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とある一つのオルガンで熱心に音楽を勉強し練習をどれだけ重ね、良い音楽が演奏できても、オルガニストはそう簡単に本番の依頼は受けられない、ということだ。依頼を受けた時点で、このホールのオルガンはどういうパイプやストップがあって、コンピュータでのメモリー等、どういう機能があるのか、などなどオルガンの特質を経験で知っていなければ、仕込みにどれだけの時間が必要か割り出せない。この作業は指揮者には出来ない。本だけではわからない。ご当地のオルガンを良く知っているオルガニストにしかわからない。ヨーロッパで勉強し素晴らしい音楽の演奏が出来る優秀なオルガニストでも、ご当地オルガンを把握する機会の無いオルガニストは開店休業、、、もうオルガニストでは無い、ということにもなる。つまり「孤高のオルガニスト」は言葉の矛盾、ということ、、、、。仕込みにどれだけの時間が必要か?オルガニストの能力にも左右されるが、仕込みの時間は時に主催者にとって大きな負担がかかってくる事にもなりかねない。そしてそういう準備のしくみは、オルガニスト以外はほとんど誰も知らない。そして、誰も教えてくれない。そういう意味で今回は本当にラッキーだった。もう、この件に関しては一度経験したので、もし次回こういう機会があれば前もって必ず考慮に入れる事になるだろう。(の筈だが、、、)今回、久保田真矢さんがいなければ、事件や事故が起きても全くおかしく無い状況だった。が、少しだけ弁明させてもらえれば、ポジティブオルガンではあるが今まで亀谷喜久子さん、上野静江さん、能登伊津子さん、といったベテランのオルガニストと共に演奏する機会が持て、それらのコンサートを主催、運営できた事も、オルガンの実際を教えてもらう機会となり、それらがある程度下地にあったのは間違いない。でも、でも、、今回のフルオルガンから比べればポジティブオルガンを準備する段取りとフルオルガンを準備する段取り「別物」の部分が余りに多かった。ただ、一緒に演奏した、とか演奏会を手伝った、程度では準備の行程で見えてこない事も多い、、。だから、今後も要注意の「フルオルガン」である。さすが「フルオルガン」使えば使っただけの効果は必ず出る。しかし、未知、未経験、であればその分リスクは高く、大きくなる、、。必ずベテランオルガニストに演奏会の準備段階から相談する事。これ、フルオルガンを使う時の鉄則!久保田さんに感謝!そしてその出会いをもたらしてくれた、今回はソプラノソロを引き受けてくれた緋田芳江さん初め仲間に大いに感謝!やはり、人こそ宝。そして、日々、勉強。
November 28, 2006
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先日、大阪コーラルソサエティ創立80周年記念演奏会が無事(?)終わった。今、思う事は音楽の事もあるが、それよりも、、「合唱団の運営」ということ。「合唱団の指向、資質との対応」ということ。「演奏会の段取り」ということ。が頭の中を駆け巡っている、、。中でも「演奏会の段取り」そして更にその中でも、今回「フルオルガン」を使った、、ということ。今回のフルオルガン、本当に久保田真矢さんと演奏できて良かったと思う。「フルオルガンは色々沢山のストップがあってそのセッティングが大変だ、、」その程度の認識しか無かった訳だが、今回初めて「演奏会で使う。」と決めてから、それ以降の段階で初めて知る事があまりにも多かった。「このホールにはどんなオルガンがあってどう操作すればどうなるか。」を知らないオルガニストに演奏の依頼をするとリスクが高くなる。という事が本当に良くわかった。オルガンは楽器によって違いが大きい。「長時間かけて練習で引き込まない。」というのも必要な事であるらしい。一つの楽器に慣れてしまうと鍵盤の高さや出てくる音の場所や内容がまるでそれぞれ違っているので、違いに対応出来る様に「慣れない」ことも必要なのだという、、。アメリカは統一の規格があるらしいが、そのおかげでアメリカ人のオルガニストは一般的には海外に出て演奏できない、という事があるらしい。それほどオルガンという楽器はまちまちだ、ということ。
November 28, 2006
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さて、「猿楽」「田楽」「雅楽」「漫才楽」など、古来から「楽」の字は良く使われていました。 『「楽」の文字は本来「楽しむ」という意味よりも、「木」の台の上に乗った「白」い皮の太鼓を両側からバチで叩いている様子を模したもの』 と先日の日記で書きました。 『そして"music"や"musik"の語源は、ギリシャ語の「ムジケー」 が語源です。日本語に訳せば「韻文」。 』 とも書きました。 この二つは実は同じ事ではないか? そうも考えているのです。 どちらもリズムに関係しています。 リズムを揃える、整える、 リズムは、人の気持ち「人心」を束ねる事が出来る、、、。 美しくも、 悲しくも、 激しくも、 恐ろしくも、 喜ばしくも、 輝かしくも、 そして「楽しく」も、 様々な心や感情にリズムを合わせる事が出来ます。 一つの感情や心の状態に支配されるものではない、、。 これが、音楽ではないか、と考えています。 宗教的でもありシャマニズム的でもある、、、。 だから、歴史の中では音楽が「怒り」の心を束ねたこともあったのは事実。 更に、、、 『軍楽隊の奏でる音楽は「楽しいから音楽」の音楽か?』 バグパイプを鳴らしながら敵の弾めがけて行進した時果たして人は楽しかったのか? 楽しく無ければ音楽じゃないのなら、スコットランドの軍楽はじめ軍楽は音楽から外して!とも言いたくなる。琵琶で訊く平家物語も楽しいばかりの歌か?てなことも、、、 でも「楽」という漢字の本来の意味に従えば、 これらも紛れも無く「音楽」。 パチンコマニアが大好きな店の喧噪の音の中、 出玉のジャラジャラという音、 フィーバーした時の電子音、 パチンコ好きには本当に実に楽しい音です。 ではこれは音楽か? (きっとこれは意見は別れるところかな、、とも思いますが、、、。) (で、、わたしは、パチンコは嫌いですが、、) とにかく、 「楽」 の漢字が持っている意味が今の「楽しい」 という言葉の持つ意味へ、、、と、 長い時間の中で変わって来た、、、 ということも重要な事、、、 何時、何処で変わったんだろう、、、? 音楽は「音楽」という名前になるよりも遥か昔に生まれ、「音楽」という名前が無いまま長い時のなかで育まれてきたことは事実。
November 24, 2006
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先日の日記、ちょっと反響があった、、。半分は推測に基づいた内容だったので、ちょっと焦っている、、、、。で、明日の本番の前の息抜き、と自らにいいきかせ、民謡の師匠と謡の人にも一応訊いてみて裏を取っておきました。やはり「音楽」という語。むかしの日本では明治期になるまで現れていないそうです。それまでは「音曲」と呼ばれていました。「楽器」という言葉も存在しなかったそうです。「楽器」の事はむかしの日本では「囃子」と呼ばれていたそうです。だから、日本語としては「音楽」「楽器」は明治期以降の言葉、ということになる、ということはほぼ間違いない。と「うろ覚え」改め「裏」をとっときました。だから、、「元々、明治の頃から、音楽は音を楽しむと書く様になったから音楽となったんだ。」これは全くもってこのとおり。ただ、現時点では「音楽」が"Music"を明治の日本人が訳し、その後大陸へ伝わった「和製漢語」なのか、、?本来大陸にあった言葉なのかどうか、、、?という裏付けに辿り着くまでにはまだ至ってはいません。(かたじけのうござる、、、、。)(詫びるであるならば、今日日の大和言葉でよかろうものを、、、、)また順次、明らかになったことから書いて行きます。だから「元々音楽とは、音を楽しむと書くから音楽なんだ。・・ 日本では。」(中国もそうかも、、、、?) と、お隣の国を忘れないでいて下さい、、。
November 24, 2006
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「音を楽しむと書くから音楽なんだ。」「楽しくなけりゃ音楽じゃない。」そんな言い方を良く耳にします。音を楽しむから『音楽』一体誰がいつからそんな事言い出したんだ?!誰かは正確には良く知りませんが、いつかは大体わかります。明治以降です。言い出したのは日本人です。"music"や"musik"の訳語として明治期に作り出されたのは間違いないと思います。時期が多少ずれていても『"music"や"musik"の訳語として』は大丈夫でしょう。だから・・・・・・・「元々、音楽は音を楽しむと書くから音楽なんだ。」ではなく・・・・・・・「元々、明治の頃から、音楽は音を楽しむと書く様になったから音楽となったんだ。」が、本来の正しい日本語です。(エヘ・・、、、、)あるいは、、。「元々音楽とは、音を楽しむと書くから音楽なんだ。・・ 日本では。」というのが音楽に対して誠実な言い方です。(アハ・・、、、、)"music"や"musik"の語源は、ギリシャ語の「ムジケー」(ギリシャ文字無いんで、、すいません。)が語源です。日本語に訳せば「韻文」。「散文」、つまり日常会話に使われる文ではなく、言葉のリズムに留意し書かれたり、詠まれたりする文の事を「ムジケー」と言うわけで、そこから"music"や"musik"という概念が生まれた訳です。だから、「言葉を大事にしなきゃ音楽じゃないだろ。」とか「美しいリズムで詠まなきゃ音楽じゃないだろ。」がむしろ西洋音楽の原点に従った発想ということになります。だって、ホントなんだもん!mixiで、ゲオルギアーデス著の「音楽と言語」という本のおすすめレビューを書いてふと思い出した事でした、、、。だから、あの加藤あいさんのCMの、『IDK~ェ、2LDK~ェ、3DK~ェ、4・5が抜けてー、6LDK~ェ。』もミュージックです。(ということか、、?)(どうだろう、、?)(自分で書いてて、訊いてどうする、、?)追記)「音楽」の語源についてこんなページもありました。「音楽」(ラテン語入門)癒しとしての音楽の歴史 また、「楽」の文字は本来「楽しむ」という意味よりも神楽だったか雅楽だったか、とにかく「木」の台の上に乗った「白」い皮の太鼓を両側からバチで叩いている様子を模したもので、シャーマニズム的または宗教的な意味合いがあった、、という文を以前何処かで読んだ様に思うのですが、、。また見つかったら付記しようと思います。でも、こんなのもありました、、。「デイリーコンサイス日中辞典 (三省堂) 【楽】 の検索結果」デイリーコンサイス中日辞典 (三省堂) 【中国の漢字「楽」】 の検索結果まあ、これでは「音楽」が、中国からのものか?和製漢語で逆輸出されたものかはわかりませんが、、、
November 22, 2006
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そのトルコ料理店「サクルエブ」で、店長のシェネルさん、ミュージシャンを見ると、、いつもの様に、「何か弾いてよ。」「何か歌ってよ。」一つのライブ分くらいやった。hatao君、やっぱリードするとうまいわ!kumiさんのハープやっぱ、歌にはいいわ!奥で食事をしていた謎のトルコ美女がいた。彼女と握手をし挨拶を交わすと、、「またフュージョンしましょう。何の曲でも踊れるから。」ベリーダンサーだった、、、成る程、凄い美人なわけだ、、フュージョンしたいけど、こんな美女に目の前で踊られたら、、果たして、、マトモでいられるだろうか、、?さすが、プロフェッショナル!という雰囲気。で、別テーブルには大和撫子が二人。初めまして、、。HARUNAさんとそのお友達。写真繋がりらしい。トルコへ近日旅行するとのこと、、。楽しく僕らのセッションを聴いてくれていた。ありがとうございました。ホントにすてきな空気を持ったお二人でした。良いご旅行を!(良いな~、最近海外行ってないよ、、。)子供さん二人、お父さんとお母さんのご家族も、食事しながら聴いてもらう事になった。楽しんでくれてたら、嬉しいけど、、。で、その後hatao君がカプリシカでライブがあるので西宮北口へ、、。kumiさんはお家へ、、。僕はお客さん、、。カプリシカではグレンMさんが既に準備をしていた。その後若いフィドラーが三人、若いっていいな~、、彼等と共にGuitarのStephanも登場。彼とは初対面だったが、アイリッシュソングのコーチをお願いした。快諾してもらえた。が、、、実はアイリッシュ式の社交辞令じゃ無いでしょうね、、、、?今まで、アイリッシュ、ウェリッシュ、イングリッシュ、と英語の先生となる友人や知人は途切れずにいたのだが、国へ帰ったり、アメリカに行ったり、東京に行ったり、、で、ここ3年程は誰も居なかったので、実は心細かったのだ、、。頼むよStephan君。カプリシカでのライブが終わると、グレンMさんとも久しぶりにお話が出来た。なんだか、色々な事があった一日でした、、。で、今日のできごとは、、、(あれ、もう昨日?)明日書きます、、、、。(あれ、もう今日?)また、昨日のできごと、、、になってしまう、、。(あれ、もう一昨日?)(いや、、これは昨日でいいの!)(?)シルクロードの向こうの方に、トルコっていう国があって、そこはむかしむかし、西洋の音楽の故郷でもありました、、、
November 20, 2006
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昨日はお昼からクリスマスコンサートの打ち合わせ。12月13日にある、千里阪急ホテルのチャペルでのルネサンスの合唱のコンサート。そこに、アイリッシュのバンドに参加してもらう。アイリッシュハープ、アイリッシュフルート、コンサーティナ、イーリアンパイプ。kumiさん。harumiさん。hataoさん。ぱぱぱぱぱいぱーさん 。の四人。アイリッシュやイングリッシュのキャロル。中世のキャロル二曲。に参加してもらう事になっている。ま、歴史的にはあり得ない事だが、"Gaudete"にアイリッシュのTuneを繋いだり、"Veni,Veni,Emannuel"にドローンで入ってもらったり、、。"Wexford carol"の段取りを決めて行くと、、、、、やっぱりあの名盤”Bells of Dublin”、、、、になってしまった、、、。でも、決して雰囲気は中世とは大きく隔たっていない。現代のクラシックの一般的な楽器と奏法で演奏するよりも断然良い!ぱぱぱぱぱいぱーさんは最近二段鍵盤のチェンバロを買ったとの事。4フィートに8フィートが二つ、で16フィートまで付いている楽器。笛の製作家だけあって楽器への興味は凄いものがある。リュートも持っているらしい、、、。彼は次の予定があるので早く帰ったが、練習後、、、歓談、、。茶団子、栗のチョコ、ケルンのパン、それにお茶、、、ワインのポテトチップ、、まで行ったところで、赤ワインのボトルを開けた。で、そのワインのボトルを空けた。harumiさんは僕の母校に今勤務している。彼女は今日、コンサーティーナの「なんたら、、」(スミマセン)という名器を持参していた。僕のスピネットが二台買えるくらいの値段、、、。東京育ちで、東京暮らしの長いhaumiさん。まだ東京訛(あえて「訛」と言わしてくれ!)だが、今ではボケと突っ込みをしっかり修得した関西人である。彼女はあっしーくんがお家で待っているのでそこで帰った。その後、残りの三人で芦屋川のサクルエブへ行った。何だかその日は若い女性で一杯だった。トルコ人の店長のシェネルさんも久しぶりだったが、元気。そこへ、民族音楽学者でもあるミュージシャンのアポさんが現れた。かねてからずっと彼にお願いしたかった事。ドイツ語と英語の歌のチェックをやっとお願いできた。アポさんとやっとアポがとれた、、(あ~、書いてしまった、、、オヤジ、)。
November 20, 2006
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今さら、という感じの話だが、、「西洋のクラシック音楽はユニヴァーサルか?」即座に "Yes" と答える人は案外多いのではないか、、そう思えてきた、、。恐らく若い世代の人でそう思っている人はそんなにいないそう思う。若い人でも石頭のクラシックの信奉者にはいるかもしれない、、。特にこの関西と言う場所では結構未だに主流であったりする。いろんな音楽の中のクラシックの中のこの時代のこんなのが好きなのだ、、肌に合うのだ、しっくり来るのだ、、、それだけで僕は良いと思う。基礎、基本、正しいそんなものを全て内包している音楽なぞ無い、、と思う。あなたの歌っているのはパレストリーナじゃないですよ、、という事も必要だし。パレストリーナじゃないけど、まあ良いか、、。というのも必要だとも思う。相手によりけりだけれど、、。今の日本のクラシック音楽も、オーセンティックにやる事を楽しむ。クレオールである事の気軽さを楽しむ。という見方がもう少し確立できて、その間がいろいろあればとても楽しい状況ではないか、、そう思う。全ての文化の誕生はクレオールから始まっている、、と断言してもいいのかな、、、?
November 17, 2006
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昨日はアルトのパート練習があった。賛美歌、モテト、ミサ、レクィエム、、と通して練習した。先週はソプラノのパート練習があった。どちらのパート練習でもやったこと、、。特にレクィエムの歌詞を読んで意味を理解するのはもちろん、その歌詞の意味で何を表現するか、、を練習した。普段使い慣れていない言葉だと、ただの訳の分からない「呪文」になることが多い。そういう箇所は意味を理解し歌おうとする人からすれば一目瞭然!いくら"eleison"ってすまして歌っていても、、"horohehaho"と何ら変わらない、、。"eleison"の意味が分からずに"eleison"と正確に歌うよりも、"eleison"の意味を知り心を込めて"horohehaho"と歌えば、断然音楽は後者の方が良いに決まっている。だから多少の(でなくても、、)訛りはもう良い!この歌詞にフォーレが一体どんな音楽をつけたのか、、その事を理解し、咀嚼し、解釈をし、イメージを膨らませる。この曲を音楽をフォーレのレクィエムを愛して歌ってほしい、、。最後は心で歌いたい。"Libera me,Domine"心から自分の心を自由に解放し歌ってほしい、、。それが出来れば上出来だ!こんな記事が目にとまった。『硫黄島からの手紙』クリント・イーストウッド監督 の来日記者会見 『当初、日本版の監督には日本人の起用を予定していたものの、最終的にイーストウッド自身が引き継いだ。言葉や文化の違いに戸惑いはなかったのだろうか? 「良い演技は言葉ではなく、ハートが入っているかいないかだよ。よくキャストに“脳を使わず、ハートを入れろ!”って言うんだ。僕は本脳で演出するし、ワンテイクで撮り終えるくらいの緊張感で撮影するんだ」とイーストウッド。』 「マカロニウエスタン」は大好きで、やっぱ、中でもクリント・イーストウッドは良い!あとリー・ヴァン・クリーフも良いし、エンニオ・モリコーネの音楽も良い、、、、って、話がそれてしまった、、、、でも、この記事「本脳」??「本能」では無いのだろうか?訳した人に何か意図があったのか、、?
November 17, 2006
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あ、。と、何故か、、今さっき思い出した。カワセミを見たんだった、、。確か先月、10月15日、、。夙川公民館での本番、出番直前、、。夙川の流れを見ようと、川の方へ近付いた、、。足下のもっと下を流れる川に目をやると、小石の上に一羽の鳥。瞬間「あ」、、「カワセミ、、」携帯のカメラを取り出したが間に合わない、、。飛んで行った方向に歩いて探すが、見つからない、、。でも、あのくちばし、あの色、あの姿形、あの飛び方、あの石にとまってじっとしていた様子、カワセミを見た。以前芦屋川でも何度かカワセミを見た。カメラを持って散歩していても、撮れない。カワセミ。青い鳥。本当に今までで数回しか見ていない、、。でも、夙川も芦屋川もカワセミが居る。清流の証拠、とも言われる、、。カワセミを見る、、、、。何故だか他の鳥を見た時よりも嬉しい。ほんのつかの間の幸せ。
November 14, 2006
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今日は朝から枚方で市民合唱祭。いずみコーラスというおかあさんコーラス。朝のリハーサルが終わると、本番までの間の空き時間がとても長い!伴奏の金子浩三さんと京阪電車で大阪へ戻る。僕は心斎橋のヤマハへ。金子さんは梅田界隈で、、。この時間を利用してそれぞれの用事を済ませる、、。それでも時間がまだ余っていたので、枚方のスタバでフォーレの1893年版のスコアに1900年版からの書き込みを始めた、、。本番までに作業完了出来た!とても気になっていた作業だったので、空き時間ばんざい!である。で、もう一度リハをやって、本番。ビゼーの"Agnus Dei"の編曲もの、そして、「芭蕉布」の二曲。伸びやかな声になってきた。メゾの音程も不安はほとんど無い。みなさん、良く出来ました!で、その後、写真を撮影してもらう打ち合わせをした。プロフィールの写真、というものをこの十年以上撮影した事が無い。プロの音楽家としては恥じるべき事かもしれない、、。で、撮影しようと思ったのだが、、どうせ撮るなら、今度の本番や練習風景など、他のある企画のために合わせて撮ってもらおう、と思った。で、どういう写真家に入ってもらうか、、。コンサート専門の写真家、という選択肢もあった。が、シベリアのトゥバの民族音楽を手掛ける等々力政彦さん紹介の写真家にお願いする事にした。モンゴルやアラスカ、近年は日本の神楽などを撮影している人。赤阪友昭さん。スタジオではなく、アウトドアの人に撮って欲しかった。一風景として、生活空間として、演奏、練習、録音などなど、、一人の人間の営みとして撮ってほしい。たまたま、偶然、この日本に生まれ、音楽で身を立てている一人の人間、を、撮って欲しかった。今日、赤坂さんに初めてお会いした。懐かしい、最近触れていない山の風が吹いた感じがした。十五年程前、画家の東野健一さんの絵を初めて見た時。この人は山登るんだなぁ。自然の身近に居る人だなぁ。と感じた。その時もやはり山の風が吹いた。草の臭いがした。この「感じ」ってなんだろう?
November 12, 2006
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今日はオフ。良く寝た、、。ゆっくり起きて、テレビ見て、それからフォーレのレクィエムのスコアを読み始める、、。いくつかのCDを聴き、昔買ったLPを引っ張り出し、アンセルメの演奏を聴く。古い時代の演奏、合唱、オケ共にイントネーションに関してはおおらかだ。映画「ミッション」に挿入されている南米現地人の合唱を思い出してしまった。でも、自分が演奏にかかわっていなければ、これも味としてきっと楽しめるに違いない。あと、スゼーのソロが僕の中で美化され浄化されていた事を確認。スゼーのいろんな歌がごっちゃになっていたのか、、。昔、スゼーのレッスンを受けた事がある。その姿や声、空気は忘れていないつもりだが、、どうなんだろう、、。でも、今の僕は僕の心の中のスゼーの歌を追いかけてみよう、と決めた。今の時代のラターの演奏、サマリーの演奏などはイントネーションは俄然美しく精緻だ。特にサマリーの演奏は楽器のヴィブラート、フレージングなど細かな配慮が見えてきて頭が下がる、、。特に合唱団のマインドが一つになって聴こえるのは気のせいか、、?LPのライナーノートに『ベルリオーズ、ヴェルディのレクィエムに比べれば、 フォーレのそれは自己主張が無く、ひっそりとたたずみ、 自然な敬虔さで死者の安息を願う気持ちに誘う。』 とあった。いやいや、なんのなんの、ルネサンスの教会音楽に比べれば、何と詩的で私的な情感に溢れている事か!ルネサンスやバロックなら指揮した経験もまだ比較的あるが、フォーレをこれだけの状態で指揮するのは初めてだ。どういう表現をすれば良いのか?実に不安でもある。ルネサンスの教会音楽にはこんなに「恐い」「悲しい」が私的なまでに表現される事は無い。バリトンソロを歌う時はさほど強く感じなかったが、指揮する側に立ってみると、、、??どうしても、嗚咽がきこえる、、。どうしても、叫びがきこえる、、。どうしても、恐れに打ち震える自分の姿が見える、、。ルネサンスやバロックのような、司祭や聖書朗読、メッセンジャーの立場ではなく、祈りを捧げる人の心の内側、にどうしても感じてしまう。ロマンティック、、?当日、どんな心の状態でいればいいの?模索中である、、。フルオルガンと弦楽合奏が初めて一緒に音を出すのは本番当日のみである。一体何が起こるのか当事者の誰にもまだ判っていない。武者震い、、?明日は枚方のいずみコーラスが合唱祭で歌う日。とにかく歌う人聴く人に楽しんでもらえる事を考え、明日はその事を楽しもう、、。
November 11, 2006
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「阪神ドタバタ!一転、井川の大リーグ挑戦認める」「<阪神>井川投手のメジャー挑戦を容認」「阪神井川がポスティングでメジャー移籍へ」今の阪神のオーナーは「あほ」では無かった!ちょっと、狼狽えたが、、井川選手もファンも一安心、、いくら井川が戻ってもモチベーションが下がって、気落ちした井川は見たく無かったし、他の選手にも影響が無い訳ではなかったろうし、、とにかく良かった。さあ、でも、来期のローテーション、どうなるんでしょう?
November 10, 2006
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『井川の入札、阪神オーナーは認めず』という記事を読んだ、、。 「阪神の宮崎恒彰オーナーは、井川慶投手が要望しているポスティングシステム(入札制度)による米大リーグ移籍を認めない考えを明らかにした。」らしい、、。「井川がいなくなったら、(戦力が)原点以下に戻る。井川がいて、初めてプラスになる」と話したらしい、、。僕は阪神ファンです。確かに井川がいなくなって、黒田も広島に残って、、は辛いですよ、、。でもね、、。人は物じゃない!井川の気持ちも考えたれよ!「黒田があかんかったら、井川!やっぱり、残れ!って、言ったりして、、」というジョークは聞いた事があったけど、まさか!?ホンマに?こんな人物が阪神のオーナーで阪神はどうなるんだろう、、阪神のオーナーはやっぱり伝統的に「あほ」なんだろうか?あまり直接的に人の事、誹謗中傷はしたく無い!でも、ここは一虎ファンとして、一人の人間として、、、、
November 9, 2006
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このあいだの日曜日の女声合唱の本番からずっと毎日コーラス三昧である。日曜日は女声合唱の本番。月曜日はレクィエムのオルガン打ち合わせ。月曜の昼は個人レッスンでバルトロメオとバッハ。月曜の午後はバードの三声のミサと四声のモテト。本日、火曜の朝は女声合唱でヘクサコードのソルミゼーションと旋法のレッスン。昼間はチェンバロでダウランドなどを練習し自分自身のソルミゼーションの復習。そして午後はレクィエムの練習。まず今日の朝は久しぶりにヘクサコードをやった。昨日オルガンの打ち合わせの時、ヘクサコードと旋法の話になり、は、と気が付き自分の中で以前よりヘクサコードになじんでいる事を確認した。で、今朝のヘクサコードのソルミゼーションと旋法となった。やっぱり、ヘクサコードは素晴らしい!現代の一般的なヘプタコードより断然音程が奇麗!作られた通りに歌うのが一番ということはもちろんあると思うが、何か人間の生理にとても適っている様に感じられる。イントネーションもさることながら、ピッチも安定する。何より気持ちがいい。硬いヘクサ、自然ヘクサ、柔らかいヘクサへ、、ムターツィオ(読み替え)も特に難しいものではない。女声五人も上手く読めている。どうしてこんなにいい方法がマイナーなのさ!しかし、フォーレはやはりヘプタコードの音楽だ、としみじみ理解する。で夜は大阪の合唱団へ。フォーレのレクィエム。団員のモチベーションがとても上がってきている。受け止められるだろうか、、、?少し不安も過る、、。しかし、音楽体験としては幸せなものには違いは無い。振り終わって感じた事、、。この間の日曜日もそうだった、、。練習とかレッスンの時は僕が生徒の体の中に入り、生徒の体を確かめながら、アドバイスをしている、、。いつもはそうだ、、。しかし、本番や、本番が近付いてくると、、逆になっている、、。歌っている人たちが僕の体の中に入ってくる、、。まるで恐山のイタコ状態だ、、。日曜日は確かに70歳、80歳の体に僕がなっていて、その体で歌おうとしている、、。今日は80人のメンバーが僕の体の中に入ってくる、、。”ad te omnis caro veniet.”何か、、そのまんま、、。自分の体を投げ出している様、、幸せな事には違いない、、。
November 7, 2006
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今日は(もう昨日だ、、)朝からオルガンのレジスト合わせ。この25日にある本番のフォーレのレクィエムに備えてのこと、、。今回の本番、1900年版の編成ではもちろん、1893年版でも、予算が足りん、、という非常に非音楽的な理由からフルオルガンと弦楽合奏の編成となった。それなら、と心密かに(別に密かに思う必要は無いが、、)1888年の初版の編成に近付けてやってみよう、そう思った。パート譜、スコアは1893年版のラター版を用意し、そのスコアを下に、オルガンパートのアレンジをするという事だ、、。オルガニストは久保田真矢さん。彼女は関西のほとんどのフルオルガンを弾いて知っている。古楽の歌仲間の緋田芳江さんが以前"Rocco Barocco"という会を持ってくれた。関西の古楽に関係する仲間が歌や様々な楽器にかかわらず、とにかく集まって何かしよう。そういう会で久保田さんと出会った訳だ。今日はしみじみと、このときの"Rocco Barocco"に感謝する事となった。ホールのオルガンバルコニーで休憩なしで三時間。久保田さんは一人で「あーで、こーで、これが、あーなって、こーなって」とストップを操作しながら音を作ってくれる。で、「これで、どうでしょう?」僕は「あ、良いですね。」「これは、どうでしょう?」「あ、もっと上の倍音が増えて、柔らかいの、出ます?」「あ、今のだとうちの合唱団のソプラノレベルだと音程が取り辛いかも、、。」オルガンの事は何もわからない、、と思っていたが、結構注文は出せるもんだ、いやあるもんだ、と、なんだか安心。感激だったのは、歌詞の意味がオルガンの音色で提示出来る事。同じ神様に呼びかける声でも"Exaudi" と"eleison"では必要な音色が変わってくる。"Exaudi orationem meam"は懇願、いやむしろ叫びであっても良いかもしれない、、。しかし、Kyrie eleison. Christe eleison.は同じForteでも叫んではいけない、、。でも、僕はこんな作業は慣れてないし、僕はこんな長時間休憩が無いのも慣れてない、、実は僕は久保田さんには言ってないが、"Sanctus"のとき、頭と気持ちは何処か銀河の果て(地獄の淵か?)へワープしてしまっていた、、。(スミマセン、、)「いかん!いかん!」そう思いつつも何も感じられん、、頭も回らん、、。「このホルンパートどうします?」「そうですね~、、、、(フニャ~)」(そうだ!)「あ!まず、HosannaのMaxの部分から逆算して行っていいですか?」とりあえず、でかい音聴いて魂が帰ってきた、、、(ほっ!)あと”Libera me”の音楽がはっきりとビジュアルで浮かんできた。阪神大震災の日を思い出してしまった。乾いた地面。瓦礫と熱く燻った地面。救いを求めて、その上を人が歩く。低音の刻みは殺伐とした地面に思える、、。思わず、その低音に乾いた音色をお願いしてしまう、、。いろいろあったが、ありすぎて全部は書けない、、。終了後ホールの近所で昼飯を食べた。この界隈は何故か「勝ち組ビジネスマン」風の青年男女が多い。イタリアンに入ったが何故かオシャレだ、、。この合唱団の本番のためのレジスト合わせでした
November 6, 2006
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昨日(もう一昨日だ、、)は学文女声合唱団の小さな本番があった。西宮の学文公民館にて、、。Amazing Graceに始まり、さだまさしの「秋桜」、唱歌の「故郷」みなさんご一緒にで二曲「故郷」、「紅葉」僕のソロ二曲、Danny Boy、「涙そうそう」アカペラの小品、松下耕作曲の「ゆきがとける」最後はホルストの惑星から「木星」のアレンジで「北斗」という曲。日本語の歌詞がついている、、。ピアノは中村文美さん、、本当にナイスサポート。合唱の皆さんの歌を上手く導いてくれる。このようなピアニストの力を借りたとは言え、、みんな良く歌える様になったなあ、と指揮しながら感心した。とても嬉しい。80歳を超える人も歌っている。僕がこの合唱団で教わった事は、人は70を超えても声が伸びる!ということ、、。この合唱団でもらったその勇気は大きい。会場の奥で赤ん坊をあやしながら聴いていた一人の女性が終演後、声をかけてくれた「中村聡子の娘です。」「あ、、、」ソプラノの中村聡子さんは去年のコンサートには一緒に出演したが、今年、亡くなられた、。僕は思わずその赤ん坊の手を取った、、。ちょっと照れて向こうを向いたが、またこっちを向いて笑ってくれた。あ、辞められんわ、、、この仕事、、、因みに冒頭の”Amazing Grace”はこのソプラノの中村さんの大好きだった曲。補足)この日のピアニストの中村文美さんと、ソプラノの中村聡子さんは親子でも親戚でも在りません、、。この合唱団にはもう一人中村さんがメゾにいらっしゃいます、、。この方も先の二人の中村さんとは無関係、、。何人かの方が誤解されていたり、質問を受けたので、、補足まで、、。
November 6, 2006
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