2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全4件 (4件中 1-4件目)
1
息子も中1になって、まだ実質10日ほど。 「勉強だけでなく、クラブ活動もぜひ」という学校の方針で、「どの部に入りたい?」といろいろ検討していた。 最初は、「絶対美術部。も~余裕で美術部。絵を描きたいから」と言っていた。 (最近の子は「当然、当たり前」のことを、なぜか「余裕で」と言うのです) 要するに、彼は、運動系より文科系がいいのだそうだ。 「運動は嫌いじゃないけど、興味が持てない」 それは分かる。親の私が体育が苦手で、バレーボールやバスケ、テニスは嫌いじゃないが、どうしても、興味が文科系の方に傾いていたからだ。 「少しはスポーツ、したほうがいいけれどね...」と言うと、「も~、学校の行き帰り、あの坂道を重い鞄持って歩くだけですごい運動だよ」との返事。 「でもまぁ、確かに運動不足だから。寝る前に腹筋50回、腕立て伏せ30回はやる」と言い出して、それがけっこう続いている。 中学に出す「健康調査」で、「特にお知らせしておきたい健康上の問題がありましたら、ご記入下さい」とあった。 「ねえ、何か健康上の問題、ある?ないでしょ」と訊くと、「ある。『運動不足』って書いといて」 ...などと冗談を言っていた。 とにかく息子は文系人間であるらしい。 ある程度、3つほど希望のクラブを決めて、最初は見学に。 彼の希望は「美術部か吹奏楽部か、パソコンクラブ」だった。 見学が一通り終わった頃、「どのクラブに入るの?」と訊くと、「もう決めたっ!吹奏楽部」と断言。 「美術部行ったら、顧問の先生は金髪の肌の荒れたケバいおばちゃんでさ~やっていることは、物を捻じ曲げたり、針金切ってくっつけたり...ピカソみたいな絵を描いたりなの。僕、普通に風景画とかを描きたかったのに」 ...ということで、美術部には失望したらしい。 パソコン部も行って見たが、「あれ、部員が一人だけでさ、何か雰囲気しけてるし...」 それで、結局、「吹奏楽部。もう余裕で」となった。 吹奏楽部は、部員数も2、3年生だけで70人は超える。見学に来たのは、息子も入れて、12人ほどだったらしい。一番人気のあるクラブなんである。 まずは、見学の際に、上級生たちが演奏をしてくれた。 その次は、体験入部というのがあり、実際にいろんな楽器に触れることができたらしい。 息子はトランペットに憧れている。 だが実際に吹かせてもらえたのは、上級生の「お古」。 さびたトランペット。 そのトランペットを吹くのに、まだ初めての彼は、「プ~」しか音が出ない。 歌もピアノも指揮もプロ、という顧問の音楽の先生が、「トランペットを吹くのに必要なのは、肺活量。あと、いつも、ブレス(breath)、息を力強く押し出すことを意識しなさい」と教えてくれたそうだ。 息子は、「上級生はいいな。みんな、ピカピカのトランペットやサックスを使ってて。1年生は、錆びているのを使うんだって」とぼやいていた。 私は、音楽という、creative な分野に目覚めた息子に、家でも練習できるように、「トランペットなら、1万くらいで売っているし...買ってあげようかな」と、ちらっと思った。 でも、他の新入部員の1年生の子たちは、クラブの時間にのみ、それぞれ古びた楽器を練習するわけである。 それで、うちの子だけ「家では新品の楽器で練習」というのは、「甘やかし」になるのではないか、と考え直した。 何事も、他人とは異なる待遇、「特別扱い」は良くない。 5月の連休明けから、本格的にクラブ活動が始まり、1年生にはいろんな楽器を試させた上で、担当する楽器が決まるらしい。 だから、まだ息子がトランペットを担当するとは、完全に決まってはいないのだ。 どの楽器を担当するにせよ、皆と同じように、1年生の間は、上級生のお古で我慢し、練習に精進すべきなのだ。 そうして、1年後、演奏が人前でも通用するような腕前になったら、初めて「ピカピカのトランペット」を使うことができる。(トランペットじゃないかもしれないが...) 1年間、皆と同じ経験をし、お古でも我慢をし、上手に演奏できるようになるまで頑張る。 そうして、初めてきれいな楽器を手にする、その時の嬉しさはきっと大きいだろう。 私は、何かを頑張り通すという経験を、そのクラブでぜひ息子に味わってもらいたいと思った。 息子は、「吹奏楽部に入ってもさ、損をするかも」と言う。 「損って、何が損なの?」 「だって、正式にメンバーに選ばれて、市民ホールで演奏したり、東京にコンサートに行ったりできるのは、本当に上手な人なんだって」 私は、クラブでも勉強でも、「頑張る」ということを、「損得」に結び付けて欲しくないと思った。 「あのね、一生懸命頑張って練習するでしょう。その結果が、メンバーに選ばれなくっても、物事は結果ばかりが大事じゃないの。『メンバーに選ばれなかったけれど、1年間、頑張って練習した』という経験が、とても大切なのね。『辛いことも多かったけれど、それでも負けずに頑張った』という経験が、これから先、いろんなところで活かされるんだよ。勉強でも、受験でも、将来の仕事でもね」 私がこう言うと、生真面目に、「ハイ、分かりましたっ!ハイ、頑張ります」などと姿勢を正す。 「何、それ。何だかふざけてるみたい。今の話、大事だと思ったから話したんだよ」 「分かってるよ。でも、真剣に話をされると、こっちもつい、こういう返事をしちゃうんだよ」 「ああ、分かった。照れてるワケ?」 「そう、そう」 まだ12歳3ヶ月で、口は達者だが、何事も初めて。 まだまだ人生の入り口の、緑の芝生を恐る恐る踏みしめている。 それでも、自分なりに感じ取ったことを、全身で吸収しながら、「成長」の階段を昇っている。 人生の途上において、これからも経験するであろう様々な事柄は、すべて何らかの形で「精神の形成」に結びついていくのではないだろうか。 そういったことを、私は子供に伝えていきたいと思う。
April 23, 2007
コメント(0)
今日11日は息子の中学入学式。まだぶかぶかの制服を何とか着て、8:30までに先に一人で登校した。 保護者は9:40までに体育館に保護者席についていなければならない。 家から25分はかかるので、インフルエンザ(なのか風邪なのかハッキリしない)の治り切っていないのを、無理して急いで歩いた。 体育館の入り口に入ろうとすると、新入生たちが、クラスごとに並んで、先生の説明や注意を受けている。 「初めてのことなんだから、何か失敗しても誰も笑わないんだから、きょろきょろしないで、堂々としていなさい」 遅れ気味に体育館に入った私は、体育館入場のため整列している新入生の注目を浴びていた...... これはあとで息子が話したことである。 しかし、私は、昔から心配性で、人に気を遣う性質なわりには、こういうことには、「あっそ~なの」と平気になってしまった。 人生、短いものである。 青春を謳歌していたつもりなのに、仕事~子育て&etc., のうちに、学生の頃、気を遣っていた「世間」というものを動かしている中心の人々は、私よりもずっと年下の世代になってしまった。 だから、「知らないことがあっても平気」「多少へぼくても平気っ!」......となってしまった。 羞恥心がなくなった、訳ではないが、あまり人前であたふたしなくなった気がする。(これは実はオバサン化しつつあることの正当化かも......) 入学式では、事前に説明会で渡されていたプリントで、自分の子がどのへんに座るかは分かっていたので、「これなら慌てずデジカメ撮影」と喜んでいた。 だが、華やかな吹奏楽部の演奏と共に、「新入生、入場」となり、4組のうちの子は......とデジカメで待ち構えていたが、さっさっさっと通り過ぎ、結果、ぶれた写真が出来上がった。 式には、小学校の校長先生や6年の先生方も出席されていて、何だか小学校の続きのように思えたが、子供たちが、もう私服ではなく、制服を着ていると、やはり雰囲気が違う。 ぶかぶかなのだが、男の子はブレザーにネクタイ。 やっぱり「中学生になったんだなあ」と感慨が込み上げてくる。 校長先生のお話も、とても良かった。 「中学校の3年間は、短いようで、とても素晴らしい3年間です。私は、皆さんに入学にあたって、3本の苗木を贈ります。といっても、それは実際に植木鉢の苗木を皆さんが受け取るのではありません。これからの3年間で、皆さんが心の中で育てていってほしい苗木です。 まずは、『努力』 する心。次は、『我慢する心』。最後に、『思いやりの心』 です。 これらを育んでいけば、3年後には、皆さんは素晴らしい成長を成し遂げるでしょう。この3本の苗木を枯らさないように、大事に育てていって下さい」 校長先生は、優しく、こういうお話をされた。 中学生時代は、12歳から15歳という、人間の成長の中で、心も体も知識も急速に発達し、伸びる時期である。 この時期に、校長先生がおっしゃったような、「努力・我慢・思いやり」が大きく花開けば、その後の人生も心豊かなものとなるだろう。 よく、子供たちは、大人の言うことを、「ウザい」「ダルいっつ~の」「はよ終われや」などとボヤく。 中には素直な子供もいるが、どうして「学校の先生」の言葉というのは、子供たちの心を動かさないのだろう。 それは、多分、家庭環境や、親の道徳心の欠如などに起因しているのかもしれない。 今は、「道徳」というものが忘れられているように思う。 私の子も、「入学式......先生の話が長くてウザ......疲れた」などとぼやいていた。 「でも、校長先生のお話は良かったでしょ。全部、録音したよ」 「そーなん?あーっ......疲れた......」 なかなか、理想どおりに子供を教育するというのは、難しいものである。 けれども、今の社会で忘れられがちな「努力・我慢・思いやり」ということを、私からも、押し付けがましくならないように、これからも、少しずつ話していってやりたい。
April 11, 2007
コメント(0)
息子の中学入学は明日。その「お祝い」として、4日頃、DSソフトの「メトロイド・プライム・ハンターズ」が欲しいと言ってきた。 うちは、滅多にDSソフトを買わないようにしている。 だから、買う時は「○○のため」と、何か名目をつける。 「中学入学祝いに...ゲームソフトって...もっと辞書とか、そういうのを考えていたのにさぁ」 「んん、いいって。ぼくのお小遣いで出すから」 「辞書は要らないの?」 「小学校からもらった卒業祝いの英和辞典と、うちに前からある電子辞書で充分」 ...ということで、息子はこの頃、それまでやっていたDSの「ドラクエ」やTVゲームの「スターフォックス・アサルト」(これは友だちが来た時にはやっている)はピタッと止めて、もう「プライム・ハンターズ」に夢中である。 男の子のゲームを覚えるのは混乱する。 「絶対、戦闘機だったら、アーウィンがいい。ほらそう思うでしょ?」 「ああ、アーウィンってこれ。ふ~ん、青くってかっこいいじゃん」 ...という会話の後、1日、2日経つと、もう忘れる。 「...アーウィンだけは『どうぶつの森』 で売らないでよ」 「ヘッ?何、その『アーウィン』って」 息子は、「また忘れたの」など、嫌な顔も見せず、根気良く説明する。 「だから、あの青い戦闘機。ホラ、あのカッコいいの」 「あ~そう、思い出した、思い出した」 それが、「スターフォックス・アサルト」に登場して、しょっちゅう「助けて!フォックス」とか「フォックス、お前やるじゃないか。見直したぜ」 ...な~んて、くさい台詞と共にTVを飛び交っていた。 でも、今は、友だちが来ても、もう「メトロイド・プライム・ハンターズ」にどっぷり浸っている。 このゲーム名を覚えるのも、最初は私はすぐ忘れたが、今はもうしっかり、頭の中に定着している。 なぜか? 母親の私が、12歳の息子と、その「メトロイド・プライム・ハンターズ」にはまって、対戦するからなんである。(笑) 半年ほど前、何か古くなったDSソフトを売って、そのお金で、息子が「メトロイド」を買いたい、と言った時、私は、「男の子が戦闘機に憧れる気持ちは、分からないでもないよ。でも、これは人と人との撃ち合いでしょ。物騒じゃん。教育上、良くないと思うんだけど」 ...そう言って、あきらめさせた。 でも今度は、「ねえ、教育上、悪いって、そんなに悪いゲームじゃないよ。それで、ぼくが、将来悪人になるとか、本物の銃を欲しがるとか、ありえないよ。前から欲しかったのに」と言い張るので、「それなら、買ってもいいよ」となった。 息子は、届いたゲームの音量を下げて、静かにハンターたちを戦わせている。 でも、そのうち、「ホラ、このボタンを押すと、ほら、敵を撃てるんだよ。こういう風に、スナイパーで狙いを定めて、ね」と説明に来る。 そうして、敵に見事に当たると、敵はシュワっと青く蒸発する。 それを見て、私は思わず、「あっ面白そう!やらせて」 ...それからは、すっかりはまり込んでしまった。 目が疲れるといけないので、30分くらいで、3回戦に留めている。 息子に教わって、ミサイルの撃ち方とか、銃を撃つ時のチャージの仕方、隠れ場所にジャンプする方法などを教わって、それで見事「敵」(息子のキャラクター)を倒すと、スカッとするんである。 以前、思っていたほど、「教育上悪い」と言うのでもない。 なんだか、鬼ごっこをして、相手を負かした時は、何だか、バスケでボールをシュートできた時の爽快感に似ている。 (だけど、本当の戦場は当たり前だが、怖いに決まっている。) それでも、相手は12歳の男の子。この手のゲームに強くなるはず。 私は、息子に言わせると、「いつもマゴマゴしているのが上から見えちゃう」そうだ。 たいてい、3回戦のうち、9割は私が負ける。 私のキャラクターは、「サムス・アラン」といって、女性なんだそうだ。 「えっ?戦闘物なのに、主人公が女の人なの?」 「そーなの。サムスが戦うハンターたちは、以前、サムスにやられた戦士たちがサイボーグとして甦って、サムスに復讐しようとして、戦いを挑んでくるんだよ」 「へ~女性が主人公かぁ...かっこいいよねぇ」 試しに、ネットで検索すると、こう出てきた。 「サムス・アラン:銀河連邦の依頼を受けて活動する腕利きのバウンティハンター(bounty hunter: 賞金稼ぎ)」 このゲームで、オプションとして、映画の一場面のように、ちょっとしたストーリーの部分が見られる。 最後に、サムスが、いつも身につけている「パワード・スーツ」を脱ぐシーンが出てくる。 そうしたら、いつもは、サイボーグのような姿の彼女の素顔が現われる。 その画像が、上品で、派手すぎず、金髪の美女なのに驚いた。 彼女は、パワード・スーツの下に、青いスウェット・スーツを着用している。八頭身で、理想の女性なんである。 「へ~ケバい美女じゃないところが、すんごっくいい!」 これで、マスカラべっとりの派手派手お姉さんなら、「バ~カ」と軽蔑するのだが、こ~んなに上品で、しかも銀河連邦で活躍する腕利きのハンター... かっこよすぎる。 かっこよすぎるのだが、嫌味がない。 かっこよすぎて嫌味がない上等な気品がある。 それなのに「メトロイド」のハンター。 ...ということで、私は感心した。 今は、「惚れたぞ!サムス・アラン」なんである、ハイ。(汗)
April 10, 2007
コメント(0)
またサイトのデザインを変えてしまいました。 私はなぜかブルー系、グリーン系が好き。落ち着くというか、「うん、これでいいのだ」という気分になる。 楽天のテンプレートはいろいろある。 でも、洋服や靴を選ぶ時のように、いざひとつに絞ろうとすると、あれこれ迷う。 ホントは、ディープブルーなんかを選んでみたい。 でも、そうすると、表示される文字が黒くつぶれたりして、文字の色を変えるのも一苦労だ。 それで、一応現在のテンプレートデザインに落ち着いた。(これもいつまで続くかな~?) ブルー系プラス黄色&ブラックがあると、更に全体が引き締まるので、それらの色も配合。 よくサイトの色全体を黒っぽく統一される方も多い。 それはそれで素敵だ。 でも、文字が白く、そして小さく表示されていると、どうしても読みにくいと感じる。 サイトの作成というのは、趣味の範疇におさまることが多いのだが(いや、中には真剣に自分の考えを世界中に発信したい方もおられるのだが)、やっぱり作成しながらも、読む人の側に立って、フォントサイズや、文字の色なども考えなければならない。 これらに加えて、2月の終わりから、私は小説のイメージ画を水彩で描き始めた。 それらは、トップページに掲載している。 以前は、写真が主だったのだが、今は、恥ずかしながらも、自作の絵画を9作掲載している。 そのうち、20作になったらば、別のフリーページにまとめてみたいと思う。 小説の主人公は、アラブ特有の古典楽器である、「ウード」(日本の琵琶、西洋のリュート、ギターの原型となったもの)を演奏する。 それは、掲載している一番上の挿絵に私は描いている。 また、主人公は、「カーヌーン」を演奏する。 これは、台形に数多くの弦を張った楽器であるが、私は、これを、『パレスチナとは何か』 で、主人公の13歳頃の少年時代のイメージ画の左横に描いている。 カーヌーンは、本当にまろやかな、心がとろけるような音を出す。それらは、「カーヌーン」で検索すれば、民族楽器のサイトで、実際の演奏を聴く事も、CD を買うこともできる。 より多くの人に、アラブ音楽を知ってもらいたいという、私の気持ちが、こうして絵になった。 ところで、私は現在、絵を描く場合、お手軽な方法をとっている。ほとんどが、葉書サイズで、使う紙も、パソコンのプリンター用の紙を用いる。 1枚に3日~5日かけて仕上げる。 これも、テンプレートのデザイン、色彩を考慮して、なるべくシャープな印象になるように心がけている。 描くうちに、自分の中で、小説のイメージがリアルになり、テクニックも向上していくよう努力している自分を発見できる。 これこそ生き甲斐のひとつでもある。 これらを描く時は、すごいエネルギーが自分の中から発散されて、作品の中に溢れだすのを感じる。 水彩の筆を手に取るのは、20年ぶりである。 絵を描きながら、時折、「もっと昔、学生の頃から描き続ければ良かったなあ」と思う。 子育てに終われ、家庭内のいざこざに巻き込まれ手いた頃の自分が嘘のようだ。 あの頃の自分は何だったんだろうか。 考えると、泣けてくるほど情けない。 要するに、英語に触れたり、小説を書いたり、絵を描いたりしている時が、本当の自分なのだと、しみじみ思う。 子育て云々によって、「失われた時を求めて」...... これからも、時折絵筆を手に取り、本当の自分を認識しながら暮らして生きたい。
April 6, 2007
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1