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今回のスクーリング、3日連続平日のため通学時間はちょうどラッシュアワー。昨日はJRの混み具合に疲れ果てたので今朝は阪急で行く。私の場合、阪急の方が混み具合が良心的だ。ラッシュ時のJRの他人との密着度合いが95%、不快指数が250%としたら阪急は密着度合い20%、不快指数は50%くらい。どちらにしても座れはしないものの、全然違う。これからは阪急にしよう、と決心しつつ梅田からは地下鉄御堂筋線へ。平日のこの時間帯の御堂筋線がまたすごい。密着度合いは100%+体表面がへこまんばかりの加重。不快指数は1500%くらい。サラリーマンのおじさん方が多いのだがおじさんとは、一般的に体温が高い。うっかり背中合わせになろうものならまるで背中にパネルヒーターを背負っているような感じだ。おじさんに罪はない。とはいえこれは明らかに暴力行為だ。いったい何の修行か・・・でもまあ実際は、梅田から本町の間5分くらい(?)の辛抱だ。ほとんどの人が淀屋橋で下り、そのあとよれよれになって残される。帰りもまたラッシュアワーだ。帰りはリンク友のキョチさんと、天王寺から大阪まで環状線に乗る。今日はダイヤの乱れもあってまたしても暑さと人ごみにぐったり。ふだんめったにそんなことはないのだが、座りこみたいくらいにくらくら。きっと青かったに違いない。そこで帰りも阪急に乗り換える。JR構内からJRに乗って帰ればよいものをわざわざ。毎朝どんなにしんどくても満員列車に乗らなきゃならないって絶対早死にする。明日もう1日、いっそものすごく早く行ってみようか、と思う。もうほんとだめ。
2006.08.31
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朝一番。今回のスクーリングは何するのかな~とぼけっとしていたらいきなりそれぞれの事前提出課題について講評をいただく。気恥ずかしい数分間。私の番では話の後半で「昔恋愛関係にあった人に対する嫉妬心は生じるものかどうか」という質問を投げかけられ、考えるところを答えようとしたけど、なぜに朝からこんなところで恋愛談義を、と思うので先生に「どう思われますか?」とか聞いてごまかす。私の書いた課題にあわせての質問だったのに何をかわしているんだ、と少し反省する。午後から戯曲の書き方について基本的な説明を少々。ビデオ鑑賞もいくらか。ハムレットのビデオに出ていた俳優さんがものすごくかっこよくて見とれる。野球ファンのみなさまとのお昼休みの話題にそういえば入れなかったなあと今日はちょっと阪神戦などつけてみる。長いなあ、試合。もうそろそろ終わるはずだけど、もう寝ますよ~。早くしてくださいよ~。あ、今終わりました。引き分けでした。ふむふむ(って結果だけなら明日のニュースでもよかろうに)。
2006.08.30
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戯曲スクーリング前日。うっかり遅く帰宅したところ、大学から何やらレポートが返却されている。ずいぶん前に出したあれがやっと返ってきたかと思いながらよく見ると「―速達―」の文字が。このタイミングで速達で返してくるということは、、、NO~!戯曲ではありませんか~!さてはスクーリング前の事前課題にこんな駄作を出しやがって、しっかり頭を冷やしてくるように、ということかと思いながら封を開けるとリンク友のキョチさんと同じく「A」であった。しかし、A4にみっちり書かれた先生のコメントを読むと「あまのっち、ほんとにAでいいの?」という感じであった。あまのっち、というのは、お名前がキャイーンに似ているとのキョチさんの指摘を受けて私が勝手に頭の中で呼び習わしている先生のニックネームである。Aにチェックを入れたレ点が震えてはいないかコメントのどこかに自暴自棄な表現が含まれていないかすみずみまでながめてしまうのであった。駄作ながらも書いた課題は誰かが誰かのことをほんとには理解できるわけがない、という持論のもとに人と人との関係に常に誤解が含まれ得ることをそれでも人間関係はじゅうぶん温かく成立することをコメディタッチのストーリーに仕立てようとしたものだ。その中に若干悲劇的要素が含まれているのだが先生いわく「もっと悲劇的な内容があれば温もりがより強調できると思う」とのこと。その他もろもろ。おっしゃるとおりでございました。自分の感受性としてはある程度反論があるけど、できればそれを主張することなく、穏便に3日間を過ごしたい。。。しかしあまのっち先生と私の意思疎通具合はたぶん芳しくない。何しろ企画書段階で、コメディだということが全然伝わっていなかった。先生はどちらかというと悲劇的要素がお好き、と見たが本文を読まれてなお、悲劇だと思われていたらどうしよう。それならそれでもいいのだけど、じゃあ、これは可笑しい!と思って書いたいくつかのネタ(?)の立場が・・・。寒い寒いよう。
2006.08.29
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近所にあるパニフィチョ・シベリ。イタリア人のシベリさんという人のパン屋さん。パニフィチョ・シベリ。パンツェッタ・ジローラモに次いで、私の中では知名度の高いイタリア語だ。そこのフォカッチャがこのところやたらと食べたくなる。フォカッチャ、ずっと食わず嫌いだった、というのは生地がもっちりしてそうなイメージだったから。でもこないだ、あるレストランで、フォカッチャとは、ハーブの入ったパンですと紹介されてもっちり、というのが勘違いだったと知った。何て言うんでしたっけ?もっちりのイタリアパンは。さておきシベリさんのフォカッチャは3種類。トマトかチーズかきのこ。きのこはまだ食べてないけどこのトマトのフォカッチャがお気に入り。強めの塩気にほんのりハーブフレーバーの生地。真ん中にトマトペースト。これが酸っぱくておいしい。量としては生地に比較してペーストが少ないと見えるが味が濃いので十分な量。野菜なのにコクがある感じでひとつだけでも満足。といいつついっしょにツナパンもいただく。お皿にあま~い紅茶のゼリーと、昨年から引き続いて好物のいちじくをのせてみる。トマトにいちじく。少しずつ訪れる秋の気配。全く調理を必要としないのに、満足なお昼ご飯。
2006.08.28
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うちの近辺はなぜか職場関連の人たちが密集している。余程のことがない限り、出勤途上を含め職場外で職場の人を見かけても、声をかけないのがマナーだと思っていて私自身は誰かを見かけようものなら踵を返して立ち去らんばかりの勢いなので(あ、時と人と場合によりますけどね)けっこうめんどくさい地域に住んでいるなあと思う。ところが昨日は、そのうち3番目に近所の人から地域の盆踊りを見に行こうと誘ってもらった。私は長年地域密着しない生活を送ってきていて地域の行事がある日は心がけて家を留守にしたり地域密着が大嫌いとかふだん吹聴しているために仕事柄それはよくあるまいと心配して誘ってくださったものと思われる。盆踊りはまちなかの小さな公園で行われていた。都会のお祭りを囲むのは木々ではなく、今やマンション群なのであった。みんな出てきているのか、マンションに灯る明かりが少ない。夜店がいくらか出ていたので、踊りの休憩時間に金魚すくいを、瀕死の金魚にびびりながらやってみる。だって、水槽の底で金魚が死んでるし、、それを、一緒に入れられたエビが喰ってるし。。。でもこども達はそんなことおかまいなしにせっせと掬っている。のわりに持ち帰る子は少ない。金魚無駄に受難。金魚すくいってそんなんだったっけ??そうこうするうちに踊りが始まると、ふだん何やってるのだかてんでばらばらな人たちがどんどん踊りの輪に入っていって「河内音頭」なる、難しそうに見える踊りも、ごく自然にこなしていて驚いた。その職場の知人宅にお邪魔して、初対面の奥さまとお互い気まずそうに談笑などしてみる。ものすごい違和感があるけど嫌なわけではないのであった。頃合を見計らって帰る途中ぼけっと思ってみるそこに居を構えた知人と奥さんといつどこへ行くとも知れない私と・・・。この知人とはいつか職場が別々になり、たぶんその先ニ度と会わない。でも毎年このなつまつりが行われる頃には私のお邪魔したその部屋で時にはこの日のことを思い出されることがあるんだろうか。誰かの記憶の中に残るかもしれないと思うのは、なんだか不思議な感じだ。でも夏が来てどこかで盆踊りを見る度に私も、この日のことを思い出すのかもしれない、と思う。こういった記憶が毎年更新されて蓄積されていくってさっき踊ってたおばちゃんや子どもやお兄ちゃんやお姉さんにとってそうなのだとしたら、一体どんな感じなのかなあと思う。記憶が蓄積されるのって、嫌なわけではないけどそう思うとそれだけでそろそろ引っ越したくなってくる。憧れのキャンピングカー暮らし。
2006.08.27
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映画『ゆれる』。気になっていた上に先日観た知人がよかったと言うので観に行く。なんでも、ある事件に関する事実が何かわからない、いろんな解釈ができる、とのこと。故郷と東京と、別々に暮らす兄弟。弟は東京でカメラマンとして売れている。兄は田舎で、家業のガソリンスタンドで働く。母親の法事のため、久しぶりに故郷に帰った弟と、兄、幼なじみの女の子と3人で出かけた渓谷で女の子が兄と何かあらそったあげく、吊り橋から転落死する。兄弟とその女の子には恋愛関係の微妙にもつれた心理のやりとりがある。転落死が事件なのか事故なのか映画の後半は、兄をめぐる裁判に終始する。知人によれば、事実関係がどうだったのかわからない、ということだったが描かれている事実はひとつだったと感じた。ただ、その事実にいたる心理と事実を受けての、裁判を受ける兄に対する弟の心理にいろんな解釈が生じると思った。いくつかのシーンを考えあわせて答えを出しても別のシーンがその答えの矛盾を主張する。何らかの答えを出しても兄、弟、どちらかの人格に統一性がとれない。『ゆれる』というタイトルが事実関係の揺れを狙ったものなのか心理の解釈の揺れを狙ったものなのか。そこにも揺れが生じてしまうのがほんとに作家のねらいだったのか興味深い。原案=脚本=監督、だったのだが作り手にはたぶん事実がわかっているはずだ。事実を描ききるつもりがあって、その上での揺れを描きたかったのか事実から揺らしたかったのか。一歩間違えば事実を知っている作者のひとりよがりの曖昧さにしかならないと思うのだが。映画を観たあと、その知人と事実関係を確認する。一緒に見た友人は私と同じ事実を捉えていたのだがその知人の感じた事実は全く別のものだった。巷ではけっこう評価の高い映画らしい。私もよかったと思うけど解釈しきれない、釈然としない気持が秀作なのかそうでないのかさえ判断させてくれない。万事揺れております。そしてそれも十分。。。
2006.08.25
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このところのお気に入り。ペパーミントのハーブティ。ずうっと前、ハーブティがはやり始めたころハーブのみのお茶のなんと飲みにくいことか、と思っていた。当たり前だけど草くさい。青臭い。なので、紅茶にブレンドされたハーブなら、、、と思っていたものだ。でもここ数年は、ハーブのみのお茶もおいしいと思うようになった。このペパーミントティも、原材料はペパーミントのみ。爽やかさだけでなくほんのり甘い。ミントの中ではペパーミントよりスペアミントの方に甘味があるらしい。なのでこれはスペアミントが入ってるのでは?と思ったけどペパーミント100%であった。紅茶以外のお茶を飲むときはティーバックなり、茶葉なりをカップに浸しっぱなしておく。就寝直前、ほどよく冷やした部屋で、濃く出すぎたくらいの熱いミントティをいただくと熱ささえ爽快に感じられる。このごろ目の疲れが甚だしいのだけど残ったミントティにコットンやハンカチを浸して目の上に乗せたら気持よさそう~と実際に実践する間もなく、そして本当にはどうなんだか確かめる間もなく、妄想だけで満足して、即眠りに就くのであった。暑さのため、何もなしには寝付けない。朝までぐっすり眠れたためしがないこのごろ。残暑はもうこりごり。
2006.08.21
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先週末は戯曲を書かねばならないというのにお墓参りへ行くと呼び出される。山科駅10時。約束の時間に遅れたので、父方の祖父母のお墓にだけ参る。お墓の近くに学校がある。以前から時々は参っていたのだけどそこにその学校があることに、数年前、初めて気づいた。そこは、私にとってとても大切な人のゆかりの場所だ。当時(現在も、と言ってもいいけど)、心が沈んでどうしようもなかった。その人を思えばもれなく涙が出た(と書きながらまた涙が出た)。昔からの馴染みの場所に、その学校を見つけたとき何かがつながった気がした。時間は別々だけど、同じ場所を介して、つながっている気がした。そう思ったら、夏の太陽が熱いことや、蝉がうるさいほどに鳴いていることに、久しぶりに、気づいた。というのを、当時詩にした。今読むとおそろしく「詩」でない。書き直さないとなあ、と思うけど、そのときの感覚が気に入って書いたのでそれはそれでいいか、とも思う。ただそれ以来、「蝉」がキーワードである。蝉の声を聞くとほとんど条件反射的に、感情が喚起されやすいのであった。「蝉」、嫌いなんだけどなあ。そのときもっときれいなものが鳴いていてくれたらよかったのに。
2006.08.18
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職場の人から教えてもらった絵本、『トマトさん』。表紙には画面いっぱいのトマト(顔つき)。けっこう濃く激しい顔のトマトさんなので子どもの頃の私なら決して手にとらなかったであろう1冊。トマトなのに妙に肉感的なのだ。肉々した絵は昔も今も苦手だ。トマトさん、ある日木から「どった」と地面に落ちる。とっても暑いので水浴びに行きたいけどとっても熟れたトマトさん。ミニトマトのように転がっていけない。およぎにいきたいよう、ととうとう泣きだすトマトさんを虫やトカゲたちが転がして、川まで運ぶ。水につかるトマトさん。すっかり涼しくなってひんやり。夏の日差しと熱気、水の清々しさと真っ赤に熟れたトマト。(川で冷やされたトマトさんがおいしそうだと思うのは大人の感想か)私も誰かに、今、お勧めしたい1冊。田中清代さく・福音館書店・2006刊
2006.08.16
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課題の戯曲をなんとか書き上げる。先日のスクーリングで先生が「登場人物の多い人は難しいでしょうね」とおっしゃっていたがその、登場人物が多い人、に該当していた私。中華レストランの店員と客との間に繰り広げられるコメディ(のつもり)。複数のテーブルに客。確かに、やつらは放っておくとダンマリを決め込みやがるので厄介だった。あんまりうまくいったと思えないけど、いちおう発言の機会に気を配ってみる。書いてみて、終始苦労したのが、コントっぽくなってしまうこと。コントとコメディはどう違うのか昼休み、演劇好きの知り合いにふっかけて「うーん」と唸られる。すみませんでした。が、今のところ、人間が描けてないからコントになるんだ、と思っている。しかしこの課題、企画段階でコメディであることがなぜか先生に伝わっていなかったのでシリアスドラマとして読み始めるであろう先生を笑かすことができるかが、まず問題。夕方に発送したものの、エピソードがもうちょっとあった方がよかったかも、とすでに不安が。でも、ぎりぎりリミットの明日の朝まで頑張ったとしても大差ないに違いないと思うことにするのであった。
2006.08.14
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線を引き円を描く。その線を引く人が円の内側にいるのか外側にいるのかそもそも一体どちらにいたいというのか常に注目してしまう。内側とは、世に言う身内感覚で、外側に対しては排除感が働くのがおそらく一般的なんだろうと思う。けれど線の内側か外側かは紙一重だ「そこ」に線を引く価値観を持っている以上。その線を引く人がなぜ「そこ」に線を引きたいのか、線を引くことがその人にとってどんな意味があるのか興味深く観察している。線を引き円を描く。円のえがくイメージは常に「平和」だけど平和を装うことは簡単だ。その平和を求めるあるいは装う心境に排他的感覚があるのかないのか常に気にしてしまう。「褒め殺し」という言葉があるように友好的態度が、相手を受け入れる余裕を生むとは言えないから。それは偽善的な自己防衛に過ぎない。そしてそれも別に悪くはない。線を引き円を描く。私自身は線を引かれることも、円に囲まれることも、円から疎外されるのも不愉快だ。ただ、それならその円が少なくとも球になるまで気の向くままに見届けてもいいと思う。線も円も結局二次元の世界だ。そんな次元には捕われようがないから。
2006.08.12
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朝から大学内の喫茶ハマグチにてみんなで和んでから教室へ。ここでモーニングセットを食べるために今朝は約20分も早く家を出たのに着いたのはいつもと同じ時間。平日のラッシュアワーにより、JR大阪駅のホームから改札までと改札を出てから御堂筋線の改札までが人で満ち満ちていたのが敗因と思われます。天王寺に着くまでにぐったり。人ごみは他人との密着度合いが腹立たしい。午前中はドラマにおける音楽の用い方についてのお話。そのあと昨日のショートストーリーについて、それぞれ短くコメントをいただく。私のは、文学的文章1等賞、だった。内容はいまいちだったと思うが、目指す芸風としては満足なコメントだったので、とりあえず喜んでおくことにする。昼からラジオドラマを鑑賞して感想文を書き終了。教室で感想文等を書く時に、すぐ嫌になって長居できないたちなのでざざざっと書いて15時に終了。インターネットルームにて戯曲の課題をだらだら書きながらリンク友の授業が終わるのを待つ。帰りに新聞広告の取材を受けるというメグミさんと梅田へ。広告に載る写真撮影をされる友を興味深く見守りご飯を食べてお別れ。次にメグミさんに会うのはいつだろう。もしかしたら、もう会えないかもしれない、と思う。私も卒業までまだ先は長いとはいえ、スクーリング科目も大半が終了しだんだん終わりが見えてきた。なんとなく自分の芸風の長所も短所もわかってきた。卒業制作について考えることもしばしば。書くべきレポートはまだまだたっぷりだがこの先挫折して卒業できなかった、ということには多分ならない。でも、じゃあ、卒業したら?と帰り道に考える。そろそろ次のことも考えていこうっと。
2006.08.07
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昨日に引き続き、朝から効果音について学びラジオドラマ鑑賞。実物の出す実際の音と放送に必要とされるリアルな音の違いについて考える。昼からもう1本オーディオドラマを鑑賞した後、ショートストーリー作成。お題は「花火」と「初恋」。去年と同じらしい。去年のお題は聞いていたので、それなら事前に考えておけばよかった!できた人から帰っていいということなので原稿用紙3,4枚、よし1時間で仕上げようと思ったが、到底無理で2時間近くかかる。昨日読んだ夏目漱石『夢十夜』のような、不思議芸風で書いてみる。が、漱石はやはり文豪(失礼な)。とても模倣できない。文体の緊張感が持続できずすぐ飽きてしまった。扱ったのは水難事故。社会的にネタとしてまずかったかもしれないと思い当たるも、すでに原稿用紙3枚め。とりあえずそのまま書き上げて出す。扱う事柄の社会性というのが、もひとつ身にしみて分からない。時に、とんでもないことにまでいちゃもんをつける人がいるのに驚き、そういうのはつくづく迷惑だ、と思っている程度。プールじゃないからまあいいか。いや、でも川だけどそれはそれでまずいんじゃあ?という気がしてきた。書く中で、近頃頻繁に使用しているため、ひそかにNGワードと設定していた「蝉」をまたしても使ってしまう。蝉好きでもなんでもない。むしろ蝉は見苦しいので嫌いだ。教室を出た後、あんたたちがこんなに鳴いてアピールしなければ!って、腹立ち紛れに木を見上げた。
2006.08.06
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スクーリング1日め。朝から前方にあーごんさんらしき人を発見して一生懸命追った結果出るつもりのなかった開講式に自動的に出席。最後に、「閉会します」とのアナウンスと同時に壇上に教授方や合唱隊を式の途中の態勢のままに残しするすると緞帳が下りてきたのにウケる。それはなんかおかしいです。退場してもらった方が。授業はほとんどが映像学科の人たち。映像20人に対し、文芸5人くらい。映像の若人(たぶん)たちの熱気に少々圧倒される。話を交わす知り合いがいないので淡々と午前を過ごして昼休み、外に出たとたんによくご一緒するI野さんを発見し、数年ぶりの再会のごとく喜ぶ(実際には1週間ぶり)。そのあと他の馴染みのみなさんにも次々遭遇。ひとりの昼食後、リンク友のkeiさんにインターネットルームでお会いする。そこではwordも使えるようなので、データさえ持ってくれば課題に取り組むことができるんですねえなど話しつつそんなこともあろうかとフラッシュメモリに入れてきていた戯曲の課題を教室に置いてきたことに気づき呆然とする。しばしYahooなど冷やかしてみるものの、別に目的があるわけでもなく。そそくさとそこを後にし、ユーゴー書店へ。夏目漱石『夢十夜』が突然読みたくなり購入。「こんな夢を見た」で始まるごく短い10編。ずいぶん前に読んだはずだけど、ただのひとつも覚えていないのが悲しい。あしたのショートストーリー、できればこの『夢十夜』的芸風でいってみようと思ってみる。昼からの授業にて、先日戯曲演習で一緒だった文芸の2人とちょこっとお話するものの授業後はあっさりそれぞれ帰路につく。明日はまた未知のそれぞれとしてお会いすることでしょう。さみしがりでありつつも孤独を深く愛する、私もそんなタイプだ。スクーリングで知り合いに会うのは楽しみだけどこんな1日も心地よい。帰り道、ちょっとうれしいことがあった。あまりに他愛のない子どもっぽいことなので、内緒。
2006.08.05
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あしたから放送脚本のスクーリング。週末べったりほとんど家にいないので、それまでに今週できるだけ戯曲をすすめておこうと思ったもののもろもろあって(・・・いや、「もろもろ」というほどでもないか。「もろ」くらいかな)はかばかしくない。放送脚本、何やるんだろうか。事前に出した課題、関係あるんだろうか。ラジオドラマの企画。水琴窟をネタにして幻想的なドラマにしよう!と思ったものだったが、、。現在書きかけの戯曲がコメディのつもりなので芸風が錯綜しております。戯曲を離れて気分転換できるのはうれしいようなうれしくないような。戯曲はなかなか進まずで、状況はよろしくありません。ううむ。楽々とは乗り切れない。くぅ。でも書かなきゃ。大丈夫。書ける書ける(と早くも自己暗示を持ち出す・・・)。学校でも暇あれば書こう電車の中でも書き物にチャレンジか?(やりなれないのでたぶんどっちも無理)こんな時、自家用ヘリとか自家用リムジンとかあったらいいのになあ、いや、どこでもドアやな。と逃避気味。他の授業に参加のみなさんにも会いたいけど、、、会えるかなあ。。。
2006.08.04
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今日もこれから課題の時間。予想外の出来事により予定より1時間遅れのスタート。月末のスクーリングのための戯曲を書く。ストーリーは最後まで通せているのでいいやもう書いちゃえ、というか書くしかない!と思い書き始めている。話は序から始まり、1,2,3,4,5とだいたい6つに分かれている。6つに、、って、起承転結じゃないんですけど、、、序破急でもないんですけど~、、、まあいいや。昨日は序部分の4枚あまりを書いたので、今日は1だ。日中の細切れ時間にストーリーを再確認して要素を決めて夜書く、という計画をついさっき立てた。まとまった時間をかけられる日が締め切りまでに1日もないのがイタイ。本日すべき用事をすべて済ましてパソコンに向かう。決して酔わない程度の、テンションが変わりさえしない程度のお酒類を横に置く。それなら水でもよいのだが。それではこれから書きまーす。あしたはどんなに書きたくなっても日記は更新しません!絶対にしません(更新してたら糾弾してくださいお願い)!!日に日にヨレヨレになっていきそう。こんなんでほんとに仕上がるのかなあ。。。。。。
2006.08.02
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うちのハムスター、はなごろうには上の前歯がない。固いものが食べられないので、ハムスターフードを1日2回、ふやかして与えている。晩帰ってからと、朝出かける前。ところが、朝ばたばたしているため、ふやかしたものをケージに入れるのをついつい忘れてしまう。今日も帰ったら、机の上に水分がすっかり蒸発して干からびたはなごろうのごはんが。人の気配を察して出てきたはなごろうがいつもごはんの入っている器を期待を込めてのぞき込みまだ何も入ってないことを確認だけして帰っていく。余計な愛想は一切なし。そしてティッシュを敷いた寝床で不満げにチィチィ鳴いたりしている。昼間もこうやって時々えさを探しているんだろうか…はなごろうにはできれば私の出かけるときに鳴いて知らせてほしいものだ。ごはんまだだよ~、ふやかしただけで満足してるよ~、と。その時に鳴いてくれたらさすがに入れ忘れたりしないのに。たのむよはなごろう。写真はふて寝中のはなごろう
2006.08.01
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