旨の証言が、裁判官には重く採られ、彼がやったという心証を与えたらしく、記憶では判決書にそのような裁判官の文言もあったはずです。その事を私は心痛く受け止めています。 しかし、私は当時大森さんと共にいたわけではなく、事実として彼がやっていないということを見ていたわけではありません。そういう事柄に対して、やっていないと確信するというような発言をすること自体が誤りだと、今の私は考えています。そしてそのような言い方をしないことが、誤った確信の元に武装闘争を戦うという誤りを犯した私の、誤りから学んだ生き方です。またそれは私の精神的な師匠でもある、和尚ラジニーシが強く強調している考え方でもあり、私はそのことにも学んでいます。 しかしこうした私の態度、生き方はさまざまに誤解もされるものだとも感じます。 とりあえず、こうした文章を書き始めたことから、こうした点について明らかにしておきます。
2005.12.20
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2、1970年前後の反戦運動などの中で、 反侵略・反差別の思想を形成していった私と 大森さん 1967年ころから、ベトナムにおけるアメリカの南ベトナム解放戦線、北ベトナムなどとの戦争に対し、世界的な規模での反戦運動が盛り上がってゆきました。日本でも共産党や社会党などの左翼の人々だけでなく、新左翼・反共産党的な左翼グループだけでなく、ベトナムに平和を市民連合-べ平連などの市民運動も、盛んに反戦運動を繰り広げてゆきました。 私自身も高校3年生だった1966年秋ころから、べ平連に参加し、名古屋の反戦デモに参加したりするようになりました。大森さんは多分1968年に岐阜大学に入学したころから、そうした運動に影響を受け、次第に反戦のデモなどに参加するようになって行ったのではないかと思います。 そうした反戦運動とともに当時の反体制的な思想を抱いていた人々の多くは、既成の文化や生活のあり方などに関しても根本的な批判の意識をもつようになり、そうしたことも含めた社会変革の思想と行動を形成し始めました。そうした中から大学のあり方が問題にされ、その変革を志す学生運動なども起こってきました。 そうした反戦運動、文化革命運動の中で、次第に日本の戦前・戦中の朝鮮や中国に対する侵略や植民地支配と、それが真に反省されないまま持続されている形での、戦後の日本における在日韓国・朝鮮人、中国人に対する差別的な扱い、基本的な人権を剥奪しているようなあり方が、深く問われるようになりました。 私自身も当時在日朝鮮人と共に、土方・土木労働者として働いていていたことから、ベトナム反戦を言う私自身が、日本国家の過去の侵略や、現在の差別的な政策・制度などに関し、まったく知らなかったことに衝撃を受けました。そして本を読んだり、身近な朝鮮人と話をしたりする中でそうした日本国家・社会、そして自分自身のあり方に関し、根本的な変革の必要性を感じるようになりました。 大森さんのその時期のことは私は良くは知りませんが、ほぼ同様な過程があったのだと思います。
2005.12.19
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昨日の夜出した、桐と榊がたった今、全部で37,336円の売上だったという生花市場からのファックスが届いた。嬉しいなー!榊の芯が、そういいものでもないのに8本で5000円もついていた。16本+2本で11、500円。榊の枝が30本で6000円、ぜんぶで73本で13、500円。桐が145本で14、700円。それから手数料を引いたのが私の売上。最近あまり3万を越したことがなかった。それがこの雪のおかげで、榊の値段が高くなったことから、こんな高い売上になった。これなら三重などに行くのではなく、少なくても良いから雪を掻き分けても、この近くで榊を採ったほうが良かったのだ。今日は山歩き用の長靴を買い換えた。どうもこれまで使っていたものはどこか穴があいているみたいで、水が沁みて来る感じなのだ。買い換えた長靴で今日山に入ったが、これまでよりはずーと暖かかった。といっても今日は昼ころまで雪が降っていたので、山に上がったのはPM2時過ぎからだが、小束100本分くらいの榊が取れた。ともかくこうしてこつこつ仕事をしていれば、この冬も何とか越せそうだ。ほっとしている。
2005.12.19
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1、今回のマスコミの取材の目的 今回のマスコミの取材は、私のかっての友人である確定死刑囚大森勝久さんが、現在行っている再審請求で、次のようなことが起こり、最新開始の決定が近く出るかもしれないという予測の元に、そうなったときに報道する事柄の準備のためのようなものであったと思います。。そのひとつに、11970年代の反戦運動、学生運動などはどのような意味をもっていたものなのか、ということや、大森さんの死刑判決に関し、私の考えを聞きたいみたいなものもあったと思います。実際の取材の申し込みは、もっと輪郭のはっきりしていないところもありましたが。 以下は引用です。■北海道庁爆破事件再審請求審 1976年3月の北海道庁爆破事件で死刑が確定し、現在札幌拘置支所に拘置されている大森勝久さんの再審請求審について、注目すべき記事が北海道新聞(9/30)に載っていたので紹介します。 記事によれば、大森さんの居室のカーテンや敷物などから爆弾材料となる除草剤の成分を検出したとの鑑定書を作成した事件当時の北海道警察犯罪科学研究所の職員に対する証人尋問が行われたそうです。この鑑定書が死刑判決の決め手になったそうですが、証人尋問で元職員は(1)これまで鑑定作業は「十日以上かけた」と証言していたのに尋問では「一日で終えた」と答えを変えた(2)除草剤検出に使用した水溶液は「二〇〇ccを一〇ccに濃縮した」としていたが「二〇ccを七ccに濃縮した」と述べた―など、一、二審で自ら語った証言内容を次々に否定したそうです。 より詳しく言えば、元職員は「カーテンや敷物などの表面を脱脂綿でぬぐって水の中でもみ出し、あるいは押収品を水に浸して二〇〇ccの溶液をつくり、ビーカーで一〇ccに濃縮」そのうえで「鑑定は午前九時に開始、午後二時半にカーテンや軍手などから(爆弾の材料の除草剤が付着していたことを示す)塩素酸ナトリウムを検出したと報告した」と語っていたのに対して、弁護側が「公判で示された手法では時間が足りない。そんな短時間での濃縮は不可能」と指摘し、北大助教授の実験結果を提出。これに対し、元職員は尋問で過去の証言をことごとく覆したが、手法は違っても、なぜ同じ鑑定結果が可能なのかについて答えていないということのようです。また、「塩素酸ナトリウムの成分検出のため、カーテンの裏地やビニールシートを切り取り、水に浸した」としていたが、鑑定後に撮影された押収品の写真では、ビニールシートやカーテンが切り裂かれた様子がない点について「ビニールシートは切っていない。切ったのは上司で、鑑定の翌日だった」とし、さらに「押収品三十七点のうち三点を先に鑑定した」を「顕微鏡所見も含め、午後二時半までに三十七点の押収品すべての鑑定を完了した。延べ二百以上の成分鑑定も行った」「すべての鑑定について四回以上の実験を繰り返した」と十日以上かけて三十七点を鑑定したとする証言を撤回したうえで、鑑定の正確さを強調したそうです。しかし、逆に「たった四時間半で、二百以上もの成分鑑定や顕微鏡観察ができるのか」という新たな疑惑が浮上しているそうです。 大森さんの一刻も早い再審無罪・釈放をかちとらねばなりません。 (富山保信) (無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュースNo.193(2004年10月15日発行) こうしたことが何を意味しているかは、大森さんの裁判の全体を少しばかりは理解していないと、正確にはわからないところがあります。しかしその全体を明らかにすることはここでは出来ませんので、私の記憶している範囲で、また編集したりすることの出来る範囲で、かいつまんで表現してみます。 このホームページで、突然のようにこうしたことを書くのは、場違いな感じを受ける人もいるかもしれませんが、私自身はこのような事柄ともかかわりながら生きてきた人間であり、こうしたことは今の私を在らしめている1つの事柄でもあります。私自身はこうしたことを避けていきようとは思いません。仕事の忙しさもあり、あまり時間を割くことは出来ませんが。
2005.12.19
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私の部屋で久しぶりに火鉢を使っています。
2005.12.18
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野の花社の庭には、屋根から落ちてきた雪などが、山のように積もっています。 こんな雪の山はここでは見たことがありません。
2005.12.18
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昨日今日と、車でほんの2,3分のところにある山に入り榊を採った。昨日も今日も、あまり良い榊はなかったし数も2日間で70本ぐらいしか採れていない。でも小束用のは100束分くらいは採れただろう。今の時期、枝70本は1万円くらいになるかもしれない。それに榊の芯といって、神社の祭りのときに入り口に立てたりする円錐形の木も20本ほど採れた。これが4000円くらいにはなるはず。そのほかにも昨日門松用の松4本を、近所の人に頼まれて今日きってきた。これが1500円。昨日は榊の枝の小さいのを20本やはり頼まれてきってゆき2000円貰った。こういうちょこちょこした仕事も増えてきた。今日榊を採りに入ったのは午後1時からだからほんの3時間ほどで7000円くらいを稼いだことになるかもしれない。確かに雪の山の中を歩くと、長靴をはいている足が冷たくなって、嫌になる、つめて-ちきしょー、とか一人叫びながら榊を採っている。それでもこんな良い仕事はないのだ。ほんとに身近な山にあるものをとって生活の糧にしてゆけるということ、ありがたいことだ。まともな人生を送ってこなかったからこそ、こんな仕事も与えられる。今日は夕方からまた雪が降り始めたので、明日の朝市場に行くのは困難かもしれないと思い夜品物を出しに行った。岐阜のほうが良く雪が降っていた。ともあれ夜10時ころの野花社に帰ってきた。
2005.12.18
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2005.12.18
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昨日市場に持っていったものは、三重で採ったものが120本くらいで6000円こちらで採った榊23本が5500円桐が70本9000円ぐらいだった。三重行きは燃料代3000円は出たが、仕事としてはまともなものにならなかった。でもああした勇気の必要性は自覚できたし、遠いところに出かけるということの何かはわかった。しかし、やはり榊は良い値がついている。ほかの人も採れない為に、値があがっているのだ。何とか榊を採ってゆくことと、桐もかなり良い値がついているので、晴れていさえすればかなり取れる桐を、もう2,3回出来るだけ採ろうと思う。そう多くの稼ぎは出来そうにないが、それでもそれなりの稼ぎは出来そうで少しほっとしている。
2005.12.17
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2005.12.16
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三重から帰ってきました。三重から岐阜、岐阜から三重みなはじめてのことで、何度も道に迷いました。行きも帰りも、6時間かかりました。久しぶりに会った和尚の弟子の友だちは、壊れかけた別荘を、3年間かかって一人で直し素敵な雰囲気のあるスペースにしていました。材料もケミカルなものは使わず、自然なものを使ってありました。そこに彼は1人で住んでいました。仙人のように。でも女の人は時々来るようで私はうらやましい限りでした、ニコニコ。彼のいうようないい榊はありませんでしたが、仏花に使うビシャと言う榊に似た木が沢山ありました。それを120本くらい切ました。野の花社のあたりにいては多分取れなかったでしょうから、この遠征は無駄ではありませんでした。三重でももう少し岐阜県に近いところに行くことも1つの方法かなと思います。ともかく彼のいるあたりはほとんど雪の降らないところのようです。そういうことを事実として知ることも大切だと思います。仕事のイメージが広がります。
2005.12.13
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上の写真は三重の友達の家で採ったビシャと、彼の家です。
2005.12.13
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一昨日は私の過去の事件などとの関係で、マスコミの取材を受けました。私はマスコミの人の取材に対しては、それなりに条件を付けたりはするものの、基本的には受け入れることにしています。それがあの時代にやったことに対する、責任のとり方のひとつの在り方だと思うところもありますし、過去に罪を犯した人間が、それを見つめなおした後に出所して、どのような生活をしているかをみて貰うことはそれなりに意味のあることだと思うからでもあります。ともあれ、経済的に貧しい私は仕事を休んで取材に応じる気にはなれず、仕事場に同行してもらう形で取材して貰うことにしました。そしておとといの朝10時に道の駅で待ち合わせ、そこから山に入りました。道路が凍っていて上がれないところで車を降り私はシロモジの枝などを捜しに山の中に入りましたが、そのとき入った山にはほとんど良いものはありませんでした。榊も良く切ってあって、いいものはほとんど取れませんでした。その途中でその前日から見つけていた桐南天の木に登り上の写真のようなみをとりました。桐の葉に似た葉がつきとても大きな木になるものです。その枝の先にまるで南天と同じような実がついているのです。私がするするとその木に登ってゆくところもカメラに撮られました。その後仕事が中途半端になったので、もう仕事はやめて彼らの取材に応じる気になりました。結局、昼過ぎから夜遅くまで、友人の家を借りる形で、彼らの取材に応じました。その内容についてはまたいつか書きたいと思います。
2005.12.12
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今日もかなりの雪が降っています。そして天気予報を見ても、ここ当分の間寒い日がつづき、山の雪が溶けるということは、当分の間なさそうです。こんな12月の前半から連続して雪が降るのは、とても珍しいことです。おかげで仕事が出来ません。で、明日からは三重の友人のところに山仕事で出稼ぎに行きます。そこの山で切れるものがたくさんあれば、当分そこで仕事をすることになるかもしれません。かなり遠いので岐阜の市場に出荷するのは難しいところもありますが、ともかく今の状態ではここにいては仕事にならないので、そうするしかない感じです。今回の困難がこの山仕事の新局面を開くきっかけになると言うことかも知れません。単なる浪費で終わる可能性もありますが。そんなこともありパソコンからこの書き込みをするのは少しの間難しくなるかもしれません。
2005.12.12
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今日の昼ころから、また雪がはげしく降り始めました。まただいぶ積もりそうです。仕事が思うようにいかず、困っています。
2005.12.12
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鹿の足跡と始めに書きましたがどうも大きさからして猪のような気がします。今日も山に少し入りましたが、なぜか鳥たちの声が特に盛んでした。山に登る入り口付近では、ムクドリのような鳴き声の小さな鳥が、群れをなして高い木の枝の上を移動していました。山の上にあがると山鳥か雉のような鳥の鳴き声がしきりにしていました。そして雪がかなり激しく降ってきました。始めは粉雪のような雪夕方には重いべたべたの雪になりましたが。足跡は上の写真のより小さいのが獣道にいくつも重なるようにありました。それが鹿ではないかと思います。
2005.12.12
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薪ストーブが ほのかに燃えて 三重の夜がふけて行くます。 明日は榊とりです。
2005.12.10
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最近は体調はすこぶる良い。以前のように、バリバリ働ける感じになってきた。いろいろ迷った挙句、ともかく今の困難を引き受けてゆこう、山の仕事で何とか、現在の経済的な状況を改善してゆこう、妹や兄との関係は正直に私の気持ちを伝えつつ期待することをなるべく止めよう、そんなことを思い少し気持ちに踏ん切りがついたこともあります。妹との関係はそんな奇麗事でもないのですが。その他に確かにサプリメントの効果もある気もします。この5月から9月ころまでは、経済的なピンチが続いたことや妹や兄にもサプリメントを食べて貰ったりしたことから私自身が必要とされている量を食べられなくなっていました。その後9月からはもう妹などのために買うことはやめ自分の必要な分だけ買いきちんと採り始めました。そうしたところ10月ころから体調がどんどん良くなりました。栄養に気をつけいろいろのものを食べるとこすればいい面もありますが、忙しいこともありますしそう十分に品物をそろえられないということもあります。そういう中で本当にいい品質のものであればサプリメントでそうした栄養をとるということも1つの方法ではあると思います。
2005.12.10
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今日山から帰ってきて、野の花社の裏を見に行ったところ上の写真のように、その中央付近のひさしが写真のように壊れていました。多分2階に屋根から落ちてきた雪の重みに耐えられなかったからだろうと思います。次から次へと仕事が出来ます。
2005.12.08
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今日は6日ぶりに山仕事に行きました。上の写真はそれ以上上にはあがれなくなった林道のところを写したものです。それでその近くに軽トラを止めて、とりあえず榊がありそうな山に入りました。あまりいい榊はありませんでしたが、かなり良いものもあるシロモジが50本くらい採れました。ともあれ今日も山は少し雪が降っていました。午後から。帰ってきて天気予報を見てもどうも今年はこの調子が続きそうです。かなり弱りました。苔だまを作るにもその原料の苔が雪の下になっていることが多いし、苔だま要の観葉植物なども、山で採るのは難しい気がします。ともかく雪の降っていないところまで行き山仕事をやると言う手を考えています。
2005.12.08
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今日もよく働いた。上の写真は今日二つのドアを取り付けたりした、ストーブ置き場兼脱衣場です。以上は携帯から入れたものですが、これだけでは説明不足ですね。うえの写真は昨日写したものを反対側から写したようなものです。手前にひとつあるドアが、今日つけたもので、中に入ってすぐの左側が、ここでは良くわかりませんが、浴室です。その奥の左側の見えないところに薪ストーブがあります。今すのこを引いてありあたりが脱衣場になります。まだ床は地のままですが。薪ストーブがあります。ともかくこれで何とか冬の冷たい風にあたらないで入浴の前後に服を脱いだり着たり出来る見通しが立ちました。またサッシのドアを2つ取り付けたので、中から鍵がかけられるようになりました。妹のためにも良かったと思います。まだ少し壁の板が張っていないところがありますし、薪ストーブの煙突が取り付けてないし床にコンクリなどうっていないのでかなり不十分ではありますが、12月末までには何とかなりそうです。これも今回の大雪のおかげです。これを機会とばかりにやりました。少しほっとしています。
2005.12.08
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雪下ろしの後は、風呂場の横にまきストーブを置く場所を作り始めました。将来はある程度、まきで煮たき、風呂の湯沸かしもしたいです。
2005.12.07
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2005.12.07
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今回の雪はこの地域では例年にない大雪だった。だから屋根が傷みそうで、気掛かりだった。だから今朝も屋根の雪下ろをした。長屋の二階の屋根の雪が一階の屋根に覆い被さるようになっていていました。
2005.12.07
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今日朝一時的に回復したのが、昼前からまた停電しています。ロウソク灯して夕食です。携帯も電池が少ないので、今日はこれで終わります。 ここまで書いたところで、電気がともりました。 下の写真は昨日近くの道を通っていて写したものです。杉の木が倒れてきて、送電線に懸かっています。今回の停電は広い地域のもので、こうした形での送電線の切断ではなく、もと大きな送電線の切断だと思います。写真のは切れていません。
2005.12.06
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朝はやくは、私の部屋の南の廊下に、まずダンボールをしき、その上に安いカーペットをしきました。廊下の板の空き間から風がはぃって来るのをふせぐためです。
2005.12.06
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1階の屋根に登って、2階から巻くように落ちてきている雪をかき下ろしているところです。
2005.12.06
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2005.12.06
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ほんとに昨日はいろいろなことがありました。朝市場に行く道の途中で、ある橋の上などで発煙筒がたかれていたので、何かなーとみながら走っていくうちに、車が2台橋の上で滑ってぶつかり壊れているのが見えてきました。ととと・・・私の車も滑り始めもう少しで事故車にぶつかりそうになりました。住んでのところで回避して、何とか無事に市場にたどり着きました。朝はあまり雪は降っておらず道はべたべたに濡れている状態だったのですが橋の上はところどころ凍っていたようです市場から11時ころ帰りさっそく修理屋に行きタイヤをスタッドレスに変えてもらおうとしたのですが、すぐには中古のタイヤなどがなかったために、少し待ってくれ、また電話するからということでとりあえず野の花社に帰ってきました。もうかなり雪が降り始めていましたから山に行くわけには行かずこんな日は野の花社の冬支度などの仕事をすることにしました。私の部屋の廊下の下の板に隙間ができていて風が入ってくるのでその上にダンボールを敷き、その上に安いカーペットを敷くことにして、ダンボールを近くの八百屋の森商店でもらってきました。その後昼飯食べたりしたあと修理屋に行くかどうか迷いもし、忙しそうだったのでもう少し後にすること思いとりあえず安いカーペットを買いに隣町の金山のホームセンターに行くことにしました。まだ道はべたべたで、すぐ帰ってくれば大丈夫だろうと思ったのです。出12月が誕生日の妹に安物ですが600円くらいのブーツのようなものも買いに行こうと妹も乗せて出発しました。そしてすぐに帰ってきたのですが行きはべたべただった道が白くなり、雪が積もり始めていました。私の車のタイヤはつるつる状態に磨り減っていましたからやばいなーと思いつつも何とか走ってゆきました。あるところまできたとき車が滑り始め止まりません。ふらふら滑った後ガードレールにぶつかり、反対向きになって止まりました。このままにしておくわけにもゆかず、何とかユウターンしてそろそろでも良いから帰ろうとして、妹に押してもらって向きを何とか変え恐ろしがる妹を下ろして走りました。しかし1キロも走らないうちに、少しの坂が上がれなくなり道脇に止まる形になりました。修理屋に電話してみると今日は忙しくて行けない、タイヤはあるのだがということでした。あるって追いついてきた妹はこのままほーって行こう、というのですが明日からの仕事のことなど考える私は何とか車で帰りたいと思いました。出同級生で親しい友人でもある森商店の勝敏さんに携帯で電話しました。チエーンか何か持っていたらもってきて貰えないだろうかと思ったのです。そしたら彼は丁度その修理屋さんに来ていて、そこにあるスタッドレスのタイャをもて来てくれることになりました。彼自身若いころは修理屋に勤めていたしとでした。こうして勝敏さんに来て貰い私も手伝ってタイャを入れ替え何とか野の花社に帰り着きました。タンポポ号は左のウインカーが壊れただけでした。まあ大きな事故になってもおかしくなかった状態でこれだけで済んだのは幸いでした。いい経験になりました。勝敏さんが丁度修理屋に来ていたという幸運もありました。帰ってきてみると野の花社の前の竹やぶのたけが、道の側にどっとたれてきていてバスや車が通れない状態になっていました。丁度来ていた道路パトロウルの人と二人で竹を切りました野の花社の風呂の屋根の雪下ろしもしました。生花市場からの売上のファックスも届き昨日写しておいた背の高いモミの木が一本2000円で売れているという嬉しいこともありました店でなら1万円くらいで売れるようないい形のものでした。夜は10時ころからだったか停電になり蝋燭を出してきて少しの間時を過ごしました。ほんとに昨日はいろいろなことがありました。
2005.12.06
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雪で停電です。ロウソク灯して、横になります。今日は大変な日て゛した。ケイトラをガードレールにぶっつけたし。またそのうち報告します。
2005.12.05
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夕方から雷をともなって、さらに雪がはげしくなりました。野の花社の新築の風呂の屋根が、重みで曲がりそうな ので、その屋根の雪かきをしました
2005.12.05
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