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タワラグミが色づいてきた。 ヒヨドリは色の具合で完熟の度合いを判定し一斉に食する。 あっという間になくなってしまうから園路の近くに植えた。 グミを植えることは忌むことらしいが郷愁を味わいたくてーー。 * グミは徒長が激しく庭の素材に不向きであるとの理由よりもーー。 幼児が食して腹痛になることを懸念したための警句なのだと思う。 思えば、庭は薬草園の観を呈して有毒植生は皆無であった。 それほどまでに家族の健康のためには庭は必要不可欠であった。
2015.05.31
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昨日、陽射しが強いので午前中デスクワーク、午後ウォーキング。歴史館の近くの大木の木陰を辿って蓮池の周辺へ出た。 途中、四十雀の歓迎の挨拶を受け覚えていてくれたかと思った。 蓮の葉が出揃い、糸蜻蛉、腰空き蜻蛉の飛び交う姿に癒された。 糸蜻蛉は「ひぬまいととんぼ」の様に著名にならなくてもいい。 蓮池周辺に涼を求めに来た人を歓迎してくれるだけでいい。 腰空き蜻蛉は、飛び回っているばかりでなく偶に休んで欲しい。 水車小屋の水車も長閑な週末のひとときを演出してくれた。
2015.05.30
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2015.05.29
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昨日、桜川遊歩道を散策していると鶯の声が真上に聞こえた。 姿を現すはずがないと見上げると、カワラヒワの様な野鳥がいた。 河原のフェンスに身を固定して撮ったが飛び去る気配がない。 落ち着いて鶯の声に耳を傾けているように思えた。 * 4月上旬、ニワトコの花を撮ったが、もう、赤い実を拵えていた。 カワラヒワはこの様な実を探しに来たのかもしれない。 が、どうして子作りの季節に独りでいるのかなぁ。 子らのため餌を求めて来たのであろうか。
2015.05.28
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皐月の花が盛りを迎えている。 躑躅皐月は元々は山岳地帯の自生していた植生らしい。 他の植生と競合しない巌や、瓦礫の中に忽然と現れる。 自らが居場所を決め発芽したものには執拗に生きる力を秘めている。 * 鉢植えの新花を購入すると、水遣り、剪定、植替えに手間がかかる。 しかし、自然発芽したものは人の手は無用だとそっぽを向いている。 水遣りが億劫の齢になり遠からず庭の手入れもできなくなるだろう。しかし、己の力で生き抜く躑躅皐月に庭の命運を賭けている。
2015.05.28
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今年も散水、給水用の水槽に蚊の退治を期待して泥鰌を放った。 フードセンターで購入した食用用で、みんな元気に四方に散った。 水槽の縁を嬉々として立ち泳ぎをしているのもいた。 泥鰌の子の瞳がこの様にも清々しいと初めて知り愛しさが募った。
2015.05.27
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ヒメダカが30尾、3年目の夏を迎えた。 水温が25度になれば産卵するという。 そろそろ恋の季節である。 水や光もその演出に余念がない。
2015.05.26
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柏葉紫陽花が盛りを迎えようとしている。 長い円錐形の白い花。花穂一つ一つに思い出が詰まっている。 飽くことなく蒼い空を仰いでいるが、全開すれば垂れるのだろう。 垂れれば側を通る人を見下ろすが、その想いはどんなかなぁ。 四年前、柏葉紫陽花の苗木を妻の誕生日に市から送られた。 枯らしては本人が気にするに違いないと気が気でなかった。 苗木は直ぐ枯死し代わりに買ってきておいた鉢植に入れ替わった。 鉢植えは翌年には花を咲かせ今では妻の背丈を超える高さになった。
2015.05.25
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自宅周辺にはとんと見かけない青筋揚羽蝶に昨日も出会えた。 偕楽園は吐玉泉一帯。高木古木の周辺を好むのだろう。 青い色には鱗粉がないから、宛らステンドグラスの青色だ。 将に青い蝶で、青い鳥の様に幸せの指標とみられなくもない。 * 苛斂誅求を逃れた民は山深く逃れたがこれも青い蝶の導きか。 巨大地震で断水した時に例の吐玉泉の水を求めたのもそうなのか。 これは個人的なココだけの話ではあるがーー。 何故か青い蝶に魅かれ、いつも何処かで会えそうな予感がする。
2015.05.23
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先月17日にブログに載せたバイモユリ、もうこのような朔果をつけた。自然の映像に今更ながら驚嘆する毎日である。梅の実を 盗る人を見て 口つぐむ偕楽園には梅の実を盗るなの掛札があるがーー。地獄蕎麦 こだわる昆虫 ありにけり誰にもそっぽを向かれているどくだみ、当地では地獄蕎麦ともいう。
2015.05.22
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木斛の木の様子が美しくウォーキングの足が止まった。 若葉が陽光に輝き、その側で古い葉が赤くなり落とされる寸前。 その傍らには近々開花する蕾が豊富にぶら下がっている。 今年も実をたわわにつけ小鳥を喜ばすに違いない。 * 木斛は庭の三名木といわれ庭園の主木として不動の地位にある。 主木の条件は常緑、成長遅く、品格があり果樹でないことらしい。特に木斛には若葉、落葉、花、実のときどきの美がある。 また、曙光、雨上がりのときの葉の美しさは筆舌に尽くしがたい。
2015.05.21
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もみじ谷に黒揚羽が乱舞していた。 どこの樹に留まるかと追跡すると、夏柑の様な樹に留まった。 揚羽幼虫が柑橘類の葉を食草とするが成虫もこれを吸蜜している。 先祖代々、累々として柑橘類に拘っている姿に不思議さを感じた。 * 自由主義経済は職業自由が基本であるがまだ世襲の職業がある。 でも子は親の職業を蔑視し拒否する傾向があり減少傾向ではある。 大自然では、親の行動、生活様式に順従する生き物が多い。 そしてその種は生き残り永久不滅の観がありチト考えさせられた。
2015.05.20
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薫風を背に川のせせらぎを聞きながら進むと椋鳥が降りてきた。大きな獲物を口にして得意げに振り回している。5月半ばとなれば昆虫等も大きくなり一口に食えないのであろう。その素振りは、得意絶頂で獲物を見せに来たのかと思った。*考えてみると椋鳥は繁殖期になると群れから飛び出して暮らす。群れに居る時は天敵から守ってもらえるが独りときは不安なのか。特に食事中は天敵に狙われ易いため人の近くに来るのであろうか。椋鳥が別名白頭翁というが知恵がありそうな鳥のイメージがする。
2015.05.19
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桜川の土手で、今季初めて昼顔の花に出会った。 万葉人は「かおばな」と言って彼女の美しさと重ねて凝視した。 当地ではアマップリと云い摘むと雨が降るという言い伝えもある。 日照りの際の苦悩を癒したのは昼顔で生活に根付いた花ではある。 * でも、庭に侵入されるとお手上げだ。 庭の隅に昼顔が蔓延り鉄線の花を台無しにし周りを見苦しくした。 根茎を取り除いたが今年もどこかに首を出すかもしれない。 昼顔よ 矢張り野に居て 近づくなーーと云いたい。
2015.05.18
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姫女苑 桜川土手辺りに未だ春女苑が朽ちないのに姫女苑が咲き始めた。 貧乏草と酷評されないようにと自制し遠慮気味に咲いている。 淑やかに咲いているとしみじみと観たい衝動に駆られる。 観れば観るほど園芸植物であったイメージは涌いてきて楽しい。 * それにしても朽ちかけた春女苑は昆虫たちに人気者である。 朽ちかけたころの方が蜜の円熟化が増して旨いのかもしれない。 昨日48歳の女性がテレビに登場し三枝さんも圧倒されていた。 その女性と春女苑の愛しさが重なり円熟について考えさせられた。 春女苑春女苑
2015.05.18
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思い出すと悲しいのでこれ以上語れない。 でも、その友も平均寿命を超え健康余命を満喫している。 コレ !! ひとえに 苦難を耐えると名付けられた忍冬(すいかずら)の賜物か。
2015.05.17
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此処はもみじ谷の混ざりっ気のない湧水。 音を立てて流れたり飛沫をあげたりせずじっくりと滲み出る。 だから、蝶にとって格好の給水場なのかもしれない。 黒揚羽は無心に給水していたが、やっと楓に飛び揚がった。 * 古人は陰樹を飛び交う蝶に霊感を感じあの世との交信役と信じた。 確かに、揚羽蝶の悠然とした姿に超越したものを髣髴させる。 現実に目をやると、若葉だった楓の実が色づき始めていた。 これを気づかせた黒揚羽は只者ではないーーー。
2015.05.15
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急な夏日、熱中症にならない様に木陰伝いにウォーキングした。 もみじ谷の崖下に4メートルほどの高さにエゴの花が咲いていた。 蕾も綺麗であるが、何時開花するか待っていた。 既に団子蜂が訪れて蜜を採取して帰還しようとしていた。 エゴの花は万葉時代から親しまれ歌にも登場している。 大伴家持さんの歌もその一つ。(「ちさの花」はエゴの花の別称) 浮気した部下を諭した歌らしく、庭に植えて自戒する花に最適だ。 だから、今、庭に植えるのが流行ってきたのだろうか? * 「ちさの花 咲ける盛りに はしきよしーー その妻の子と朝夕に 笑みみ笑まずともーー」大伴家持
2015.05.14
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そして、揚羽が舞い戻ってきた。 揚羽蝶を信じていたというより、足を労り休みたかったのだ。 兎も角、今季の俊敏な揚羽を撮れた。 ナミでもカラスでも蜻蛉でもレンズに入ってもらえれば幸甚だ。
2015.05.13
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春女苑 桜川の土手は春女苑と姫女苑が混群している。今、春女苑が盛りを迎え昆虫が寄って来て終焉を惜しんでいる。春女苑の側には姫女苑の若い茎が伸び、静かな交代劇の準備中。そして知らぬ間にか「春から姫へ」咲き繋ぐ交代劇は終演する。*人は唯「貧乏草」が春から秋まで咲き続けて鬱陶しいと思うだけ。しかし、彼らにとっては種の保存を賭けた熾烈な戦いを展開中。北米からの移入後百年。生き延びるため棲み分けを始めたのだ。共に侵略的外来種に指定されながら共に永遠の生を目論んでーー。
2015.05.12
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2015.05.12
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約50年前に植えた唐棕櫚が今年も開花した。 棕櫚の花は子供の頃の思い出が詰まった忘れられない花であった。 成人して植木に関心を持ち始めてからは、唐棕櫚の美にはまった。 妻に唐棕櫚が咲いたよと云うと幼児の頃のままごとを語り始めた。 * 先ず、棕櫚の木の下にござを敷き、枝葉の箒で清掃する。 草木の枝葉で食器具を作って並べ、棕櫚の花を集める。 それを葉の器に入れて食膳を整え、各種の花の馳走を食べる。 そこで食事作法をみんなで確認し部屋の清掃を身につけたという。
2015.05.10
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遊歩道の彼方此方に野薔薇が咲きだした。白い花が清々しい。 手の届かない深い薮には大きな塊になって咲き乱れている。 が、歩道脇で刈払され痛めつけられた低い蔓の一輪がこの写真。 皆みんな農薬まみれのバラ園から脱出してきたのかなぁ。 * が、事実はバラ園にそっぽを向かれて薮に居ついているのだろう。 15年前、県営バラ園の広告に誘われて薔薇鑑賞に行った時の事。 昆虫皆無、農薬の匂い立ち込める芝生で家族達が弁当をしていた。 其の時の衝撃で昆虫の姿こそ快適環境のバラメータと思い立った。
2015.05.10
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孫が京都の学生寮から連休で帰郷した。 黙って京都名物、縮緬雑魚の包を差し出した。 妻は歓待していたが、俺は黙ってサッポロビールだった。 昨日は来客が多く晩酌も遅れてしまったのでそれで杯を傾けた。 * 青山椒がピリリと辛く格好のつまみとなった。 よくも山椒、雑魚、縮緬を取合わせたものと古人の知恵に驚いた。 妻に「青山椒 縮緬雑魚の巡り合い」は二人のことヨと言うとー。 青大将と置き換えて返って来て大笑いした。
2015.05.08
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2015.05.07
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園路の両側に点在する15ミリ位の花、アカバナ夕化粧と知った。 明治時代に北米から観賞用として移入し直ぐに自由の身になった。 薮の中、瓦礫の中にも生きられ、刈り込まれても強かな花である。 生き延びることが至難の時代。小さな花が勇気づけてくれる。
2015.05.06
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夏日を思わせる陽気でも、窓を全開するには及ばない。 硝子越しに庭をのぞむと、一陣の風がビオラを薙ぎ倒していた。 それを見ている自分の姿が亡父の記憶に似ていると思い出した。 早逝した父親の姿が60年後の脳裏に浮かぶのも花の仕業かなぁ。 * 健康時の父親だったら鋏を手に風に強い花に切戻していたろう。 ふと、摘心して梅雨を乗り切れるビオラにしてみたいと思った。 ビオラは、毎年、今時分に抜根して次の草花と交換していた。 が、これを機会にビオラの花が朽ちるまで手入れを続けてみたい。
2015.05.04
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昨日、園路の整備をしていると揚羽蝶がやってきた。 鴉揚羽も来たが凄く俊敏で撮れず、並揚羽も上手くいかなかった。 今の蝶はどうして人を怖がるのかなぁ。 冬眠中に迫害された夢でも見ていたのだろうか。 庭の母子草が咲き誇っている。 雑草の一種としか認められていないが毎年どこかに姿を現す。 母の日が近付くと紫陽花の花が長男から届く。 母への贈り物がスケジュール化し制度化して子供も大変だなぁ
2015.05.04
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初夏の川端に蜻蛉の姿を見付けた。人間にも慣れて悠長な構えである。色彩も骨格もしっかりしていて立派な成虫で頼もしい。成虫に付与された天の使命は産卵であると知り尽くしている様だ。 結婚式で晩婚の新郎に「子供をつくらなくっちゃ!」と声をかけた。すると、「当分、遊ばなくっちゃーー」と返ってきた。二の句が継げなかったが、程なく離婚したという知らせが来た。人は自分の使命は何なのかの認識は蜻蛉以下と知らされた。
2015.05.03
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2015.05.02
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