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シュール過ぎます。絶対こどもの歌えない りんごのうた。みんなのうた 椎名林檎 りんごのうた
November 5, 2009
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「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」「あれは努力じゃなくてただの労働だ」「僕の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」When you're listening late at nightYou may think the band are not quite rightBut they areThey just play it like that
October 25, 2009
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神奈川県の「無人島」がウリの猿島です。なので、横須賀と島を結ぶフェリーには片道券がありません。昼夜人口差の比率は東京都の隣接県より高いことでしょう。この猿島の人気と、近年増加しているシェアハウス(コレクティブハウス)の増加の要因は似ているような気がします。気軽な「人との結びつき」猿島が無人島な理由、シェアハウスが職場をともにする「寮」でない理由がそこにあるのではないでしょうか。
October 20, 2009
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夏休み子どもだちがはしゃいでいるのを見ると、昔はお盆に祖母の家に帰郷した後は急に寂しくなった、なんて思い出す。僕の子どものころより、ずっと昔だけれど、よい曲がいっぱいあった。コードの展開を強引なまでに変更して、ジャジー感を出しまくり、ハイフレット使いすぎでギターのいい音はまったく出ていませんが、それでも格好いい。我が良き友よ ムッシュかまやつ歌詞も、風貌も、これぞロック。「女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさんあんたこそが正直者さ この国ときたら 賭けるものなどないさだからこうして 漂うだけ」吉田拓郎 / 落陽 1975年アーティスト同士の信頼があるから、こんなアレンジも可能なんだと感じる一曲。学生の学園祭の勢いです。いまだと、原曲のイメージを壊すなと言われそうですが。。。吉田拓郎 / 神田川 1990年
August 17, 2009
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最近思い通りに行かないことに対して、憤りを感じたり、悲しく思ったりすることがある。この年になって、自分の気持ちに正直になってきたのか、フレキシビリティが失われているのかわからないが、小さな気持ちの動きに対して敏感になった気がする。それらの多くは勤務先とのことで、年収の交渉、労働条件の変更など、様々訴えたものの、決してそれが実を結ぶことはなく、結果としては改善はならなかった。挙句の果てには、有給消化に関しても限定的になってしまい、自分の職務の拡大にいささか喜びは感じるものの、昨年までの投資銀行がいかにバブルに浮かれていたかと実感する。これらの投資銀行がかつてのようなレバレッジ経営を続けることは現段階では不可能で、今後は「証券会社」として別の収益構造を探ることになるのだろうが、果たして人件費が支出の半分を占めるような経営ができるのか、疑問だ。(アメリカ政府の指導、あるいは銀行業への慣習により、今後は月額報酬が増加、ボーナスが減少するため、固定費は更に増加するであろう)あまり無茶をするとらいじんさまに怒られそう。話は飛んでしまったが、自分は弱くなったなのかなぁと思うようになった。それとも、年を重ねると事実として、うまくいかないことが続くのか、はたまた、自分が強欲になっているのかは不明ではあるが、うまくいかないときこそ、あきらめることなく努力を怠ってはならないのだろうと言い聞かせる。しかし、心に渦巻く混沌とした思い。自分のアイデンティティを失った、浅草仲見世のようにはなりたくない。しかしながら、人間も街も変化するものなのだろう。心のどこかに違和感を感じながら。来年はもう一度人生の転機を迎えるかもしれない。 それまでに、できることをやっておかなければ。
June 11, 2009
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I want to tell youMy head is filled with things to sayWhen you're hereAll those words they seem to slip awayWhen I get near youThe games begin to drag me downIt's alrightI'll make you maybe next time aroundBut if I seem to act unkingIt's only me, it's not my mindThat is confusing thingsI want to tell youI feel hung up and I don't know whyI don't mind, I could wait for everI've got timeSometimes I wish I knew you wellThen I could speak my mind and tell youMaybe you'd understandI want to tell youI feel hung up and I don't know whyI don't mind, I could wait for everI've got timeI Want To Tell You, The Beatles, 1966.
June 7, 2009
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2年以上続けただろうか、とうとう僕達のバンドは活動を停止、解散することになった。実質活動のなかった時期が1年程度続いたり、会うたびに解散の話をしたり、とにかく1曲作った後はうまくいかなかったバンドではあったが、いざ解散するとなると、大きな喪失感が襲う。音を出したいとき、いい曲のアイデアが生まれたとき、それらを形にできる場所がなくなったのは悲しい。そもそも、友人関係において「解散」ということはめったにおきない。ある期限をもって関係が切れるの「解散」は男女関係の「別れ」と類似しているかもしれない。原因はメンバーの家庭の事情など、多々あるが、それでも前進できなかったのは、僕の音楽とそして音楽活動に対する求心力の弱さであろう。。解散の話会いをしたときにメンバーに言われた「音楽がやりたくて、そしてまだ20代なら、それこそ仕事やめてでも音楽を必死にやってみたらいいと思う」という言葉が耳を離れない。もっとリーダーシップを発揮してメンバーを引っ張っていくべきだったと後悔する。学生時代から音楽をやっていて一時期本当に真剣に音楽をやろうかと思ったが、自分の経済的、社会的なキャリアの形成を重視して、社会人になることを選んだ。と言えば聞こえはいいが、実際は音楽に対する思いの弱さと、リスクから逃げていただけだ。音楽で失敗するリスクを回避したおかげで、今の生活があるのだけれど、それによって失ったものは大きいと今更ながら思う。解散に至った原因は、自分の力量不足にもよる。せっかくもらった楽曲をうまくアレンジできなかったのは、音楽の知識、経験と演奏力の不足から生じたものだ。曲を提供してくれたメンバーは音楽学校に通い、CDも出していた実力派だった。それに比べると学生時代に趣味レベルでやっていた僕はあまりに未熟だった。最後の原因は、メンバー同士が共有する時間を楽しめなかったことだろう。練習に入って楽しくもないバンドが貴重な休日の時間を削って活動を行う価値があるのだろうか。解散の話をしていた時のビールの不味かったこと、続く沈黙。もう逃げられないなと事実を受け止めるしかなかった。今回のバンドは今後活動をすることはないだろうが、今後も音楽は続けたいと思う。最後に記念としてバンドの曲をyoutubeにアップしておくので、下のリンクより、よければ聞いて見てください。song 1
May 10, 2009
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Sorry,, many things going on, but not much time to upload my blog.Let me show you some photos and music I like. Boy Boy by Lissy Trullie Check the tunes on myspace lissytrullie.
April 27, 2009
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人生、初押し。常磐線「ひたち野うし」 駅にて。駅が新しく、近代的でエレベーターもあるのに驚き。都心より快適。関東平野。どこまでも country roads take me home to the place I belong...自宅から約2時間。今日の本題は喫茶店です。ジャパンバリスタチャンピオンシップ 2006 サイフォン部門優勝のバリスタがいるそうです。(この日はいませんでした)帰りはTXこと つくばエクスプレスに乗りました。どの駅もすべて、宇宙的。。そして終着駅は秋葉原。
March 8, 2009
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先週は雨が続いたので、靴を磨いた。「靴は」行動力を示すというから綺麗にしておいてまずいことはない。新しくSAPHIRというフランスメーカーの、ビーズワックスポリッシュのブラックとニュートラルを買った。今までは違うメーカーのものを使っていて、そちらは固形でかなり水を足さねばならず、取り扱いが難しかったが、こちらはやややわらかく、布で伸ばせば綺麗に光沢がでた。その結果は。。。写真のような感じです。(汚れ落としから仕上げまでに1足15分くらい)1個630円。綺麗な靴とともに出社するとやる気も出る。安い買い物だと思う。
March 1, 2009
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NHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」を見た。興味深かったのは1、脳の活発度を測ることによって症状を診断する機械が開発されていること2、イギリスでは2007年にうつ病への治療が投薬から認知行動療法を主とする心理的アプローチに転換したことの2つだ。特に2、では日本の「傾聴」が古いものかのように報道されていたのが印象的だった。そう、確かに傾聴だけではクライアントに気づきを与えるのに時間もかかるし、そこにたどりつけない可能性もあるだろう。認知行動療法を取り入れた治療によると1年以内のうつ病の再発率が低下らしい。「うつ病」は病気であって「カウンセリング」では直らないというイメージがあったが、やはり「病は気から」の部分もあるのだろうか。番組の後半には臨床心理士が民間資格であるために、保険対象外になること、そして臨床心理士が多忙なために、患者と密な関係を気づけないことも話されており、保健師など様々な人との協力関係が必要だとまとめられていた。その協力が難しいらしいのだが、カウンセリングを一般に広めるという意味ではいい番組だった。
February 22, 2009
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「日本人はよく発明能力がないとか、独創性がないとか言われていますが、そんなことは絶対にない。できる人間はいるんです。ただ、日本社会ではできない。だから一旗あげようと思って、シリコンバレーに行ってチャンスをうかがっている。」「アジアは、経済の取引という実利を通して結びついていった地域なんでしょうね」「大きな会社じゃない社長でも大企業の部長に比べたらぜんぜん世の中をみている。それはリスクを負っている人の真剣さですよね。」「人間にはマーケットで生み出す価値を大きくしたいという願望がありますから、その価値を生み出す根本である労働が断たれると、とんでもないことなります。それが失業です」「失業をなくす、それが政府の最終的な目的なんです」「今の世の中を何かにたとえると『ブレーキのないジェットコースター』という言葉があてはまるような気がするんです。みんな頭の隅の中ではこのまま加速し続けると大変なことになるぞと感じていながらも、誰もブレーキをかけられない状態。今までは資本主義と社会主義があって、互いに牽制し、それがある程度ブレーキの役目を果たしていたのが、この10年間で片方の社会主義が崩れて、市場経済、つまり資本主義が単独で走り始めた。そしてやみくもな公共事業や、株で一攫千金を狙うといった人たちに象徴されるような、経済効率優先の「儲かればいい」「勝てばいい」という資本主義の悪い面が人々の生活や文化をもち込み、破壊している」以上はいずれも佐藤雅彦 竹中平蔵著による「経済ってそういうことだったのか会議」からの抜粋である。自分の心に残った箇所を引用した。2000年に書かれたこの本だが、すでに二人が現在の不況を起こるのを予想しているかのような発言にはっとした。誰もが気づいていたはずの行き過ぎた金融市場主義が崩壊してしまった現在ではあるが、その理由はサブプライムローン問題が表面化した頃言われていた「一部のデスクの人々」が「儲かればいい」「勝てばいい」と思い続けていたことから起因するのだろう。ここからは個人レベルの話題になるのだが、先日、顔も知らない社員からエレベーター内で「仕事があるだけいいよ。本当scarelyだよ。」なんて言われた。「自分もそりゃこわいよ」と思っても、業務上言えないので複雑で、更に疑心暗鬼に陥ってしまう。さらに複雑なのは不況に陥れた要因である側の金融機関の被害よりも、製造業など他業種への被害が大きいことだ。こんな職場で働いていて意味があるのか、と時折思ってしまうのも、こういう理由からだ。しかしながら、今回の危機では学んだことも多い。それは、自分自身が「勝てばいい」「稼げばいい」と少なからずとも思っていたことに気づいたこと、そして、それは本来の「自分」ではないことだったことに気づいたことだ。自分の「プリンシプル」を忘れてはならない VIVA LA VIDA!
February 21, 2009
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久しぶりに終電を逃すという失態をしてしまった。深夜1時の池袋駅は、不景気を示すかのような静寂。1年前なら、街は違う顔をしていたのかなぁと思いながら、自宅までタクシーに乗る。僕はタクシーにのれば必ず運転手と話す。しかも、タクシーネタについて。これまで学んだのはタクシーの運転手にもエリアによって得意不得意があること。「私は新宿は苦手ですー」なんて、まるで東京に来たての学生のよう。そんなタクシーの運転手が「最近は、売り上げが1割くらい落ちていて、金曜日もみんな終電が終わる頃には人がいなくなってしまう」と嘆いていた。そりゃ、そうだ。遅くまで飲むことはもちろん、その後タクシーに乗って帰るなんて贅沢なものだ。話はとび、音楽。ユニコーンが再結成したと思えば、MAXも再結成したようだ。1ヶ月前くらいにYOUTUBEで見た安室のヒットの曲「TRYME」がすごく新鮮に見えたのだけれど、この手の音楽、またブームが来るかもしれないと思った。今から14年も前になるようですが、TRY ME 太陽のSEASON (Act Against AIDS '95 1995.12.01)http://jp.youtube.com/watch?v=RD1pb-a08kkエイズ撲滅のイベントで、新人なのにこのやる気のなさがスゴイ。1995年といえば2009年現在並に上昇、景気が下り坂へと推移した頃。不景気で暗くなった人々は誰でもノレるゆるいユーロビートに身を任せるしかなくなったのか。改めて聞くと、よくないですか?気分に合わないですか?とりあえず音楽とか踊りとかよくわからないけど、楽しくやろうよ、って気分になりません?個人的には、少年時代の、ノスタルジックな気持ちもあるのだがそれ以上に案外よくて、今のヘビロテです。かといって、こればかり聞いていては、さすがに退屈です。シモキタで、新しいどころは入手してきました。
February 1, 2009
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1月12日付けの日経新聞より放送作家 小山薫堂氏の記事「・・・景気対策で支給される定額給付金でそうした無駄遣いをしたらどうか。どうしたら人に小さな幸せを与えられるか考えて使ってみる。そこから新しいきずなが生まれるかもしれない」1万2千円、額面としては決して小さなものではないが、じっくり考えれば、意外とできることは多いのかなぁ。例えば関東近郊への旅行はどうか。そこでその土地の郷土品、物産品を買うこともできる金額。そのお金は大型店舗や全国チェーン店へ支払うよりも、相手が見え、意味の重いお金かもしれない。定額給付金を、財布にそのまましまうのではなく、別の封筒にいれて、どう使うか計画を立てる。お金のありがたみを感じることもできるし、想像力を鍛えられる、楽しいイベントになりえるかもしれない。
January 12, 2009
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すなわち、人とのつながりの中でしか「私」というものはありえないのです。他者と相互に承認しあわない一歩的な自我はありえないというのが、私のいまの実感です。ですから、私は「人はなぜ働かなければならないのか」という問いの答えは、「他者からのアテンション」そして、「他者へのアテンション」だといいたいと思います。それを抜きにして、働くことの意味はありえないと思います。
December 28, 2008
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周りの環境に自分の運命を決めさせるのではなく、自分の力で周りに環境を変える方法を考える。そういう意味で、意思決定とは創造的な作業なのだ。ジム・コリンズ自分の価値を上げるには、チーム・ワークスキルを磨くのがいちばんだ。地位や役職は関係ない。 ジェリー・ユシーム人に優しくする、最善を尽くす。そして自分の手柄にこだわらないことどんな仕事でも最善を尽くす。たとえ退屈な仕事でも全力を尽くすメグ・ホイットマン人はいつでも、自分を再生させなければならない。過去の経験から自分の限界を決めない。 ビベク・ポールもうお礼はしてもらった。君との会話でたくさんのことを学んだからピーター・ドラッカー相手の地位や役職に関係なく、ありのままの人間として信頼し、尊敬しなければならないハーブ・ケレハー
December 28, 2008
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一流アナリストの「7つ道具」著ロバート・フェルドマンフィッシャーは交渉において四つの基本的原則を挙げています。第一は、人と問題をわけること第二は、姿勢より利益を強調すること、相手の提案そのものより、相手にとっての利益を強調するのです。第三は、双方の利益となる選択肢を見出すこと第四は、進捗は測定可能な基準で評価すること。「スキルは掛け算計算にあり、長所を伸ばすより短所を強化することは能力全体を向上させる」ロバート・ケネディの言葉「命とは、意味があるときに使って初めて価値がある・・・みなさんにお願いします。どうか今夜はこのままお帰りになってください。そしてキング牧師のおっしゃたことを胸に、牧師とその家族のために祈ってください」
December 28, 2008
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12月5日に菊地成孔のライブに行きました。2夜連続で行われたライブの初日でDUB SEXTETのライブでした。ジャズのライブを大きなステージでみるのは個人的には初めてなのですが、通常はクラブやライブハウスで行われる形式の音楽をコンサートホールで演奏するのは形式的に珍しいらしいです。コンサートホールなのに観客からの声援があるなど、異様な感じでしたが、どうしようもない変拍子と、打ち込みとの融合、そして菊地成孔の文章とルックスから想像のつかないフレンドリーさが新鮮でした。それにしてもバンドのメンバーのベースも、ドラムもかなりの演奏力でした。今までロックの超一流メンバー(たとえばクラプトンバンドなど)は生で聞いていても、やはりジャンルが違えば、奏法も異なるのですが、リズム感という意味でいえば、ロックよりもかなり必要とされるなぁと思いました。(このバンドの場合かなりのフリーセッションを重視しているので、ドラムもベースもかなり動いていて、彼らはロックは簡単にこなせるでしょうが)個人的には社内のパーティでサルサとギターでのパフォーマンスをする計画があるのですが、自分のロックアプローチしかできない奏法にやや不安を感じました。。音楽の世界は広いもんです。
December 7, 2008
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いつもと何らかわらない月曜の朝、普段通りに朝食を摂り、普段通り着替えたのだが、どうしようもない胃痛(腹痛)に悩まされ、結局休んでしまった。結局午後には回復して、昼食も夕食も食べられたので全く問題ないのだが、月曜の朝にこんな症状が出るなんてもしやこれはストレスが原因なのか、なんて余分な知識が、邪魔をする。いや、痛み自体は変わらないのだろうが、会議がある、仕事が山積みである、などの状況であれば、出社しただろう。それらの理由もなかったので、行くのを諦めた。あぁ、情けない。こういう時には父親が会社員時代の姿を思い出す。僕の記憶では父親が仕事を休んだのは数度だ。どんなに体調が悪くても朝、薬を飲んで、一日働いて、そして夜6時には帰宅し、その辺で寝転がっていた。その頃とは時代が違うから、という言い訳は無しにして、なんで自分はもっと仕事に必死になれないんだろうと思う。どんなに精神的に厳しくても、仕事量が軽減していたとしても、甘えはいけないなぁと思う。やはり何があっても、毎日行くものなんだと思う。そして自分の価値を会社に加えるのが、従業員の役割なんだろう。ということで、明日は仕事、仕事。
December 1, 2008
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白洲次郎著の 「プリンシプルのない日本」を読んで、刺激を受けた文章がかなりあったので、以下に引用したい。これら文章が50年も前に書かれているものとは信じがたい。日本の成長が止まっているのか、彼に先見の明があったのか、日本の抱えている問題の本質は50年も前から変わっていないと感じた。彼の凄いところは「日本は・・・」と語れるところだと思う。この感覚は自分が留学から帰ってきて感じた日本に対する印象と似ている点が多い。ケンブリッジ大より帰国後何年経っても日本を外から見ることができる感覚の鋭さが凄く好きだし、見習いたい、と感じた。自分が一個人として何が出来るかは判らないが、ついつい目先の生活に流されてしまいそうな自分に、よい戒めとなった。また、彼の魅力はこのような内面の強さの他に、「外に行くなら、ジャケットくらいは持っていけ」なんて言葉もクール。人としてのスケールの違いに正直、悲しくなった。「・・・よく日本人は「まあまあ」って言うんだ。「まあまあ」で納めるのもいいんだよ。妥協ということに僕は反対するわけでも何でもないんだ・妥協は妥協でいいよ。だけども、ほんとの妥協というのは、原則がはっきりしているところに妥協ということが出てくるんでね。日本人のは妥協じゃないんだ。単なる頬被りですよ。原則をほったらかしといて「まあまあ」で円くおさめようとする。納まってやしないんだ。ただ問題をさきへやってこうというわけだ」男女同権について「・・・ついでに皇位継承も、男に限らず女でも好いという処までいっても、少なくとも私は反対しない」「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい」「・・・個人関係に於いても、国際関係に於いても永続きする友情は 双方が腹を打ち開けて話すことである。」
November 3, 2008
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「心にぽっかりと穴があいた」とは当にこの事か、4月から始まった産業カウンセラー養成講座が終わった最初の土曜日、「ゆっくり休みたい」なんて思いから夜には用事を入れていなかったら、案の定、「このままでいいのかなぁ」なんて焦りが出てきてしまった。どうも自分自身を忙しい状況に追い込みたがるタイプらしい。それとも単に無趣味なだけなのか、なんとなく一人で何をしたらいいのかわからない。勿論資格試積験の準備や、曲のギター入れなど課題は山積みなのだが、「4月以前はどうやって土日を有効に過ごしていたのか」など、考えていて結局部屋を片付けたくらいで、何も出来なかった。養成講座のプリントなども溜まっていたのでファイリングをしながら、4月から自分は積極的に取り組めたのか、と自問する。100点中70点くらいだろうか、重なる遅刻、そして、数度の欠席。カウンセラーとして基本的な態度はあまり変化なかったなぁ、人は簡単に変われないなぁと思う。反面、課題の成績が4月当初より格段に良くなってきた事は、大きな自信となった。さて、この講座を通して自分がどう変容したかを振り返る。1、成人するに連れて忘れていた昔の自分の長所を意識できるようになった2、人には弱さがある、そして自分にも弱さがあることを認識した3、対人という一対一の関係への仕事に強い魅力を感じた1については敢えて昔の自分の長所は述べないが、職場という利害関係をともにする環境に対応するあまり忘れていた長所、そして人と接するにあたり、当たり前の事を思いだした2は最後の練習会でようやく知り得たこと。自分が知らない間に忘れようとしている「弱さ」を出せない自分がいる事を認識した(どうやって弱さをだすのかは未だ不明)3については大企業でしか働いたことがなく、「歯車の一部」にしかなったことのない僕には自分次第で相手を幸せにも、不幸にも左右してしまうカウンセラーの仕事に責任を感じるとともに、時に強い力を発揮出きるのでは、と可能性を感じた。上記3つ以外にも色々とあったはずなのだが、それはまた思い出したら書くとしよう。何はともあれ、忘れかけていた自分を取り戻すことが出来たのは大きな財産だ。社会的なステータスや収入に驕れてはいかぬ、と思い直すことが出来た事は本当に感謝。
October 25, 2008
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三連休の1日目は講座の勉強、その後セミナー。2日目はよくわからないまま時間が過ぎ、3日間は焦る気持ちとともに仕事に追われる1日となった。現在は従業員調査の仕事に追われている。世界展開している会社ともなると、自分で把握できていない事があまりに多い。膨大な資料が必要だ。僕がそんなことをやっている一方、米国では金融機関の買収、破綻などがあり、自分とは無縁ではない世界で大きな事態が起こっている。風呂に入って本を読みながら、ふと「自分の仕事の意味」について考える。生命を助ける医者、人の公正を裁く裁判官。そして日本を動かす政治家。世の中には意味のある仕事と高収入を両方得る人たちがいる。さらには、頭脳と経験で高収入を得る人もいる。その仕事に意味があるかは別に。頭脳も経験もないが、残念ながらどちらかというと、僕は後者に属すだろう。この仕事が意味があるのか、なんて考える必要はない。少なくとも、会社にとっては非常に意味のある事だから。しかし、社会に意味があるのか、と問えば、答えは変わってくる。僕が仕事をしたからといって、利益を有するのは社員と関連企業や顧客くらいなものだからである。そんな少数人数を満足させて、それなりの収入を得ている。たまに意味がわからなくなる。
September 15, 2008
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昨日はODIVA(お台場)で、映画を見ました。外には一緒に初めて行く相手、久しぶりの邦画、という事でなんとなく新鮮な一日でした。多くの人と話すと、自分の狭く、強くなる価値観が、ひゅっ とゆるぎ、広がるようで心地いい。お土産ショップで見かけた、個性的なドラえもん。今度、僕が書いたドラえもんをここにおいてみようか、なんて思わせられる作品。
September 8, 2008
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先週は夏休みを取り、兵庫県の実家に帰った。東京のマンションを出てから約4時間の長旅だ。人の多さのわりには静寂さと、一定の緊張感がある羽田空港を経ち、一時間後には神戸空港に着いた。そこで待ち構えていたのは賑やかな関西の雰囲気だった。空港職員は「富士山見えましたか?」「最近、涼しいですよね。もう、夜には扇風機いらなくなりましたよー」と気さくに話す。僕は情けない事に「はい、そうですね」なんて圧倒されてしまう。。エレベーターを閉めようとする時も、中年の女性が突然走ってきて「あーにーちゃん、まってまって。あー間に合ったわーほんまありがとうな」なんて東京ではあまり見かけない光景。神戸といえども、東京とは比べ物にならない程の、小さな都市。そこには未だに、他人と話す事ができる時間と空間の余裕がある。少し気になったのは三宮駅周辺には漫画喫茶やビデオ鑑賞などの店が増えていたこと。神戸の海辺の整った美しさや、山手のラグジュアリーな建築物など、僕の頭では記憶が美化されていたが、イメージと少々離れていて残念だった。それでも元町周辺は東京にはない、何とも言えない落ち着いた洗練された町並みがあるのが救いだ。しかし、関西は賑やかだった。東京に来てはや4年、段々東京が心地よくなってきた。
August 27, 2008
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カゼがあまりにひどいので会社を休んで近所のクリニックに行った。先週金曜日に違うクリニックにいった際は、医師が「のどが痛いんですね(聞き取れない)ほにょほにょ」という感じでやや頼りない感じであったが、今回行ったクリニックはハイテククリニックだった。診察室に入ると2つのパソコンのモニターを前に座る医師の姿。そして、問診が始まると、僕は話す諸症状をこと細かくパソコンに入力。僕は疲れていたので「たぶん○○前くらいから症状が。。。」なんていうと、「え?何日前ですか」なんてまるでオフィスでの会話のような問診だった。きちんとタイプをして僕の話をデータ化する動作に安心する一方、「ここで変なサイトにアクセスして情報漏らさないでよ」なんて、考えもでたり、「この医者、パソコンばかり見て、本当に患者みてるのか」なんて思ったり。パソコンにある程度の信頼を置いている僕の世代ですらこう思うのだから、高齢者の世代は一体どう思うのか、実は医者に「うん、うん」って聞いてもらいたいのではないか、と思うと、医療の現場の難しさを感じた。あれでは声の調整、話し方では体調を見分ける事は難しいのではないかなぁと。少なくとも、風邪気味の時に本当に頼るのなんて医者しかいないのに、その医者にパソコンをカタカタやられてわ、「早く治して仕事いきなさい!」と言われているようで、寂しかった。その後、昨今話題になった「ジェネリック医薬品」を手にした。ちなみにジェネリック医薬品とは『「新薬」として最初に発売された薬は特許に守られ、開発したメーカーが独占的にその薬を製造販売することができます。これが「先発医薬品」です。ところが20~25年の特許期間が切れると、他のメーカーも同じ成分、同じ効果のお薬を製造できるようになります。これが「ジェネリック医薬品」で、その価格は新薬の2~8割に設定されています』 http://www.emec.co.jp/generic/index.htmlで、患者にとっては医療費負担軽減、政府的にはその分、高齢者の医療費負担を上げますね、なんだろうが、薬局で待っているときに高齢の方が3000円を支払っていて(これだけでも、十分高いと思ったが)「お薬、安くなったねぇ。前は1万円以上払っていたもんね」などと、話していて、ジェネリックの安さに驚いた。7割引ですよ。年末のバーゲンでも滅多にない。本当にジェネリックって同じ効き目なのかなぁと、思わざるをえませんでした。もし同じであれば、先発薬品のもつ特許権の強さに驚きだ。一番は何でもすごい。
August 6, 2008
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夏にカゼなんて。。ありえないと思っていた私ですが、どうやらひいたみたい。。。今日仕事を休んでしまいましたが、明日はなんとかいけるようにしたいです。。。あー。きつい咳のしすぎで腹筋がいたいだなんて、普段のトレーニングの怠慢だな笑
August 4, 2008
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試験というほどでもないのですが、一応証券外務員試験に合格しました。問題が簡単でよかったです。これで今年の夏は遊べそう!!そのお祝いに友達からケーキをもらいました。ありがとう!
July 27, 2008
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今日は影絵のコンサートのお手伝いをさせてもらった。ボランティアである。ボランティアといってもチケットの収益金の会計と、来場者への「こんにちは。会場はこちらです」というくらいなのだが、企画されている方達から、「助かります」と言っていただけたので、自分もこんな単純な事で喜んでもらえて嬉しかった。さらに、来場された方の少なくとも10人以上の方にはお話して、そして「ありがとうございます」と言っていただけたことが、非常に印象的だった。ふと考える。ボランティアと仕事は別物。でも、仕事で1日10人をハッピーにできるか、といわれたらおそらくNOだろう。確かに、あるプロジェクトが成功すれば全社員の何割かをハッピーに出来るだろうが、それでも、1日10人に比べると人数的にはすくないのではないかと思う。しかも、それを自分や自分の属するチームが行ったなんて、認識する人は少数だろう。そう考えると、仕事の方が逆に、お金をもらう意義を感じられなくなる。デスクで何事も話さず、黙々と事務作業をこなすだけでも、日給1~2万円程。一方、みんなに笑顔を振りまいて稼ぎ0。どちらが意義があるのだろう、どちらが人をハッピーにできるのだろう。。なんとなく、そんなことを感じた1日だった。 今後はマイペースながらボランティアとか、参加させていただきたいと思うので、何か出来る事があったら、お返事ください!!
July 13, 2008
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今年の流行のはずだったチェックシャツに、デッキシューズ。街では、みんなチェックでイェーイ!なのかと思ったら、意外に街で着ている人を見ない。着ていても、今年のデザインというよりは、昔からありましたよ、なデザイン。アパレル店では、7月入る前からセール開始というフライング傾向。消費の低迷か、着こなしの多様化か。とにかく、セールでもチェックシャツを売りたい感じが見て取れた。まぁ、確かに、半そでのチェックシャツは、どうやっても「格好いい」風には見えない。それでも、白のレザースニーカーがはやった昨年とかは、結構みんな履いていたようなきがするのだけどなぁ。若者も服を買わなくなってきたのであれば、これ、本当に問題と思う。
July 13, 2008
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仕事でミスをした。朝からいきなり呼び出され「君を怖がらせるつもりはないが、正直にいうと、この事態はかなり深刻だ。前回のミスもあるのだから、君ひとりで責任を負うことはできない。君のためにももっとコミュニケーションが必要だ」と言われた。最近立て続けにコミュニケーション不足が原因のミスが起こった。今の時点で2ストライク。あと1ストライクでアウトだと思う。日系の会社のように「お前、何回言ったらわかるんだよ!」なんて怒号は飛ばなかった。要は責任を取ることが重要で、すなわちそれは停職や解雇だったりするのだろう。たとえそのような事態になっても、仕方ない事だ。自分で自分の責任を取る、それほどわかりやすいことはない。もしそうなれば、金融業界には留まれないかもしれない。そうすれば、知識の充電期間を数年作ろうかなと思う。 なんとなく感じるが、人事でこんなに明らかなミスを侵す人はいないようだ。自分の未熟さを感じる。ダイバーシティなどを担当していると、どうしても理想主義かつ、問題を組織レベルで考えてしまう。組織として、こうだから、このような問題が起こるのだ。なんて、客観的には説明がつくのだけれど、起こっている問題は自分自身。自分の欠点、自分の過ちを認めないと成長ができないのだと思う。今回の問題の原因は明らかにマネージャーとの連携不足と、自分の権限を越えた仕事をしたことにある。部内の上司に直に報告すれば「私に話す前に誰と話したの」と言われ、全く自分の仕事を把握していない直属のマネージャーにすべてを報告しなけれなならないこの矛盾。前のマネージャーの退職により、今までチームの一員だった人が、いきなり自分のマネージャーと言われても(しかも、苦し紛れに彼でいいんじゃない?という感じ)中々、信頼関係が築けない。都合のいい時だけ持ち上げられ、組織の中では結局小さな存在なんだぁとかも思ってしまう。もちろん、そうならないために日々努力しているのではあるが、どうも空回りするようだ。問題点を洗い出し、反省して、次に繋げたいと思う。(注*かなり内容が暗いですが、そんなに自分ではへこんではないです。)
July 10, 2008
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近くのコンビニの中国人の店員さんがあたたかい。夜に弁当を買いにいくと「これ温めたほうがいいね?今すぐ食べるでしょ?」「ひざにおくと熱いから気をつけてね」また、edyで公共料金を支払うときは「edyでの支払いは今月が最後だからね」と。その上、「だから、あんまりチャージしないでね」なんて、かなり個人的な意見を頂戴した。何より「出口のドアそのままでいいからね。大丈夫。大丈夫」なんて、何気ない心遣いが嬉しい。ほとんどの大手チェーンが効率化のために、画一的なマニュアルを持っているが、マニュアルを理解し、時にはマニュアルから外れてしまう。でも、本当に人をハッピーにできるサービスは、そんなマニュアルにはないサービスではないかなぁと思った。
June 25, 2008
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秋葉原の事件の報道を、HRの観点のみで解釈すると、労働形態による疎外感が犯行の動機を助長したのではないかと察する。事実、作業服がなかったことに対する怒りをぶつけたり、リストラを行う会社への不信感が本人によるインターネットへの書き込みから伺える。過剰なまでの被害意識と、派遣社員という勤務形態による会社からのる疎外感。この二点は何も今回のケースだけではなく、皆が持っていることだと思う。事実、現在の勤務先、過去の勤務先でも過剰とまでも思われる劣等感を、非正規社員から聞くこともある。正社員であった時代は、「全く、被害妄想だよ」などと、思っていたが、有期契約である現在の自分は、皆が言っていたことがなんとなくわかる。問題は、1、企業が経費削減、アウトソーシングなどによる作業効率向上を進めた結果、非正社員が増えたこと2、ワーク・ライフバランスという潮流の元、実際にはフルタイムで働く労働者が減少、その結果従業員の会社への帰属意識が減っているなどが考えられる。得に私が考えたいのは2である。育児のための、通勤緩和のための、あるいはオフィススペース縮小による固定費削減のための、自宅勤務は、日々嫌な上司でも顔を合わせ、一体感や帰属意識を培ってきた日本の企業文化に変化をもたらした。しかしながら、自宅勤務は、主にメール、電話でのやりとりである。いくらビデオ会議を開いても、上半身だけタイをしめれば、極端に言うと下半身は何もはいていなくても気づかない。そんな状態で会社への一体感が生まれるはずはない。束縛や、不自由さ、そのようなものから得るものも多いのではないか。何もかも自由になった現在の会社は、無断欠勤すら許すのだから。それで、従業員が一体感をなくすのなら、いっそ、従業員を束縛してみたほうがいい。なお、今回は労働形態という視点でのみ事件に触れたということを、ご理解ください。
June 10, 2008
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最近よくこどもに話しかけられる。道では小学校低学年くらいの子どもに「おだいじに~」なんていわれたり、さっきは五歳くらいの子どもに「足がいたいの?」なんていわれたり。。。 そんなに穏やかで話やすい雰囲気だしてますか。ぼく。老後な感じっすか(笑) 残念ながら同じ年代の女性には話しかけられない(男性には雨の日などたまにはなしかけられる)ですが、どうしたものか。。
June 9, 2008
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快晴でも無いのに暑さを感じる土曜の昼、国立新美術館で「エミリー・ウングワレー展」を見に行った。留学時代に半年もアボリジナルスタディを勉強していたので、アボリジニのアーティストといえば、思わず反応してしまう。 彼らを代表する言葉であるワールドビュー、ドリーミングなどまだ覚えいるかなぁ、講義を担当してくれた教授は健在かなぁ、教科書がとんでもなく分厚かったなぁなどと、過去を回想しながら向かった。美術館の中では「よく、わからないなぁ」という声がちらほら聞こえて、結果的には3パーセントでも学んだことを覚えていた僕は、彼らの「大地への愛」や「故郷を愛する精神」をなんとなく理解することができ、また、絵からもそれを感じることができたので、抽象画を見て感覚的に「イイ!」と思う時より、あれこれ想像しながら見ることができた。彼女が亡くなる2週間前に、3日間で残した数作品に、数色を大筆で乱雑に書いたものがあるが、絵を成功に描く力が残されなくても、彼女の故郷であるユートピアへの愛だけは忘れなかったのだろう、と思わせられた。ちなみに、彼女は80歳を超えてキャンバスに描き始め、8年で数千点の作品を残した。その後、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン主演の「最高の人生の見つけ方」を見た。作中に何度も繰り返された「Find the job in your life」という言葉を何度か自分に問いかけた。果たして自分の喜び、幸せはどこにあるのだろう。作品中、実業家エドワード(ニコルソン)は夜に惣菜の入っている容器がうまくあけられなかったり、夜を楽しく過ごす相手が金銭的な関係しかなさない女性しかいない時に、涙を見せるシーンがあるが、これが現代人の生活にかぶって見えて仕方ない。独身という意味では僕もそのなかに入るかもしれない。自分の中でのJOYはなんだろう、そして自分はどんなJOYが必要なのだろう。80歳から絵を描くエネルギー、故郷を愛する気持ち。目先の利益と、本当の幸せは一致しないのかもしれない。
June 7, 2008
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一枚目・・・巷で流行中のウェリントン型メガネ。浅草の骨董品もののメガネ屋兼時計屋にて。流行メガネはアンティーク風ではあるものの、本当のアンティークではないことを発見。これをかけたジョニーデップは、さすがに彼でもいただけないだろう。二枚目・・・近所の商店街、とある休日。小さな汽車からは想像できない乗客量、そして力強さに驚き。これに乗っている子どもたちも想像できない力強さで成長するのだろう。
June 3, 2008
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流行の、ジョギング~ ではなく、社内でランニングクラブを設立したので、今日はじめて部員同士での練習を行った。 距離としては7キロ程度、時間にして45分程度と内容としては軽いものだったが、普段走らないスピードで走るため、町並みが違ってみえて新鮮だった。また、人と走るのもはじめてだった。部署が違うため、ほぼ全員二回目の対面だったが、ひとつの目的を共有しながら走る時間は夜の涼しい風とともに爽快そのものだった。 また、挑戦してみようと思う。
May 28, 2008
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早稲田大学谷口真美教授のダイバシティ・マネジメント講演に参加した。彼女はダイバーシティを理論化した日本では有数の方で、僕も企業でダイバーシティ担当としては、本を読まなければならないと思っていたので、ありがたかった。 彼女の理論化により、自分が勤務先で行っていることが、正当化された点は有益だ。というのも、彼女の言葉をかりれば「深層のダイバーシティ」は、やはり数値化しにくく、結果が見えにくいからだ。自分の意思とコーポレートカルチャーが一致し、あるプロジェクトがはじまったとしても、そこに結果が伴わなければ、やはり企業からは評価されないし、自分としても腑に落ちない感がある。しかし、今はダイバーシティを進める意義が再び明確化されたので 、自分としても自信を持って取り組むことができる。 おそらく、プロジェクトベースの仕事で重要なのは自分を信じ、貫くことではないかと思う。それがダイバーシティという、世の中的にはあまり認知の高くないプロジェクトであれば尚更だ。結果を具体化し、理論的に進めたいと思う。
May 28, 2008
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もういいだろう、僕は最近そう思っているエド・はるみが真面目なコメントを残しているので、ちょっと紹介したい。「生き続けているすばらしさというのが一方で絶対にあると思うんですね。それは決して負け惜しみとかいうことではなくて、なぜ一つの価値観しか日本にはないんだろうと。つまり、若いことがすばらしくて、年を取ったら「ばばあ」だの「じじい」だの言われて、いや、そうではない時代がもう来てはいいんではないかと。」 最近は高齢化社会に伴い、熟年の芸能人や著名人を見たりもするが、老いを軽んじる傾向が日本にはまだあるように感じる。それが後期高齢者、などよよばれる結末だ。 人間、経験を重ねればそれなりに奥深くなる。と、最近思うようになってきた。自分自身が年をとっているということもあるが、それに伴う経験が重要や培ってきた経験が重要ではないか考えるからだ。一個人として、社会に役立てる。常に、クリエイティブに生きる。そんな年の重ねかたをしたい。
May 25, 2008
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雨だ。昨日から降るという予報がでていたのでまぁ仕方ない。学校からの帰りなので気持ちは晴れやか。1日だらだらと授業をきいていたので少しばかりの後悔もあるけれどそれでも達成感はある。 学校のクラスメートがいきなりクラプトンにのCREAM再結成をはたしたライブのpickをくれた。前回の5分程度のエクササイズ内でクラプトン好きを話しただけなのでかなり意外だったがありがたく受けとった。(もしやこの先これが仇になるかもしれないが) それはそうと月曜日に資格試験があるので勉強しなければ。学校なんかいってる場合ではなかった!
May 24, 2008
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小学生の女の子A:「じゃー○○ちゃん、ばいばーい」小学生の女の子B:「うん、じゃーね」小学生Bの父親が迎えに来る(スーツを着た30代後半のやさしそうなお父さん)お父さんと小学生Bがその場を離れる。。。小学生A:「Bちゃんのお父さん、立派なサラリーマンですね・・・」....立派なサラリーマンってなんだ!???しかも小学生にいわれたくない。。。言わせるなら「立派な大人ですね」だ、絶対に。 しかし女性はこんな小さな頃から人生の生き方を学んでいるんだな~って思うと、男がゲームとか漫画とかに夢中になっているのが、悲しい。。。この精神年齢の差、一生ちぢまらないのですよきっと。
May 21, 2008
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電車で40分程の友人宅に出かけた。その友人の家は学生時代に、下宿をしている友達の家を訪れたような、そんな懐かしさを残した、未完成で、楽しい家だった。そんな家を、土曜の昼に出て、岐路についた。静かな土曜の昼の町並みを突き進む電車。15分程そんな景色が続いたと思えば、気がつけば、電車は轟音を立てて暗く、孤独な地下を走っていた。地下になり加速度を増す電車とともに、時間の過ぎるペースも加速度をましていったようだ。都心に近づくにつれ増える乗客。そんな乗客たちは、完璧なまでのファッションと、誰もがしっているであろう高級ブランドに包まれている。そんなに頑張ってどこにいくのだろうか。。。僕が生まれる一年前の1981年に寺尾聰の「ルビーの指環」はザ・ベストテンで12週連続1位を記録したそうだ。さらに、この曲を収録したアルバム「Reflections」は164万枚の売り上げを記録した。「25年前の自分に今の自分は胸を張れるだろうか」「これからの自分は何を目指して生きていくのか?」そんな思いから2006年末に、「Re-Cool Reflections」というアルバムを作った。このアルバムでは当時からまったく劣らぬ、より渋く、タイトなボーカルを聞くことができる。この渋く、煌びやかなアルバムは、同じく80年代風のチープさを残した、21世紀のフランスのバンド、PHOENIXと非常にマッチする。時代は確実に流れていく。このブログを書いている間にすら、年をとって行くのだ。ならば、時代に捕らわれない普遍の格好よさを身に着けるのがベストだろう。その格好良さは決して表面的なものではなく、やはり中身なのだろう。「25年前の自分に胸を張れるため」に、日々生きていきたい。
March 9, 2008
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帰国後1週間で一番興味がある話題は「餃子の農薬混入」問題だ。日本での報道はあたかも「中国がすべて悪い」「チェック機能が甘く、農村部ではなにをやっているかわからない」なんていい、「もう中国製は買わないです」なんていう消費者のコメントもあったが、これで中国を全面否定するのは遺憾に思う。中国と日本ではまだ社会の成熟度が違うのだ。そして、日本が低価格化を進めるために中国製品に依存していることも知る必要がある。ある日本の農家の方が「日本は自給率4割を切り、製品に安全性など追求して質の高いものをつくる」と言っていたが中国は「作れば作るほど売れる」のだ。質が違って当たり前だ。赤福にしても、白い恋人にしても「作ればつくるほど売れる」から過ちがあったのだ。強者の過ちだ。そして強者中国が結果的に過ちをおかした。つまり、「中国から買ってやる」なんて思っていた日本がいつのまにか依存しないと生きていけない「弱い存在」になっているのだ。中国以外の輸出品は中国の購買力に「買い負け」している日本。そろそろ、日本が世界で一番、という根拠もない考えから抜けるほうがいいと思う。資源もない、購買力もない日本。そして襲ってくる高齢化による労働力の減少。足元には米景気減退による、日本経済の停滞気配。そろそろ「本気」で日々生きていかなければならないのではないだろうか。
February 3, 2008
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1月26日、心配していた食あたりやスリなど、何もなく無事、成田空港にたどり着いた。そして、自宅から最寄のホテルまでリムジンバスに乗った。ホテル前にリムジンバスが着き、ホテルのスタッフが車椅子を出すのを手伝ってくれた。そしてタクシーに乗りたい旨を伝えると、彼は早速タクシーに近寄ってくれた。そして、タクシーに車椅子を載せる際に「どうしたらいいですか?トランクにのせますか?」と聞いてきた。内心、う~ん 普通はトランクにのせるのじゃないかな~なんて思った。やはり日本人は行動よりもまず、考える。のだ。タクシーのトランクに必死に彼は、車椅子を積み込むがトランクが小さく乗らない。次のタクシー、さらに次のタクシーに聞いて回るが、タクシー運転手は皆、首を横に振るのみ。数台に拒まれたあと、彼が困っていると、ほかのやや年配のスタッフが「とにかくのせてみろ」と嫌がる運転手を無視して強引にトランクをあけさせ積み込んだ。「いや~前のタクシーが断っていたので、これも無理だと思ったんですと~」なんて、言い訳を運転手から聞かされた。用は、つんでみようという、行動力、やる気がないだけじゃないのかと思った。これが中国ならトランクをあけてでも目的地にまっしぐらだ(実際にトランクをあけっぱなしで15分くらい走った)目の前の客を捕まえて金をかせごう(行動)する、中国人。面倒なことは避けておきながら、考えを先に起こす(思案)する日本人。どちらが良いかはわからない。社会の成熟度が違うのだから。しかし、「中国人の貪欲さ、日本人の貧欲さ」を感じることはできる。新聞の記事で「休日をどこにもいかず支出をしない若者が多い」「スキーに行く若者に人数が減少している」ことを知った。なんでも、スキーに行くのは寒し、支出も多く、皆で行くのは面倒らしい。面倒といえば、確かにすべては片付くのだが。日本で人が困っていて「僕が乗せていくよ」「タクシーの乗せるよ。お金はいらないから」なんていう人がどれくらいいるだろう。中国ではトイレのドアにしても必ずといっていいほど皆が協力的にあけてくれた。日本では、どうだろう。気遣うふりをして、実際に行動してくれる人は少ない。場所を変えて、ニューヨーク。街も人間もクール、だなんていうけれど、ここの人は教育レベルが高いのか、倫理観が高いのか、宗教的なバックグラウンドもあるだろうが、「感情的な親切さ」抜きに「日常生活の一部として行動」してくれた。果たして、日本はどうなのだろう。「感情的に助ける」こともなく、それといって「倫理観として、助ける」と言うこともない。よく言えば「君子危うきに近寄らず」であろうか。自分にプライドが高く、何も行動力が欠けている気がする。家族や友達がいる自国で育ち、骨を埋めるのが一番幸せなのだろうが、このような経験がある度に「日本は果たして自分にとって一番の国なのか」なんて思う。
February 3, 2008
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北京最後の日、観光でもしなければと思い、万里の長城に行った。北京市内から1時間半くらい走ったところだった。僕が向かった八達嶺長城は山頂まで上るロープーウェーのある、観光で一番定番のコース。いままで、あまり観光客は見なかったが、ここではさすがに、日本語や韓国語を良くきいた。しかし、この場所は車椅子でも、「一応」いけるので、お勧めだ。それにしても、山頂からみる万里の長城は、巣晴らしかった。「竜が天に昇るが如く」と本当に言葉通り、長城が山の間を切り抜けていた。その後はこれまた世界遺産に登録されている頤和園に向かう。「1750年建設開始、1886年には西太后によって再建がなされた。大部分が昆明湖と呼ばれる人造池である。古くは西太后の避暑地であった」(Wikipedia)ここには728mにも及ぶ長廊がある、数メートルごとに、一枚一枚違う、絵が描かれているのを見ていると、古来からの中国の宮廷文化の優雅さを見ることができる。しかもここが避暑地だったというのは,大陸の大きさを感じずにはいられない。その後は胡同という古くからの細い道が連続した町並みを見学する。あまりにもめずらしくパシャパシャと家の写真を撮っていたら「家(jia )」と言われ怒られた。ここではあえて「ソーリー」を連発し、外国人だということを強調しておいた。人の家庭を観光人が壊してはならない。。しかし、中国で初めて怒られた。。。その後は、総工費数十億とも言われる「蘭」というクラブを見学。豪華絢爛な内装、露出過多なスタッフなど、バブルっぷりを感じた。最後の晩餐は北京ダックだろうということで、ガイドブックに乗っている北京ダックの店を探す。見つからず、英語の通じそうな男性(カナダから来て北京に3年以上もいるケビン)に道を聞くと、「僕がその店をしってるから連れて行ってやる」なんていうので、一緒に行くことに。行き着いた店はガイドブックとは違う店。彼がやや困っていたので「ここが地元人に人気があるならここでいい」といって別れることに。彼は中国人の彼女の電話番号をくれた「彼女にいっておくから困ったことがあれば、いつでも電話してくれ」やはり、旅の醍醐味は人との出会いだ。旅行の最後をしめくくる夜はペニンシュラホテルのラウンジで、楽しんだ。さすがに外国人客が多く、世界経済の話をしている客もいた。当然、英語も通じる。1/3しか食べていないアピタイザープレートを新しいものに取り替える、などこれまた異世界だ。それでいて1500円程度。日本であの環境で飲むのにはいくら払うのだろう。。。。日本に帰るのがいやになった。。
February 3, 2008
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798芸術区とは、民解放軍798部隊に所属する国営電子部品工場が2002年から少しずつ商業ギャラリーが集まった地域で、昨年度はMOMAの博物館員が飛行機をチャーターして訪問したという、話題の場所だ。1、エリアの広大さ2、作品の奇抜さ3、店舗の多様さ工場跡地だけに、洗練された感じはまったくない。荒廃した工場地帯の空虚さと、それと対になる芸術作品の高揚さ、未来へ向かう様相がこれからの北京を物語っているようで面白い。この敷地内の一番大きいギャラリー、798SPACE には今も「毛沢東万歳」の文字が残っている。毛沢東や自国をパロディ化した作品やも多い。そう、自由とは対をなしているようなイメージの共産党が、ここでは、自由に遊ばれている。万里の長城に全裸で挑んでいる男性の写真なども、印象的な作品だった。とにかく、枠に当てはまらない自由さを感じられた。この後、世界天階 という高級ショッピングセンターにまたも向かった。夜8時を過ぎた、その日も前日同様にタクシーを待つ。やはり、なかなかこないので、交通整理員にタクシーに乗りたいと伝えるも、なかなかつかまらない。そうやって20分くらいすぎたろうか、大きな四駆を操った男性が「タクシーがいるのか?」「よかったら俺の車でホテルまで乗せてくよ」と言ってくれた。通常ならここで、「この車にのったら絶対に人里はなれたところに連れて行かれる or 多額の金を要求される」と判断するが、前日に同じ場所で人の温かさを感じたこと、また、この店が高級デパートだということから「本当にいいですか?」と聞くと「いいよ、no money」だ、なんて言うので、乗り込んでしまった。 なんでもこの男性は車で妻の買い物を終わるのをまっていたらしい。「それが男の仕事だよ」なんて僕が言うと「はっはっ」なんて笑っていた。実際のところ僕が「このホテルです」と告げたところが実は間違っていてそこから再びタクシーで帰宅するのだが、それでもこの男性の親切さに非常に感謝だ。「中国人はいい人ばかりだ」二日連続で本当にそう思った。
February 3, 2008
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1月23日、今回の旅は北京に重点を置いていたので、期待感とともに、お決まりの天安門へ。中国語の授業で習ったフレーズ「天安門是北京的中心」という文章が頭に残っていたが、本当に北京の中心に存在していた。地図を見るとホテルからあまり離れていないように見えたが、一方通行の影響でタクシーにのっても数十分かかった。社内から天安門が見えた。「おぁ、これか」なんて思っていたらタクシーはどんどん天安門から遠ざかる。どうやら、これも一方通行の影響らしい。目標が見えたら一直線に走るのが人間の性。そのまま天安門の方にひたすら走った。しかし、僕の前に立ちはだかったのは5車線くらいある横断歩道のない道路。あたりを見ると地下に向かう階段がある。しかし、そこにはエレベータらしきものはない。するとさらに違う方向に道を渡った方面に、車椅子の大きなマークを発見。「あっちにいけばいいのか」と思うが、これも同様横断歩道どころか、中央に柵があって、どうがんばってもわたれそうにない。仕方なく、タクシーが止まった方面に再び戻り(天安門広場は南北880mあり、詰めれば100万人が収容できる)このあたりは風の吹きさらしがひどく、毛沢東の肖像を見ながら凍死するかと思った。。。無事天安門に。その後、更に進むと故宮博物院に出る。チケットを買っていざ入場しようとすると近くの人がすごい剣幕で話しかけてくる。そうすると他の人も同じ用に話し出した。あっという間に数人に取り囲まれて「これは危ないかも」と内心思うが、ジェスチャーと言葉を注意深く聴いてみると「チケットはいらない!俺が窓口にチケットもっていくから貸してみろ」といっている。「え?不要??」と中国語でいうと「不要」と言っていたので、チケットを渡す。すると、受付も「あ、車椅子だったんだ」なんて顔をして、40元を返してくれた。実際のところ、旅行者である僕が、無料なのかは定かではなく、入場の際に、何か言われた。中に入ると天安門広場よりさらに広大な敷地に数々の門があり、車椅子では苦労した。門に来るたびに、周りの人に車椅子を運んでもらい、世話になった。本当に、皆に感謝だ。謝謝。その後は、北京都市計画展覧館に向かう。ここは、北京の今後の都市計画をミニチュアや映像などで展示している場所。画面をタッチするとぺージがめくれる文献や、クラブのような都市の案内スペースには中国が技術力とセンスの高さを見せるために「努力している」この展覧館、ぜひ北京にきたらいってもらいたい。空港やオリンピックスタジアム、都市全体(これはワンフロアがミニチュアいっぱいにミニチュアが広がっている)をあらわしたミニチュアはみているだけでも飽きない。その後、本物のオリンピックスタジアムを見たあと、「世界天階」というショッピングセンターに向かった。このショッピングセンターの目玉は幅30メートル全長220メートルにも及ぶスクリーンだ。時間ごとに画面が変わっていくのだが、店自体は閑散としていて、これを見ているのも数人。絶対に採算にあっていないと思うのだが、この規模の大きさには驚いた。その帰りにはさらに驚くべきことが起こった。タクシーを拾おうと努力するが、なかなかつかまらない。交通警備員に「タクシーに乗りたいんですが」というと一緒に探してもらうと数十分後にようやくつかまった。しかし、この運転手なかなか乗せてくれようとしない。警備員も中国語で何かをいっているが、わからない。どうやたら警備員が見せた「こいつをこの住所のホテルにつれてって」といったホテルを知らないようだ。三者三様、困っていると後ろから「Can I help you?]と女性が英語で話しかけてきた。この女性は僕の後から同じくタクシーを待っていた女性だ。[I want to get this adrss]というと、すかさず携帯でそのホテルの番号にダイヤル。場所を運転手に伝えてくれた。が、尚運転手はわからない という。どちらかというと、車椅子一人での乗車を拒否している感じだ。そうすると、その女性が[I will come with you] とタクシーに乗って道案内をしてくれるといった。このタクシーを逃すと次がいつになるか、わからないので、本当に感謝だった。しかも、情けないことに「How much do you need to go back to your place?」と聞くと、「No, I do not need」 と言う。近くなので、お金はいらないよとお金を出しても受け取ってくれなかった。高級ショッピングセンターからの帰りのこの女性、恐らくかなり金銭的に豊かな人なのだろうが、年も同じくらいの女性に、助けられた上に「お金はいらない」なんていわれてしまい、少し情けなかった。複雑な気持ちのまま眠りについた。
January 27, 2008
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とうとう上海最終日。最終日くらい観光をしようと、金茂大厦(高さ420メートルのビル)このビルの展望は88階で、ニューヨークのロックフェラーセンターの展望より高い。この日も天気が悪かったので景色は良くはなかったが、上海を一望できた。その後、街を散策。余裕が出てきたので、大通りから一本それた道に足を運ぶ。すると、ピンクと青の「成人保健」という店を発見。表はかつての日本でみられたような青と赤のくるくる回る看板が立っているのだが、どうやらこれは普通の散髪屋ではない雰囲気だった。当然、試す勇気はなかった(もし普通の散髪屋にしても、どんな髪型になるかそれはそれで怖い)最終日に上海のアンダーグラウンドな世界を垣間見れた。そして、夜に北京へと向かうため上海虹橋空港へ向かった。
January 27, 2008
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それにしても上海は高層ビルが多かった。どこを見てもビル、ビルで、ビルが無秩序に並んでいた。あまりの工業化のせいか、空はずっとよどんだまま、天気も悪かった。上海2日目になると余裕も出てきて、散歩する余裕がでてきた。朝には魯迅公園に向かう。ここで、上海のひとびとの日常に触れられたのは興味深かった。一人太極拳をする方、数人の仲間と二胡の練習に興じる初老の男性,ベンチで池を見ながら物思いにふける男性。都会の中に平和を見てとれた瞬間だ。突然、ある女性が僕の前を通りかかった。「なんだ??」て思っていると、その女性は急に僕の方を振り返った。「これは、まずいことがおこるかも」なんて思っていると、その女性はそのまま後ろ歩きで僕の前から立ち去った。その後も何人か後ろ歩きで歩く人を発見。どうやら、ひとつの健康法のようだ。(果たして何に効果があるのだろう)中日青年世代友好 という記念碑のある場所では、ものすごい剣幕で20人くらいのグループが怒鳴りあっていた。最初は喧嘩をしているのかと思ったが、そうではない。どうやら討論会を行っていたようだ。 この近くにある多倫路文化名人街 は中国の著名文化人の彫刻などがおいてある観光名所。その後、街に出ると今度は背後から声をかけたれた。というか、車椅子を押された。中国語が理解できなかったが「俺が押して言ってやるよ」という感じだった。子供連れの男性だったから、見知らぬ他人なので近くにあったビルに連れて行ってもらった。困った人をほうっておけないのが中国人だろうか。大きなバックパックと車椅子で一人は、目立つのか、このたびの最中何度も、色々な人に凝視された。まぁ別に悪い気はしないですが、少し怖かったです。上海はやや街が古くなってきているので歩道やビルなどのバリアフリーは日本より遅れているように思えた。歩道が狭いのに、バス停のベンチが歩道の中央にあって車椅子が通れない、という場所は何箇所かあった。後、人が多すぎるのと、勢いが凄いので、バスには乗れないと思う。タクシーが安いのでよいが、車椅子の方が街に少なかったのはこのあたりも原因ではないかと思った。
January 27, 2008
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翌日1月20日、上海航空で、上海に向かう。距離は1000キロメートル以上、2時間のフライトは中国大陸の広さを感じたまず向かったのは、東方明珠塔。塔は高さ468mで、アジア第1位、世界第3位の高さを誇るようだこのあたりは新しく金融街になっているようで近くには森ビルプロジェクトの地上101階、高さ492m の新しいビルが建設中だ。ここにも中国の勢いを感じた。
January 27, 2008
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2008年1月19日北京へ飛んだ。仕事が落ち着いていたので長期休暇がとれたからだ。中国に行った理由はオフシーズンで極寒となる北京行きの航空券が格安だったのと、日本ではネガティブな報道をされがちな、中国の真実をしりたかったからだ。19日深夜。北京国際空港に着く。空港を降りた瞬間、異常な寒さを経験する。夜間はマイナス5度を下回るらしい。さむい。ロビーまでの道のり、税関などを空港職員が介助してくれる。何人かの職員がものすごい勢いで中国語で話しかけてくる。不安と緊張に襲われながらも、無事出口にいけた。するとロビーには深夜にも関わらず、多くの人が家族や友人の到着を待っていた。この人の多さにチャイナパワーを感じた。翌日に上海に向かう予定だったので、空港最寄のホテルに向かう。ここで、気づく「人民元がない。そしてクレジットカードが使えない」このままキセル乗車→公安に逮捕され強制送還なんてのは、さけなければならないので、とりあえず1000円を差し出す。運転手は「は?」という顔をする。そりゃそうだ。しかたないので「我没有元」と3歳児なみの中国語で説明すると1000円を受け取ってトランクをあけてくれた。このときのタクシーメーターは10元(150円)をさしていた。後で気づくが北京で1000円分タクシーに乗ろうと思うと、20キロくらい走らなければならない。運転手は嬉しかったに違いない。ともあれ、いきなり財布の紐のゆるい日本人をさらしてしまった。反省。ホテルのフロントではなんとか英語が通じた。一泊600元以上には驚き、これが日本人価格かなんて疑ったがフロントの電光掲示板にはその価格が書いてあった。一安心だ。部屋までベルボーイが案内してくれた。部屋まで入ると「謝謝」といって、ドアをしめた。「なんとか、無事にたどり着けた」そんな安堵もつかの間。チャイムがなる。これは絶対に夜のお供の女性とか、そのたぐいに違いない」と思いドア越しに Who are you? と聞くとさっきのベルボーイの声が。仕方なく、ドアをあけると彼が「日ほんのお金がみたい。なぜなら、僕は外国のお金を見るのがすきだから」という。かなり怪しい。これは、怪しい。しかし、このベルボーイが僕より年下かつ、屈強な体つきではなかったので、硬貨を見せた。すると、「いや、お札が見たいんだ」という。これまた、怪しい。。。これは見せた瞬間に財布を奪うパターンだと思い、拒否するが、何度もしつこいので、仕方なく1000円をこっそり取り出し、見せる。取るなら取れ、絶対に仕返しするから。そんな思いでみせると、本当に興味深そうにじっとみていた。取る気配はなく「本当にめずらしいのかな」なんて思っていると「このお金を人民元と交換してほしい」という。「お、そういうパターンか」と思い、ここまで来ると余裕も出てきて彼が携帯を使い交換率を示す。すると、実際のレートよりも10分の1のレートを見せてきた。僕が「いやいや、君、下のフロントでちゃんと見てみなさい」というと、「いや下にもそう書いてあった」なんていうから面白い。さすがにそんなに円の価値は落ちてないだろうなんて思いつつ。じゃ、「正しいレートで交換してあげるよ」というと「あ、僕もってないよ~」なんていう。こんな簡単な手段に引っかかるやつなんているのか?と思ったが、彼があまりに幼い顔つきだったので、許してやった。眠いのに、なんでこんなことに付き合っているんだろう。。。中国での初日は終わった。
January 27, 2008
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