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アニメ化もされた「逮捕しちゃうぞ」や「ああっ女神さま」の原作者である漫画家・藤島康介氏がこれまで独身だったというのも驚きだが、今回結婚されたお相手が、なんと31歳も年下で、その筋では「日本一かわいいコスプレイヤー」の異名を持つタレント御伽(おとぎ)ねこむさん(20歳)とは正直驚きました! しかも、既に新婦の御伽さんはご懐妊されているとの事!何にせよ、どうかお幸せに!ああっ女神さまっ(48) [ 藤島康介 ]価格:565円(税込、送料無料)
2016.06.29
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。前回は小田原征伐が終わり、その後の「宇都宮仕置き」によって戦乱の世が終わり、それにともなってこれまで怪演を見せていた高島氏政も退場しましたが、今週の第25回「離別」ではどうなっていくでしょうか? 関八州に覇を唱えていた後北条氏は「戦国大名」としては滅亡し、奥羽で猛威を振るっていた「独眼竜」伊達政宗も内心ではともかく、少なくとも表面上は秀吉に服従し、これで秀吉に対抗するものはいなくなり信長以来の宿願とであった「天下一統」は遂に成し遂げられました! その「豊臣による天下」を受け継ぐべき関白秀吉の嫡男鶴松は、秀吉の期待を一身に背負い、3歳のかわいい盛りを迎えた夏、病を得て重篤な状態になっていました。どうも生まれつき「蒲柳の質」だったようで、生まれた山城国淀城において生母茶々や薬師に見守られながら床に伏している状態が続いています。 天下人秀吉の後継者が病にかかっているということで、見舞い客がひっきりなしで訪れているようで、石田治部少輔三成は馬廻衆である平野長泰と真田源二郎信繁に、見舞い客の選別を委ねます。 そして内密の話として明かされたのは、鶴松はこの夜が山らしいということのようです。それを知るなり、長泰が 長泰:「利休殿の祟りではないか、とひそかに噂する者がおるようで」と言いだしました。 その千利休は 天正19年(1591)2月28日にセルフあぼーんしているので、時系列的にはそれより以前のこと、先年の小田原征伐の折に、家康や大谷刑部少輔吉継からの密使として小田原城内に入った際、源二郎信繁は「魚屋(ととや)」つまり利休の刻印が入った鉛球をハケーンして持ち帰っていました。 これは、豊臣軍の侵攻に備えて後北条氏が鉄砲の弾を作るためにかき集めていたものであり、それに秀吉のブレーンである利休が関与していたという動かぬ証拠です! この物的証拠を前にしても、「表のことは秀長に、内々のことは利休に」と言われるほど関白秀吉からの絶対的な信任に自身を持つ利休は涼しい顔をして全く動じません! 吉継:「これが何か、ご存じであろうな!」 利休:「鉄砲弾をこさえる鉛でございますな。」 吉継:「源二郎が小田原城内で見つけた。そしてここに其方の刻印が打たれておる。」 利休:「ホンマでんなあ。」 三成:「北条にこれを売りつけたとなると、ゆゆしきことじゃ。」 信繁:「小田原城の蔵の中には、これが山ほど積まれておりました。」 利休:「あんさんの話を、どれだけ殿下がお信じになりはるか、でんなあ」 このまま利休を訴えても秀吉が信じない恐れがあると感じた刑部少輔吉継は、治部少輔三成と一緒に豊臣政権のNo2である大和大納言秀長に助力を請うべく面会に向かいます。 当時、既に死病に取り憑かれていた秀長卿は、刑部少輔らの訴えに耳を傾け、「最後のご奉公」として聚楽第の兄秀吉の元を訪れます。 秀長:「あの者は、茶人であると同時に、堺の商人なのです。堺衆に利があると見れば、北条と取り引きをすることもいとわぬ。志を同じくする者と信じては、利休を見誤ります」 秀吉:「・・・」 秀長:「利休は力を持ち過ぎました。」 秀吉:「ひとまず、預からせてくれ。」 秀長:「兄上はあと何年生きられるおつもりですか!」 秀吉:「何だ、いきなり。」 秀長:「もちろん、兄上が居なくなっても私が居れば鶴松様をお守りして何とかやっていけるでしょう。気がかりなのは兄上も私も居なくなったとき、誰が鶴松様をお支えしていくかです。今のうちに、力のある大名たちが、皆で、鶴松様をお守りしていく、それしかありません」と最後の進言を行います。 それから間もない天正19年(1591)1月22日、尾張中村の百姓から大和・紀伊・和泉の3ヶ国の大大名に出世し、兄秀吉の覇業を補佐して短期間で勃興した豊臣政権における貴重な調整役として機能してきた従二位権大納言秀長はこの世を去りました。享年52 そして時は進み、淀城では、鶴松が病と闘っている中、能吏である刑部少輔吉継は鶴松が翌朝まで持たないと考え、死後の段取りを進めていました。まだ鶴松が生きているのに、その死を前提として段取りを進める吉継の冷酷さに三成は戸惑う中、大徳寺を訪れた時のことを思い返します。 臨済宗の名刹である龍宝山大徳寺は、後醍醐帝が京都五山のさらに上位に位置づけ、室町期に貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受け、関白秀吉も帰依していたのですが、その山門の楼上にある一室に案内された刑部少輔吉継と治部少輔三成は、ある木像に目を向けます。 僧侶:「何しろこの山門の修繕が成ったのは、あの方のおかげゆえ、ありがたく頂戴したのですが」 三成:「これは、利休をかたどったものだ」 聚楽第の石田屋敷に戻った刑部少輔吉継と治部少輔三成は酒を交わしながら利休追い落としの策を練ります。そして 吉継:「追い落とせるなら、多少手荒なことをしても、かまわぬな」 と一計を案じ三成も承諾します。 そして、石田治部少輔三成が関白秀吉に対し、茶頭筆頭である千利休の弾劾を行います。 三成:「利休はおのが姿に似せた木像を作り、それを大徳寺の山門に飾らせました」 秀吉:「だから?」 三成:「木像があるのは、山門の真上でございます。つまり、殿下が山門をくぐるとき、知らぬ間に、利休の足の下を通っていたことになりまする」 秀吉:「……利休が置かせたのか? 吉継:「全てあの者仕組んだこと、決して許してはなりません。」 秀吉:どうすればいい?」 三成:「堺の屋敷に蟄居させるのがよろしいかと」 秀吉:「良きようにせよ。」 結局、関白秀吉は石田治部少輔三成に処分を一任します。そして三成は刑部少輔吉継と真田源二郎信繁を同道させて処分を言い渡しに利休の元を訪れます。 三成:「千利休、その方の振る舞い許しがたく、よって本日をもって京から追放、堺にて蟄居を命じる」 利休:「そりゃ、御無体と違いますか。そや!これは鶴松様の平癒を念じましての献上金でございます。」 三成:「ありがたく頂戴するが、それとこれとは話が別」 吉継:「殿下のお達しはまだある。」 利休:「まだ、ございますか?」 吉継:「利休、お主には、蟄居半月ののち、切腹を申しつける!」 またまた回想シーンから戻り、鶴松の病篤い事に治部少輔三成ですら、「これは利休の祟りでは」と思い始めます。しかし刑部少輔吉継はそんな同僚の考えをあっさり一蹴します。 つまり、「祟りなどあるはずが無いから利休のことは忘れろ。自分が最初に祟られるはずだ」と諭します。しかし実際には刑部少輔にこのときはまだ何も災いは起こっていませんでした。 そして、源二郎信繁はといえば、兵3000を動員し包囲した堺の屋敷において、蟄居の身となった利休の監視役を担っていました。その信繁は、なぜあのような像をつくったのか利休に問いかけます。 利休:「わては、商人の街に生まれ、カネが人の心を、そして国を動かすことを学びました。そして知ったんや。戦は儲かりまっせ。」と『死の商人』丸出しの論理を展開します。 利休:「しかし、人の心を、命を、金で操るは、業の深いことや。それゆえ、わては茶をたてる。ここまで茶の道を極めることができたのは、それだけわての業が深いゆえ」 信繁:「何ゆえ、あのような像をこしらえたのですか?」 利休:「あれで、足を掬われましたなぁ……。ひと言で言えば、宿命(さだめ)や」とその意味深長で不気味な笑い声は信繁の耳からしばらく離れなかったようです。 「鶴松危篤」の報は京の真田屋敷に滞在中であった真田安房守昌幸の耳にも届き、淀城に「薫(山手殿)」を同道させて見舞いに参上します。その案内された一室に信繁が顔を出すと、一刻も早く鶴松の状態を知ろうとします。 一方、小田原征伐の論功行賞により、晴れて上州沼田城主となった信幸は、領地の経営に追われる日々を過ごしていました。秀吉の「天下一統」により長らく続いた戦乱の世はようやく終わり、これからは領民の為に金を使おうとする信幸。 しかし、昌幸同様に前時代の遺物「戦莫迦」な大叔父の矢沢頼綱が堀を拡げ沼田城内に真田一族が大好きな「隠し扉」をこしらえるなどやりたい放題で城主である源三郎信幸を困らせています。 そしてもう一つの頭痛の種になっているのが、未だに心を開かない小松姫の存在。ツンデレもここまで来れば疲れるだけです。そんなスッカリお疲れモードの信幸の心を癒やしてくれるのはやはり元正室にして従姉でもある「こう」さんだけです。 小田原城で信繁と再会したヒゲ面のガロード・ラン小山田茂誠は、妻であるまつの元を訪ねていました。まつの記憶喪失はこの小山田茂誠と再会したことで完全に治ってしまいました!いやはや何というご都合主義 結果として、これにより昌幸から帰参の許可を得た茂誠は、岩櫃城城代を任され、まつとともに赴任することになります。 まつは高齢のため体調を崩していた祖母のとりと再び離ればなれになることを嘆きますが、とりは「たとえ住む場所は違っても、心は常にひとつ。一家とはそういうものです」と諭すのでした。 舞台は再びもどって、淀城の広間で平野長泰と源二郎信繁が見舞い客に備えていると、近江から尾張、伊勢に転封になった中納言秀次が「ウザ」きりと連れだってやってきます。当然、秀次は直ぐに案内されますが「ウザ」きりは鶴松が大好きな「でんでん太鼓」を北政所「寧」から受注していたためそれを納品しにきたとの事です。 ちょうど折良く北政所が現れて「でんでん太鼓」を受け取っていくと、次に茶々の乳母である大蔵卿局がやってきます。どうやら鶴松の病が「利休の祟り」だという噂を耳にしたようです。 大蔵卿局:「姫様も心配されていました。あの方の死に、ご自分もいささか関わっておられましたから」 どういうことかと信繁が問いただすと、 1.茶々は利休を父親のように慕っていた。 2.小さな利休の木像をそばに置きたい。 3.茶々の甘えに応じ、利休は木像を発注。 4.しかし納品された木像は、ビックサイズで処理に困る。 5.「あのお寺に預かってもらえばよいのでは?」と茶々が提案したのが大徳寺だった。 という顛末でした! そのころ城内の台所では、薫の指導の元、片桐且元が「万病に効く明国の薬」を煎じていた。しかし、煎じた汁のほうが必要だと知らない「慌て者」の且元は煮カスを残して汁を捨ててしまいます。 慌てた旦元はわずかに残っていた根で、再び薬を作ろうとするのでした。が、そうして苦労した出来上がった薬を何と昌幸が「味見」してしまって且元の努力は全ては水泡に帰してしまします! 薫 :「殿……。今食べたのが全てでございっます」 昌幸:「えっ?」 薫 :「いろいろございまして」 昌幸:「わしが元気になってどうするんじゃ!」 また、極秘裏に葬儀の段取りをしていた三成と刑部のもとを、加藤清正と福島正則が現れました。そして鶴松の病気平癒を願って祈願の水ごりをしようと三成を誘いましたが三成はそっけなく断りました。これに対し脳筋2人は当然激怒しますが、先に水垢離を行っていた2人の元に現れたのは何と治部少輔三成その人!「無駄なことが大嫌い」と日頃から広言する三成をして、鶴松の病気を何とかしたいという強い思いが「水垢離」という行為に現れたのでしょう! 水垢離を終えた三成は、尾張中納言秀次や羽柴秀俊(後の小早川秀秋)、秀次の次弟秀勝や三弟秀保そして秀吉の養子でもある宇喜多秀家ら一門衆を集め、鶴松の命は今夜が山だという事を伝えます。 そして最年長である秀次に対しては、秀吉をこれまで以上に支えてほしいと覚悟を促し、他の一門衆4名には 三成:「方々には、中納言様をお助けし、豊臣家の繁栄にお尽くしいただきとうございます」 と一致団結して豊臣家を盛り立てようと協力を誓いました! しかしその一方では、江戸という辺境のド田舎に追いやられた勘助家康が「謀臣」本多正信ともに、そして安房守昌幸も腹心出浦昌相ととも鶴松亡き後の政権の混乱を期待して策謀を巡らします! そしてその夜遅く、鶴松の容体が急変します。御簾の中では、医者たちが懸命な治療に当たっています。暫くすると、秀吉が疲れきった様子で御簾から出て、ふらりとどこかに歩いていきます。 信繁が追いかけると、秀吉は鶴松の遊び部屋に座り込んでいました。 秀吉:「教えてくれ。鶴松はなんのために生を受け、なんのために死んでいくんじゃ」 信繁:「殿下、よくないことを口にすると、そのとおりになると申します。今は、よいことだけを考えましょう」 信繁は思いつくまま、鶴松の元服後の名前など明るい将来を話題にした。次第に、秀吉の表情が和らいでいく。 秀吉:「ゆくゆくは、鶴松は関白となり、そしてこの国を治める」 秀吉が遠い目をしたそのとき、且元が駆け込んできました。 天正19年(1591)8月5日未明。関白秀吉の後継者として期待されていた鶴松はわずか数え3つでその余りにも短い一生を終えました。法名は祥雲院殿玉厳麟公神童。 ようやく手に入れた我が子を喪った関白秀吉は、死したる鶴松に向かって放心状態ででんでん太鼓を鳴らしています。 やがて茶々が部屋から出てきましたが、泣いてはおらず廊下でたたずんでいました。それを見た源二郎信繁 。 信繁:「鶴松様のそばにいて差し上げなくてよろしいのですか」 茶々:「だって、死んでしまったんですもの。横にいたところで仕方ないでしょう…皆、死んでしまう、私の大切な人たち」 そこへ北政所「寧」が現れてゆっくりと茶々を抱きしめると、堰を切ったように茶々は慟哭しました。 政権No2たる大納言秀長につづいて後継者鶴松も喪うという悲劇に見舞われた豊臣政権と関白秀吉。しかし、これすら豊臣家の人々を襲う更なる悲劇の序章にすぎなかったのです! 実父浅井長政、実兄浅井万福丸、義父柴田勝家、実母お市そして今度は我が子鶴松。またもや自分にとって掛け替えのない大切な人が喪ってしまった茶々は、自分の運命を恨めしく思い声をあげて泣くしかありません😢 そして、最底辺から駆け上り、遂には関白として天下一統を成し遂げた偉人である豊臣秀吉も、愛息の夭折という事態に際しては何も出来ない無力感あふれる「一人の人間」でしか無かった事がよく表現されていたと思います。 また、「武士」では無く「商人」に過ぎなかった千利休への賜死のやり方が「切腹」であったことは、秀吉による最後の「礼」であったとも言われています。 それにしても、歴史に「if」は禁物ですが、豊臣秀長と鶴松、この二人が長命していたならば、その後の日本の歴史は大きく変わっていたでしょう!少なくとも「秀次事件」やその一族家臣の粛正という事態は避けられたはずですし、豊臣政権崩壊にしてもその時期も形も大きく変わっていたと考えられ、日本の歴史や民族性にも影響が出たと考えることが出来るでしょう! いずれにせよ、これから押さえ役であった実弟秀長と後継者鶴松を喪った秀吉の大暴走が始まっていきます。それがどう表現されていくか、次週以降も目が離せません!にほんブログ村
2016.06.26
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先日開催されたApple社のイベント「WWDC2016」においては、期待されていた新たなハードウェアの発表はありませんでしたが、まさかの「新製品発表か?!」という情報が流れてきました! 「気になる、記になる」によると、DigiTimesが、サプライチェーンの話として、Appleの新型「MacBook Pro」が本格的な出荷準備の段階に入ったと報じているようです。それによると、新型「MacBook Pro」のディスプレイは現行モデルよりも一回り大きい13.3inchと15.5 inchが用意され、それにともない筐体のデザインを刷新し薄型軽量化が行われている他、新たなカラーのモデルも登場するようです。 いずれにせよ、今後の情報に要注目です!にほんブログ村
2016.06.23
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4作に分けてリリースされてきた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のシャア・セイラ編ですが、遂に最終章となる『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 4 運命の前夜』の予告編が一般公開されました! 今年の秋に公開される予定とのことですが、気になるのは「ララァ・スン」の「中の人」が誰になるかですね〜。順当に行けば、オリジナルの潘 恵子さんとなって今作でセイラ・マスをアテている潘めぐみさんと母娘共演ということになるわけですが、果たしてどうなるでしょうかねぇ? いずれにせよ、ファースト世代には待ち遠しい作品となりそうです!にほんブログ村【楽天ブックスならいつでも送料無料】【ポイント3倍GET!】【新作アニメDVDブルーレイ2枚ご購入でポイント3倍!】機動戦士ガンダム THE ORIGIN III【Blu-ray】 [ 池田秀一 ]
2016.06.21
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今年の日本生命セパ交流戦は20日、全日程が終了し、最終成績はパ・リーグの60勝47敗1分けとなり、7年連続の勝ち越しとなりました!結果は以下の通りですが、我が広島東洋カープはセ・リーグのなかでトップとなる3位になりました!また、セ・リーグの中では2位巨人とのゲーム差を6に広げ単独トップを独走中です\(^_^)/位 チーム 試 勝 敗 分 得 失 本 勝率1 ソフトバンク 18 13 4 1 83 48 23 .7652 ロッテ 18 12 6 0 85 56 11 .6673 広 島 18 11 6 1 61 57 15 .6474 楽 天 18 11 7 0 67 60 12 .6115 日本ハム 18 10 8 0 67 54 17 .5566 西 武 18 9 9 0 69 65 9 .5006 巨 人 18 9 9 0 64 78 13 .5008 DeNA 18 7 11 0 60 65 13 .3898 中 日 18 7 11 0 46 49 12 .3898 阪 神 18 7 11 0 44 72 3 .38911 ヤクルト 18 6 12 0 84 104 14 .33312 オリックス 18 5 13 0 54 76 10 .278 特に今回は、鈴木 誠也選手が3試合連続で3試合連続本塁打でチームを勝利に導び、また下水流 昂(しもずる こう)選手など若い世代の大活躍が目立ちました!この調子でいけば、1991年以来四半世紀の長きに渡って遠ざかっているセ・リーグ優勝、そして1984年以来となる日本一も夢ではありません! いずれにせよ、24日から再開されるリーグ戦においても、今の好調を持続させていってほしいものですな!スーパーSALE中ポイント10倍!広島東洋カープグッズ 公認【送料無料】メンズ・レディース カープ女子 野球観戦 ccilu-hero【10P18Jun16】価格:8100円(税込、送料無料)
2016.06.20
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。前回は信長以来の大事業「天下一統」の最終局面である『小田原征伐』がいよいよ始まり、孤立無援となった北条一族を何とか助けようと上洛させようと、駿河大納言徳川家康と大谷刑部少輔吉継らが尽力し、真田源二郎信繁に「相模守氏政説得」という大任が与えられましたが、今週の第24回「滅亡」ではどうなっていくでしょうか? 雲霞の如き豊臣の大軍に囲まれた小田原城そして後北条氏ですが、盟約を結んでいた会津黒川城主の伊達藤次郎政宗ですら豊臣政権に恭順したのに、未だに徹底抗戦の構えを見せています。 そんな中、駿河大納言家康と大谷刑部少輔の使者として北条相模守氏政を説得すべく小田原城に入った真田源二郎信繁ですが、イキナリ襲われますが、義兄であるガロード・ラン小山田茂誠に助けられます。どうも旧主武田宗家が滅んだ後、郡内地方を拠点としていた小山田一族の多くが隣接する相模、武蔵を領していた後北条氏に仕官していたようで、茂誠もその縁を頼って小田原に来ていたようです。 源二郎信繁は、ウザ松が実は生きていたことを夫である茂誠に伝えようとしますが、板部岡江雪斎に呼ばれ伝える暇もなく北条相模守氏政の居室に連れていかれてしまいます。 真田家に恨み神髄の氏政は、手の者に命じて信繁を拘束します。この事態に対し、江雪斎は魂消てしまいます。そして氏政は信繁を斬ろうとします。 氏政:「……殺せ!北条がどれだけ真田に振り回されてきたか知らぬ事もあるまい!ようもぬけぬけとわしの前に姿を表せたな!」 信繁:「私は、豊臣の使者として参ったのです。真田安房守昌幸の息子として伺ったわけではございません!」 そして、信繁はすでに戦の勝敗が決していることや、どれだけの兵の命を救えるかは氏政の決断次第という事を説き、さらに、家康から預かった書状だけでも見てほしいと訴えます。 信繁:「徳川様は、ご隠居様、御屋形様のお命を救うべく、奔走しておられます。」 氏政:「わしは降服はせぬ。この城におれば、決して負けることはない。」 信繁:「されど勝つことも出来ません。」 そして、家康が氏政親子助命のために動いている事、伊達政宗をはじめ、出羽の最上義光や相馬義胤らも秀吉に恭順しており、もはや北条に従うものはいない事を信繁は説明します。さらに豊臣軍がこれまでに落とした城の名を挙げ始め、因縁深い上野の沼田城も真田が奪い返したことを伝えます。 これにはさすがの氏政も潮時と観念した様子。 信繁:「……引き際をどうか、お考えください。徳川も上杉も真田も、皆、己の道に折り合いをつけ、生き残ってまいりました」 氏政:「教えてくれ、そこまでして人は、生きねばならぬのか」 信繁:「ご隠居様がここで意地を張れば、小田原の城は攻め崩され、多くの者が死にます。死なずともよいのに死なねばならぬ者たちを、救うためでございます。ご隠居様にも、折り合いをつけていただきとう存じます」 氏政:「ついに東国の覇者にはなれなんだ。どうせ秀吉と一戦交ええるなら、伊達や徳川と組んで、日の本を分ける大戦をやってみたかったわorz。華々しく戦国の世に幕を引きたかったわ。秀吉が恨めしいぞ」 信繁:「しかし今はその秀吉公に頭を下げるときです。」 氏政から明確な返事は出なかったものの、一旦城を出る事になった信繁は、茂誠が待つ蔵に立ち寄り、松が生きていたことを伝えます。 茂誠:「松が!?生きておったのかw( ̄▽ ̄;)w マジ!?」 茂誠がいる蔵を見渡した信繁は、蔵の中に金属の塊がたくさんあることに気が付いた。 信繁:「これはなんですか」 茂誠:「鉛だよ。これを溶かして、鉄砲の弾を作る」 鉛や箱に打たれた刻印に、信繁は見覚えがあったようです。 信繁はその鉛を手にすると、いずれ松の待つ上田城に来るよう茂誠に言い残しその場を去ります。 そのころ、氏政の三弟氏邦が守備していた鉢形城を6月14日に開城させた真田安房守昌幸たち北方隊は、北条氏照の家臣団が守備する八王子城へと向かっていました。 その矢先、昌幸のもとに秀吉からmailが届き、八王子城は景勝に任せ、忍城に戻るようにと書いてありました。昌幸はうんざりし、書状を丸めて捨ててしまいます。 その忍城ですが、最初の大言壮語はどこへやら、石田治部少輔三成は着陣から10日過ぎても水攻めに必要な堤すら築けずにいました。それでも三成はこれ以上無駄な死者を出さない為にも、初心を貫き水攻めに固執します。 それを見た昌幸は、自分や信幸も他の策を考えるべきではないかと進言しますが、真田のような卑怯な戦はしたくないと拒まれてしまいます。仕方が無いので昌幸たちは、三成の采配に任せ、自分たちは即座に対応できるだけはしておくことにしました。 そして天正18年(1590)7月5日。既に氏政の四弟氏規が守備していた韮山城が開城し、八王子城も力攻めで落城し孤立無援となった小田原城から剃髪した北条左京大夫氏直が出てきて降伏することを伝えます。 湯治から関白秀吉も帰陣しており、大納言家康が段取りを説明します。 家康:「それでは、氏政、氏直の命は救い、それと引き換えに、城を受け取るということでよろしゅうございますか。」 秀吉:「氏政は死んでもらおうか!」 信繁:「それではだまし討ちでございます!」 秀吉:「伊達が頭を下げ、小田原が落ち、もうわしに抗う者は誰もおらぬ。なんの気兼ねが要ろう( ̄Å ̄)」 7月10日、氏政は髷を落として秀吉の軍門に降った。 家康は氏政に、秀吉に命乞いをするよう説得するが、さすがは「関八州の覇者」氏政の気持ちはすでに固まっていました。 氏政:「生き恥はさらしとうない」 家康:「恥は一時でござる。生き延びることこそが肝心」 何とか氏政を助命したい家康は忍城攻めの陣から真田昌幸、八王子城攻めからは上杉景勝を呼び出し、3将で氏政を説得にかかります! 家康:「氏政どのには是非とも生き延びていただきたい。それが互いに凌ぎを削ってきた我ら3人の総意でござる」 景勝:「わしも髻を切る。我ら一同その覚悟で殿下に申し上げる所存。殿下は話してわからぬお人ではござらぬ。共にその下で働こうではござらぬか。」 氏政:「上杉殿。わしも貴方に伺いたい。秀吉のために生きるのでござるか?それでよろしいのか?」 景勝:「・・・・」 昌幸:「死にたければ死になされ。」 家康:「おろかな!」 昌幸:「されど生きておればまだまだ楽しい物が見られますぞ。このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。ここに居る誰もが思っている筈。そうではござらぬか。もうひと暴れしたいとは思われませんか!」 氏政:「おぬしらの働きぶり、あの世でしかと見物させていただこう!」 家康:「ここまで…でござるか」 氏政:「ここまででござる」と既に覚悟を決めた氏政の心は動きません。それにしても真田安房守昌幸はまだまだ懲りていませんw その控え室では。本多佐渡守正信、直江山城守兼続、板部岡江雪斎、そして真田源二郎信繁が待機していますが、兼続「お館様が妙な約束などしていないか心配」と言い、景勝が戻ってきて兼続が何も言っていないのに「何も約束していない」と言った事に大笑いしてしまいましたwww それにしてもこの作品における家康の描き方、今までみたいな「狸親父」ではなく人情味あふれる人物として描かれていると思います。これが大坂の陣に至るまでにどこまで黒くなっていくか、それも楽しみですね! 天正18年(1590)7月11日、いつもチビチビと汁をかけながら食べていた氏政が「人生最後の食事」として選んだ食べ方が「一気に汁」をかけるやり方!それを憑き物が落ちた感じですする姿がとても印象的でした。 そして、北条相模守氏政は次弟氏照、宿老の松田憲秀・大道寺政繁とともに切腹して果てました。享年53。首は京に送られ、聚楽第の橋にさらされたと言われています。 当主であり息子の氏直は助命され、出家の上、高野山へ送られます。これにより早雲庵宗瑞以来関東に一大王国を築いた北条氏は「戦国大名」として滅亡しました。 その後、信繁は小田原城の蔵にあったマーク付きの鉛の塊を大谷刑部少輔吉継の前に差し出した。 信繁:「ここをご覧ください。刻印が打たれています」 吉継:「……利休は、北条にも鉛を売っていたのか」 「茶人」として高名な千利休も、元をただせば堺商人。今回の小田原征伐が長引けば長引くほど儲かるというものです。その疑念を確かな物とすべく吉継と信繁は小田原城へ急ぎますが、一歩遅く二人が蔵についた時には慌てふためいた利休によって持ち出された後であり、すでにもぬけの殻でしたorz このマークは生家の本業が「魚屋(ととや)」であった千利休ならではの「社印」であったわけです! 一方、小田原城が開城降伏してもなお、三成が攻める忍城だけは最後まで北条への忠義を尽くし降伏していませんでした。 てこずり苦戦する三成に小田原から戻った昌幸は、戦に勝つには人の心を制することが肝要であると持論を述べます。 昌幸:「戦に勝つとは、人の心を制すことにござる。忠義が邪魔なら、そこにつけ込めばよろしい。」 と血のついていない氏政の兜を使い、氏政が家来を見捨てて逃げ去ったように噂を流し、その策にハマった忍城の者たちは城を明け渡す事を決め、ついに7月14日に忍城も開城したのでした。 昌幸のおかげで無駄な血が流れずに済んだことに感服した三成は「それがしに戦の何たるかをもっと教えて頂けぬか」と昌幸に申し出ます。今作の三成はどうも前世の『悪左府頼長卿』とは違って、人に対して教えを請えるだけの度量を持ち合わせている様子です。 7月17日、小田原を出発した関白秀吉と軍勢は鎌倉に立ち寄り、そして26日に下野国宇都宮城に入城しました。その時既に常陸の佐竹義宣、陸奥の南部信直が宇都宮入りしており、28日には伊達政宗が奥州への迎えの為として宇都宮入りするなど、関東、奥羽の大名達が宇都宮に出頭します。豊臣政権によるいわゆる『宇都宮仕置き』です。 このとき、伊達藤次郎政宗は名門芦名氏を滅ぼして手に入れた会津など所領の全てを秀吉に差し出し、宇都宮城で秀吉をもてなす酒宴を催します。皆がほろ酔い気分になってきたころ、政宗は名家臣として著名な片倉小十郎景綱と一緒に餅をつき始め、餅が突き上がると、餡をまぶして人々に配った。 政宗:「これぞ、名物ずんだ餅。さあさ、ご一同、召し上がられよ」 秀吉:「よし、わしもつこう!」 政宗:「これより関白殿下御自ら餅をおつきになられます。これぞ天下持ちでございます!」 昌幸は「わしは伊達に賭ける!」といつか政宗と一緒に秀吉に反旗を翻そうと考えていたのだが、まるで戦国武将としての気骨が見出せない『太鼓持ち』そのものな政宗の姿に絶望的な気持ちになり、またもやヤケ酒をあおるのでした。 この「宇都宮仕置」その後の「奥州仕置」の結果、伊達藤次郎政宗は旧芦名領の会津郡、岩瀬郡、安積郡を没収され、150万石から陸奥出羽のうち13郡、およそ72万石に減封されます。 その他の諸大名は ・改易 - 石川昭光、江刺重恒、葛西晴信、大崎義隆、和賀義忠、稗貫広忠、黒川晴氏、田村宗顕、白河義親ら(小田原に参陣しなかったため) ・減封 - 伊達政宗 ・所領安堵 - 最上義光、相馬義胤、秋田実季、津軽為信、南部信直、戸沢盛安ら ・新封 - 蒲生氏郷(蘆名氏の旧領・会津黒川42万石)木村吉清(葛西大崎30万石) そして、勘助家康ですが、北条の旧領を手に入れたが、その代わりに三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を召し上げられ、凹んでしまっています。しかし下手に逆らうと論功行賞で東海地方の家康旧領への移封命令を拒否した挙げ句に改易&流罪となった織田三介信雄と同じ憂き目に遭ってしまいます。そんな家康を見て秀吉が意地悪を炸裂させて問いかけてきました。 秀吉:「徳川殿、江戸はどうであった」 家康:「すばらしき土地にございました。それがしが、江戸を東国一の都にしてご覧に入れまする」 と精一杯強がってみせますが、秀吉は家康の隣にいた昌幸に対して 秀吉:「こたびはよう働いた。真田のこと、決めたぞ。小県は安堵。沼田もお主にくれてやる」 そして秀吉は真田に対し徳川の与力大名の任を解きます。これは昌幸を上田に落ち着かせ、潜在的敵対勢力である家康を監視させるためのことでした。兎にも角にも、この朗報を喜ぶ昌幸。そして落胆を隠せない家康w 一方、秀吉に恭順した政宗でしたが、 政宗:「生き残るためじゃ。わしだって、どうせ戦国の世に生まれたからには天下を賭けた大戦に臨み、何万という大軍を率いて敵を蹴散らしたい。おぬしだとてそう思うだろ?」 信繁:「いえ」 政宗:「思えよ!もしわしが、もう20年早く生まれておれば、もしわしがもう少し京の近くで生まれておれば、大広間の主座に座っているのは秀吉ではなくわしであった!」と生き残るために仕方なく選んだ道であり、もう少し京に近いところで生まれていれば、秀吉と立場は逆転していたかもしれないという悔しさをを募らせます。 天正19年(1581)にかけ「奥州仕置」による強引な大名の再配置がもたらした不満と軋轢が爆発して、「葛西大崎一揆」「和賀・稗貫一揆」「仙北一揆」「九戸政実の乱」などの一揆・紛争が続発しますが、何はともあれこれで応仁・文明の大乱以来続いていた「戦国乱世」が実質的に終幕を迎え、亡君信長の遺志を継いで「天下一統」を成し遂げた関白太政大臣豊臣秀吉は名実ともに天下の覇者となりました。 しかし、これが関白秀吉とっての「頂点」であり、この後、秀吉と豊臣家は徐々に衰運していくことになります… ついに「戦国大名」としての後北条氏が滅亡し、高嶋政伸による怪演が話題になっていた北条氏政が退場してしまいました。また「相模のDQN」から成長を遂げた嫡男氏直も豊臣政権からの赦免&大名復帰を目前にした天正19年11月4日に疱瘡でこの世を去りますので、氏直もこのまま退場ということになるでしょう! それにしても、一夜城伝説が残る石垣山城や小田原城の開城交渉を担ったとされる黒田官兵衛すらオミットした今回の潔さは、ある意味凄いと思いましたね!それにしても前田利家や浅野長政ですら姿を出さないとはねぇ〜w さて、次回からは豊臣政権の崩壊過程が描かれていくわけですが、未だ「馬廻り」でしかない真田源二郎信繁をどう物語に絡めていくのでしょうか?制作陣の力量が試されますな!にほんブログ村のぼうの城 豪華版Blu-ray 【完全初回限定生産】【Blu-ray】 [ 野村萬斎 ]価格:7067円(税込、送料無料)
2016.06.19
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「WWDC2016」においてiOS10が発表され、9月にアップデートされるであろう次期型iPhoneの情報もいろいろと取り沙汰されていますが、日経新聞によると、2017年に発表されるモデルから「有機ELディスプレイ」を採用されるとのことです。(以下、引用)サムスン、アップルに有機EL スマホ用供給へ 7200億円投じ5割超増産 韓国サムスン電子は2016年に8兆ウォン(約7200億円)程度を投じて有機ELパネルの生産設備を拡充する。スマートフォン(スマホ)用パネルに換算すると2億数千万枚分で現状より5割超増える。米アップルや中国メーカーへの供給体制を整える。最大手の大規模増産でスマホパネルの液晶から有機ELへの移行が加速。画面が鮮明で多様なデザインのスマホの普及が進みそうだ。 アップルは有機ELスマホを出す時期を部品メーカーに伝えていた18年から、一部機種は17年に前倒しする計画。有機ELパネル市場をほぼ独占するサムスンに供給を打診したもようだ。 子会社サムスンディスプレーが韓国・湯井に持つ工場を拡充する。16年の設備投資はパネル全体で10兆ウォン程度で、約8割を有機ELに充てる。過去3年は液晶と有機ELの合計で年平均5兆ウォン弱を投じた。現在の有機ELの生産能力はスマホ用換算で年3億枚を大きく上回るとみられる。 サムスンのスマホ「ギャラクシー」は販売台数が世界1位で、2位のアップルの「iPhone(アイフォーン)」と競合するが、アップルは半導体メモリーなどの部品事業の顧客でもある。スマホに並ぶ収益源である部品事業を拡大するとともに、注力する有機ELの市場を拡大させる。 有機ELパネルはガラスを使わない基板もあり、曲面などに加工しやすく、商品デザインの自由度が高まる。液晶より発色が鮮やかで視野角が広く見やすい。一方、寿命が短いなどの課題が残る。 サムスンは自社のスマホの大半で有機ELを採用し、量産ノウハウを蓄積。生産コストは液晶並みに低下しているようだ。サムスンの大型投資は競合のパネルメーカーの脅威になりそうだ。 液晶世界最大手のLGディスプレーは今後数年間でテレビ用などを含めて有機ELパネルの増産に10兆ウォン超を投資。スマホ用にも参入する。ジャパンディスプレイは500億円を投じて17年春に有機ELの生産ラインを新設。18年以降に本格量産を始める。 アップルが有機ELを採用することで、ほかのスマホメーカーが追随する可能性がある。だが、今回のサムスンの増産規模は15年の自社のスマホ販売台数3.2億台(推計値)と比べて大きく、巨額の投資負担が収益の重荷となるリスクがある。(以上、引用終了) 個人的には、現在使っているiPhone6 Plusに不満が無いため、今のところ2016年モデルをスルーするつもりでしたが、2017年モデルがいろいろと変わりそうですので、ますます2016年モデルへの買い換えは遠のきそうですねwww
2016.06.18
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日本時間で14日午前2時からAppleの開発者向けイベント「WWDC2016」の基調講演が行われました!私も午前3時ごろまでは何とか頑張ってライブ中継を視聴していましたが、その後に寝落ちしてしまいましたwww それはさておき、今回の「WWDC2016」ですが、当初言われていたとおり、OS関連やソフトウェアばかりであり(まぁ、「開発者イベント」ですからねw)期待があった「MacBook Air」や「MacBook Pro」などハードの発表は一切ありませんでした! とは、言っても結構盛りだくさんの内容だったと思います! まず、ティム・クックCEOが登壇し、先日フロリダで発生した狂信者による銃乱射事件による犠牲者に対し、哀悼の意を表した黙祷が捧げられました! そして、問題の新OS群ですが、 1.watchOS 3 ・アプリの速度が高速化ーー従来よりも7倍も早く ・サイドボタンがDockにーー自由にカスタマイズ可能! ・「コントロールセンター」登場ーー上方向にスワイプすると出現 ・手書き文字入力「Scribble」に対応(但し、日本語対応かは不明) ・新しいウォッチフェイス「Numerals」「ミニーマウス」などを追加 ・ウォッチフェイスをスワイプで切り替え可能に ・サイドボタンの長押しで緊急電話が可能に ・アクティビティを友人と共有可能に ・車椅子利用者に最適化されたモードを用意 ・呼吸法を管理するアプリ「Breathe」を発表 2.macOS ・名称を「OS X」から「macOS」に変更 ・「オートログイン」ーー「Apple Watch」を付けているだけで自動的にログイン可能に ・「ユニバーサルクリップボード」ーーiPhoneやiPadなどiOSデバイスとクリップボードが共有可能に(テキストだけではなく写真や動画も対応) ・ストレージの最適化ーー使用頻度の低いファイルや削除するべきファイルを自動的に判別し、ストレージ容量を節約 ・デスクトップをMac同士で共有可能に、iOSデバイスからもアクセス可能に ・「Apple Pay」のブラウザ対応ーー決済時はiPhoneの「Touch ID」を利用して認証。但し日本での「Apple Pay」サービス開始時期は不明 ・すべてのアプリのタブ化に対応 ・動画のピクチャ・イン・ピクチャ対応 ・MacのSiri対応ーーファイル検索やiTunesの操作、メッセージの返信などが可能に 3.iOS 10 ・プリインストール済の一部純正アプリを削除可能に ・UIの改善ーーロック画面、通知、コントロールセンター、ウィジェット、「3D Touch」利用時の表示内容など ・Siriをサードパーティアプリに開放 ・「QuickType」キーボードの機能強化ーーやり取りの内容から入力候補を推測可能に ・「写真」アプリーー顔認識だけではなくシーンの認識も可能に ・「マップ」アプリーーサードパーティに拡張機能用APIを開放 ・「News」アプリーーUIの改良 ・「Apple Music」の刷新ーーUIを大幅改善、歌詞表示の対応 ・「HomeKit」ーー「Home」アプリの提供 ・「電話」アプリーーボイスメールの書き起こし機能、VoIP用APIが開放 ・「メッセージ」アプリーーリッチリンクに対応、絵文字強化、スタンプ対応、専用App Storeの提供 ・「Live Photos」の編集機能、Safariを2画面並べて「Split View」が利用可能に 4.tvOS ・iOS向けのリモートアプリが一新ーーSiriでの音声操作が可能に ・サインオン機能を修正した新機能の「Single sign-on」ーーiPhoneやiPadでアプリをダウンロードすると、Apple TVにもアプリがダウンロード ・新アプリ群アプリーー「ReplayKit」はムービーを録画、「PhotoKit」はiCloudの画像にアクセス可能、「HomeKit」はIoTのデバイスを操作といったところです。 今回の基調講演で明らかにされた各種の数値データは以下のようなものです! ・登録済み開発者は1,300万人 ・WWDC 2016には74カ国から開発者が参加 ・WWDC 2016への参加者は5,000人 ・WWDC 2016への参加者のうち18歳以下は120人 ・WWDC 2016の参加者で最も若い人は何と9歳 ・App Storeのアプリ数は200万本 ・App Storeの累計ダウンロード数が1,300億ダウンロードを突破 ・アプリ開発者への累計支払い額は500億ドル(約5.3兆円) ・Apple TVのビデオチャンネル数は1,300に ・Apple TVのネイティブアプリ数は6,000本に ・「iCloud Drive」に保存されているドキュメント数は100億件 ・「Apple Music」の有料会員数は1,500万人に ・「News」アプリのニュース配信元は2,000社 ・「News」アプリの月間アクティブユーザー数は60万人 まぁ、ハードウェアのアップデートは今後期待しましょう!
2016.06.14
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毎年恒例となっているAppleの開発者向けイベント「WWDC」ですが、今年もいよいよ現地時間6月13日(日本時間6月14日午前2時)から開始されます。 一部では随分メジャーアップデートが為されていない「MacBook Air」や「MacBook Pro」などが今回の基調講演で発表されるのではという期待というか願望に近い噂も流布していますが、例年のパターンを見れば、まず間違いなくOSを中心とするソフトウェア関連でしょう! そして、Appleの情報を扱うサイトを巡回してみていくと、概ね発表されるのは以下のようなものと考えられます! 1.Siriのサードパーティへの解放。 2.iOS 10 3.macOS 10.12(OS Xから名称変更、Siri対応) 4.watchOS 3 5.iTunes(デザインのリニューアル)といったところでしょうか。 とにもかくにも、開会まであと数時間。wktkしながらiMacの前でライブ中継を待つとしましょうか!
2016.06.13
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。前回は「関東の覇者」北条相模守氏政を何とか上洛させようと、豊臣政権が「沼田裁定」という猿芝居まで行って沼田領の2/3を後北条氏に引き渡したのに、残った名胡桃城を攻め取った所為で遂に「小田原征伐」の作戦が発動してしまいました! 今週の第23回「攻略」ではどうなっていくでしょうか? 本能寺の変を切っ掛けに三大勢力が争った「天正壬午の乱」以来の課題であった「沼田問題」が豊臣政権の裁定により解決したはずだったのに、「脳筋」猪俣邦憲が名胡桃城を落としたことを口実にしてついに関白秀吉が「北条征伐」を決意し、全国から21万という前代未聞の将兵を動員しました! 秀吉より、北条征伐の作戦立案を任されたのは、石田治部少輔三成!三成は大将として近江中納言秀次を指名し、その後見役に後北条との取次役であった勘助家康に依頼します。 北条征伐の軍勢は、大きく2手に分けることにし、主力は東海道をそのまま東下し、一路小田原城へと進軍します。一方、上杉景勝、前田利家が率いる北方隊は、東山道を通り関東各地に配されている北条方の支城を攻め落としながら小田原城へ向かいことになります! そして、本来であれば徳川の与力大名である真田は、本来ならば勘助家康がいる本軍の先鋒に加わるべきなのですが、勘助家康を信用しきっていない治部少輔三成は、万が一家康が北条に寝返ったときに戦上手として名高い真田まで連れていかれては困ると思い、あえて昌幸を北方隊に配置しました! 家康:「お待ちあれ!真田は徳川の与力でございます。」 三成:「それゆえ『此度は』と前置きしてございます。 家康:「しかし・・・」 三成:「上杉どのはまず上野に攻めいっていただかねばならぬ。上野と言えば真田!」 昌幸:「なるほど(^^)v某は徳川どのの与力。しかしながら殿下のご命令とあれば、これは仕方ありませんな。やりましょう( ̄ー ̄)ニヤリッ」 秀吉:「前代未聞の大戦になるぞ。楽しみじゃ!」 これは、勘助家康に遺恨を持つ安房守昌幸にとっては願ったり叶ったりの配置です!さらに言えば、「徳川の与力大名」という立場も事実上白紙になったことを意味します! 上方勢の陣構えは以下のとおりと伝えられています。 主力:豊臣秀吉、徳川家康、織田信雄、蒲生氏郷、黒田孝高、宇喜多秀家、細川忠興、小早川隆景、吉川広家、堀秀政、池田輝政、浅野長政、石田三成、長束正家、立花宗茂、大谷吉継、石川数正、増田長盛、高山右近、筒井定次、蜂須賀家政、大友義統、加藤清正、福島正則。約17万。 水軍:長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。約1万。 北方隊:前田利家、上杉景勝、真田昌幸。約3万5千。 推定兵力は都合約21万! 現在の陸上自衛隊の総兵力が15万であることを踏まえて考えると、とんでもない大兵力であったかがよく分かります!しかもこれに、豊臣政権に恭順した佐竹氏、小田氏、大掾氏、真壁氏、結城氏、宇都宮氏、那須氏、里見氏など関東勢も加わります! 一方の小田原城は、東西に2.9キロ、南北に2.1キロ、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだ「惣構」を持つ日本最大級の城郭です! 天正18年(1590)4月、氏政の四弟氏規が3,600の将兵とともに籠もる韮山城を除き、箱根の駿河側に位置する山中城などの後北条側の防衛ラインを悠々突破した秀吉軍は、総勢18万を超える大軍を展開させ小田原城を完全に包囲します。そして秀吉は箱根山にあり後北条氏の始祖である伊勢盛時(北条早雲)の菩提寺である早雲寺に全軍の本営を置きます。 日本一統後に予定されていた「唐入り(明国攻め)」を視野に入れたいた関白秀吉は、今回の北条征伐もその「予行演習」と位置づけていた模様です!少なくとも秀吉側近の大谷刑部少輔吉継と石田治部少輔三成はそう考えて、黄母衣衆の一員として参陣していた源二郎信繁にその考えを語ります。 その後、諸将を本営に参集させるよう関白秀吉から命じられた信繁は勘助家康のもとに出向きます。家康は信繁を茂みに連れていき、連れ小便をしながら、信繁に自分が秀次の後見役とされたのは次女「督姫」を左京大夫氏直に嫁がせている所為で秀吉が自分を信用していないからではと愚痴をこぼします。 家康:「殿下は、まだこの家康をお信じにならぬようだのう。わしを総大将になさらなんだ。心配はご無用と、折あらば殿下にお伝えしてくれ。」 やがて本営に参集した諸将に対し秀吉は、この戦が後北条氏だけではなく、会津の芦名を滅ぼすなど猛威を振るう「奥州筆頭」伊達藤次郎政宗をはじめとする陸奥・出羽の諸大名たちも相手にしていることを示唆します。 いまだ恭順しない陸奥・出羽の大名たちも、この戦で秀吉の力を知ればいずれは降伏すると考えていたのでした。そのためにもあっさり勝負がついては意味がない。ということで、長陣に備えて秀吉は愛妾茶々を呼ぶことにし、攻囲戦に参加している諸将にも身内を呼んで構わないと伝えます。 この話の直後、秀吉は家康を立小便に誘います。 秀吉:「……徳川殿、この戦終わったら、お主に北条の領地、すべて任せようと思っておる。関八州をやる代わりに、江戸に移ってもらうから。駿河や三河はもういらんだろ。」 秀吉からの思わぬ「国替え命令」に唖然とする勘助家康(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!これが後世「関東の連れ小便」として語り継がれることとになるわけです。 一方、史上空前の大軍に囲まれた北条氏政ですが、事前に領内に対し万が一の時に備えて15歳から70歳の男子を対象にした「根こそぎ動員」体制を整えていたため、小田原城には主力5万余を集結させた上で籠城を決めこみ、その上で長期戦を考えていました。 嘗て、永禄4年(1561)の長尾景虎(上杉謙信)、永禄12年(1569)には武田信玄と戦国を代表する名将2人を籠城戦で退けた実績を自負していたから当然の戦法でしょう! しかも上方勢は所詮「寄せ集め」であり、戦が長引けば北条の味方につくものも現れると予想しての戦略でした。 特に相模守氏政は盟約を結んでいた伊達政宗に期待しており、政宗が大軍を率いてきたタイミングで討って出ようと目論んでいたのですが、当主の左京大夫氏直も板部岡江雪斎も今さら関白に刃向かう者はいないと感じていました。 その頃、大坂城では、秀吉からのmailが届き、茶々が秀吉のもとに向け出発しました!一方の北政所「寧」は正室としての仕事があるので病身の大和大納言秀長とともに残留することになります。 そして、安房守昌幸が参加した北方隊は、上野国碓氷郡にある松井田城を手始めに上野にある後北条氏の支城を次々と攻め落としていました。その松井田城で景勝と酒を酌み交わす昌幸。二人とも今回の関白秀吉による小田原征伐に内心で納得がいかない様子です。 そんな二人を見た源三郎信幸は、秀吉は「惣無事」を実現させ日本から戦を無くそうとして動いているので、それこそがこの戦の「大義」ではないのかと二人に意見します。 次に北方隊が攻めるのは武蔵国の忍城。安房守昌幸は忍城攻めを任せてほしいと景勝に志願します。景勝が了承すると、何とそのまま信幸に丸投げ(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!。 作戦を思案する信幸に、「北条と手を組めば秀吉にも勝てる」と残留組の出浦昌相が声をかけてきます。しかし、能力が覚醒しつつある源三郎信幸はこの出浦の策を一蹴します! その上で、再び世を戦国乱世に戻そうとする出浦の考えを危険と判断し、そんな出浦と切り離すため佐助に対し、しばらく信繁のもとへ行くよう命じます。 上方勢が小田原城を包囲してから一ヶ月が経ち、城内では連日重臣達が「開城か徹底抗戦か」の軍議がエンドレスで開かれています。世に言う「小田原評定」ですw そんな中、上方勢を侮っていた相模守氏政は怯えてしまい、現実逃避するために日々蹴鞠三昧!しかも、入浴中に敵が攻めてきたらと思い、一ヶ月も風呂には入らない始末(*´y`*)σ ⌒ ξ~ そして自分が怯えていると家臣に知れれば士気に関わるので、体の臭さを隠すために、毎日香を焚いています。何とか平常心を保とうとする氏政でしたが、板部岡江雪斎には見抜かれてしまいます。 江雪斎:「戦を忘れ、蹴鞠に興じるは、誰より戦のことを気にされておられるから。薄化粧は、やつれたお顔を隠すため」 それでもなお、氏政は「いずれ伊達が来る。伊達さえ来てくれれば」と呪文のように繰り返し、伊達政宗の援軍に一縷の望みをかけるのでした。 一方、秀吉の陣では、舞台で出雲の阿国一座が踊り、秀吉も一緒になって踊っています。しかし秀吉に呼び出された茶々は退屈してしまい、源二郎信繁を引き連れ、千利休の元を訪れます。 利休の元にある京や堺から運ばせた特上品を眺めながら茶々は、「戦はいつ始まるのか?」という疑問を口にします。茶々はせっかく小田原くんだりまで来たのだから城が焼け落ちるところが見たいと話します。 そしてさらに1ヶ月が経ち、6月。忍城攻めを任された信幸は苦戦が続いており、報告をうけた三成は想定外の苦戦に苛立ちます。 三成:「忍城ひとつ落とすのに、どれだけ手こずっておる」 吉継:「戦は、机の上の軍略どおりには運ばんものだ」 まぁ、実戦経験の少なさが災いし、このときの三成は「理屈倒れのシュターデン」もしくは前世である「悪左府頼長卿(失脚時点)状態になっているわけですw もっとも、ただでさえ堅城である忍城を守備しているのはかの「のぼう様」成田長親と甲斐姫のコンビですから苦戦するのは当然と言えるでしょう!さらに伊達政宗の着陣が遅れていることも三成をいらいらさせる原因の一つになっています。 天正18年(1590)6月9日。ついに伊達藤次郎政宗が着陣します。平均視聴率39.7%という大河ドラマ史上歴代トップを誇る「独眼竜政宗」でのあの名シーンが再現されるかと思いましたが、あっさりしたもので少しガッカリ(´・ω・`) それはともかくとして、奥羽を席巻していた大勢力である政宗が関白に恭順の意を示し、とうとう秀吉に刃向かう者は日本中に後北条氏だけとなってしまいます! 丘の上から小田原城を見下ろしながら、「北条は滅ぶのか」と信繁に訊く茶々。そんな茶々に対し 信繁:「そうやって、世の中は新しくなっていくのです。取り残された者は消えていくしかございませぬ」 一方、頼みの綱であった政宗が秀吉に帰順したという知らせはすぐに氏政のもとに届き、主戦派の氏政は化粧に余念がありません(´・ω・`)しょぼーん その頃、秀吉は小田原城に総攻撃をしかけ、一気に北条を滅ぼす意向を示していました。 秀吉:「これより総攻めを行い、北条を滅ぼす」 しかし、大谷刑部が小田原城に総攻撃をしかける前に、忍城や鉢形城など残っている支城群を先に攻略することを進言します。勘助家康も「さすれば、北条は進退窮まり、小田原城も開城と相成りましょう」とこの案に賛成します。 その進言を受け、秀吉は作戦立案を任せた石田治部少輔三成に意見を聞こうとしますが、居ませんw 信繁:「石田様は、ご自分の陣に引きこもっておられます。戦が長引き、当初の見立てと変わってしまったので、算段をし直しておられるところです」 吉継:「いかがでございましょう。この際、石田治部に、忍城を任せてみるというのは」 秀吉はその策を採用し、治部少輔三成に忍城攻略に加わるように命じ、三成は後事を吉継に任せて忍城攻略の為に出立します。もっともこれが石田治部少輔三成という武将にとって、死ぬまで付きまとう「戦下手」の評判を定着づけることになります。 一方、小田原城ですが、氏政がすっかり恐慌状態に陥り江雪斎からも「早雲公以来の名門北条家を滅ぼすおつもりか!」と一括されるしまつです。それでも当主である左京大夫氏直と江雪斎が「降伏&臣従」に向けて何とか説得しようとします。 氏政 :「降服するくらいなら、城に火を放ち、わしは腹を切る」 江雪斎:「お二人のお命は、必ずお守りいたします。徳川殿に頼んで、助命嘆願をいたします」 氏政は江雪斎に説得され降伏&臣従を受け入れますが、 1.今後、北条は上杉と同等の扱いとされるべし。 2.本領は安堵。 3.以後も豊臣家の重臣として、丁重に扱うように 余りにも図々しく、北条側でも「虫の良すぎる」と思ってしまう条件を提示してきたため、秀吉は「アホ抜かせ!」と激怒し一蹴してしまいます。 それをみた大谷刑部や勘助家康から「戦上手の氏政を生かしておけばいずれ役に立つ」と説得され怒りを鎮めた秀吉は、戻るまでにその件について決着させておくよう指示し、茶々と湯治に出かけます。 秀吉から忍城攻略を命じられた治部少輔三成が北方隊と合流したのは6月12日。今もって忍城を攻略できない不手際を責め、上杉と真田には鉢形城と八王子城の攻略を指図しました。 信幸:「忍城はどうされるのです」 三成:「私なら、4日で落としてみせる。利根川の水を引き入れれば、忍城は水に沈む」 三成は、ドヤ顔で水攻めを宣言しました!まさしく「保元の乱」の軍議の折に、鎮西八郎為朝からの「夜討ち」の進言を鼻で笑って却下した悪左府頼長卿を彷彿させる傲慢さですwww そして6月20日。 大谷刑部と勘助家康は、源二郎信繁に対し、使者として小田原城内に入り氏政を説き伏せるよう命じます。かの「沼田裁定」のときに信繁と論戦した板部岡江雪斎と「親房卿」正信が、氏政の説得役に信繁を推したようです。 しかし、これはちょっといただけない演出ですな!まぁ近年続いている「大河ドラマ」の「悪弊」というべきものでしょうか。無論秀吉の馬廻風情に過ぎない信繁如きが「説得の使者」の大任に充てられるはずが無いですし、敵方の当主に面会できるはずがありません! ちなみに、史実においては黒田官兵衛や徳川四天王、そして内大臣織田信雄などが和平交渉を行っていたようです。 何はともあれ、信繁は小田原城に入城します。北条家の当主である左京大夫氏直はすぐにでも降参したいと考えていたのですが、北条家中には氏政の意をくんで降伏に同意しない者もいました。 板部岡江雪斎が信繁に気をつけるよう忠告したその直後、信繁は数人の侍に囲まれてしまいます。信繁は逃げるが、背後から肩を掴まれます。万事休すと思ったそのとき、振り返った信繁の前に現れたのは、髭もじゃの義兄ガロード・ラン義兄の小山田茂誠でした! さて、いよいよ「戦国乱世」の掉尾を飾る「小田原征伐」です。秀吉は余裕かましていますが、机上の空論が通用しないことが分かった三成が過敏性腸症候群になりながら一人で焦りまくっていますw それにしても、板部岡江雪斎は有能だな〜。それに左京大夫氏直も「相模のDQN」丸出しだった天正壬午の乱当時より遙かに成長しています!そして何より高島氏政の怪演ぶりはさすがと言わざるを得ませんな!次週で「お役御免」になるのは余りにももったいないですね! しかし、今回はラスト10分のチープ過ぎる演出で一気に盛り下がってしまいました!演出陣らスタッフには猛省を促したい!にほんブログ村真田丸 完全版 第壱集【Blu-ray】 [ 堺雅人 ]価格:10727円(税込、送料無料)
2016.06.12
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来週開催の「WWDC 2016」について、先のエントリで触れたばかりですが、「Macお宝鑑定団Blog」からの情報によると、Appleは次期MacBook Airを今月中に発表し、8月から出荷を開始するとのことです。 そして、ラインアップとしては現行の11インチモデルは販売を終了し、13インチと新たに導入される15インチモデルの2種類となるようです。また、次期MacBook Proも同時に発表され、MacBook Proシリーズは総入れ替えとなるようです。 そして、これら全てMacBookと同じUSB-Cと新たにThunderbolt3を実装する仕様となり、現行モデルのUSB-Aコネクタ、MagSafe 2、Thunderbolt2は終了となる模様です。 さて、これで「WWDC 2016」の楽しみがひとつ増えましたな!【送料無料】アップル APPLE MacBook Pro Retinaディスプレイ 2700/13.3 MF839J/A 【新品・国内正規品】価格:155001円(税込、送料無料)
2016.06.09
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この時期、毎年恒例となったAppleの開発者向けカンファレンスWWDC(World Wide Developers Conference)2016がいよいよサンフランシスコの現地時間にて6月13日から17日まで開催されます。 そして、その冒頭に行われる「基調講演」は現地時間6月13日午前10時(日本時間6月14日午前2時)より開催される予定ですが、その生中継の公式ページをAppleが公開しました。 今回の「WWDC 2016」では、iOS、OS Xのアップデートがメインと予想されますが、Intelの最新プロセッサSkylakeを搭載した新型MacBook Proあたりが発表されると盛り上がるでしょうね! いずれにせよ、もう開催は来週の事ですから、Appleファンはwktkしながら待ちましょう!
2016.06.08
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。前回は後継者「鶴松」の為にも一刻も早く「天下一統」を実前させたい関白豊臣秀吉と石田治部少輔三成たち奉行衆が最後に残った大勢力である「板東の覇者」後北条氏を臣従させるため、後北条氏からの条件である「沼田問題」解決の為に豊臣政権が関係三勢力による談判を開くことになりましたが、今週の第22回「裁定」ではどうなっていくでしょうか? まるで「法廷」のように様変わりしてしまった聚楽第の広間。そこには各勢力の代表として徳川からは「親房卿」正信、後北条からは板部岡江雪斎、そして真田からはピンチヒッターとして源二郎信繁が集まっています。 裁定を行う豊臣政権からは、関白太政大臣秀吉、近江中納言秀次、そして奉行衆である石田治部少輔三成、片桐東市正且元も出席しています。 まずは江雪斎が口火を切ります。 江雪斎は、元々は沼田城は関東管領にして上野国を拠点としていた上杉氏の所有であること。それを天正6年(1578年)に上杉謙信の急死によって勃発した越後上杉氏の跡目争いである「御館の乱」に乗じて後北条が奪取したものであるから後北条のものだとアピールしたます。 負けじと源二郎信繁も、天正8年(1580)には城が武田氏の手に渡り、真田氏の支配下にあったと訴えます。 真っ向から主張しあう二人。それを見守る関白秀吉。 ここで片桐且元が、そもそも沼田城を築いたのは上野の国衆の沼田顕泰であること、その後に起きた騒動を長尾景虎(上杉謙信)が鎮め上杉氏の所領となった事、沼田城は上野と越後の国境にあり上野を治める戦略上の要衝であると補足情報を「説明ボード」を使って秀吉と視聴者に伝えます。 その後も信繁と江雪斎二人の舌戦は続くが、徐々にペースは交渉事を本職とする外交僧である江雪斎がつかみ始めます。 そして江雪斎により、武田家滅亡後に上野支配を信長から委ねられた滝川一益を裏切った真田が沼田城を騙し取ったという悪印象を全員に植え付けることに成功します。 これには信繁も「騙し取り、勝ち取った」と開き直るしかありません!何といって事実ですからねw ここで一旦休憩となり、その隙に信繁は安房守昌幸が潜んでいる隣の部屋にこっそりと入り込みます。二人の舌戦の様子を観察してきた昌幸は「徳川はまだ何も話してはおらぬ。どういう立場を取るのか?面白くなってきた!」と楽しげな様子!さすがは真田安房守昌幸といったところでしょうw昌幸が隠れていた部屋を出た後、信繁は江雪斎と言葉を交わします。 江雪斎:「これは戦だとわしは思っておる」 信繁 :「私もそう存じます」 江雪斎:「戦は勝だなくては意味がない。容赦はせぬぞ」 信繁 :「望むところ」 江雪斎:「こうして我らがやりあうことで、まことの戦をせずに済む」休憩も終わり審議が再開。 真田氏と後北条氏の双方から、天正10年(1582年)の「本能寺の変」後に勃発した「天正壬午の乱」のおりに徳川氏が沼田領を渡すと約束していたとする起請文が提出されます。 そこには徳川が真田と後北条どちらにも同じ約束つまり沼田領を引き渡すとしていたため、どちらの約束の方が「有効」かを吟味する必要がありますが、徳川の代表である「親房卿」正信はすっ惚けて曖昧な返事しかしません! ここで秀吉は泣きだした鶴松をあやすために後を近江中納言秀次に委ねて退室します。恐らく、この「裁定」の差配を任せることで秀次の政治的力量をはかる狙いがあったのでしょう! 江雪斎は、主従関係にある徳川と真田の約束より、北条と徳川の国同士の盟約の方が重いと主張します。一方の源二郎信繁は、起請文の日付が自分たちのほうが早いことを訴え、約束に重さの違いなどなく、先に交わした方を有効にするべきだと反論します。 すると江雪斎は、興奮した信繁の揚げ足を取りにかかります。 江雪斎:「徳川殿は、双方の家臣たちの前で、沼田は北条に譲り渡すとはっきり申された。貴殿は徳川殿を嘘つき呼ばわりされるか。二枚舌の卑劣漢と罵るか!」 おもわず言葉に詰まる信繁。それを救ったのは、これまで沈黙を守っていた「親房卿」正信でした! 正信は、勘助家康が沼田城を北条氏に譲り渡すと言うはずがない、「奪い取るなら好きにせよ」と伝えたのだと主張します。その証として徳川が後北条に宛てた起請文には「手柄次第」という言葉が書かれている。つまりこれは後北条自身の手によって沼田城を真田から奪取する事に関しては、徳川として邪魔立てしないことを意味すると、正信は証言します! これが決め手となり、徳川は後北条に沼田城を「譲った」わけではないという判定が下され、さらに「譲り渡す」「奪い取る」という言葉はそもそも沼田城が真田氏のものと認めているような発言であり、沼田領が前々から後北条氏のものならば「奪い返す」「取り返す」という言葉を使うはず。これを近江中納言秀次に突っ込まれ、江雪斎万事休す!\(^o^)/結局この勝負は源二郎信繁の勝利となりました! 結果的に真田に「救いの手」を差し伸べた「親房卿」正信に礼を言う源二郎信繁。これに対し正信は「必死で戦こうている若者を見たら、手を差し伸べてやるのが年寄りというもの」と返答します。 しかし、石田治部少輔三成が喜ぶ信繁と昌幸に対し、身も蓋もない事をいいだします。つまり北条相模守氏政を上洛させるために沼田城はあきらめてほしいと! 元々、「惣無事」のために沼田城は北条氏に渡すことと関白秀吉は考えていたものの、決定していたが、それでは真田氏の立場がないと思いこのような場を設けたのでした!しかし思いがけず信繁がこの舌戦に勝利してしまったので豊臣政権としての計画が狂ってしまったというわけです。 無論、安房守昌幸は拒否の姿勢を示したが、「横柄者」として名を知られた三成に深々と頭を下げられついに折れる。 代償として三成は沼田と同等の領地をもらえるよう徳川に掛け合ってくれると発言。そこで昌幸は「名胡桃城は祖先の墳墓の地である」と主張し、結局、利根川を境として名胡桃城を含む沼田領の3分の1は真田氏の所有のまま、さらに真田氏には沼田領3分の2と同等の領地が与えられることになりました。 しかし、元々が信濃国小県郡の土豪出身である真田氏の「代々の墳墓」が上野国利根郡にあるはず無く、端から真っ赤な嘘であり昌幸としては高地にある名胡桃城を抑えておけば沼田城ににらみを利かせられると計算したのです! ちなみに史実では、関白秀吉は奉行衆である津田盛月と富田一白を現地に派遣し検分した結果、沼田領3分の2が後北条氏に引き渡されることになります。 上洛する羽目になり、かつ名胡桃城が真田の手元に残った事に大不満な相模守氏政は、息子の左京大夫氏直に兵2万を沼田付近に展開させて示威行動を取るように命じます。方や当の沼田城では安房守昌幸の叔父である城代の矢沢頼綱が城の明け渡し命令に大激怒し城から動かぬと駄々をこねますが、結局は強制連行されてしまいます! そして何はともあれ、この条件をもって、北条氏政が上洛することを約束し「本能寺の変」に端を発した上野沼田領を巡る動乱は、ひとまず収まったように見えました。 しかし、北条氏政の三弟氏邦の家臣にして沼田城代である「脳筋」猪俣邦憲が、天正17年(1589)11月12日、昌幸の家臣・鈴木重則が守備をしていた名胡桃城に攻め込み奪い取るという事態が発生しました! これを知った上田城に入り浸る「1号ライダー」忠勝は、娘婿である源三郎信幸にすぐに奪還のために出陣するべきだと迫りますが、信幸は、「口出しは無用」と強気な口調で退け、京にいる昌幸に知らせるため、すぐに佐助を5日かかる行程を4日に短縮させて急行させます。 源三郎信幸の毅然とした態度を見て、「1号ライダー」本多平八郎忠勝も、「頼りない婿どの」という印象を改めたということになります。 佐助から事の顛末を聞いた安房守昌幸は、名胡桃城を奪還するよう信幸に伝えようとするが、「惣無事令」が出ている以上、関白秀吉の許可がない戦はどんな理由があっても「私戦」であり、討伐の対象となっていまします! 源二郎信繁も関白秀吉に報告せず勝手に動くと真田も処罰を受けることになると諭し、秀吉からも名胡桃城のことは任せてほしいと昌幸に話があります。自分の城を奪われても何も出来ずみているだけ。悔しさのあまり昌幸と出浦はやけ酒をあおります! 一方、面子をつぶされた関白秀吉はそれでもなお名胡桃城を真田氏に返還し氏政は上洛せよと言う内容のmailを送信します。これに対して氏政は江雪斎のアドバイスもあって「名胡桃城の件は猪俣が勝手にやったことで自分は知らなかった」と詫び状を秀吉に返信します。 秀吉としては既に「北条征伐」も視野に入れているのですが、この理由を聞かされては征伐の口実にする事は出来ないということで、下手人である猪俣邦憲の首を差しだすように氏政に命じます。 しかし氏政は、国境では城の争奪戦はよくあることで、首チョンパするほどの事ではないと秀吉に返信します。北条家首脳陣の考えでは、氏政が「秀吉は九州を平定し、まだ日も浅い。戦というのは金がかかるものじゃ。そう立て続けにできるものではないのだぞ、江雪斎」と述べたように上方勢が直ぐに攻めてくることはないだろうとの物です。 ところが「武器商人」利休のすすめもあり、関白秀吉は「北条征伐」を決定します。北条家としては予想外の事態でしたが、かの上杉謙信や武田信玄ですら攻め落とせなかった名城小田原城がある限り負けはしないと考えている氏政。 会津の芦名家を滅ぼし日の出の勢いである「独眼竜」伊達政宗との盟約をあてにし、さらに江雪斎を派遣して勘助家康を味方につけようと企みますが、関白秀吉はあっという間に「小田原征伐」の推定約21万という史上空前の大軍勢を動員してしまいました! 姻戚関係にあった勘助家康からも見限られてしまった「汁かけ」氏政と後北条家。まさに天下の趨勢を完全に見誤り招いた滅びへの道です!そしてこれこそ主君信長から秀吉に受け継がれた「天下一統の戦い」。その掉尾を飾る「小田原征伐」がいよいよ始まろうとしています! さて、下賤の身から立身出世を果たし、主君信長が「本能寺の変」で斃れてからは、主家織田家を簒奪し一気呵成に勃興し、「天下一統」まであと僅かなところまできた関白秀吉ですが、その出自故に有力な譜代家臣を持ち得ませんでした。だからこそ、信長が唱えた「天下布武」に代わる新しい「政権スローガン」が必要でした。それが「天下惣無事」です。 そのバックボーンとして、衰微していた朝廷の権威を利用した主君信長以上に活用し、「帝の代理人」たる関白として、戦乱の世を収めるために、自分が許可しない大名間の戦さを「私戦」と位置づけて、関白の名において停止を命じ、命に反する者は「朝敵」として討伐するというのがこの「天下惣無事」の基本的な発想です。 それ故、「天下惣無事」に反しない限り、どれだけ気に入らない大名であっても、関白の自儘では討伐出来ないという副作用がありました。だから、もし北条相模守氏政が名胡桃城を落とした猪俣邦憲の首を差し出し氏政・氏直親子が上洛して「臣下の礼」を取っていたら、いかな関白秀吉とはいえ後北条氏を滅ぼす大義名分が得られなかった事になります。 しかしながら、北条親子は愚かにも関白秀吉が差し伸べた手を払いのけてしまった!面子を潰された秀吉と豊臣政権としては後北条氏を滅ぼすしか手は無かったと言えるでしょう!にほんブログ村真田丸 完全版 第壱集【Blu-ray】 [ 堺雅人 ]価格:10727円(税込、送料無料)
2016.06.05
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2016.06.04
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