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昨日はセバスチャンさんの悲しいお知らせを致しました。ですが、スキルス胃癌という同じ病であっても、色んなタイプがあります。悪性度の高いタイプもあれば、おとなしいタイプもあります。同じ人間がいないのと同じで、経過も同じ方はいません。単にボールマン4型に当てはまらないタイプもあります。皆さん、全て違うって事をちゃんとお伝えしておこうと思いました。セバスチャンさんの悲しい連絡は、ご友人から頂きました。ご自身も同じ病気の方です。「自分にも出来るサポートを」と、同病の方に手を差し伸べておられます。この方と約束致しました。共に手に及ぶ限り・・・って。
2006年09月29日
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ここで書くべきかどうか・・・迷いながらこれを書いております。昨日、私の元に訃報が届きました。昨年、11月にサイトが開催したフォーラムにご夫婦で参加された30代の男性患者さんです。7月に逝かれたそうです。術後1ヶ月でフォーラムに参加され、術後という事で体力温存のため、念の為に車椅子での参加でした。感染予防のためにマスクも着用されていました。積極的にご自身から、病気の質問をされた方です。サイトの掲示板には、セバスチャンのハンドルネームで投稿も頂きました。ここで出会ったも何かのご縁。その後、度々ご本人と、奥様の双方からメールを頂きました。術後の回復は順調で今年の4月には無事に職場復帰もされ、その感無量のお気持ちも私に届きました。ですが・・・術後半年で再発が判明・・・それとほぼ同時に骨転移も判明しました。骨転移が判明した日・・・明らかに大泣きした後だとわかる声で奥様からお電話を頂きました。あまりにも急な暗転で、色んな経過の患者さんを知ってはおりましたが、ただただ驚くばかりでした。この少し前には、セカンドオピニオンを受けられ、こんな暗い話は無かったのです。地元に帰られてから、腰が痛いと病院に行かれて判明したのでした。このブログのトップページに貼り付けてある「今、頑張っている患者さん、そしてご家族の方々強がらないで時には愚痴ってください、泣いてください明日、笑うために・・・」この言葉はある日のブログに書いた言葉です。この日のブログをセバスチャンさんご夫婦は揃ってご覧になったそうで、翌日奥様から「この言葉を主人が涙を溜めて読み、頷いていました」と・・・・メールが届きました。それで、いつでも目に留まるようにと、この言葉だけを切り抜きトップページに貼り付けたのです。私なりの精一杯の応援のつもりで・・・6月まではご連絡を頂いておりましたが、途絶えてしまってずっとずっと気になっていた患者さんでした。掲示板に投稿頂いたセバスチャンさんの言葉は、色んな方の心に強く残ったようで、セバスチャンさんはどうされていますか?と何人かの方から、問い合わせのメールが届いておりました。ですので、皆様を悲しませてしまうけれど・・・報告する事に致しました。今の言葉で言えば、イケメンの素敵な男性で、力強い目がとっても印象的な方でした。どうにも、こうにも昨日から心の奥底に何と表現して良いのかわからない「虚脱感」のようなものが私の中にあります。ただ、ただ・・・悲しい・・・この言葉でしか今の思いを伝えられません。
2006年09月28日
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4年前、父が他界した時・・・その数日後に静岡の七滝温泉に行きました。北海道から来てくれた二人の叔父を、折角遠方から来てくれたのだからと、私の従兄がまぁある意味「接待」を計画したのです。七滝温泉には、水着で入れる数種の温泉があり、従兄夫婦、二人の叔父、私達夫婦の6人で行きました。「喪に服す」と言う言葉がありますが、明らかに不謹慎とも思える行動ですよね。こんな観光地に遊びに来ている人間が、まさか数日前に父親を亡くしたなんて誰も思わないだろうなぁ・・・なんて、ぼんやり思いました。亡くしたのは私にとっては父親ですが、二人の叔父にとっては実の弟であり、実の兄。計画した従兄にとっては、父親のような存在の叔父にあたります。このちょっとした旅行に参加した人たちは皆、心底父を愛してくれた人達です。心から涙をこぼした人達です。一緒に温泉に入り、時に声を出して笑い合い・・・皆揃って「不謹慎」しました。この面子で遊びに行っても、笑っても、許される行為のような気が致しました。最初、計画を立てた従兄には「えっ?こんな時に?」って思ったけれど、気を紛らわすには良かったのかも・・・そして、今・・・先日頂いた患者さん方からのコメントで、また同じように思えそうです。
2006年09月27日
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昨夜は嬉しい便りが届きました。あのカズオさんの奥様から。苦労して頑張った甲斐があって、大玉の梨が出来上がり、常連のお客さまから暖かな電話を頂戴したのだと。カズオさんが亡くなった事情を知って、もうあの美味しい梨が食べられないと思ったのに、こうして今年も又美味しい梨を食べる事が出来て、とても嬉しいと。それと、わざわざ遠方から励ましがてら買いに来て下さったお客さまもおられたそう・・・この詳細を読みながら、私まで涙がうるうる・・でした。カズオさんが亡くなってからも、ちょくちょくメールが届きました。彼女の涙の数と、思いつめた数と、落ち込んだ数が数えられるくらい・・・闘病中もずっとやりとりが続いていて、ある意味戦友とも言える間柄です。自分一人が残されて、自分一人が楽しんだり、幸せな思いをしてはいけないような気がする・・彼に申し訳ない気持ちが拭いきれないと、何度も何度も言っていた彼女が、今回ばかりは「すごい幸せ感」を表現していました。私にしてみれば、それが何より嬉しいのです。多分、カズオさんも同じなのでは?彼女の気持ちもわかりました。この数年、私は常に深刻な状況の患者さんや、ご家族とお付き合いしてきています。今もそうです。そんな中で、どこかに遊びに行く・・・それ自体が後ろめたい思いがしていました。出先で笑いながらも、今この時間深刻な患者さんの事が頭について離れない・・・笑ってはいけないような思い・・・何をしても、どこへ行っても心底楽しめない自分がいつもいました。大抵、どこへ遊びに出かけてもケータイにメールが届いていましたから。ついこの間、思い切って患者さんから届いたメールに、返信を打ちながら最後に今日は東京へ遊びに来ています・・・って書いてみました。こんな事を書くのは初めての事、その後、後悔しました。でも、翌日届いたその患者さんからのメールには「ひろりんさんにもストレス解消の場があって良かった」と。この言葉が何だかとてもありがたく、そして肩から力が抜けました。
2006年09月25日
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度々、ここで身内である知子さん(54歳)の闘病を書いていますが、今日もちょっとその時の事を。丁度、昨年の今ごろだったと思います。知子さんに心配な症状が現れました。今まで多くの患者さんや、ご家族の方々とお付き合いしてきて、多種多様の抗癌剤の副作用を見聞きしてきました。ですが、その中のどれにも当てはまらない症状が知子さんに出たのです。知子さんは治療の都度、自宅を離れ実姉の家でしばらく過ごす・・・を繰り返していました。ある晩、お姉さんから私にこんな電話が・・・「どうも、知子が昨日TS-1を6錠飲んでしまったみたいなの」と。今朝、朝食後にTS-1をちゃんと飲んだのに、昼食後に朝飲み忘れたからとTS-1を飲もうとしたという。お姉さんはちゃんと今朝飲んでいる姿を見ていたので、急いで止めたそうだけれどその後飲んだ、飲まないで口論になり、薬の数を勘定したら合わない・・・昨日も同じような事を言って昼食後に飲んでいたから、恐らく昨日は6錠飲んだ計算になる・・という事だった。「私が言うと喧嘩になるから、知子はひろりんちゃんの言う事なら聞くから、知子に言って貰えないかしら」と、言うので主人と急いでお姉さんの自宅に向かった。車で30分程度の距離である。実際、抗癌剤はちゃんと容量を守って服用しなければ大変危険である。何としても、この点はちゃんと説明して気をつけてもらわねばならない。で、抗癌剤は市販の薬と違って、とても危険な薬である事をちょっと脅かして(ウソは言ってませんが)知子さんに話した。単に思い違いかと思っていたのだけれど、この件があって過去を思い出すと、どうもとんちんかんな事がちょくちょくあった事に気付いた。何だか・・・おかしい・・・時間、日付の感覚がおぼつかない事がたまにある・・・間違って眠剤を昼間飲んでしまい、ひがな1日寝ちゃっていたり・・主治医に相談して、脳の検査をしてみた。脳の専門医に画像診断もして貰ったけれど、画像で見る限りは脳転移ではないようだ。実年齢より脳の萎縮が若干進んでいるとは言われたけれど、記憶障害を起こすほどではないらしい。TS-1の副作用に記憶障害の報告は聞かないが、5FUにはその副作用の報告があるそうだ。TS-1は5FUを元に作られた薬だから、5FUで報告がある副作用がTS-1に出る可能性もある・・・だから抗癌剤の副作用かもしれないし、加齢かもしれないし、又は別の何らかの要因があるのかもしれない・・・結局、原因はわからない・・という事だ。例え、副作用だとしてもTS-1を止めるわけにはいかない。何が原因にせよ、こういう症状が出た以上、薬の管理はお姉さんとご主人がそれぞれ受け持つ事で本人には納得して貰った。記憶障害とまではいかない「思い違い」程度で、生活においては他には何ら問題はなかったので、誰にでもある「うっかり」で、心配は要らないけれど、薬の管理は悪までも念のためですからね~と、本人にはなだめながら・・・主人や私から言う分は、眉間にシワを寄せる事なく聞いてくれたので助かりました。本当に薬の副作用は千差万別です。
2006年09月24日
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昨日の朝、カズオさんの奥様からケータイに「ありがとう」メールが。どうも、ブログを読まれたらしい。当のカズオさんからは「恥ずかしいし、照れくさいから消してくださいよぉ~」と、言われている気もするけれど、まっいっか^^カズオさんが亡くなってから、梨農園を辞めようかと思った事もあったそうだけれど、規模を小さくしてやれるだけやってみよう・・・そう、思われたそうだ。今は超多忙な時期だそうで、朝5時から夜10時まで作業だそう・・・体を壊さないように充分、ご自愛してくださいよ。「やれる事をやれるだけ・・・」これは私のこのブログと同じかな。いつ逆風が吹いて飛ばされるかもしれないけれど、「いてくれるだけでいい」「何があっても応援します」って言ってくれる人がいるから、やれるだけ、やれる事を今の自分のありのままでやっていこうかな・・・そうそう、ある方のHPの掲示板で私の話題が書いてあった!私の事を「お姉さん」と書かれていて、「おばさん」じゃなくて良かったなどと思った私です^^;
2006年09月22日
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昨日の梨・・・カズオさんの思い出が蘇ります。こんなトコでバラしちゃたら、カズオさんに怒られてしまうかな・・私に届いたメールの中に「妻は虫が大嫌いで、今も嫌いでしょうが、そんなサラリーマンの娘で育った妻に、自分の夢に付き合せてしまって苦労させてしまいました。」こんな言葉がありました。面と向かって奥様には言えずにいた言葉じゃないでしょうか・・・いつの日か、私から伝えて欲しかったのでは?ちゃんと伝えましたよ。カズオさんの思いを。
2006年09月20日
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今日は美味しい梨が届きました。隣のフリーページ「患者さんの話」で書いている、カズオさんの奥様から。時折、贈り物の打診を頂きますが全て遠慮させて頂いております。ですが・・・この梨だけはちょっと別なんです。昨年11月に亡くなったカズオさんが、まさに命を賭けて作り上げた梨農園の梨なんです。入院中、梨作りに賭ける夢と、どれだけ自分が梨を愛しているか・・・そんな思いのメールを何度かご本人から頂きました。「食べて欲しいから」と、昨年も送って頂きました。カズオさんから届くメールの最後には「これからも応援よろしく!」の文字がありました。私など遠方に暮らし、何一つ役立つ事など出来やしなかったのですが・・・自分が、心底落ち込んでみて初めてカズオさんのこの言葉の意味が身に沁みました。「私こそ応援よろしく!」だなぁ・・・と。昨年は明るいご夫婦の笑顔の写真が同梱されていたのに、今年は奥様一人の笑顔・・・それが悲しいやら、奥様の笑顔が久しぶりに見れて嬉しいやら・・・・涙・・涙・・涙・・・止まりません。昨年も、暖かな思いが胸に染み渡り、頂いた梨を前に泣いたんだった・・・
2006年09月19日
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(すみませ~ん、18日に記載したデータに誤りがあり、19日に書き直しました父は癌発覚後も普通に市の検診を受けた事をうっかりしてました)今日、たまたま母が引き出しの整理をしていたら父の健康手帳なる物が出てきた。毎年、市が行っている健康診断を父は4月に受けていた。出てきた手帳は、病気が発覚する年からさかのぼって3年のもの。これを見ると白血球が明らかにおかしい。 平成11年 白血球 6100 12年 白血球 4800 13年 白血球 4700(この半年後にスキルス・ステージ4判明) 14年 白血球 2900(TS-1服用5ヶ月経過、1年前より体重10キロ減少)先週テレビでスキルスをテーマにした番組があったが、それによるとスキルス胃癌は普通の胃癌の進行度の6倍の早さだという。癌という病はそれなりの大きさになるまで、何年もかかっている。スキルスがいくら進行が早くて速さが6倍だと言っても、数ヶ月で出来るとは思えない。と、なると・・・父の場合、一体いつから癌が出来て体に悪さを働いていたのだろうか?白血球の数から異常を感じて、もしかしたら「癌」???と思ったとして、どうしただろうか?恐らく、人間ドックを受ける程度の事しかしなかったと思う。実際、毎年受けていた肺癌検診では異常なしの検査結果が出ています。スキルスが発覚した時点でも、大腸には転移も浸潤も無かったから、当然大腸の検査をしても問題なしだったハズ。胃カメラも、先日書いた通り綺麗なピンク色。幽門部に出来ていた、こぶのような物もこれ自体は癌ではないと、二人の消化器の癌専門医に診断されています。つまり、何かおかしいぞ・・・と思ってもどこにも癌は発見出来なかった・・・と言う事になるのでは?腫瘍マーカをオーダーすれば(反応が出ない人もいます)、????の疑問が出たかもしれないけれど、腫瘍マーカだって沢山種類があるし、反応が出たとしても検査で見つからないスキルスには一体どうすれば良いのか・・・もしかして、もしかして、父の場合、あの幽門部の腫瘍が「通過障害になるから切除しましょう」となったとしたら?この程度なら内視鏡で切除出来る可能性が高いように思う。その組織検査でもすれば、スキルス発見!!になったかも???手帳一つ見て、色々と考えてしまった日になりました。
2006年09月18日
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今日は栗拾いをしました。と、言っても行楽に出かけた訳ではなく、母方の実家が小さな栗林を持っているのです。栗の木が25本くらいあります。特に手入れもせず、農地として届けている土地を有効活用?しているだけなのですが。放っておくと、栗がただ落ちていくだけ、もう誰も見向きもしなくなってしまいました。叔父が見かねて拾っていますが、売る訳でもなく拾った栗の活用に悩む有様~そんな栗を毎年父が拾っては、友達宅に届けていました。初物だし、この友達のお孫さんがすごく喜ぶので。父が他界してからは、毎年私が父の代わりに栗を拾い、この父の友達宅に母と届けるのが恒例となりました。この父の友達は、父の病気を知ると時折奥様と我が家へ父を訪ねてくれた人です。季節の折々の風物詩の絵をご自分で描いた心和む絵葉書を送ってくれたり、ご夫婦で千羽鶴を折ってくれたり・・・・そんな暖かなこの方の思いに、こんな形でずっと接していきたいと思いまして・・・届けた時は残念ながらお留守だったけれど、お礼の電話がきました。私はちょっとだけでも父を思い出してくれた日になってくれたのが、嬉しかった。
2006年09月16日
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父の最初の入院は40日間。約20センチ切って縫っただけなのに、今思うと長かったような気がします。胃全摘、ルーワイ法で代替胃を作る予定でした。もうこの時、胃は既に狭窄していて食事は摂れるものの、少しずつしか摂れない状態。牛の胃袋じゃないけれど、小さな胃が二つ繋がっている感じでした。腹膜播種が手術時に確認され、腹腔内にマイトマイシンという抗癌剤を直接撒いただけで閉じました。今も当時の胃カメラ写真がありますが、幽門部に大きなこぶのような突起がありますが、そのこぶすら綺麗なピンク色です。スキルスは胃壁に潜り込む特徴がありますが、胃内部の写真を見る限り癌は見当たりません。潰瘍もありません。開腹時、せめて原発巣である胃だけでも切除してもらうべきだったのか・・・今でも悩むところです。と、私が悩んだところで当時の主治医は既に切除する気はなく、ただ「このまま閉じます」と言っていましたが。そもそも、胃癌という診断は受けてはいましたが、スキルスという説明があったのは手術前夜。説明のため呼び出された時間は19時だったのに、実際は21時を過ぎていた。なぁんにもわからないまま朝を迎え、宜しくお願いします・・・っていうしかなかったのだけれど。昨日書いた「手術前日にドタキャン」すら、する間が無かった。こんな状況下で入院している事を何も知らされていなかった父は、術後の痛みから開放された入院中は気が合う同室の患者さん達と結構楽しげに過ごしていました。母はこの時、すぐに涙目になってしまって父の顔をろくに見れませんでした。私は父に悟られないようにと、必死に笑顔で隠しているのに母は駄目で・・・母の様子でバレるのではないかと、ひやひやしていたものです。40日もいると、何時の間にか父は最古参になっていました。周りは入れ替わり、立ち代り色んな患者さんがやってきます。お一人だけ昼間からずっとカーテンを引いている患者さんもやって来ました。それでもいつも誰か一人や二人は気の合う患者さんがいてくれました。入院当初、出来るだけ長く入院していたい・・・なんて事も言っていました。定年退職して10年近くが経過していて、自宅にいてもこれと言ってやる事もなく、やりたい事もなく一人で過ごす事が多かった父は、寂しかったのだと思います。入院というちょっとした共同生活が気に入ったようでした。それでも、仲良くなった患者さんが次々と退院していくと焦りも出たのか、入院生活にも飽きてきたのか、退院を急くようになりました。父がこんな精神状態になると自分の事しか見えず、考えられなくなり家族を困らせる事も多々ありました。何も知らせていないのですから、父の中でも矛盾が生じ始めていました。私達夫婦はこの頃、水面下で主治医と壮絶なバトル、セカンドオピニオンに向けての調整、病気の勉強等、父に気付かれないようにこっそりやっておりました。母には調べた事を、別の医師の意見、全て伝えました。母を何度も泣かせる事になりましたが、私とてそれは同じ。一緒に戦っていかねばなりません。一番父の側にいなくてはならない存在ですから、母を泣かし傷付ける事になりましたが事実を告げました。全てを受け止めた上で、前を向かねばならないと思ったのです。
2006年09月14日
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5年前の父が入院時の話を今日も一つ。父の左隣の患者さんは60歳前後の方でした。何の癌だったか・・・記憶がありませんが、既に手術を受けていて病巣を全部切除し、3ヶ月だったか半年だったかに1度の検査を受けに外来に来ていた患者さんでした。その方が何故この時入院していたのかと言うと、今回の定期検査で5センチの癌が発見され再手術のために即入院!!となったのです。奥様が毎日病院に来ていました。決して愛想の悪い方ではなく、反対に社交的な奥様なのに、時々ご主人とヒソヒソ話をしていました。何なんだろうなぁ・・・と、ちょっと訝しく思ったものです。そして、明日がこの方の手術日という日に、突然「退院します、皆さんにはお世話になりました」と、言って帰り支度をご夫婦で始めてしまいました。もう、皆、唖然です。そして、病室を出る時にこの奥様が母のそばへやってきて「ずっと検査してきたのに、いきなり5センチの癌なんて・・・ この病院は信用できない。 私ね、病院の外の公衆電話でここの病院に電話して、主人を診てくれるように頼んだのよ。」と言って母に新聞の切り抜き記事を渡しました。あるがん専門病院の記事でした。ここの病院へ行くとなるとこの方のご自宅からは、かなり遠くなります。切られてからでは遅いからと、奥様がご主人を引っ張るように出て行かれました。命がかかっている病とは言え、手術日前日に手術をドタキャンするには相当の勇気が要るもの・・・・本当に驚きました。失礼ながら、このご夫婦の年代でそこまで出来る方は本当に稀だと思います。後悔だけは残したく無い・・・そんな思いだったのでしょう。結果は二の次だと・・・そんな切羽詰まった思いも、今は心に染みるように理解出来ます。世の中全てを敵にまわしても構わない・・・そんな風に思われたのではないでしょうか?あれから5年・・・医療体制というものを色々と知ると、この方のようにいきなり退院して別の病院・・・それも癌専門病院への転院なんて、どれほど難しい事なのか良くわかります。よく実現出来たなぁ・・・と、未だに信じられない思いです。
2006年09月13日
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6日が父の命日だったせいか、やたらと5年前の事を思い出す・・・丁度5年前、父が最初に入院した大学病院の6人部屋。右隣の患者さんは50代の大腸癌の患者さんでした。定期検診だったか、人間ドックだったか記憶が定かではありませんが、この大腸癌の患者さんは検査では問題なしと言われたのにそのわずか後、腹痛で病院に行ったら「大腸癌」と診断されたのだと言っていました。それから毎月定期的に抗癌剤治療を受けるために短期入院をしているのだと。この頃は癌に対する知識など無かったので、この方の状態がどういうものなのか、わかりませんでした。今なら、手術不可能と診断され抗癌剤治療を受けているのだとわかります。毎月定期的な入院・・・となれば、シスプラチンか5FUか、それとも・・・と薬剤の想像も出来ますが。で、ふと気付くとこの患者さんの姿が見えなくなって、数時間が経過していました。ナースが何度も病室に顔をだしてこの患者さんを探しています。「Hさん、どこに行ったのかしら?」「まだ、病室に帰って来ていませんか?」と、同室の患者さん達に聞いては、困った顔をしています。ついに、院内アナウンスで呼び出しが・・・・それでも、このHさんは帰って来ません。しばらくして、ひょっこりHさんは帰って来ました。「さんざんナースが探していましたよ、アナウンスまで何度も流れてましたよ。」と言うとHさん頭を掻いて「いやぁ、パチンコに行ったら出ちゃって出ちゃって、帰れなくなった。」と、言います。病院を抜け出して、バスに乗って「3千円だけ」って思ってパチンコをしてきたそうな・・同室の患者さん達と大笑いした事を覚えています。その後、ナースがやってきて「一体、何処へ行っていたんですか?院内アナウンスが聞こえなかったんですか?」って、叱ってました^^;もともと、パチンコがお好きだったのだろうけれど、本当は何も考えずにいられる時間が欲しかったんじゃないかなぁ・・・と、今は思います。奥さんとは離婚して、一人暮らし。遠方に暮らす息子さんがいて、主治医から話があるから息子さんに来て貰って下さい、と言われたと言っていました。こんな呼び出しは良い話じゃない事くらい、誰でも察しがつきます。「息子にも仕事があるからなぁ・・・」と、息子さんを気遣いながら自分の行く末も考えて・・・・ちょっと息を抜きたかったのではないでしょうか。男性癌患者さんが抱える「孤独」がそこにあるような・・・あの頃見えなかったものが、少し見えるようになった気がします。私の思い込みかもしれませんけどね。
2006年09月12日
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前回、男性の癌患者さんの事をラジオから聞いたままの内容を書きました。なので、今日はその続きとして私自身の経験談を。そもそも、私の父・・・当然男性癌患者なわけですが、父は先日のあるがんセンターの医師が話されていた「多くの男性癌患者さん」には当てはまらない人でした。最初に入院した大学病院では6人部屋。がんセンターではなくても、病院側の配慮から同室の患者さんは皆さん、何らかの癌患者さんばかり。年代も年配の方ばかりでした。この6人の中で、実際は父が一番重い患者でした。スキルス、ステージ4、腹膜播種・・・となれば、やはり父が一番重いと私は思っていました。ところが、同室の他の患者さんが口を揃えて、私の父が一番元気で若々しいと言われます。なまじ、お世辞でもなさそうです。たまたま、皆さんと気があって新聞を回し読みしたり、いつもカーテンを開けて冗談を言い合っていました。そんな中で父の手術が行われました。開腹し、ただ閉じただけの手術でしたが・・・本人は知る由もなく、癌を全て切除したと思い込まされていました。開腹後は当然痛みが伴います。高熱も出ました。手術室からすぐに移されたのは暫定的にナースセンターの前の部屋。その部屋まで、同室の患者さんが心配そうに父の様子を見に来てくれた事が、父にはとても嬉しかったようです。痛みと高熱の中、力ない笑顔を返していました。でも、本物の笑顔だったと思います。その後、転院しましたがここでの検査を含めた40日間の入院生活は、父を明るく元気でいさせてくれました。主治医とは合わなかったけど、ここでの他の患者さん達との出会いが父を良い意味で開き直らせてくれたのだと思います。時に「なんでこんな病気になったのだろう・・・」とつぶやいていましたが、自ら病名を名乗り人付き合いをしてするようになりました。女性と違って、男性は良い出会いがあっても、積極的にそれを電話や出向いて会うとかして持続させないものですが、それを何らかの形で持続させられていたら、もしかしたらもう少し元気でいてくれたのかなぁ・・・なんて・・・・ね。
2006年09月11日
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先日、車を運転している時に、たまたま聞いていたラジオ番組での話です。若い女性パーソナリティが、あるがんセンターの医師と「癌」をテーマに話していました。私が聞いたその日は、たまたま男性癌患者さんの心理状態の話でした。その、がんセンターの医師の話はこんな内容です。入院中の男性患者さんの多くに、孤立傾向がみられる。大部屋に入院していても、皆さんがカーテンを引き自ら個室状態を作り出している事が多い。男性の多くは「会社」と言う世界で生きている為に、どうも会社の外での人との付き合いが上手くないようだ。これが女性の癌患者さんだと、進んで自分から自分の話を始めるので輪が出来やすい。どうも、男性はこの女性が得意とする行動が苦手のようである。孤立化している男性患者さんより、社交的に他の患者さんやナースと雑談するような患者さんの方が延命率が高いというデータがあります。言葉はうる覚えなので確かではありませんが、内容はこんな感じでした。実際、このがんセンターには、社交的な癌患者さんの方が、孤立化している癌患者さんより延命しているというデータがあるそうです。「孤立化」・・・これは男性患者さんが陥りやすい精神状態だと言っていたように記憶しています。確かに、父が入院していたがんセンターでも6人部屋なのに皆さんがカーテンを引き、それぞれが引きこもっている様子を見た事があります。父はたまたま2人部屋が空いたという事で、2人部屋でしたし、それを1人で使用していましたから事実上個室状態だったのですが。その時は大部屋なのに、何故?・・・とこの時は不思議に思いました。社交的の方が良い・・・そう、言われても引いたカーテンを開けるなんて事は出来ないでしょう。今はケータイでもネットが出来るようになりました。癌関連のサイトやブログも星の数ほどあります。そんな中で、せめてメールや掲示板等を利用して、ご自分のお気持ちを吐き出せる真の仲間を見つけて欲しいと思いました。本音を言える相手を是非、見つけて下さい。
2006年09月09日
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今日は父の命日だったので、お墓参りに行って来ました。車で10分程度なので、月命日の6日には毎月行っているので、何も特別な日ではありませんでしたが。三回忌も済んでいるので、特に行事も無しです。4年前の今日・・・父は逝きました。私がブログを休んでいる間に、mamiさんの命日がありました。8月28日です。「あれから1年か・・・・」と思いふけり、ご無沙汰しているご主人様にメールを午前中に送りました。今日はmamiさんを思い出して過ごそうと思ったので、その気持ちを素直に送りました。ご主人様は当然お仕事中だった思います。しばらく返事がこなくても当たり前と、返事は気にしてはいませんでした。そのご主人様から返信メールが届いたのは17時20分。これは、まさしくmamiさんが逝ってしまった時間です。mamiさんのご主人様は、この時間を待って返事をくれたのです。その心遣いが、暖かく感じられました。涙ながらに電話をくれた1年前が、ありありと蘇ってきました。そして、あの時の声・・・気のせい、思い込みかもしれませんが、あの日の晩、私はPCの前でつっぷして泣いていた時、「泣かないで」とmamiさんの声が聞こえたんです。側にいた主人は、泣き笑いのような顔で私を黙って見ていました。そんな1年前の日を思い出していました。
2006年09月06日
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掲示板や先日の日記への暖かなコメントをありがとうございます。待っていてくれる人がいる・・・その暖かさを感じながら、やはり又涙してしまいました・・・今回、休養宣言した事で患者さんの中には、あたかも自分が疲れさせてしまったのではないか・・・そのような内容のメールも頂きました。そんな事は全く無いんです・・・私は患者さんの心の声を聞いていたくて、このブログを立ち上げたんですから。患者さんはどなたも、家族だから言えない思い、親友にも言えない思い・・・そんな切ない思いを抱えているとのではないか?と思っています。それでも誰かに聞いて欲しい・・・そんな思い。そんな思いを、聞ける人でありたいと・・・今も変わらずそう思っています。しばらくは己の心の痛みと戦わねばいけなかったのです・・・・ここでは書けませんが、大切なものを失う結果となったから。当然の報いだと全面的に受け止めております。その上で、本来なら私はこんな事をする資格すら無いのかもしれませんが、私を待っていてくれる方々の元へやはり私は戻りたくて、戻って参りました。責任感などではありません、戻りたくて戻ったのです。また、こんな私ですが甘えて下さい。頼りない細腕ながら、受け止めますから。一緒に歩いて参りましょう・・・
2006年09月05日
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しばらく更新を休んでおりましたが、また再開しようと思います。「休養宣言」をした時は1~2ヶ月の休み、もしくは閉鎖をも考慮しておりました。そもそも何故「休養宣言」などしたかと言えば、私の不徳と致すところであり、詳細につきましては申し訳ありませんがご勘弁を。ただ、いざ休んでみると心労も感じました・・・そんな自覚は無かったのですけれど。私は最近、あまり怒らなくなったなぁ・・と感じておりましたが、怒る気力すらも萎えていたように思います。この間、毎日色々と思い悩み、深く深く考えておりました。テレビドラマや、漫画の世界じゃないけど、実際にひざを抱えて考え込んだり、自然と涙が溢れ出てきたり、・・・・気持ちを切り替えてみようと、遠方までただ花を見に行ったり、テレビゲームに興じてみたり・・・常に心の奥底で鈍く痛み続ける、痛みと、どうしようもない孤独感と戦いながら。ただ、予想外だった事は「休養宣言」をしたら、私をご心配頂くコメント、そしてメールが数多く届きました。どれもこれも、胸の詰まる暖かな内容で、また涙、涙です。私を労わる言葉を沢山頂きました。言葉はなくても、黙って見守っていようと思って下さった方もいてくれる・・・・そんな感じがアクセス記録から感じ取れます。患者さんの中には心細い思いをさせてしまった方もいる様子で、誠に申し訳ないかぎりです。私を必要とし、待っていてくれる方々の元へ戻ろうと自然と思いました。これが、今の私の素直な気持ちです。
2006年09月03日
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