全4件 (4件中 1-4件目)
1
大手の事務所は意外とブラック大都市の大手の事務所は,若手の修習生を大量に青田買いする。希望に燃えて入所した新人弁護士は9時5時で仕事をさせられる。そして,能力的,体力的,精神的についていけない弁護士は櫛の歯が欠けるようにドロップアウトしていくのである。もちろん,5時というのは,朝5時である。
2019.11.30
コメント(0)
修習期だけで順列決めちゃう司法試験に合格すると,司法研修所で研修(司法修習)を受ける。この司法修習の開始時期を修習期で表し,現時点での最若手は72期。順列を決めるときは,修習期を基準にすればまず間違いない。初対面の弁護士が自分より若く見えたが,修習期が上(先輩)だと知った途端に敬語を使いだしたりする。
2019.11.26
コメント(0)
大学を卒業してから,編集関係の仕事を経て,20年以上前職を勤めた。詳しくは書けないが,仕事ではたくさんの弁護士と付き合ってきた。立派な人もいれば,そうでもない(というかひどい)人もいた。これまでの経験を踏まえて,「弁護士あるある」を考えてみた。しゅんしゅんクリニックPの「ヘイヘイドクター」の替え歌にできるようにしたので,各種余興で使う際は,「ヘイヘイロイヤー」として使っていただきたい。
2019.11.26
コメント(0)

昨年10月からブログの更新が止まっていたのであるが,実は10月に仕事を辞めた。久々の更新である今回は,仕事を辞めたわけを振り返ってみたいと思う。まあ,更新を待っている方がいるはずもないのだが,とりあえず書く。人生にはライフイベントというものがあって,結婚だったり,親の見送り(介護・相続)だったり,子育てだったりするのだが,それはそれなりにお金が発生する。だからコツコツと貯金やら資産運用やらをしないといけないのである。数年前に両親を見送った。幸いと言うべきか,介護らしい介護はなく,無事に葬儀を終えて,相続税も支払った。遺産もたいした額ではないが,土地を相続したので,私名義の建物とともに,住む場所は確保できた。親を亡くすことは寂しいことではあるが,自由の身になったということでもある。自由になったからには,誰と付き合おうが結婚しようがしがらみはない。とはいえ,結婚生活を2回破綻させた私である。結婚しないと決めたわけではないが,結婚に向かない人間なのではないか,という思いもあった。一人暮らしが長くなると,気ままな生活にもそれなりの心地よさを感じたりする。唐揚げが食べたいと思ったら,買ってくればいい。唐揚げが食べたい気分で帰宅したら,夕食が湯豆腐だったという悲劇もない。それでも,結婚という夢をあきらめきれずにいた。マズローの言うところの,承認=結婚だと思っていたからである。仕事は順調ではなかった。それでも,だましだまし続けてきた。あるとき,偉い人が急に仕事を降ろしてきた。それは,業務の電子化とキャッシュレス化を推進するというものだった。業務の電子化とキャッシュレス化には反対しないが,現場の負担を大きく増やすだけで,コストの増大も容易に予測できた。打ち合わせの会議で,実務上の問題点を指摘し,偉い人方針でやるべきではないと反対した。すると,偉い人は「事務局風情が口を出すな」と言うのである。同僚からの援護射撃は一切なかった。そして,数ヶ月後に異動を命じられたのである。私は仕事に対する意欲を失った。仕事というのは弁護士の使いっ走りみたいなものだったのだが,個人の裁量というのは全くなかった。正確に言うと,かつてあった裁量はシステムに厳格化や弁護士の介入によって,定型的な業務に成り下がっていた。職業性ストレスモデルに,JDCモデル(カラセック)モデルというのがある。簡単に言えば,仕事の裁量がないとストレスが高まるというものである。さらに,職場環境によってストレスが増減するのであるが,職員にその考えはなかった。JDCモデルについては,機会があれば詳述したいと思う。体調は悪くなる一方だった。夕食がおにぎりと日本酒だけだったり,お腹が張ってCTを撮ったりした(異常はなかった)。精神的にも良いことはなかった。一定期間休職してみたが,良くなる兆しは見えなかった。体調は悪い。仕事もうまくいかない。親も見送ったし,結婚もできそうにないから,お金のかかるライフイベントも予定されていない。こうなれば,選択は一つ。退職であった。最終勤務日の定時後に職員の前で挨拶する機会をいただいて,長年お世話になったお礼を申し述べた。職員代表から花束をいただいたが,こみ上げるものもなく,涙することもなく,感傷的になることもなかった。しばらくは,仕事から解放されてのんびりしようと思った。
2019.11.04
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1

![]()
