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この間の土曜日は今年1月に他界した茨城の知子さんの自宅へ、ちょっと早い新盆のお参りに行って来ました。知子さんの姉夫婦と主人と私で。時々書いているけれど、知子さんは私の従兄の奥さんの実妹(ややこしい説明ですが)。私はこの病気と関わって色々な厳しい現実を知りました。単に病気の事ばかりではなく「医療格差」も痛感しています。自宅近くの病院が、必ずしも最良の医療を施してくれる訳では無い事、医師によって姿勢が違う事等。だから、知子さんがこの病気だと知りそれも4期だとわかった時に、私が知りうる最善策として転院を促しました。それは自宅から遠く離れた病院への転院でした。実家である実姉宅と近くなるという利点はあったけれど。治療入院を終えて、数日間は姉宅で過ごし、そして家に帰る・・・この繰り返しが始まった。連絡も無しに突然この姉宅へ行くと、知子さんは今のソファで横になって寝ていて、その横のダイニングテーブルで姉のお姑さん(私からは叔母さん)が野菜の皮むきなんてしていて、本当に知子さんは寛いでいた。姉は昼間はパートで働いていて、いつも知子さんは「もう一人のお母さん」と慕っているこの80歳の叔母さんと穏やかな日中を過ごしていた。自宅へ帰れば、お姑さんがいる一家の主婦だから、こうはいかなかっただろう。体も心も楽ではあったはずだ。けれど、一番可愛がっていた中3の三男坊と会える時間は減ってしまった。上のお兄ちゃん達は年が離れていて20代半ばである。ご主人も含めて全てを知っていたので、この遠距離治療を理解した上で選択した。けれど、この三男坊は何も知らされていないまま、母親との時間を減らされた事になる。そして、当の本人も真実を知らなかった。だから、この二人は真実も知らずに、一時の辛い寂しい時間だと思って我慢していた事になる。こんな治療の繰り返しをしているうちに、段段家にいられる時間が短くなっていった。つまり、三男坊といられる時間も減っていってしまった。最愛の家族との時間というものは、最善、最良の治療に匹敵する事がある。転院しなければ、間違いなく三男坊との時間はもっと取れただろう。医療の現実を見ると、延命という意味では厳しくなっていた可能性は否定できないけれど。私にはこの三男坊から大切な時間を奪ってしまったという罪悪感がある。病気も、医療も何も知らない彼には一生恨まれても仕方ないと思っていた。けれど、その三男坊は私を満面の笑みで迎え入れてくれた。とても人懐こい笑みだ。友達が遊びに来ていたけれど、ちょくちょく私達の所へ降りてきた。久しぶりに会ったご主人と長男夫婦と、沢山の人が入り混じって夜遅くまで談笑が続いて、知子さんの自宅を出たのは23時だった^^;帰る時には、この三男坊は外まで見送りに出てきた。「私の事、恨んでないの?」って心の中で思った。結果を出せなかったのに・・・・
2006年07月31日
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父の病気がわかってから私がした事 ・神奈川県から、当時Y先生が勤務していらした金沢までセカンドオピニオンを聞きに行った ・コネやツテを総動員して「医者」と名の付く職業の人に意見を聞きまくった ・自宅から車で約2時間かかったけど、ここだ!と思える病院に通院した ・余命1ヶ月と言われてからは、24時間体制で家族が父に付き添ったまぁ、こんなところです。「ここだ!と思える病院」と言うよりも、この医師だ!と思える病院と言った方が正しい。たまたま日本屈指の癌の病院だったけれど、病院の名前より医師の姿勢に感銘した。父の主治医は「患者さんが頑張るから、この病院の治療成績が良いのです」と、言われた。「私も頑張りますから一緒にがんばりましょう」と。こう、言って頂けた時点でこの先生にお任せしようと思いました。(ちなみに父の主治医はY先生ではありません・左の闘病記に記載)残念ながら、せっかく巡り合えたこの医師は5ヵ月後に転勤されてしまったので、この先生を追いかけるつもりでいた。転勤先がまだ開院前だったので、開院したら転院するつもりでいた。それなのに開院日に死ぬなよ、お父さん!!最初の病院からの転院には一波乱あったし、病院が遠くなると家族の負担は大きくなり、正直大変だった。もう疲れた、疲れた・・・でも、この疲れは心地よい疲れで、決して嫌な疲れではない。24時間体制の看病も無茶極まりない・・・何せ徹夜の連チャンだったし・・・入院がもっと長引けば続けられなかっただろう。あの期間だったから、出来ただけの無茶だ。こんな滅茶苦茶な事は、もちろん誰にも薦めない。だけど、これらの事をやって良かったと思っている。どれも後悔はない。人によって出来る事は違う。家庭環境や、経済問題、仕事等・・・色々と事情もちがう。父は老人医療が適用されたので、実際、医療費は安かったし・・・その分、交通費にかけられた・・っていうところもある。(病院に車で行くと1回1万円弱かかった)その人に出来る事、続けられる無理(この言葉はヒゲさんからの受け売りだ)をする事。これが家族に出来る事ではないか?と思います。そして、こんな無理はしたくてしているんだよって患者さんに感じさせる事。これが大事かな・・・ちなみに、サイトの仲間は皆無茶しまくりの人ばかり^^;私なんかよりスゴイ人の集まりで、頭が上がりません。
2006年07月28日
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近いうちに、お見舞いを予定している。初めての、スキルス以外の患者さんのお見舞いだ。今までも、何度かお見舞いには行った。近くの方しか、なかなか行けないのだけれど・・・実を言うと、お見舞いを申し出るのはいつも、ドキドキものなんです。化学療法の副作用で、殆どの患者さんは脱毛してしまっている。そんな姿を見られたくないと思われる方もいるだろうし、その方の状態によっては吐き気や、下痢、発熱・・・と急な症状がいつ出るかわからない方もいる。それに何より、メールやネットの中だけのお付き合いなら良いけれど、そこまで踏み込んで来て欲しくない・・・って思われる方もいるかもしれないし・・・普通、会った事も無い人間が行くなんて、はた迷惑だろうしなぁ・・・等々・・・そんなこんなを考慮すると、「行っても良いですかぁ・・・??」と聞くのはドキドキものなんです^^;で、おずおずと申し出て、ご都合を聞いている・・・のです。何故か、今のところ皆さんが歓迎して下さっていますが、それでも尚、ドキドキもの・・・ようやく最近になって、患者さんやご家族の方から「お会いしてみたい」「会えたら良いなぁ・・・」と、いう言葉を頂くようになり、少しばかりホッと出来るようになりました。本当に皆さんとお会い出来たらなぁ・・あっ、もちろん希望者だけですが、そう思うこの頃です。遠くまで行く事が出来ないのが、残念ですが。
2006年07月26日
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こんな活動を始めてから、あまり私は怒らなくなりました。大抵の事は怒るに値しない、他愛のないことだと思ええるようになった。そんな私が怒ること・・・やはり幾つかあるけれどその中の一つに、もと子さん(ヒゲさんの奥さん)のお通夜に列席した晩の事があります。もと子さんのお人柄が偲ばれるお通夜で、驚く程沢山の方が来られました。主人とお焼香を終えて、精進おとしの席に移動し腰をおろした時のこと。もと子さんと同年輩の女性数人が近くで話しているのが聞こえた。「何でも入退院を繰り返していたんですって」「あら、そうなの?全然知らなかったわ」「こんな重い病気だったなんてねぇ・・・」「まだ、亡くなるにはお若いのに、お気の毒よねぇ・・」「お子さんもいるのに、可哀想に・・」これは、お葬式に行くとよく聞く会話である。こう話している人たちは、自分は良心的な人間だと思って話しているのだろう。もちろん悪気などなく、良心的に常識的にごく普通に会話しているだけだ。けれど、これを耳にした私は無性に腹が立った。「もと子さんが、どれだけ辛くて切ない時間を過ごしてきたのか、あんたら知っているのか!! そんな中にだって、ちゃんと幸せな時間は沢山あったんだぞ! まだ、若いのに気の毒??この時間を稼ぐために、どれだけヒゲさんが苦労して血の涙流しながら頑張ったのか知っているのか?そうやって得た時間が短いだと、可哀想だと???勝手な事言うな!!」と、心の中で怒鳴っていた。もう、心の中では、ぜーこぜーこする程怒っていた。今や、癌という病気は老人のものではない。誰だって「明日は我が身」なのに、こう話している人達にとっては「対岸の火事」だ。年齢や病名だけで、その人の人生を勝手に不幸だの、気の毒だと決め付けるな!!つーの!!いつ、自分がそうなるかもわからないっていうのに・・・少しだけ、睨み付けてしまった。こういう話を聞くと、つい我を忘れて怒りが溢れてくる。今、思い出しても腹が立つ!!でも普段は滅多に怒らない私です^^
2006年07月25日
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ここ数日、患者さんから他の患者さんを心配するメールが度々届いている。サイトの掲示板に投稿頂く方の、多くの方を直接存じ上げているので、しばらく投稿が無いと心配される方がいらして、私に問い合わせが来る・・・という訳です。私に届いた患者さんからの綱と綱を私が結んでいる感じがする。そんな風に思うと、何ともホッとするものがあります^^今は、患者さんやご家族がブログをされている方も多く、時々私もお邪魔させて頂いているけれど、あちこちで輪が繋がっている事がわかる。んで、私の名前が時々出ていたりする^^;こうなると、もう「友達の友達は皆友達だ!」の世界だ。「スキルス」で検索して、うちのサイト(このブログじゃないですよ)がヒットしない訳はないと自負しているので、スキルス絡みのHPを覗くと大抵は知っている方が登場している。今まではスキルス胃癌患者さん限定のお付き合いだったけれど、今はちょっと違って、別の癌患者さんとも何時の間にか繋がってきていて、それが何とも心地よい。世界が広がる思いがする。癌というやっかいな病気に境界なんてないんだなぁ・・・時々落ち込んでしまう情ないサポーターですが、患者さんや、そのご家族に常に支えられているという実感があります。常にここをアクセスして下さる方もいて、本当に沢山の方々に見守られていると感じています。だから、どんなに落ち込んでも立ち直れます、前を向いて患者さんと一緒に歩いていこうと思っています^^これからも、沢山の綱を結んでいける存在でいらるように・・・
2006年07月24日
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今日というか、時間的には昨日になるけれど、レンタルビデオ屋さんへ行って来た。時々、頭を真っ白にしたくてDVDを借り没頭している。で、店内をDVDの背表紙を見て歩きながら、ふとフラッシュバック・・・去年の夏の終わり、やはりこのお店でDVDの背表紙を見ながら歩いていた時にケータイが鳴った。mamiさんのご主人からだった。丁度、mamiさんが逝ってしまって1週間後の事だった。マンションで一人きりで、どうにもこうにも悲しみを持て余してしまったようだ。「この思いをどう乗り越えたら良いのでしょうか?」と、問い掛けられた。ビデオ屋さんなんていう間の抜けた所にいたせいもあり、あまりにも難しい質問でもあったし、的を得た答など出せずいたように思う。何と答えたのか・・・・正直、記憶が無い。帰宅してから、あまりにも情ない答しか言えずにいたので、こぐまパパさんに助けを求めた。こぐまパパさんは、この1年前にこぐまママさんを亡くされていて、まだ傷口も塞がってもいない時だったのに、酷な頼み事をしてしまった。私より、こぐまパパさんの方がmamiさんのご主人を慰められるような気がしたから。サイトに投稿頂いた時に、mamiさんのご主人はアドレスを公開していたし、教えても良いだろうと独断で判断し、こぐまパパさんにメールを頼んだ。こぐまパパさんとも、このmamiさんのご主人とも、何度かお会いした事がある。多分、お二人共気を悪くされる事はないだろうと思いながら。この数日後、mamiさんのご主人から、こぐまパパさんからのメールを義妹さんと泣きながら読んだとのメールが届いた。嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかったのだと書かれていた。本当にこの時はこぐまパパさんに助けて頂いた。皆さん、誰しもが誰かに助けられている。私など、本当に助けられっぱなしだ。時間がどれだけ経とうとも、何人の方と出会おうとも、私は絶対に出会った方々を忘れないよ。mamiさんが逝ってしまったのは、昨年の8月だった。
2006年07月22日
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18日の日記に「オムライスの思い出」と題して、キヨカさんとの思い出を書いた時、キヨカさんとmidoriさんと、いつか3人で再会してあの時の事を笑い話にしたかったなぁ・・と思った。女3人が集まればさぞ、やかしましいだろうけれど^^;でも、もう二人共いなくなってしまった。私は一人取り残されている・・・そして相変わらず、切ない夢を追ってここにいる。この切なさは増すばかりで、時に「何をやっているんだろう、私は・・」と自己嫌悪に陥る。そんな中で、昨日掲示板に頂いた「頼りない姉」さんからの投稿は、去年弟さんとした約束を思い出させてくれた。昨日も書いたけど、弟さんは「癌を無くして5年生きたら完治と見なされるんでしょう? じゃ、5年生きますよ。そしてスポンサー第1号になります。」って、言った。「じゃぁ、私はあと最低5年は頑張らないといけませんねぇ。」って、私は彼に言ったのだ。実は彼はサイトの存在すら知らなかった。私のこともお姉さんから、大雑把に聞かされただけだった。だから、私の存在は彼にとって、摩訶不思議だったようだ。そんな降って沸いたような私の存在を「いてくれるとありがたいなぁ・・・だって、自分が癌だなんて話、そうそう出来ないでしょう。」と評価してくれた。今日お姉さんから届いたメールでは、今も病院で心配かけまいと必死に元気を装っているようだ。そんな方との約束は、守らないといけないな・・・・まだ、約束の日まであと4年あるんだもの。
2006年07月21日
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7月7日の日記に書いた患者さんのお姉さまから、このブログの掲示板に投稿を頂きました。HN「頼りない姉」さんです。先日Y先生にお会いした時、Y先生にとっても強烈に記憶に残る患者さんだったようで、「あの患者さん、どうしてます?」って聞かれたばかりだ。そう、何となしに思い出し、7日の日記に書かせて頂いたのだけれど、これは何かの知らせだったのか・・・もともと、この患者さんのお姉さまが、弟さんを心配し私に連絡がありました。「子供じゃあるまいし、よそ様の手助けなんていらない」って、言っていたそうだけれど、お姉さまが説得し私を紹介したそうだ。お会いする前日だったか、患者さんご本人から電話も頂いて1時間くらいお話しもした。あの7日の日記にはまだ続きがあります。「サイト活動資金はどこから出ているのですか? えっ?ボランティア?じゃ、ひろりんさんがここまで来る交通費は自腹? え~!!そりゃ大変でしょう。すごいなぁ。 じゃ、僕がこの病気を克服して5年後にスポンサー第一号になりますよ。ははっは・・・」って、約束した人だ。もちろん、そんな期待も下心もこれっぽちも無いけれど、そんな気持ちが単純に嬉しくて 「ははは、それは頼もしい~。是非、宜しくお願いしますね」って、言って別れた。うちから静岡なんて遠くないし、そんな気遣いは無用なのだけれど、そんなちょっとした所にとても気が回る方だ。あの豪快に笑うあの患者さんが、今、大変な状態だという・・・どんな困難も笑い飛ばせるパワーを持った方だ。また、あの豪快な笑いを聞かせてください・・・もう一度・・・
2006年07月20日
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昨年の7月、30代のある女性患者さんと9ヶ月ぶりに再会した。2004年の秋、サイトの仲間と「福井のmidoriさんに会いに行こうツアー」を企画した。連休に都合のつく仲間6人で車1台で出かけた。皆で車で行けば交通費も安くなるし、ちょっとした慰安旅行だ。うちのサイトは完全ボランティア・・・スポンサーも何もないので、何かを企画する度に皆で自腹を切っている。で、その福井までの道のりの途中で会ったのが、この患者さんだった。まだ、手術を受ける前だった。その患者さんが、術後半年で再発しセカンドオピニオンを受けに静岡へ来るというので、私も主人と出向いたのだ。手術を受ける前、この女性患者さんはとてもナーバスになり、遠慮のいらない家族に当たりちらしてしまった時期があった。原因不明の高熱が続き、ちっとも下がらず手術が延びてしまい、とにかく体がしんどいのと精神的にも辛いのとが入り混じり、とにかく毎日イライラしていた。そんな中でハデに夫婦喧嘩をしてしまったそうで、まぁ、この時に私に届いたメールはもう怒り頂点に達するって風ですごかった^^;この時、midoriさんと二人で「大変だぁ~、どうしよ、どうしよ・・・」って感じで必死に彼女をなだめたものだった。そんな彼女と9ヶ月ぶりに再会したのが、昨年の7月。術後半年で再発した事に打ちのめされているご主人と、そんなご主人にハッパをかけるご主人のお母様(患者さんからはお姑さんになる)と、小さな娘さんと3人で車で3時間かけてやってきた。待合の椅子に座りながら、ちょっとご家族が席を外した時に彼女は回りを見渡し、誰も聞いていない事を確かめて、あのハデな喧嘩の結末を私に話し出した。まるで、いたずらっ子が自分のいたずらを告白するみたいな感じだった。「あの後、お義母さんがいる前だって言うのに、やっと病院に来た主人に私、怒鳴りまくっちゃった。 お義母さんの前であんな事が言えたなんて、今じゃ信じられない。ありえな~い。」って、笑いながら。気持ちのありったけを、ぶちまけたらご主人が謝ったのだそうだ。二人でちょっと首をすくめるような感じで、ケタケタ笑いながら内緒話をした。あのひと時も楽しかったな。それから、展望レストランで皆で食事をした。彼女と私はオムライスを注文した。ここのオムライスはお薦めです。病院とは思えない、おしゃれなレストランだ。彼女は「美味しい~、うちの近くじゃこんな美味しいオムライスを食べられる店はないから、またオムライスを食べにここに来ようかな、ひろりんさんにも会えるし。」って言って、平らげた。この様子を見たご家族は目を丸くして驚いていた。こんなに沢山彼女が食べるのを見たのは、本当に久しぶりだったらしい。「こんなに美味しそうに沢山食べてくれるなら、車で3時間の道のりだけど又来よう!」と、ご主人も言っていた。そして、又ここで会いましょうと約束をして別れた。この時、彼女は腹水がたまり始めていて、この道のりを又やって来る事は難しいだろうと、内心では思っていた。だけど、笑顔で約束をして別れた。この約束が守られる事はなかった。
2006年07月18日
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今日は少しは暑さが和らいでくれました~昨日は、今年の1月に亡くなった知子さん(享年54歳)のお姉さんのお宅にお邪魔してきました。ややこしい説明になるけど、このお姉さんは私の従兄の奥さんだ。昨年の秋は、この知子さんのお姉さんと、知子さんのご主人と、私の3人でローテーションを組み、知子さんの病室に泊まり込んだ間柄で、言わば共に戦った仲間だ。知子さんの自宅にはちゃんとした仏壇があるけれど、ここの姉宅には皆が集まる居間に知子さんの写真が置いてある。その前には大好きなタバコとマッチ。ここへお邪魔すると、いつも知子さんは同じ場所で笑っている。去年の梅雨時、知子さんは在宅でIVHが出来るようにポートを埋め込む簡単な手術を受けた。この時、このお姉さんと二人で病院に行った。知子さんは病室で着替える時に「怖いよぉ~」って言った。「こんな姿、三人の息子には絶対に見せられないね」ってちょっと照れくさそうに笑った。そしたら、お姉さんが「全く、子供みたいなんだから・・・」って言って三人で顔を見合わせて笑った。声を出して、笑ったんだよなぁ・・・三人で。あんな他愛も無い一時に、本当の幸せがあるように思う。幸せって、何も特別な事なんかじゃない。全てが大事な大事な一瞬なんだな・・・
2006年07月16日
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昨日は患者さんとチャットメール状態だった。1日でケータイの電池がなくなった(;^_^A)まっ、こんな日もたまにある。同じ患者さんや、ご家族から1日に何度もケータイにメールがくる…私にすれば、ちっとも珍しい事じゃない。だから何も気にしないで良いですからね~Peeちゃん(^O^)去年は1日に7~8人の方からケータイメール、それもチャットもどき!なんて事もあった。さすがにあの時は指が疲れたなぁf(^_^;患者さんも、ご家族も全てが初めての経験でとにかく不安で心配で仕方ないんだもの。私なんかに伝えるだけで、少しでも落ち着けるなら、容易いものだ。でも今年になってからは久しぶりかな。サイトでの露出度が上がると、何故か皆さん遠慮されるようで、ケータイアドレスを教えても「登録させて頂きました、お守りにします!」と言われてしまうf(^_^;状態により必要になるかもしれないと思う方に連絡しているので、遠慮はいらないんだけどなぁ……って書きながら、誰に教えているとか全く無頓着(^^ゞ私は知らないんですけど…と言う方がいたらごめんなさいm(_ _)m悪気はこれっぽっちも無いですから。この暑さで昼間はPCが使用出来ず、夜にクーラーつけてもPCの温度は上昇してしまい、1日を通してもろくにPCが使えません(T_T)我が家のPCはデスクトップで主人の自作…他にもPCはあるけれど主人の仕事用で敢えてネットには繋いでいない。…という訳で頂いたメールはなるべく早く返しているつもりですが、お待たせしてしまう事もあります、すみませんm(_ _)m
2006年07月15日
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今日は「珍しい~」と思う方からメールが届いた。昨年の4月に奥様が手術を受け、術後再発予防のためにTS-1を飲んでいる、その方のご主人さまから。サイトで知り合った中では、珍しく早期で発見されてラッキーな方だなぁ・・・と思っていた患者さんなのだけれど、まぁご主人さまは超が付く「心配症」^^;去年はちょくちょくお会いする機会があり、年齢も同じ事からこのご主人さまとは、ちょっとした気心が知れた間柄だ。それを良い事に、昨年11月にサイトが開催したオフ会では「あれして」「これして」とこき使ってしまった^^;こき使ってしまったのは、このご主人さまだけでは無いけれど・・・そう、私は人使いが荒いのです。私が優しいのは、患者さんと女性だけなものでして・・・それ以外の方に対しては、決して優しくは無いのです・・・Y先生に対しても例外ではありません。で、あまりにも心配症なので、このご主人さまには、時々「渇」を入れております。しばらくぶりにメールが届いたのですが、術後T3(癌細胞が胃壁を突き抜け、しょう膜を出ている状態)だと思っていたのが、実はT2(癌細胞が胃の筋肉層にとどまる)という事がわかり、嬉しかった事を伝えたかったそうだ。それでも、超心配ぶりは健在だったけれど^^;術後、奥様は再発もせずに順調に過ごされている。今年届いた年賀状には、お二人のお子さんと奥様と親子団欒の写真が載っていた。今の幸せだけを充分に感じていれば良いのに、やはり心配と不安は付きまとうらしい・・・・それはそうだろうけれど、もっと今の幸せな時間を見つめていないとね。でも、心配も不安も消えないのは仕方ないかな・・・その都度、私は「渇」を入れている^^
2006年07月13日
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さすがにこの暑さでバテ気味。この数日、朝起きる時がとにかくだるい、だるい…クーラーかけたまま寝るせいかなぁ…と思っていたけど、珍しく今朝は何ともなくて朝から元気!この違いは何だろう?と考えてみたら、そう言えば、昨夜はしっかり食べたな…と思い当たる。高タンパクの食事をしっかりとった。患者さんから届くメールに体力低下、倦怠感が書かれている事が多々ある。今日久しぶりにメールをくれた岐阜の患者さんもそうだった。皆さん、病気の進行のせいだと思い込み、かなり落ち込んでいる。けれど、その原因は食事が満足に取れないための栄養失調…だったりする事もある。特に今の時期は病気じゃなくても食欲は沸かないし…毎日、ちゃんと食べているつもりの私だってこのザマだもの(;^_^A)患者さんは体がだるくても、言わば当たり前。十分な栄養が取れている患者さんなんて、そうそういない。だから「なんだ栄養不良かぁ」くらいに開きなおって、気にしない事です。化学療法を受けていれば尚さらですから。それに、動かなければ筋肉も落ち、体力が低下するのは当たり前ですしね。キツイ時は栄養や電解質の点滴で補ってください。この暑さだと、知らず知らずのうちに汗をかき、自覚のないまま脱水症状・・・なんて事もありますから。ただ、黄疸が出るような異常な倦怠感や、肝機能低下によるものは別ですから、この点は要注意です。
2006年07月12日
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患者さんのご家族からよく受ける質問に「全てを告知すべきでしょうか?」と、いうのがある。今や「癌」という病名を隠す病院はまず無い。癌告知は当たり前になった。だが、病名は伝えても本当の病状は伝えない病院は結構ある。そこで、ご家族は悩むのだ。患者さんご本人がご自分の闘病記をネット上で公開されている方も多くなり、そういった闘病記を読むにつれ「隠していて良いのだろうか?」と思うらしい…全てを知ってる方が、こんなにも前向きに充実した時間を過ごされていると言うのに、うちは…と、自己嫌悪すら抱くようだ。貴重な時間を無駄にしているような気持ちになってしまうようだ。こういう質問は正直言って、答えは難しい。患者さんの状態、癌告知を受けてからの時間、性格、家庭環境、社会的な立場等…皆さん違うから。ただ、ひとつ言えるのは、どんなに隠しても自分の体調の変化に疑問を抱かない患者さんはいない。何も考えていないように見えて、実は考え込んでいて、そっとしていて欲しいと思っているかもしれない。ご家族には近すぎて見えない、患者さんの心理がある。歯がゆいだろうけれど、どうしても越えられない壁がある事を認めなければならない…と、私は思う。その上で、ご家族は自分にしか出来ないサポートをすべきではないだろうか…これは、私個人の考えだけれど。
2006年07月11日
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6月29日の日記に、ある女性患者さんから頂いたメールを載せたら、これを読んだ大阪の女性患者さんから「何も出来ないけど、励ましたい。お会いしたい。」とのメールが私に届いた。・・・と言われても、この大阪の彼女だって自宅にいるとは言え、ちょっとした手術を控えている身だ。ここで紹介したメールの彼女は福岡の人だ。気持ちはわかるけどなぁ・・・無理があるよなぁ・・・と思いながらも、あまりにも真剣なので福岡の彼女の了解を得てアドレスは教えた。この福岡の彼女は、以前時折サイトの掲示板に投稿を頂いていた、HN「風」さんです。「あぁ・・・」と思われる方も結構おられると思います。で、それから毎日メールの交換があったようで・・・・で、で、で・・・本当に大阪の彼女は福岡へ日帰りで風さんに会いに行ったんです!!!!お二人から、報告のメールが届きましたが、双方共もうメチャ明るくて、活力満タンな内容でした。はぁ???と驚くばかり。風さんからは、大阪の彼女との出会いに感謝の言葉と共に、又生きたいと言う気持ちが溢れてきました、治療再開してみますとのメール。大阪の彼女からも、良い思い出が出来ました!!と明るいメール。常々、人の心を暖かくするものは人の暖かい気持ちだけだと、思っている。これは、素晴らしいサポートだ。すごいな、人の心って。
2006年07月09日
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昨年6月に出会った、30代のある男性患者さんは、私の目を見て「自分は余命を含めた全てを知りたいのです」と、言い切った数少ない方だった。どうも、周りの皆が何かを隠しているような気がしてならない。さすがに親に聞くのは可哀想だから、嫁を怒鳴りつけて本当の話を聞いてきました・・・と言っていた。自営業を営んでいる方で、ご家族で会社を経営されている。名目上は父親が社長だけど、実質的な社長を務めておられるようだった。余命を含めた全てを聞いてきました・・と淡々と話した後、「ほら、自分が死んで親戚とかが遺品整理で自宅にやってきて、隠しているエロ本が見つかったら格好悪いでしょう。自分はもう死んでいるのだから構わないけど、嫁が恥をかきますからねぇ・・ははは・・・」そんな風に茶化した後、「何でこんな病気になったのかなぁ~やはり病気ってストレスが原因ですかねぇ・・?そんなストレスなんて感じていないんだけどなぁ~、やっぱり接待がストレスだったのかなぁ・・」お酒が全く飲めないのにお客さんから誘われると無理に一口飲んで、あとは飲めない分、場を盛り上げるのに苦労していたようだった。「あれがストレスと言えば、ストレスだったから自分が死ねば弟が同じ仕事をするはず。弟まで同じ病気になっては大変だから、自分の給料を減らして人を雇うかなぁ・・・結婚したばかりでまだ子供はいないから、嫁はいずれ再婚できるだろうし・・・」等と、家族の心配ばかりをされていた。そして、「今の病院に不満がある訳じゃないけど、自分はがんセンターに世話になる訳にはいかないんですよ。がんセンターに入院なんてしたら、癌だって皆にバレるでしょう。折角、自分に付いてきてくれているお客さんが離れてしまう。今の病院なら、ちょっと酷い胃潰瘍で通せますから。」とも、言っていた。決して長いとは言えない余命を知りながら、その上で家族とその行く末ばかりを気にかけていた。事実上、社長ともなれば自分の事は二の次にならざるを得ない。病気以外にも重いものを背負っている患者さんだ。「今の家業を継ぐまでは、決して人に自慢出来るような人生じゃなかった。逆に人に言えるような仕事をしてこなかった。」と、前置きをしながら今の仕事にかける自負を語っていた。仕事の話の時は目が輝いていたな・・・2~3時間くらいだったかな・・・お互い声を出して時に笑い合い、こんなおしゃべりをした。「でも、自分は全く死ぬ気がしていないし、絶対に治ると思ってますから。誰にでも言える話じゃないから、聞いてくれてありがとうございました。」と、言って元気に帰って行かれた。あれから、1年が経過。その後、連絡を頂いていないので、化学療法が奏効して多分お元気なのだと信じている。お元気な時には、大抵皆さんご無沙汰してしまうから、元気な証拠だと思っています。
2006年07月07日
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最近、自分がこの病気になった夢を2度見た。1度目は、今まさにTS-1を飲む場面だった。右手にあのカプセルの抗癌剤、左手に水の入ったコップを持っていて、夢の中の自分は「TS-1を飲むのって、こんなに度胸が要るものだったんだ・・・」と、つぶやいていた。かなりビビっていて、飲む前に目が覚めた。2度目は、何故か自分の部屋のベッドに腰掛けている場面で、再発を告げられていた。視線を落とすとお腹が腹水でパンパンに張っていた。その瞬間、全身に稲妻のような思いが走り抜け、これが患者さんの気持ちなんだ、自分は何もわかっていなかったな・・・と、変に冷静に反省していた。そして、次に考えた事は、「私が死んだら、誰かこんな事をしてくれる人が現れてくれるだろうか・・・?」という、思いだった。私みたいな、カワリモノ・・いるだろうか?・・・・私は未だ死ねない!!なんて、使命感に燃えたところで目が覚めた。私を植物に例えるなら、頑丈な Gastric Cancer Support Site という土壌に根をおろし、小さな一つの花をつけただけのちっぽけなものだ。そこにY先生という栄養肥料があって、嵐の時には添え木になってくれる仲間がいて、今は遺族という立場になってしまった方々が大きな太陽となり遠くから私に暖かな光を届けてくれている。そこに、実をつける為に飛んでくる患者さんや、ご家族というミツバチが集まる・・・そんな感じではないだろうか?どれか一つでも欠けたら、すぐに倒れてしまうだろう。一人じゃ何も出来ないけど、私も一人じゃないから続けていられる。そして、患者さん、ご家族の皆さん、あなた方も一人ではありません。
2006年07月05日
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ブログを始めて良かった事に、サイトの方ではなかなか知り合えなかった早期発見された患者さんも、ちゃんといる!という事がわかった事がある。そして、スキルスと判明してから2年、3年、4年と経過された方との新しい出会いがあった事も。Gastric Cancer Support Site の方では、なかなか早期発見された患者さんとは出会えなかった。早期発見と言っても、スキルスの場合は病理学的に1期はなくて2期になるそうだけれど。そして、サイトの方ではあまり無かった患者さんご自身からのコメントや、メールが届く事も。それと、それと、私のブログを介して患者さん同士の出会いがある事。全体からみたら、やはりレアな病気なので、大抵の患者さんは同じ病気の方と出会うような機会には恵まれないから。患者さんが、ご自分の状態より他の患者さんの体調を心配する・・・・そんな事もある。昨夜もそんなメールが届いた。midoriさんがそうだった・・・midoriさんに心配されたキヨカさんは目に一杯涙をためて感激していた・・・人の心を暖かくするのは、やはり人の暖かい心しかない・・そう思う。今思うと、midoriさんがサイトに頻繁に顔を出していたのは、仲間を探していたのかもしれない。だから、自分でもブログをしていたのかも・・・もしかしたら、こんな場が欲しかったのかもしれない。私がこれを始めたのは、midoriさんの思いが私の中にあるのかも・・・ふと、そんな気がしました。
2006年07月03日
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先日、Y先生が学会の帰りに我が家にやって来られた。それぞれの目標って言うか、夢を語り合った。Y先生はあいかわらず、諦めずにスキルス、腹膜播種の根治、それが叶わないなら、より永い延命を求めている。スキルスは癌という病全体から見たら、1パーセントになるかどうかのレアな病気だ。なかなか根治率が伸びないし、5年生存率の数字も伸びない。患者さんの数が少ないと言う事も、治療成績が伸びない理由かもしれない。それでも、私の元に来るメールは100パーセント、スキルス、もしくは腹膜播種の患者さんであり、決してレアな病気ではない。そんな患者さんの、より永い延命、出来れば根治をいつまでも諦めないのがY先生だ。だけど、その延命のためには患者さんの辛い努力が必要になる。それを支えるご家族のサポートも必要だ。そんな辛い努力の中で、くじけそうになる患者さんや、ご家族の心の手助けをしたい・・・これが私の夢だ。で、この晩はY先生は熱く医療を語り、主人はそれに付随するための工学を語り、私は患者さんや患者さんを支えるご家族の思いを語り・・・・夜がふけました・・・心と体の医療、それを実現させる為の工学・・・それぞれが見る夢が、現実になる日がきますように。
2006年07月02日
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