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ピムス NO.1 750ml 25度(Pimm`s:The Original No.1 Cup)あっ、これ書いている人のニックネームだと気がついてくれた人、あたり。イギリスの学校の夏祭りの模擬店(もちろん、父兄用デス)で「夏の風物詩ピムス」出会った友人からこのことを聞いた私は、さっそくパブにいきました。「Pimm's please!」、「With lemonede?」「No.」、「With ice?」「Yes.」の問答のあとに出てきたのはピムスのロックでした。ピムスはJames Pimmさんが食欲増進と健康のため、ハーブなどから作ったリキュールで、ザッハートルテの並みに今でもそのレシピの秘密は保たれているそうです。ロックでも悪くないですが、普通は3倍くらいのソーダ(三ツ矢サイダーか、甘いのがダメならただの炭酸水)で割って、そこに国産のレモンとオレンジのスライスを浮かべて飲みます。味は、紅茶パンチ?のようで、昼でもがぶがぶいけます。もっぱら明るい!?飲み物なので、夜これを注文すると変なやつに思われます(たぶん)。お酒が弱い私があえて名乗るリキュールが、今の季節にとても美味しいという紹介でした。
2006年07月31日
言葉の力を信じています。「忙しい」、「早くしなさい」、「がんばって」。私はなるべくこの3つの言葉を使わないようにしています(辞書にはあるけどね)。自分も周囲もつらくするマイナスパワーの言葉。魔の言葉。忙しいときは愉快に。早くして欲しいときは手をかしてあげればいい。「がんばって」に代わるもっといい言葉はないでしょうか?英語だとTake it easy.お気楽に!Enjoy yourself!楽しんで!生徒さんの「がんばります!」に、「がんばらないで!」と返す私はなんか変!?
2006年07月25日
今まで訪れたところでよかったところは、アイスランドの間欠泉。これから行ってみたいところは、ハワイのノースショア。大自然の驚異の姿に大きな感動を覚える私は、自然もののパニック映画も大好き。たいていのパニック映画は、それを克服?し、勝利するヒーローがいて、なぜか最後には必ずヒューマン的な救いがあるけど、見ている私は「大自然ってすごいな、人間って無力だな」と視点を動かさずそこで感動しているわけです。壮大なスケールの映画にありがちな「?」と感じさせる設定の詰めの甘さは、大好きな2人の役者の登場で許すとして、「日本沈没」がこんなに速いスピードで起こらずとも、地質学的な長いスパンで見ればありうるのかなと普通に見ていた自分が怖かったです。こういう風にぐっと双眼鏡をさかさにみるように自分を時空から遠ざけてみると、今に演奏しているフィドルの曲ってものが、どんなにはかなく、キラ星のように大切なものか、思い知るわけです。地球でさえ、生きていて絶えず動いているのに、外国の文化の保存などありえない。キラ星をつかまえたら、人生の上でそれを輝かせることしかできないのに。それにしても、田所博士をだぶらせる、たくさんの地学や生物の先生を思い出しました。科学とはいっても、生きているもの相手では、直感やイマジネーションでしか分からない計れない何かがあるからかな・・・。音楽も楽譜に書かれるようになってから、数式や証明やらホルマリン漬けなど科学汚染がひどいんじゃないでしょうか。音楽も生きているのです。
2006年07月23日
諸行無常。すべてがはかなく移り変わり、変化しないものなどない。移ろう四季に暮らす私たち日本人にとって、この世の無常観は身に染み付いたもの。近年なにかと言われる「文化の保存」、「伝統の保持」というものは感傷でしかないわけです。どんなに優れた文化であってもいつかは廃れ失われていく。伝統は変化のなかで形を変えていく。自分の身の回りを見回してもこれは疑いようのない事実でしょう。何を着て、どんな家に住んで、何を食べたか・・・。私たちは変化の中で生きていて、音楽もそう・・・変化の中で生きぬいたアイルランドの音楽は、今も変化し続けているのです。クラスのKさんに貸してもらった「Lunasa」という若手のバンドのグループ。フィドル自体にびっくりするほどのアレンジはないけれど、楽器の構成やギターの入れ方がロックの何かになっている(こういう試みは、伝統音楽の新しい方向として、70年代か80年代たくさん行われた)。このグループのは、今的な要素が入っている。同じ時代を生きるものとして当然ななにかが!今の若者は・・・とは、老人にだけ言わせておけばいい。変化を恐れない。私の大好きな作家、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」のテーマもこれだったな。デミアンん?この世に変わらないものが欲しい?愛だけにしておきましょうか!!
2006年07月19日
クラシック音楽のバイオリンを物まねでもやっている人たちにとって、それは疑いもなく芸術でしょう。(うっ。ちょっと毒舌だったかな)でも、あのすごい、時にはうっとりするフィドルの演奏が芸術であるか、ないのか語られたことはいまだかつて一度もないと思います。音楽は、おしゃべりやカードゲームなどと同じ生活の楽しみの一部であったので、それが芸術だ!ということになると、おしゃべりも、それじゃ芸術かい?とおかしなことになってしまうのです。しかし、芸術の定義をこんなふうに定めたらどうでしょう?「全体的な美」、「完全な美」と、すれば、クラシック音楽では音楽の性質上、目指す到達点に達していないものは完全でないので芸術でなく、伝統音楽のフィドラーは個々に完全である音楽の性質上、どんな人のもすべて芸術であるとなります。あっ。しかし、それもフィドラー自身で拒否している部分がありました。舞台で演奏するときも、普段着なのです。特に男性は、たいてい首がよれたTシャツか、チェックのダサシャツと決まっているのです。やっぱり、結論。服装が完璧でないので、芸術ではありません。なんだか、「星の王子様」にでてくるトルコ人の天文学者のような話でしょう?
2006年07月17日
ここ何日か暑いですね~。暑い暑いと思ってキャミソールででかけ、そいで電車に乗ったら冷房がきいていました。首のうしろから冷気が入り、むき出しの肩を冷えに冷えて・・・それから、奈落の底に落ちるように体調を悪くしてしまいました。フィドラーのみなさん、冬は手袋。夏はカーディガン。大事なのは手と肩。私みたいに無防備に冷やさないように気をつけてくださいね。
2006年07月15日
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一年前に起きた、ロンドンの同時多発テロの犯人は、アルカイダなどのテロ組織とは実は無関係で、移民2世としてのアイデンティティーを遠い祖国に見出したことが動機だと、先日ニュースで報じられていました。「ロンドンはいろんな人種がいるコスモポリタンよ。」と胸を張る知り合いのロンドナーの言葉をいつもうすらさむく思っていた私には合点のいく説明でした。ベールのかむった赤ちゃんを抱いた女の人は、電車で席を譲ってもらえず、きたない町に集まって住み、安いスーパーでくずのような野菜を買う。教育も就職も、どう見たって、機会さえ平等に与えられない。イギリスに生まれ、育ち、英語を母国語としても疎外感がつきまとう。アメリカに渡ったアイルランドのダンスや音楽が、カナダに渡ったスコットランドの音楽が、祖国のよりずっとそれらしいのも、アイデンティティーを強くダンスや音楽に求めたからといいます。動機は同じでもこちらはずっと平和的。では、私たち日本人のアイデンティティーのよりどころとなるのは何だろう?童謡?美しい町?美しい山河?宗教?言語?親戚の集まり?近所の人々?多くは戦争のとき失って、70歳より若い人には何も思いつかないかもしれない。菊と刀外国人から見た日本人の姿には、60年経っても根本的にはそんなに変わっていない民族の姿があります。
2006年07月09日
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リール、ジグ、ホーンパイプ、ポルカ・・・などエア以外は、すべてダンスの音楽です。それぞれ、リズムが(すなわち踏まれるステップが)違います。近年になって、音楽がダンスとは切り離され、それだけで楽しまれるようになりましたが、やはり、どのような踊りかとか、その歴史的な背景ぐらいは知っておきたいものです。また、人々の楽しみに生きた伝統が、簡単に系統立てて語れないところが理解できます。アイリッシュ・ダンスへの招待しかし、このような本でどうしても疑問に思うことがあるのです。「本当のところは、その国に行って習わなくては分からない。」と最終的には結論付けられることです。クラシックバレエでも、フラメンコでも、フラダンスでも、アルゼンチンタンゴでも、外国の文化を習うのであれば、突き詰めればそうなるでしょう。でも、日本で一般の人に紹介しようとするとき、そこに陥ってしまうのはある種の逃げかもしれないし、分かる人だけ分かったらいいという、結局、オタクカルチャーになってしまう恐れもある。アイルランドの音楽やダンスは、ずっと普通の人に開かれているはずだから、そうやって、特殊性を強調するのはあまりにも惜しいのです。まずは、門戸を開いて、それから、文化、風習、歴史、風土、人々と、自然に興味が広がっていく方法がやさしいやり方じゃないかと思います。いかに、近年までアイルランドの民衆の文化が手付かずだったからかといっても、著者に素敵な思い入れがたくさんあったとしても、「では、日本ではこのように楽しみましょう」。という方向付けがあってもいいのではと思いました。これは、重要なポイントです。現実的に、ほとんどの人がアイルランドに行って習ったりする時間もお金もないわけですしから。ましてや、アイルランドを切り取って日本に持ってくるわけにはいかないですから、日本人にあった楽しみ方(時間と空間)を探していくほかにしょうがないと思います。そして、フランシス・オニールがしたように、もっともっと人物の具体的なエピソードを知りたいです。「お世話になった」とか、「すばらしい人物」では、その人物がなかなかイメージできないものです。
2006年07月08日
日本の伝統楽器である三味線はバンジョーに似た形で・・などと、よく外国では説明されますが、私は、津軽三味線に関してはフィドルは似ているなと思っています。複雑なリズムを刻みながら曲が疾走するところ。弦楽器でありながらバチは打楽器のように用いられ、左手の持ち方も、ギターやバンジョーなどのようでなく、親指でネックを支えるフィドルの持ち方と同じなところ。日本の伝統音楽では珍しく、奏者は新しい曲を作り、独自のスタイルを目指すところ。それ自体、完成された楽器の証拠に、ソロやユニゾンで弾いたときが最もよいこと。奏者はときおり目をつむって演奏すること。特に、アイルランドの北西のドニゴール地方のフィドルと曲の感じがとても似ています。本州の最北端に位置する厳しい自然の津軽。アイルランドの最西端の不毛の地、ドニゴール。音楽にはなにか見えない地理的な作用が働くのでしょうか?そんなことを思いながら、いつか津軽三味線の曲をフィドルで弾いてみたいと思っています。
2006年07月02日
ジェームズ・バーンというドニゴール(アイルランド最西端の地)のフィドラーのCDを聴いています。彼は農夫でありました。オールドスタイルの演奏はとても温かみがあって、聴いている家族からも楽しい笑いがこぼれます。私は、こういうくつろいだ人間的な演奏が大好きです。以前、初めてこのような田舎のフィドルの演奏を聴いたとき、はたして、クラシック音楽のバイオリンの音に耳慣らされた日本の聴衆はどう思うだろうか?と思いました。(ローズ・マーフィーのような)カントリーフィドラーより、少々クラシック的な要素が入った(ショーン・マックギールやフランキー・ゲービンのような)フィドラーのほうがずっと理解しやすいだろうなと思いました。だいたい、(どんなジャンルでも)コンサートに来る聴衆というのは、日常からかけ離れた音楽の、超人的なプレーを聴きたがっているものだし、間違いなく感動さてくれるものと期待している。もちろん、現代では輝かしい音色と見栄えのする音楽構成で、そんな受身の聴衆の期待に沿うように訓練されたプロのフィドル奏者も多いけど、自分で弾いて音楽を楽しむ、ほとんどのバイオリンの愛好者にとって、ジェームズ・バーンのようなカントリーフィドルプレイヤーは、一番身近に感じるはずです。
2006年07月01日
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