2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全10件 (10件中 1-10件目)
1

今行っているイタリア語のコースは2ヶ月コースなんですけど、12月は22日でおしまいです。一週間短いのですね。クリスマス前に帰ってしまう人も多いので、早めにクラス会をしようということになり、昨日の夜やってきました。私の住んでいる修道院は町から遠いので、普段は夕食を一緒に食べることはできないんです。バスがなくなってしまうので。昨日もバスがないからと断っていたのですが、先生が帰り送ってくれるというので、行くことができました。 昨日もペルージャはすごい霧です。クラス会が始まる前に集合写真をとったのですが、霧のため、フラッシュをたいたら、こんな風になってしまいました。何だかわかりませんね。 チェントロ(英語で言うダウンタウンかな)から歩いて15分くらいのピザ屋さんに行きました。イタリアのピザ屋さんは、日本の宅配ピザと違って、ちゃんとしたレストランみたいな所です。ただ、メニューがピザばかりというだけです。おいしいのですが、お値段はそれなりにします。 クラス会をするのは、大体みんなイタリア語で意思が伝えられるようになると企画されることが多いようです。そういう雰囲気になるのに、一ヶ月くらいかかるということでしょうね。一緒に食事をするというのは、ヨーロッパ人にとっては大事なことらしく、特にイタリアは一緒に食事をするというのは、大切だそうです。これは聖書が持つ食事の意味とよく似ていますね。単なる会食ではなく、食事をすること、その行為自体に意味があるということです。イエスの時代と今のイタリアが一緒とは言えないでしょうが、忘年会などは、その年の労をお互いにねぎらいあうという理由があるわけですが、一緒に食事をすること自体に意味があるというのは面白いことですね。3人のイタリア人の先生のうち、2人は来てくれたので、余計によかったのですね。 イタリアのピッゼリアは注文してから出てくるまでに30分は大体かかるように思います。今回もそうだったのですが、前菜を食べながら、おしゃべりしていて、ほとんど沈黙しないのですから、みんなイタリア語がうまくなったものだと思いましたし、その場にいて、楽しめるのですから、私のイタリア語も多少は上達したのでしょう。ただ、イタリア語わからなくても、ひょっとして楽しかったかもしれないので、正しい判断基準にはならないでしょうか。 ピッゼリアにいって、結構外国人が失敗するのは、一人一枚ピザを頼んでしまうことでしょうね。ピザ一枚頼むと、日本の宅配ピザのMサイズくらいのが、ドカッとでてきます。イタリア人は、それを結構ぺロッと食べてしまいますが、ドカッと出てくると私たちは圧倒されるほど、迫力があります。昨日もそうでした。ワインを飲んで、前菜を食べていると、それだけで結構おなかいっぱいになりますし、私はまだイタリア語をしゃべりながら、食べるということができないので、結果としてあまり食べられませんでした。 アフガニスタンの人たちは、さすがにピザを食べるのはためらいがあるみたいで(何が混ざっているかわからないですものね)、野菜とかお米のコロッケみたいのばかり食べていました。その人は先生の近くに座っていたのですが、先生はさすがになれたもので、何か出てきたらすぐに、「これは大丈夫よ」と取り分けてあげていました。少しでも怪しいと、それでも食べないのですが、この光景も日本ではあまり見ることはできないし、日本にはあまりない心遣いですね。日本にイスラム教徒が少ないということもあるのでしょうけど。食物アレルギーで食べられないものがある人は多いですけどね。宗教的な食べられないということも、食べると命にかかわるアレルギーも実際にはほとんど同じレベルに大事なことだということが、よくわかった気がします。これも律法学者やパリサイ派がイエスと対立していくプロセスの理解を深めてくれる体験だったように思います。掟を守る、守らないというレベルの話ではなく、ある意味で命がかかる選択についてのやり取りだったといえるかもしれませんね。 ワインを結構飲んだので、さすがにちょっと疲れましたが楽しかったです。もうすぐ、イタリア語の勉強ともお別れで、ペルージャともお別れになるのですが、とってもいい思い出ができました。帰りは先生に送ってもらいましたが、車の中で会話していても、イタリア語を直してくれるので、いやはや、この人は本当に先生ですねぇ。でもこの先生、もうイタリア語を教えるのは、これでおしまいで、次からはイタリア語を教える先生たちのためのコースに移ってしまうそうです。イタリア語を学ぶものにとっては残念でしょうが、よい先生たちが生まれてくれば、もっといいということでしょうね。今日はこのくらいにしましょう。
2006.11.29
朝起きると、なんか薄暗いんですね。いつもよりも薄暗い。雨が降っていると音がするのに、何の音もしない。むしろいつもよりもシーンとしています。不思議に思って、窓を開けてみると、外は真っ白でした。いつもよりもずっと深い霧です。ヨーロッパは冬になると霧が出ると聞いていましたが、これがそうなんですね。今までも時々出ていましたけれど、その比ではありません。100m位しか視界がないでしょうか。学校はペルージャの山の上にあるので、上に行けば、さすがに都市に行けば晴れるだろうと思いきや、バスに乗って、どんどん上っていくにしたがって、いっそう深くなります。町に着くと何というか、町の中を霧が動いているんですね。本当に雲の中にいるみたいです。山に登って、雲に当たると、体が濡れて冷たいですが、それほど湿気を持っているわけではないようです。でも、おろかにも洗濯して、干していったら、干したときよりも、取り込もうとした夕方は湿っていました。霧の中に干しているのですから当たり前ですか。写真を何枚か撮ったのですが、白くなって、うまく写りません。ぼやっとして、結局何をとっているのか分からないものしか撮れませんでした。どうすれば、いいでしょうかね。 この週末はちょっと疲れていたので、とにかく休むことにしました。どこにも出かけずに、とにかく横になっておくことに徹すると、少し疲れも取れました。どうも外国にいると、日本にいるときと違って、休みを取るタイミングが難しいように感じますね。大して無理してないのに、疲れがたまるみたいです。 今日のミサで、司式している神父様が、祈願文を唱えているとき、泣いてしまって続けられなくなったんです。今日は共同司式している司祭が数人いたので、ほかの神父様が続けたのです。実はこれはとても分かる気がするのです。説教のとき、泣きそうになったり、泣いてしまったりするのは、結構自分が自分の説教に感情的に入り込んでしまっているときが多くて、あまり誉められたものではありませんが、祈願のときに感情がこみ上げて来るのは、私も時々あります。これがただの朗読だったり、呪文だったら、こみ上げてくるものなどないのでしょうが、何といっても祈りです。しかも、ミサの中の祈りは、徹底的に御父に向かって捧げる祈りがほとんどといっていいでしょう。イタリア語では、まだそれほど深い感動を覚えることもないのですが、というか、祈願文を唱えているときには、そんな余裕がないのですが、私だと日本語で祈っているときは、確かに自分の信仰に、何というか大当たりするものが来たりするんですね。祈りだから、当たり前なのです。くどいですけど。そして、ミサの祈願文は教会がずっと祈ってきて、ある意味で完成されているというか、煮詰められて、濃いものが入っている感じがするのですね。だから、ヒットしてしまうことがあるわけです。これは、聖書を読んでいて、みことばに釘付けになってしまうことがあるのと同じでしょう。きっと、今日のミサでは、あの神父様の信仰にとても共鳴する祈りが祈られたのでしょうね。明日にでも、どの祈願文を使っていたのか見ておこうと思います。ミサの祈りは、捧げる祈りがほとんどですから、私を捧げていく、そのプロセスと一致することが多いでしょう。 私は、ミサは泣くことが許されるときだと思います。教会は泣くことが許される場だと思っています。もちろん司祭が泣いてしまって、いつまでもミサが進行しないと、それはそれで問題なのですが、現代社会は泣くことが難しくなっていると思います。たとえ悲しくても泣くことが許されなかったり、他の事を考えることを強制されたりします。つらいとき、泣きたくても、ここは踏ん張らなければと、踏ん張り続けて、疲れ果ててしまう人もいれば、踏ん張りきれずに座り込んでしまう人もいます。ひょっとすると、少し昔ならここで泣き言をいうこともできたのかもしれませんが、泣かずに心にしまい続けると、いつまでも悲しみや苦しみが現在進行形になって、自分の中に居座り続けることもあるかもしれません。教会はその泣くことがゆるされて、たとえ泣いていても、ほとんど誰も声をかけたりしないし、もし話したければ、司祭がいるし、他の信徒の人もいたりするから話もできたりできる、本来そういう場だと思います。ミサの時に泣いてしまってもいいと思います。大声でワンワンなくのは、ミサ以外のときがいいと思いますが、苦しみや悲しみを注ぎだしたり、自分の信仰に神が語りかけられたのを感じて、涙を流すのは決して間違いではないでしょう。ここの教会でも、よくミサのとき泣いている方がおられますけど、これはいいことだと思いますね。 何度も同じことを書いているような気がしますが、教会とは、どんなところだろうと考えているときだったので、ちょっと今日感じたことを書いてみました。
2006.11.28
日本語と西洋語の大きな違いは、やはり表現の仕方の違いでしょうね。「あなたの辞書貸してくれる?」って聞かれたとき、日本語だと、初めに「ごめんなさい」「すみませんが」とか言って断ることが多いでしょうね。そうでない場合でも「今使っているんです」とか理由を言って断りますものね。「No」(イタリア語では、ノーじゃなくて、「ノ」です)というのは、いまだに抵抗があります。慣れだと思うのですが、まだ慣れません。「今日、掃除手伝ってくれる」って、掃除の人に言われることがあるのですが、大体私が勉強しようとしているときに言うので、やむを得ず「No」というわけですが、心が痛みます。したくないのではなくて、今勉強中なのだと言いたいのですが、「No」と言った瞬間に、その人は去ってしまうので、伝えられないんですね。確かに、頼むほうは手伝ってくれないなら、理由は何でも同じなわけですから、聞く理由もないのでしょうが、やはり言いたいのが、私の気持ちなんですね。「郷に入れば、郷に従え」と言いますが、このあたりの感覚はどうしても受け入れにくいんですね。まだ靴を履いたまま、ベットにゴロンのほうが受け入れやすいですね。あさって、私達は「王たるキリスト」の祝日を祝いますが、きっとこの祝日はとても難しいからこそ、祝われるのだと思います。頭では、キリストが王であって、その王はこの地上の王とは全く違う王であるというのを受け入れています。しかし、私達は知らず知らずのうちに、権力とか権利とかに守られているわけで、その中で、キリストを王として生きるのは、意識していないと忘れてしまう。だからこそ、一年の最後の日曜日に、私達はキリストを王として生きているのだというのを祝うのでしょう。日本人は多くの国に行って、色々な恩恵に預かっています。国が守ってくれることもあるのでしょうが、誰でも知っている「トヨタ」「ミツビシ」という言葉が知られているので、例えば電車でしゃべるときでも、何かはしゃべれるわけです。日本人であるという特権みたいなものでしょう。多くの小さな国では、そんな国、聞いたこともないし、どこにあるか検討も着かないということもあるわけです。だから、誰にでも知られている私達にとって、小国の人たちの気持ちは、なかなか理解するのが難しいように思います。では、「神の国」はどうなのでしょう?キリストが王として支配される国です。「キリスト教の国」なら世界にいくつもあると思いますが、「神の国」というのはどこにあるのでしょう?少し違うかもしれないのですが、おそらく「トヨタ」「ミツビシ」のように、誰でも知られている神の国語は「愛」「ゆるし」でしょう。しかし、これらは車のように便利というわけでもなく、見えるわけでもないわけで、たとえ愛があっても気づかれることがないかもしれないのです。ゆるしていても、無視されるかもしれないのです。それにも関わらず、キリストが最後まで語られ、自らそれを生きられたのは、「愛」「ゆるし」であったわけです。20世紀を代表するカトリック者に、ヨハネパウロ2世とマザーテレサがあげられると思いますが、この二人は確かに「神の国」を述べ伝えようとしたと思います。キリストはこれらを神の国の代表的な言葉としたわけです。ゆるしと愛。教会の典礼暦はもうすぐ終わります。「王たるキリスト」の祝日を祝って、新しい年を迎えるわけえです。それは、キリストが本当に求めて、神の国が実現するその国を祝うのです。待降節を目の前にしていますが、今は待降節を待つのではなく、神の国、その実現に私が確かにかかわり、必要とされているのを心に刻むときなのでしょう。決して、簡単には訪れないが、必ず訪れると信じていきたいものです。
2006.11.24
普通、司祭がローマに留学するときというのは、3ヶ月くらい語学をやって、すぐに大学に通うことが多いようです。私はちょっとのんびりと半年くらいやっているのですが、ようやく少しずつ会話が成り立つようになってきました。いい傾向です。私は性格なのでしょうか、難しいことをしゃべりたかったりするので、ちょっとしゃべりづらいこともあったのですが、最近はまずまずでしょうかね。とりあえず、話せればいいやというのなら、もう少し早く上達するのでしょうが、私の話したいことは、お天気や日曜日どこに行ったかでなくて、そこで何を見出したかなので、そこでちょっと足踏みが長かったようです。ミサで説教を少しだけするようになって、それも少しずつですが、乗り越えつつあるような気もしています。私はたぶんすらすらと話せるようにはならないように思います。でも、ミサの時に、きちんと意味のある説教を作ることのできる能力はつけたいと思うんですね。ゆるしの秘跡のときも、そうです。 いきなりこんなことを書いたのは、今日クラスメイトと話をしていて、日本では年間3万人以上の人が自ら命を絶っているという話をしたら、「なぜ日本で?」ととても驚かれたからです。日本のような豊かな国で、なぜ自殺をするのか、彼らには不思議だったようです。倫理神学の授業ではないので、自殺とは何かという話はしませんが(私の友人が自殺について、深く考えさせてくれる教育用CD教材を作っているので、それを参考にご自分で考えてみてください。とてもいいもので、すごく参考になるでしょう http://www.aldus-asile.com/)、命の話を外国人と話していると、「命とは何か」を、色々と考えさせられます。 アフガニスタンの友達は、つい最近戦争を経験していました。私が自分の故郷が関西大震災で町がなくなってしまったという話をしたとき、一人が、私の町も、戦争でなくなったとポツリと言ったのは印象的でした。町がなくなるという言葉の後ろには、命が失われたという現実が隠されているのは明らかでしょう。地震でも、戦争でも命が失われるのは、とても大きなことに違いありません。11月は死者の月ですが、死者のために祈ると私達が言うとき、それは死者のことを心に留めて、共に神の前に立つという意味でしょう。神は生の上にも死の上にも、神としておられるのですから、おそらく共にということは大事だと思います。死んだ兄弟姉妹がどのように私達と共にいるかはわかりませんが、私達は死者を心に留めて、忘れずにいることは、とても大切なことだと思います。 命のために、私達が祈ろうとするとき、私達はどのように祈るのでしょう。共に祈るとは、どういうことなのでしょうね。そのとき、一番大切なのは、日本語の素晴らしく美しい表現だと思うのですが、「心を込めて」、祈るのが、まず大事なのでしょうね。私は日本人が静かに手を合わせて、祈る姿が好きです。そして自分もそうするのが、よく祈れる姿なので、静かに手を合わせます。心を込めた祈りをするとき、そして、それが本当に純粋な祈りとなってささげられたとき、日本語でもイタリア語でも、自ら死を選んでいく人について語ることができるのだろうと思います。私は「心を込めて祈ると、人はもう少し生きてみようと思えるのではないか」と思います。神を知っている私達は人の死を裁いたり、原因探しをするより前に、まず祈り、奉仕することが大事なのでしょうね。今日、戦争でなくなった人や自ら死を選んでしまった人と共に祈ろうと思います。
2006.11.22

昨日、日本人会のミサがあったので、ローマに行ってきました。何でもトムクルーズの結婚式があるということなので、ハリウッドスターが大勢来ているそうで、誰か有名人に会うかと期待していましたが、誰にも会いませんでした。残念残念。日本人会のミサは好きです。普段はイタリア語でミサをしているので、月に一度日本語で朗読を聞き、福音を読み、祈りをささげていると、やはり心にしみてきます。祈るときに、必死に右脳も左脳も両方フルに働かせていると、結構疲れますからね。でも、同時に、イタリア語の祈りも一言一言をかみ締めながら祈るので、これはまた違った味わいがありますね。同じ祈りでも、日本語で考えているときと、イタリア語のときと違いますものね。それで、ローマから帰ってくるとき、いつもと少し違った経路で帰ってきたのですが、日が沈むとき、ちょうど気温が下がってきたのでしょうね。霧が生まれる瞬間というのを見ました。畑の中にできる霧だったのですが、だんだんと白くなるのではなく、一瞬にポンッと白い雲みたいなのがでてくるんですね。びっくりしました。じわじわできるのかと思いましたが。ひょっとすると、いろいろな出来かたがあるのかもしれませんけど、あのポンと白くなる瞬間を見たとき、天地創造のとき、神のことばのとおりに、なったというのは、こんな風景を見ている中から出来上がったのではないかと思いました。(昨日のものではありませんが)霧というのは、不思議なものですね。遠くから見ていると、結構きれいですし、神秘的な感じすらします。光の当たり具合によっては、光ったりしますしね。でも、その中にいると、何も見えないだけでなく、何を自分が見ようとしているのかすらわからない。何を探していいのかわからなくなってしまいます。山登りして、つらいのは、雨ですけど、雨と同時に霧にはいると、本当に怖いし、つらいですものね。ただ足元を見て、道を踏み外さないかだけを考えて歩くしかない。日が落ちているときなら、懐中電灯が使えなければ、歩くことすらできなくなりますから。霧の中で懐中電灯つけると、光ってしまって結局何も見えないことってあるからです。人生は闇だと、時々聞くことがありますけど、本当は人生って霧の中だという気がします。特に信仰を持っているものにとって。先が見えなくて、苦労して、悩むのは、信仰を持っていようといなかろうと、同じといえば同じですが、真っ暗で見えないのと、光っているけど見えないのとでは意味が違うと思うんですね。 主日の朗読は終末を告げるものに変わっていくのですが、待降節にはいると、前半は終末の朗読が読まれ、叙唱も主がこられる、終末にこられる主を待ち望む民の姿が語られます。クリスマスで私達がイメージする馬小屋でのイエス様の誕生とは程遠い朗読の内容だという気がします。しかし、心の中で自分の信仰と照らし合わせてみると、決して矛盾もしなければ、程遠いということはないということがわかります。聖書が希望を語るとき、それを導き、照らしてくださる神を意識しているのは間違いありませんが、聖書の民がその歩む道がはっきり見えているかといえば、決してそうではないからです。歩んでいく方向も、道もわかっている。それにもかかわらず、自分は示された道を歩めていない。これこそ悩みでもあり、苦しみでもあるのかもしれません。すでに光も当たっているのかもしれませんね。でも霧の中では、明るいのに道は見えない。見えるのは、自分の足元だけです。 山歩きをする人とか、もちろんイタリアで霧がよく出る中で生活している人には、ぴんとくるのですが、霧って突然晴れるですよね。山を登っていると、雲を抜けると、いきなり青空が出てきて、まぶしいと思うときがあります。私達の歩みはこれかもしれません。今確かに道は見えてないかもしれないが、しかしそのうち必ずこの霧が晴れて、まぶしくて目を覆いたくなるほどの光と出会うことができる。 自分が苦労しながら、悩みながら歩むことなしに、主の再臨を心から待ち望むことはできないし、また待ち望む必要すらない。しかし、私達は確かに悩んでいて、待ち望んでいるのであって、その先にいるのが、馬小屋にいる小さな赤ん坊。 神様の思いは、これでわかる程浅くはないはずですが、霧が一瞬でポッと現れるのを見たとき、神の声によって、この霧は一瞬に晴れてしまう。クリスマスは、神の創造を思い起こし、神の思いの中で、私達を創造されたこと、救われること、すべてがひとつの愛の中にあることを意識するときなのかもしれませんね。 電車の中で黙想して、お祈りしていた実りを書いてみました。
2006.11.19
昨日に引き続きオリーブを摘みました。やったことは昨日と同じなので、今日はちょっと思いついたことを書くことにしましょう。「私は真のぶどうの木であり、わたしの父は栽培者である。私についてきて、実を結ばない枝はすべて、父がこれを切り取られる(ヨハネ15.1-2)」 別のところで、このテーマについて書いたので、「あー、同じこと書いている」と思われた方がいるかもしれませんね。でも、結構心に浸みた思いなので、ここにも書いておきましょう。日本にいると、よく分からない箇所ですが、先日「なるほど」と思いました。修道院にあるオリーブ畑で収穫を手伝ったとき、実をつけない枝は容赦なく切られるのを見ました。枝を切らないと、枝同士が邪魔し合うので、収穫のときに実をつけない枝は全て切られてしまうのです。これを見るとイエスが頭で考えて、たとえを話しているのではなく、確かに生活している人々の視線から出来事を理解し、物語っているのです。この人々の視線と言うことですが、ミサのとき、パンとぶどう酒を使いますが、このパンとぶどう酒は、イタリアでは本当に身近なものです。イエスの時代のパレスチナもきっとこんな感じだったのじゃないでしょうか、よく知らないのですけど。でも食卓にいつもあり、何気なく食べ、何気なく飲んでいるものだったと思います。日本のご飯と味噌汁と、少し違うところは、日本人がお米や味噌汁を心の底で、ありがたいものであって、大切にしなければいけないという意識があるのに対して、イタリアではパンは主食ではないし、ぶどう酒も味噌汁のように自分で作るものではないので(ここの修道院では作ってますけど)、少し意味が違うかなと思います。多分、日本にパンとぶどう酒と似たものがあるとするなら、家族とか両親というものにあたるのかなあと思ったりしていますが、これはまだ深く考えてはいません。とにかく、いつも普通にあって、目にするものだということでしょう。それをイエスはお使いになった。これはとても意味のあることだと思います。そして、このぶどうの木のたとえも、日常の何気ない出来事を語られているのだと思います。私たちは一生懸命生きています。他人の目に、どのように映ろうと頑張って生きているのです。イエスはそれを深くお知りになったうえで、このみことばを語られたのでしょう。「実を結ばない枝はすべて、父がこれを切り取られる」私たちの信仰の実は目に見えないので、実がなったか不安になるときもあります。しかし、判断するのは枝である私たちではなく、父であり、どれを残されるか切られるかも、決めるのも父であると福音は語っています。私たちの全てを知ってくださっている父が、もし私を切り取ろうとされるなら、私のどこかに、怠けとか油断とかがあるのでしょう。実を結ばない枝が次々と切り落とされ、投げ捨てられていくのを見ていると、イエスがどのような気持ちで、この話しを物語っていたのかが判るような気がしました。栽培するのは神、そして切り取られるのも神。私はただ与えられた恵みを実らせるだけ。このブログを見て、いろいろなコメントやメール、相談などを寄せてくださる方がいて、それはブログを(時々)書いている者として、うれしいことですが、その一つ一つにこたえることは出来ませんし、しないほうがいいとおもうので、しないのですけど、何か行き詰って、不安になったとき、疲れてしまったとき、この福音に目を通してみるといいでしょうね。父はきっと私たちに水をやり、肥料をやり、枝の手入れもしてくれています。父の努力があった上で、私たちは実を結ぶことが出来る。ただ、その実は決して父の努力が自動的に実になるのでなく、枝が実らすものでなければならないのです。それを枝の努力と言うのか分かりませんが、枝には、枝のすべきことがあるというのでしょう。私たちは本当に実を結ばない枝だと感じることもありますが、先ほど書いたように、判断するのは栽培者である、自分が勝手に私は実った、実らないと一喜一憂する必要はないし、するなといわれているのです。大事なのは、「私についてきて」というところ、「イエスについていく」ということなのです。イエスは私たちの身の丈を知ってくださっているということでしょう。困難に陥ったとき、とても自然な姿で、パンとぶどう酒の姿で、ミサのときに共にいてくださるイエスを私たちは知っているのです。自然に語り、自然に叱り、自然に慰めてくださるイエスに、今日もついていきたいですね。それでは、また。
2006.11.11

木曜日の夕食の後、副院長がやってきて、いきなり「明日は暇なのか」と声をかけてきました。あまり話しをしない人なので、「何だ何だ」と思っていたら、「オリーブの収穫をするから手伝いなさい」と言うではありませんか。オリーブの木って、見たことないし、どこか遠いところに連れていてくれるのかもしれないので、「はい、暇です」と答えると、「9時」とだけ言って、スタスタ行ってしまいました。 さて、今日の朝、遠くに行く準備として、カメラを持って、リュックサックを背負って、ミネラルウォーターを持って、遠足気分になっていると、トラクターの荷台に乗れというではありませんか。どうやら、私が行ったことのない、この修道院の敷地内にオリーブの木はあるらしいのです。歩いたら10分くらい、トラクターで7分くらいのところに、ありました、ありました、オリーブの木が。よく見かける木ですが、これがオリーブなんですね。よく見ると、たわわに実っているではありませんか、「これを一つ一つ大事に摘んで、オリーブ油を搾るのでしょうね」と思っていると、大事どころか、オリビエロという機械で枝をゆすって、落とすんですね。下にはネットを敷いているんです。オリーブは触るとすぐに、ポロッと落ちるくらい簡単に取れるんですよ。びっくりしたのは、落ちた実を気にせず踏んでいくんですね。副院長に「踏んだらダメではないか」というと、「この馬鹿者が」という顔をして、オリーブの実を一つ取り上げ、「オリーブ油は、ここを絞るんだ」といって、実の中から種を取り出してきました。「知らなかったなぁ。オリーブ油は実からとるんじゃなくて、種からとるんですよ。知らなかったなぁ。」ちなみに、このオリーブ、食べてもおいしいんですね。とれたてのは、何となくおいしい気がしますが、ジャンカルロ(修道院のコックさんです)はしばらく水につけて、軟らかくしたほうがおいしいといいますね。ちなみに、彼はすごい働き者で、修道院で何かやるときは、必ず参加する人です。今日は彼の奥さんのアンジェラさんが食事は準備してくれて、彼はオリーブ摘みをしているんです。 それで、私は何をしていたかと言うと、ジャンカルロさんがオリーブの枝を切って、落としてくるので、その枝についた実を手で取るのですが、すぐ落ちるので、枝をなぜるようにすれば、すぐとれるんです。初めは面白くてやっていましたが、これは結構重労働です。イタリア人はあまり働かないといいますが、オリーブ摘みをしているときには、それは当てはまりませんね。朝9時から始めて、1時までずっと働き、1時間お昼ご飯をたべたら、またすぐに4時半まで働いていました。途中の小休止は一切なしです。冬が近づいて、日が落ちるのが早くなったので、急いで仕事をしないといけないそうです。ただ、日本と違うところは、仕事をしているとき、しゃべり続けているんです。叫び続けているといってもいいかな。今日は、ジャンカルロさんと、もう一人のジャンカルロさんと、その奥さんのカルラさんと、副院長と私で働いていたのですが、まあジャンカルロ二人でよく飽きないものだというくらい、叫びまくっていました。日本人ならきっと働くときは働くことに集中するのでしょうが、彼らはとにかく楽しそうにしゃべりながら、働くのです。これは何かいい風景だったです。ちなみに、私はイタリア語をしゃべると手が止まるし、手だけでなく、体全体が止まるので、とてもしゃべりながらは、仕事できないです。それに、イタリア人同士が、ああいう感じで話していると、何語をしゃべっているのか分からないくらい、聞き取れないので、話にはいれないというのもありましたけど。ちなみに、さすがに彼らも疲れるらしく、疲れると、私に何か話せ。日本語でいいから話せとふってくるのですが、日本語で話して、聞いてくれるのは鳥だけなので、日本人らしく、ニコニコして、せっせとオリーブを摘んでいました。夕方になって、少し暗くなってくると、やっと帰る準備をして、またトラクターに揺られて帰りました。あーつかれた。
2006.11.10
本当に寒くなってきました。そこで、電気屋さんにいって、ファンヒーターを買ってきました。*後でここに写真をいれる最近はありそうなものは、中古で買うようにしているのですが、この寒さに耐え切れず、ついに新品を買うことにしたのです。ペルージャでは、大きな電気屋さんは駅の近くにしかなく、町の中心から少し離れているんです。しかも、午後1-4時位は、お昼寝の時間でしょうか、閉まっているので、もし何かを買いたい場合、授業を休むか、授業が終わって、少し遅くなるけど買いに行くかしないといけないのです。町の中心にある小さな電気屋さんも同じで、お昼閉まってしまうのですが、今度の授業では週に一度だけ1時間の空白があるため、その時間を利用して、電気屋さんに行ってきたわけです。イタリアで生活された方は、この昼間に店が閉まってしまうのに、戸惑った方も多いでしょうし、おいおいって思われた方も多いでしょうね。学校の先生に、このことを聞くと、「少し位儲かるよりも、休むほうがいいでしょ」といわれて、なんとなく納得してしまったのですが、日本のいつでも開いている状況に慣れてしまっていると、店が閉まっているのは、本当に困るんですよね。同じように、シスターのやっている本屋さんも閉まってしまうので、日本で言う「毎日のミサ」みたいな、毎日の祈願文、聖書朗読が載っている小さな本を買うのも大変なのですが、これはないと、本当に本当に困るので、月に一度はちょっと授業の休み時間を自己延長して、買いに行っています。確かに不便ですけど、みんながその時間は閉まっているとわかっているから、このシステムが成り立つのでしょうね。最近は、お店に行って、物を買うときも、少しお話できるようになってきたので、買い物もそれほどストレスがたまりません。ちょっと変な言い方ですが、買い物するときは、お店の人はこっちの言うことを最後まで聞いてくれるので、しゃべるのには、いい時間です。普段は5秒話すと、相手が話し始めてしまって、なかなかこっちが話す時間はないですからね。そう、それで、このファンヒーター、本当に暖かいんですよ。お布団しか暖房器具がなかったのに、この暖かさのおかげで、少し楽になりました。夏は石の建物は涼しいですが、冬は本当に寒いですね。体の心から冷えます。何か、空気全部が冷たくなるという感じでしょうか。冬のイタリアに来るときは、寒さ対策、特に石の建物は足が冷たくなるので、足元の寒さ対策が必要ですね。寒い原因はもうひとつあって、湿度が結構高いんですよ。朝になると、外は真っ白になるほどの霧がでますし、結構晴れないで曇りの日が多いんですね。曇りだと一日ひんやりしますものね。*あとで写真を入れるクリスマスまで、ここペルージャにいて、1月からローマに移るつもりです。あと2ヶ月、のんびりとイタリア語勉強して、体調整えないとなぁ。それでは、また。
2006.11.09
さすがに11月です。寒くなってきました。同時に、風邪引いてしまいました。ここの人達は、なぜこの寒さで暖房が必要ないのだろう??もうすぐ「暖房入るから」といわれたのですが、入りませんねぇ。仕方ないので、昨日近くの大型スーパーみたいなところに買いに行ったら、お休みだったんです。こっちの面白いところは、日曜や祝日は、お店が閉まってしまうんですね。個人商店だけでなく、大型店舗も。それで、風邪引いてしまって、頭痛がひどいです。私、風邪引くと、皮膚がひりひりするんですけど(なんでだろう??)、ひりひりして、かないません。そこで、今日、もう一度買いに行こうと、玄関を出たら、イタリア人の神父さんがちょうどいて、「シディス(スーパーの名前ね)行って来ます」って行ったら、「この寒いのに、外に出るな」と叱られて、戻されちゃいました。彼は車運転しないから、連れて行ってともいえないしね。確かに今日は、昨日よりもずっと寒くて、部屋の中でもセーターないと寒すぎるって感じです。なぜか、夜になって少し温度が上がってきて、今の部屋の中は、15.1度ですね。それでも、寒い。 風邪引くと、寝込んでしまうので、イタリア語を話す機会がなくなるのが残念なのですが、今月からまた、クラスが変わります。先生は同じなのですが、11月、12月の2ヶ月コースで、これで語学の勉強もおしまいです。月の最後に期末試験みたいのがあるのですが、試験をやると点数とれるんですよね。9人中2番目でしたが、9人中7人は、ほぼペラペラって感じ。私ともう一人フランス人は、ペラくらい。しかし、あれだけしゃべれるのに、試験で点数取れないということは、試験で、語学ははかれないということなのか、試験の問題が悪いのか、どっちでしょう。ちなみに、どのクラスでも日本人は結構試験の点数はいいんですよ。だてに、受験勉強で点数の取り方を学んでいるわけではないということでしょうか。 昨日の、諸聖人の祝日のミサは大勢の人がミサに来ました。私は寝込んでいたので、夕方6時のミサを共同司式したのですが、そのとき感じたのは、きっと諸聖人の祝日と今日の死者の日は、日本で言う、お盆みたいなものなのでしょうね。イタリアは非常に家族の絆の強い国民らしく、それは日本よりも強いみたいです。結婚して、家を出ても、週に一度か二度くらいは、家に戻ってきて、一緒に食事をするというのは普通みたいですし、子供の洗礼式とか、結婚50周年とかには、人がいっぱい来ますからね。洗礼式で30人くらいで、みんな家族といっていますから、結構遠いところまでを、家族と呼ぶようですね。そのミサの中で、聖体拝領のとき、多分孫だと思いますが、おばあさんの手を引いて、こっちにくるのですね。彼はまだ小さいので拝領できないのですが、おばあさんを前にいる司祭のところまで、連れて行くのが、彼の役目みたいで、なかなか頼もしいというかなんというか、いい風景でした。写真撮れたら、結構いいショットだったのになぁ。まあ、私は御聖体を配っているので、撮れないのですが。 そして、ミサの最後に、主司式の司祭が、私たちの先祖のために祈りましょうと呼びかけると、聖堂が一瞬シーンとなって、その静寂がしばらく続いたのは、やはり人間が、先祖のおかげで、今生きているのだという、私達がついつい忘れてしまいがちなことを、皆がふと思い出したからだと思います。「死とは何か」という難しい問いに答えていく前に、先祖を通して与えられた生を、今生きている私達はまず感謝と、そして賛美を捧げるのは、素晴らしいことだと思います。11月の死者の月は、死者のためというよりも、この世で生きている私たちと、永遠の命を生きている先祖、兄弟、姉妹たちとの絆を、見つめていくのに、ふさわしい時だと思いました。 あまり起きていると、また頭痛がひどくなるので、今日はこのくらいにします。おやすみなさい。
2006.11.03

昨日、途中で終えてしまったので続きですが、今日はイタリアは祝日でお休みです。諸聖人の祝日だからです。大きな祝日なのは理解できますが、国民の祝日になるとはねぇ、すごい国です。 そう、それでジョットの鐘楼を降りて、へとへとになったので、しばらく街中を散策していました。いわゆる美術館めぐりもいいと思うのですが、町を見回ってみるのも楽しいものです。町の中心はいわゆる観光地ですけど、ちょっと歩くと、いい感じの町並みが現れます。その中でも、ポンテベッキオの見える橋はよかったですね。ポンテベッキオって、直訳すると「古い橋」ですけど、確かに古そうでした。決して橋も川もきれいではないのですが、いい感じに調和していると思いましたよ。 結構長い間、街中を歩き、ジェラートとか食べながら、ぶらぶらしていたのですが、ミケランジジェロ広場のある少し小高い丘に登りました。町を見下ろすことが出来ていい感じです。h 夕方になってきたので、夕焼けの写真も撮ってみました。 日本人が多くて、観光客が多くて、少しざわざわした感じがある町ですけど、ヨーロッパという感じがしていいですねぇ。日本人が多く訪れる理由も分かります。結構日本語も通じますしね、珍しく…。教会も多くて、距離も比較的近くにあるから、いいですねぇ。 そして、最後に今回の目的であったビアート・アンジェリコ(福者になったので、フラじゃないそうだ)のお告げの写真を載せておきましょう。 サンマルコ美術館にあって、階段を上るといきなり現れるこの絵を今回見に行ったんですよ。やはり本物はすごいですねぇ。しばし、みとれていました。ちょっと観光コースから離れていて、時間がとられますが、フィレンツェに行ったら、絶対に行ってくださいね。とりあえず、フィレンツェ報告はこのくらいにしましょう!
2006.11.01
全10件 (10件中 1-10件目)
1