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ペンションを始めてから大晦日も元旦もあまり意識しなくなりました。正確に言えば、それどころではない忙しさと言うことになります。しかし、ドタバタしている内にふと気がつけば年を越してしまっています。今回もそんな年末年始になりそうです。写真はわたしのペンションの一番人気メニューの「若鶏の赤ワイン煮」です。味を調えてじっくり下ごしらえしたあと、上質のワインで3時間じっくりと香りをつけます。2015年12月31日 木曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.31
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今朝の最低気温は氷点下16℃でした。最高気温は氷点下7℃。夜、雪雲がやって来ると北八ヶ岳の山頂近くに雪を降らせる。その雪の一部がちらちらと降ってきてクルマの屋根に積もります。しかし、雪雲の他はスコーンと抜けた満天の星空。静かな夜が更けていきます。今年が2014年であと1日で2015年なんてこととは関わりなく。淡々と時は過ぎていきます。というか、時は流れないし過ぎるだけではないわけだし。2015年12月30日 水曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.30
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今朝もまた最低気温は氷点下17℃でした。冬を実感しますが、雪は少ない。少ないとはいっても、スキー場は十分な積雪あるので十分楽しめます。平年と比べてしまうと少ないけれど,雪質は抜群のパウダースノーですし。今夜もきいぃぃーんと冷えてます。大量の雪が積もるまではこんな感じに底冷えします。雪は強力な断熱材でもあるので、積もってくれた方が温かく感じるのです。このことはあまり知られていないようだけれど。わたしもこちらに移住してしばらくしてそのことを理解しました。2015年12月29日 火曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.29
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平年に比べると信じられないほど雪の少ない年末ですが、それでも平年の12月10日程度の積雪という感じです。数日前から気温もぐぐっと下がって連日氷点下15℃から氷点下17℃ですし、最高気温も氷点下5℃から氷点下7℃。気候的にも冬になったといえます。あとは降雪、積雪のタイミングだけですね。スキー場は人工降雪機で必死に雪撒きをしたおかげで遠方からお越しになったお客様にも満足していただける状況のようです。わたしは蓼科に移住して22年たちますが経験的に年末年始に大雪に見舞われる確率はとても高い。なので、ここで一気に大量積雪ということもあるかも知れません。まあ、あまり極端な大雪が年末年始の人口大移動の時に来ても困るのですが。2015年12月24日 日曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.27
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クリスマスの満月というのはとても珍しいということで、午前零時過ぎに撮ってみました。60ミリレンズなので等倍で切り出してもこのくらいの大きさです。めいっぱい絞ってもかなり早いシャッターを切れるので手持ち撮影です。とにかく寒くて凍えました。寒暖計を見ると氷点下12℃、しかも風が強かった。この満月の光は煌々として「照りつける」という表現が相応しく、外を歩くのになんの照明も必要ありませんでした。SONY α7 II, Leica Macro-Elmarit R60mm F2.8, ISO 100, -1 EV, f 11, 1/320, マウントアダプター利用, フルマニュアル撮影。2015年12月26日 土曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.26
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今日の夕景。昨日より今日のほうが寒い。週末には雪の予報。冬はやはり冬らしく寒くて積雪したほうがいい。冬らしい冬があって初めて春らしい春がやって来る。2015年12月25日 金曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.25
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メリー・クリスマス!クリスチャンもそうでないひとも、信じる宗教などの問題が無ければ、クリスマスを祝ってよいではないか。ここで言う「クリスマス」は日本のクリスマスのことだ。あらゆる宗教、あらゆる文化を貪欲に吸収し同化して花開かせる日本という不思議の国のクリスマスだ。ハッピー・クリスマス!そして、わたしは John Lennon の Happy Christmas をイヴに聴く。Happy Christmas:https://youtu.be/z8Vfp48laS8蓼科高原北八ヶ岳標高1700メートル、ピラタスの丘別荘地にて記す。2015年12月24日 木曜日from 蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセット
2015.12.24
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秋の想い出。諏訪湖岡谷側湖畔。今年の秋はなんだかとても寒く感じた。今年の冬は異様に暖かく感じるけれど。それはさておき…私の写真は画像を切り抜いて画面のバランスを取ったりしない。もちろんそのような表現方法を肯定した上での話だけれど。そのときその場所で自分がファインダーで切り取った画面を100パーセント信じている。だからカメラのファインダーは視野率が100パーセントである必要がある。わたしはゲシュタルトという概念を信奉する者であるから、ファインダーの向こうもこちら側もない。時にはファインダーを捨てて、自分の裸眼で観察して目視で撮ることすらある。その際ファインダーは単なるフレームとして機能することになる。とにかく全てがひとつになるまでじっくりと待つ。そしてシャッターを切る。そのときはもう画面を構成する必要すら感じない。迷いは一切無い。そのとき頭もこころも空っぽであったことにあとで気づく。もちろん、その後の反省に基づいてそれについてとことん考え抜くという作業は怠らない。写真が上手いとか下手とかは考えないようにしている。なぜならば、これはわたしによるわたし自身のための写真なのだから。ちなみにプロの写真家、写真の達人やプロを目指す方々は、もちろん、まったく異なった姿勢で写真と向き合っていることはきちんとと理解しています。(注)「ゲシュタルト」とは全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)のことです。蓼科高原北八ヶ岳標高1700メートル、ピラタスの丘別荘地にて記す。2015年12月23日 水曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.23
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雪景色。スキー、スノーボード、スノーシューイング、冬山の季節の始まりです。蓼科高原北八ヶ岳標高1700メートル、ピラタスの丘別荘地。2015年12月22日 火曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.22
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雪です。結構まとまった雪が降っています。どか雪というのでは無い普通の降雪ですが、着実に積雪しています。乾燥路面が続くように見えてもそれは融雪剤の散布によるものなので油断禁物。この季節になったらスキー場へはスタッドレスタイヤやタイヤチェーンがなければ行けません。除雪作業は大変で骨身にこたえるけれど、やはり冬はこうで無ければと思いました。これから三ヶ月間雪と氷の世界になる蓼科高原です。2015年12月21日 月曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.21
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いよいよ本格的に冬になったようです。毎日氷点下15℃あたりまで冷え込みます。これまでが温かすぎたので寒さがこたえます。2015年12月20日 日曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.20
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わたしには被写体というものがないことに気づく。ファインダーのこちら側と向こう側という境界もない。だから何かと対峙(たいじ)して撮影するということがないように感じています。何かと向き合うことはあってもその「向き合い/出会い」の全体として自分自身も一体化してしまうようです。そのような全体としての体験の記憶として(あるいは記録として)わたしにとっての写真はあるようです。芸術表現からは遥か遠くにあるのかも知れません。しかし、自分の凡庸な感性や稚拙な技術を勘案すると個人的にはそれでいいのだと思っています。インドの聖人の言葉に「花を観るものはやがて花そのものになる」という言葉があります。そこでは認識する者(リシ)、認識される者(チャンダス)、認識のプロセス(テヴァタ)は三位一体であるといわれます。認識とはそのようなもの(すなわちサンヒター)であると個人的には考えています。表現を変えるならば、写真撮影は「認識」のプロセスのひとつであるといっても良いのかも知れません。2015年12月19日 土曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.19
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初めての圧雪&アイスバーン走行。3シーズン目でも ミシュランX-ICE 205/55R16 はしっかりグリップしてくれたのでひと安心。当地の氷雪路は急坂が多いこともあってスタッドレスタイヤの減りやコンパウンドの劣化には厳しい反応を見せるのです。今朝までに積もった雪はほとんど解けていません。スキー場では終日、人工降雪機での雪撒きが続いています。今日はとにかく寒い。最低気温は氷点下15℃、最高気温氷点下8℃、夕方には再び氷点下11℃。晴れの日、晴れの夜のほうが放射冷却現象によって気温が下がります。今日の写真は庭の熊笹たち。彼らは枯れることなく緑の葉のまま越冬するのです。その生命力の強さには改めて畏敬の念を抱かざるを得ません。SONY α7 II, Leica Macro-Elmarit R60mm F2.8, ISO 100, 0 EV, f 2.8, 1/320sec2015年12月18日 金曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.18
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起床して外に目をやると積雪していた。ほんとうにうっすらと…。当地の基準でいうなら雪の内に入らない。いつもならどかっと数十センチ積もるのだから。最低気温氷点下11℃、最高気温氷点下5℃。雪は解けずにそのまま残り夕方から再び降雪。今冬初めての雪道走行となったが、いま履いているスタッドレスタイヤは今シーズンも使えそう。いくら溝が残っていてもコンパウンドが劣化するとぜんぜん聞かなくなるのが当地の氷雪の厳しさ。久しぶりに凍えるような夜を過ごしています。SONY α7 II, Leica Macro-Elmarit R60mm F2.8, ISO 100, -1 EV, f 5.6, 1/50sec2015年12月17日 木曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.17
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今日も温かかった。当地では「暖かい」と言うよりは「温かい」と言うほうがしっくりくる気候。平年より気温が高いといっても最低気温は氷点下5℃だし、最高気温も3℃だもの。晴れたり曇ったりしたあと夕方からは雨になった。この季節に雪ではなく雨になるというのはじつに珍しい。今日プール平で撮影した写真から1枚を載せます。SONY α7 II, Leica Macro-Elmarit R60mm F2.8, ISO 100, 0 EV, f 11, 1/40sec2015年12月15日 火曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.15
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今日も同じような日が明ける。まるで醒めない夢のようだ。昨日と今日とどちらが温かいのだろう。昨日は雨だったのか晴れだったのか…だんだんわからなくなってくる。朝のうちは晴れていたが、そのあと曇天になった。雨は降らない。風もない。最低気温氷点下5℃…いつもより温かい。最高気温4℃…いつもより温かい。時間が止まったような窓外風景。何も移動しない世界。ひさしぶりに列車に乗ってみたくなる。引きちぎられるように後方に消えていく窓外風景がふと懐かしくなる。★★★精神的装置としての時間ラビンドラナート・タゴールは言う、「時間は精神的な装置であり、存在しているものの相対的な位置を測るために私たちが使っている概念なのである。」「もしリアリティをめぐるすべての知識が経験にはじまり経験に終わるとするアインシュタインが正しいならば、出来事の意味を汲みとる源となるような外郭のリアリティは存在しないことになる。」「われわれの知覚がそのようなものであると受け止めたもの、それが世界だ。そのことを疑う者はいない。われわれは心とは鏡のようなもので、外の世界の出来事を正確に映し出すだけだと思っているからである。ところが、じつは反対で、心のほうが創造しているのである。つまり、ひとは世界を知覚することによって、自分の世界を、時間と空間の中に絶えず創造しているのである。」折に触れて僕が言う「我々の外に景色(美・あるいは世界)は存在せず、それは我々の心の中に構成されるものなのだ」というのはそのような意味においてである。昨日僕が書いたことは、彼らの考えに影響されたものではなく、僕自身の直感である。しかし僕は自分が孤独な夢想者でないことを知ってうれしかった。いまある現実はあなたが同意することによって、そのように存在している。だからあなたはあなたの現実に責任がある。このような自分の認識に僕自身堪えがたいところがあるのだけれど、これは真実なのだ、たぶん。(以前のブログ記事より)★★★2015年12月14日 月曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.14
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この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。僕はそのように書いた。これは僕の世界観である。しかし孤立無援の世界観ではない。ヴィトゲンシュタインは言った、「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである」と。我々は時間の中に内包されるものではない。サルトルが言うように人間実存とはそのようなものではない。あるいは、クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。★★★以上はわたしが過去に書いたブログ記事である。今も考えは変わらない。むしろ確信に近いものへと熟成されつつある。しかしそれを知ったからと言って人生において何かが変わる物では無い。この世界はそんなに簡単な仕組みには成っていないことを知る。少なくとも「生きる意味」という答えのない問いに苛まれることはなくなった。大切なのは「生きる意味」ではなく「生きる価値」であって、それを発見できるのは自分以外ではありえないということ。それが大切なんだ。2015年12月13日 日曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.13
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さてこれまでの文体はペンション・サンセットのブログとしての体裁を維持するために用いてきたものです。しかし、どうもしっくりきませんので以前のようにもう少しわたし自身に引き寄せた書き方をしたいと思います。別の言い方をするなら「個人としてのわたしの文体」で書くようにしようということです。少しさかのぼって(とはいってもJUGEMブログには乗っていませんが)他のブログを見るとそのような文体で書きまくっていた時期が20年近くあったことがわかります。たとえばこのように「彼」は語っていた。以下、過去ブログの記事の転載です:★★★語り得ぬものこの情景は美しい。じつに美しく感動的だ。しかし、本来的な意味において「客観的」に見るならば「美しく感動的な情景」はそこには無い。それは僕のこころの中にある。僕の精神活動の内にのみ存在する。「美」とは我々の精神の内に「構成」されるものであって、「そこに存在するもの」が単に「体験」されるものではないからだ。様々な宗教が語る「神」はひとつのメタファーである。「神」とは「語りえぬもの」だから、そして「神」は一切「語らない」し「何かを指し示すことすらしない」からだ。それは神の無慈悲ではない、それは神の仕事ではないからだ。我々を導いたり、救ったり、罰したりするのは神の役割ではない。この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。宗教指導者はそのことを秀でた信仰者として語るべき時である。★★★このように語った「彼」といまここにある「わたし」とは同一人物である。いつから公式発言のような当たり障りのない慇懃な語り口になってしまったのか記憶が定かでは無いが、ネット社会が確立し「炎上」なるものが日常となった頃からだろうか。そうだ、そのころからわたしはこころを閉ざすことにしたのだった。いまや古き良き時代に盛んに行われた「啓蒙(けいもう)」なんて成立しない時代なのだ。「コピーライティング」などという昔のコピーライティングとは似ても似つかないマーケティング技術に踊らされる人々はいても、訥々と語られる真実に耳を傾ける人は極めて限定的存在なのだ。まあいいや、それでもわたしは自分の言葉で語ることを再開しようと思う。2015年12月12日 土曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.12
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春の嵐ならぬ「冬の嵐」に見舞われました。ニュースによると全国的なもののようなのですが、蓼科高原でも午後からただならぬ暴風雨となりました。気温はこの季節としては異様に高い最低気温氷点下8℃、最高気温3℃でした。高度3000メートルあたりに氷点下30℃以下の寒気団がないと氷点下でも雨になります。まあこれは聞きかじりなんですが概ね合っているかと思いますし、私の経験とも一致します。とても長い年月をこのような場所で暮らしていると「諦め」というか「落ち着き」というか、そんなものが身につきます。晴れても曇っても雨が降っても暴風雨になってもそれをそのまま受け入れるしかないという姿勢、そんなふうに表現できるかも知れません。ここに移住してきた当初はなんとかしてやろうと必死にあらがったものですが、結局のところ大自然を前に人間に出来ることなどほとんど何もないのだということを思い知らされました。耐えるべき時にはひたすらじっと耐え、何か出来る状況になるまでじっと待つ。焦ることなく不安に陥ることなく淡々と待つのだ。それがわたしがこの地で学んだことです。力尽くでどうこうしようとしても、大局的には、なるようにしかならない、ことは流れるべき場所へと流れていく。要は、その流れを読むこと、あるいは風を読むこと、それに尽きる。ときには、流れに身を任せることも大切、風に身をゆだねることも大切なのだということを、わたしは自然から学びました。2015年12月11日 金曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.11
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異様に暖かい冬ということのようですが、朝晩はしっかりと冷え込んで寒さがこたえる蓼科高原北八ヶ岳(標高1700メートル)です。この季節になると野鳥を見かけることもめっきり減って、寂しげな風景になるのですが、その一方で限りなく美しい世界を感じます。これはどうにも旨く説明できないのですが、実際にこの場に身を置けば容易に体感できることと思います。あえて表現するならば、自分の内なる世界と自分の外にある世界とが心地よくシンクロする感覚があるのです。新しいカメラとレンズにもようやく慣れてきました。絞りもシャッタースピードもピントもISO(感度)も全て自分の手で操作するフルマニュアル撮影もますます楽しくなってきました。30年前のLEICAのレンズの操作感もとても気持ちの良いものです。これでファインダーが光学式の明るく高精度のものならばいうことは無いのだけれど、このカメラはEVF(電子式ファインダー)です。隔靴掻痒(かっかそうよう)の感が募ります。2015年12月10日 木曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.10
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蓼科湖からプール平を回って帰ってきたのだけれど、プール平の道路で大きなシカと遭遇した。このあたりを根城にしているらしい牡鹿なのだが、私の車が近づいても慌てるでもなく、のっしのっしと宵闇の道路を渡っていったのだった。写真を撮るには暗すぎたので写真はない。しかし、ここまで日常になると「野性との遭遇」もなにやら別の感慨を抱かせるようになってくる。最初はとてつもない感動と高揚感があったのっだけれど、いまや親しい家族(あるいは「仲間」とか「隣人」)と出会ったようなほっこりとした気持ちになる。さて、写真は今日の夕暮れで、私の住まいでもあるペンションの前の道路から西の空を撮ったもの。実際にこのような暗さであり、それをありのまま撮った。このときの気温は氷点下11℃。(SONY α7 II, Leica Elmarit R35mm F2.8, ISO 100, -1EV, f 5.6, 1/15 手ぶれ補正のおかげもあってちゃんと撮れた。)2015年12月9日 水曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.09
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なんだか同じような日が何度も繰り返しているような印象ですが、季節は着実に厳冬へと向かっているようです。11月末から12月の本格的な積雪までの期間はいつもこんな錯覚にとらわれます。雪が積もってしまうと格段に温かく感じるのは、積雪前の底冷えがその理由だと個人的には感じています。雪は冷たいけれど、結晶構造はとどのつまり断熱構造でもあるので積雪すると底冷えが和らぐのだと思っています。今日の最低気温は氷点下11℃、最高気温は氷点下1℃。陽射しがあったので気温よりずいぶん温かく感じたのですが実際の気温は昨日と変わりないことを知っていささか驚きます。22年も暮らしているというのに毎年驚くなんて学習能力が無いとしか思えないわたしです。2015年12月8日 火曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.08
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今日の夕暮れ時の写真です。タイトルは「シルエット/silhouette」このとき外気温はすでに氷点下10℃でした。西の空を我が家の窓から撮っています。(SONY α7 II, Leica Elmarit R35mm F2.8, ISO 100, -2 EV, f 2.8, 1/8sec)今日は晴れ。最低気温氷点下氷点下11℃、最高気温0℃、23時現在氷点下11℃。これでも平年より気温が高い。現在満天の星空になっています。ピラタス蓼科スノーリゾート上空がナトリウム灯のオレンジ色に照り映えています。人工降雪機のブーンという微かな音も聞こえます。風が強い日が多いので、今年初めての試みとして建物正面からの風を避ける雪囲いをしてみました。これが思いの外効果があるようで、ちょっとうれしい。ウッドデッキの正面をコンパネで囲っただけの簡易的なものなのですが、室内の気温が高めに保たれているように感じています。それだけのことでも、ひと冬の暖房光熱費は数十万円レベルで違ってくるし、なによりも寒いより温かな方がいいに決まっている。しかし、コンパネも結構高価なので建物全体を囲うのは今年は無理そうです。コンパネの価格が昨年購入したときの2倍近くになっていたのもいささかショックでした。これも円安の影響でしょうか。2015年12月7日 月曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.07
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北八ヶ岳中腹標高1700メートルの静かな森の中で20年以上も暮らしていると、聖者とか仙人と呼ばれる人々が高地を修行の場あるいは自らの居場所とするのかがわかるような気がする。確かにそこには「何か」があるのだ。もちろんその「何か」はここにもあるような気がする、というか、それは確信にも近いものだ。動物や植物や目に見えないものたち・・・色々なものと交流できるようになるし、自然の声が聞こえるようになってくる。いまふうにいうなら自然とシンクロした精神に変わってくる。もちろんこれは個人的な想像に過ぎない。しかし、確信的推量でもある。ふと思う。写真に関していろいろと考え続けているけれど、もっと素直に撮ったら良いのではないか、と。つまり、瞑想的精神でそのまま見てそのままシャッターを切れば良いのではないのかと。そこから改めてスタートしてみればどうかなと。2015年12月6日 日曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.06
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今日は平凡ななんということも無い写真です。写真の持つ基本的機能(?)である「記録」としての写真です。今日の早朝、ラウンジから撮った景観。雪は解けずにそのまま圧雪となって舗装路に張り付いていますが、アイスバーンでは無いのでほとんど滑りません。よく知られているようで知らない方も多いようですが、雪や氷はそのままでは滑りません。その表面に水の膜が出来ることによって界面活性化してつるんと滑るようになるわけです。なので昨日今日のようにずうっと氷点下のまま強い風が吹き続くような場合はほとんど滑ることのない表面となるわけです。とはいえ、それを目視で判断することは困難なので運転には十分な注意が必要なことに変わりはありません。今日も風が強く、一日中吹き続けています。気温は最低気温が氷点下10℃、最高気温が氷点下7℃。体感気温は氷点下20℃以下に感じられます。外で雪囲いをしていると知らぬ間に鼻水がつつつぅ〜っと伸びてきて焦ります。寒いというよりは痛いです。北海道で縛れるというのはこういう感覚だと思います。そういえば当地(蓼科高原北八ヶ岳標高1700メートル)の気候はドラマ「北の国から」の舞台となった北海道の富良野(ふらの)と双子のように似ているそうです。寒さに耐えるためにはどんなに節約してもひと月に15万円から30万円の暖房光熱費がかかるので、懐も寒さいっぱいの厳冬です。2015年12月05日 土曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.05
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昨夜から強い風が吹いていたのですが、未明には信じられないほどの静寂が標高1700メートルの森にある我が家を包み込みました。うつらうつらしながらふと思い出します、これは雪が降っているときの静寂だったのだと。そっと起き上がってみると部屋の温度はかなり下がっていました。外気温はおそらく氷点下10℃以下だということがわかります。そのままカーテンの隙間から外を見るとやはり雪が積もっています。風の音はしないもののかなりの強風が吹いているようで、粉雪はモーレツなスピードで視界を横切っていきます。ただ、降りそのものはさほどではない。カメラを持ってラウンジに出てみると外はちょうどこんな風景でした。外気温は氷点下12℃、その後も気温は氷点下7℃までしか上がりませんでした。雪が舞ったり曇り空になったり一瞬陽が射したり。いすれにしても冬将軍到来は間違いありません。この冬としては初めての氷雪路走行をすることになりましたが、3シーズン目のスタッドレスタイヤのグリップは良く、これならこの冬はこのタイヤでいけるなという感触でした。このような気候ではカメラがあっという間に冷え切ってしまうのでとても気を遣います。さらに気を遣うのはレンズなどの光学系の結露や曇りです。そのあたりの温度コントロールをきちんとやらないとすぐにカビにやられてしまいますから。それさえなければ被写体には事欠かない蓼科高原北八ヶ岳の冬です。2015年12月04日 金曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.04
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今日の写真は「SOMETHING HAS COME」というタイトルです。ピラタスの丘ではなく諏訪湖畔で撮ったものです。現像段階であまり手を入れなくてすむように撮影段階でこれに近い画像になるように心がけています。朝から雨模様だった蓼科高原標高1700メートルの我が家ですが、23時頃から雪積もり始めました。今日の最高気温は2℃と温かかったのですが、今朝と現在の外気温は氷点下11℃、いまは固く締まったパウダースノーが降っています。風が強くて凍死しそうなぐらい寒いです。まだうっすらと積もっている段階ですが、ある程度積もって根雪になりそうです。しかしこれでもタイミング的には遅いぐらいです。平年通りならこれからずんずん積雪が進むと思います。蓼科高原の各スキー場もほっとする降雪・積雪かも知れませんね。蓼科高原もいよいよウインターシーズンですね。明日は積雪路走行になるのだろうかと、いつものことながらシーズン始めのスノードライブはワクワクします、いろんな意味で。^^;2015年12月03日 木曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.03
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今日の写真は「HEAVEN IS HERE」というタイトルです。この場所はピラタスの丘にあるのですが、刻一刻と表情を変える空と山、そして光に惹かれて四季を通じて撮り続けています。クルマで通りかかるたびにちらちらと横目でチェックを入れているだけなのですが、運が良いとこんな風景と出会うことが出来ます。正直言うとこのときは「きれいだけれど撮るのやめようかな」と思って一度は通り過ぎたんですよね。誰が見たってきれいな風景を綺麗にとって「まあ綺麗!」と言われても、個人的にはちっともうれしくないからです。大切なのはわたし自身がこころを揺さぶられるかどうかなので。私にとって写真を撮るという行為は「創造的作業」というよりは「個人的体験」なのです、たぶん。こんなことを言えるのもわたしがプロの写真家では無いからですし、アマチュアとしてもコンテスト応募など考えずに自分のためだけに写真を撮っているからなのかも知れません。なにを表現しようかなんで考えもおよびませんし、(何かの間違いで)「写真上手いなあ」なんて褒められたいわけでもありません。ただ、共感してもらったときにはとてもうれしいです、心の底からうれしく思います。大袈裟なことをいうなら、自分が生きている証みたいな感覚でほぼ毎日写真を撮っているようなものですかね。わたしの撮った写真が(それがどんなものであろうと)そのときの私の魂のフィルムみたいに感じています。2015年12月02日 水曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.02
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今日の写真は「SAKURA」というタイトルです。この桜の樹は諏訪湖畔にあるのですが、四季を通じて撮り続けています。わたしは写真にタイトルをつけるのが本当に苦手で、タイトルなんかつけなくて良いならどんなにしあわせだろうと思うほどです。しかし、ひとたび自分が見る側にまわるとタイトルってやっぱり欲しいんですよね。タイトルによって見る側の態度が固定されたり狭められるというのは良くないけれど、その写真を撮った者からの最低限のメッセージとしてのタイトルは必要なのかなとも思う昨今です。今日も最低気温氷点下10℃、最高気温1℃で、まあいつも通りの季節感です。風がなかったのでずいぶん温かく感じました。蓼科高原の山々はすっかり冬景色です。標高2000mクラスの山々はすでにしっかりと冠雪して真っ白な頭を見せています。幹線道路はまだ積雪していないので、普通タイヤでも走れますがいつ雪が降り出すかわからないし、深夜早朝には部分的路面凍結も見られるのでタイヤチェーンの準備やスタッドレスタイヤが必須の季節になりました。2015年12月01日 火曜日from 蓼科高原ペンション・サンセット
2015.12.01
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