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珍しいオレンジが手に入った。これは神奈川県のどことかで栽培されている品種。あの濃いオレンジ色ではなくて,黄色みを帯びた色をしている。果肉の部分も同様。甘みは控え目。ポンカンのようには甘くない。そして酸味もほどほどにある。これがまたいい。八朔のように苦みはまったくない。そこでこれをどうやって食べるかという問題だが,思いついたのはこういう食べ方だ。これはフレンチレストランで出てきたサラダからヒント,いや真似であるが,外側の一番厚い皮を包丁で削り取って,皮に包まれている果肉部分を適当な大きさに切る。う~ん,8等分か10等分くらいか,ちょうどスイカを切ったような形に切るとよい。これをミックスリーフ(各種香草を混ぜ合わせたもの)と生のオマール海老,それに生のホタテのスライスを混ぜて,ここにドレッシングをたらす。そうです,このオレンジを搾ったものにエクストラバージンオイル,塩,黒胡椒でつくったものをかけると最高のサラダになりますね。もう一つ。手っ取り早いのはこのオレンジを搾って,臭みの少ない焼酎を加えてシェイク。するとどうだろう。実に美味いカクテルができたのだ。美味い,美味いと何杯でも飲めるのだが,調子に乗るとあとで大変。我が家にはシェイカーがない。それで近所を探し回ったのだが,「今はおいてないんです」という店ばかり。かつては置いてあったというのだが,カクテルなんて自分で作る人はそう多くはないに違いない。やはりカクテルバーに行って,薄暗い光の中で色とりどりのカクテルを飲むのがいいのだろうか。今度,田原町か浅草に行ったときにでも探してみましょうか。食器類が安く豊富な品揃え。合羽橋道具街というのがあって,めったに行かないが,いざとなると役立つ町だ。シェイカー,シェイカー・・・昨日はこんなものを探し歩いたのだから,実に平和というか,暇というか,進歩のない一日でした。
Mar 23, 2010
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いやはや,春の嵐は強烈ですね。といっても昨今は冬でもしっかりと移動性の低気圧が発生し猛烈な風が吹く。これは温帯低気圧といって良いものなのか。う~ん,気象の知識が足りない。どうも私だけの感じかたなのかもしれないが,低気圧が発生したときの風力は以前よりも大きくなっているような気がする。発生の回数まではわからないが,発生したときの威力は増しているような感じがするのだ。こんな風は台風でも来ない限り経験できなかったのだが,このところ,ここ三年といった感じなのだが,風が強すぎる。台風以上といった感じだ。これを地球温暖化と結びつけるにはちょっと勇気がいるが,それだけの知識と根拠はないのだが,どうも暖かい空気と冷たい空気の差が大きくなりすぎて,その差が大きければ大きいほど風も強くなる,といった感じなのだ。徹底的に空気をかき混ぜないと地球の気温を平均化できない。えい,強烈な風で北と南の空気を入れ換えてやれ,と地球は熱の入れ替えを試みているような気がする。地球は人間のおかした環境の破壊に悲鳴をあげているようにも思えるのだ。本当はどうなのだろう? とにかく風は以前よりも強くなっているような印象を受ける。
Mar 22, 2010
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私が現在使っているパソコンだが,とにかく遅いというのが特長だ。まず立ち上がりが実にのろい。待てども待てどもピコピコとランプが点滅し,準備OKにならない。それでその間私は新聞を読んだり,読書したりでこの時間を有効に使おうと試みる。時間に余裕のあるときままだ許せる。そのうち立ち上がるさ,程度で気楽に待つこともできる。ところがこんなときばかりではない。急いでいるとき,出かける間際にちょっと地図検索が必要で,といった感じのときだが,これが立ち上がるまで長い。いやいつもと同じ時間かかっているのだが,忙しいときはやはりこの時間が実に長く感じるのだ。かといって慣れ親しんだパソコンを簡単に手放すわけにはいかない。とにかくこの時間さえ気にしなければ使えるのだから,買い替えるのは勿体ない。新たに金を投資しても,やっていることはたいしたことはないのだ。だから当分これで我慢する,との結論になる。しかし本音を言えば,速いパソコンが欲しい。困ったことだ。
Mar 16, 2010
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過日5,6冊買った本の中に,源氏物語に想を得た渾身の時代ミステリーというのがある。この著者は諸田玲子,本のタイトルは「王朝まやかし草子」である。新潮文庫から出ている文庫本であるが,これを読み始めたばかりである。それが意外に面白いのだ。意外にといっても,適切な表現ではないが,ともかく堀川家と東三条家の陰湿な争いのようである。堀川家の侍女であり母親である近江が謎の死を遂げた。その子である弥生が今度は東三条家の侍女になる。母親がどうして死んだのか,それを知りたいのだが,誰も口をつぐんで教えてくれない。帝との間に子どもができて,これを妬んだ帝の妻が近江を焼き殺したのか? いや,単なる事故なのか? さてさて,謎の和歌がおびきよせる死の影・・・私としては初めてのジャンルを読むことになる。漢字の読み方が難しいが,これも慣れだろう。いちいちメモをとりながら読んでいる。公達(きんだち),舎人(とねり),雑色(ぞうしき),乳母(めのと),骸(むくろ)・・・こんなものは常識の範囲だが,読めない漢字もほどほどにある。だからメモをとる必要がある。同じ漢字が次に出てくると,そこにはもうルビが振られていない。だから忘れまいとなかなか必死なのである。それに登場人物の名前がこれまた私には憶えられない。芳子とか元子とか,実に簡単な名前なのに,どうも,あれっ,これ誰だっけ,となる。記憶力も極端に落ちているし,カタカナの名前なら憶えられるのに,漢字のは駄目といったおかしな頭脳なのである。学習障害じゃないのかな,などと思ったりもする。まあ,そんなことはどうでも良いのだが,これから話がどのように展開されるのか,まことにまことに楽しみなのであります。
Mar 15, 2010
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まことにどうでも良い,つまらないことに思いを馳せることがある。話はこうだ。ちょっとした雑誌に登場する居酒屋。例えば根津の甚八とか神田の尾張屋,根岸の鍵屋とか,どことかの何々屋・・・こんな居酒屋のひなびた感じの灯りになんとなく風情を感じて,無性に行きたくなることがある。昔は酒が好きではなかった。美味いとは感じなかった。逆に酒臭いのがとてもいやだった。どうしてあんなもの皆さん飲むのかな? そんな感じだった。バーだのそのような類のところには行ったこともなかった。いや,本当は一度だけ連れていかれたことがある。若いお姉さんがいて,でもピーナツを少々とウイスキーの水割り,そしてカラオケ。これで5千円もした。いやあ,馬鹿高いな。そんなあほくさい気持ちだけが残った。勿論金がなかったというのも理由にはありそうだが,本来がそのような場所が好みではなかった。だからその手のお店に頻繁に出入りする輩を羨ましいとも思わなかった。でも・・・最近になって,居酒屋という存在が気になっているのだ。ちょっと熱燗で美味いものをつまむ。その一時,誰と話すというわけでもない。これが情緒というものか,と一人しんみり悦には入る。こんな心境も悪くはないなと思うようになったのだ。桜の季節も間近に迫ってきた。居酒屋で軽く一杯やって,桜の下を歩くなんて案外いいのかも知れない。そう,私の好きな目黒川のほとりでもちょいとほろ酔い気分で散歩してみたくなったのだ。さて,どこの居酒屋にしましょうか。
Mar 10, 2010
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書斎の蛍光灯が壊れた。もうかれこれ15年,それまで蛍光管を何度取り替えたことか。そしてついに本体のどこかが壊れ,チリチリと音がするだけになった。蛍光管はちっとも光らない。それで早速電気店で新しい蛍光灯を眺めた。あれこれあれども,最近は長方形のものよりも円形が主流だとか。それに蛍光管も寿命がずっと長いのだ。7年間持ちますよとか,リモコンでスイッチをON,OFF,調光やらなにやら一通りのことができるのだ。ちょうど在庫一掃処分市なるものをやっている時期で,通常の価格よりもさらに値引きされていた。ちょうどいいときに壊れてくれたものだ。我が家の蛍光灯は直づけであって,コンセントに差し込むようにはなっていなかった。それで自分でも工事はできそうであったが,念のため,この電気工事はプロに任せた方がいいと判断し,取付もお願いした。それから本体の処分がある。つまりリサイクル費用となるのだろうか。全部合わせて1万円以内で済んだ。蛍光灯にはピンからキリまであるのだが,高いのは数万円もするのだが,結局は明るければよろしい。見かけが豪華である必要などないと判断した。要するにたかが書斎の蛍光灯だ。誰かに見せるわけではない。とまあ,こんなことで今日は新しい蛍光灯の下で読書ができることになったのだ。めでたし,めでたしの一日であった。
Mar 9, 2010
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ここ3年ほどであるが,ということはそれまでは何の症状もなかったのだが・・・目が充血する,それでなんとなく目がはれぼったくなり,目やにも出るようになり,普段でもそれほど良い目ではないのが,ますます文字が見えなくなる。ああ,鬱陶しいな・・・それに鼻がつまったり,鼻の粘膜がひりひりしたりと,不快感がある。眠られないとか,涙が次々と出て耐えられない,といったことは今のところない。だから,ああ苦しい,というほどではないのだが,それでもなんとはなしに重苦しい気分なのであります。そう言えば,アレルギーのあった我が兄弟の子どもであるが,かつてその家族が砂漠の国に転勤になったとき,すぐにアレルギー症状か改善。やはり抗原を絶つということが一番のようですが,私はそんなわけにいかず,早くこの鬱陶しい季節が過ぎ去るのを待ち遠しく思うのであります。恐らく私にとってはスギ花粉が抗原なのでしょうが,体にとっては何の悪さもしないので放っておけばいいものを,私のリンパ球だかが過剰な反応をして,たいした敵でもないのに爆弾を投げつけ,おかげで自分も被害に遭う,といった自爆現象が起こっているようです。自分に銃を向けるような自己免疫よりは余程質が良いのですが,一番は物を見るのがつらくなる。本を読むのが辛くなる。パソコンに向かうのも億劫になる。でも美味い物を食べるのは平気。酒だってOK。だから本当はたいしたことないのだ,と自分を元気づけるのです。
Mar 7, 2010
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三月に入った。ひな祭り,卒業式,そして新年度に向けての準備などなど希望に包まれる弥生なのだが,この季節絶望が限界となり,自ら命を絶つ人々も多い月だという。なんと困った,そして情けない国になったのだろう。日本は追いつけ追い越せの夢が実現し,欲しいものはいつだって手に入り,だからもう何も希望を持てなくなった国になってしまった,ということなだろうか。国は豊かになったのになぜか心の部分はいつも不満だらけ。満たされない。生きているという実感がない,など。どうしてなのだろう。昨日まで読んでいた本,「人生を変えた時代小説」の中にこんなのがあった。池宮彰一郎が1993年に書いた短編「仕舞始(しまいはじめ)」という短編である。あの47志の赤穂浪士,その中の最も身分の低い(足軽)の寺坂吉右衛門に大石内蔵助から最後の命令が下る。生き延びて,赤穂浪士が吉良邸で為したことを,公儀の都合の良いように噂されないよう,広く真実を語って欲しい。死ぬよりも大変な仕事だぞ・・・というようなことを伝える。人は生まれ,やがて死ぬ。生きる日々は甲斐ある生を送れ。死するは生き甲斐を尽くして死ね。それが侍の道,侍の志である。こうして寺坂吉右衛門は生き甲斐を求めて旅の一歩を踏み出す。長い旅が始まる。生き甲斐など国から与えられるものではないでしょうね。他人だって与えられないですね。自ら努力して探さないと見つからないものですね。一生懸命つらい思いをしながら求める。小説の中の寺坂だって,これから生き甲斐を求めようとしている。そしてやっと自分に何かができそうだと分かる。今の世の中,年に三万人以上の人々が自ら命を絶つ。もうちょっと我慢して,いずれはいいこともあるさ,自分が一番辛いなんて,本当はもっとつらい思いをした人がたくさんいる。歴史上にだってたくさんの苦労人はいる,自分のつらさなんてその1万分の1にも満たない,などと考える余裕もなかったのでしょうか。特に働き盛りの人々が絶望する世の中。惜しいですね。勿体ないですね。粗末なものを食べていたってニコニコして暮らしたいですね。笑う門には福来たるですよ。
Mar 1, 2010
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