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タイサクさんからいただいていたバトン。遅ればせながら。問1):幸せになれるたべものは?? うちのおかーさんの作るからあげ (片栗粉をまぶして揚げて甘酢あんで食べる) 近所のアジア料理屋さんのフォー ドイツ菓子・ケーニヒスクローネのフライブルグ (粉砂糖を上からかけた、さっくりしたシンプルなケーキ)問2):いま一番夢中になっているものは? もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング 毎日鍛えてます!問3):今1番欲しい物は?? ううむ~ このごろはやりの睡眠改善薬かな。 いくらでも眠れるけど疲れが取れません。問4):苦手なものは?前も何かのバトンで答えたような気がするのでかわりに :苦手な食べ物は?(ってあんまりかわってないけど) 胡瓜。牡蠣以外の生の貝類。脂っこいまたは臭みのある生魚。 生肉。生卵。パクチー。茗荷。らっきょう。玉葱。問5):最近読んだ本ありますか?? 「チルドレンな日本」香山リカ・佐高信 七つ森書館 文春新書「日本神話の女神たち」 林道義 岩波新書「禅と日本文化」 鈴木大拙 カタイ。。。いつもは主に小説を読んでます。 問6):お金や時間などの問題は忘れて、 どこに一番行きたい?そこで何をしたい? イースター島でモアイ像の横でぼんやり風に吹かれる アフリカで野生のキリンを見る インドでタージ・マハル廟を見る 深海の底に沈んで、日の光を探す どれも実現しなさそうなので問7):次に生まれ変わるとしたら男と女どっちがいい? どっちでもいい。というか樹がいいです。人でなくていい。問8):今、1番気になる芸能人は? 長州小力 小力のパラパラを踊ってるときの笑いと 某スーパーのCMで山口智子が自転車をこぎながらもらす笑いが 似ているとさっき気づいた。 楽しそうだけど空虚。問9):バトンをまわす3人?? すみませんねえ。パスです。 どなたでも気が向いたらもらってください。
2006.09.30
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帰ったらはなごろうが綿とティッシュの山に頭だけ埋もれて寝ていた。頭かくして・・・。めくっても起きず、熟睡中。ティッシュ1枚で、こんなにぬくぬくになれるなんて(お尻でてるけど)。。。私もこんな巨大なティッシュを頭からかぶって時には好きなように丸めたり上からかけたりくるまったりしてぐっすり眠りたい。3×3メートルくらいの白いうすもの。きっと広げたら涼しく、まるめたらほかほか。いいなあ。はなごろうは。
2006.09.27
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リンク友のkeiさんに書いてもらった地図をたよりにしばらく前から行きたかったタルトとケーキのお店、キルフェボンへ行く。慣れない街の休日。近くまで来てるはずなのに、なかなか見つからず、なにやら賑わっている水色の店の前で手書きの地図を復習する、と、そこがキルフェボンであった。キルフェボン。スペルのイメージは「キルフェ」と「ボン」に分かれるものと思っていたら「Qu'il fait bon」であった。道理で見つからないはずだ、とか思ったけど店の外にその文字があったかどうか、実は知らない。なんとなく、イメージしていた店構えと違っていた。昼時なのに満席の店内。名前を告げ、20分ほど待ち時間を過ごす。隣の電器店で、そういえば、と、ニンテンドーDSを買う。なんだかこれまたリンク友の、キョチさんが頭をよぎる。案内された席では、近くの人が何人か、ケーキを2個ずつ注文していたのでついつい乗せられてそれぞれ2個注文する。迷いに迷って選んだのは、「ペリカンマンゴープリンのタルト」と「くるみのタルト」。“マンゴー”だけでも好物なのに、しかもペリカン(ってどいうこと?)、しかもプリンとは。。。思っていたより爽やかで食べきるのが惜しまれた。くるみの方はけっこう甘く、食べごたえじゅうぶん。その後数時間何も食べられず、その日のお昼ごはんはこの一皿となった。他にもおいしそうなのがたくさんあったキルフェボン。今度行ったら厳選の1つを、大事に大事にいただこう。
2006.09.26
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ここ数日の精神的な不調に加えて昨日から体調ももひとつ。午前中に会議があり、また今日中に送っておくべきメールがあるので気が進まないけど出勤す。常日ごろの私は体力的に壊れない方だ、弱点はあるけど、まず壊れ切らない。100より低い最高血圧も36度より低い熱も、39度以上の熱も知らない。風邪もたいてい一晩寝れば治る。不本意ながら、治ってしまう。でも今日はなぜかわからないけどくらくらであった。日頃だらだらと過ごしている私は、くらくらな日は、逆に少しだけテンションが高い。いつになく言いたいことをどどどっと言ってしまう。人の話は聞けない。結論だけを求めてしまう上に自分の決めてる結論しか受け付けられないから。つくづく、迷惑だ。書く文章は限りなく箇条書きに近くなる。文脈を作る余裕がないから。昼から1時間だけ働いたけど、あきらめて帰る。帰る直前に送ったメールは惨憺たるものだったことだろう。スミマセンという心地。家までたどり着いた途端にばたんと寝込んで、夕方熱を測ったけど37度しかない。38度くらいはあってもよさそうな心持ちなのに、、、体温計、やる気を見せてほしい。
2006.09.22
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休みの前の晩、小さな明かりだけつけてぼんやりする。本も読まず、テレビも見ない。なんにもしないで気の向いたことを、気の向くにまかせて、考える。この時決して、それをまとめたり、形にすることを考えてはいけない。形にしようと思うと、どんな形にしよう、ということが入ってしまう。そんなことはいっさい考えず、ひたすら心に浮かんだことだけを追いかける。実は1日のうちのいくらかは、ほんとはこんな風に過ごしたい。そういえば子どものころは、よくこうやってぼけっとしていてお母さんからしょっちゅう注意された。食事中でも着替え中でも、突然「ぼけっ」が始まる。とにかく、何かをやって前に進めなさい、行動を続ければ自然に準備が整うんだからと。でも、実はぼけっとしているわけではない。そう言うとじゃあ何をしているのかと母は聞くので仕方なく「考え事」と答えた。そうすると「何を?」となるのがめんどくさい。何をというわけでもないので答えられないのであった。でもまあ母からすれば、家の中に突然止まっている人が現れるのだからあっけにとられたかもしれない。あれこれ好き勝手に考えている時は夜中でも全然眠くならない。といって頭が冴えているわけでもない。ゆらゆらと過ごす。それでもさすがにそろそろ寝ようと思って電気を消すと、カーテンの向こうがすでにほんのり白い。それがおとといの夜。
2006.09.21
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古い商店街にある酒店。そこで育った四姉妹。四女の視点で物語りは紡がれる。次女の書いた小説が、ある賞を受賞するところから始まる。その小説では、家族の姿がほぼありのままに描かれていた。その後約一年の間に起こる数々の日常の出来事。四女自身の大学受験の失敗と予備校生としての生活。親類の死×2。長女の離婚。三女の大学中退と酒店の改装・・・等々。三女の受賞をきっかけに四女は、家族それぞれの姿を改めて捉え直してゆく。変化してしまった人や死んでしまった人の気配についてしばしば語られるこの小説はかつて存在し今はもういない、過去の自分を含めた人々へのノスタルジーに溢れているのだろうと感じた。なんとなく全体的になんだか書きにくそうだった。この人の『対岸の彼女』を読んだときは、もっと鮮やかに「人」のことを切り取っていたと思う。でも、他のもまた読んでみよう。
2006.09.16
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相変わらず呼吸が浅い。最低空飛行中。多くの人がそうだと思うけど思考は感覚を言語に置き換えることにより成立する。言語を用いることはどうしたって、少なくとも一定程度の、論理を必要とする。通信とはいえ芸大に籍を置くようになってしばしば芸術分野における言語表現の特性について考えるようになった。私自身はたぶん、論理よりは感覚寄りの性質だと思うのだが感覚を言語で再現しようとするとこれまた多くの人の世界認識やアイデンティティーが言語によって形成されるものであることと同じく、どうしたってそこに言語に置き換えるにあたっての論理性が働いてしまう。それが、とてもまどろっこしい。重い。そんな、理屈を挟んだものが一体芸術といえるんだろうかとよく考える。そこで、理屈を挟まない言語表現とはどんなものかとも、よく、 考える。理屈を挟んでいそうにない言語表現とは、一見そうは見えないとしても、実は緻密な見極めの下に成り立っている。そうでなくては芸術といえないだろうと、思う。その見極めを、理屈でなく感覚にゆだねきることができるとしたらそれが、私好みの言語表現だと思う。でも、そういうことを考えている時点で、重い。感覚的なものを言葉に置き換えることに、基本的にとても抵抗がある。言葉にするとその時点で確定されてしまうから。感覚は、常に流動できるもので、一瞬先の感覚に何の保証も与えないものであってほしい。確定されたものに引きずられるのは嫌だ。たとえ確定したのが自分自身であっても。本当に大切なものは、言語化せずに曖昧なままに残しているような気がする。実は言語表現が嫌いなのかもしれない。と言いつつも結局、言葉を頼ってしまうだろうなあ、とも思う。書くことは基本的に快楽だ。こんな風に矛盾する感覚の解決をつけられる表現とはどんなものなのかって考えるココロの理屈っぽさが思考の嗜好性とは別に実は言語表現向きなのかもしれない。 でもほんとにつくづく嫌になってもおかしくないくらいに、 言語表現が、分からない
2006.09.15
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三谷幸喜作・佐藤B作演出。雨の中、大阪厚生年金会館・芸術ホールへ出かける。あるマンションの一室が舞台。そこに引っ越してきたばかりの住人一家と、そこを手ばなしたばかりの元住人とその家族たち。元住人は三日前にすでに引っ越しているにもかかわらず、事情があって今でもその部屋を自宅として扱おうとし、現在の住人にばれないように、テレビの修理に来た電器屋としてその部屋に侵入する。元住人の娘やすでに別れた妻、娘の婚約者とその両親、現在の妻たちがそこを次々と訪れる。そのことから生じるさまざまな誤解と、誤解を生みながらもどんどん進んでいくストーリー。それぞれの見方が矛盾しないように、それぞれの台詞が発せられ、それぞれが自分の見方の下にその台詞を好き勝手に受け取る。赤の他人の二家族がひとつの部屋を自宅として振る舞うなんて、設定を聞いただけで可笑しい。舞台はニ幕で構成されている。一幕目の終わり、ありとある誤解が生じきった状態で幕が降りる。誤解が舞台上に現れるたびに爆笑していたが果たしてこれらの誤解をニ幕めでどうやって収めてくれるのかと思っていたところそれはあっさり説明によって収められた。個人的には、登場人物にとっての謎の状態が、謎のままなんとなく大団円を迎える方が好ましかったけど説明を行っても不自然じゃない状況をニ幕めまで選択肢として残していたというのはすばらしい計算だなあと思った。つい先日、通信制の大学の戯曲課題で、「誤解」をテーマにコメディを書こうと試みたのだがコメディの大前提は、言うまでもなく、「笑えること」だと感じた。今日の舞台は最後の方のシーンが説教臭くて冗長だなあと思い途中、舞台上に現れていない人物の時間経過が不自然だったと思ったがそんなことは面白ければある程度までは気にならないんだと自分も含めて観客の人たちの反応を見て思った。全体的に大爆笑であった。ひとえに物語の力、笑いの力、なのかなあ。心に染み入るものはなかったけど。面白かったです。僭越ながら点数をつけるとすれば100分の78点くらい。
2006.09.13
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うちの職場には課長が2人いる。2人とも個性的で比較的素敵なのだが、直属の上司の上司にあたる課長はナルシストとして私と友達(1名)の間で有名だ。見た目が私的に好ましい人物であるためにその友達とともに食事などに誘ってみる、と過ごす時間の大半がその人のアタクシ話オンパレードとなる。とにかく自分のことを話すのがとても楽しいようなのだ。ここで断っておくべきは、人から質問されたり話をふられたりして話す自分話とは違う、ということだ。その人は、私と友達が雑談している間は、さもつまらなさそうにタバコなんかふかしておりタバコが切れた途端に「そういえばこのドラマは見ましたか」とそれまでの話の流れそっちのけで(エエ、まったくそっちのけで)自分の得意なドラマ・演劇分野に無理やり話を展開する。しかも自分に似ている登場人物への肩入れが甚だしい。ちなみにその人が似ているのは、映画「メゾン・ド・ヒミコ」のヒミコだ。このヒミコについても、熱く語っていたものだ。だいたい、ふられもしないのに自分のことばっかり話す人に遭遇した時、ああ、この人はナルシストなんだなあ(別に悪いことではないけど)、と思う。私自身が口数を稼げない方なので私と1対1で話す人はナルシスト性を発揮させられやすいともいえるのだが。この人に勧められたのが以前の日記に書いた映画「ゆれる」でありドラマ「時効警察」だ。どちらも興味深く、全体的には、うれしたのしく見た。このところ元気のない私であるために一昨日この課長が(ナルシストの課長が!)わざわざ雑談を仕掛けに来てくれた。いわく「能はご覧になりますか?」。私が狂言を習っているという話をしていたので出てきた質問であった。が、能は何回か見たことあるけど100%の確率で眠ってしまうのでそれなりの返事になる。と、「じゃあいいです」とさっさと帰ってしまわれた。NO~、課長NO~!、と食い下がりたいけどネタがないのが悲しい(駄洒落じゃないですよ)。その先の話はなんだったんだろう、と思うけど、せめて、その他の話は繋ぐべし、とあしたは「時効警察」最終話を借りて帰ろうと決心する。好意をもてない人のナルシストぶりには一切付き合わない。でも、好意を持ってしまう人のナルシスト話を聞くのは実はとってもうれし楽しい。そして、私の好きな文芸を含め、芸術を志す人に、ナルシストは多い、と、妙に確信している今日この頃。
2006.09.11
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口にしたことや書いたことに引きずられることってないですか?言葉にして形に残すと、とたんにそれが大きくなってしまって自分に毒される。前回書いた記事がそんな感じで傷んでいることをわざわざ形にしてしまったためにいまだに引きずられております。うう。夏の疲れもあるのか、毎日無闇に眠い。しかし寝ても寝ても疲労取れず全体的にぐったり。不調。でも!あしたは雨だそうです。職場の人によると大嵐がくるそうな。暑い日よりは断然雨がいい。嵐も爽快だけど、あしたは、まっすぐに落ちる雨がいい。できればずうっと家にいて隣のマンションのベランダに置かれた観葉植物の葉っぱに落ちる雨音を聞いて過ごしたい。
2006.09.09
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どうしようもないけど、なんだかさみしいことがあって今日は一日じゅう、なんとなく浅い呼吸ですごす。こんな風に落ちつかないことがあったときに誰かに聞いてもらう、というのをいつのまにかしなくなった。たいていのことは聞いた人にもどうしようもないことだということと私自身が実は誰かからのアドバイスをあんまり求めてはいないということがたぶんつくづくわかったので。スキーをしていてとても降りられない急斜面に立った時とか長距離走のスタート地点に立った時とかちょっと手におえない課題を前にしたとき、周りに同じことに取り組む人がいて時には励ましてくれる人もいて心細さが軽減されると思うことがあるけどそれは錯覚で実は誰もいないのとおんなじ。というようなことをよく思う。ので、なんとなくやりすごす。どうしようもないことだから、あしたもあさってもやりすごすしかない。忘れることはできないので、ひたすらずうっと。なので特に考えるべきこともない。ただ深呼吸ができない感じ。落ち込んでも意味がないのでお気に入りの「時効警察」の続きを借りてYUKIさんの新しいアルバムを買ってあした発売らしい「ハチミツとクローバー」の最終巻を楽しみにとりあえず帰る。なんとなく、と、とりあえず、の繰りかえし。でもどうしようもない。そんな一日。
2006.09.05
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スクーリングのため3日連続休暇をいただいた。今日もローテーションとしては休みだったのだがあんまりよろしくないタイミングで休暇に入ってしまったので急ぎの用事ができているかもしれないと思い、ちょっと職場に顔を出す。幸い特に何かを滞らせていることはなく、早々に切り上げる。帰りにDVDを借りる。昨日までのスクーリングで私の課題のコメントに引用された映画「めぐり逢い」。知人のお気に入り「時効警察」の1。行き帰りの手持ちの本は、劇団ひとり「陰日向に咲く」。「めぐり逢い」長旅の船中で出会った男女が、お互い恋人がいるにもかかわらず好意を寄せ合い半年後の再会を約束して船を降りる。しかし約束の日、約束の場所で男は待っていたが女は現れなかった。その日その女に何があったのか、男は後に知ることになる。人の知りえない他人の事実について、昨日までの戯曲スクーリングの課題では扱いたいと思った。私の書いたそれに、ドラマチックな要素が足りないと、複数の指摘を受けた。確かにこの映画では、事実の起こり方もその明かされ方もドラマチックに描かれている。赤の他人でも楽しめる話を書くことがきっと第一だ、と若干の不満を込めつつも、ここしばらく思うようになった。と言いつつこの不満は絶対に忘れない。それとは別に、古いアメリカ映画に出てくる男の人が、いつ何を見てもみんな一様にこってりしていてまったく魅力的でないことに意味のない個人的確信を改めて得る。「時効警察」オダギリジョーが主演なので、それだけでじゅうぶん満足♪。いえ、中身もおもしろかったですけど。あとも続けて借りようっと。「陰日向に咲く」世間では絶賛されているみたいだけど、あんまり、だった。読んでいるうちになんだか腹が立ってくる。話自体はよく考えられているしおもしろいのではと思う。でも出てくる人があまりに哀れで・・・。あまりにうまく哀れに描かれているので哀れな人たちのサンプリングみたいになっていて読んでいてストレスが溜まる。そこになんでストレスが溜まるのかを考えると詳細は語らないけど自分までも哀れになってきて哀れスパイラルに、とらわれそうになってくる。描かれているものごとは、確かにそうだ、でも、それだけではない何かが本当にはあるはずだ、と思いそれだけ、に終わっている感じがもどかしい。もうそんなくどい感想はどうでもよくって、単純に「むかつく」。個人的辞書の、「むかつく」の用例に数えたくなるくらいに。この本は明日早々に返す。
2006.09.02
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戯曲演習のスクーリング終わり。終わったのはよいけどなんだか消化不良な感じだ。消化不良、というより、消化すべきものが足りない感じ。演習、というより講義っぽい授業だったためだ。ほんとは実作指導がよかったのだけどそうではないならせめて討論とか(苦手だけど)先生のお話をうかがうにしてももうちょっと演出家の先生ならではの演出法の違いにより生じるであろう解釈の違いとかこの先生にしか聞けない実践的な話であったらよかったのに、と思う。先生はとても魅力的な方だったのに。講義形式だったとしても思い入れのある作家がおありなら、もっと詳しくとうとうと語っていただいてもよかった。先生の思想やら理論やらがもひとつ伝わってこなかった。もちろんあんまりひとりよがりでも困るけど。本を読めばわかることなら「演習」でなくていい。今回に限らず、時々こういうことがあるのが全く物足りない。物足りないのでビデオやら本やらを借りて自主学習してしまいそうだ。と、これは、すっかり先生にはまってしまっているのであった。終わってしまって実はさみしいのであった。
2006.09.01
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