2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全11件 (11件中 1-11件目)
1
誰やねんっ20号さんもおっしゃっているが、引越とは捨てることである。この場合、自分が何にこだわっているかを知るいい機会でもある。 私の場合やはり強敵は本である。特に単行本、これは相当下らなくても捨てられない。もう10年以上も開いたことが無く、今後もおそらく参照しないであろう本の群れ。しかし本はまとめるととんでもない重量になるので、整理しないわけにはいかない。 上の子は、手が取れてどっかに行ってしまったゴルメデ(ウルトラマン・コスモス)の人形を捨てることを、決して認めない。新しいのを買ってやるから、とか、そういう問題ではないらしい。 人間の悲しい性である。
Nov 30, 2003
コメント(1)
いよいよ新居が完成し、引越準備である。これが大変(涙)。子供達はまだ全く戦力に成らず、というか完全な足手まといである。女房と私では価値観に隔たりがあり、持っていく、捨てるで一件ごとに大もめ。「ぱぱ、まま、ケンカしないで」などと長男に説教される始末である。 さらに自分のものを整理していて「俺の人生は90%はゴミだな」と感慨深い。捨てるべきなのであるが、捨てる前に読み直したりして全然はかどらない。私は若い頃全くもてなかったので、高校時代のガールフレンドからの手紙などは大変貴重なのであるが、これも捨てねば成るまい。何でそんなものがまだ残っているかというと、当初一人暮らしで、後から女房が来たため。 というわけで、しばらくウルトラマンどころではなさそうな感じです。
Nov 26, 2003
コメント(1)
大祭期間はゆっくり本を読んでなどと思っていたが、休みは女房も織り込み済み。普段よりいそがしいのであった。 まず七五三。来月上が五才、下が三才ということで記念撮影。平日だというのに、他にも父親の参加多数。みんな、こんなマイホームパパじゃプロジェクトXにでられないぞ。 次に自分の誕生日。おいおい41など、全然めでたくないぞ。そっとしといてくれ、と思うのだがそうもいかない。 いよいよ新居完成がもうすぐ。そうか、家具とかも買わないといけないんだな。ちなみに子供部屋六畳×2に対し、私の書斎は4.5。それすら万一第三子が生まれた場合には明け渡すらしい(涙)。 さらに今年の大学祭は厳戒態勢。なるべく出勤するようにというお達し。うちの学生はおとなしいので、ほっておいても悪いことはしないと思うんだが・・・。というわけで早く日常に帰りたいのであった。
Nov 21, 2003
コメント(1)
最近2,3日程度の休みが多いと思うのだが、私の勤め先は大祭期間の休みがまるまる一週間もある。その間わずかの会議と、ちょっとした事務処理だけ。 ところが悪い癖で、やるべき授業をやらないと、何だか一日ぼーっとしてしまう。もっと有効に使わねば。
Nov 18, 2003
コメント(0)
「ウルトラセブンが恒点観測員として、設定されているかどうか」以上に興味深いのは、なぜこの程度の希薄な根拠しか持たない議論が、「常識」にまで成長したか、という問題である。 やや実証性に欠けるのだが、この問題は当初「「レッドマン」段階では、ヒーローは恒点観測員であった」という事実の公表から始まったと思われる。それがいつの間にか「ウルトラセブンは実は恒点観測員であった」となり、「へえ」の期間を経て、「常識」として定着。さらに恒点観測員であることを前提に、作品をとらえる、という立場が出現する。興味深いのは、そのような言説を受けて、個人の記憶までが変容してしまう、という点である。「庵野秀明・円谷ヒーローの魅力を語る」に次のような記述がある。「セブンはたまたま立ち寄った星で仕事を放棄して、趣味に走ったんですよ。一年経ったら、呼び戻しに来た上司に「本来の仕事をサボっていて、身体壊すとは一体どういうことだ!」ってしかられるんですよ」(『円谷 The conmplete』p.156) いわゆる「セブン上司」はそのようなことは言っていない。この記憶のメカニズムは興味深く「恒点観測員という設定があるなら言っていたはずのセリフ」が、実際に見た過去の記憶に混入しているのである。クリエーターならではの記憶違いといえるのかもしれない。そして庵野秀明氏という、サブカルチャーに対して大きな影響力を持つ人がこのような発言をすることにより、「常識」はますます固定していく。 次の記述は、そのような「常識」に完全に飲み込まれている。「さらに、セブンの特殊性を裏付ける決定的な要素として、彼の本来の任務である恒点観測員という点が上げられる」(『ウルトラセブンイズム』p.87) この記述に対して、私はゼミのレポーターなのにちゃんと調べてこなかった学生に感じるような、軽微な怒りを感じる。人間、無謬ということはないのだから、当然ミスをする。私もしょっちゅうやっている。しかし「決定的な要素」とまでいう論点の、事実関係を調べた形跡が無いのはどういうことなのか?原稿料だってもらっているはずなのである。そして1400円払って、この記述を読んだ一般ファンは、「本に書いているから間違いない」と思ってしまうのである。 フリーライターの記述に対して、目くじらを立てる必要はない、という見方は、このジャンルに対する冒涜である。ヤマダマサミ氏とか、白石雅彦氏とか、真剣に取り組んでいるライターに失礼であろう。 私の見る限り、この問題に懐疑的に取り組んだ人がこれまでいないというのも奇妙なことであるが、これは端くれとはいえ、「文学研究」という斜陽分野にまだ意味があるということなのかもしれない。前にも書いたが、文学、ことに近現代の研究の発端は、「みんながそういっているが、本当なのか?」という所にある。まあ、研究というのはジャンルを問わず、多かれ少なかれそうなのであるが、学部レベルからそういう問題に取り組めるのは、文学くらいであるぞ。>学生諸君
Nov 16, 2003
コメント(2)
今回は金曜の夜だったので、客の7割は米海兵隊。アメリカで見ているみたいでなかなかの雰囲気である。客の半分以上がアメリカ人なのに、「携帯のスイッチをお切り下さい」と日本語だけで注意する、セブンプレックスの店員!えらいぞ。ここは日本なのだ。 ネイティヴと共に見るおもしろさのひとつとして、字幕ではわからないちょっとしたくすぐり、ギャグ等の少なくとも場所だけはわかると言うことがある。マトリックスレボリューションでは、生還したパイロットが、恋人のお守りをつけていた場面の「つけていてくれたのね」「はずすもんか(字幕)」というセリフにアメリカ人達が笑っていた。当然私のリスニング能力では聞き取れない。英語力に自信のある方は注目。ただ海兵隊は、too badと2badのしゃれで爆笑していたので、どの程度のネタかは不明。 作品であるが、視覚的には本当に面白い。最後がドラゴンボールの天下一武闘会の実写版というのもすごい。まあ一部SFマニアは、2で複雑化したストリーを単純化したとか、兵器において乗務員保護が考慮されいないなど、つまらない蘊蓄をいうだろうが、エンターテーメントなんだから、あれでよいと思う。収拾がつかなくなって幻想に逃げ込んだエヴァなんかよりずっといいと思うぞ。
Nov 15, 2003
コメント(0)
ウルトラセブンが「恒点観測員340号」であるというのは、常識中の常識である。『ウルトラマン大辞典』(円谷プロ監修)にもそう書いてある。またセブンの企画段階であった「レッドマン企画案」(日時不明、『大鑑』p.278)および「レッドマン覚え書き」(67,6,26、『大鑑』p.282)には、はっきりと「宇宙軌道図の作成3117号で恒点観測のため地球へ、派遣されている」と書かれている。 しかしタイトルが「ウルトラセブン」と決定した後の企画書、「ウルトラセブンの中味」(『大鑑』p.289)「ウルトラセブン設定メモ」(キャスティング決定段階、『大鑑』p.290)「新番組紹介ウルトラセブン」(対マスコミ用の小冊子、『大鑑』p.292)になると、恒点の「こ」の字も出てこなくなる。このうち「ウルトラセブン」の中味はやや簡単なものであるため、省略された可能性もあるが、「ウルトラセブン設定メモ」は「レッドマン覚え書き」よりも詳しい。 『大鑑』のスタイルで、「ウルトラセブン設定メモ」におけるセブンについての説明は49行、これに対し「レッドマン覚え書き」においては24行に過ぎない。より詳細な記述になったのに、なぜ「恒点」が出てこないのか?常識的に考えれば、そのような設定が無くなったからである。 ちなみにレッドマン段階では、ヒーローは右腕に傷をおっており、そこが弱点とされていたが、この設定も削除された。 完成作品には恒点観測をする場面は全くないし、そのような設定を暗示するエピソードすらない。 第一話のシナリオ末尾は次のようなものであった。ダンの声「今日からウルトラ警備隊のモロボシ・ダンとして地球防衛のために働くのだ。僕が宇宙人だというのは秘密だ。それがわれわれM78星雲中の掟だ。宇宙人である僕が、地球のために働く喜び、それはキリヤマ、フルハシ、アマギ、ソガ、アンヌという新しい友達を得たことで十分満たされるであろう。いかなる妨害があろうとも、この美しい星を守り抜くことを誓う」紅い(ママ)に染まった富士山が高くそびえ立っている。(F.O) この部分は、完成版ではおそらくは尺の関係で、カットされている。このなかで注目すべきは「掟」の部分である。恒点観測をするのにそんな「掟」は不必要であろう。セブンの任務はそもそも防衛であり、またそのような「掟」があるからには、他に大勢同じ任務を持った存在がいるのである。この時点でM78星雲には「宇宙の警察」という役割が前提とされていた、と見るのが自然である。 一方しばしば話題になる最終回であるが、いわゆる「セブン上司」の目的は、戦闘をさせないことである。このような趣旨の説得において、かりにセブンが非戦闘員だったとすれば、最も効果的なのは「お前の本来の任務は、戦闘ではなく、恒点観測である」ということであろう。これなら職務命令である。しかしそんなことは言わない。むしろ「ウルトラセブン、M78星雲に帰る時が来たんだ」というセリフは任務をしっかりと果たした、傷病兵に対する帰還命令であると見るべきだろう。一度M78星雲で治療し、再び地球で戦うことが可能であるような含みもある。幻となった「戦え!ウルトラセブン」(『大鑑』p.303)同様、340号とは戦闘員につけられたナンバーと見るべきである。 その他14,15話「ウルトラ警備隊西へ」における「超兵器」という人間サイドの認識に見るように、セブンの能力は偶発的な戦闘に対する護身用といった範囲を大きく逸脱している。またこの回で重要なモチーフとなるのは「観測」であるから、仮にセブンの主たる任務が観測であったとすれば、当然ペダン星人との議論において、「平和目的の観測もある。事実自分の本来の任務も観測だ」といったようなことを言いそうなものである。本当に「恒点観測員」という設定が残っていたとすれば、金城なら必ず入れた、とすら思われる。 42話「ノンマルトの使者」における「慎市君!僕は闘わなければならないんだ」というセリフなど、セブンの本来の任務が地球(人類?)防衛だと見た方が、自然なセリフもある。 逆に、やはり本来は非戦闘的な任務を持っていた、と考えるべきエピソードは私の見る限りにおいて存在しない。 以上の考察はあくまで、私の持つ十分とは言えない資料に基づいているため、新資料が出れば簡単にひっくり返ってしまう。しかし現時点ではこう主張しておこう。「ウルトラセブンは恒点観測員ではない」
Nov 14, 2003
コメント(1)
週末の間に、掲示板に数多くの情報を寄せていただいた。掲示板はどんどん流れていってしまうので、整理しておく。・慎一のネーミングは市川森一。出典未詳であるが、これは多分間違いないと思われる。・『ウルトラマン大図典』。この本については非常に迷っている。「どくろ怪獣」のような怪獣の愛称等設定は、この本が正式と円谷のお墨付きを得ている。またさいさんが紹介してくれた、満田監督のルポなどは非常に惹かれる。気に入らないのは、91年刊なのに既に4~5,000円とプレミアがついているという点である。まあ、定価が3,000円なので、そんなにあくどい値付けではないのだが、ヤフオクにあがらないかなあ。・『神楽坂ホン書き旅館』これはさいさんにお願いしたいです。・「走れ!ケー100」第50話情報。これは番組の存在すら知らなかった。49年ということだから、私が7歳の時。一番テレビに熱中した時期だったのに・・・。紫藻さんのリンクで少し理解が進んだ。海洋博の前年。伝記では暗さが強調される時期だが、11PMの出演なども含め、多分ラジオを聞いていたファン達はもりあがったんだろうなあ。gvsgさんのお話などを見ると、「将来サブカルチャーにおける沖縄モチーフ」などという研究が成り立つとすれば、欠かせない作品という感じ。海洋博前後には、この種の沖縄ネタが少なくなかったと思われる。 ちなみにテレビ等で私が沖縄を意識したのは、「Gメン75」と「ドーベルマン刑事」。どちらもむちゃくちゃ暗い作品だった。・M78星雲続報。原田さん本人に書き込んでもらうとは思わなかった。「桜井浩子女史(フジ隊員^^)の『ウルトラマン青春譜』に、誤植ではなく、M87星雲という実在の天体の名をつかうと、そこの住人が将来、パテントを要求するかも知れない、という冗談からあえてひっくり返した旨の証言があります」 これは非常によく似た、黒部進氏の証言と全く逆である。一体どっちが本当なのだろうか。ちなみに星雲としてはM87の方が断然でかいので、桜井氏に軍配が上がるのか?・「吉屋チルー」これはショックである。いずれ見ることは可能と思っていたのだが、「琉球電影列伝」で上映されたとは・・・。ちゃんとプログラムにあるではないか。http://www.okiden-bbex.jp/ryukyu/filmcontents/filmcontents8.html #chiru何という迂闊。最近の映像ばかりだと思いこんでいた自分に反省。県教委に問い合わせれば見ることが出来るはずだが、人に迷惑をかけないで見るのがベストなのに・・・。妻子持ちはフットワークが重い(涙)。
Nov 10, 2003
コメント(1)

世間では衆院選やプライドGPなどの大事件があったが、運動会でバタン・キューであった。 白人の子はさすがにカワイイが、うちの次男もそこそこなのではないだろうか(バカか俺は)。 メインのエイサー。そもそもうちの子だってウチナーンチュではないのだが、半分がアメリカ人といううのもなかなか面白い。 これ以外にも沖縄×アメリカ、父兄の綱引きという無茶な企画がある。一見勝ち目がないのだが、毎年米軍先勝、後半沖縄が勝つという一勝一敗である。ボブサップに見るように、実は米兵は意外にスタミナがない、という見方も出来るが、やっぱり手加減してくれているというのが理性的な解釈であろう。 肝心の英語であるが、やはり早期にこういう環境に置くと、耳はよくなるようである。特に友達の名前の発音などは、本当の英語といった感じである。が、4才になると派閥が出来て、「××はアメリカだから遊ばん」などということもある。逆にアメリカの子供達の日本語力の方が飛躍的にのびる。聞いた話だとベース内の学校にやると、英語ぺらぺらになるそうだが、バイリンガルにはリスクもあり、そこまでやるつもりはない。
Nov 9, 2003
コメント(1)
金城の円谷プロ退社、帰郷の理由はさまざまであるが、表現者として金城を見た場合、大城立裕の「カクテル・パーティー」、きだみのるの一連の著作、そして今村昌平「神々の深き欲望」は非常に重要だと思われる。 「神々の深き欲望」を後回しにしてきたのは、長尺ということもあるが、はっきり言って私は今村映画が苦手である。「うなぎ」など、なぜカンヌをとったのか今でもわからない。とにかく「濃い」のである。「神々の深き欲望」もやっぱり濃かった。というか一番濃いかもしれない。 あらすじはこんな感じ。http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22555/story.html この作品について金城哲夫は「放送作家をおやめなさいと教えてくれたのは今村昇平作品「深き神々の欲望」(ママ)でした。この作品は大ショックでした。あの猛烈な人間くささ。私はシナリオについて考え直さなければ駄目だと映画をみたあと数日フラフラでした」と書いている。(円谷一宛書簡、『宇宙からの贈り物』p.388) まだ思考がまとまらないので、メモ風に。1,金城の描く世界と今村の世界は対極的である。ウルトラだけでなく、「こんなに愛して」など大人向けの作品においても、金城の場合、透明な叙情性が強い。対して今村の作品は汗ぐっしょりな濃い感じ。「猛烈な人間くささ」はそれに対する賛辞であるが、これは金城自身のそれまでの作風を否定することになる。実際には帰京後の沖縄芝居などをみると、まだ不十分な読解ではあるが、今村風の作品はない(と思われる)。2,作風は対極的ながら、自然対文明というモチーフは、金城が何度か取り組んできたものである。このモチーフについて「神々」はそう明確な答えを出していない。作品のストーリー自体は、後半尻すぼみのような気さえする。極端なことをいうと、「まぼろしの雪山」の叙情性の方が、少なくともこのモチーフの処理としては優れていると思う。3,「神々」のラストに、東京で一定の成功をおさめながら、帰郷する青年が描かれている。直感的にはそう重く見る必要は無いような気がするが、再度検討の要がある。 一応(1)にしたが、続きが書けるかどうかは不明。
Nov 7, 2003
コメント(2)

占領下沖縄では、特に中部エリアでハロウィンが盛り上がったとされるが、現在はそれほどでもない。 が、うちの子供達は母親の趣味でアメリカ人と一緒の保育園に行っているため、結構大行事である。 今年は次男がウルトラセブン。お面はセブンのオフ会で紫藻さんが当てたのだが、下さったもの。 家でエメリューム光線の修行をしていったが・・・ 本番はこの様。なお後のアバレンレッドは長男。コスチュームは女房のお手製である。
Nov 1, 2003
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1

![]()
![]()