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樋口尚文『テレビヒーローの創造』筑摩書房 1993,10 『月光仮面』から『金曜日の妻達へ』まで30年にもわたるテレビ史、その中で中心に据えられるの「ウルトラシリーズ」である。これといって新しい情報はなかったが、どうしても金城哲夫に偏りがちな自分のとらえ方を対象化するためにはいい本だった。 この本も93年刊。92から93年は、非常に重要な年である。 玉城優子「沖縄を愛したウルトラマン」『沖縄タイムス』コピー開始。さっき2月分だけコピーして、腹が減ってダウン。何とか今日中に仕上げたいが、縮刷版から記事を選りだし、拡大コピー(160%無いと読みにくい)するのは、想像通りの難作業。114回もある(涙)。 きだみのる『気違い部落周游紀行』(初版は1948)、入手。帰郷の際、金城は「きだみのる氏のようになりたいのです」(円谷一宛書簡、1969,1,23)と述べている。前掲書はきだの代表作とされているもので、1957年、松竹により映画化、『気違い部落』。現在の感覚ではあまりにすごい題名から、テレビ・新聞等ではその存在すら取り上げることが出来ないらしい。ちなみにここでの「部落」は、古い日本の慣用表現で、共同体をさすものである。 実は私はきだみのるについては、名前を聞いたことがある程度で、奄美出身という事すら知らなかった。http://noz.hp.infoseek.co.jp/Kida/ このページである程度のことがわかる。 その他初期の金城が強い影響を受けたという新藤兼人『愛妻物語』1951松竹、帰郷の大きな要因となった今村昌平監督の『神々の深き欲望』1968日活、等まだ見ていない。特に後者は大学の図書館にあるので、早い時期にチェックすべきだった。 円谷時代の金城については沖縄出身を重くみる立場(実相寺監督、切通氏など)と、沖縄問題とは無縁であったと考える立場(満田監督、會川昇氏など)の対立があり、私自身は「カクテルパーティー」芥川賞受賞以前については、後者に近い感触をもっている。一方、きだみのると『神々の深き欲望』は、きわめてマージナルなモチーフを取り上げている。 6月4日にスタートした「ウルトラマン研究」であるが、ここで一段落させることにする。執筆に入る。 0から始まっているので、ちょうど30回。当初は一本だけ書くつもりだったが、最低二本書くことにした。一本目は仮題「金城哲夫論序説ー「ウルトラマン」はいかに読まれてきたか」、これは早くいえば受容史、研究史論である。包括的かつ体系的にまとめるつもりである。作品論もしくは作家論は二本目という予定である。
Aug 31, 2003
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ゆいレールに乗った。まだ物珍しさがあり、混み合っている。首里駅から首里城まで徒歩15分もかかるなど、実用性には疑問あり。真夏の沖縄で「徒歩15分」はきつい。 首里駅にて。女房子供。 かなりカーブがきつくスピードはあまりでない。 テレビでも特集されていた「美人運転手」にあたった。ラッキーなのか? 息子の撮影した那覇風景。率直に言って那覇はあまり美しい町とは言えない。
Aug 30, 2003
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『宇宙からの贈り物』(朝日ソノラマ1985.8)到着、非常にきれいで満足ウルトラQ「五郎とゴロー」「宇宙からの贈りもの」「甘い蜜の恐怖」「クモ男爵」「ガラダマ」「ガラモンの逆襲」「空想都市」(「1/8計画」の準備稿)「南海の怒り」「火星のバラ」(未使用シナリオ)ウルトラマン「ウルトラマン誕生」(前夜祭)「恐怖のルート87」「禁じられた言葉」「小さな英雄」その他「人間泥棒」(ウルトラセブン未使用シナリオ)「フランケン1968」(怪奇大作戦の前身、チャレンジャー準備稿)「来訪者を守り抜け」(戦え!マイティージャック)「毒ガス怪獣の出現」(帰ってきたウルトラマン) 巻末には抄録ながら円谷の文芸部日誌、円谷一宛書簡あり。おそらく活字としては初出と推定される。 マニアックである。『ノンマルトの使者』の翌年に刊行されながら、相当発行部数が少なかったのだろう。これが現在の極端な品薄につながっていると思われる。これで刊行された四冊のシナリオ集全てを手にすることが出来た。『ウルトラマン大鑑』 (朝日ソノラマ1987)について これは本当にすごい本である。A-4版の大型本の大半(約180ページ分)が、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの企画資料。近年では良く知られている「WOO」「ベムラー」をはじめ、実現しなかった「戦え!ウルトラセブン」の企画資料まである。まさに研究書である。「島唄」などで部分的に見ることができるものの、文芸部日誌の全文などは実に貴重だと言えよう。『ウルトラQ伝説』(アスキー1998)紫藻さんおすすめの本。ヤフオク3800円で落札。といっても競り合ったわけではなく、出品者の言い値。定価3600円だが、絶版美品としては、まずまずの値段。
Aug 29, 2003
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デジカメを買ったので画像をはってみよう。 卒論発表会の様子。 帰りに全体でとった。縮小したら何だか画像が変になったみたいである。その他に多少たのしげな写真もあるのだが、今回はこれだけ。
Aug 27, 2003
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『ウルトラマン大鑑』が送られてきた。詳しい説明はまたの機会にするが、今までこれを持たずに論じていたことが恥ずかしい。「研究」と名乗る以上必携の書。 明日から合宿です。最初は観光だけだったが、徐々に勉強時間が増え、今やゼミ合宿の名に恥じないものとなっている(かな)。今年はセミナーハウスなので、特にその傾向が強かろう。
Aug 25, 2003
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飯塚 聡 「ウルトラマンの構造分析--プロップの手法の応用による異類婚姻型昔話との比較 」『工学院大学共通課程研究論叢』(通号 36-1) [1998] なんとうちの図書館にあった!といっても驚くほどではなく、大学図書館なのだから、他大学の紀要があるのは当たり前であった。灯台もと暗しである。 実は私の卒論は鏡花の「高野聖」の構造分析であり、最初に書いた学術論文も同じ手法であった。それゆえこの論文にはある程度の共感は感じる。しかし、すこし専門的な話になるが、構造分析自体はこつを覚えてしまえば非常に簡単なものであり、重要なのは、分析結果から何をいえるのか、という考察部分だと思う。この点率直に言って飯塚氏の論文には魅力を感じなかった。 〈異類婚姻型〉とは早くいえば、ツルの恩返しである。異類が正体を隠し人間と共棲するが、最後は何らかの形で破局を迎える、というタイプである。一見すると「助けてもらった」と「ハヤタを死なせてしまった」は事情が異なるが、負い目という点に注目すれば、構造的には等価であるし、「婚姻」とは便宜的な名称で、構造的には共棲すればいいため、必ずしも結婚しなくても良い。確かに「ウルトラマン」も「ウルトラセブン」も、このような全体構造をもっている。が、問題はそこから何が言えるのか、であると思う。 飯塚論は映画「シェーン」も同一構造だと分析した後で、次のように結んでいる。「現代の物語もそれらが作られるに際しては、神話や昔話などの口承文芸から受け継がれて来た、物語の祖型の支配を受けているのである」 そりゃそうだろう、というほか無い。というか、プロップのモデルは非常に抽象的なので、多様な作品が同一構造になるのはむしろ当たり前なのである。 今回はこういうスタイルでやるつもりはないが、例えば「ウルトラマン」はウルトラマンが地球に来訪し、帰っていくまで38編(怪獣殿下はひとつと数える)の小構造から成り立っている。この全てを構造的に記述し、全体構造との関連等を分析するとか、シナリオライター監督別に何らかの傾向があるのか分析するなど、何らかのひねりが必要なのではないだろうか。 現在の所、私が最も重く見るのは津島知明氏の「“まれびと・ウルトラマン”再考」 である。紫藻さんが勧めてくれているように、バックナンバーお願いしてみようかな、とも思う。
Aug 24, 2003
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ウルトラマン研究27、途中まで書いたが、女房が迎えに来るというので時間切れ。明日掲載します。 金城哲夫研究文献目録をアップ。多様にあるムック系部分には弱いが、雑誌新聞系にはちょっと自信あり。
Aug 23, 2003
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次第に最深部に近づいてきた感じ。岩田功吉「さまよえるウルトラマン(一)(二)」(東京大学出版会『UP』1995年2・3月号)岩田功吉「思想としてのウルトラマン-沖縄からの発信-」(『沖縄文化研究 27』2001年) 上が下のダイジェストなどと書いたが、時期からいうと増補ということになる。ちょうど切通さんの「ウルトラマンと在日朝鮮人」(『異人たちのハリウッド』映画宝島Vol.1(別冊宝島)所収JICC出版局 1991.12 )と、『怪獣使いと少年』との関係。「思想としてのウルトラマン-沖縄からの発信-」の方をよめば上は必要ない。 異論は結構あるが、これに気付いて本当に良かった。大江の「破壊者ウルトラマン」批判から入るなど、私もやりそうなことをやっている。先行文献の見落としは命取りである。 沖縄芝居の原文にあたらず、『ウルトラマン島唄』の引用を使用するなど、ややいい加減な部分もある。津島知明「“まれびと・ウルトラマン”再考」 『新沖縄文学 第93号』1992.10 津島氏の専門は、枕草子などの古典のようである。國學院を出ているので折口系だろう(違うかも)。「”悲劇の沖縄人”という物語が、あまりにも型どおりになぞられていることがわかるだろう」という佐藤健志批判など、なかなかに鋭い物がある。 またこの論文を読み、『ウルトラマン大鑑』(朝日ソノラマ、1987/12)は是非とも必要な資料だと感じ発注した。この本も通常6,000円くらいで売られているのだが、3,500円のを見つけた。もともと定価が4,000円以上する本なので、まずまずラッキーである。 じつは「再考」というだけあって「まれびと・ウルトラマン」という論考が別にある。『飢餓陣営』という特殊な同人誌に掲載した物で現在品切れ中。これが入手できるのかどうか不明。国会にもないようである。まあ「総括」といっているので、こっちだけで何とかなるかも。以下未読本浜 秀彦 「1972年前後のオキナワ表象--手塚治虫・ゴジラ・ウルトラマン」 『ユリイカ』2001年8月号 まだ見つけていないのだが、この本は研究室のどこかに絶対ある。なお、本浜さんは、前に『沖縄文学選』で一緒に仕事をした知り合いである。名刺に「マンガ表現論」と書いてあったが、こんな論文も書いていたのか。飯塚 聡 「ウルトラマンの構造分析--プロップの手法の応用による異類婚姻型昔話との比較 」『工学院大学共通課程研究論叢』(通号 36-1) [1998] むう。こんなのがあるのか。折口の「まれびと」にウラジミール・プロップをぶつけてきたのか?飯塚氏の専門は英文学のようで他にコナンドイルの分析とかあるらしい。前回上京する前に知っていれば、難なく入手できたものを・・・。「またパパお仕事なの」攻撃を受けるが、家族を連れて里帰りが、追加調査・資料収集になりそうである。
Aug 22, 2003
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人文諸科学、殊に文学研究においては、学術論文(通称ペーパー)と批評、エッセイ、さらには感想文との境界がきわめて曖昧である。しいていえば「学術雑誌に掲載されていること」が外見上の特徴であり、内容的には「レファランスがしっかりしていること」が、肝要であろう。 この「レファランス」の問題には、今回非常に苦しめられた(ている)。学術論文の場合、内容は下らなくても、レファランスだけはしっかりしているのが普通である。これに対してサブカル研究の場合、非常に鋭い分析でも出典が明示されないことが多い。特にネット上では「~だそうです」「~らしい」が乱発され、事実とうわさの境目がはっきりしない。 たとえば『ウルトラセブンism』(2002、11 辰巳出版)のコラムは一種アカデミックな表記法を取り入れており、注(note)が非常に多い。しかしその多くはいらない情報であり、肝心の注がないのである。私は満富幸男氏の「希有なヒーロー・ウルトラセブン」(同書p.86~p.87)中、「さらに、セブンの特殊性を裏付ける決定的な要素として、彼の本来の任務である恒点観測員(注22)という点が上げられる」というくだりを読んで少なからず興奮した。ついに「恒点観測員」の出典が明らかになるのか、と思ったのである。しかし(注22)を読んで、大きな失望を感じた。(注22)ウルトラヒーローの多くが席(ママ、籍の誤りだろう。引用者注)を置く宇宙警備隊が、大宇宙の平和と安全を守るという、地球上における警察活動に近い任務であるのに対し、恒点観測員は本来、調査や研究という点に重きを置いていると思われる。 むむ。何がいいたいんだろうか?「恒点観測員」が調査研究に重きを置くのは当たり前である。そうではなく問題は、ウルトラセブンが本当に「恒点観測員」として設定されているのか、ということである。実はこの設定は、結構常識になっているのであるが、実際に放送された「ウルトラセブン」のどこにもそんな言葉は出てこないのである。(この点については見落としもあり得るので、何か知っている方は、掲示板に書いてください) また90年以降、かなりの分量が出されている「研究本」の類が重要な論拠とする関係者のインタビューについても、私は限定的な評価しかしないことにしている。その理由は上原正三の『金城哲夫 ウルトラマン島唄』の「あとがき」にはっきり出ている。「年月日が決まっている過去の事実を掘り起こすのは容易ではない。当時のスタッフに取材しても三者三様の答えが返ってくる。三十五年の歳月が記憶を風化させているのだ」(p.275) そこで上原氏は当時の文献にこだわり、優れた評伝を書いた。本当に事実に近いのは「当時の」証言であり、文献であり、幸い閲覧が容易な「作品そのもの」なのである。 現在の所例えば「ウルトラセブン」に関しては、第一級の資料といえるのは、オクヤマさんの「ULTRA SEVEN CRAZY FAN BOOK」であろう。http://www7.gateway.ne.jp/~okhr/ この前お会いして確認したが、案の定オクヤマさんは何度もDVDを巻き戻して、セリフを再現したということである。私もこの作業を「ノンマルトの使者」に関してのみやってみたが、たった一作でヘロヘロであった。紛れもない事実というのは、きわめて地味な作業を通してしか得られない、というのは本当である。 さて一方の「学術論文」であるが、実はネット上にも「教材研究」としての論文が結構ある。例http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/ultraman.htm http://www.biwa.ne.jp/~m78seiun/siryo.html グーグルで「ウルトラマン×教材」で検索すると、結構ヒットするのである。既にウルトラマンは「教材」として一定の市民権を得ているらしい。この教材研究を別にすると岩田功吉「さまよえるウルトラマン(一)(二)」(東京大学出版会『UP』1995年2・3月号)岩田功吉「思想としてのウルトラマン-沖縄からの発信-」(『沖縄文化研究 27』2001年)津島知明「“まれびと・ウルトラマン”再考」 『新沖縄文学 第93号』1992.10 現在の所3本であり、岩田氏のものは上が下のダイジェスト版である。本当は今日は岩田氏の論考について考えようと思っていたのだが、今日は時間切れ、明日から数日いそがしいので、続きは不明です。 訂正・昨日の日記で『宇宙からの贈り物』の定価を2,000円と書きましたが、1,200円の誤りでした。
Aug 19, 2003
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ヤフオクで『宇宙からの贈り物』(金城哲夫)をゲット。『ノンマルトの使者』はアマゾンユースドで七千円だが、ヤフオクに出てくれば多分二千円以内で落とせる感じ。ただこれは県立図書館にもあるし、何よりも既にもっている。しかし『宇宙からの贈り物』は別である。どういうわけか異常な品薄で、ユースドでも出た試しがない。 今回の出品は個人。『宇宙からの贈り物』『ノンマルトの使者』『24年目の復讐』(これは上原正三)以上朝日ソノラマ三点セットである。他の二冊は既にもっているのでためらわれたが、今後『宇宙からの贈り物』が出るとは限らない。後は他のコレクターに見つからないのを祈るだけである。100円スタートなだけに、うまくいけばびっくりするくらい安く落とせることもある。 が、甘かった。最終日、既に6000円を超している。ここは腹をくくって上限10250円。250円分がみそであって、一万円を超えると戦意が喪失するだろうという読みである。これを越えた場合は、それ以上競り合うつもりは無かった。こういう商品はきりがないのである。 締め切り間際チャレンジしてきた10001円を振り切って、何とかゲット。しかしゲットした後、一抹の寂しさを感じるのもオークションの特徴である。明日これを持っている人が、「そんなに高く売れるのか」とまた出品してくるケースもある。いくら品薄とはいえ、定価2000円の古本のために一万円とは・・・。
Aug 18, 2003
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2歳児と4歳児を連れ、全島エーサー大会見学という暴挙に出る。幼児を連れているのはうちだけではないのだが、午後三時半スタートという極熱の中、かなり無謀な試みであるといえよう。日が沈んでからの方が盛り上がるのであるが、そうすると多分その日のうちに帰宅するのは困難である。 何とか四グループ見ることが出来た。ただし最初の三つは、小学生、婦人会、国際交流といった企画ものである。泡瀬小学校のはなかなか良かったが、後の二つはむむ、という感じ。本格的な青年会をひとつ見たところで、下の子が限界。そのため渋滞にも遭わず、スムーズに帰宅することが出来た。何より四人とも無事ということが重要(爆)。 沖縄では非常に注目を集めているイベントなのだが、高い客席から鑑賞するというのはどんなもんなのだろうか。やはり日常生活をおくっている地域で、演者の汗が届くような至近距離で見るのが本来なのかも。ただし夜になるとすごい盛り上がりらしい。が、それは子供達が大きくなってからの楽しみということにしておこう。
Aug 17, 2003
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『潮』のバックナンバーあたりも、沖縄県内で入手するのは難しいため、今回の東京行きは有意義なものだった。国会とは行かないまでも、広尾の中央図書館ぐらいの図書館が沖縄にもあればなあ。新着資料岩田功吉「さまよえるウルトラマン(一)(二)」(東京大学出版会『UP』1995年2・3月号) 岩田氏の専門は朝鮮現代史。ネットで検索すると、なかなか強力なイデオロギーを感じるが、この論文はバランスのとれたいいものである。私の関心と重なる部分も多いので、入手して良かった。タイトルはおそらく広津和郎の「さまよえる琉球人」からとったもの。なお同氏には他に岩田功吉「思想としてのウルトラマン-沖縄からの発信-」(『沖縄文化研究 27』2001年)というのがあることが判明。これもおそらく学術論文であり、貴重な先達者ということになる。早急に入手すべし。実相寺昭雄「ウルトラマンを作った男」(『潮』1982年、6月) 内容自体は既出のものが多いが、発表年に注目。おそらくこの手の研究の最初期を形作る文献といえる。実相寺昭雄「ウルトラシリーズの怪獣達」(『歴史読本』臨時増刊1989年12月) これも実相寺監督のエッセイ。実相寺監督は文章自体はあまりうまくなく、焦点がはっきりしない部分もあるが、やはり貴重な文献である。実相寺昭雄『星の林に月の船』(大和書房、1987年、2月) 古本屋で入手。 テレビドラマ「ウルトラマンを作った男たち」の原作。あくまでも小説であり、あつかいが難しい。原田実『ウルトラマン幻想譜』(風塵社 1998年9月) 書泉ブックタワーで入手。 著者原田実氏は経歴をみると正体不明な感じもするが、一般向けの歴史書をたくさん書いている人らしい。ホームページもあるようなので、今度チェックしてみよう。この本自体はまだ熟読していないが、しっかりした本だと思われる。池田憲章、高橋信之編『ウルトラマン対仮面ライダー』(文春文庫plus、2001年1月) ハードカバー版もあったが、最近の本は文庫化の際に増補などがあるので文庫版を購入。まあ悪い本ではないが、あくまでも一般向けの読み物。池田憲章氏は竹内博氏と並び、この分野の第一人者だと思われるが、時代は白石雅彦氏のような、よりコアなものを要求しているような気もする。 その他紫藻さんに貴重なビデオを貸していただいた。 上記以外で、むしろ沖縄の方が入手しやすい資料が数点あるが、場所を押さえているので、近いうちにそろえられる。まだ見落とし、未発見の資料もあるだろうが、だんだん勝負になる分量になってきたと思う。 その他、進行状況としては、谷川健一あたりを読んで、「まれびと」「ニライカナイ」等を勉強中。こちらはなかなか手強い。
Aug 14, 2003
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8月10日は、ウルトラセブン関係者のオフ会。 ほとんど知り合いのいない状態だったが、イベントが充実していて、見ているだけでも面白かった。記念品も作中使用されたお守りのレプリカ(限定品)や、ひし美ゆり子サイン入りブロマイドなど充実しており、それだけで会費分は回収した感じ。ビンゴで当てたポインターの玩具は、兄弟で取り合いである。オリジナルシナリオなど展示品も充実していた。 ユタ花村役ということで、真理アンヌ(ホンモノ)が来ていたのもびっくり。途中から紫藻さんに紹介してもらって、アンヌ隊員と話すことも出来た。あまりの美しさにまたびっくり。あんたいくつなんだ、って聞かなかったけど。しかも中盤からフロアでファンと交流していて、本当にファンを大切にしてるんだなあ、と思った。 非常に充実した企画であった。
Aug 10, 2003
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今回の台風は沖縄的には「やや強い」程度だが、ほとんど衰えずに本土まで行っちゃったので、心配である。昨日一日完全につぶされたのは痛かったが、出発日にかからなかったのは不幸中の幸い。 というわけで明日から数日、留守にします。オフ会楽しみ。 お盆でもちゃんとやってる国会図書館には感謝。コピー速度をもう少し上げていただければ(懇願)。今回は特に掲示板とか制御しないで行くので、何かあったらお書き込み下さい。いたずらはやめてね。
Aug 8, 2003
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ひょんな事から、恵隆之助氏と知り合いになった。非常に穏和な方だった。どんな人なのかは各自調べてください。 みやじが申し出てくれたので、リンク集というのをいじってみた。Bleachはそこそこメジャーなバンドらしい。ドラムのsayuriは在学中は谷崎を勉強していた。リトルキヨシは商経学部、みやじを仲立ちに知り合いになった。まだあまりメジャーではないが、そのうちブレークするかもしれない。 ハードディスクの中から「ブンガク研究の時代?」が出てきたのでアップ。これはネットで知り合いになった大月隆寛さんの企画、別冊宝島『今時のブンガク』に書いたもの。島内知也というペンネームは「シマナイチャー」と読みます。内容は今読み直すと、受けねらいの低俗なもの。商業誌だけに原稿料はそこそこだった。
Aug 5, 2003
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大学教員の仕事はいろいろあるのだが、私が最も苦手としているのが成績評価である。何年たっても、慣れない。やらなきゃいけないのにやりたくないので、ネットで時間をつぶしたりしている。もうちょっと休憩したら始めよう。まるで駄目な受験生時代とかわらない。ちゃっちゃとやるべきなのである。 優良可不可という伝統的な四段階に問題がある。まず不受験、未提出。これは楽である。いうまでもなく不可である。一方、「おお、これはすばらしい」これも簡単。優である。問題は優と良の境目、良と可との境目である。何処が切れ目なのか?本当に自分は十分に客観的であったか、それ以前に記述型の答案に客観などという事があるのか、などとどうしようもない原理的思考をしたりする。漱石の「道草」にもそんな場面があり「畢竟自分は神では無いのだ」などと開き直っていた。 非常に字がきれいな学生がいる。印象点抜群である。そのため甘くなっていないか?さっきの良より、こっちの可の方が、いくらかましではないのか?いっぱい書いてあると、内容以前に妙に立派に見えたりする。「先生半年間ありがとうございました(ハート)」などという卑怯な攻撃を受けると、一瞬反撃の手がゆるみそうになる。 まあ、それも今日で何とか終わり。明日から自分の勉強をしよう。
Aug 1, 2003
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