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突然の衝撃であったが、衝撃が全身をつらぬくその一瞬にわたしは意識を持った。 自分が青虫であることにすぐに気づいたが、それが不幸であるとか、ましてや運がいいとか思いはしなかった。 これは仮の体のような気がしたが、同時にこの体を失くしてしまうとわたしは、わたしという意識もなくなるのだろうなと漠然と思った。 わたしはマンションの上の方からから投げ出されたと考えた。なぜならこの冷たいアスファルトの舗装に、ぶよぶよした体にちょこんとついた頭のすぐ後ろが激突したからだ。上から落ちてくるときに本能的にわたしは体を丸め頭を守ったのにちがいない。 わたしは体を斜め横倒しにしている。2列に並んだ足が、その一部が地表から離れているというのに周期的に動いている。 体をきちんと起こそうとする気がしない。このままでは、マンションの屋上で羽を休めているかもしれない野鳥に喰われてしまうかもしれないのだが。 ただ、ここは見渡す限りアスファルトの地面が続き、周囲に草木の匂いがしないわけではないが、そこに行き着くまでは砂や小石がごろごろしていかにも歩くと不愉快な地表をのたのたと歩かなければいけない。しかも、排気ガスに混じって漂う草の匂いはわたしの好きなものではない、簡単な話がわたしの食料になりうる類の植物ではない。 それではわたしはどうすればよいのだろう。わたしの意識は迷っていたのにもかかわらず、わたしの決して身軽といえないころころした体はその体勢を立て直し、歩き始めようとしている。そうする必要がないとわたしの意思で止めるほどの理由も見つからず、それどころか、意識はなんら具体的な行動を指示することができない。 これを本能と言うのだろうか。生きる力というのだろうか。ともあれ、体は動こうとする。幸いにも体には打ち身の鈍い痛みから完全に解放されていないが、大きな外傷はない。 わたしの意識は、この自然な成り行きに従っている。行き着く先にはわたしの食料となる葉はないかもしれない。それでもかすかな緑の匂いのする方向に、アスファルトの上の砂を踏みつけ、時に小石に乗り上げながらも進んでいく。 生きるという感動は時に無残で、わたしはアスファルトの道を渡りきり、コンクリートの縁石を上り、ようやくひんやりとした土のある場所に到達したのである。常緑樹の幼木が一定間隔で生えている植え込みの根元にたどり着いたのである。ただそこにはわたしの望む葉物は、予想通りなかったのである。 慣れぬアスファルトの上を長い時間歩いたせいであろう。起伏のある硬いアスファルトに擦られたか、尖った小石にひっかかったのか、体中に無数の傷がある。水分の補給ができず体はもう動かない。ようやくわたしという意識と体が一致したような気がした。 木陰で太陽はもう射さない。この暗がりの中でも、しばらくすれば、蟻がやってきてわたしの体にたかるのに違いない。 生きる力は潔くて、努力を評価しない。生き延びることがすべてである。 その意味においてわたしという意識は無駄な存在だった。衰弱していく体から離れられない意識がやるべきことは何もなく、夢の中に入り込んでいく。そこでは、わたしは過去に未練を残し、わたしをマンションの上の階から投げ捨てた得体の知れぬものに復讐するために、自動車道路沿いで埃まみれのマンションの壁を登り続けている。
Nov 28, 2010
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毎日確実に青虫は育っている。2,3ミリぐらいのときから青虫を取り除いてきて、今や2、3センチ、十倍以上に大きくなっている。ひとつの白菜に、10匹はいただろうか。 最初は、爪楊枝を葉の上の青虫の腹を傷つけるように押し付けて、時には2本の爪楊枝を使って5階のベランダから投げ捨てていたが、放置しておくと若い葉のあらかたを食べつくしてしまう無遠慮さと裏腹の無防備さで、柔らかで、この中にはどろりとした内臓がはちきれんばかりに入っていますという青虫の体を見続けるその作業に耐えられなくて、ピンセットを買ってきた。 確かに爪楊枝で処理するよりも素早くできるけれども、体を潰さないように青虫をつかむ力加減に、青虫の体を満たしている体汁を感じて、ピンセットでつまみあげているその瞬間も気持ちが悪くて手早く下に放り出してしまう。 もちろん、下の階のベランダに入らないように投げるわけだが、投げ出された青虫はマンションの駐車場の真ん前の舗装された構内道路に落ちていく。どんなに高いところから落としても、空気抵抗の影響で最後はある一定の速度になり、衝突時の衝撃を青虫は感じるだろうが、死に至ることはないとわたしは考えている。一度も確認をしたことはないけれども。 そこから先は、その青虫の運と努力次第だ。近くにその青虫の食べ物となる葉があれば、生き延びられる。しかし、落ちた場所はともあれアスファルトの舗装の上だ。うろうろとして結局は生存できないと思いつつ、自分で青虫を潰す気持ち悪さから逃げている。 年をとっているからといって、わたしはそれほど眼が悪いわけではない。それでも見落とすものがあったのだろう。加熱が進んで、鍋の底からぽこっ、ぽこっと泡がでてくると、白菜の漂う液体の中をすーっとまっすぐに浮かびあがってくるものがある。ベランダで見るよりは少し白んで、ぽっかりと青虫が浮き上がる。 深夜、わたしは眼を絶対に開かないと誓い、眠りにつこうと必死になっている。なぜ耳の機能を意識的に遮断することができないのだろう。わたしには、聞こえてくる。わたしによって放りだされた青虫たちがゆっくりと、それでも確実にマンションの壁をよじ登りわたしの住む5階に戻ってくる、かすかな音を。
Nov 21, 2010
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その病院に向かう自動車道のすぐ脇をわたしは早足で歩いている。わたしは油断をすると笑いがこぼれそうなのだ。傷のない皮膚から血が垂れるのがわかるほどに、心の中は凛としているというのに。 皮膚の細胞と細胞の間を浸出してくる体液があって、とても微量なのだけれども、それがようやく集まって、例えばほっぺたの一番丸まったところから垂れてくるこの体液が、たまたま血液だったというわけだ。 これが透明だったら、わたしがまったく気づかないぐらいに透明だったら、真冬の早い夕暮れだというのに、これが汗であったら、良かったのにと思った。 わたしの愛する人の血縁の人の厳粛な時だからだろう、してはならないことを咎められないようにやりたくなるという誘惑が起きてくる。決して実行することはないとわたしの理性が自信をもっているのに、湧き上がるものがわたしの内にある。 愛する人を見てわたしは思った。旅立つ人は寂しくないにちがいない、残される人に比べれば。 そのぎりぎりの、神経にきりきりと食い込む緊張の中にわたしの愛する人がいて、わたしは急ぎ足で駆けつけようとしているのだが、腹の底からけらけらと笑いたくてたまらない。 わたしのほっぺたの血液が去り行く人の顔に垂れ、それが筋をなして彼の口に吸い込まれていけば、彼は吸血鬼のように再生するかもしれない。わたしはそれを恐れた。 しかし、わたしの愛する人がわたしを見つめて、わたしの中に隠れ潜む笑いに気づくことをもっと恐れた。
Nov 14, 2010
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