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もない空間にセロみたいに りんご を生じさせるわけではない。 それは、車を運転していて ジュースが飲みたいなと思ったときに コンビニの看板をみる トイレに いきたくなったときに トイレを見つける。 それまで 見ても意識に上がってこなかったものが 意識化される。 本屋をやっていたときに 何をやってもうまくいかず ハンコのフランチャイズというものを考えたことがあった。隣街でネットで知り合った人が それをしていたのだ。 うちのまちには、ハンコを売っているところなんてなかったと思ったが、それを意識するだけで5軒以上見つかる。それまで、僕の頭には ハンコを売っている店はなかった。 気がつかなかっただけでしょ というかもしれない。 まさに その通りです。気がつかなかっただけですが、気がついていることのみが世界を構築する。 だから、何に意識を向けるのかが大切なのです。 意識を向けるものが現実になるということは、私が世界であるから、 意識を向けたもの=私 となる 浮浪者に意識を向け続けていれば どうなるか 病気に意識を向け続けていれば どうなるか 「お金に意識を向けていれば お金持ちになるの?」 それは、求めれば 求められず、与えることに意識すれば 与えられる。 まあ 無意識にある状態をイメージできれば そうなると思うが、 たいていは、求めているから 求めている状態が創造される。 求めずに ある状態をイメージすることは 無理といってもいい。 あなたは病気にはなれるが お金にはなれるとは思っておらず 単に欲しいだけだから意識の向け方 のとらえ方は違うのだ。 右手をお湯、左手を氷水にいれて 両手を水に入れれば、その水は 熱いか冷たいかわからないというのは、 感覚が内にあるということで、外にあるわけじゃない。 世界もその感じ方にあるので 外にあるわけではなく 内にある。 我々は 内側の世界を覗き込んでいるに過ぎない。 その 風船の内側のよう
2008.09.30
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変わろうとするから、苦しい。 僕たちは、競争に勝って いい学校にはいり いい会社に入り その会社でいい成績を残しいい家庭を持って いい子供を育てることが 求められているようだ。 ある 状態と いまの状態を比較して、 あるべき自分と あるがままの自分を比較している。 それは お金持ちな自分と そうでない貧乏な自分でもいいのだが もう少し お金があれば幸せなのに と いつも思っている。 すると、もう少し お金があればという状態が いまここで すでに創造されている。 単純なんです。 想いは いつも すでに 実現している。 想う事でそれが、満たされるという成功哲学は、インチキだろう。 例えば、貧乏だな~と思うときは すでに貧乏でしょ。 失恋したな 失敗したなと思うときは すでにその状態にある。 そして、それに意識を執着させるから さらに失恋し、失職し 失敗する。 えらそうなことも たまに書きますが、僕が出来ているかどうかは、日記を見ればわかるように、出来てはいない。 試験に落ちれば 凹む。泣く。 ただ、なるべくそういうことに執着しないようにはしている。 子供のように 泣いて すぐ 笑えることが 感情に執着しないことだと想う。 そういう意味でも 記憶=自我。 子供は、記憶力はあるけれど 記憶はただあるだけで 執着はあまりない。 より正確には 自我=執着した記憶 なのだろう。 だから、自我が消滅すれば、いま ここ にいることになる。 記憶がなければ、反応もない。 執着=欲望=自我の拡大=苦悩・不安 僕は、すでに満たされているには、欲望の輪を小さくすればいいと書いたが、それは もちろんそうだが 満たされている心の反映としての、世界が 表出することでもある。 何もないというものではなく、満たされているのだから、溢れている世界。 それは、個々人によって違うだろうが 愛に満たされてるのか 幸せに満たされているのか お金に満たされているのか すでに 満たされているものに 満たされてるのだ。 求めれば得られず 与えれば得られる。 しかし、それは すでにあるのだ。 お金がないという人には すでにあるのだが、気づかない。 愛がないという人も すでにあるのに 気がつかない。 満たされてるものは 空気のように気がつかないのだ。 それを、わざわざ 求めることにより 失っているに過ぎない。 欲しいものは 与えることです。 気づくとは、他の何かに 気がつくことではなく すでに あったことに きがつくことです。 変わらなくていい すでに そうであったと 気がつくこと。 変わろうとする 気持ちが どこから来ているか? どうして 変わらなければ ならないのかを 自分に問うてみること。 まず最初に 満たされていることに気がつかないで 何か 欠けているものを埋めようと外に捜すこと(慾望)が最初にあったのでは、見つからない。 幸せの青い鳥は 森ではなく 家にいたことに気づくこと、 宝の山は 努力や頑張りによってもたらされるものではなく すでにあることに気づくこと。 世界は 私そのものと 気づくこと。
2008.09.30
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変わろうとするから、苦しい。 僕たちは、競争に勝って いい学校にはいり いい会社に入り その会社でいい成績を残しいい家庭を持って いい子供を育てることが 求められているようだ。 ある 状態と いまの状態を比較して、 あるべき自分と あるがままの自分を比較している。 それは お金持ちな自分と そうでない貧乏な自分でもいいのだが もう少し お金があれば幸せなのに と いつも思っている。 すると、もう少し お金があればという状態が いまここで すでに創造されている。 単純なんです。 想いは いつも すでに 実現している。 想う事でそれが、満たされるという成功哲学は、インチキだろう。 例えば、貧乏だな~と思うときは すでに貧乏でしょ。 失恋したな 失敗したなと思うときは すでにその状態にある。 そして、それに意識を執着させるから さらに失恋し、失職し 失敗する。 えらそうなことも たまに書きますが、僕が出来ているかどうかは、日記を見ればわかるように、出来てはいない。 試験に落ちれば 凹む。泣く。 ただ、なるべくそういうことに執着しないようにはしている。 子供のように 泣いて すぐ 笑えることが 感情に執着しないことだと想う。 そういう意味でも 記憶=自我。 子供は、記憶力はあるけれど 記憶はただあるだけで 執着はあまりない。 より正確には 自我=執着した記憶 なのだろう。 だから、自我が消滅すれば、いま ここ にいることになる。 記憶がなければ、反応もない。 執着=欲望=自我の拡大=苦悩・不安 僕は、すでに満たされているには、欲望の輪を小さくすればいいと書いたが、それは もちろんそうだが 満たされている心の反映としての、世界が 表出することでもある。 何もないというものではなく、満たされているのだから、溢れている世界。 それは、個々人によって違うだろうが 愛に満たされてるのか 幸せに満たされているのか お金に満たされているのか すでに 満たされているものに 満たされてるのだ。 求めれば得られず 与えれば得られる。 しかし、それは すでにあるのだ。 お金がないという人には すでにあるのだが、気づかない。 愛がないという人も すでにあるのに 気がつかない。 満たされてるものは 空気のように気がつかないのだ。 それを、わざわざ 求めることにより 失っているに過ぎない。 欲しいものは 与えることです。 気づくとは、他の何かに 気がつくことではなく すでに あったことに きがつくことです。 変わらなくていい すでに そうであったと 気がつくこと。 変わろうとする 気持ちが どこから来ているか? どうして 変わらなければ ならないのかを 自分に問うてみること。 まず最初に 満たされていることに気がつかないで 何か 欠けているものを埋めようと外に捜すこと(慾望)が最初にあったのでは、見つからない。 幸せの青い鳥は 森ではなく 家にいたことに気づくこと、 宝の山は 努力や頑張りによってもたらされるものではなく すでにあることに気づくこと。 世界は 私そのものと 気づくこと。
2008.09.30
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留さんのDVDに時間について話しているものがある。 時間は 逆向きに流れているということで、 皆さん、めをつぶってください、 小さな点をイメージして、それを地球くらいの大きさまで広げてください。 そして、それを もっとひろげて 太陽まで届かせてください。 はい、めをあけてください。 今度は、太陽を見てください。 今見ている太陽というのは 8分前の太陽ですね、そうですね「そうで~す」 でも、意識のなかでは 未来に向けて太陽のところまでひろがったわけです。 とまあ、わかったようなわからないような説明なんですが 意識では未来に向かって時間の感覚があるが、 現実の世界では見ているものは、過去なんだ ということなのだろう。 時間に関しては、この間書いたように、 未来から過去へ流れているが、 それを、隣の電車が後ろのほうに動いているのをみることにより、自分の電車が前に進んでいるように思えるわけです。 もちろん、本来は 過去も未来も 現在もないのでしょうが、空間に奥行きがあるように過去も未来もあるように感じる。 その感覚が、隣の電車が動くということ。 我々は、きっと 動いていない。 世界の動き(地球の回転)が、時間の感覚を 電車の動きのように錯覚させる。 誰しもが、意識において年を取ったと感じることはなく、体の衰えや見栄えによって、年をとったと 感じる。 そもそも、そういうもんをみなければ 時間の感覚などないだろう。>もう一つ、津留さんの言う時間の話は 黒板にチョークで線をひくものだ。 ある点から 線を引くと 時間の感覚はあるが 引いてしまった線を一度にみると そこに時間の感覚はない。 すべてが、一度に みえる、過去も未来も現在もすでにそこにあるというのだ。 この感覚もなんとなく わかる。 ただ、この次元では線を引く=動く=変化=自我があるということで 上次元の視点からは それらが 一度に見えるということ。>そうそう、最近少し瞑想をしているのですが、 瞑想するときにからだを 動かさないから、 自我が静まる。 子供は動いていないと直ぐ寝てしまうように、自我=動き=変化=時間・空間といえる。 体の動きを止めることにより、自我は活動が出来なくなる。 まだ、何分の世界ですが、空いた時間に少しやっ
2008.09.30
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は、不景気だからである。 夢を叶えるゾウを筆頭に シークレット、引き寄せの法則等々 ことしもまた、あたらしい成功法則が売れている。 トイレ掃除 ありがとう 原因と結果 ついてる は、流行おくれになってしまった? 思うに、生活が苦しく はたらけど働けど 暮らし楽にならざりきで ようやく、政府の 弱者切捨て政策に気がついた人々が、このままではいけないとおもって成功本を読む。「去年は、ジェームズアレン読んだね、世の中原因と結果ってよくわかったよ。ことしは、もう引き寄せの法則も読んだ、心が引き寄せるんだね。 次は、どんな成功法則本がでるか楽しみだね」 という風に、次から次へと成功本を買っている。 好い加減 目覚めなさいexclamation ×2 小学校の先生が このせりふを言うドラマは面白かったが、 求めれば求めるほど 逃げるわけでね、 最初に、欲望を自分の枠のなかに入れるだけですむのに、その欲望に向かって努力することが生きがいになっている。 だから、こういう本がいつまでも売れるわけです。 本当に一つの成功本があれば、後から出ることはないだろう。 それで、成功すれば 成功するための本を買う必要がないのだ。 だから、あらゆる成功本は インチキマジックと同じで、その気にさせているだけ。
2008.09.30
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すでに満たされていることとは 何に すべてに 愛 幸せ お金 望み エトセトラ 津留さんはこういう言い方はしていなかったと思うが、小欲 知足。 欲を小さくして、満足を知れば すでに満たされているので、欲をかいてあくせく努力し頑張らなくてもいい。 それを、マスコミや教育・資本主義の思想が否定している。 もっと もっと 成長しなければならない。 いっぱい 働いて いっぱい儲けなければ 生きている意味がない。 そういう思想のもと、「どうしたら 欲を満たせるか?成功できるか」と多くの人は情報を探している。 そういうなか 売れているのが「引き寄せの法則」であり勝間さんの本なのでしょう。 どうすれば、成功できるかの方法が 満載ですね。 名前どうり 勝てる人は 勝間さんくらいの一握りのかたで、多くは勝間さんの本を読んで夢見ているに過ぎない。 自分にも言い聞かせるようにかいているけれども、変わろうとする原因には欲がある。 比較があって、いいほうを 取ろうとしている。 しかし、そもそも どうして いいほう悪いほうがあるのかを考えることはしないのだ。 車が欲しい どうして どうしてどうして 別に車がなくても 困らないのに欲しいのはどうしてだろうか? 家を購入しなくても賃貸でいいのに いえが欲しいのはどうしてだろうか? どうして どうして 問えば 誰かが持っているとか、テレビで見たとか 他人の欲望を鏡にしているだけ。 小欲 知足 をすすめて 清貧の生活をしようというのではない。清貧の生活も それはそれで 面白いだろうが、そうではなく 世界は 意識の表象なので 満足している心が 満足している世界を 創造するexclamation ×2 あなたは、いままで 何かを求めて欲望してきました。そのため、完全な円(満足の象徴)をかけたものにしている。 その欠けたものを、自ら作り出しているに係らず、その埋め合わせをしようと努力してきました。 しかし、そもそも欠けた物などなく、完全なのです。 他者によって、不完全なものと思っているだけなのです。 小さいかもしれないが、完全な円である以上、変わる必要がない。 だから、自分のしたいことをして したくないことをしない。 しなくてもいいことをするのが 楽しいわけで、しなければならないことをするのを やめる。 だが、たいてい 何がしたいかわからないことが多い。 そして、楽しい仕事 つまらない仕事が 現前の世界に存在しているわけでもないのだ。 あなたが 面白いと思うかどうかであって、仕事のほうにそれはない。 だから、いましていることを 好きになれればそれがいいわけです。 仕事を変わるにせよ、いまの仕事が嫌いでやめたら次の仕事も嫌いになるだろう。 そとに いいや悪い 好き嫌いは ない。 みんな あなたが 創り出している幻想に過ぎないのです。 もう 何も否定しない 仕事も他人も 自分自身も。 精神世界で最初にわかることは、この世界は鏡であるということです。 笑えば笑い 泣けば泣く 欠伸も映り、類は友を呼ぶ。 嫌いな課長は、あなたにだけ怒りの顔というのは、課長が怒っているのではなく あなたが課長の顔を写している。 その証拠に A子や他の人には笑っている。 課長があなたを嫌いなのではなく、あなたが課長を嫌っているのだ。 その想いを浄化するだけで、明日は課長から 挨拶してくるだろう。 それが、とっかかりなのです。 物質的世界のなかのちっぽけな存在ではなく、私が世界 あなたが 世界。 あなたの想いが世界を創造していると知ること。 だから、変わらなくていいのです。好きなことをしていいのです。 世間なんてないのです、自分で自分を縛っている鎖を解き放てexclamation ×2
2008.09.30
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何故、この世界では 想いがすぐ 現象化しないのか? 心=世界=鏡であれば 想いが現象化しないほうがおかしい。 そこに、抵抗 が あるから。 津留さんがよくいう たとえに 飛行機のエアポケット アイススケート がある。 アイスバーンでもいいけれど、抵抗がないと 先にすすまなかったり とんでもない方向にいったりして非常に危険である から 神様は この世界から 抵抗を取ることはないという話がある。 天国でも霊界でもいいけれど、意識の世界では 夢の中のように どこにでもいけるし、何でも手に入る 無限の時間と空間がある。 だから、変わりようがないというか 進歩がないというか 面白くもなんともない世界。 いがいと 天国と思っているところが 地獄で 地獄が 天国だったりしてね・・・。地獄のほうが 思い掛けない出来事が ありそう。 ダンテの地獄編ではないけれど、探検するなら地獄でしょう。 天国を探検してきたなんていう 小説は聞いたことがない。きっと、面白くない。 で、この世には抵抗がある。 ダカラ、願いが叶うのに ちょっくら時間がかかる。 そして、その時間こそが ワクワクの経験であり どきどきの体験なんだね。 抵抗があるから、楽しい。 もっといえば 苦労や 苦難や もうだめぽ という気持ちが生じるから、面白く楽しい。 七難八苦 我に向けたまえ といった武将もいたけれども、 苦労や 努力が 楽しいのかもしれない。 いままで 頑張らない 努力しないと 言ってきて、矛盾するようだけれども もちろん、この苦労や努力というものは やりたいことを成し遂げるために ワールドカップに出場することや 不動産鑑定士になることの 旅の途中のできごとを指しているわけであって、したくないことを 無理してやる努力とはまったく性質のちがうものである。 言葉の使い方が、難しいが 抵抗は なくならないんだ。 そして、その抵抗こそが 楽しさを与えて
2008.09.30
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成功しなくちゃならない。 お金儲けしなくては いけない。 幸せにならなければならない。 ~しなければならない。 だけど、いいじゃないの いまが 幸せならばわーい(嬉しい顔) こういう 歌が昔は あったんだけどね。 欲を満たす成功より、欲を少なくすれば 誰でも いま ここで 満たされる。 すると 変わらなくてもかまわないわけで、いまを 否定しなくてすむ。 すると 楽。 すると 満たされた思いの反映が 世界に生じる。 それは 世界=私だから 当然のこと。 いま に 満足、満ち足りること。
2008.09.30
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仕事がない お金がない 生きていけない どうしよう。 という 悩みがあるとする。 とりあえず 全部受け容れることがいいと思うのだが、たいてい 受け容れられないわけで、受け容れないから悩んでいる。 以前、貧困の生活をしていた頃、これも 何度も書いていて恐縮なのだが よく ホームレスの生活のテレビを 見ていた。 ホームレスになったとき どこで 食事をすればいいのか 寝床はどうやって造るのかを 熱心に見ていた。 引き寄せの法則ではないけれども あのまま 研究し続けていたら どうなっていたかわからない。 鏡ですから 見ているもの 思っているものが 創造される。 「ああっ 思ったとおり 宿無しになった。研究していてよかった」 なんてことに なっていたかもしれない。 将来に対する不安を いま 恐れているから いま その 恐れの反映の現実が 生じる。 仕事がない お金がない 生きていけない という恐れに意識を向けているから、その反映としての世界が 生じている。 しかし 本人は この物質空間のなかにどっぷりつかっているために そんなこと いったって 仕事がないー金がないー生きていけない のは論理的に必然だと思う。 しかし、いまは 生きているわけで、お金もまったくないわけではないだろう。 世界で一番貧乏ではないはずだ。 病のときは病になって 死ぬるときは 死ぬがいい と良寛も言っている。 それが、災いを避ける方法なんだ。 いまの自分の意識の向け方は 一体どこにあるのかを 観察する。 ホームレスにいっていないか 仕事がないことにいっていないか 想いが現実ですから、想いに注意をするほかないのに、自ら いまの苦境を作り出していることに 気がつかない。 頑張れば なんとか ならない世界であり 努力しても 報われない社会である。 頑張りや努力は 修行のときに 言う言葉。 頑張らない 努力もしないで いまの ありのままの自分を受け容れる。 受け容れないのは 誰かと比較しているに違いない。 苦しみを 創り出しているのは 誰なのか? 恐れているのは 誰なのか? あなたが 思うことにのみ 苦しみや恐れ 悩みが生じる。 比較することをしなければ そして そんなことはする必要がないのに 刷り込まれているだけなのだが あなたは すでに 満たされている。 だから 求めなくていい 与えても 与えても 与えつくしても 枯れない泉のように 満たされている。 それは すでにあるのに 気がつかないだけ、 外には 何もない、すべ
2008.09.30
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想念のコントロールによるいわゆるイメージ法の最大の問題点は、自己の理想、自己の願望というものを、一般的な既成の概念のなかから選ぶことになってしまうということである。そのため、どうしてもとらわれが残り、思いがけぬ発想の閃きや玄妙な技術の上達への道は逆に閉ざされてしまう傾向がある。」 これは、実現君が甲野さんの本から引用しているところです。 何が問題かというと、いまの願望というのが これまでの体験や経験から来ているものに過ぎないということ。 いま 何かになりたいと 思うのはこれまでのみたり聞いたりしたことからの 願望。 追体験とはいわないまでも、記憶からでていることは間違いない。 まあ たいてい みたり 聴いたりするものに なりたがる。 そうではなく、いままで経験しなかったこと 考えもつかないような 体験というのはそもそも 願望実現のテクニックにはない。 しかし、本当にわくわくするのは 何が起こるかわからないこと。 え~、ミカ 三中 わーい(嬉しい顔) 例えばね、森三中はびっくりしただろう。 何が起きるか わからない。 何かを 願望して それを 引き寄せるのではなく 毎日 ルーティンワークではない 日々新たな 経験を することこそ わくわくすることはない。 いままでの観念のなかからの発想では お金持ち になること とか 家 をもてること とかが願望かもしれないが 記憶の反映ではない そのことが起きてから「ああ こういうことを 望んでいたんだ」という 経験をする。 それには、なんども書いているように 心のなかにしまってある(潜在意識)ガラクタな記憶を 浄化しないと無理だろう。 その無意識の体験に執着しているために それがいま ここに 現れている。 その現れた現実にまた 同じように影響されているだけなんだ。 その呪縛から逃れるのには、 感情がわいてきたときに 想いが出てきたときに その想いを浄化する。 記憶への執着を なくす。 もともとないものを あなたが ただ執着しているだけなので あなたが その呪縛から逃れるのには 自ら浄化しないと 執着はとれない。 まさしく 亡霊のように なんども現れるのだ(この 世界の現実として) きのう 4つの約束という本をめくっていたら 女の子が 大きな声で歌を歌っていて おかあさんが 頭が痛く「へたくそねえ 人前で歌うんじゃないわよ」と 何気なくいった言葉によって その子は 歌うことをしなくなったという。 そういういろいろな言葉が 刷りこまれ教育されてきました。 あなたは~だ と 言われることにより それを 受け容れてきました。 だけど、他人の評価や価値観で もう 生きる必要などありません。 そういった 多くの 記憶が亡霊のようにあなたの世界を形作っているわけです。 だから 自分が それをどう思うのかを どうして どうして と問い続けてもわからないわけです。 そんな理由など はじめから なかったわけで 単に刷り込まれたに過ぎない。 だから、そういった 欲望を 等身大にすれば 多くの悩みは消えると思うし、世界から そういう現象が 消える。 想い=世界 このことは、そう思うようにとか ではなく、
2008.09.30
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> 読みながら失礼ながら笑ってしまいました。クレンジングすべきは、その「分不相応の」という決めつけです。分不相応だという思い込みがなくなれば、あとはそれほど難しいとは思いません。逆に、そういう決め付けがある限り、何をどうやってもうまくいかないと思います。マイホーム以外でも、たとえば「体重を30kg減らしたい」という願望の場合、これを声に出して言ってみれば、「それは絶対無理。5kgでも難しいのに、30kgなんて想像もできない」という反応が出てくると思います。その反応こそがクレンジングの対象です。 人の日記に勝手にコメントしているわけですがわーい(嬉しい顔)、すばらしいですね。 クレジング=浄化 であり、一般に人が陥りやすい思考法を指摘している。 できっこないという想い を 浄化するということ。 最初に いろいろな想いの浄化をしないと、私=世界ですから すっきりとした世界になっていない。 だから、お掃除をしようということ。 もちろん部屋の掃除も、私=世界だから効果があるのだけれども 心の整理が 最初にないと こんなふうではなかったということになる。 無意識の願望が いろいろ 実現し続けている。 お金持ちになりたい という 想いが 無意識にあるから いつまでも 変わることない いま を創造する。 無意識は 意識化にないわけですから 浄化できないわけで そういう想いがでたときに 浄化するほかない。 想いが すべてですから。
2008.09.30
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http://jitsugenkun.jugem.jp/?eid=21 「すべては うまくいっている」 読み返すたびに、実現君のブログはいいと思う。 すべては、想い通りに実現している。 だから、お金が欲しいから 成功哲学を読んで実行する人は、 思い通りに お金が欲しい状態をいま 現実化している。 将来ではなく、いま、すでに 現実に 「お金がない」状態を創造している。 寄付をしても 「見返りないんですよね」と感じても それも やっぱり 寄付をしても お金が入らないという 想いを すでにいま 現実にしている。 では、どう思えばいいか ということを 書き続けているわけですが、 いま この 状態が すでにみたされていると 感じること。 すでに お金持ちになっていること。 考えようによっては、「過去形で願う」ということと形は似ている。 しかし、願うわけではない。 すでに、満たされえていたことに 気づく。 いまが どんな状態であっても、満たされていると 思うようにしようというのではなくそのことに 気づくこと。 そもそもの 想いが、間違っていたということ。 成功したい お金持ちになりたいというのは、比較であり相対的な思考からもたらされているものであり、満たされることはない。 100万円あったら幸せなのにといって、100万円たまってもそれに満足することはない。 他者の欲望を、満たそうとしているから、満たされることはない。 だから、いまがどんなに貧乏かと嘆いても、自分がそう思うだけである。 貧乏と思うことで その思考が いまを貧乏にしてしまうだけ。 いま 満たされていると思えば 貧乏とは思えない。 そのテクニックとして 寄付行為があるわけですがね。 絶対的な貧乏ということはなく、自分が貧乏と思うこと その想いこそが あなたを 貧乏にしている。 「そんなこといったって、この貧乏の状況から抜け出せないだろう」 もちろん、抜け出せるわけがない。 なぜなら、あなたが そのように思っているからです。 世界は、あなたのおもうように あなた個人の世界を構成している。 あなたが 貧乏かどうか判断しているのは 誰かということ。 その判断している人が、貧乏ではないと思えば、あなたは貧乏ではないわけで、 この世界は 個々の価値観で構成されている。 空間的にいうと あなたは世界の中心なんどにおらず、 世界の端から シャボン玉の内部を覗き込んでいるようにみているだけです。 なんどもいいますが、世界はあなたの想いでできている。 だから、あなたの想い・価値観を 観察し いらないと思えば 浄化する。 記憶に対する執着を 手放す。 出さねば 何も入らないのに、 出さずに 入れようとしないでください。
2008.09.30
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http://jitsugenkun.jugem.jp/?eid=57#top 実現君の日記のなかでも、とりわけこの日記はいい。 何度も紹介していると思うけれども、僕は、実現君のブログで津留さんを知りました。 そして、書店で成功哲学の本を買うのだったらこの 実現君のブログを読み返したほうがいい。 彼は、津留さんの本を読んで 年収を10倍ではなく 100倍にしたという伝説の方だ。 僕も、このブログを読んで貧乏であったが、寄付をしようと決意したのだ。 貧乏だから 寄付などしないと思っていた。 貧乏なのに 寄付など出来るわけないと思っていた。 寄付は もらうことは あっても したくはなかった。 だって、そうでしょう。一体なにに 使われているのかわかったものじゃない。 お金持ちが 寄付すればいいわけで、貧乏人ができるわけがない。 しかし、逆だったのです。 貧乏だから、寄付をしない × 寄付をしないから 貧乏 ○ 結局、実行して見て どうなのか、自分で判断するほかない。 付け加えて コンビニで小銭のお釣りは 効果がない。 財布から お札を 寄付する。 余ったお金ではなく わざわざ 寄付をすること。 これは、「与えたものが 与えられ
2008.09.30
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マハラジ あなたが 成りたいもの、あなたはすでにそれなのだ。 何も 望んではならない。なぜなら あなたは何ひとつ欠いていないからだ。 探すという行為自体が、見つけるということを 妨げるのだ。 理解すべき主要な点は、あなたがあなた自身の上に 欲望と恐れの記憶をもとにした、想像の世界を投影したということだ。 そして、そのなかにあなた自身を監禁したのだ。 その魔法を解いて自由になりなさい。 この世界が意識のスクリーン上に、あなたによって描かれたものだということは 疑い得ないのだ。 そして、それは あなたの個人的な世界だ。 ひとたび 世界はあなた自身の投影だと悟れば あなたはそれから自由だ。 いかにその絵が美しくとも あるいは醜くとも それはあなたが描いたものであり、 あなたはそれに、束縛されないのだ。 誰もあなたにそれを押しつけれはいない ということを悟りなさい。 それは、想像を現実とみなす習慣によるものだ。 想像を想像として見なさい。 そして恐れから 自由になるのだ。 このカーペットの色は光によってもたらされたものだが、光がその色ではないように 世界もあなたによって現れたが あなたが世界なのではない。>欲望によって起こった事は欲望から自由になることによってのみ、取り消すことが出来るからだ。 あなたは 自分自身を時間と空間の中に閉じ込め、人生という期間と身体という容器の中に自分を押し込めてしまった。 以上引用
2008.09.30
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空間認識を変化させるには、反転という概念を知る必要がある。 といっても、難しいことではない。 スーパーの袋でも ソックスでもいいから 手で持つ。 そこから 無限の宇宙まで広がる空間があると考える。 そしたら、それを 裏返しにする。 そのときに、すべての 宇宙が ソックスのなかに織り込まれると イメージしよう。 すると、ソックスの内側には すべての宇宙が入っていることになる。 そして、それを 覗きこむのだ。 簡単にいえば これが 反転の概念。 我々が見ているのは この ソックスの内側のような平面的 閉ざされた宇宙なのである。 それが 固有のものであるから 私=宇宙=心象風景 といって
2008.09.30
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だから、携帯電話の音がいらいらする人は、浄化をしたほうがいい。 そうすると 一つ いらいらな現実がなくなる。 しかし、いらいらしない人は 当然 する必要がないのである。 一つ一つ 手放していけば いらいらが なくなるのである。 そのいらいらの原因は あなたの想い 価値観にあるのですから。 結局、浄化というのは 二つに分けたものを 一つにする 方法なんだと思う。 いいと悪い まあ 一番根強く在る考え方でしょうが、二つに分けて考えないというかそういうものは ないと 知る。 二つに分けているのは、我々の価値観なのだ。 イマジンでジョンレノンが歌っているように 国境なんてないわけで 恣意的に線を引いているだけ。 その線を消していくのが 浄化の作業。 ヌース的にいえば 等化。 津留さん風にいえば 二つに分けた境に上ってみると どちらも同じと知るから、その山をどんどん削ること。 自我=言葉=世界=時間・空間 言葉を覚えることで 自我が発生し 記憶することで、時間と空間を認識するようになった。 はじめに 言葉 ありき。 そもそも 言葉というのは りんご と それ以外を二つにわけるもの。 言葉そのものが、二元論に立つので なかなか 伝えられない。 ですから、一つを感じるには 言葉であらわすことはできない。 この世界とは 自我が言葉により 在ると思わせているバーチャルな空間。 だから、想いを言葉にすれば それが 世界に反映される。 だけど、その言葉を ~したい という欲望の言葉で願うから、その願いは叶うことはない。 ~したい状態を すでに 今創造している。 だから、すでに 満たされていることを 知る。
2008.09.30
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この世界は我々の想いで出来ているので いらいらな感情が生じれば、必ず いらいらすることを 再び 見る。 それに、また反応すれば さらにいらいらする ことが生じる。 だから、 持つものは さらに 持ち 持たざるものは 持っているものまでも 取り上げられるであろう。 聖書 この仕組みに気がつかないと どんどん どつぼにはまっていく。 だって、こんなこと いわれたのに 誰だって頭にくるでしょうちっ(怒った顔) この 誰だってが 曲者なのです。 その誰だってこそが あなた自身なのです。 他人の心は絶対にわかりません、世界が違うのですから。 誰だってとかの 誰と 世間というものは、 あなたの意識が創りだした 縛る紐 に他ないのです。 ですから、自分自身の感情を 観察することが 大切なのです。 そういう意味で こういったブログというものは、自分の心のなかを覗き込むのに最適でしょう。 いい悪いはないのです。 怒ったら それを 書けばいい。 ただ、その原因ではなく 怒ったという あなたの感情が、新たな想念となり 再び あなたを怒らせようと、するだけです。 世界に起きることは すべて あなた(の感情)が 引き起こしているだけです。 ですから 幸せになりたい人は 幸せになれないのです。 幸せになりたいという想いを いま 創造してしまう。 それで、毎度のことながら 書くわけですが あなたは すでに 満たされている。 これに 気がつくこと。これで OK もう 変わらないでいい。 では 運のよくなる 方法 すべてにおいて 努力しない し 後悔もしない し 反省もない 比較しないから 頑張らないでいい いまのままで最高 変わらないでいい。 適当に生きる 好い加減に生きる 我が まま に生きる 好きなことをして 嫌なことはしないわーい(嬉しい顔)
2008.09.30
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あるがままとは 花を見て きれいという 言葉がでるまでのものだろう。 言葉に ならない 感情。言葉に できない 想い。 言葉は、どうしても 二分法の思考から逃れることはできない。 確かこのことを、西田幾多郎は絶対意識とかいう言葉を使ったと思うが、 言葉にしたのでは 伝わらないのでしょう。 僕たちは、言葉にならない感情を 言葉にして伝えるほかはなく、この日記でも言葉の羅列で、言葉以外を 伝えることは出来ない。 一つの結論として すでに 幸せであると 思える人が 幸せである ということはあるのだ。 しかし、それは、幸せになりたいと 努力しているひとに対しての思考法に過ぎないのかもしれない。 幸せになりたい人は なれないーいまを 幸せでない状態に 自らしている しかし、 すでに 幸せであるとの 想いもまた、どこかで 幸せでない状態を 意識せざるをえないのだ。 つまり 世の中に 幸せであることと 幸せでないことを 分けることなしに、幸せであると思えることはない。 言葉が相対的なものであり、より多くの幸せであるという気持ちと より少ない不幸せという気持ち をさして、幸せであると感じるほかない。 言葉は 事場 であり、その事の場所を区切るものだ。 しかし、その区切りこそが 判断でもある。 いいと悪いを 分けること、 幸せと 不幸せを 分けること、 絶対的な幸せとは、幸せという思いが ないことだろう。 だが、鏡割りが 世界を鏡と認識しないと出来ないように 世界が 言語により分節されていて、相対的思考の限界を思うことなしに、 言語を超えることはできないでしょう。 ですから、 幸せになりたいために 努力する から すでに 幸せであったことを 知り そして いきていくのに 幸せであるとか そうでないとか 分ける必要がなくなる ただ あるがまま なんだ と いう、意識の流れが必要な気がします。
2008.09.30
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あるお師匠さまに出会い、気づきがあり、それまでの苦労が報われ、いまは 幸せに暮らしていると コメントを いただいたことがあった。 それは、大変結構なことである。 しかし、もう少し お金があれば もっと幸せになれると いうのだexclamation & question そこで、僕は 一体どんな気づきがあったのだろうと聞いた。 それには、答えがなかったが、何故 お金があればいいという思いを持ってはいけないのかという。 そういう思いで、いることで よく救われたものだ。というか、救われたと 思いたいだけではないのか? 多少、きついいいかたをしたのには、理由がある。 つまり、彼女は苦しい生活から ある気づきがあって救われたと 思っているのだが、もう少し お金があれば 完璧な幸せがくると 望んでいる。 僕の考えでは、今後 彼女は それまでよりも もっと辛い体験をするはずなのだ。 もう少し お金があればという思いが出てくるということ自体、一体何から救われたというのだろう? その 欲しいという思いが 欠乏を生み出すということに気がつかないで、なんで お金が欲しいと思ってはいけないかと聞く。 僕のほうは、彼女は 幸せだと思うように 無理して思考していると 感じている。 しかし、彼女には わからなかった。 多分、欠乏の思いが 欠乏を生み、以前より困難な出来事に出会うことだろう。 それは、自ら招いていることで、より厳しい修行を選択したということでもある。 彼女は、何故お金が欲しいと思ってはいけないか?ということが、わからないままでいた。 しかし、求めるものは 失うほかないのだ。 いまが 満足でいることなしに、今後も 満たされることはない。 もちろんこの言葉のとりかたもいろいろあるが、 満たされるという気持ちと 足りないという気持ちでは、起きることが正反対なのである。 多くの成功法則では、 強く願え、紙に書け、唱えよ、 さすれば 願いが叶うという。 叶わないというのではない、一番になれることは きっと あるだろう。 しかし、その心には 満たされるものは 一つもないのだ。 努力の結果は 努力であり、頑張りの結果は 頑張りなのであり、それが途切れることがないのである。 それが、奴隷の法則なのだ。 食べても食べても 満たされない、餓鬼の世界である。 幸せになるのに 条件などないのだexclamation ×2 http://blog.livedoor.jp/gerunumber9/archives/2007-11.html
2008.09.30
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怒っている人を見ても、苦しんでいる人を見ても、見えている状態と、自分の幸 不幸がリンクしなくなります。 一切 外界からの影響を受けない人になります。 不動心を得ます。 宇宙のマスターとなります。単に、自分の内的エネルギーをお掃除するだけで・・・。 外界の影響を受けなくなったらどうなると思いますか? 外の世界で起きている事と、自分の感情がリンクしなくなったら、未来のことなど どうでもよくなります。 ですから、不安が消えます。これが、幸せな状態です。揺らぐことのない 絶対的な幸せです。 幸せは、手に入れようとすると、逃げていきます。 幸せは自らの手で勝ち取るのだと、積極的人間は前進します。でも、もうそれが うまくいかないエネルギー循環の中にあります。 「ああなろう」「こうなろう」という思いを手放してください。それは、幸不幸の2極の道です。 どんなものであれ目標を持つと、そこに快不快が生まれます。 知識を得ようとしないことです。 お金を得ようとしないことです。 もう、自我に何かをさせようとしないで下さい。>2章でも後半のこの部分は よくわかるし、その通りだと思いますね。
2008.09.30
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テクニックその2 私はもう人は救わない、自分自身を救います。 病気で苦しんでいる人や、怪我で痛がっている人を見ると すぐに助けたくなります。条件反射的に・・。 これを優しさだと思っている人が たくさんいますが、真実を冷静に見てみると、その映像を見ていることがつらくて 何とかみないですむように 手助けをしています。 苦しんでいる人を見て、自分の肉体が緊張することを確認できたら、あなたもパブロフのいった条件反射の犬と同じです。 悪口を言われたら、むっとする、これも 単なる条件付けです。条件をはずすことが出来れば、相手の言ったことを悪口だと解釈しなくなります。 怒っている人を見ても、「そんなに怒らないで」とうろたえなくなります。だって、不安に感じないのですから、そんなに怒るなよと心配しなくなります。>病気で苦しんでいる人をみれば、こちらも苦しくなるし なんとかしてあげたいと思う。 確かに、相手の体が痛がっていると こちらの体もいたく成るようだし、心も重くなる。 鏡の関係だから、そうなるんだけど、 お医者は、そういうことを考えるより、治す方法を考えるのだろう。 津留さんの言葉を続けると 条件付けの外れた人間は 苦しんでいる人を見ても 楽しんでいる人を見ても、常に同じように対応が出来るようになります。 どちらの場合にも、そのひとの望むサポートが抵抗なく出来るようになります。 どうなんでしょうねえ、 確かに 病気の人の鏡となって 一緒に痛むより、その 人のサポートができるようになったほうが、よさそうですが いまのところ 僕にはできないな。 子供が病気になったとき、親は この子供の病気を治して 自分にうつってくれと思うときがあります。 風邪とかの病気も うつすとなおるんだよなあ というのは迷信でしょうが、あるような気もするのだ。 実際 祖母が日曜日に入院して、昨日は病院で徹夜をしてきたのですが、痛そうな顔を見ると やはり 同じように 顔をゆがめてしまうわけで、こちらまで痛くなる感じがします。 この「私はもう人は 救わない。自分自身を救います」という感覚は、基本の2番目にしては、少し高度なテクニックな
2008.09.30
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僕たちは、魔法使いなんだ。 セロのように 何もない空間から 何かを出すということは出来ないが、 想いによって、世界を変えることができる。 この世界は、解釈・価値観によって成り立っているから、 自分の価値観を 変えることと 世界を変えることは 同じなのである。 嫌な上司が 好きな上司に 変ったとしたら、それは 世界が一変するできごとに違いないわけで、 それが できるのは あなたしかいない。 すべての 物や人やことに対する、評価を あなたが決めている。 まあ、この考えに行く前に 現前の世界の価値観からの脱却が必要。 つまり、この世界には いいと悪いがあって、いいほうを選択すること、いいと思うことをいつもするように 心がけること という価値観からの脱却だ。 そんなものは ない。 いいと悪いは ないのだ。 このことが 腑に落ちないと、僕の書いていることは 意味不明になるだろう。 世の中にある価値観・法律のような守るべきものがあり、それに沿って生きなくては成らないという思いが あなたを縛っていることに気づく。 本来は自由なのに、自由でなくしているのが、自分自身。 その縛っている鎖を断ち切ることが、執着を手放すことなのだ。 いいと悪いにわけ 出世し、お金持ちになり、成功して、幸せになること を追い求めること・・・をやめる。 すでに、成功し幸せであったことに 気づく。変ろうとして 努力しないでいいわけです。 いままでのままではいけないから、何とか努力すれば 変わると思って何年も頑張ってきました。 その 変ろうとする思いが 変れない今を 創造してきたことに気がつく。 たいてい、学校をでるまでは なんとなく変っているようなきがするが、社会にでたり結婚したりすると 平凡な 毎日の 繰り返しであることに 気がつく。 毎日 同じようなことを 同じようにして 生きている。そして、その変らない日常を 変えようとして努力する。 もう少し お金があれば幸せなのに、もう少し働けば楽になれるのに あなたは すでに 満たされていることに 気がつかないだけなのです。 だから、変わらなくていいのです。 そして、変らないで いまの自分の意識を満足に持っていくことで、それに見合った世界をそれは 過去からの投影である目標などではない 実現してみて ああ これが経験したかったんだという 初めての 体験を もたらしてくれる。 ですから、いま 何に意識を向けているのか 欠乏か 欲望か 満足か 愛情か 幸せか どれに意識を向けているかを 観察する。 そのとき あなたは すでに 意識の観照
2008.09.30
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テクニックその1 私は今、何に意識を合わせているのだろう? 不安に意識を合わせてはいませんか?病気の事や、またお金が足りないといったことに、 私は いま何に意識を合わせているのだろうかと、自分に質問を発してください。 起きているあいだ、我々は常に意識を何かに合わせている。 そして、観察するとわかるのですが、いがいと今目の前にある ものやことに 意識を当ててはおらず、 過去のことや 未来のこと、ここ 以外の場所のことに 想いを寄せている。 そして、意識を当てているものは、すでに 起きていることー自分が創造している ことる。 病気であれば その病気が辛いとか 嫌だとか 何で私がとか・・・そういう 想いが 現象化している。 お金がない お金がないと 想うことで、お金がないという現実を創る。そんなこといったって、ないものは 思おうが思わないが、ないものはないでしょうちっ(怒った顔)というかもしれない。 そんなことはないわけで、例えば お金がないことを 一日中考えているわけではないだろう。 ご飯を食べたり、車を運転したり、するときはそれに集中するだろうしトイレに行ったりするときには、金より 紙がないほうが 大変だ。 ずっと考えているようで、考えていないときもある。 そのときには、お金の心配は していないのだ。 だいたい、考えて解決するなら、解決しているわけで、解決しないものは 考えてもしかたがないから、考えないほうがよい。 「お金がない、お金が足りない」と思うことで、より強くその状況を創り出している。 最初は、本当かどうかわからないでしょうが、とりあえずその考えや 意識をしないでみる。 そのことに 意識を当てているから、辛いわけで その反映としての世界が創造されるのですが、 テクニックその1 私は 今 何に意識を合わせているのだろう?
2008.09.30
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風邪を引くと熱が出て、怪我をすると痛い。 だけど、熱が出ることによって 病気が治り 怪我も痛いことを 知ることによって 治すことができる。 我々も 生きていくうえで 困難や絶望に遭遇する。 それらは、熱や傷のように 心地よいものではないが、 困難や絶望は 必要だから感じるわけですexclamation ×2 つまり、いましていることや 考えていること 感じていることを 推し進めていくことをやめて 違う方向に 向かうことへの お知らせともいえる。 僕たちは 幸せなときには、ただそこにいて 理由など考えないが 困難や絶望のときは 理由を考える。 その理由が、困難や絶望の原因かどうかはわからないが、 困難や 絶望は 必要があっての お知らせのような気がする。 だから、津留さんは 「絶望してますか?よかったですね」という。 絶望や困難なしに それに 気がつくことはないのだ。 怪我をして 傷の痛みに気づくように 困難や絶望により 意識の向け方の違いに気づかされる。 それを 無理して乗り越えるというのは 怪我を押して 我慢することだ。 そういう方法もあるかもしれないが、いままでそういう方法ばかりとってきたのだ。 もういいだろう、違う方向に行くだけでいい。 つまり、他人の価値観の奴隷ではなく、自分が進みたい道を通る。 それは 金銭的なものではなく、自分の心を満たすもの 満たしているものを 分け与えることだろう。 結局、他人の価値観で生きるということは、欠乏感が必要なわけで、~しなければならないということばかりなんだ。 だけど、そんなことはなく、すでにみたされているのだから、しなければならないことはない。 だけど、何かを与えるには コップに満たされてこぼれるように 満たされていることに気づく必要がある。 音楽の好きな人は 音楽で 絵を書くことの好きな人は 絵で 車の好きな人は 車で 自分の満たされているものを 溢れているものを 提供するのだから、欠乏感もなければしなければならないこともない。 すでに 一杯在って こぼれているのだから、もったいないしね。 いままでは、割れたコップに水を入れるようにいつまでたっても満たされず、満たされたと思っても足りない感情があったわけで それは、自分がしたいことではなく、この社会の価値観を 自分が満たそうとしたからでしょう。 社会的価値のあるものと 自分が思ってきたことは、自分のしたいこととは 違うこともあるわけで したいことは 眠らなくてもしたいわけで、したくないことは 眠らないでするには辛すぎる。 と、眠りを抑えて 夜中の3時に書いてみる。わーい(嬉しい顔)
2008.09.30
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満たされることは基準をさげればいいのだ優しい 基準愛の基準きっと あなたは あるべき基準値が 高過ぎる。基準値をさげればいい。すでに あなたは愛に 満たされています。気づくだけ なのです気づくとは 変わらないでいい 今のままでいい と言うことなんだ。
2008.09.30
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貧乏な人は 人の意見を 聞くことをしない。 ○○な人は 人の意見を 聞き入れない。 握り締めているんだなあ。 鎧を着ているからなのか まあ 自分でそうしていることに気がつけば 楽なんだけどなあ。 つーか、決め付けているわけだ 私は こういう人だと ね。 誰にも理解されないし わかってもらえないと思っている。 まあ それは きっとそうだろうね。 がんじがらめに鎧を着て 表面的に 表面的なことをはなしていて わかるはずが無い。 でも 僕は貧乏な人を どうしようという気もない。 ただ、僕も 貧乏をしてきたので そのままでいると 辛いこともあるわけでね、 もしよかったら 話をさせてもらえないかと思っているだけなんだ。 何らかの原因で貧乏になったと思っているかもしれないが、 まさしく 自分で引き寄せているだけだと思わないだろうか。 それは お金持ちになりたいと 思っているからです。
2008.09.29
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子供の頃 自分なりのものさし 価値観を持ちましょうと教わる。 他人の価値観に あわせるのではなく、自分なりの物差しで生きるようにと 教わってきました。 それは、自分が 世界に対し比較し序列を創って 価値観を創るというもの。 いい と 悪いに分け いいほうに向かって努力するというような教えです。 そして、この教えはかなり根が深いものであって、 それは宗教に入った人が「あなたも この宗教に入って幸せになったのだから、他の人を誘って他の人を幸せにしたほうがいいでしょ」 といわれて 勧誘するくらい自然なものです。 ですから、何につけても これは いいこと これは 悪いこと として判断し 理由をつけて 思考し行動する。 それは 廊下を走らないことが 教室で騒がないことが 先生にとっていいことであるように 社会の 支配者にとっていいことなのです。 あなたは いいことと悪いことを 社会から 植えつけられているに過ぎないロボットであり 奴隷なのに 気がつかないで、努力すれば成功できる 幸せになれると 思う。 どれくらい 努力してきたのでしょう? それで 得たものが いま ここ なのです。 ですから、その思考方法をやめてみませんかと 提案しているのです。 手放すだけでいい。 支配者のためではなく 自分のために この世界を楽しく いま ここ で生きられるのです。
2008.09.29
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望みは すでに かなえられたことを 知る。 我々は ないものを 欲望する。 お金 健康 名声 配偶者 美貌 等々 お金がないので お金を欲しいを 思う。 そして、少しだけあると思っている お金を握り締めて生活する。 「どうして 私は 貧乏なのだ」と思う」わけで その時点で 願いはすでに 叶えられていたわけです。 それを、 「私は お金持ちである」と 思えば(思うようにするというのではなく) その時点で あなたはすでに お金持ちであり 願いは叶っていたことを知る。 そんなこといっても 貯金が3万円しかなく給料もでないのに なんで お金持ちを思えるのか?というかもしれないが、 貧乏とお金持ちを分けているのが あなたの概念の中にあるわけですから、あなたの概念を変えればいい。 本当は、金持ちとか貧乏とか 分けないで、そういうことは 意識からなくなればいいのですが、 「ああ なんて私はお金がないんだ」と思うことが その状態を続けることになる。 「お金持ちである」と思わないまでも、どうでもいいとおもうようになれば占めたもので、その 貧乏神とおさらばできる。 思わないこと 意識の焦点をずらすこと、関心をもたないことです。 この マイナス思考は現実化する ことは、たいてい得意なんですね。 年がら年中 思っているんだな。
2008.09.29
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あなたのしてもらいたいことを、他人にほどこしなさいとある。 どういう意味かというと、何かを他人にすれば 自分もそのようにされるということだろう。 これは 鏡の法則で 与えたものが 与えられるということでもある。 つまり、まず最初に してもらいたいことを するのであって、してもらってから お礼をするということではない。 単純に、お金がほしいのであれば 寄付であろう。 幸せになりたい人は 他人を幸せにすることをする。 愛されたい人は、その人を愛すこと。 年賀状がほしい人は、 年賀状を書くこと。 たぶん、願いを求めるのではなく 願はすでに聞いていただいてもらっているので感謝する。 お金持ちになりたい人は、すでにお金持ちなのである。 病気を治したい人は、すでに治っている。 こうかくと、誤解をうけそうですが 比較なしにあるがままに受け入れるということは、そういうこと。 意識を 向けることが現象化するので、病気に意識を向けて「私は 病気である」と想うことが、いつまでもその状態から抜け出せないでいる。 これは、病気を貧乏に置き換えても同じですが、意識を向けないで認める。 病気という漢字も まさしく気の病であり、病も気からという。 この 気こそが 想いであろう。 病気であること 貧乏であることに 意識を向ける必要も、お金持ちや健康をイメージする必要もない。 比較なしに 受け入れる。 もう なにも 否定しない。 良寛のいうように これが 一番の難を 逃れる方法でしょうね。
2008.09.29
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望みは すでに かなえられたことを 知る。 我々は ないものを 欲望する。 お金 健康 名声 配偶者 美貌 等々 お金がないので お金を欲しいを 思う。 そして、少しだけあると思っている お金を握り締めて生活する。 「どうして 私は 貧乏なのだ」と思う」わけで その時点で 願いはすでに 叶えられていたわけです。 それを、 「私は お金持ちである」と 思えば(思うようにするというのではなく) その時点で あなたはすでに お金持ちであり 願いは叶っていたことを知る。 そんなこといっても 貯金が3万円しかなく給料もでないのに なんで お金持ちを思えるのか?というかもしれないが、 貧乏とお金持ちを分けているのが あなたの概念の中にあるわけですから、あなたの概念を変えればいい。 本当は、金持ちとか貧乏とか 分けないで、そういうことは 意識からなくなればいいのですが、 「ああ なんて私はお金がないんだ」と思うことが その状態を続けることになる。 「お金持ちである」と思わないまでも、どうでもいいとおもうようになれば占めたもので、その 貧乏神とおさらばできる。 思わないこと 意識の焦点をずらすこと、関心をもたないことです。 この マイナス思考は現実化する ことは、たいてい得意なんですね。 年がら年中 思っているんだな。
2008.09.29
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100人が100人成功する方法について まあ、いまの成功本は その多くが経験談であり ああそうかみたいな ぞうさんの本と同じような読み物として読まれているのだろう。 だって、成功しないし。 何が成功かは 人によって違うでしょうが、 成功本を手に取るということで、何かに成りたい、何かを得たいという思いはあるはずだ。 いまは、そうではないが この本の通り実行すれば 思い通りの未来を生きることが出来ると 思って、握り締めた2000円をレジで払ってお釣りをもらう。 が、それくらいのお金で あなたが成功できるなら 誰も苦労はしないだろうとは 思わないのだろうか? いいたいことは、あなたは すでに成功しているから 成功本を買う必要がないということです。 あなたの成功できない理由は 「成功本」を買うことにある。 つまり、あなたはすでに成功しているのに(すべてにおいて)、それを否定して 変ろうとしている。だから、苦しいわけですね。いままでも これからも。 あなたの考えには、何らかの基準があって 例えば 100万円あれば 幸せなのにとか BMWの新車を池袋のマックの前に止められれば幸せなのにとか かわいい彼女がいればとか 出世すれば 家があれば とか等々 あるわけで それらがあればいいと 願い 想い 努力する。 それらが手に入る方法だけを考えて、何故それを 欲しいのかを考えないのです。 何故 それらがなければ 幸せになれないのかを 自分に問うてみても答えはでないでしょう。 100万円あれば 洋服も買えるし バックも買える どうして それらがないと 満足できないのか? それは 欲しいから欲しいのexclamation ×2くらいの回答になるのだ。 その どうして欲しいかが わからないのに 欲しがっているわけです。 なくたって 全然問題ないのに、そして 問題なく過ごせるのに 欲しがる。 たいていは、誰かが持っているとか テレビで宣伝を見たからとかの他者の欲望を鏡として 満たそうをしているだけのこと。 それがなければ、誰もCMに お金を払うことは無い。 あなたに 欲望を生じさせるために テレビはある(恐れもだけど) だから、テレビを見ないと 欲望も減る。 見ることによって 欲望するのだ。 男だって いい女を 見ることによって 欲情するでしょ。 いい女なしに 欲情していたら 大変ですね。 本来 無一物。何も いらない。何もする必要がない。 だから、いまが すでに 成功して 幸せで満足であるのです。 慾を 減らすだけでいい。 たった これだけで 100人が100人成功できる。 そして、世界は意識の表象だから 満足した人の世界は いつだって満たされるわけです。 だから、変る。同じ じゃ 飽きちゃうでしょう。 世界が わくわく させてくれる。小学生になったときのように 冒険しよう。
2008.09.29
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