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「愛と死を見つめて」をつい、見てしまった、、。そのせいで、この二日間、全く、動けなくなってしまった、、。僕は今まで、この話しを知ってはいたが、読むことも、見ることも一切無かった。でも、見てしまった。色々なことが頭を駆けめぐる、、、。この主人公の大島みち子さんと母の最期があまりに酷似していたから、、。大島さんは21歳で、母は30代の後半で発病、、。ドラマの広末涼子の手術直後の話し方が顔を半分失った母の話し方とそっくりだった。喉に穴を開け、呼吸と食事をしていた事。主治医の心の葛藤。家族の狼狽。ミコさんと母は左右が逆ではあったが、母は軟骨肉腫では無かったような気がする。しかし手術の内容はほぼ同じ、、。母はミコさんよりも長く十年の闘病生活を送った、、。「おかあさんコーラス」と呼ばれる合唱を指導して、歌っている皆さんの姿を見ていると、たまに母も生きていたら、、と考えるときがある。以前、このブログにも書いたが十数年前のこと、「母の教え給いし歌」をとある女声合唱団で取り上げた事がある。当時は詩の細かい内容にまで心をとめてはいなかった。しかし、当然自分の母のことを何処かで思いながらこの曲を選んだのは、はっきりと覚えている。そして、この事が一団員のお嬢さんの耳に「母の教え給いし歌」という歌が届くきっかけとなり、そのお嬢さんはやがて脚本家となり映画「メゾン・ド・ヒミコ」の中にこの歌が登場する。その映画の監督犬童一心さんが今度は「愛と死を見つめて」を監督している。母、大島みち子さん、母の教え給いし歌、メゾン・ド・ヒミコ、、色々な事が頭をぐるぐると駆けめぐっている、、。「メゾン・ド・ヒミコ」では主人公の若い女性沙織は早くに母を病で失う、、。それを父の所行と、ずっと父親を恨んでいる。僕も、妹も、この状況はとても似ている。「メゾン・ド・ヒミコ」では沙織はゲイの老人ホームで彼女の父も含め介護をしている。僕の妹も今、老人ホーム(ゲイ専用では無いが)で介護の仕事をしている、、。ドラマ「愛と死を見つめて」では母の場合の現実のような醜さはほとんど出てこない。臭いもない。でも、主治医が告知をして戻ってきてへたりこむシーンは救いだと思った。母の場合、主治医の先生は母の手をとって「ごめんなさい!僕にはこれ以上何も出来ないんです。」といって泣いた。と、母の口から聞いた。当時、僕ら家族をこれほど救ってくれた言葉はなかった。母もきっと救われたと思う。母は主治医に「もう良いよ。十分やってくれているから、、」という様な内容で先生を慰めた、と聞いている。何か、こっちの方がメロドラマみたいだ、、。その母が実は病床でこの「愛と死を見つめて」を読んでいた、という事を今日初めて妹から聞いて知った。妹と話しをしていて、妹の務める老人ホームでコンサートをしよう、という話しになった。「愛と死を見つめて」で見える、マコの弱さの部分が自分とどうしても重なってしまう。何かこの三日ほど、色んな事が頭を駆けめぐっている、、。同じ様な苦しみを負っている人は今もいるんだろうか?もし、いたらこのブログを見てくれないだろうか、、。でも、「愛と死を見つめて」のドラマを見ていると、、映画とテレビって監督の仕事の範囲が変わるのかな、、、なんて事も考えていた。「メゾン・ド・ヒミコ」や「ジョゼと虎と魚たち」の方が、監督の意図が反映されているのかなぁ、、などという事も何処かで考えていた、、。
March 20, 2006
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昨日の写真の場所。1.イタリアはクレモナのカテドラルです。Cremona Italiaこんなページがありました2.スイスです。ツークの教会です。Zug Swizerland 3.イタリアです。ブレントニコっていう村です。(有名じゃないですね)Brentonico Italia4.すんませんm(__)mヨーロッパでは無いです、、。 5.スイスです。ツークの教会です。Zug Swizerland この部分だけで、っていうのはちょっと出題に難有りでした、、すみません。 しかも、さっきのツークの教会の一部、、でした、、。 またまたすんませんm(__)m6.バルセロナのサクラダファミリアです。スペインです。Barcerona Spain4.の写真そのほか、、ここは大阪府の寝屋川市です。数年前から車窓に大きな教会が目に入ってきました。 えっ?夙川や芦屋のカトリック教会より大きい!こんな教会どうして知らなかったのか?と思ったら結婚式場でした、、。この会場のページこういう結婚式場が今は多いみたいですね、、。普通は皆さんどう感じるのでしょう?(僕はなんか複雑な気持ち、、。)東京・青山にもこんなのが出来るんですね。聞けば大阪にもいくつかあるとか、、東京だといっぱいあるんでしょうね。自転車に乗っていたら、芦屋にもこんな結婚式場がありました、、。答えて頂いたみなさん、、ありがとうございました。テーマもいきなり「暮らしを楽しむ」に変わっちゃいました、、。(通勤風景を楽しんでいる、、、?)すみません、こんなことに付き合っていただいて、、、
March 16, 2006
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いくつかの場所の写真です。教会関係ですが、どこの国、どの場所辺りか大体お判りになりますでしょうか?1.まず一枚目です。2.二枚目。3.三枚目。4.四枚目。5.五枚目。 6.六枚目、これは簡単、、。
March 15, 2006
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昨夜、遅くにmixiのなんばあエフさんの日記で知りました。そちらに書き込みを致しましたが、やはりこちらにも、、。以下、なんばあエフさんの日記より引用させていただきます。------------------------------------------------------------ 先ほど 13日22時57分 日本の合唱界を代表する指揮者 北村協一先生が 肺がんにて逝去されました。 享年74歳。 つい2週間前 関西学院グリークラブのリサイタルで 車椅子で 多田武彦の「雨」を振られたのが 最後のステージとなりました。 最後の曲はあまりにも.... 雨 八木重吉詩 雨のおとが きこえる 雨がふっていたのだ。 あのおとのように そっと世のために はたらいていよう。 雨があがるように しずかに死んでゆこう。------------------------------------------------------------だったそうです。北村先生の指揮では僅かの期間ですが歌ったこともあります。たまたま、先日の夜の千里での合唱の練習には、関学グリー出身の柴田君も病院勤務の夜勤明けにもかかわらず、本当に久しぶりに参加してくれていたので、、、今日もコーラスの練習が二つありましたが、そのどちらででも話題となりました。つい先日もニューヨークの日本人合唱団の団長さんと、その指揮者である畑中先生、そして北村先生のお話しをした所でした、、。昨年のヴリーゲン先生に続き、またしても合唱界に大きな貢献をされた方が亡くなられることは、人の定めとはいえ胸が痛みます。ご冥福をお祈り致します、、
March 14, 2006
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今日は大阪で「大阪コーラルソサエティ」の練習日でした。メサイアやクリスマス・オラトリオ、レクィエム(フォーレ、モーツァルト)、パレストリーナのMissa Papae Marceliを本邦初演した合唱団。と、団の歴史としては非常に由緒ある合唱団ではあります。ここ二年ほど新しい団員がどっと増えました。現在70名近くのメンバーがおられます。今年は80周年を迎えるとのことで、創設者の長井斉先生に因んだ曲中心のプログラムで、この秋に演奏会を準備中です。人数が多いという音楽的なメリットの方を生かした音楽づくりを考えています。経験豊富な方から、まだ経験の浅い方まで、高校生から人生のベテランの方まで、色んな方がいらっしゃいます。歌う側の方々はもちろんですが、指導する側の課題が実はもっと沢山あります。そんな中、英語の歌詞を賛美歌で一番だけ歌います。わずか一番の歌詞だけですので、出来るだけ英語らしく、、という目標を掲げ取り組んでいます。日本に賛美歌を広めた功労者で、英国生まれのアメリカ人宣教師、George Allchin先生が長井斉先生に賛美歌を伝えた記念すべき一曲です。この事が大阪コーラルソサエティの創設につながっていきます、、。ですから、現在の賛美歌集には無いのですが、是非とも取り上げ、しかも英語で歌っておきたい一曲なのです。その曲で、今こんな方法を試しています。音節を絶対に崩さないために、各音節尾の子音を次の音節の頭に付けて読む練習です。When all my labors and trials are o'er,という箇所ならUe no lmai lei bor za ndtrai a lzar orといった感じでやっています。敢えて無理してカタカナで書くなら、(ウェ)(ノー)(ルマイ)(レイ)(バー)(ザ)(ンドゥトゥライ)(アー)(ルザー)(オー)となります。<それにしても(ンドゥトゥライ)、これが一音節ねぇ~、、アルファベットの欧語をカタカナで書く何て事は、土台無理というもの、、。>上の括弧の中の音をとにかく[一音節(但し「音節」という言葉がこれほど一般的で無いのには少し驚きました、、)で読んで下さい!]と一緒に発音しながらやるわけです。[まず、英語という認識も捨てて、何チャラ(?)語、というつもりでお願いします。]とりあえず今の所は何とか予定通りにきこえています。nearを ni-yarとやるカタカナ読みに比べリズムは調子よく聞こえます。皆さん良く取り組んで下さっていました。(凄い!)音節が音声の最小単位という文字と原語の日常の中で暮らしていると、やはり音素の文化の世界へは見えない壁があります。団員さんはどうか分からないですが、最近僕はこの文化差を楽しめるようになってきました。以上、本番ではたった十秒程度の事なんですが、、、、他の曲のラテン語も大変ですが、英語に比べれば、まだ随分取り組みやすいです、、さて、本番は、、、(?) 写真は昨年秋の定期演奏会の打ち上げの様子。客演で歌って頂いた、ソプラノの緋田芳江さんの姿も見えます。
March 14, 2006
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前回、「さよなら」なんて書いちゃったけれども、今上の別れでもあるまいに、、大げさな、、と自分で思ってしまった。。歩いてでも通えるだろうが(+_+)☆\(-_-)(「まる♪」さんすいませんまた、、)ので、写真集第三弾ですが、タイトルを変えて、、ツグミです。セグロセキレイキセキレイ(少し水が汚い!)イタチです、(鳥や魚を狙ってる?)そして、最後!我が家の屋上からの夕暮れ風景です。右下のライトアップされている建物はFrank Lloyd Wright設計の国指定の重要文化財だそうです。(その奥に英国領事館~があるはず、、そのずーっと奥は有馬温泉!)
March 13, 2006
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写真を中心に、、。まずは、青鷺です。続いて、大鷺。続いて、コガモの夫婦。そして、ジョウビタキ、、まだまだ、ありますが、とりあえずはこの辺で、、。
March 12, 2006
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もうすぐ、お引っ越し。といっても何の準備らしい準備もできていない、、。引っ越しで心残りなものの一つ、駅に向かうとき橋から川を眺めたとき、、。「あ~、この景色を、空気を手放すのかぁ~、、」今になってとっても心残りだ。この川で色んなものを見た。鳥、花、季節の風、、、正に「花鳥風月」を味わうことができた、、。そんな中で鳥の姿は一際印象深い、、。大鷺、中鷺、小鷺、黒鷺、青鷺、、ゴイサギは見たかなぁ~?一通りの鷺の姿は見かけた。でも、引っ越しても、また此処に見に来れば良いか、、実家はまだこの町の南の方にある訳だし、、引っ越し先からだって、ここまでは電車に乗れば30分はかからない、、。さて、では、その鳥たちの写真を少しずつアップします。今日は小鷺です。春になると頭の後ろから長い羽がのびるのが印象的です。黄色の足を小刻みにふるわせ、水の中の獲物を探る様子が面白いです。この川で最も良く見かけた鷺でした。
March 12, 2006
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昨夜、メールソフトとブラウザが開かなくなった、、。僕はMacを使っているので、"Mail"と"Safari"が開かなくなってしまった。だから昨夜と今のこの文章は"Internet Explorer"で書いているわけです。でも、日記はこうやって何とか書けているのだが、、実はメーラには本番依頼の日程を貰ったメールがそのままになっていた、、。今日その依頼者に電話しても繋がらない、、!OSは"Jager"という何故か、猫科肉食獣の名前がついているOS10.2をいつも使っているが、"Panther"というこれまた猫科肉食獣の名前がついているOS10.3で起動したら、メーラもブラウザも一応は立ち上がった。あ~、でも、肝心のメール数点がもうプロバイダのサーバから消えている!プロバイダの受信簿にアクセスしてももう残っていない、、。リカバリーのディスクも見つからない!この間までここにあったのに、という場所には無い!やっぱり、すぐに書いたメモをとるべきだった、、。仕方ない、、明日はお電話を各方面に、、かけることとしましょう、、。
March 11, 2006
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先日の日記に昭和30年代をテーマにした映画の事を書きました。僕の子供の頃は正に昭和30年代、、。僕の家は長屋、、正確に言えば第二次大戦の空襲の跡地に建てられた仮設住宅をそのまま賃貸の長屋として流用していた物件だった。家の裏には、ビワの木があって、採って食べていた。その裏には老夫妻が住んでいて、子供の僕に良く庭の無花果を食べさせてくれた、だから、ビワを果物屋で見るようになった頃「ビワって買う物?」っていう風に不思議な感じがした、、。家の前の道は舗装など当然されていなかった、、。その道で僕と妹は近所の子とよく遊んだ。やかんで水を汲んできて、道の地面に線を書き、、「けんけんぱ」みたいな遊びもやったし、花いちもんめ、鬼ごっこ、かくれんぼ、色々やった、、。道ばたでママゴトもやったなぁ。特に思いで深いのは、勤務中のお巡りさんが屋台のラーメンをすすっていた風景や、「郵便屋さんお入んなさい」というゴム跳びの一種では、本物の郵便屋さんに声を本当にかけていた事、僕らが地面に絵を描いていると、大抵の自動車はそれをよけて通ってくれた事、やむを得ない場合は僕ら子供にでも運転している人が、「ごめんな。」って一声かけて通っていってくれた事、家の前から、公園へ出かけるときは親に一声かけ、少し遠出のちょっと豪華な遊び場へ出かける感じだった、そこでは学校の友達なんかとよく遊んだ。何か、遊んでばっかりの思い出ばかり、、。今の子供達はどこで遊んでるのかなぁ。道はみんな舗装されているし、道の端には「ここが人の歩く場所」って線が引いてあるし、実質、道は歩行者ではなく、車優先、という現状だし、この昭和30年代のこどもの頃、近所に「たまこちゃん」っていう女の子が住んでいた。実はこの「たまこちゃん」を僕と妹がいじめた(らしい、、)「らしい、、」というのは僕が音楽大学の3回生位の頃、とある新入生の女の子が中庭で僕に近づいてきた、、。「覚えてますか、、?」「、、?」「妹さんと二人で私の人形とって投げてたでしょ。」「えっ?」「いじめられてた、たまこです。」「あ、たまこちゃん!」今の子供の遊び場や子供同士のコミュニティも気にはなるが、「たまこちゃん」も元気かなぁ、、。写真は戦前のものですが、神戸の繁華街「三宮」です。昭和30年代よりは20年ほど昔のものですが、今と違った交通事情が見てとれます。
March 10, 2006
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mixiというソーシャル・ネットワーキングサイト、というのも平行してやっていますので、そちらのpanchoさんの2月13日の日記で紹介して頂いたので、こちらでは書かなかったのですが、先月11日に久しぶりに、ashirishさん、グレンMさん、harumiさん、toyoakiさんと一緒にIrish Songを歌わせて貰いました。コーラスにpanchoさんまで参加して頂けました。場所は苦楽園のWexford Tavernというパブです。このパブはアイルランドの方の経営、スタッフもアイルランドの人が多いので、結構本場のパブという趣があります。お客さんも日本語のネットワークではなく、英語のネットワークで来るお客さんが多いようです。 この日も英国領事館関係のサッカーチームの方が数名来られていました。(実は日本語のネットワークであまり知られていなくても、英語のネットワークで結構なMusicianがLiveをやっていることもたまに見かけます。) さて、話しを戻すと、ほぼ半年以上ぶりにIrish Songを歌ったわけですが、Irish Songを歌うとき、クラシック(バロック、ルネサンスも含む)の時のような支えを使いません。約13年前初めてこの手の歌に取り組みはじめたときは、支えを用いたまま歌っていました。メソードによれば「支えなんか要らん!」というクラシックの声楽の先生もいらっしゃいますが、その先生の声もこのIrish Songの「"Folk"の声」と比べれば明らかに支えは存在しています。 最初の頃はこの「支え」を抜いて人前で歌う、という行為が頭で分かっても、体がいうことをききませんでした。でも、自らフィドルを弾き、何人かのIrish、English、の人たちに歌を教わり、発音を教わり、一緒に歌い、、という事を繰り返している内に(おっと忘れちゃいかん、、アイルランド現地での取材、セッションも含む)、Irish Songを歌う場合は頭骨の響きだけにポイントを置く、、という結論に達しました。(と、いっても今の歌い方が到達点だとうぬぼれてはいないつもりですが、、。)その、ポイントをつかんだ最初のきっかけはアイルランドに一ヶ月旅行して返ってきたとき、何人かの友達に「何鼻にかけた声でしゃべってんの?」と言われた時期辺りでした。 アイルランドにいると、当然の事ながら日本語を使う機会は激減します。ハチャメチャであろうが何であろうが英語で話さないと誰も分かってくれません。そんな中で半分意識し、半分無意識で、現地の人の声やイントネーションを聞きまねしていました。そんな中では当たり前の声の中にたった一ヶ月しかいなかったのに、日本では「何鼻にかけた声でしゃべってんの?」、と言われ中には笑い出す人までいました。それで、今度は逆に回りの日本人の声を聞き、今自分の体の中に残っている声との差を出来るだけ意識していきました。すると、今度は国内で出会うブリテッシュ系の人の歌声や普段のしゃべり声からも得る物が随分見えるようになりました。 ただ、今は風化している部分も感じてはいます。でも、時間を経ても風化せずに残せている部分もあるなぁ、、、。そう感じさせてくれたのが、最初に書いた2月11日のWexford Tavernでのセッションでした。でも、僕はIrsh Songに関しては専門家、という風には全く考えておりません。ちょっと、道を外れたあくまでもクラシック(正確にはバロック主体ですが、、)の声楽家、と自分を認識しています。また、こちらの声楽家としての声についてもまた、近いうちに書くつもりです。 最後にちょっとだけ、おそらく社交辞令だと思いますし、こんな場で書くと「勘違い!w(゚o゚)w 」と思われる事と思いますが、、それを承知で書かせて下さい!m(__)m 、英国領事館の人が「そのアイルランドアクセントは何処で覚えましたか?」と訊ねられました、、。「いや~、まいったなぁ~、、。」(+_+)☆\(-_-) 「アホッ!それが、勘違いやっちゅうねん」「、、、。」(Thanks for 最後の顔文字、、、mixi「まる♪」さん )
March 9, 2006
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今日も朝からまた色んな出来事があった、、。その中で、帰りに頭の中をずっと駆けめぐっていた言葉、、「第三の目」仏像なんかの額にあるやつ、、たまにそういう「第三の目」で見つめられている、、と感じるときがある、、。今日、その目で久しぶりに見られている、、と感じる人に出会った。某電機メーカのお偉いさんである。最初は凄い胆力、、と感じた。しかし威圧感が全くない、、。そして、二言三言お話ししてから、、その「第三の目」を感じた、、。久しぶりと言うからには以前もあったわけで、、これも日本の古楽界ではトップと言って良いVn奏者だった。他の有名な演奏家には感じない「第三の目」をこの人からも感じた、、。今日は種類はまた違うのだが、その時以来だ。この「第三の目」に出会うと、あるがままに自分は振る舞うしか無いな、、と感じさせてくれる。そして、同時に「自分の役割」というものについて真摯に考えさせてくれる非常に貴重な瞬間を与えてくれる。(いつも自分で考えればいいのだが、、)ん~、合掌(合唱?)、、。とても、抽象的な、でも自分にとってはとても具体的な、今日の出来事のお話しでした。
March 7, 2006
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昨年から日本映画を時折見る。その中で気になったのは音楽と演技・演出の関係、、。来るぞ、来るぞ、、というタイミングで「あ~やっぱり来た、、。」っていう音楽の入れ方だと、見ていても映画に入り込めなくなってしまう。本当、創っている側の方々は色々苦労や工夫もおありだと思い、大変生意気で失礼だとは分かりつつも、「あ~、、やだ、、。」って白けるときがある、、。実は僕にとっては「ALWAYS3丁目の夕日」がそうだった。ごめんなさい、、。m(__)m (いや、僕が元々白けた人間なのかも知れない、、。)逆にこの凄さは映画にしかできない。っていう演技・演出・音楽の融合に出会うと、いつの間にか自然に映画に引き込まれている。でも、音楽の力で引っ張られて泣かせられる映画を見ていると、逆に音楽の力というものを感じさせてくれる。「ALWAYS3丁目の夕日」の音楽はそうなのかもしれない、、。とても情感、情緒に訴える音楽、、。何故かウォーパイプ(Warpipes)の事を思い出した、、。いわゆるスコットランドのバグパイプと一般的にバグパイプの事、、。音楽は使い方によって、様々な事が出来る場合がある。昔の外国の白黒映画で例のタータンチェックと高い帽子を被った兵士達が、太鼓とバグパイプの音に合わせて、行進し、前列からバタバタと倒れていく、、(何の映画だったっけ、、?)実際にウォーパイプの音量は凄まじい!敵を威圧し味方の死の恐怖など何処かに吹き飛ばし、弾に向かって進軍させる力を持つ、というのも頷ける。天野祐吉氏の「私説広告五千年史」「広告論講義」 などを読めば、、、。パチンコ屋の軍艦マーチ、ヒトラー時代のワーグナー、といった一般的に分かりやすいもの以外にも、偉大な芸術と言われているバッハの作品を初めとした宗教音楽も立派なCMソングであり、人の心を誘引し何かの目的に導くために使われていることは多い、、。とある。バレンボイムがワーグナーをイスラエルで演奏する、、音楽と政治やこれまでの因縁を引き離そうとする作業なのか、、。音楽も使う人次第、ということかも、、なんて、ことにまで、映画を見ていて考えてしまった、、。ま、最終的には「映画と音楽」の関係は、見る人の好みの問題、という事だと思うのですが、、。なんだか、大層だったかも、、、
March 6, 2006
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大正8年(1919年)まで茨木市千提寺地区に隠れキリシタンが居たという。その場所に行きたくて、丁度一年前にその辺りを歩いてきた。丁度、「声を巡るワークショップ」を終え、いくつかの郷土史や歴史小説を何故か無性に貪り読んだ時期があった。神戸が僕の地元なので明治期の居留地のこと、、江戸から明治への移行期、、などなど、読んでいると、元の九鬼水軍の一族が明治期の新生神戸の大きな力となった事に辿り着き、九鬼水軍が徳川幕府によって丘にあげられたのが北摂の地であることを知る。そして、北摂の辺りのことをいろいろ調べていると、この隠れキリシタンに出会った。長崎だけではなく、こんなに近い地元にそんな場所があったことを、不覚にも長い間知らなかった、、。そして、今では日本の代表的な楽器の一つと考えられている三味線と、パイプオルガンが実はおおよそ同時期に堺の港か何処か、日本に上陸したのだ。三味線もパイプオルガンも同じように異国の楽器だった。この北摂ではむしろ三味線よりもパイプオルガンの方が演奏される機会が多かったのかも知れない。そんな仮説に基づく小説の場面もいくつかあった、、。あながち真っ向から否定出来ないのかも知れない、、。織田信長の時代である、、「チェンバロやオルガンも絶対にこの茨木や高槻辺りで造られて居たはずです。調べれば何かあるはずです。」以前、ヴリーゲン先生がそう熱く語られているのも思い出した、、。三味線とオルガンが舶来楽器だった頃の日本の音楽、そして、日本人の声ってどんなだったのだろう、、?
March 5, 2006
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今日の朝はお母さんコーラス「学文女声合唱団」の練習の日。70代、80代の人も歌い続けてくれている。今は「童神(わらびがみ)」と「きまぐれなエッセイ4」から「北斗(ホルストの惑星の木星)」を練習している。今日もいつも通り、ピアノは僕が弾いて補助的に使い、基本的には声だけで練習した。実は、前々回は三味線の児玉宝謹さんとピアノの中村文美さんに参加して頂いて練習をした。児玉宝謹さんは沖縄の曲にもいつも津軽を使われる、、。大きな会場でPA無しというのを考慮した場合、太棹の津軽の方がバランスが良いらしい。音色も全く問題は無い、、。ピアノの中村さんもとても楽しく仕事の出来る人だ。前回、一回の練習だけで本番をお願いしたことがあったが、演奏も締めるとこはしっかりと締めてくれるし、また人柄が素晴らしい。児玉さんとの顔合わせは2回目だが、なんかこの顔ぶれは大好きだ。さて、今日はメゾン・ド・ヒミコのDVDが届いた、、。見てたらまた、こんな時間になってしまった、、。映画館でも見たが、再び見ても本当に良い映画だった、、。さてこの映画には「母の教え給いし歌」が出てくる。そのきっかけは、、、実はこのお母さん達がこの歌を何年か前に歌ったから、、、何か、自分のかかわった仕事が、ホンの僅かなことで少しだけれども、こういった形で繋がっているのは嬉しい、、。何よりも、歌った皆さんの歌を聴いた中の一人の感動が、、こうやって次の作品の一部分となっていること、、決して上手くはないけれど、存在が認められたようで嬉しい、、あのぅ、、、犬童監督、、。脚本の渡辺あやさんのお母さんの通っていたのは「音楽教室」では無いんですよ。「合唱団なのにっ!、、、」と当のお母さんご本人が言っておられました。「母の教え給いし歌」やっぱりこの歌も良い歌だなぁ、、。
March 3, 2006
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今日も夜は大阪でヴォイストレーニングの日でした。少しずつ皆さんこの練習に慣れてこられたようで、「この響き」というイメージがかなり具体的につかめて来た様子。今日は体の中のイメージを重点的にやって、それから声をしただけでユニゾンがかなり綺麗に揃った。体の背面の力のエネルギーの流れ、と全面の力の流れ、そして体から離れた高い「点」を感じブレスをそこから吸う、、いつもやっている方法だけれども、今日の顔ぶれではこのイメージが最初よりもかなり揃ってきた、、。下顎のゆるみ具合で、同じ音程でも倍音が変わることなど、皆さん良く理解して下さったと思う。おかあさんコーラスの人、女声アンサンブルの人、混声合唱団の人、教会の聖歌隊の人、、皆違う場所で歌っているけれども、皆さんちゃんと倍音を聴き取って一つの音を作っている。今日昼間に個人レッスンを待つ間横になって休憩しながら、音程のイントネーションについて考えていたら、浄瑠璃のまねごとをやってみていた。あ、やっぱり半音より狭い音程って意識してはっきり作れるよなぁ、誰でもこの程度の差は歌えるだろうになぁ~。なんで、いつもは外すんだろう?なんて考えていた。そして晩の皆さんの声を聴かせて貰って、、倍音って、みんな誰でも聴けるはずだよな、、倍音・微分音、、どうすれば分かるかではなくて、何によって分からなくなっているか、、その原因を発見し感じることも大事だなと思った。
March 3, 2006
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嬉しい、、という言葉はこの場合非常に不謹慎に響いてしまう。が、僕の母も顔が半分溶けて無くなって死んだので、不思議と僕も親近感が湧いた。その方は一瞬での様子を目撃し、僕は十年間ずっと無くなっていくのを見続けた。一瞬と十年、時間の違いはあるけれども、その方もそうだし、その友人の家族、、僕や僕の家族、、やはり、目には見えないけれども、何かの形で現実今も体の中なのか、心の中なのか残っている。決して小さくはない。でも、どちらも当人や関係者にとっては日常の一コマ。そんな風に話しが続いた、、。でもそれが何かを見つめながら、その事実と向き合って、付き合っていく、それしか無いんですね。という事でその話は一段落した。その後も、話題は変わり歓談は続いた、、世の中、思わぬ所で横の繋がりというのはあるものだ、、そう思った瞬間でした、、。そして、もう一つ思ったこと、、。今の話しは一般的にはとても悲劇に見える話しという事になるのだろうし、きっと自分もその事に対してそう感じてきて居たはずだ。が、喜怒哀楽、それらの瞬間の大きさ・小ささは関係なく、生きている間の出来事は、どんな瞬間も大事なかけがえのない時間なのだなぁ、、そう気付かされた一時でした。良い言葉では言い表せないけれど、、何気ない、ふとした出来事と、その後に残る大きな出来事と、、実は、、別に、そう対して変わらないよ、、、(決して刹那的ではなく!)兎に角、時は前に進んでいるのだよ、、。そういう部分があることも、微かに気付かせてくれた一時でした、、。
March 2, 2006
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只今、先日引っ越しの準備で、様々な人と合い、準備、下見、打ち合わせで忙殺される毎日。音楽室と事務所と住居の三つを何とか上手く移動させ無ければ、ということで、防音工事、楽器や機器の吊り上げの算段、、等々、(まあ、音楽やっていくなら、あたりまえですが、、。)そんな作業の一つに加わって頂いている方との雑談の中で、お茶を飲みながらの歓談ではあったのだが、その方の友人の出会った交通事故の話しになった。その話しの時の印象がずっと離れない、、。しかし、その方の人柄なのか、、別に深刻な口調ではなく、歓談として話しは続いた、、ふとした弾みで、友人とその方が並んで歩いていると、その方の友人が車にはねられた。相手は無免許、飲酒、信号無視だったそうだ。その友人のもとへ駆け寄ったその方は、その友人の姿を見て3日間、意識を失っていたという、、。友人の顔が無くなっていた、という。
March 2, 2006
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今日の時事通信社のニュースにこんなのがあった。全く酒を飲まない人と、1日3合以上飲む人人の自殺リスクは、月に1~3日程度飲む人の2.3倍になるという!http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=8420&media_id=4帰りに一杯の"Uisce beatha!"(Whisky)やっぱり"Water of life!"(命の水)って本当だったんだ!でも、一日に3万人、、、て、、、(;_;)
March 1, 2006
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