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ウィーンでグラーシュというスープをはじめて食べた。赤い色をしたスープ,簡単に言えば牛肉のパプリカ煮込みであるが,「こんなものか」といった程度の感想しか持たなかった。 数日後にハンガリーの首都ブダペストを訪れた。昼食をとろうと,ケレティイ中央駅近辺でレストランを探したが,適当なところが見つからず,仕方なく駅中にあるレストランに入った。メニューを見ても何がなんだかさっぱり分からなかったので,ガイドブックに載っている写真を示して,「これはあるの?」と聞いた。注文した一品がグラーシュ。確かブダペストではグリアーシュと言ったのではなかろうか。隣り合った国同士だから同じような食べ物があるのは当然。 しかし食べてみると,これが旨い。ウィーンで食べた同じものには感動しなかったが,こちらのグラーシュは遙かに旨い。とにかくパプリカは舌を刺すような感じではなく,甘みがあって優しい味がする。いったいどんなパプリカを使ってあるのだろう。 ブダペストには巨大な市場がある。中央市場がそれだが,市民はもちろんのこと観光客もたくさんここを訪れる。果物や野菜,魚肉やサラミ,それにトカイワインや果物の蒸留酒など所狭しと並んでいる。二階にはハンガリーの特産品,刺繍やら衣服,ガラス製品などがあり,簡単な食事もできるようになっている。ここにはあちらこちらに写真にあるような,日本で言うなら南蛮が置かれてある。ああ,そうか。これがグラーシュに旨味を添えているパプリカなのか。そう直感したのだ。とにかくハンガリー語など分からない私のこと。そう思うしかなかったのだ。 日本に帰ってから何度かグラーシュ作りに挑戦。そして旨いグラーシュができた。それで私流の作り方を伝授申し上げよう。旨いこと請け合い。間違いなしであります。グラーシュはハンガリーが本場ですが,負けず劣らずの味。是非作ってみてください。<材料> 1.牛肉(すね) 500~800g 2.ニンジン(小) 1本 3.セロリ 半分 <軸の部分を5mm角に切る> (葉の部分も香り付けに利用する:切り取って糸で束ねる) 4.キャベツ(中) 半分 5.ニンニク 1片 <すり下ろす> 6.タマネギ(小) 1個 <みじん切りにする> 7.瓶入りの粉末パプリカ 大さじ1 8.クミンシード 小さじ1 <粉末でも良い> 9.塩 小さじ1~2 10.ラード 25g程度:スーパーの肉売り場でただで入手できる 11.胡椒 少々 12.缶詰のカットトマト1缶 13.顆粒状コンソメスープのもと 1.熱した大きな鍋に,ラードを25g程度(適当で良い,少ないより多めに。これがコクを与えるからだ)を溶かし,タマネギ(小)1個分をみじん切り(細かくなくても良い)にしたものと,クミンシード小さじ1を加え,タマネギがやや褐色に色づくまで炒める。2.一度火を消して,市販のパプリカ粉末(瓶に入ってスーパーなどで売っている。甘口のもの)を大さじ1を加えていためたタマネギと混ぜ合わせる。さらにここへ2cm角に切った牛肉(すね)を500~800g加えて混ぜ合わせる。3.2に水を鍋の深さの半分ほど加えて,カットトマト缶詰1,ニンニク1片をすり下ろしたもの,5mm角に切った中程度の大きさのニンジン1本分,1cm角に切った中程度のキャベツ半分,5mm角に切ったセロリ,糸で束ねたセロリの葉,塩小さじ1~2,顆粒状のコンソメ適量,胡椒適量を加えて,コトコト中火で2時間煮る。 適量としたものは,自分の好みに合わせてという意味です。途中味見をして,塩などが足りなければ加減をしてください。とにかく簡単にできて,これで旨いのです。この分量で4人分はできますし,分量を多少増やしたいときは水と調味料を加えて加減するといいのです。当日よりは翌日の方が味が良くなります。パンとコーヒー,それにこのグラーシュと果物で朝食。贅沢ですね。有機パプリカ パウダー 20g スパイス類はメール便のご利用はできません価格:441円(税込、送料別)nK-Organicオーガニック・クミンシード 40g価格:420円(税込、送料別)【カゴメ 完熟カットトマト缶】★税込2480円以上で送料無料★カゴメ 完熟カットトマト缶(400g)価格:148円(税込、送料別)ビーフ・チキン・野菜のう甘みがつまった本格派無添加 コンソメスープ 顆粒調味料価格:380円(税込、送料別)
Oct 30, 2010
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ヨーロッパ旅行のことを書きたいが,ちょっと気になることがある。明治維新直前のこと,ペリーは開国を求めて軍艦4隻で浦賀を訪れた。頑なに海外との接触を拒絶する江戸幕府を相手にしたアメリカの開国要求。軍事力を使うのは外交の常套手段。そう常識なのです。話し合えば・・・なんて甘い考え。えっ? アメリカ,ペリーは何のために日本に開国要求したの? 通商だって?それで娘が使っていた高校教科書を開いてみた。ところがまるで分からない。これでは何を高校生に教えようというのか。当時アメリカでは捕鯨が非常に重要視されていた。鯨から脂をとり,これでロウソク(蝋燭)をつくる。繊維産業には欠かせない機械の潤滑油として利用する。これを海外に輸出することが当時のアメリカの外貨獲得の重要な課題だったのだ。だから大西洋に鯨をとりに出かける船は多くあった。そうした中で,上海から米国へ戻るアメリカの船が日本近海で鯨の群れに遭遇した。これをアメリカ本土へ報告したのだ。アメリカは日本近海へ行けば鯨が大量に捕獲できると考えた。それにしてもハワイから出て,食糧も水も補給しで鯨をとることはできない。それに鯨の脂から油脂にするには燃料が必要となる。つまり木材だ。これを燃やして油脂をとるというわけだ。そのためにはそれらの補給基地が当然必要となる。そうだ,日本がある。日本に補給基地があれば・・・。鯨の赤身は旨いのだが,これは捨てていたというのだから勿体ない話であるのだが。アメリカは日本には鉱物資源がないことを理解していた。だから日本を占領しアメリカの領土とすることには何の興味も持たなかった。欲しいのは港。自由に使えて水や食料や石炭などの燃料などの必要物資を補給できる港なのであった。アメリカでは綿布を中国に輸出することも重要な課題だった。綿布はアメリカからアフリカの喜望峰を経由して遠回りで輸出していた。しかし,日本を経由した新航路が開拓できれば必要な距離は相当短縮できる。それで太平洋航路を模索していたのだが,日本が港を開放してくれるのなら幸い。こんな事情があって,アメリカでは日本に圧力をかけると議会で決まった。それを任されたのがペリーである。すなわち,ペリーの来航は「捕鯨基地と綿布運送のための中継基地の開港」が目的であったのだ。ペリー来航の翌年にも7隻の軍艦を引き連れて日本にやってきた。そして幕府は函館と下田を開港することに決定。函館は捕鯨基地に,下田は綿布を中国へ輸出するための中継基地に。これが下田条約である。通商もアメリカの要求にはあったが,2つの港を開放するだけでアメリカは大いに満足したのだ。通商をおこなうかどうかで幕府内は賛成派と反対派でけんけんがくがくやったのだが,そんなことはアメリカには本当はどうでも良いことであった。長崎を幕府はすすめたのだが,アメリカは興味すら示さなかった。当然ではないか。こうしたことが歴史の教科書には書いていない。だからアメリカはどうして日本に来航し,これに過敏に幕府が反応してしまったのか。台場まで建設しようと試み,資金不足で頓挫。教科書の記述からはさっぱり分からない。英語を操る日本人もほとんどいなくて,辛うじて利尻島に漂着し長崎に送られたマクドナルドから英語を教わったある人物が関わった以外,外交というものを知らなかった日本。かろうじて現在の「お台場」が栄えているので良しとしましょうかね。ここを訪れる若いミーハーにはお台場の意味すら分からないでしょうがね。今の政治を仕事にしているおじさんやおばさん,こんな本当の歴史,ご存じでしょうかね。ペリーとヘボンと横浜開港価格:2,100円(税込、送料別)誰も教えてくれなかった日本史大事件の前夜価格:700円(税込、送料別)目からウロコの幕末事件簿価格:1,365円(税込、送料別)
Oct 23, 2010
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ローマ経由でミラノを訪れた。最初に行ったのはここ。下の写真はミラノのドゥオーモです。地下鉄の「ドゥオーモ駅」を出ると,真正面に現れる純白の繊細なカトリックの教会です。夜はライトアップされるので,これまた素晴らしい光景を見ることができます。高さは108mと少し。マドンニーナの愛称のある教会。135本の尖塔,尖塔にも柱にも壁にも,総計2245体の彫刻があるというのだから,まさにキチガイじみた建築物なのである。レース編みのような繊細な感じ,それでいてずっしりとした重量感。まことにすばらしい建築物であります。かつてイタリアのヴァチカン,サンピエトロ大聖堂に行ったことがある。大聖堂の一番奥には半円形の出窓があり,ここに豪華な椅子がある。えっ,誰が座るの?ここがローマ法王の地位を象徴している座席,つまり司教座なのであります。カトリックではローマ法王のことを教皇と呼んでいるが,なんのことはない,正式にはローマ法王はローマ司教なのである。この世界では地理的な区分として教区というのがある。そこには必ず教会がある。その教会の運営を任されたのが司祭であり,その教区の責任者となる。東京都なら区長といったところであろう。この教区がいくつかまとまると,これら全体を統括する全体の責任者が必要になる。そうです,東京都なら渋谷区や品川区や新宿区などの区長の上に都知事がいるように。この上位の司祭が,司教と呼ばれるのです。だからローマにも司教がいて,それがローマ司教なのです。たまたま成り行きでローマ司教はカトリックの最高責任者でもあるのでローマ法王と呼ばれるのです。最初のローマ司教はペトロです。だからサンピエトロ(聖ペトロ)寺院と呼ばれるのです。司教座の原語はカテドラ。もともとは「座席」という意味です。でもキリスト教の世界では「司教の座席」を意味します。キリスト教の特別の行事があるとき,司教が座る特別の椅子が司教座なのです。いや,座る座らないにかかわらず,司教の権威を示す象徴としての座席,つまり司教座として重要な意味のあるものなのです。大聖堂とか大寺院という表現は適当ではありません。大きい教会であるかどうかは問題ではありません。司教座の置かれる教会は小さくても問題ありません。大小ではなく,その教会に司教がいるかいないかが問題なのです。イタリアでは司教座のある教会をドゥオーモと言います。しかしカテドアラルと呼ぶ町もあります。町ごとに違うのです。ミラノではドゥオーモです。オーストリアの北,ドイツではドームですが,ミュンスターと呼んでいる町もあります。その町ごとに歴史,伝統が違うので仕方が有りません。上の写真の左側,教会の建物を少しあちらへ向かうと,チケット売り場がある。ここはドゥオーモの上へ階段で上る人のためのチケット売り場なのだ。別にエレベーターで楽に上りたい人のためのチケット売り場もある。私は勿論よりやすい「歩く派」。こちらの方が途中の様子が階段から見られて良い。そしてこんな高さ,歩いたってたいしたことはない。たかだか109mなのだ。ローマのサンピエトロに次ぐ大聖堂を作るのだと意気込んで作られた教会。1386年のことだった。スカイツリーのように,世界一を目指すのは勿論御法度。サンピエトロを凌ぐようでは大本山から何をされるのか分からない。尖塔が完成したのが1887年というのだから,ここまでで500年もかかっている。何と気の長い試みだろう。正面の五枚のドアの一つはミラノの守護聖人アンブロージョの生涯を物語るものである。階段を息を弾ませて上ると,屋根の上に出る。ここからの眺めはやはり絶景というしかない。ミラノ市内を見渡すことができる。写真はドゥオーモ広場である。右側にはヴィットリオ・エマニィウエレ二世のガレッリア,つまりアーケード街がある。広場の正面のあちら側にはメルカンティー広場が,広場の左側は王宮,ミラノスカラ座は正面を右側へ少し歩いたところにある。この界隈は東京で言えば丸の内,何を買うにも高い。それで私は少し離れた庶民の暮らす地域でスーパーマーケットをさがし,ここでミネラルウオーターやらサンドイッチやらを買って,安上がりに過ごしたのであります。
Oct 16, 2010
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ヴェネティアの表玄関に当たるサン・マルコ広場。サン・マルコ寺院の向かい側にランドマークとも言える鐘楼がそびえ立っている。一度は突然前触れもなく崩壊。奇跡的に死亡者もけが人も出なかった。さすがサン・マルコに守られた鐘楼である。その後新しく建設され,それが現在の鐘楼である。サン・マルコ寺院でミサが始まるときなど,定時には鐘が鳴り響き,なかなかの雰囲気を醸し出す。この鐘楼の上に上るにはいくらかのお金が必要だが,エレベーターであっという間に上についてしまう。しかしここからの眺めは絶景というしかない。近くの建物や広場,大小の運河はもちろん,天気さえよければ遠くに位置する島々まで見ることができるのだ。どの方角を向いてもそれぞれが絵になるのであるが,この写真では遠くリドの島が水平線上に見える。リドって何? そうですアドリア海に面した細長い島で,この島のあちらは外洋なのであります。島のこちら側は潟(内湾)であるから,そのリド島が防波堤になってヴェネツィアを守る形になっている。だから他の城塞都市のようにヴェネツィアには城壁がないのだ。万が一敵が船で潟に入ってきても,船が通ることのできる目印である木の杭を抜いてしまえば,どこを進んだら安全なのか全くわからなくなる。海の水が引いて,やばい,と思ったときはもう遅い。船の底は海底の泥に突っ込んで身動きがとれなくなる。そのときを見計らってヴェネティ側では火矢を放ちたちまちにして敵は泥の中を逃げまどうということになる。リドと言えば,ヴェネティア国際映画祭の会場になるところ。ビートたけしもここには何度も足を運んだことだろう。写真のこの字型の建物は共和国時代の国会,ドッカーレ宮殿,その向こうの海岸はスキャヴォーニの海岸である。かつては自国の船も,外国の船もここに到着し,ここから船出した,正真正銘の表玄関である。今は多くの人が列車やバスで裏玄関に到着し,ここまで歩くか,あるいはヴォパレットという乗り合いの船で来るわけだ。世界一周の船に乗るか,あるいはエーゲ海クルーズなどの船に乗らない限り表玄関からヴェネツィアに入ることはないだろう。しかし,本当は表玄関側からヴェネツィアに近づくのが一番感動する。ああ,とうとうヴェネティアに来たんだな,と。
Oct 5, 2010
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海外貿易が生きる唯一の道。ヴェネツィアの運河沿いには数多くの商館があった。今でもその建物は博物館として,あるいはホテルとして,あるいは政府の機関として使われ,保存されている。写真はカ・ドーロ,黄金の館とでも訳したらいいのだろうか。外観はレース編みのように繊細で,まことに美しく,運河を行き来する船の乗客の眼を釘付けにする。内部は美術館として公開されていて,対岸の市場からは渡し船で,サン・マルコ広場側からなら歩いて行ける。商館は運河に面しているのだから,当然写真に写っている側が表玄関。現在,歩いて訪れる観光客が出入りする玄関は正式の玄関ではない。あくまでもここは水の都なのである。ここから船で荷物を運び込み,荷ほどきがされる。一階は作業場,そして倉庫でもあるのだ。二階には事務所があり,ここで商談がなされる。また海外からやってくる商人が,建物の所有者である商人の計らいで宿泊できるように,客間や客のための寝室もある。三階から上は家族の寝室や居間だったりする。これが商館の基本的なつくりである。海外からの商人をテラスに導き,ヴェネティアの美しさをここから自慢げに,誇らしげに語るかつてのヴェニスの商人。こんな光景が目に浮かぶようです。現在郵便局として使われているかつての商館も同じつくりである。だから郵便局に手紙を出しにいくと,商館の基本構造が見て取れる。また有名なホテル,ダニエリは商館をそのままホテルにしたような作りになっているので,まるでかつての商人が滞在するような感覚でこのホテルに宿泊できるというわけだ。宿泊料はお高いので,その覚悟で。オススメ:商館の構造を観るには,やはり上にも紹介したように,ホテル・ダニエリが良いと思う。ヴォパレットの船着き場,サン・ザッカリアで下りると,すぐ目の前がホテルである。内部に入ると吹き抜けのホールとなっていて正面には階段があり,1階から4階だったか,かつては事務所だったり,商人の宿泊に使われた部屋だったり,家族の部屋だったりしたことのある部屋のドアが吹き抜けのホールに面してあるのが見える。ヴェニスの商人価格:580円(税込、送料別)【ポイント8倍】送料無料!!ヴェニスの商人 オリジナル・サウンドトラックサントラ【smtb-u】価格:2,500円(税込、送料込)
Oct 2, 2010
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