全15件 (15件中 1-15件目)
1
昨夜、患者さんから届いたメールの一文です…「病気の事何もかも知っているひろりんさんの一言一言がどんなに心の支えになったでしょう。私は本当 に幸せでした。」彼女は今、入院中。辛い治療に耐え、余命3ヶ月と言われてから、1年3ヶ月を過ぎようとしている。この時間を得るために、山も谷も越えてきた。その間に、小さい夢をいくつも叶えてきた。だけど…彼女は悩み、そして考えぬき、今は自ら治療を辞めている。そして、自分の死期を悟っている。そんな中で私にくれたメールの一文だ。子供のことは気がかりだけれど、もうこのまま楽に最後の時間を過ごしたいのだと言う・・・彼女のこの1年の時間を知っている、この病気も知っている、そして治療の限界も・・・だから、彼女の決意を止められない・・・彼女から、こんな言葉を頂ける私こそ、本当に幸せ者だと思う…だけど…私はまだまだずっと彼女の友達でいたいよ…
2006年06月29日
コメント(2)
落ち込んだ内容のまま、日記の更新をサボっていると何となしに皆さんにご心配をおかけしているような気がしており、奮起してこれを書いております。サポートする側がご心配をおかけしていたら、シャレになりません。誰からもメールがこなくなったら、辞めようかなぁ・・・とは思っておりますが、今のところ微力なこんな私でも必要として下さる方がいてくれますので、必要とされている間は続けるつもりでいます。以前はお付き合いのある患者さんが亡くなると、体重が2キロ落ちていました。私は154cm43キロなので、この2キロは貴重です・・・さすがに40キロを割りそうになると、体がきつい、だるい、しんどい・・・・体重減少による体の辛さだけは、患者さんの気持ちがわかるような気がします。亡くなられる度にこれを繰り返しているうちに、体重が減らなくなってきました。これは、慣れなのか、ある種の自己防衛本能なのか、それとも私の人間性が欠けてきたせいなのか・・・最後の理由だけが、怖いと思っています。大切な何かが麻痺してしまっているようで、怖いんです。
2006年06月28日
コメント(2)
昨夜遅くに又、訃報が届いた・・・30代の男性患者さん。今月上旬に、お会いしたばかり・・・奥様とは何となく気が合って、まだ知り合って間もないけど、昔からの友達みたいな感じがしてた・・入院中のご主人にもお会いして、ほんの少しばかりだけど楽しい会話をしました。大の阪神ファンだそうで、私が「私は巨人ファンですから~」って言うと頭をかいて、「いや、今年の巨人はスゴイですから・・・」なんて、慌てて言ったりして・・・「楽にして下さい」って言ったのに、ベッドの上で正座されて・・・「これが楽なんで・・・」って言った時は照れた笑顔だった。本当にちょっと前の出来事だ。奥様からは「電話をしようと思ったけど、声を聞いたら泣いてしまいそうだから・・・」と、メールに書かれていた。私も声を聞いたら絶対に泣いてしまっただろう・・・これを書きながらも目には涙が浮かんでくる・・・だって、最後に見たあの照れた笑顔は今月の7日だ・・・あまりにも早い別れで私自身も驚いている。少しでも、何とかならないものかと・・・経験と知識を総動員させたつもりだったのに・・・また、力及ばず・・私は一体、何をやっているんだろう・・と、また天を仰いだ・・・
2006年06月24日
コメント(3)
実を言うと、こんな風に自分を振り返る事なく今までに至っていた。ここ数日、治療の選択や後悔について書いているのは、今この時間、本当に辛い思いをしながら患者さんに付き添っている方を直接知っているからです。そして、大きな不安と恐怖を抱えながら、とても辛い病状と闘っている患者さんも・・・それに、切望した治療を受けられずに愛する家族を見送った方からのメールを頂き、日々考える事が多くなっているからです。そんな中で、さかなさん、susuさん、andyさん、コメントをありがとうございますm(_ _)m時間が経過すると、父が闘病当時私は本当に皆さんより遥かに無知だったので、記憶が薄れていると言うよりも???の部分が多かったので、詳細が書けていないという事実があります。腫瘍マーカーすら知らなかったんですから・・・^^;私が真剣に戦ったのは最初の主治医との「大激論」?くらいかも・・・オオモノの先生だったけど、少なくてもあの先生の元にずっといたら、立ち直れないくらい後悔していたと思う。その為に苦労もしたけれど、あの苦労が無かったら後悔の沼に沈んでいただろうな・・・そして、痛感したのは何より大切なのは「人と人との繋がり」だと言う事。辛さが本当の人の暖かさを教えてくれた。スキルスと言うとアナウンサーだった逸見さんで有名になった病気。あの頃はさほどこの病気に興味があった訳でもないので、毎日ワイドショーで取り上げられていたから何となく記憶に残っている程度。確か、手術を受けるべきではなかった・・・と、大激論になっていたように記憶している。あの時は「そういうものなのか?」程度の感想しか無かったけど、今なら逸見さんの選択の意味が良くわかる。もう、根治、延命にはこの方法しかないと言われれば、例え低い確立でも賭けたいと思われたのではないだろうか?あの手術後、そう長くない頃に亡くなってしまったから、あんなにマスコミで叩かれたのであって、もし、元気に又職場復帰していたら、叩かれた大手術は大絶賛になっていたはずだ。逆に、そんな僅かでも可能性があるかもしれない治療を放棄していたら、又大きな後悔が残っただろう。そんな大冒険だった手術・・・・大冒険に結果的には失敗してしまったのかもしれないけど、もし、あの冒険をしなくてもTS-1も無かった頃だし、イリノテカンやタキソール、タキソテールと言った、効果が期待出来る今は当たり前の胃癌の薬もなかった頃だ。先は今よりかなり厳しいものであったと想像出来る。あの冒険を選んでも、選ばなかったとしても後悔はあったと思う。それなら、どちらの後悔が良かったのだろう?
2006年06月23日
コメント(0)
父の闘病記録を書き終えて、自分自身は殆ど後悔がない事に気付いた。近いうちに「闘病・後記」も書こうと思っている。中には、迷う間も、考える間もなく闘病を終えた人もいる。私が知っている方で、スキルスと判明して1ヶ月足らずに亡くなった方がいる。70代の男性患者さんだった。スキルスと判明した時には、既にビルビリン値が10を越えている状態で、黄疸がかなり進み、手術はもちろん化学療法も出来なかった。この病気は高齢だから進行が遅い、若いから進行が早いという病気ではないのだ。この患者さんが亡くなる1週間前に、患者さんの奥さんにお会いした事がある。老齢の女性で、病気の事はもちろん、治療の事も全く何もわからない状態だった。当然だ。私だって父の病気が判明した時は、サッパリわからなかった。ただ、ただ、「何故、毎日一緒にいた私がもっと早く気付かなかったのか」「何故、調子が悪いって言った時に、もっと強く病院に行くように言わなかったのか」と、悔やんでおられた。「本当に、頑固な人で私が何を言っても聞かないんだから・・・」と、俯いてつぶやいていた。この種の後悔なら、私にもある。他の方からも良く聞く。父の場合は、たまたまTS-1が効いてくれて、元気な時間がそれなりに持てたから後悔があまり無いだけの事・・・そして、信頼のおける医師にも出会えた・・・これが、もし、効かずに本当に最初の主治医の言うような時間しか持てなかったら・・・どうだろう?信頼のおける医師と出会えなかったら・・・?やはり、後悔ばかりが残っただろう・・・
2006年06月22日
コメント(2)
先日、Y先生とお昼ご飯をご一緒した時、Y先生と主人が一通り難しい話(←私には何とな~く理解程度)をした後、Y先生がこんなことをおっしゃった。「宗教じゃないけど、自分を信じなければ治療なんて出来ない。信念を持って、つき進むしかない!!」って。つまり、それだけ癌治療というものは難しいものなのだ。誰かが確立してくれた素晴らしい治療法があって、それが誰にでも効果が期待出来るなら、こんなに良い事はない。だけど、そんなものは存在していない。こう言っては何だけど、極端な話、論文なんて3つも症例があれば書ける。ただ、良い症例が僅かだけれど出た・・って事に過ぎない場合が多々ある。だけどこの僅かな症例でも、この治療に賭けたいと願う患者さんやご家族は沢山いる。もしかしたら、自分や自分の家族がその症例に入るかもしれない・・って少しでも思ってしまったら、その治療は捨てきれない。その願いを受け入れてくれる医師もいるけれど、そうではない医師もいる。命がかかっている治療だけに、医師も簡単には受け入れられない。いつも、そんな狭間に患者さんとご家族がいる。正解が無い治療故に、命がかかっている故に、時間が無い故に、ここでいつも後悔が生まれてしまう・・・・後悔の無い治療って何だろう・・・っていつも思う・・・
2006年06月21日
コメント(1)
スキルスという病気になると、医師により考え方や見解に大きな差があるように思う。大きく分けると治療に消極的な医師と、積極的な医師だ。治療成績が芳しくない病気だから、患者さんの負うリスクを考え、見通しを考え、奏効率を考え、患者さんの状態を考え、消極的になる医師もいる。これも、現状からは当然とも言える。患者さんを思うがゆえの事だろう。抗癌剤治療は辛い治療だから。でも、それでも尚且つ、患者さんやご家族が根治や少しでも延命を望むなら、わずかの可能性にかけてでも治療に望む医師もいる。この場合、患者さんも副作用というリスクを背負い、わずかな奏効率にかけるという大博打に出る訳だけれど、実は医師もリスクを背負っている。抗癌剤とは、副作用が付き物だし過去に死亡症例が無い抗癌剤など皆無だと思う。そんな恐ろしい薬を使う医師にだって、経験はもちろんだけど度胸もいる。「もう、治療法はありません」って言ってしまえば、医師としての責任は終わるはずだ。誰からも責められる事もなく、問題もなく治療を終える事ができる。それなのに、そんな危険なリスクを自ら背負って治療をする医師もいるのだ。患者さんの希望に沿うために。この大博打が吉と出てくれれば、本当に良いのだけれど必ずしもそうではない。ちゃんと吉と出てくれる患者さんもいるけど、凶と出る場合もある。この時は本当に辛い・・・どうしようもなく辛い・・・・そんな凶と出てしまった患者さんを何度となく見てきて、その都度どうしようもない思いに潰されそうになる。常に頭から離れずにいて、自分自身どうする事も出来ない思いを持て余してしまう・・・今更だけど、どうして誰にでも効いてくれる治療法が無いのかと思う。
2006年06月19日
コメント(4)
今年の1月に他界した知子さんの長男から、男の子が産まれたと可愛い内祝いが、今日届いた。お祝いも贈っていないのに・・・^^;もう少し生きていれば初孫が抱けたのに・・・ってつい思ってしまう。闘病中は何とか元気に長男の結婚式に参列させてあげたい、その次は元気にお正月を迎えて欲しい・・と次々とちょっと先に目標をあげていた。そう思っていたのは周りの人間だけ・・・本人は事実を知らされてはいなかったから。もう永くは生きられないだろうと、漠然とは思っていたようだった。自宅に帰って眠る時は、電気を煌煌と点けたままだったそうだ。夜が怖かったのではないだろうか・・・転院を説得し、自宅から離れた病院で治療を受け、本人に寂しい思いをさせてしまった。結局、救う事など出来なかった。ご家族にしても、寂しい思いをしたと思う。これで良かったのか?って自問自答の繰り返しだ。そんな中で長男からの内祝いが届いた。涙がこぼれた・・・先日の日記へのコメントをありがとうございます。皆さんからの暖かい気持ちが彼女にも届きますように・・・・
2006年06月17日
コメント(0)
昨年は計10件を越え、今年に入ってからは毎月2件の訃報が実は私の元に届いている。ブログを始めてから、まだ2ヶ月と経たないのに書きながらも実は訃報が届いている。真夜中2時過ぎのケータイメール着信で知らせが入った事もある・・・・つい最近も届いた。母親を亡くした娘さんから。彼女とは昨年2月に出会った。母親の話をしながら目に涙を浮かべていたっけ・・・だけど、彼女の頑張りはすごかった。素晴らしい行動力だった。間違いなく彼女が母親の寿命を延ばしたのだ。これは、今まで何人もの患者さんを見てきたから断言できる。だけど彼女は今、自分を責めている。永遠の命などない・・・いつか消えてしまう命だからこそ価値がある。その貴重な命の時間を、愛する母親のために彼女は自分の夢を中断して造ったのだ。多分、彼女はこのブログを読んでいると思う。だから、敢えて他の皆さんの目にも止まるここに書いた。胸を張って良いのだと、言いたくて・・・
2006年06月14日
コメント(5)
現在、癌を早期発見する方法は定期的に癌検診か人間ドックを受けるか・・・そんな方法しかない。でも、これらの検査で、たまたま発見されたという人もいるけれど、見逃されていまった人も少なくない。見逃されてしまった人は、安心にどっぷり浸ってしまい、そのうちに進行してしまう。スキルスの場合、発見がとても困難だ。スキルスでも本当にたまたまこういう検査で発見された人も確かにいる。が、見逃されてしまったか、もしくは胃潰瘍と診断され、いつしかステージ4になっていた・・・という人を何人も知っている。ちなみに、父は市役所から届く癌検診を必ず受けていた。癌検診と言っても肺癌検診だったから、肺癌では無かったから確かに「問題なし」だ。でも、スキルスとわかってから検診の過去の血液データを見ると、明らかに毎年白血球数が減少していた。これも、癌のサインではなかったのか?と思う。こういう検査では、検査する側も沢山の人の画像を見るし、画像診断力も人により差がありすぎるし、癌があるなんて思いながら見てはいないから、見落とす事がある。そして、一説では検査の繰り返しが癌を作る・・・とも言われているから、正直言ってどうして良いのかわからない。昨日、主人がこんな話を聞かせてくれた。英国の医学雑誌のネイチャー・メディスンに面白い研究論文があったという。この雑誌は、世界有数の医師が論文を発表している。その論文の中で、犬の嗅覚を使って癌を見つける・・・という研究があったそうだ。空港で犬が麻薬を見つける要領だ。犬が反応した人に、絶対どこかに癌がある!と疑い、くまなく検査すると、早期でも癌を見つけられた・・・と、言うのだ。(ほんま、かいな????)もともと、膵臓癌の中でも特に悪質な癌を見つける事を目的に研究されたそうだ。ところが、この膵臓癌の中でも特に悪質な膵臓癌は、症例数自体があまりにも少ないために、本来の目的は未だ果たせてはいないらしい。俄かには信じられないが、もし、本当にこんな事が可能なら、こんなに安全な方法は無いのではないか?費用だって安くすむ。本当に健康な人間に意味のない検査をする必要がないし、安全とされている量とは言えX線を被爆せずに済む。まぁ、病気は癌だけではないから一概には言えないけど。でも、こんな夢のような方法で癌が発見出来たら、本当に良いのに。
2006年06月12日
コメント(2)
「五年生存率」これは癌患者さんがとても嫌う言葉だ。スキルスとなると、特にそう・・・だけど、ゼロじゃない。どんな事にも例外がある。皆、自分や家族がその例外になる!!って、思えば良いのに・・って思う。思うのは自由なんだし・・・誰にも迷惑はかからないし・・・人は10年後、20年後、30年後に死ぬのは仕方ない・・ってどこかで思っているもの。何歳まで生きれば、まぁいいや・・って。でも、いざその歳になると、そうは思えないもの。父はいつも「長生きなんて別にしたくない」って言ってた。その父が69歳でスキルスが発覚し、その途端「生きたい」と強く思うようになった。つまり、人生の終焉なんて漠然と勝手に思い描いているだけの事で、誰にも覚悟なんて出来ていやしないのだと思う。何歳だから気の毒で、何歳だから仕方ない・・って言うのは、周りが勝手に判断するだけの事。「年齢は関係ない」って、もと子さんが言った言葉が、時間が経つにつれ、沢山の患者さんやご家族と知り合うに連れ、染み込んでいく。病気にならなければ、家族がそんな病気にならなければ、見えなかった幸せがあるはずだ。知らないまま、気付かないまま、人生を終えてしまう人は少なくないように思う。人生はどれだけ生きたかではなく、どれだけ幸せに気付けたか、見つけられたかだと、私は思う。
2006年06月11日
コメント(4)
今日はこぐまママさんの命日だ。2年前、こぐまパパさんから電話がきたのは、確か夕方4時頃だったと思う。こぐまママさんが亡くなったと、淡々と話された・・・淡々と話しながら、いつしか涙が混じるのがわかった。電話を切った後、ヒゲさんと主人に知らせようとメールを打ったのだけれど、指が震えて上手く打てなかった。こぐまママさんから、この4日前にメールを貰ったばかりだった。2年前の今日・・・かなり泣いたなぁ・・・泣いて、泣いて・・・あれから2年か・・・あれから何度泣いたか知れない・・・それでも患者さんの声を聞いていたいと思うのは何故だろう?患者さんの切なる思いを受け止められる人間でありたいという思いは消えない。患者さんは医者にも友達にも家族にも言えない思いを、何かしら抱えている。そう感じるからかもしれない。そんな思いを放てる場や相手があれば良いのにっていつも思う。ご家族も同じ・・・少しでもそんな方々のお力になれますように・・・
2006年06月08日
コメント(4)
今日は朝から静岡へ出かけた。ちょっとお見舞いに。昨年は知子さんが入院していたから、良く一人で車を運転して行ったものだ。約1時間半のドライブ。車を運転しながら、「そう言えば、去年はこの静岡への運転中に時々midoriさんからメールが届いたな・・・」なんて、ふと思い出したら視界がゆがんできてしまった。去年いた人がどうして今はいないのだろう・・・なんて思い始めたら、涙が溢れて来てきまった。やば、やば・・・運転中だ・・・そんな時にメール着信が・・・赤信号で止まった時に覗いてみると、岐阜の患者さんからだった。寂しさでしょげているのを、まるで見透かされたようなタイミング。いつもそうだ、何故か落ち込んでいる時に患者さんからメールがくる。「泣いているヒマなんかないよ」って言わんばかりに・・・それで、いつも涙が止まるんだよな・・・いつもどこかで誰かが私を見ていて、慰めてくれているような気がする。
2006年06月07日
コメント(0)
Y先生とお会いする機会がある度に、先生の口から必ず出る言葉に「患者さんのために・・・」と、言うのがある。Y先生のお考えは、常に患者さんには「優しさ」が必要なのだそうだ。人間の原点がどうしても、医療には欠けてしまいがちだと。それが、言わば医者には出来ないから私に期待する事らしい・・・いつもこの点だけは真顔で言われる。で、上手く私は持ち上げられてしまう・・・でも、私は木には登らないぞっ・・・と^^;Y先生と主人は仲が良い。歳は離れているけど、共通点がいくつかある。血液がAB型だという点、みずがめ座だという点、博士だという点、そして何より「変わり者」だというところだ。先生は当然医学博士だが、主人は工学博士の称号を持っている。工学博士・・・って言ってもT大に論文を出したら認められたという、論文ドクターなんだけど。この二人の博士の会話は結構おもしろい。例えば癌発見に役立つ検査機会のPETT CT の話なら、先生は症例を含めて話す・・・主人は機械の構造から原理を理論立てて、話す・・・双方が「ほう~」「へぇ~」って言い合う様はなかなか面白い。しかし・・・こんな風に話すと、いつも「ご主人は頭が良い」と誤解されてしまう・・・毎日「アホじゃないだろか?」と思う事は多々あるが、「賢い」と思った事は無いんだよねぇ・・そもそも、テレビの調子が悪いと言うと、側面を叩いて直す人だし・・・(--;)
2006年06月05日
コメント(1)
数日前の暑い日に、衣替えをした。クローゼットの中は埃もあちこち溜まってしまっていたので、大掃除も兼ねて頑張った^^埃避けにマスクを付けながらの掃除だったけど、このマスクが暑い、暑い・・・そしてふと、思い出したのはE・Agentさんのこと。彼は父が闘病中(2001年)にやはりスキルスで闘病していた若い男性で、今これを読んでいる方の中に、このハンドルネームを知っている方は、恐らくほとんどいないだろう・・・「がんとの共存を目指して」というHPを開設していた。当時はご自身の病状を赤裸々に綴るHPはまだ珍しく、スキルスとなると、尚更だった。そもそも、ADSLだってまだなくて、ダイヤルアップで繋ぐ事が主流の頃だし、ネット人口も多くは無かった。こんな風に私みたいなPC音痴でも、簡単にHPやブログを開設出来る頃じゃない。そんな頃の闘病記だから、言わばネット闘病記のパイオニアとも言える人かもしれない。彼は国立大学の講師をしておられた方だそうだ・・・と、言うのも私はこの頃は一読者に過ぎなくて、毎日彼のHPを食い入るように読んでいただけで、彼と直接交流があったサイトの管理人から聞いた話しか、ご本人の事は知らない。治療や病状はもちろん、病気が発覚して彼女が去っていってしまった事とか、そんな事が沢山書かれていた。その中で何故かとても印象的だったのが「真夏のマスク」の事。少しでも感染症を防ぐため、風邪の菌やクーラーのカビが体内に入る事を避けるために真夏でもマスクをしていたけれど、これはどうにも暑い日は辛くてご勘弁・・・というような文章が記憶にある。こんな、何でも無いような言葉が印象に残るなんて・・・不思議なものだ。そうそう、エンシュアリキッドの甘さにも飽き飽きしたって、彼の闘病記にも書かれていたっけ・・・一人暮らしで、ご自分一人で病状を把握し、治療を模索し、手術を受ける事を悩んでいた。TS-1がとても効いていた事が幸いしたのか、彼を惑わせてしまったのか、手術を自分で先延ばしにしているうちに病状が進んでしまった。早々に手術を受けても結果は同じだったかもしれないけれど・・・・こればかりは誰にもわからない。今はこのHPは存在していない。
2006年06月02日
コメント(4)
全15件 (15件中 1-15件目)
1