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以前にもお知らせしたとおり、本日現時点をもって「試される大地」北海道に向け出発いたします!まずとりあえず、新潟港FTに向けて夜通しでドライブということになります! 果たして、今回、北海道はどういう姿を見せてくれるでしょうか?初めて行くことを計画している場所もありますし、久しぶりに訪れる予定の場所もあります。いずれにせよ、wktkが止まりません! 旅の模様は、随時、Twitter及びFacebookにうpしていきたいと思っております!では!ゲストハウス 夕茜舎(あかねやど)
2016.07.29
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国内の自動車メーカーの中でも、絶好調を伝えられるスバル。その屋台骨を支えているのがインプレッサシリーズですが、今秋発売開始となる第5世代モデルの国内仕様版が公開されました! 今回の新型は、現行の「SIシャーシ」に代わるスバルの新プラットフォーム「SUBARU GLOBAL PLATFORM」を投入した第1弾モデルとなるわけですが、それだけでは無く、アイサイト(ver.3)に加え、歩行者保護エアバッグまでもが『全車標準装備』というのですから凄いと言わざるを得ません! そして、同時に公開された「コンセプト・ムービー」を観れば、従来のスバル車とは段違いのクオリティを感じることが出来ます! いずれにせよ、スバリストとしては極めて気になる存在ですし、C型ぐらいになって落ち着いた時点で、買い換え候補になるかも知れませんねwwwhttp://www.subaru.jp/impreza/impreza/index.php【STI-スバル】「35133VA000」SPORTS PARTS for IMPREZA(WRX)インプレッサ(GJ/GP)2.0i-S Limited用 シフトブーツ【赤ステッチブーツ】【SaM】【コンビニ受取対応商品】価格:4841円(税込、送料別) (2016/7/26時点)
2016.07.26
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。誰一人として望んでいなかった「関白左大臣秀次」の死、そして一族眷属の皆殺しにより豊家に太閤秀吉の血族は未だ幼い「拾」ただ一人となってしまいました。 そして、その太閤秀吉に急速な老いが迫ってきた今週の第29回「異変」です。 文禄4年(1595)7月15日、現職の関白であった左大臣秀次が出奔した挙げ句、高野山青巌寺において切腹するという前代未聞の事態は、豊臣政権を根底から揺るがします。 それを収拾させるために、太閤秀吉と奉行衆は、秀次の死を「謀反の陰謀発覚による賜死」とし、その一族眷属は無論、前野但馬守など有力家臣まで粛正します。 そして、絢爛豪華であった「聚楽第」をも跡形も無く破壊した上で、秀吉の隠居城として築城中の指月伏見城に政治中枢を移転させます。それに伴い、諸大名も伏見に移り政権は心機一転を計ります。 そんな中、太閤直属の馬廻衆に復帰した真田左衛門佐信繁は、かねてからの約定どおり、大谷刑部少輔吉継の息女「春」を正室として迎えます。真田屋敷で父母ら一族に紹介し、真田家の面々も人懐っこい性格の「春」を歓迎します。 昌幸:「これで本多忠勝とも大谷吉継が身内となった!」 信幸:「誠に心強うございますな!」 昌幸:「今、真田が戦になれば、必ず勝つる!」 信繁:「春の支度が調い次第、皆様にお引き合わせいたします」 その後、安房守昌幸は「薫」の出自が下級公家であり、菊亭右大臣今出川晴季の母に仕えていた侍女であったことを信幸と信繁兄弟にこっそりと打ち明けます。 深夜、石田治部少輔三成から信繁に至急出頭するように連絡がはいります。「何事が出来したのか?」と急ぎ出仕したところ、天下人である太閤秀吉が寝小便をするという粗相をしでかしていました。 三成:「殿下、左衛門佐が参りました。あとは左衛門佐と私で何とかいたします。」 秀吉:「すまぬ」(´・ω・`) 三成と信繁が汚れた寝具を宿直である片桐東市正且元を欺きwww極秘に処分したあと、別室で三成と信繁とが密談します。 三成:「殿下のお顔だが」 信繁:「おひげがございませんでした」 三成:「お歳を召されてメッキリお髭が薄くなり、先月から付け髭にされた。」 信繁:「殿下が心配です。近頃、何度も同じ事を言われる。」 三成:「昔からだ」 信繁:「お怒りになると、ご自分を制することが出来なくなる。」 三成:「それも、今に始まったことでは無い。私はお主よりずっと長く殿下にお仕えしている。変わり様は誰よりも分かっておる」 信繁:「さようでございました」 と、治部少輔三成はまるで自分自身に言い聞かせているようです。 そして秀吉の寝所に戻ると、悄げた秀吉が寝台に腰掛けていました。 秀吉:「死んだ後のことを考えていた。」 三成:「ご用意のよろしいことで」 秀吉:「拾が元服するまでは関白は置かぬと決めた。それまではおまえ達奉行衆が相談のうえ政を行え!」 三成:「かしこまりました」 秀吉:「石田治部、日の本の事、豊臣の事、拾の事、よろしく頼む」 三成:「寝小便ごときで弱気になられたら困ります」 秀吉:「左衛門佐、治部に力になってやれ!」 信繁:「かしこまりました」 未だ築城中の指月伏見城ですが、経験不足の伊豆守信幸1人では荷が重く、作業は思いどおりに進んでいません。息子に丸投げをした安房守昌幸といえば、やる気ナッシングで昼間から遊郭に入り浸って吉野太夫と遊ぶ始末。 すっかり「戦国武将」としての覇気を失った昌幸に、出浦も佐助も失望してしまいます。 そんな中、夫の「女遊び」に気づいた薫は長男である信幸に、昌幸が昼間何をしているのか詰問します。何とかそれから逃げ延びた信幸は精神的に疲れてしまい、癒しを求めて前正室である「こう」とギシギシアンアンに及んでしまいます。 ところが、「女の勘」とは恐ろしい者で、現正室である稲姫がそれに気づいてしまいます。稲姫は信幸に積もり積もった怒りをぶつけますが、結果的にそれがきっかけで二人はやっとこさ合体できます。 そしてまもなくして、こうも稲姫も新旧二人の正室がほぼ同時に懐妊するという結果を生じますwww。やっぱ、信幸も出来る時にはヤレる子だったようですねwww 一方。太閤秀吉は北政所「寧」が作った大好物の生せんべいを「まずい」「こんなもの、食ったこと無い!」と投げ捨てて寧を悲しませてしまいます。 そんな秀吉に対し三成は、関白を置かずに奉行衆が政治をすることを内大臣家康にも伝えた方がいいと、秀吉に進言しますが、直後に家康と対面した秀吉は 秀吉:「徳川殿を呼んだのはほかでもない。わしは、政の仕組みを考え直す時が来たと思っておる。」 家康:「この内大臣徳川家康、豊臣家のためこの命捧げる所存でございます。」 秀吉:「わしが隠居したのちも、拾が元服するまで、関白は置かぬつもりだ!政は徳川殿を要とした大名達の合議で進めていってほしい」 家康:「かしこまりました」 秀吉:「拾のことは徳川殿、其方にかかっておる。どうか頼みますぞ」 と全く違うことを言いだし、三成と信繁を驚かせます。 ある日、ついに薫は昌幸に詰め寄ります。しかし昌幸はまったく意に介さず薫の話を聞き流しますが、詰問された出浦昌相が忍びの術でトンズラをこいて薫の目が逸れた隙に、信幸から伏見城周りの図面を見せられます。すると突如として鋭い顔つきに戻り 昌幸:「何だこれは!」 信幸:「伏見城周りの絵図面ですが・・・」 昌幸:「このような平城、一気に攻め潰されてしまうではないか!おまえの目はどこについておるんじゃ!」 薫 :「はじめてご覧になっているようございますね!」 昌幸:「ここじゃ、この高台に出城を作るのよ」 信幸:「出城?」 昌相:「なるほど!」 薫 :「いつの間に?」 昌幸:「これで東と北の敵は寄せ付けん。西と南は宇治川が天然の堀となって敵を防げる。何故、そこに気がつかん?」 と指月伏見城の傍の木幡山に出城を築き、そこを守りの要にするという考えを信繁らに説明します。これがのちの木幡伏見城となる城です。真田安房守昌幸はかつての覇気を取り戻し、「この真田安房守が難攻不落の城を作ってみせる」と完璧な城にしてみせると言い放つのでした。 一方、家康は再度指月伏見城に呼び出され、秀吉は前回と同じ「政治を大名たちの合議で決める事」という話を繰り返します。秀吉がおかしくなっている事を悟られまいと、三成と信繁が上手くごまかすが、家康は目の当たりにした秀吉の老いに驚き、信繁は危機感を抱きます。 信繁はすぐに舅である大谷刑部少輔吉継に相談に出向きます。「利休の呪い」が完全発動した吉継は重病を患い、首に布を巻き皮膚の赤みを隠し、自由に体を動かすことも難しくなっていました。ただ病に冒されていても頭脳の明晰さを失っていない吉継は、 信繁:「これから、我らは何をすれば?」 吉継:「殿下が危うい事、決して誰にも悟らせてはならぬ」 信繁:「はい」 吉継:「そして、殿下から目を離さぬ事じゃ!私がお側に居られればよいのじゃが。治部殿に覚え書きを届けよう。」 信繁:「忝うございます!」 そして、昌幸が現場に復帰したことで作業が進捗し始めた伏見城の作事において、敷いたばかりの畳を秀吉が躓いたという理由で一日で畳替えを行うことになり、信幸は秀吉に異変が起きていることを察したようです! そして秀吉は三度家康を呼んで今後の政について説明することを三成に伝えます。これに対し、三成がその話を制し、そもそも政治は奉行たちで行えと命じていたと指摘します。ここに至って自らの老いが進んでいることを秀吉自身も理解するに及び、三成を下がらせた後、「拾が元服するまでは生きていたいんじゃ。生きているだけではいかん。拾が、わしのようになりたいと思う、そんな父親であらねばならん!」そして「死にたくない」と信繁に本音を漏らします。 三成と信繁は、北政所「寧」を交えて今後のことを話し合います。三成や信繁は秀吉に残された僅かな人生を、できるだけ拾と一緒に過ごさせてやりたいと願いますが、生母である茶々はそんな惨めな父の姿を子に見せたくないと言って拒否してしまいます。 そんな秀吉の状態は次第に周囲の諸大名にも漏れ伝わり、伊豆守信幸は信繁にそれとなく尋ねますが、信繁は口を割ろうとしません。その信繁に対し信幸はいざとなれば徳川方に就くことを明言した上で、「お前はいささか豊臣家に深入りしすぎたようだ!お前は真田家の為に太閤殿下のお側にいるのだぞ!それを忘れるな!」と叱責しますが、それでもなお信繁はダンマリを貫きます。 はい。「犬伏の別れ」に至るフラグが立ちました!こうしたあたりに、たとえ兄弟であっても独立した諸侯となった伊豆守信幸と太閤直属の側近の一員となった左衛門佐信繁との「立場の違い」が如実に表れていると思います。 そして文禄5年(1596)閏7月13日。有馬-高槻断層帯、及び六甲・淡路島断層帯を震源断層とするマグニチュード7.25-7.75程度と推定される内陸地殻内地震(直下型地震)が伏見など近畿地方各地を直撃しました! 後に、改元されたことで「慶長伏見地震」と呼ばれる大地震により、完成間近であった指月伏見城は天守が倒壊、当初、出丸扱いであった木幡山に移転の上で再築することになります。 しかし、この指月伏見城の倒壊は天下人太閤秀吉の最期と豊臣政権崩壊をまるで暗示しているかのようでした! 人に限らず、この世に生を受けた者には必ず訪れるもの。それが『死』です。それは天下人であっても市井の名も無き民であっても変わりはありません。しかし、自身に続く「第二世代」と言える秀次兄弟を全て喪い、後継者が未だ幼い「拾」しかいなかった太閤秀吉は「自らの衰え」という事態に直面してさぞかし狼狽したことでしょう。 しかし、いくら足掻いても、天下一統を成し遂げた「一代の英雄」従一位太政大臣豊臣秀吉の命数もあと僅かで尽きようとしているわけです。そして徳川家康が「その日」を虎視眈々と狙っていたわけです!にほんブログ村日舞 新舞踊 民謡 演劇 お祭り時代物 真田丸 武将 幸村メーカー希望小売価格¥26000【陣羽織】【送料無料】大人用 舞踊 舞台 衣装 ステージ
2016.07.25
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プロ野球のペナントレースも後半に突入して1週間が経過しましたが、セ・リーグでは相変わらず、我が広島カープが前半戦からの好調を維持して首位を独走中です! そんな中、昨シーズンに大リーグから復帰した黒田博樹投手が23日の阪神戦を7回115球を投げて5安打無失点9奪三振で今季7勝目をマークし、かの野茂秀樹投手以来となる日米通算200勝を記録しました! チームもこの勝利で2位ジャイアンツに11ゲームという大差をつけています!この調子でいくと、冗談抜きで1991年以来四半世紀の長きに渡って遠ざかっているセ・リーグ優勝も夢ではありませんな! いずれにせよ、黒田投手におかれては、これからも怪我をしないように、優勝を目指して頑張って欲しいものです!【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】初優勝 PLAYBACK1975.10.15ー広島東洋カープがもっとも燃えた日。【電子書籍】[ 堀治喜 ]
2016.07.24
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今夏の「試される大地」への旅立ちまで1週間を切ってきましたが、今回に合わせてゲットした「新装備」について、少し紹介したいと思います。 1.Canon PowerShot G7X Mark2 言わずと知れたキヤノンの傑作コンパクトカメラPowerShot G7Xの第二世代モデルです!本来ならば陳腐化が目立つ一眼レフのEOS30Dに代わってPENTAXのK-1が欲しかったのですが、レンズまで買いそろえるとなると、それだけでも「試される大地」行きが吹っ飛んでしまいますw と、いうことで、同様に陳腐化が目立っていたIXY 810ISの代替機として購入しました!もっとも、画素数や映像エンジンなどEOS30Dを遙かに上回っており、主力となってしまうでしょうねwww 2.SONY HDR-AS300R この6月に発売開始となった、ハンディカム(R)に搭載されている「空間光学手ブレ補正」を実装したソニーの新型アクションカムです!何故、これを買ったかというと、ニコ動とかようつべの「バイク動画」を結構観ていて、次第に観るだけで無く自分でも撮って観たいという「身の程しらず」な願望を抱いていたところ、これが発売となったわけです!定番のGoProも良かったのですが、手ぶれ補正とバッテリーの持ちの問題でこれにしました。 また、上位機種のFDR-X3000では4K録画も可能ですが、ど素人にσ(^_^)にはまだ4Kは荷が勝ちすぎるのと、単純にメモリをいっぱい食いそうだったのでフルHDとなるHDR-AS300にして、車載キットを別途購入しました! で、これで何をやるかというと、当然、従来からの自身のHPに掲載している旅行記も続けますが、それとは別に動画投稿にもチェレンジしていきたいと思っています。果たして、動画をやったことがないのに、イキナリ出来るのかという正直いって不安はありますが、まぁ何とかなるでしょうwww【あす楽対象】【送料無料】 ソニー メモリースティックマイクロ/マイクロSD対応フルハイビジョンアクションカム(ライブビューリモコンキット) HDR-AS300R[HDRAS300R]価格:52655円(税込、送料無料) (2016/7/23時点)
2016.07.23
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嘗てTVで大人気を博した「クイズダービー」、「世界まるごとHOWマッチ」の司会者と知られ、「戦争体験者」「リベラル派」としての立場から様々な意見を世に発信ししてきた元参議院議員にしてタレント、放送作家の大橋巨泉(本名:大橋克巳)さんが去る7月12日に逝去されていました。 日本が、急速に「新たな戦前」に向けて暴走するなかで、先の戦時下を直に知る大物言論人がまた一人、この世から去ったことは、非常に大きな痛手で言えるでしょう! 何はともあれ、故人のご冥福を衷心よりお祈りいたします。 合掌。
2016.07.20
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沖縄から東海地方まで梅雨が明け、いよいよ夏本番ですが、皆さんは今年の夏休みの計画を立てられましたか? σ(^_^)はちょうど10日後の7月29日から、夏期休暇を取得し、ちょっち旅に出ようかと思っています。行き先は無論、今年も「試される大地」北海道です! 今回は、ボーナスを活用しいろいろと「新装備」なんぞも調達して出掛けていきたいと思っています。ということで、大河ドラマ「真田丸」のレビューについて、次々回はお休みということになりますので、ご了承願います。 また旅の期間中は、Instagram発でTwitter及びFacebookに旅の経過などをうpしていきたいと思っております!では!
2016.07.19
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。秀吉は無論のこと、誰一人として孫七郎秀次の不幸を願う者はおらず、死なねばならない理由が全くないのに、自ら泥沼=死へと追い立てられる秀次、その哀れとしかいいようが無い最期が描かれた今週の第28回「受難」です。 秀吉の三男「拾」が生まれてから、段々と居場所を失い不安に駆られる秀次は、ついに関白職を放擲するという前代未聞の行動に出てしまい、下級武士の格好をして大坂城の蔵に身を潜めています。 秀次失踪の知らせを聞いた信繁は、秀吉の耳に入る前に大谷刑部少輔吉継に知らせるべく伏見城に向かいます。 その指月伏見城では信幸が昌幸と共に、普請の指揮を執っています。信幸はいまだに叙任を素直に喜ぶことができずにいて、返上しようか迷っていると父安房守昌幸に打ち明けます。それに対し昌幸は、 昌幸:「お前が返上したら、源二郎も同じように返上する。そうなってしまったら一番悲しむのは誰だ。わしだ。お主を豆州と呼ばせてくれ」と言って思いとどまるよう説得します。 そして昌幸は、信幸に対して指月伏見城の普請を指揮するように指示します。上田城は他人=徳川に築城させた安房守昌幸ですが、自分は他人=太閤秀吉の居城の築城にはやる気ナッシングのようです。 そして、伏見に到着した信繁が信幸に聞いたところ、大谷刑部少輔吉継は体調不良で屋敷に戻ったとのこと。信繁は急いで吉継の屋敷へ向かうと、吉継はただの風邪だと言い信繁を迎え入れます。しかし朝鮮より帰ってきて以来、「利休の祟り」が発動して具合を悪くしているようです。 信繁は、そんな吉継に秀次の失踪を打ち明けます。事態の深刻さに吉継は体調不良にも関わらず失踪問題の対処に着手します。そこで秀次は病にかかったということにして時間稼ぎをしようと提案します。 吉継が事態収拾のために病身を押して聚楽第に向かった一方で、心当たりのある信繁は大坂城のきりの元を訪ね、蔵で秀次を見つけだします。姿を現した秀次は、太閤殿下に歯向かうつもりは全くないと訴え、一方で信繁は事が大きくなる前に京へ戻るよう説得します。 そこに蔵の外から「殿下、そこにいるのは分かっていますよ〜♪」という茶々の声が聞こえてきます。思わずギョッとする3人w。格子から覗いてみると、拾を「関白殿下」と呼んで遊ぶ茶々と大蔵卿局でしたが、それがさらに秀次を絶望的な気持ちにさせてしまいます。本人は悪気はないものの、他人を不幸にさせてしまう茶々は最強の疫病神かもしれません(^^ゞ やむなく信繁は京の真田屋敷に秀次を連れていき、信幸と薫、稲に合わせた。突然、現職の関白が目の前に現れたことに、薫や稲たちは驚き戸惑っている。信幸はそんな空気を変えようと、話題を探します。 関白である秀次は当然ながら公家衆の面識も多いということで、薫も公家の出であると話し始めた。秀次は、どこの出身か尋ねたが、薫は口ごもってしまう。そんな薫を見た稲は、「菊亭様ですよね?」としゃしゃり出る。 すると、そこに秀次が食いついた。それもそのはず、秀次の正室「一の台」は菊亭右大臣今出川晴季の娘なのです。それを聞いた薫は話を弾ませるどころか、うろたえて話題を変えようとする。そんな薫の姿を見て、信繁たちは事の顛末を察しますwww 秀次の仕事は大谷刑部少輔吉継の取りはからいで全て延期されており、表向きは病気ということになっていますが、そろそろ秀吉に真実を話した方が良いと考える小早川秀俊に、もう1日だけ待ってくれと頼みこむ信繁。 その矢先、秀吉が信繁を大坂城に呼びつけます。ついに失踪が秀吉の耳に入ったとそう観念した信繁は、一旦真田屋敷に戻り秀吉に会う事を秀次に伝えるとともに、たかから預かった荷物を渡す。その中に入っていたのは、聖母マリアが描かれた小さなテンペラ画のセットでした。 大坂城に参じた信繁は緊張しながら秀吉の到着を待ちます。すると、秀吉はすこぶる上機嫌で壺を持って現れた。聞くと納屋助左に会ってきたのだということでしたが、信繁には心当たりがない名前だったので戸惑っていると、名を「呂宋助左衛門」という者で利休亡きあとの堺で一番の南蛮商人とのことです。そして秀吉が携えてきた壺もルソン(フィリピン)で仕入れた貴重な「逸品」だということで献上されたもののようです。 よく「知らぬが仏」といいますが、実はこの壺、逸品どころか一般に売られていた物で現地人の便器として使われていたものなのです。それを愛おしそうに匂いを嗅ぐ秀吉ってバカスwww それはさておき、秀吉は本題にはいります。信繁に縁談を用意したという。お相手は大谷刑部少輔吉継の娘、つまり「春」のことです。信繁は、秀次の件で問い詰められると覚悟していただけに、一気に気が緩みますが、余りにも想定外のことだったので気持ちが追いつかず、縁談の件は一旦猶予をもらうことにした。 やれやれと安堵して退室した信繁を追って三成が話し掛けてきます。 三成:「関白殿下のこと、すぐに太閤殿下に申し上げよ。隠している間が長いほど、お怒りも大きくなる。」 信繁:「一体、何の話でございますでしょうか?」 三成:「お主が言わぬのなら、私が言ってもよいのだぞ!」 信繁:「どこから聞かれたのですか?」 三成:「それは言えぬ。関白の出奔など聞いたことも無い。これが世に知れたら、豊臣の威光は地に堕ちる」 実に道理です。これには信繁も観念し、太閤秀吉に正直に申し出ることに同意します。 秀吉と茶々、北政所、大蔵卿局たちが拾と遊んでいる庭で、信繁は秀次の件を報告した。 秀吉 :「今、どこにおる?」 信繁 :「京の真田屋敷に」 秀吉 :「すぐに連れてこい!説教してやる!」 茶々 :「関白殿下にはこの先、拾を守っていただかねばなりません。あまり追い詰めたら可哀想ですよ。」 秀吉 :「わしがいつ追い詰めた?」 茶々 :「説教するにも優しくお願いします」 北政所:「孫七郎をそろそろ楽にしたってほしいわ」 秀吉 :「何だと!」 北政所:「人には持って生まれた器というものがあります。あの子は関白の器では無かったと言う事。分不相応の仕事をさせられて苦しむ姿を見るのは辛うございます。」 秀吉 :「しかし、秀勝も秀保も死んでしもうた。豊臣で残っているのは、もうあいつだけなんじゃ」 信繁 :「そのご心中、関白殿下にどうかお打ち明けくださりませ」 これであとは秀吉と秀次が腹を割って話し合いをすれば万事が終わるはずだったのですが、信繁が三成とともに真田屋敷に戻ると、一足遅く秀次は高野山の青巌寺に向けて伊豆守信幸を供にして出たあとでした。三成の指示で信繁は急ぎ高野山に向かいます。 そして、高野山青巌寺(現在の金剛峯寺の前身)には秀次と伊豆守信幸が到着しており、しみじみと互いの境遇について語り合いあっています。 秀次:「叔父上(秀吉)に振り回されてここまでやってきた。おもしろい人生と言えるかも知れない。しかし、生まれ変われるなら、もう二度と叔父上の甥にはなりたくない。」 信幸:「殿下とは比べものになりませんが、私も振り回されて今日までやって参りました。あまりに大きすぎる父、私の声だけがなぜか聞こえぬ祖母、病がちなのかどうかよく分からない最初の妻、決して心を開かぬ二度目の妻、そしてあまりに恐ろしい舅orz」 秀次:「それは難儀であったのうw」 愚痴を聞かされてしまった秀次は、信幸たちに官位を授けたのが関白としての実績の一つだと語り、官位を返上する事のないよう念を押します。これを受け、信繁のおまけで官位を授かったと聞かされていた信幸もやっと吹っ切れます。 そのころ、三成が秀次が高野山に入ったことを秀吉に報告します。思いもよらぬ事態に頭を抱え込んだ秀吉は、秀次の高野山入りを「謀反の疑い」として秀吉の命令で蟄居させたことにして「ひと月ほど謹慎させてから、疑いが晴れたことにして連れ戻す」と使いを出すように指示を三成に出します。 そしてその「公式発表」は在京中であった徳川家康と謀臣本多佐渡守正信の二人にも伝わります。「面白くなってきたのう」とほくそ笑む陰謀狸w。ようやくラスボス感が出てきましたw そしてここで徳川秀忠と弥八郎正純が登場です。二人して親以上に辛気臭い面構えをしていますwww そのころ信繁は青巌寺に到着し、秀次を説得します。潔く秀吉と対面して、思っていることをすべて申し上げるべきだと。秀次はしばし考えこんだのち、静かに同意します。 その夜、叙任騒動以来、仲違いをしていた伊豆守信幸と左衛門佐信繁は語り合い、ようやく和解を果たします(人・ω・*).+゚*。:゚+゚*。:゚+ョヵッタァ☆。 そして、明けて文禄4年(1595)7月15日。青巌寺に秀吉の使者として豊家一族に連なる福島正則が到着します。信幸が秀次に取り次ぎますが、 秀次:「市松が参ったか」 信幸:「お身内でいられるとか。」 秀次:「叔父上は、私を油断させて捕らえる腹か?」 信幸:「いささか深読みしすぎでは」 秀次:「いつからか人を信じぬようになってしまった。悪いクセだな」と、もはや人間不信になったと自嘲気味に笑います。 そして、秀次は「これを長持ちに入れてきてくれ」と、たかにもらったテンペラ画のセットを信幸に託します。その後、独りになった秀次は・・・ 信繁が福島正則を案内しているところに、信幸が顔面蒼白でやって来た。全員で秀次の部屋に向かうと、秀次はセルフあぼーんして果てていました。享年28歳。辞世は「磯かげの松のあらしや友ちどり いきてなくねのすみにしの浦」。 これまで示してきた配慮や情けを踏みにじられた上に、亡き母大政所の菩提寺として建立したと青巌寺を血で穢されたと感じた秀吉は大激怒!秀次の首を三条河原にさらした上に妻女や子どもも全員殺せと三成に命じます。 そんなことをしたら、秀吉の乱心だと世間は大騒ぎになる。それを避けるために、三成は悪役を自ら指揮を引き受けて、秀次の子息、娘、側室、侍女らを三条河原に連行。8月2日、秀次の首が見下ろす前で幼い若君4名と姫君、側室・侍女・乳母ら39名全員を斬首しました。 処刑された側室の中には、側室になるべく国元から上洛したばかりの最上義光の次女「駒姫」なども含まれており、これが後年、最上家が徳川方に就く原因になります。 秀次の眷属や家老衆を殺し尽くしてもなお秀吉の怒りは収まらず、秀次の痕跡まで消し去ろうと関白の政庁であった聚楽第や居城であった近江八幡山城の破却が命じられた。聚楽第の堀は埋め戻されて基礎に至るまで徹底的に破壊され、周囲の諸侯の邸宅も同時に取り壊されます。 ところが、その聚楽第にあった隠し部屋に「たか」が逃げており、難を逃れていました。信繁はせめてたかの命だけは救いたいと思案します。 一方、秀次の眷属を皆殺しにしてしまった秀吉ですが、今はおいおい泣くばかり。 秀吉:「孫七郎を一人前の男にしてやりたかった」 信繁:「存じております」 秀吉:「一言も相談せず、勝手に腹を切りおって」 そして左衛門佐信繁が大谷刑部少輔の娘「春」との婚儀を謹んでお受けと返答しますがもう一人、側室にしたい娘がいると申し出ます。秀次の姫君と言うと一度は突き放されたが、ずっと気になって目をつけていた女だと言うと、秀吉は好色な顔つきをして側室にすることを許可します。 いつ秀吉の気が変わるかわからないと思った信繁は、すぐにたかを連れて助左衛門のもとを訪れます。初めて対面する助左衛門は想像以上の大商人(まぁ、演じるのが、38年前の「黄金の日々」でも同役だった9代目松本幸四郎ですから当然ですねw)で、貿易船をいくつも所有しているということです。 呂宋助左衛門が快く協力してくれたおかげで、たかを乗せた船は堺を出てルソンに向けて旅立って行きました。一方、太閤秀吉に「千利休の祟り」「秀次の眷属の恨み」が直撃しようとしていました。 所謂「秀次事件」は現職の関白が切腹して果てた上、その眷属が皆殺しになってしまったという戦慄すべき事件です。その一方でその原因や真相については未だ謎の部分が多いにも事実です。 そこで今作では、秀吉と秀次の間に生まれたちょっとした誤解から始まって、それが取り返しのつかない悲劇にまで発展してしまったと解釈して描かれました。 また俗説ではこの「秀次事件」が三成の讒言によるものと伝えられたりしています(一昨年の「軍師・官兵衛」など)が、秀次の死後に舞兵庫(前野忠康)や大場土佐など「若江八人衆」と言われた近臣の多くがその三成に仕え、後年の関ヶ原の戦いで奮戦したことを考え合わせれば、「讒言説」に根拠などないことは明白だと思います。 いずれにせよ、これで豊臣家の二世世代では唯一の成人した親族であった秀次とその子をほぼ殺し尽くしたことで、ただでさえ数少ない豊臣家の親族をさらに少なくし、結果として豊臣家には秀頼を支えるべき藩屏が全く存在しない危険な状態としてしまうことになりました。 さらに、この秀次事件に関係した所為で秀吉の不興を買った浅野幸長や細川忠興ら諸大名は、総じて徳川家康の助けを受けて難を逃れたので、後年の関ヶ原の戦いで徳川方である東軍に属することにもなります。 さて、「一代の英雄」豊臣秀吉にも、誰にも避ける事が出来ない「老い」と「死」が迫りつつあります。そして自ら血族を粛正してしまった今、その恐怖に苛まれることになるのですが・・・。にほんブログ村
2016.07.18
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長年続く「ガンダム」シリーズ史上のなかで、そのハードな作風で人気を博した『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』ですが、その2ndシリーズが今年10月2日より放送が開始されることが決定しました! そして、そのPVも公開されました! 1stシリーズから引き続き出るキャラも居れば、新キャラも出てくるようですが、どんなストーリー展開になるか、楽しみですな!にほんブログ村 送料無料/機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(5)(特装限定版)(Blu-ray Disc)/ガンダム
2016.07.13
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毎週日曜の夜8時が楽しみなNHK大河ドラマ『真田丸』ですが、物語も既に3クール目に入り、来年放送される新作『おんな城主 直虎』の制作準備が進んでいます。 そんな中、新たな出演者が発表されましたが・・・。 今回、発表された新キャストをみると ・今川治部大輔義元 :春風亭昇太 ・寿桂尼(義元の実母):浅丘ルリ子 ・徳川家康 :阿部サダヲ ・井伊直政 :菅田将暉 氏親、氏輝、義元、氏真の四代に渡って今川氏の政務を補佐し「女戦国大名」「尼御台」と呼ばれた寿桂尼役については、岸田今日子さんや藤村志保さんのイメージが強いものの浅丘ルリ子さんならばおかしくはないと思います。 しかし、主役の井伊直虎の没年(天正10年(1582)8月26日)から踏まえた時代背景から見ると、「桶狭間の戦い」で今川方の先鋒を務めた当時19歳の若武者であった松平次郎三郎家康を阿部サダヲさんが務めるというのはちょっち無理が有りすぎるのではないでしょうか? そして何よりも、当時「東海一の弓取り」とまで謳われた名将である今川義元をプロの俳優でも無い春風亭昇太師匠が演じるというのは絶対にミスキャストと思わざるを得ません! やはり、来年の『おんな城主 直虎』も主人公があまりにもマイナーであることも踏まえて考えれば、『江〜姫たちの戦国〜』『花燃ゆ』と並ぶ大河ドラマの「黒歴史」となってしまう悪寒が激しくしますな!にほんブログ村
2016.07.12
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。前回は秀吉が関白職を甥である秀次に譲り、「唐入り」へと邁進するものの、明の軍事介入によって戦線が膠着する一方で、諦めていた直系の後継者を再び得る僥倖に恵まれました。しかしこれによって微妙な立場に立たされた関白秀次は今週の第27回「不信」でどうなっていくのでしょうか? 年齢的な問題から、すっかり諦めていたのに、再び嫡子が産まれて秀吉は報せを受けた8月15日には名護屋城を発し、同25日には早くも大坂城に到着します。そんな中、源二郎信繁は秀吉の心遣いで秀次付きに転属することとなります。 秀吉:「源二郎、お主は明日より関白付きになれ。」 信繁:「その話は以前...」 秀吉:「あれの側に居てやって欲しいのだ」 信繁:「もう少し、太閤殿下の下で学びとうございます。」 秀吉:「わしはもう隠居じゃ。世間はわしに子どもが出来たんで秀次を疎んじておるように思っているのか知れんがの、まぁそんな気持ちも無いでは無いが、その前に孫七郎が可愛いんじゃ!可愛い甥っ子じゃて何とかしてやりたいと思うんじゃ、頼むで」 秀次は関白として内政に力を尽くす一方で、また、『源氏物語』の「宇治十帖」を全巻揃えるなど、学問や芸術にも力を入れます。これは一時的な養父であった三好康長が茶人としても有名で、連歌でも秀でていた事から秀次自身も15歳の頃から著名な歌人の集まる連歌会に名を連ね、亭主も務めたこともあったようです。 そして、関白秀次付きになった源二郎信繁ですが、ヘタレの秀次からしきりに叔父秀吉が自分のことをどう思っているか、問いただしてきます。それに対して源二郎信繁は「お心配なら、一度、ご自分からハッキリ申し上げては」と言われてしまします。 文禄2年(1593)8月3日、大坂城二の丸にて茶々が産んだ秀吉の三男は、「拾い子は丈夫に育つ」という言い伝えから幼名を「拾(ひろい)」と名付けられました。 そして9月4日、秀次は大坂城に来て、「拾」誕生の祝いを告げ、元服の暁まで関白職を預かり日本を代理統治していく決意を示しますが、秀吉から日本を5つに分け、その4つを秀次に、残り1つである九州を「拾」に授けたいと秀吉に言われます。 その夜、仕えていた徳川家を退転した真田隠岐守信尹が在京中の兄安房守昌幸の元を訪ねてきます。戦乱乱世では真田家の生き残りのために諜報活動に尽力していた信尹ですが、秀吉によって「天下一統」が実現し「惣無事」の世の中になってしまっては活躍の場がない。この機会に諸国をまわり見聞を広げようと考えていた。 しかし信尹とは逆に昌幸は世の中が近いうちにもう一度乱れるとの物騒極まりない見通しを語ります。 ある日、秀吉は秀次の1歳になる娘を拾に嫁がせることを一方的に決めてしまいます。 秀吉:「そうすればあいつも少しは安心するはず」 秀吉はこの考えを「グッド・アイデア!」と自画自賛しますが、一方の秀次としては、そんな大事なことを相談もせずに勝手に決める事に不信感を持ち始めてしまいます。 秀次:「叔父上はそこまでわしを信じておられぬか」 そんな折、秀吉の養子となっていた木下家定の五男である丹波中納言秀俊(後の秀秋)が、秀吉の「能好き」にこと寄せて、秀次にも能を学んではと進言します。 そして、秀次、秀俊と秀次の三弟である秀保の3人が「能の名手」と知られる宇喜多秀家の特訓を受けることになります! しかし、能の練習を進言した丹波中納言秀俊が毛利両川の雄小早川隆景に養子になる事が決まります。これは、当時未だ後継者に恵まれていなかった「西国の雄」毛利宗家に豊家一門衆である秀俊(後の秀秋)を養子入りさせることで毛利宗家を乗っ取ろうとした策謀と言われ、そうした事態を回避するために毛利一門の筆頭となっていた小早川隆景が自分の後継者である末弟筑後守秀包を廃嫡してまで「小早川家の養子」としてもらい受けた事件です! それはともかくとして当時、諸大名からは関白・豊臣秀次に次ぐ豊臣家の継承権保持者とも見られていた秀俊が他家の養子に出されたことで「秀吉が邪魔者を排除しはじめた」と感じた秀次は、次は自分の番だと怯えるようになってしまいます。 それに対して、秀吉の養子でもある秀家が動揺を露わにした一同を一喝します! 秀家:「一言だけ申し上げておきます。それがしも血こそ繋がっておらぬが太閤殿下を父と仰ぐ者の一人。たとえ地獄へ行けと言われても、それが殿下の命であるのなら喜んで参る!殿下のお言葉に一喜一憂する方々の心が分からん!それがしは殿下のために生き、殿下のために死に、殿下のために舞うのみ!」 いやはや「熱い男」ですな、宇喜多秀家は!だからこそ「関ヶ原の戦」で西軍の副将となり、八丈島に流された後も最後の最後まで豊家に忠誠を尽くしたのでしょう! 文禄3年(1594年)2月、吉野で開かれた酒宴で、秀次は宇喜多秀家と練習していた能『源氏供養』を太閤秀吉と北政所夫妻に披露します。 本来、一緒に演じるはずであった三弟大和中納言秀保は急病となり、代わりにど素人の源二郎信繁が加わりなんとか演目は無事に終えることができましたが、しかし 秀吉:孫七郎、お前は何をやっているのだ。関白は他にやるべきことがいくらでもあるだろう!」と激怒してしまいます。 褒めてもらえると思っていた秀次はさすがに(´・ω・`)しょぼーんとなってしまいますが、叔母である北政所「寧」がそんな秀次を見かねて「あの人はね、孫七郎が堂々としとればそれでええの。ありのままの自分を見せりゃええの」と励まします。 やがて夜になり、夜桜を見ながらの宴となります。そこへ朝鮮から帰国した三成も合流。いつの間にか文禄の役の「停戦交渉」と半島からの撤兵を行っていた様子です。 そんな時、良い感じに酔っぱらった秀吉は、そろそろ信繁に官位を与えたいと発言。信繁は驚き、兄の信幸を差しおいて官位を授かるわけにいかないと丁重に辞退します。 すると、兄弟揃って官位を得ようと画策しているのかと秀吉が怒り始めますが、そこになけなしの勇気を振り絞った秀次が「お待ちください!」と割って入ってきます。 秀次:「太閤殿下は何か思い違いをされているようでございます。」 秀吉:「何だと!」 秀次:「官位を与えるのは関白の務め。誰に何時いかなる位を授けるか、これ全て関白がいたすべきこと。源二郎に官位を与えるかどうかは私が決める事です(`・ω・´)キリッ」 今までの秀次には見られなかったしっかりとした主張を見て、秀吉は「よくぞ申した!」と大喜びし、この問題をすべて秀次に委ねます。 そして文禄3年(1594)11月2日。豊臣姓を下賜されていた信幸・信繁兄弟は揃って官位を与えられ、信幸は従五位下伊豆守に、信繁は従五位下左衛門佐となります。 ところが、叙任の挨拶に出向いた大坂城において、事前に口止めされていたにも拘わらず、太閤秀吉が信幸叙任の経緯について口を滑らせてしまいます。「弟に頭が上がらないのう」と秀吉に笑われてしまった信幸はプライドを傷つけられて、当然のように嚇怒します! しかもこの事は、実は安房守昌幸も承知していたことだったため、伊豆守信幸は独り疎外感にさいなまされるのでした。 そんな中、秀吉は治部少輔三成を通じて昌幸に対し、指月伏見城の普請に加わるよう命じます。当初は秀吉の「隠居城」としての性格しか持たなかった筈の指月伏見城を公家の接待や明や朝鮮からの使者を接遇できるように計画を改めるとの事。そしてさらに防衛設備をも充実させるようにする模様です。 自分の居城ならともかく、他人の城を築きたくない昌幸は、最初は伊豆守信幸に押しつける予定だったのを止めて、この役目を左衛門佐信繁に押しつけます。 その直後、図面を眺めていた信繁のもとを訪れた秀次はこの指月伏見城普請を知り、「わしはもう要らんと言うことかと」落ち込んでしまいます。それもそのはずで、関白である秀次は明や朝鮮からの使者を聚楽第で接遇するつもりで改築の腹づもりをしていたのでした。 さらに、悪いときには悪いことが続くもので、秀次に追い打ちをかける事態が発生します。 長らく病床にあった秀次の三弟・大和中納言秀保が文禄4年(1595)4月16日に17歳の若さで他界してしまいます。これで大和豊臣家は廃絶となってしまいますが、先に次弟の岐阜中納言秀勝を喪っていた秀次にしてみれば、これで3兄弟で自分だけが生き残ってしまった格好になり、寂寥感に苛まれます。 この大和中納言秀保の死については、様々な風説や俗説が流布していますが、どうやら疱瘡か麻疹を患っていて、文禄4年(1595)4月に病気療養の湯治のために大和の十津川へ赴いたものの、薬石の効なく薨去したようです。 一方で次男鶴松を3歳で亡くしていた秀吉は、三男である拾が3歳となったこの年を不吉な年だと感じていたところに秀保が薨去してしまい、怒った秀吉は葬儀に豊臣家一門の参列を認めないという暴挙に出ます。 この冷たい仕打ちに戦慄し不安が膨らみ精神的に追い詰められた秀次は、遂にある決断をしてしまいます。そして何と関白職を放擲してしまい、居城である聚楽第から出奔してしまいます!そして身を窶して大坂城に現れたのです! 関白秀次については、「殺生関白」という不名誉な言われ方を後世まで伝えられていますが、今作では小心者だけど善人であり、何とかして叔父の期待に添えるよう努力をする若者として描かれています。そして太閤秀吉の方も、決して秀次を排除しようとするつもりは無かったように描かれています。 もし、関白秀次と太閤秀吉との「もつれた糸」をほぐす事が出来たとしたら、それは大和大納言秀長と大政所「なか」の二人をおいて居なかったでしょう。そしてその二人が先に薨去してしまっていた事が秀次のとって「不運」だったのでしょう! さて次回、あの歌舞伎界の大御所が実に38年ぶりに同じ配役で登場します!次回も楽しみですな!にほんブログ村
2016.07.10
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今日、2016年7月10日は第24回参議院通常選挙の投票日です!皆さんはもう投票を済ませましたか?σ(^_^)も先ほど近くの小学校にある投票所まで出掛けて済ませてきました! 今の日本において、「選挙権」は『権利』ではあります。しかし民主主義国家において、主権者である国民が「選挙権を含む参政権(文字通り、政治に参加する権利)」を行使するのは、『義務』であり、「未来」に対する『責任』を果たすことです! だから、まだ済ませておられない方は、原則20時が締め切りですので、それまでに投票するようにしましょう!貴方の一票が日本を変えることができるのです!
2016.07.10
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本家ブログ「ステイメンの雑記帳」に新記事を掲載しました!【参議院選挙】「悲惨な未来」を回避するのも招き寄せるのも、貴方自身の決断次第【憲法改正】
2016.07.09
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本家ブログ「ステイメンの雑記帳」に新記事を掲載しました!【参院選】7月10日には、自分の「意思」「良心」を込めて折角の「選挙権」を行使しよう!【政治決戦】
2016.07.04
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さて、また今週もやってきましたNKH大河ドラマ「真田丸」。前回は「天下一統」を成し遂げたものの、「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)存じ候」とまで言われた秀吉の「両腕」と言える千利休と大和大納言秀長を喪い、そして期待をかけていた嫡男鶴松まで夭折してしまいましたが、今週の第26回「瓜売」ではどうなっていくでしょうか? 天正19年(1591)8月5日、嫡男鶴松が数え3つで夭折してしまった関白秀吉はショックのあまり京の東福寺で髻(もとどり)を切り、大納言家康や毛利輝元など諸大名や近習たちもそれに従って「集団剃髪」を行います。 それでも後継者を失ったショックが癒やされるはずもなく、残った血縁者で最年長である終わり中納言秀次に関白職と豊家の「氏長者」の地位を譲り、自らは太閤になる事を決めます。 そして、関白職の世襲のために秀次の官位は、急遽引き上げられ、11月28日には権大納言、12月4日には内大臣に任ぜられることになり、天正19年(1591年)12月28日、豊臣内大臣秀次は関白職に就任します。 視聴者から「ウザい」と好評のきりを側室に迎えたい秀次は自分の全てを知ってもらおうと思い、側室全員と、娘の「たか」をきりに紹介します。実はこの「たか(隆清院)」は後に真田左衛門佐信繁の側室の一人となって三男・三好左次郎幸信と五女・なほ(御田姫)を産む運命にある人物です。 そして「きり」は側室の件について、上田に帰郷した上で父の高梨内記と相談のうえ返事をすることになります。 天正19年8月23日、秀吉が「唐入り」と称する征明遠征について改めて「不退転の決意」を諸大名に表明し、これに対し宇喜多秀家が真っ先に賛同を表明し、結果として秀家が遠征軍の総大将に任じられることになります。 秀吉:「海を渡って明国を攻め下す!唐入りじゃ!大軍を率いてまずは朝鮮に渡る!」 信繁:「ご隠居なさるのではなかったのですか?」 秀吉:「誰がそんな事言った?朝鮮と明を従えてわしは大王になるぞう!」 秀吉としては国内の政務を関白色を譲る秀次に一任する一方で、自分は外征準備に専念するつもりのようです。 ようやく長らく続いた戦乱の世が終わり、日本が平和になったのに、今度は外征です。大谷刑部少輔吉継は、鶴松を亡くしたショックで秀吉がおかしくなってしまったのではないかと心配しますが、 秀吉:「わしの頭がどうかしたかと思っておるな!わかっておらぬな〜!太平の世になったからこそ、明国を討たねばならぬのだ!」 信繁:「どういうことでございましょう?」 秀吉:「人には仕事を与えねばならぬ。人は仕事がないとろくなことを考えぬ。明国に攻め入る。これぞまさに武士の大仕事。太平をひっくり返そうなどと考える者はいなくなる。違うか?その為の戦よ!」 短期間で勃興した豊臣政権を如何にして安定させるか。しかも下層民から成り上がった秀吉には信頼の置ける「譜代の家臣」も居なければ、これまで補佐役として助けてきた大和大納言秀長や千利休も既にこの世の人では無い。 一方、服属したとはいえ、江戸大納言家康や安芸中納言輝元、さらには大崎少将政宗など腹に一物もつ武将達がワンサカと居る。だったら、謀反を起こさせない為にも「外征」で死ぬほど忙しくさせよう、と考えたわけです! 実際、秀吉が諸大名に対し、「唐入り」の準備令を発したのは、鶴松が存命中の天正19年1月20日の事です。また同年同年3月15日には軍役の動員も命じています。しかし、「唐入り」の経路として朝鮮半島を選んでしまったのが秀吉の、そして豊臣政権にとって致命的失敗といえるでしょう!何せ「Kの法則」がある国ですからねwww 天正20年(1592)正月、出兵拠点として突貫工事で築城中の肥前名護屋城に、全国の諸大名が集結。全部で21隊に分けられた約30万よりなる征明軍の編成が始まります。 名護屋城には、上野沼田2万7000石の大名になった源三郎信幸も一隊を率いて参陣していました。久々に再会した昌幸・信繁と一緒に親子3人で酒を酌み交わします。 信幸:「しかし、明国攻めとは驚きました。」 昌幸:「あの猿め!いよいよ惚けおった!」 信幸:「我らは何時頃海を渡るのか?」 信繁:「今、石田様が手配りをしておられます。何しろ大軍ゆえ、幾度かに分けて出陣するようです。」 昌幸:「なるべく後に回して貰え!」 信繁:「父上は此度の戦、あまり乗り気では無いご様子。」 昌幸:「当たり前じゃ!こんな戦、勝ったところで一文の得もない戦だ!」と気乗りしない様子。 その晩、真田親子は加藤清正が開く宴に招かれますが、源三郎信幸は舅である「1号ライダー」本多忠勝からも誘われており、ものの見事にダブルブッキングw いずれも気性の激しい二人ゆえ、どちらを断っても切り殺されかねない状態にすっかり怯える信幸とそれを他人事のように面白がる安房守昌幸www。 清正主催の酒宴では九州の綺麗どころが集められ鼻の下を伸ばす昌幸。その一方で体調が悪いと忠勝に断りを入れていた信幸だが、あとで忠勝の元にも顔を出すことになっており、酒と女の匂いがつかないよう気を揉んでいますwww そして、肥前名護屋城では、総大将の宇喜多備前宰相秀家が見守るなか、治部少輔三成と刑部少輔吉継が主導する形で「唐入り」の作戦会議をしています。結局、真田は後詰めを指定されます。実際、真田家は渡海せずその代償として後に伏見城普請を命じられることになります。 その結果、先陣として小西行長率いる一番隊18,700と二番隊の加藤清正を主将とする22,800、合わせて4万1500の兵が対馬経由で送られることに決定し、兵站担当の治部少輔三成ら奉行衆は渡海するための軍船や武器弾薬、兵糧の手配に大忙しです。 3月12日、小西行長、加藤清正たちの先鋒隊が名護屋城を出発。 4月12日、小西行長らの一番隊が釜山に上陸、翌13日にはこれを占領。 4月17日、加藤清正らの二番隊、黒田長政らの三番隊、そして毛利勝信らの四番隊が釜山に上陸、各々に進撃を開始。 4月25日、関白秀吉が片桐且元や茶々らを引き連れ名護屋城に着陣。 4月29日、朝鮮王「宣祖」、首都・漢城府を放棄、逃亡。 そして5月2日、漢城府は開戦からわずか21日後に陥落。 このように緒戦から破竹の勢いで勝ち進む日本軍。この快進撃ぶりに満足げな太閤秀吉、自分の渡海時期について、家康や治部少輔三成たちに問いかけます。 秀吉:「異国と言うことで不安はあったが、こうしてみると我らの敵では無いな!で、わしは?」 家康:「太閤殿下には、やはり最後にご出馬ねがいたい。ここは我らにお任せ下され!」 と家康たちから異国の地では予期せぬ事態が起こりうると諭され、秀吉はしばらく名護屋城に留まることになります。 一方、秀吉に同道してきた茶々ですが、やはり鶴松を喪った哀しみは未だ癒えてはおらず、「殿下がね、気分を変えたほうがよいと」気分転換のため信繁と庭を散歩していたところ、大谷刑部少輔吉継の息女・春と出くわします。これがまさに「Boy meets Girl」であり、春(竹林院)は後に信繁の正室となって嫡男・大助幸昌、次男・片倉四郎兵衛守信、六女・阿菖蒲(片倉定広室)、七女・おかね(石川貞清室)らを産むことになります。 6月3日、治部少輔三成と刑部少輔吉継、増田長盛ら奉行衆も朝鮮へ渡海し漢城に駐留することになります。 そのころ京では、秀次の妻の一人が懐妊し、翌年の春には誕生することになり、秀次は男子が産まれることを願っていた。秀次の跡継ぎとして関白になれば、自分の血筋が日本を長く治めていくことが出来るわけです。 しかし、世の中はそんなに甘くはありません!茶々があろうことか二人目の子を懐妊します。この時秀吉は数えで57歳。再び子宝に恵まれるという僥倖を味わった太閤秀吉は大事を取って茶々を大坂城に帰還させます! この「茶々懐妊」の知らせを受けた北政所「寧」は驚きつつも喜びますが、関白秀次の表情は当然のように冴えません。それもそのはず、茶々が産む子がもし再び男子なら、秀吉はその子を当然「後継者」に据えるはず。となると必然的に秀次親子は邪魔な存在になってしまうのですから。 しかし秀次が杞憂するまでもなく、後に産まれた子は生後わずか2か月で亡くなってしまいます。その時秀次は、これで秀吉に睨まれずに済むとホッとし、そんな自分が情けなく、自己嫌悪に陥るのでした。 もっとも、これはドラマでの話であり、記録上に残る秀次の男子と生没年は以下の通りであり、実際には既に長男が居たわけです。 ・長男:仙千代丸 天正18年(1590)生まれ 文禄4年(1595)8月2日 死歿 ・次男:百丸 文禄元年(1592)生まれ 文禄4年(1595)8月2日 死歿 ・三男:十丸 文禄2年(1593)生まれ 文禄4年(1595)8月2日 死歿 ・四男:土丸 文禄4年(1595)生まれ 文禄4年(1595)8月2日 死歿 6月15日には平壌を制圧するなど圧倒的な火力と戦慣れした精鋭、そして腐敗しきった李氏朝鮮王朝の無様さで連戦連勝を続けていた日本軍ですが、7月16日に朝鮮の宗主国である明が遂に介入しはじめたことで、日本軍の現地部隊は伸びきった戦線の縮小にかかります。 そんな中、文禄元年9月9日、9番隊の主将として朝鮮入りしていた秀次の次弟である岐阜中納言秀勝が待機を続けていた巨済島にて戦病死します。享年23歳。すぐ下の弟の死に関白秀次は悲しみに暮れます。 一方、肥前名護屋城の本営では太閤秀吉がかなり苛ついています。 秀吉:「思わしくないのう! 明国までもう少しだったのに!せっかく子が生まれるというのに、入ってくるの辛気臭い報せばかり!ぱぁ〜と、明るいことは無いのか!明るいことは!」と言い出します。結果、片桐且元が提案した「やつしくらべ(仮装大会)」が開かれることになります。 ちなみにこの逸話は、「太閤記」にも記されてなどかなり有名なエピソードであり、それは大盛況であったそうです。織田家親族の織田信雄、織田有楽斎らも出し物を披露したと伝わっています。また、現在、週刊モーニングに隔週連載中の「へうげもの」にも「瓜畑あそび」として出ていましたね! 家康はあじか(土運び用のザル)売り、昌幸は佐助直伝の"瓜売り"に決め、巻き込まれた源三郎信幸も交えて練習を始めます。やがて秀吉主催の仮装大会が開かれた。 信州の田舎大名だけあって、安房守昌幸の瓜売りの仮装は完璧でした。そんな昌幸が自信満々になっていたところ、どうしても掴めなかった秀吉の演目も瓜屋という事がわかります。焦った信繁は、昌幸、昌相、信幸そして片桐且元らと知恵を絞るものの、結局代案は浮かばずさりとて「天下人」とバッティングされる訳にもいかず、昌幸は「急病で不参加」ということになってしまいます。 結局、やつしくらべは秀吉と家康との争いとなり、最終的に「出来レース」の末に秀吉が優勝ということで幕を閉じます。 その一方で、秀吉の「ご機嫌取り」ばかりに終始する家康は流石にうんざりしその姿を源二郎信繁に目撃されてしまいます。そして不本意な欠場を強いられる羽目になってしまった真田安房守昌幸は不貞寝をしていますwww。 そんな中、とりの具合がよろしくないとのmailが上田の国元から届きます。 信繁は戦の目途がつきしだい昌幸・信幸とともに上田へ帰らせてほしいと秀吉に願い出る。これに対し、実母である大政所の死に目に会えなかった秀吉は、戦が終わるのを待たずすぐに帰るよう言いつけます。 それに対し、片桐且元が真田だけ帰還すれば、兵達の士気が落ちると諫言しますが、若い頃から戦場を往来してきた「歴戦の将」太閤秀吉は、そのようなことなどとっくに承知していたようです! それにしても、天正20年7月22日の「大政所の死」という「親思い」な秀吉にとっては一大イベントなのに、それすら『ナレ死』で済ませてしまうとは、恐ろしい限りです! 何はともあれ、こうしてとりの元に、昌幸・信幸・信繁・信尹・薫・松・小山田茂誠・稲・こう等の真田一族と高梨内記・佐助が集結します。そこに信繁の長女・「すえ」を連れた堀田作兵衛がやってきます。 信繁は長らく上田から離れていたため「すえ」とは久しぶりの再会ですが、一緒に暮らすどころか殆ど初対面に近いため、信繁に抱かれるのを全力で厭がりますorz 眠るとりを囲む一同。誰もが最期の時を感じていたのですが・・・ しかし次の瞬間、とりは立ちあがり、信幸・信繁兄弟を櫓に連れ出して、真田家について「今後の覚悟」を説きます。 とり:「婆はあの世に行く前に二人に言っておく。これから真田を率いていくのはおまえ達だ! 信幸&信繁:「はい」 とり:「これだけは忘れるな。たとえ離れ離れになっても真田はひとつ。心さえ繋がっておればな!」 信幸&信繁「はい」 とり:「真田の家を、この地を守り抜け!」 信幸:「太平の世に、我らが何をすればよいのか婆様に聞いてくれ」 とり:「聞きたいことがあれば、自分の口で尋ねよ!」 信幸:「戦の無い世の中で我らがなすべきことは?」 とり:「婆は、先のことなど読めぬ」 信繁:「我らは生まれてくるのが遅かったのでしょうか?」 とり:「人は、誰もが宿命(さだめ)を持って生まれてくる。遅いも早いもない。おのが宿命に気づくか気づかぬか。見ておるぞ、ばばは。怠るな。」 あの武田信玄でさえ一目置いて譜代扱いをした名将・真田一徳斎幸隆。その妻・とりは子どもと孫たちに看取られ、その波乱に富んだ生涯の幕を閉じます。 そして、とりの死から2日後の文禄2年(1593)8月3日、大坂城では太閤秀吉の三男がこの世に生まれます。幼名を「捨丸」後の右大臣秀頼の誕生です。 物語も折り返しを過ぎ、これまでこの「真田丸」を締めていた大女優草笛光子さんもこんかいで退場と相成りました!おつかれさまでしたm(__)m さて、それなりに有能なところも見せて武家関白の2代目となった秀次ですが、「偉大なる叔父」豊臣秀吉の陰におびえ疑心暗鬼に囚われてしまい徐々に悲劇の坂道を転げ落ちることになります。そしてそれは結果的に「豊家滅亡」の始まりでもあります。 俗説では「殺生関白」とされた秀次ですが、どうやら脚本の三谷幸喜氏はその説を採らないようです。では如何にして秀次とその一族が破滅の道を歩んでいくか、楽しみですな!にほんブログ村
2016.07.03
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