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前回書いた、Death Note について、私は「もし、私がそんなノートを拾ったら......」というようなことを、ふと考えた。 すると、「そうだなぁ......嫌な人は私にも一人か二人はいるし......1回くらいはやっぱり使ってしまうかもしれないな」ーなどと不届きなことを思った。 「そのノートがあれば」とも思えてくる。 それで、はたと気がついた。「やっぱり、そんなノートは存在してはいけないのだ」と。 このDeath Note という作品は、人間の心の闇というものが、誰にでも存在することを、人々に教えている。 人は、「悪」は懲罰すべしという倫理観念を保ちながら、日常を送る。けれども、ふとしたことから、その「悪」が表に現われ、人を悪行へと誘い込むーそういう可能性は、誰にでも起こり得るのだと教えている。 この話の主人公のライトは、最初は「勧善懲悪」のために、Death Note を使う。使ううちに、自分が人の死を自在に操れることに快感を覚え出す。 そこで、彼を疑い、接近する人物をも、次々と「消して」いく。 最初は、日系アメリカ人のFBI 捜査官のレイ。 「謎の殺人鬼キラ」は日本にいる、と ICPO の「L」が推理したために、レイ以外にも、120人規模の FBI 捜査官が日本に極秘で入国しているー その情報をつかんだライトは、まずレイに大胆に背後から接近。「後ろを決して振り向かないように」と指示して、レイにある封筒を持たせ、山の手線に乗車させる。 ライトは、別の車両から、携帯でレイに指示を送る。 「封筒の中の書類を出して下さい。厚紙に入っていますが、厚紙の窓が上から下に並んでいます。その部分に、日本に侵入している FBI 捜査官120名の名前をすべて記入して下さい」 そして、記入が終わり、その書類を封筒に入れ、更に網棚に置いておくよう指示。ライトは、ある駅でレイに「では、ここで降りて下さい」と言う。そして、レイは下車した途端に、心臓発作でホームに倒れ、急死ー ライトは、レイの名と死亡時刻を、切り取った Death Note の切れ端にあらかじめ書いていた。 そして、帰宅すると、「キラ事件特捜本部長」である父が疲れた様子であるのを見て、「僕は父さんを誇りに思うよ。父さんならきっとキラを逮捕できる。頑張って」-と励ましの言葉をかける。 家族には、優秀で優しい、正義感の強い息子を演じてみせるが、自室にこもると、ライトは「キラ」に変身する。 レイに指示し、網棚に乗せた書類を持って帰ったライトは、ほくそ笑みながら、厚紙に入った書類を取り出す。その書類は、Death Note を数枚ちぎったものを使い、レイに書かせた FBI 捜査官120名の名の横には、あらかじめ彼らの死因や死亡時刻を書いていたのだ。 「これで、僕を追うものが消える。残りは、L だけだ」 このライトという少年が、外でも家でも、成績・頭脳優秀な受験生~大学生を演じ、しかも父親は「キラ(=ライト)」を必ず逮捕し処罰せねばならない捜査部長...... 「犯人は家にいるー犯人は実の息子なのだ」とは誰しも思わないし、人から言われても、信じようとしない。信じたくない。そういう父親の姿がリアルに描かれている。 ライトは、今度は、ICPO の「L」 の存在が邪魔で仕方がない。何とかしようと思っている矢先に、レイの婚約者だったという女性が、警察本部に訪ねてくる。 父親に、忘れ物を届けに来ていたライトは、その女性が「キラ事件について、私の意見を聞いて下さい」と言っているのを耳にする。 そして、彼女にうまく話しかけ、彼女が元FBI 捜査官だったことを知ると、「これはまずい」と思い、「L」の前にこの女性を「消す」ことを考える。 彼女の前では、「父がキラ事件を捜査しているし、僕も過去の難事件を解決するのに役立ったこともあるので、今では僕もキラ事件の捜査本部に加わっているんです」などと、嘘を言う。 そう言って、相手に「あなたは勇気のある女性ですね。僕と一緒にキラ事件を捜査しませんか。まず身分証明書を提示して下さい」と頼む。 これは、相手の顔と本名が分からないと、Death Note の効き目がないからである。警戒心の強いその女性は、最初、警察で偽名を名乗っていた。 ライトは、Death Note の切れ端に、彼女の証明書の必要事項を記入している「ふり」をしつつ、彼女の本名と死亡時刻、死因は「婚約者の死のショックによる自殺」と書きつけてしまう。 こうして、自分の目の前から邪魔な人間を次々と「闇に葬る」ことが着々と成功すると、ライトの「完全犯罪」への自信に拍車がかかっていくーというわけなのだ。 だが、彼がどうしても、その本名と正体がつかめない人物は、「L」だった。 その L は、ライトとは対照的な、一見「不良タイプ」の少年。ライトの父親率いる「キラ捜査本部」の前に姿を現わした L は、いつも猫背で、裸足、甘いものばかり食べるという、風変わりな人物。 けれども、奇妙で、薄ボンヤリとしていながら、次々と自分よりも年配の捜査官たちに、鋭い推理を披露し、夜神捜査本部長に、「息子さんのライト君を監視します」と指示を出すー こういう「名探偵でありながら、一見風来坊」というキャラクターは、読者や視聴者の興味を惹きつけるものだ。 昔、よくテレビで見た「刑事コロンボ」もそうだったし、古くは「シャーロック・ホームズ」なんかもそうだった。 この L の魅力が、Death Note をうまく操り、捜査の網目を潜り抜けようとする、(この時ばかりは悪い意味で)頭の切れるライトの魅力とぶつかり合うー ここが、Death Note の見せ場である。 また、「死神界」のもう一人の死神レムが、Death Note を人間界に持ち込むという、ライトにとっては厄介なことが起きる。 そのもう1冊のノートを拾ったのは、ミサという売れっ子モデル。彼女は、両親を強盗に殺害された。だが、その強盗犯を、「キラ」が殺してくれたーということから、「第2のキラ」となり、世間を騒がせつつ、「キラ」を崇拝する。 ミサは、死神レムと、「目の取引」をする。死神の目を持つようになると、人間の寿命は、半分になるが、その代わり、Death Note を持ちながらも、「目の取引」をしていないライトよりも、強大な力を持つようになる。 ミサは人混みの中から、「第1のキラ」であるライトを、その赤い目で、一目で見抜いてしまう。彼女には、死神の力が備わっているため、ライトの本名や、寿命まで分かってしまうのである。 ライトの家を訪ね、ガールフレンドを装って、彼に接近するミサ。だが、ミサはライトに一目惚れし、ライトの崇拝者であるーこのことを知ったライトは、「ミサを使って、あの邪魔な L の本名を聞きだし、そして始末しよう」と考える...... この後の展開も、意外なものとなるのだったが、何にせよ、ストーリー全部を知らないので、ちゃんと感想が書けない(汗)...... それでも、私は、L が、ライトの父親に、「ライト君がキラなんです」と言ってのける度胸に驚いたし、そう言われて「まさか」と苦しむ父親の姿に感動もした。 11年ほど前、「神戸須磨事件」で「酒鬼薔薇」(さかきばら)と名乗り、猟奇殺人を犯した14歳の少年のことが頭に浮かんだ。 その「少年A」の両親は、怖ろしい事件を犯した息子のことを、その生い立ちから事件後に至るまで、手記にまとめて、出版した。 被害者の遺族への充分な配慮と共に、その両親は、「少年A」と呼ばれるようになってしまった息子への愛情をも決して忘れていない。 「わが子がどんなことをしても、親の愛は変わらないのか」と、私はそれを読んで、たいへん感動した。 不思議なことに、この Death Note のアニメ映画を観ながら、その父親像がだぶって見えてきた。 実際に、全国を震撼させる凶悪犯罪というものが、巷ではよく続発する。その犯人の心の闇、そしてその家族はどんな心境かーそういったことから、Death Note という作品は生まれたのではないか、とも思う。 単なる「連続殺人サスペンス」に終わらない、もっと深いテーマが、この Death Note には秘められているのではないかと感じる。
February 25, 2007
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昨日と、今日と、2日間に分けて、アニメ化された『デス・ノート(Death Note)』を第1話から17話まで、ネットで観た。 この『デス・ノート』 のことは、去年から、息子の話でちょっとは聞いていた。 嫌がらせをするクラスの連中が、自分のノートに「デス・ノート」と書き、嫌いな子の名前をリストアップしていた、というのであった。 その中に、息子の名もあったらしい。他にも、名前を書き込まれた子もたくさんいた。 「お前~こんなの作りやがって~!」と、喧嘩っぱやい子が、そのいじめっ子を殴らんばかりに怒り狂った。 「あ~っ!違う、違うって~ホントに嫌な奴は、このリストの中でも、☆印をつけた奴だけなんや!」 ......と「デス・ノート」を作成した子は言い訳をしたらしい。うちの息子の名前には、幸い、☆印はついていなかったらしい。 私は、その「デス・ノート」のことを詳しく知らなかったのが、Death という語から、嫌な言葉だなと思った。 息子に訊くと、「それ、今誰でも知っている漫画で、映画にもなっているよ。なんでデス・ノートって言うかというと、『そのノートに名前を書かれた者は必ず死ぬ』という話だからだって」 私は、それを聞いてびっくりした。 「でも、学校の先生は、『あの話は、読むだけなら悪い話じゃないけれど、からかいや、いたずらに使うのは止めなさい』って言ってたよ」 「えっ?悪い話じゃないの?でも教育上良くないよね」 ......そんな会話を去年息子とした。 昨年、ネットのニュースで「話題の『デス・ノート』が映画化決定・配役は...」というのも見かけたが、「え~そんな話が映画化......?ますます子供に悪影響じゃないの」と思ったものだった。 けれども、昨日の朝、私が寝坊して起きると、息子がインターネットを観ていた。 「何見てんの?」 「え~......『デス・ノート』......」 息子は、私が「教育上良くないから」と言ったことを覚えていたわけで、子供というのは、親から「ダメ」と言われたものには、古今東西、強く興味を持つものである。 「ホントにこれ、観るの?」 「大丈夫ったら。悪い話ばっかりじゃないんだから」 ......と言うことで、結局息子と一緒に、超話題の衝撃作、Death Note を観ることになった。 私はこのアニメの画像がリアルで人物像も魅力的に描かれていることから、だんだん興味を持っていった。 主人公の夜神月(やがみ・らいと)は、全国模試で常にトップの優秀な受験生。将来は東応(東大と慶応を一緒にしたような名称...)大学を出て、父と同じように優秀な警察幹部になることが目標。 けれども、彼が死神界に住む死神リュークが人間界に落としてしまった、1冊の「デス・ノート」を偶然拾ったことから、悲劇が始まる。 それは、「このノートに名前を書き込まれた者は必ず死ぬ」という、怖ろしい魔力を秘めたノートだった。 最初は、幼稚園児を人質に立てこもった凶悪犯の報道を見て、ライトは試しに、そのノートに容疑者の名前を書く。すると、いきなり容疑者は心臓発作で倒れ、死んでしまう。 ノートに記された、「名前を書くだけで、書かれた者は心臓発作で死ぬ」というルール通りのことが起きた。 最初はそれに慄くライト。 だが、予備校の帰り、女子生徒が、同じ塾の不良に絡まれているのを見て、今度はノートに不良の名を書き、死亡時刻と、死因を「バイクによる交通事故」と書く。 すると、そのままのことが、わずか数分後、彼の目の前で起きる。 帰宅したライトは、初めて死神リュークと出会い、怖ろしがるが、次第に死神とも打ち解け、Death Note についての詳しい説明を聞きだす。 ライトは、「この世の中、くだらない、腐ったことばかりだ。悪がはびこり、正義が踏みにじられている。このノートに名前を書くだけで、こっそりと悪人を闇に葬り去ることができるのなら、僕は世界を平和な、善人だけのものにできる」と確信する。 「僕は、Death Note を使って、全世界の救世主になるんだ」―彼は、このように、自分の行為を正当化する。 だが、賢明なライトは、「このノートには、人間なら誰でも使ってみたくなる魅力が秘められている。僕はそれは充分分かっている。分かっているからこそ、使うんだ。極悪人を次々と消していく、この爽快感が僕を正義に駆り立てるんだよ、リューク」と自分の心理を死神に説く。 「悪人がこの世から消えていくーこれこそ正義だ」と謳った彼のサイトには、彼に共感する人々からのアクセスが殺到する。 「悪人を殺す」ということから、ライトは、いつしか「謎の正義漢キラ」と呼ばれるようになる。 「キラ」というのは、「殺人者=killer」からついた名称である。 自分の「悪を裁く行為が、人知れず、世間に知れ渡り、自分は英雄視される」ことの魅力に捕り付かれたライトは、次々と大胆になっていき、極悪人のみならず、刑の軽い受刑者、指名手配の容疑者の名を、どんどんノートに書きつけていく。 次第にライトは、「この世を善に導く者」という、最初の理想から脱線し、「人の死を思うままに操れる、人間界の支配者」であると実感するようになってしまう。 だが、容疑者であっても、受刑者であっても、法の裁きを受ける前に、勝手に命を奪うのは、人道に反する。 その考えから、瞬く間に、「悪を消す英雄キラ」は、「大量殺人者キラ」と世間から見なされ、警察が動き出す。 その「キラ」の正体を暴こうとするのは、国際的な刑事警察機構であるインターポール、ICPO から派遣された謎の名探偵「L」。 L は、「キラ=夜神ライト」との疑惑を基盤に、彼を追い詰めようとする。 だが「東応大学」にトップで合格したライトは、同じようにトップで合格した L を常に警戒し、こうして二人の緻密な頭脳戦が始まる...... 私が「子供に悪影響だ」と思っていた『Death Note』 とは、実は二人の天才少年たちの、息をもつかせぬ推理サスペンスなのだった。 互いの先の言動を読み取る、めくるめく推理の展開は、ちょっと台詞を聞き逃すと、もう筋が分からなくなるほど、論理的で巧妙である。 私は、息子にこう言った。 「これは、ただの人殺しの話なんかじゃないね。要するに、善と悪の戦いというわけよ。でも、この『デス・ノート』 というタイトルを、単純に子供が受け止めたら、『嫌な奴はデス・ノートに名前を書いちゃえ』という、いたずらやいじめに使われてしまうね。先生が、『悪い話じゃないけど』と言った意味は、そういうことだったんだね」 そして、ロシアの小説に、『罪と罰』 というのがあることを話した。 「これは、ロシアの大学生が、『人からお金を取って、世間の貧しい人々を苦しめている、金貸しのお婆さんなど、生きている意味がない。死んでしまった方が世の中のためだ』 と信じて、ひとりのお婆さんを殺してしまう話なのね。その後、自分は悪いことをしたのだと思って、すごく苦しんで、警察に自首しに行くんだよね。でも、刑務所の中に入っても、『やっぱり自分は正義のためにやったんだ』 という考えが抜けないんだよね」 すると息子は、「え~っ!それって、まったくデス・ノートのライトと同じ考えじゃん!悪に染まっているんだね」と驚いた。 こういう、一見、殺人などが出てくる話も、親がそばで一緒に観て、全体のテーマを説明すれば、「やはり人は善に生きるべき。悪に染まってはいけないのだ」という倫理観が、子供にも備わるのでは......と、ふと思った。 それにしても、あまりにも話の展開が興味深く、良い意味で「面白い」と感じさせる作品だ。 このDeath Note の原作者は相当の頭脳の持ち主なのではないか、としきりに感嘆した。 だがあまりに長い話だったし、最後のあたりが、パソコンの不具合で、画像がストップして観れなかった(残念)......Death Note の感想は、また後日書きます。
February 19, 2007
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先日、息子が、「DS ステーション」に行きたい、と言いだした。私は、その「DS ステーション」というのは何なのか、さっぱり分からなかった。 「すごいモンスターをゲットできるんだって」 「何、そのステーションって?ポケモンセンターみたいな建物なの?」 息子が3年ほど前の、やっぱり2月の寒い日、雪の中、「珍しいポケモン」を通信でゲットするために、2時間ぐらい長い行列に並んだことがあった。 今では、彼はポケモンは一切興味がない。 「あんなの、低学年向けで幼稚だよ」 ほんの三年前、8,9歳の頃は「ポケモン」に夢中だったのに......子供の変化は急すぎる。 それで、問題の「DS ステーション」とは何か?をパソコンで検索。すると、これは建物ではなく、いろんなお店に設置しているDS 用の通信マシンであることが判明。 自宅に一番近い「DS ステーション」は、JR 駅前にあるジョーシンの中にあることが分かった。 「ええ~JR 駅前かぁ......じゃあ、電車に乗って行かないとだめじゃん」 「だいじょうぶ。友だちとジョーシンの近くまで行ったことがあるから、歩いて行けるよ」 ......ということで、息子と私は(子供だけで校区外で行ってはならない) JR駅前まで行くことになった。 私は、もともと、JR 駅前に興味があった。いつもバスの終点の阪急の駅前は、ローソンもつぶれて、全然活気がない。それに比べると、JR 駅前は、大型ショッピングセンターがどーんとできて、活気がある。 おまけに私は、ジョーシンみたいな、電化製品のお店が好きなんである。 電化製品は、大概が高い値段なので、ほいほいと買うわけにはいかないが、新型パソコンや、液晶テレビ、ピアノなんかを眺めるだけで楽しい。 ところで、問題のDS ステーションだが、それは、ジョーシンの店内の「きっずランド」という所にあった。 そこで、「ドラクエ」のソフトに、通信で、「ゴールデンスライム」(だったっけ?)を入れてもらうことができた。 「すごいパワーのモンスターなんだよ。相手に3000以上のダメージを喰らわすの」 そう息子が言うので、私も「それだったら、全国大会にも出れるよね」と楽しみにしていた。 だが、家に帰って、息子がゲットしたモンスターをあれこれ操作しているうち、「あ~あ、もうダメ。DS ステーションまで行ったのに......そこでゲットしたモンスターはみんな、使い物にならないよ」と嘆き始めた。 「なんで~?」 「だって、せっかくゲットしたのに、そういうモンスターはみーんな、guest マークがついててさ。guest マークがついてると、別のモンスターと配合しても、その子供がやっぱりguest になっちゃう。これだと、全国大会には出せないんだよ」 あまりにもがっかりして、「も~う、ドラクエすること、なくなっちゃった」なんて言い出したので、私は「え?この間買ったばかりなのに?」とびっくりした。 しばらくすると、息子は「全国大会はダメだけど、アロマGP には出せるから......いいや」と言って、気を取り直した様子だった。 (アロマというのは、ドラクエのストーリーの中で、「世の中、金とコネだよね!」と言って、モンスターGP 会長におさまる、キュートで「とんでもないお嬢様」である。) 私は、子供が、買ったゲームに「飽きた」「もう、することクリアしたからやらない」と言いだすと、すごくがっかりする。 普通のお母さんなら、子供が「ゲーム、飽きた。もうしない」と言うと、「そ~ね。もう、中学生なんだし、ゲームは卒業して、少しは勉強をしっかりしなきゃ~ね」 ......と言いそうなもんである。 しかし、私はそういうことをあまり言わない。自分でも、甘いのかなと思う。それでも、子供と一緒にゲームに一喜一憂する母親ってーのは、私ぐらいなんじゃないか? 日本のどこかに、私のような「不可思議なお母さん」がもう一人いたら、その人と会って話がしたいぐらい、自分でも不思議である。 私は「ゲーム脳お母さん」になってしまったんだろうか?少し心配なんである。
February 17, 2007
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最近は、少女漫画といえば、文月今日子さんの昔の作品をよく眺めている。 文月さんの初期の作品(...といっても、「初期」とは言えないほどの完成度の高さ!)に、『さとう菓子の家』というのがある。 近頃は、兄弟や親子、親戚の間柄で、殺人などの物騒な事件が多い。 特によく聞くのは、親が子を「しつけ」の名目で虐待し、殺してしまうーという、凄惨な話である。 「どうして親が、まだ2,3歳の可愛いわが子を殺してしまうんだろう」とよく思う。 そういう時、『さとう菓子の家』などを読むと、ホッとする感じになれる。 「この作品を読んだ昔は、子供の虐待死なんて、あまり聞かなかったなぁ」 この作品は、一応ラブコメの部分もあるけれども、「子供は可愛いもの。とても大事な存在」という温かいメッセージが伝わってくる。 舞台は、とある国のとある街。その街のカトリック系学園高校の人気者かつプレイボーイのリシャールが、1年5ヶ月ぶりに皆の元に戻ってくる。 リシャールは、高校1年の途中で、隣町のルブラン高校へと転校したのだが、久しぶりに戻ってきた彼は、1歳ほどの女の子の赤ちゃんを連れている。 彼のガールフレンドだった、お菓子屋の娘エルシーはそれを見て大ショック。 規律に厳しいカトリック学園も先生たちが大騒ぎ。 何より驚いたのは、街でも名家である彼の両親。 エルシーは、「私の知っているリシャールはこんな人じゃなかったわっ!」と怒る。怒りながらも、「子連れやもめ未成年」になった彼を助けようと、親に頼んで、お菓子屋でバイトさせる。 リシャールはどんな時でも女の子のアイドル。彼を目がけて、学園中の女の子がお菓子屋に詰めかける。 おかげでお菓子屋さんは大繁盛。リシャールはお菓子を買ってくれた女の子一人一人にキスのサービス。 そんなリシャールをエルシーはひっぱたくのだが、「私決めたわっ!私があなたの奥さんになるんだから!あなたが可哀想だからじゃないわよ!可哀想なのは赤ちゃんのサミィだからなのっ!」と大宣言。 一見、てんやわんやのラブコメディー。 皆がサミィは、リシャールの子供だと信じきっている。 それでも、エルシーのママは、「サミィは離乳もすんだ1歳過ぎの赤ん坊。1年5ヶ月前に転校したリシャールに、そんな大きな赤ちゃんができる?考えたら分かることよ」と彼女に教え、エルシーも「そういえば...」と納得。 実はリシャールが隣町のルブラン校に転校したのは、腹違いの姉カロラインに会うためだった。 カロラインは、ルブランで歴史の教師をしていた。彼女にはサミィという恋人がいた。 カロラインのお腹には、もう赤ん坊がいたが、恋人は交通事故で亡くなる。カーラ(カロライン)は、生まれた子を「サミィ」と名づけて、高校を辞め、カフェの歌手をしながら子供を育てる。 姉をそばで見守っていたリシャールは、姪にあたるサミィを昼間預かり、大事に世話をしていたが、カーラは育児と仕事の過労で倒れ、死んでしまう。 そのカーラの子を連れて、彼は故郷に戻って来たーというわけだった。 カーラは、リシャールの父が、昔愛した女性の娘。リシャールの父は、自分の過去を「子連れ登校で退学寸前」の息子のために、学園長に打ち明ける。 リシャールの事情を理解したエルシーは、彼から正式にプロポーズを受け、学園をあげてのお祝いパーティとなる。 ......という風なお話だった。 この作品も、文月今日子さんならではの、洗練された絵と、台詞のテンポの良さがうまくミックスされて、本当に魅力的だ。 どこか、中期の大島弓子さんの雰囲気にも似ている。 ここで描かれているのは、やっぱり人間愛、家族愛、友情、そして小さな命を愛しむ心。 このような作品がもっと読み継がれていけば、きっと現在のような殺伐とした世情も、軌道が修正されるのではないだろうか。
February 9, 2007
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先日の4日、日曜日に、この春に進学する中学校に、息子と初めて一緒に行った。 その目的は、公立だが制服なので、その採寸に出かけたのだった。 初めて行った時に感じたのは、「案外近いようで遠い」ということ。 地図で見ると、本当に我が家からすぐ行けそうな場所にある感じである。 中学は、閑静な一戸建ての中の環境の良い所にある。 でも、なんでも初めての場所というのは、遠く感じる。携帯で時間を計ったら、24分だった。 体育館の中に入ると、隣町の小学校の6年生が主に先に来ていた。そこで、上履きや、制服の上着、ズボン、体操服などのサイズを合わせる。 息子は今、身長が150・4cmなのだが、業者の人は「すぐに伸びるしね~160のサイズでいいでしょう」と言っていた。 でも現在の時点では、上着の袖や、ズボンが長くてぶかぶかな感じ。 制服をちょっと着てみた息子を見ると、「あ~もう中学生なんだな」と感慨深い。 まだまだ幼い感じなのだが、話すこと、考えていることは、もう1人前なんである。 小学校入学の時は、6年生のお兄ちゃんに手をつながれて、べそをかきながら体育館に入ってきたのになあ。 そう思って、中学入学を喜ぶ反面、私には大きな心配がある。 なぜかというと、息子は今の6年のクラスで、「いじめ」にあっているからである。 特に授業中ふざけるわけではなし、悪だくみをする連中の言うことはきかない、読書が好き、物静か...... こういう息子に対して、道徳観念ゼロのワルどもが、嫌がらせを言ったり、息子の物を勝手に取り上げたり、隠したり、盗んだりする。 以前、仲の良かった子まで、性格が6年になってひねくれてしまい、今はその子が一番「嫌い」と息子は言う。 「なんでいじめてくるんだろう」と私が怒ると、 「アイツは、『お前、いい子ちゃんすぎんねん』ってさ。隣の席になった時、テスト中に『な~、答え見せて』って言うから、『だーめ』って断った」と話し出す。 「カンニングやらせろなんて?ふだんいじめておいて?虫が良すぎるね」 「それでも、しつこく『な~、時間なくなっちゃうやん。点数、取れへんやん。見せて、見せて、頼む!』って言うから、『ダメなものはダメ!』って僕言って、絶対見せなかったんだよね」 その後、息子はその子から「お前って『ジコチュウ』過ぎんねん。なぁ、皆、コイツ、ホンマに『ジコチュウ』やで」などと言われ、クラスのみんなに言いふらし出した。 クラスの連中も、単純でワルが多いので、その言葉を信じてしまう。 「ジコチュウ」というのは、「自己中心的」を縮めた語だそうだ。何かにつけて、息子はこう言われる。 そのいじめっ子は、2年生の掛け算もできない。 「な~、2×8って何~?誰か教えて」 皆はその子をからかおうと、「24や」などと、デタラメを言うが、その子は「あ、そうなん?」とそのまま答えを書いている始末である。 こんな成績で、中学...行けるのか?許しがたい。 息子に対するいじめは、2学期までは、言葉による嫌がらせや脅し(「オレの言う通りにしたら、お前をいじめないから、その代わり、5000円払え」などという、悪質なもの)だった。 担任の先生は、1学期までは、ベテランの50代の先生だった。息子が2年生の時も担任をしてくれた。 でも、夏休みを目前に控えた頃、急に学校に来なくなった。体調を崩して、「しばらく自宅で安静に」とお医者から言われたのだそうだ。 2学期になって、その先生の代わりに、4月から教職に就いたばかりという、まだ23歳のパリパリの若手の先生が担任になった。 担任の先生を無視しては失礼かと思い、何か起これば、まずその先生に報告していたが、息子に言わせると、「あの担任に言っても、何も解決しない。叱ってくれない」と不満そうである。 3学期になって、言葉による嫌がらせに加えて、暴力が加わってきた。 息子は家に帰ると、ちょっと疲れた顔であるが、すぐに好きなゲームをして、気分転換を図っている。 そうするうちに、もともとおしゃべり好きで陽気なので、いろいろ冗談を言いながら食事をする。 食事の後、宿題をさっさと済ませるのだが、その宿題にかかると、学校のことを思い出すらしい。 「ねえ、今日は学校は何も問題なかった?」と訊くと、「あったよ」と、さらりと言う。 「また?どんなことがあったの?」 「ん~、リンチにあった」......と、事もなげに言う。 「えっ!リンチ?どんなことされたの?」 「え~......急に休み時間にさ、6人くらいが僕の周りに集まってさ、(寒いから着たままの)コートのフードを後ろからぎゅ~って引っ張って、首絞めようとしたり......頭や背中を殴られたり、蹴ったりされた」 私は、これを聞いて、「大変なことになってきた」と思った。 このまま、同じ校区だからと、指定の公立中に通わせたら、今息子をいじめている連中も一緒に入学してくるわけなのだ。 中学になったら、急に体が大きくなるし、力も強くなる。 今以上にすごいリンチを受けたらどうしよう...... 私はその話を聞いた日は、一晩眠れなかった。 後で、息子は、「リンチのことは、一応担任の先生に言っておいたから。校長先生にも自分から校長室に入って、話しておいた。そうしょっちゅうじゃないから、心配しないでいい」と言った。 担任の先生は、最初はリンチの話をしても、笑って、「そんなん、ほっとけや」などと言ったそうだ。 それで、息子は「もうこの先生は信用できない」と感じたそうである。一応、担任の教師は、メンバーの首謀者を「教育相談室」に呼んで、注意したそうだが...... こういう事情が3学期になって起こるようになって来た。 「もうすぐ卒業ですね!」と、小学校からのプリントが来るが、「もうすぐ卒業」だから、「いじめとかは放任でいい」と、6年の先生たちは思っているのだろうか。 つい最近でも、理科の授業中に、おとなしく授業を受けている息子目がけて、消しゴムのカスや紙くずを投げて「いじめを楽しむ」ということがあったらしい。 それでも、教室にいる理科の先生は、いっさい叱らないんだそうだ。「先生、叱っても、皆、無視するから。先生、あきらめているみたい」と息子が言う。 「今度の中学は、新1年生は4クラスになる予定だって。今のクラスのいじめ連中が他のクラスにばらばらに散らばったらいいのにね」と私が言うと、 「うん。それなら大丈夫じゃないかな。みんな、いじめはするけど、あれは集団になったらやりたがるんだ。一人だと、案外おとなしいよ。みんな、一人だと何もできないんだから」と本人は冷静。一方、 「あ~学校に行きたくない。あ~もう、何のために学校に行っているのか、わかんなくなった」と息子はこの頃よく言っている。 それでも、休まない。休んだら休んだで、「ずる休み」とまた、いじめられるんだそうだ。 せめて、中学に進学後は、「生徒指導委員会」があるという中学なのだから、先生方は、いじめを受けている生徒の話をよく聞き、同級生をいじめる生徒を厳しく律して欲しいと願っている。
February 7, 2007
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楽天Blogの編集スタッフの人たちのBlogを読むと、いろいろ工夫されていることが分かって、楽しそうで面白い。 でも、このサービスを利用している人たちの中には、「管理画面が変わって困る」「使いにくくなったので、blog の更新もしなくなった」...「早く元に戻してほしい」という要望がたくさん掲示板に書き込まれている。 人それぞれ、利用方法があるので、そういう要望があるのだろうが、私はあまり細かい設定とかも利用せず、ただ今までどおり、「日記」と「フリーページ」に記事を投稿できれば良いので、そんなに困らない。 最初、管理画面が変わった時は、「おっ!模様替えしたんだわぁ」と驚いたが、すぐに慣れて、新鮮な感じで楽しんでいる。 要するに私は、Blog やHP 作成に、あまり知識が未だにないというわけ。 それに「フィードバック」とか、「トラックバック」とか、「RSS」とか、そういう用語がイマイチ理解できていない。 「お気に入り」に、「e-Word 用語辞典」なんかを入れているくせに、調べていない。(調べればわかるんだろうけれど...) それから、「タグ」とかいう言葉もイマイチ「???」なんである。 英語を教えていたくせに、カタカナ用語には弱い私。 その分、blog 作成の管理・編集画面が変わっても、基本的な部分だけしか利用しないので、まぁ、あまり専門知識がないほうが、気楽にblog 作成が楽しめていいんじゃないか? ......なんてなことを、思ってしまうんである。 (管理画面に手を焼いている皆さん、ゴメンナサイ)(汗)......
February 1, 2007
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