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ブルネイ・ダルサラーム…言わずと知れた裕福な国である。石油と天然ガスの輸出で潤っているのである。天然ガスの輸出の約9割が日本向けなのをご存じか?国民の所得税は無しだ。シンガポールと並んで東南アジアの中では異彩を放っている。水上住宅(カンポンアイル)については,3/18の日記(ここをクリック)で書いている。行ったのは,'01年8月なので,かなり前になるが…今は,変わっているかも知れない。 以前に,このサイトのフォト倉庫がフルに近づき,仕方なく3号館に移行しようとしたが,3号館のフォト倉庫を使うことで切り抜けた。この2号館の画像は,1ヶ月ほど前にすでにいっぱいになってしまった。 最近,画像の枚数を多くしているが,その分3号館の画像がフルになる日が早くなると思い,今日は本サイトの画像を流用してみた。自分のサイトなので問題ないだろう。今日は,実験だ。 ブルネイは,言わずと知れたイスラムの国。これは,オマール・アリ・サイフディン・モスクだ。街の中心部にある。毎日数回,スピーカーからお祈りの声が流れていた。 夜景だ。内外をライトアップして,きれいだ。 空港で。いかにもムスリムの国に来たというのがわかる。 市内は,たいへんきれいだ。歩いている人は少ない。車も少ない。大きなショッピングコンプレックスもある。店内は,人が多い。 バスターミナルになると,人が多くいる。ここは,にぎやかだ。バスは,あちこちへと走っている。中心部を離れると,周辺国と同じような感覚になりかける光景もある。 半屋台街の食堂で,たまたま食事をしていたおばさんと話しているうちに,翌日に郊外を案内してくれるという。もちろん,タダではないが…時々,ガイド的なことをしているそうだ。 ここは,街から車で30分ほどにある,ジュルドン・パークだ。規模は,東京ディズニーランドよりも大きいらしい。国王によってつくられた東南アジア一の遊園地だ。'00年ごろまでは入場料無料で,ほとんどの乗り物も無料だった。今は入場料がいるが,格安らしい。営業は,基本的に夕方~深夜だ。休日は,午後から開園する。客が少ないので,ほとんど貸し切り状態という,すごい遊園地だ。待ち時間ゼロなのだ!派手なアトラクションもあるらしい。 昼間なので閉まっていて,入っていない。 ここは,スリア地区だ(と思う)。「うなずきロバ」と呼ばれる原油の汲み上げ機と,後方には原油タンクだ。広々とした大地のあちこちに汲み上げ機があり,作動している。しかし,人は誰もいない。大きな精製工場もあった。 街から,かなり外れに行くと,のどかな光景が広がる。ここは,養殖場だ。大きな池が,あちこちにある。 魚やエビが養殖されていた。これは,池の水を抜いて魚を集め,トラックに乗せているところだ。このあと,横にある工場で大きなボックスに氷詰めにし,運ばれて行く。 その養殖場で採れたばかりの魚を持ち帰り,昨日の食堂で調理してもらった。煮たり焼いたりした中から選べた。とても,おいしかった。 今回の方法だと,フォト倉庫の容量を使わなくて済むが,時間がかかって面倒くさい…さらに,過去に本サイトにUPしている画像に限定されるので,自由がきかない。この方法は,緊急事態用にとっておくことにする。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/30
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スリランカとバングラデシュ…インドの近くにある南アジアの国だ。近いが,宗教はスリランカは仏教,バングラはイスラム教,インドはヒンドゥー教と違っている。もちろん,それぞれの国で,他の宗教も多く混在している。 おなじみのカレー(カリー)は,インド料理と思われることが多いが,たまたまインドにあるスパイスがカレー味になることが多いだけである。日本人が,毎日,味噌汁を飲んでいるようなものである。インド料理は,ちゃんとあるようだ。(北インド料理,南インド料理,ベンガル料理…等々)これは,スリランカ,バングラでも同じように,いろいろな料理がある。 しかし,日本人から見ると毎日カレーを食べていると言ってもおかしくはないかも知れない。私は,インドへは行ったことがないので,インドのことをあれこれ言えないが,スリランカとバングラでは,カレー味のものを多く食べたことは確かだ。 まずは,スリランカ。 通りかかりのゲストハウスの食堂で,チキンカレーを頼んだ。一緒にいろいろ出てきた。チキンよりも,ほかの方が多い。野菜やイモなど,みんなカレー味である。左から3番目のサラダだけがカレー味でなかった。真ん中の皿にご飯とおかずを乗せて食べると聞いた。多いので,全部食べきれない… これは,ビーフカレーだ。やはり,いろいろとついてくる。まあ,栄養に偏りがないかも知れない。これは,右の皿にご飯を乗せ,おかずも乗せたあとだ。 これは,11/21の日記(ここをクリック)で載せたマータレーの町にあったショップの家族の家で,偶然いただいた食事である。ほとんどがカレー味である。しかし,いろんな種類がある。地元人に習って手づかみで食べた。これが本来の食べ方らしい。 以前も載せたが,コロンボで,夜の街を歩いていると,いきなり話しかけてきた“自称ガイド”だ。IDカードも持っていたので本物だとは思うのだが…一緒に地元の人も多くいるレストランで食事をした。食べたものはカレーではなかった。いきなり知らない人と食事をする私も危ないが… 次に,バングラデシュ。 魚のカレーだ。バングラでも,カレー味になることが多い。日本の感覚で考えると,一見合わないように思うが,全く問題なかった。 なんの肉か忘れたが,ハンバーグのようになっていた。味付けは,先ほどの魚と,ほぼ同じだった。 同じカレー味でも,いろいろある。見た感じも味も,全く違った。しかし,右側にあるスープはマズかった…カレー味ではなかった。 これは,9/18の日記(ここをクリック)でも載せたが,なんかの肉のカレーだ。ビーチで,ちょっとした食事でも,このようにカレーになる。 あるホテルの朝食だ。ニンジンや豆類などの野菜サラダがカレー味になっている。上には,ナンがある。スリランカ,バングラともに,ご飯ばかりだったが,このときに初めてナンを食べた。インドでは,ナンが中心と思うのだが,この2カ国では米が中心だった。 これは,カッチビリヤニ。うまい!!これは,米をギーという牛乳から採れる油で炊き込んだものだ。カッチとはマトン(羊肉)のことだ。右にある。さらに右にあるのは,ゆで卵だ。ほかの肉が入ったビリヤニもある。肉類が入っていないものをポラオと言う。 カレー味は全くない。バングラでも,カレー味ばかりだとは限らないのだ。 魚の唐揚げもある。ご飯と食べると,カレー味とは無縁だ。食べようと思えば,いろいろあるのだ。 ほかにも,最近の4/22の日記でも,載せている。 この2カ国のカレーは,インドとは違うという。私は,インドはわからないが,スリランカとバングラのカレーは,明らかに味が違った。どちらも,2週間ほど滞在したが,スリランカのカレー味は少し飽きてしまった。それに対して,バングラのカレー味は全く飽きなかった。 また,カレーは,東南アジアにもある。タイの,レッド・グリーン・イエローカレーは有名である。東南アジア諸国でも見られる。ミャンマーやカンボジアでも食べた。タイやカンボジアでは,ココナッツミルクが入っている。 今や世界中にあるカレー。どこのが1番おいしいのだろう?? ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/29
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アジア各国には,それぞれいろいろなビールがある。さらに,ほかのアルコール類もある。例えば,焼酎は日本だけではない。韓国にもあるし(ソジュ),ラオスにもある(ラオラーオ等)。 どこの国でも,アルコールは飲めるが,イスラムの国バングラデシュでは,飲める機会がほとんどない。同じ南アジアのスリランカ。飲めそうで,意外と飲めない。ある程度以上のレストランなら問題なく飲めるのだが,ふつうの庶民の食堂では,あまり置いていない。 私は,日本では焼酎や冷酒,最近ではワインが多い。ビールも好きだが腹がふくれるので最初の何杯かしか飲まない。しかし,旅をすると,暑いせいかビールをよく飲む。だいたい昼・夜ともに飲んでいる。以前は,衛生状態が良くなくて腹を壊すことが多かったが,免疫?ができてしまった。今は飲みすぎで腹がゴロゴロになることが多いぐらいだ。 さて,スリランカの文化三角地帯の1都市のアヌラーダプラ。文化遺産や寺院が多数ある。訪れる人も多い。この町で,その辺の食堂でビールが置いてある店を探した…が,ない。食堂は多くあったが,ビールが置いていない。置いてある店は,全て「バー」となっている。ご飯も食べたいしビールも飲みたい。結局,バーに入った。ただの飲み助か! 画像は,ぶれている… 表には,大きく「ライオンビール」の看板がかかっていた。店に入ったが,かなり雰囲気は怪しい…店も怪しいが,客も怪しい。営業中に,壁の塗装を塗り直している。かなり飲んでいる客もいる。私は,ビールを注文した。店員の愛想は,あまりよくない。飲んでいると,突然,近くで飲んでいた怪しい男が私に大声で声をかけてきた。「&@☆%#&£¢$¥◎○!」??すぐに,相方の男が「悪い!」という感じで止めに来た。私は,「OK~!」と笑って言った。相方も半笑いだ。声を掛けてきた男は,まだ何かを言っていたが,別に怒っているわけでなく,なにかしゃべりたかっただけのようだ。 夕方で腹がへっていた。何か食べるものはないかと尋ねたが,これと,魚の揚げたようなものしかなかった。これは,カチカチのコロッケのようだ。少し辛い。仕方なく,同じものをいくつか食べた。 この画像も,ぶれている… 以前にも書いたかも知れないが,酒屋は,こんな感じだ。自由に商品を見られずに,鉄格子越しだ。たいへん物々しい。 晩に酒屋の近くを通った。数人の男が周りに座り込んでいる。よく見ると,手にウィスキーのボトルを持っている。ラッパ飲みだ。フラフラのようだ。挙動も不審だ。なるほど,こういうことか!この光景は,旧首都コロンボでも見た。 これは,代表的なビール,ライオンビールだ。はじめに,ある程度のレストラン書いたが,ゲストハウス経営の食堂でなら,ちゃんと置いてある。 あまり見かけなかったが,これもスリランカのビールだ。「スリーコインズ」 明日は,食事編だ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/28
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私が初めてアジアへ行ったのが,'94年8月のタイだった。友人と一緒だった。初期の頃の画像増強のリニューアル版である。今日は,全て8mmVTRのキャプチャ画像なので,画質がかなり粗い。ご了承を… 私の小学校来の友人が,仕事上いろいろあって退職。いきなりタイへ傷心旅行に行った。初めての海外の上に,1ヶ月もフラフラと行ったのだ。当時は,ネットなどまだ発達していない。国際電話も高い。よって,情報は皆無だ。みんな,かなり心配したが,無事に帰ってきた。しかし,ゲッソリとやせていた。 その後,またタイへと渡った。その2度タイへ行っていた友人に「一緒に行こけ~!」と,誘われていたのだが,タイはたいへん恐いイメージがあり渋っていた。あまりに熱心だったので,2年ほどして一大決心?をして行くことに決めた。その当時は,“決死の覚悟”だった。友人は,私がいつもキッパリと断るので無理と思っていたらしく,逆に驚いていた。 さて,バンコク,ドンムアン空港に着いたのは,確か夜の10時頃。友人は,バスに乗ると言って前の通りに出た。周りには誰もいない。しかも街灯もなく真っ暗。ふつうの路線バスに乗るのだ。そのときは,初めてで全く知らなかったが,ふつうの観光客は,こんなとこからは行かない。しかし,タイというのは,こんなことをしないと街に出られないのかと思ってしまった。この時点で,かなり不安になってきた。後から知ったが,到着ロビーには,タクシーやバスがちゃんとある。鉄道にも乗れる。別に不便ではないのだ。 バスが来た。人がたくさん乗っている。「スリに気をつけろ!」と友人は言う。また不安が大きくなる。なかなか進まない。名物の渋滞だ。不安になりながらも,見るもの全てが珍しい。 どれぐらい乗ったか,私たちは,タイ国鉄のホアランポーン駅で降りた。翌日,鉄道に乗ってチェンマイへ行くことにしていたからだ。ここはチャイナタウン。私にとっては,怪しげな雰囲気が漂っていた。駅から歩いて5分もしないところの旅社(安宿)に泊まることになった。 不気味な建物。しかも古くてボロい。部屋のドアの鍵は南京錠だ。中は薄暗くて汚い部屋。簡単なベッドしかない。しかも,ボロい。こんなとこで寝るのか!??網戸の隙間からは,トゥクトゥクやバイクの音が聞こえてくる。 タイ式トイレと壊れかけた水シャワーの汚い部屋。洗面の水の管は,途中で切れていて手を洗った水が足下に流れてくる。なんじゃここは!!カルチャーショックだ!私は,「信じられんっ!?」と言ったが,友人はお構いなし。この宿は,1泊120バーツ(当時のレートで480円)。ここが,私の旅の出発点になった。 街へ出た。すでに夜の12時前。しかし,街のあちこちに人がたくさんいる。しかも,多くの人々が道ばたに座っている。友人が言う「あまりビデオをまわさない方がいい。」。そんなに危ないのか??小一時間歩き回った後,宿へ戻った。部屋に窓はないが,壁の一部が鉄格子付きの網戸のようになっていて,隙間からわずかに外が見えた。外は,夜中になってもトゥクトゥクやバイク,車の音が止まなかった。本当に大丈夫なのか??生涯で1番不安な夜だった!あとで知ったが,この辺りは,治安が良くないらしい…知らぬが仏だ。 タイ国鉄でチェンマイへ行った後のチェンライで泊まった,ホワイトハウスゲストハウスの主人だ。ここの従業員の兄ちゃんと仲良くなり,カラオケなどへ行った。この前の日記でも書いたが,その後“ホテル”と名乗るようになるとは思わなかった。 このゲストハウスが主催する近郊を巡るツアーがあった。ツアーと言っても,主人の四駆に私と友人が乗って行っただけだ。 ここは,ゴールデントライアングルで有名なチェンセーン郊外。タイ・ミャンマー・ラオスの3カ国の国境が接するところだ。右がラオスで左がミャンマーだったかな? しかし,当時の私は今より細い!!この頃は60kgぐらい,今は75kg前後だ… 車から撮ったメーサイの街。中心部の手前だ。今は,かなりきれいになってしまったが,その頃はのんびりとした雰囲気だった。 山岳民族の村だ。結構,山に入ったところにあった。アカ族やヤオ族と聞いた。確かに,昔ながらのくらしに見えたが,観光客用にものを売っている家もあった… ところ変わって,バンコクのチャオプラヤ川沿いにある有名なワット・アルン(暁の寺)の上から。茶色の川もめずらしいし,街の光景もめずらしかった。 またまた,ところ変わって,サメット島の店で。晩ご飯を食べに行ったときにいた若者だ。酔いも手伝って,みんな陽気に声をかけてきた。よく考えると,この時点ですでに地元の人間と仲良くなっていたのだ。 この店には,裸のじいちゃんがいて,とてもいい雰囲気だった。滞在中は毎日通った。その後,8年ぶりに行ったのだが,島は(観光地化という意味で)きれいになり,この店もなくなってしまっていて,なにか寂しい思いがした… あれから,もう13年近くになる。今でも,1番印象に残っているのは,初めて行ったときのことだ。あの日の強烈なイメージは一生忘れない。 今は,変に慣れてしまって,新鮮味がなくなってしまった。でも,あのときの感動を忘れないようにし,新たな旅を続けていきたいと思っている。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/25
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ハノイを歩くと,いろいろな光景が広がる。これは,ベトナムに限ったことではないが…アジア一帯いろいろだ。 人がいっぱいの観光地も悪くないが,日常生活が広がるその辺の街の方が,ずっと楽しい。生活感あふれる民家,喧騒と混沌とした街角… 今日は,別にめずらしい光景ではないが,その辺の画像だ。 と言いながら,いきなりガイドブックに載っている場所だ。東河門と言う旧ハノイ城の門の1つだ。1749年に建てられたそうだ。「地球の歩き方」のハノイのページにあった写真を見て行ってみたくなったのだ。古いものには,なにか惹かれるものがある。 この門の詳しいことは,ここで書かなくても,あちこちのサイトに出ているだろう。 なんや,このバイクは!?どういう用途なんだろう。どんな人が使っているのだろう??ふと横を見ると,欧米人の夫婦も同じくこれを撮影していた。 バイクつながりだ。バイク屋が,店の前どころか周辺の歩道いっぱいに広がって作業をしている。ホンダWAVE,DREAMなどのカウルを外して修理などをしていた。 何かの制服や紋章,バッジなどが売られている。何の制服かわからないが,これは本物か偽物か??だいたい,誰が買うんだろう?しかし,横を見ると帽子が。何屋だ??何軒か見た。 左側は,はんこ屋だ。しかも,日本語が!注文すれば,器用なベトナム人がいろいろなはんこを作ってくれるとのこと。日本人向けに,宣伝の看板を挙げている店も多い。 今度は,日本語つながりだ。みんなが知っている「味の素」だ。類似品もある。韓国製や台湾製だ。グルタミン酸ナトリウムは,味付けに広く使われている。麺類のダシの味付けなどに,ドバッと入れられるようだ。 街角にあるTシャツ屋。どこの国へ行っても,必ず何枚か勧めてくる。ここで5枚ほど買った。たいてい,私が欲しいものと,勧められるものにギャップがある… 掛けられているものを売ろうとされることもあるが,下に重ねて置いてあるものの方が当然きれいだ。日本より物価がかなり安いからと言って,言い値で買わずに,現地語の数字で粘り強く値切りましょう!! その辺のごくふつうの画像かも知れないが,これでも十分におもしろいのだ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/24
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ラオス南部の町サワンナケートの様子は,数回以上書いている。知り合った友人がいたからだ。(現在,ベルギーに留学中)その友人宅や,さらにその友人宅で,一緒に食事をしたり宴会をしてもらったりしたことは,2/19の日記や,ほんの少し前の4/16の日記などでも書いている。 ほかに,この町では5/27の日記の通り,見知らぬ会社の宴会に飛び入りし,記憶喪失にもなっている。 画像が少しぶれているが,これは友人宅だ。高床式になっている。奥に見える部屋は,初めて来たときにはなかった。増築されている。横には,平屋建ての小さな家もある。 ラオスは,嫁入りではなく婿入りだ。家族は,友人である彼女と母,姉夫婦と子ども2人,妹が基本だが,いつ行っても親戚の誰かが来ている。 食事は,平屋建ての家で食べる事もあるが,この高床式の下の屋外の方が多い。これは,昼食の様子である。食事は,パーカオと呼ばれる竹で編んだちゃぶ台に乗せられ,みんなで取り囲んで食べる。 このように,いろいろと並ぶのだ。口に合うものと合わない物がある。パパイヤ系は,ちょっと苦手だ…朝食のお粥は,鶏のダシが効いていて,本当にうまかった! さて,初めて行ったときの最後の夕食の様子だ。このときは,平屋の家で食べた。床に座り込むのだ。食事が乗ったパーカオの真ん中に白いものが見えないだろうか?その下あるのは,内臓を取って茹でた鶏肉があるのだ。電灯が暗いので,フラッシュを焚いても,この程度の明るさだ。 みんなそろって,さあ食事…と思いきや,何やらみんなでお祈りのようなことをし始めた。「なんや??!」そして,私に両手を合わせて手の平を広げて上に向けるように言う。「何が始まるんやろ??」おもむろに,鶏肉をその私の手の上に乗せた。「えっ??」 白いもの…それは木綿糸だった。みんなで順番に,私の両手首に巻いていく。「これは,なんの儀式やろ??」家族全員の手にも巻かれていった。とにかく,たくさんあった木綿糸は全てなくなった。しかし,私が1番多く巻かれている。 全て巻き終わると,儀式が終わった。「これは,なんの儀式?」と聞くと,「出会いと幸福と健康と旅の無事を願う儀式。」との答え。なるほど,こんな儀式があるのだ。ガイドブックをよく見ると,ちゃんと載っていた。バーシーと呼ばれる儀式らしい。しかし,ガイドブックには大きな飾りの写真がある。少し違うように思ったが,家族だけで行ったのでこうなったのだろうと思った。 これが,本格的なバーシーで用意されるパークワンと呼ばれるものだ。同じこの家で,違う年にしてくれた宴会(2/19の日記で紹介)で,用意されていたのだ。このときは,友人や近所の人々が多く参加して盛り上がった。木綿糸を巻くのは,魂を強化するという意味があるらしい。 儀式は,これだけではなかった。サワンへ行くたびに,彼女と一緒に町から約12kmのタート・インハンを訪れるのだが,そこの尼さんにお布施をすると,カラーのきれいなミサンガのようなものを巻いてくれる。これも加わるので,かなりの量になる。 画像は,違う年なので,木綿糸は,まだ巻かれていない。 これは,日本に帰国し我が家で撮った。旅の間,ずっと巻いていたのだ。初めての時は,いつ外していいのかわからず,帰国後も何週間も巻いたままにしていた。そんなに長期間巻いていなくてもいいと,あとで知った。 いつも,ラオスの後は数日ほどタイを回るが,タイ人に「ラオスへ行ったな!」,「ラオスに友人がいるのか?」とよく言われた。この儀式は,かなり知られているようだった。 これは,別の時だ。彼女の姉婿と一緒に小さな寺院へ行った。携えているビニール袋には,いろいろなおかずが入っていた。何棟かあったが,ある建物でその袋を預けた。そして,別の高床式の建物を上がる。そこには僧侶が座っていた。しばらくお祈りがあった。その後,パーカオに乗せられた食事が運ばれてきた。「なるほど,食事を提供したんや。」僧侶が回る托鉢という習慣があるが,食事を丸ごと持ってくるということもあるのだ。 ラオス人の信仰の深さをさらに知った。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/23
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コックスバザール。首都ダッカから南東へ約300km近く行くとチッタゴンの町がある。そこから,さらに南へ150kmのところにある。とりあえず,3日連続の最終日だ。 ホテルの近くにいた人々。この建物がなんなのかは,わからない。ベンチがあるが,他に何があるわけでもない。子どももいるが,この人たちが何をしているのかもわからなかった。 滞在中,私が通るたびに挨拶がてらに声をかけてきた。人間は入れ替わっているようだったが… ビーチの手前に建設中の建物に勝手に入っての撮影だ。他に数枚撮った。もちろん,みんな笑顔で明るい。 ビーチ近くの民家の間を歩くと,途端に人が集まってくる。この辺りは,砂地の上に家が建っている。 近くにビーチがあるとは言え,ここはバングラ。ふつうの住民には関係ないようだ。ふつうの生活がある。 雨の中,ふつうのその辺の川でも漁をしている。このような光景は,あちこちで見られた。子どもたちが橋の上から捕っている姿も見た。 電柱の横で電線の工事を見守る関係者。雨が降って傘を差しているが,真ん中の人のカゴは何だ?? このカゴ?は,ほかの町でも見た。これは,傘代わりなのか?ほかに用途があるのか,わからない。 街角の軒下に,ふつうに雨宿りをしている牛がいた。人が通っても,別に動くわけではない。 こちらは,雨の中,路上で静止したままの馬だ。リキシャーや車が通っても,これまた動く気配もなかった。 こんなきれいなレストランもある。観光客用にビーチの上に造ってあるそうだ。来ていた客は全員地元の人に見えたが,聞くと,インド人とスリランカ人ばかりだとか。全くわからなかった… 厨房だ。フラッシュがなければ,かなり暗い。後方が妙にぶれてしまったが,載せてみた。めずらしく女性が働いているとのことだった。本サイトでは,違う画像を載せている。 肉や魚など3種類のカレーだ。日本のように食材が全部混ざっているのではなく,それぞれ単品だ。スリランカのカレーは飽きることがあったが,バングラのカレーは毎日食べても飽きなかった。一口にカレーと言っても,いろいろな調理法があるのだ。 食べかけだが,横にはナンではなく米だ。野菜のスープは,カレー味ではなかった。 画像は,まだ数多くあるが,また次の機会に… ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/22
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昨日に書いた町,バングラデシュ南部のコックスバザール。バングラデシュ及び,この町についての情報は少ないと思い,昨日から3日連続でUPしようと思う。昨日は,つながった話だったが,今日・明日は,連続した話ではなく,単発ものだ。 首都ダッカから南東へ約300km近く行くとチッタゴンの町がある。そこから,さらに南へ150kmのところにある町,コックスバザール。また書いておく。 昨日は書き忘れたが,行ったのは'04年の8月だ。雨が本当に多かった。毎日かなり降った。この年の雨季の雨はかなり多かったと思う。国の2/3が浸水したのだ。ただ,この国では洪水は珍しくはない。洪水によって土壌が肥沃になるのだ。このときの様子は,7/18の日記(ここをクリック)でも書いている。 乾季の様子は,相互リンクさせていただいている閑 甚太朗さんの日記の7/17と7/18の日に載っている。違いを比べてほしい。今日も,上空からの画像が掲載されている。 市街地だ。ここは,車やリキシャ,ベビー,人通りが多い。と言っても,規模は知れている。 ホテルはたくさんある。バングラのハネムーンのメッカだけあって,ここから外れに到るまで結構ある。 泊まったホテルだ。中心部からは少し外れている。チッタゴンのホテルで知り合った従業員が友人つながりで先に連絡をしてくれていた。私が乗ったバスが到着すると,ちゃんとホテルのスタッフが待っていてくれた。だが,紹介されていたホテルとは違うホテルになった。そのスタッフは言う,「こっちの方がいい!」インド系のグループ会社のようだ。まあ,そう言うならどこでも良かった。 ホテルに着き,話をする。シーズンオフなので,結構いい部屋に安く泊まれた。あとで気づいたが,客は私の他はほとんどいなかった。よって,VIP待遇だ!朝食付きだったが,私のためだけに作っているような感じだった。 そのスタッフに案内されて行ったのが,2/24にリバイバル版で書いたさらに南へ約70km南のミャンマーに近い町テクナフだ。 ビーチの町と言えど,田舎である。小さな市街地を外れると,のんびりとした風景だ。田植えをしている。全て手作業である。インドの隣なので主食はナンと思われるだろうが,ナンもあったが米の方が多かった。 みんな整然としているところが,おもしろかった。(ちゃかして,すみません…) 中心部よりやや外れた通りに入っていった。店が結構ある。道路は狭くなり,舗装も怪しくなってくる。 路上では,野菜などを売っている。雨が多いので,屋根もちゃんと用意してある。もっとも,乾季でも日ざしが強いので日よけの屋根があるかも知れない。 私が歩いていると,みんな興味深げに見てくる。昨日も書いたように,外国人はかなり珍しいのだ。インド人やスリランカ人も多く来るようだが,あまり珍しがられないようだ。日本で言えば東京に関西人が来るぐらいの感覚だろう。さらに,VTRやデジカメは,かなり珍しいので注目される。でも,笑顔が多いのが,うれしい。 路地裏では,子どもたちが遊んでいる。あちこちで,こんな光景が見られるのだ。 私に気づくと,このような笑顔だ。この前に撮った画像では,後ろの大人はもっと笑顔だったが,こちらの画像の方が子どもたちの笑顔が多いので,こちらを載せた。 子どもたちは,どこでも笑顔だ。さっきから,道路は未舗装だ。くらしは決して裕福ではない。苦しいだろう。でも,この笑顔なのだ。日本人が忘れてしまった感覚がまだまだ多く残っている。こんなところが大好きなのだ。 海岸近くの民家を歩いてみた。全くの砂の細い地道だ。ある家の横で真剣に作業をしている。なにか鉄筋を切っているようだった。怒られると思いながらも撮影してみたら,これだ。心は裕福なのだ。 バングラデシュは大丈夫?本当に旅ができる??と思っている人は多いと思う。確かに情報は少ないし,ガイドブックもほとんどない。ツーリスト産業もあまり発達していない。しかし,ちゃんと旅ができるのだ。 日本人が歩いていると,人がいっぱい集まってくる。一瞬,恐いと思うだろう。しかし,人々は珍しい外国人に好奇心で集まって来るだけなのだ。観光地ズレしていないので,悪人は少ないのだ。(どこの国でも悪人はいる。警戒はしている必要はあると思う。)人々は,みんな優しいし世話もしてくれる。行けばわかる!明日も,続編を書こうと思う。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/21
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バングラデシュの首都ダッカから南東へ約300km近く行くとチッタゴンの町がある。そこから,さらに南へ150kmのところにある町,コックスバザール。ビーチがある。ベンガル湾に面した海岸線は,世界最長といわれているらしい。 初期の頃の日記のリニューアル版である。今回も,画像を大幅に増やした。 行ったのは8月,雨季の真っ最中である。毎日雨が降り続いていた。この年は国土の2/3が洪水で冠水していた。泳ぐどころではなかった。海も,波は荒く,茶色く濁っている。 ここを拠点に,他の町へも出かけたが,もちろん,この町も歩き回った。雨の中なのでズクズクだ。 ここは,バングラデシュの観光地である。乾季には,多くの人が訪れる。インドやスリランカの人も多く来るそうだ。しかし,見分けがつかない…さらに,日本人はおろか,そこら中にいると思われる欧米人も全く見なかった。この国では,まだまだ外国人は少ない。 ビーチに近いところでは,土産物屋が軒を連ねていた。見て回る。何か買おうかと思ったが,なかなかいいものがない。貝殻で作った置物などがあるが,大きすぎてダメだ。生地が売っている。なら,Tシャツはどうか?と見ると,輸入品らしきものや英語がかいたものしかない。ベンガル語などが書いてあれば記念になると思ったが,全くない。あちこちで聞いてみたが,やはりなかった… 雨季といえど,観光客は来ていた。ビーチをウロウロしている。服のまま海に浸かっている人もいる。露店もあるが,毎日雨が降り続くのに,よく商売をしているもんだ。 ビーチには,カメラマンが多数いた。記念写真を撮って,売っているようだ。撮影中のカメラマンを撮った。別のカメラマンが,それを見ておもしろがっていた。カメラマンが持っているのは,銀塩の一眼レフである。デジカメは,この国では珍しいので,何人かが興味深げに見に来た。その中には,カメラマンもいた。 その後,小雨の中,街の方へ行った。メインの通りから外れた通りへ入った。民家や商店が並んでいる。みんな,興味津々で私を見てくる。インドやスリランカ以外の外国人は珍しいので,注目されるのだ。でも,笑顔が多い。カメラを向けると,喜んで写る人が多い。 あちこちを歩いてまわっていたら,女の子がついてきた。その女の子を見て,男の子もやって来た。雨が激しく降ってきた。近くの商店の青年が,「ここで雨宿りしていけば?」と言うので,店頭に座らせてもらうことにした。その子たちも,ずっと一緒にいた。 いろいろ話してくる。見るもの聞くもの全てがめずらしいようだ。この国は,片言の英語ができる人が,どこにでもいる。首都ダッカだと,日本語ができる人も結構いたぐらいだ。ただし,ほとんどの人はベンガル語だ。会話集など,何もない。身振り手振りだ。だいたい,ガイドブックさえ,旅行人社の一社しか出していなかった。「地球の歩き方」のような写真いっぱいでもなく,ほとんどが文字でモノクロだ。 デジカメはもちろん,VTRも珍しく,映っては喜んでいた。老若男女,人がいっぱい集まってきた。みんな楽しそうにワイワイ話してくる。とにかくおもしろかった。店に置いてあるお菓子もももらった。 そうこうしているうちに,時間がかなり経った。そのとき,サングラスをかけた厳つい顔の男がやってきた。みなの顔が急にこわばった。その男が,私に何か話しかけてきた。あまりわからないが,どうも「私の家へ来い」と言っているようだ。みんな困った顔をしている。なんか,まずそうだ。 男が先に歩いていった。周りの者がこそっと言う。「行かない方がいい…」みなうなずいている。この町の危険なボスか?マフィアか??…じゃあ去ろう。ちょうど雨が小降りになったのをいいことに,その男に「雨はやんだ。それに人と会う約束の時間が来た。」と,でまかせを言い,笑顔で手を振りながら去っていった。逃げたと思われるとイヤなので,ゆっくりとふつうに?歩いた。何回も時計を見ながらの演技だ。追いかけられはしなかった。家へ入っていたら,どうなっていたのだろう??単に珍しいから話そうと思っただけなのか,身ぐるみを剥がされていたのか,全く予想がつかなかった… ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/19
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ご存じの通り,ミャンマーは軍政の国である。軍が政権の全てを握っている。国民は,公の場で自由な発言や活動が全くできない。秘密警察が,町中をウロウロしている。国際的にも,大いに批判を浴びている。首都は,'05年11月から徐々にヤンゴンの北600kmのピンマナ近郊のネーピードー(ネピドー)に移された。これも,軍事的な理由なのか謎である。 しかし,国民はたいへんに明るく親切である。見知らぬ外国人に対してもフレンドリーに接してくれる。 ミャンマーでは,空港,軍事施設,中心部の駅,大きな橋な橋や,軍人,警察官などの撮影は禁じられている。 旧首都ヤンゴンから列車で10時間,さらにピックアップで15分ほど行くと,南東部の町モウラミャインに着く。間もなく鉄道がこの町まで開通するはずだ。 モウラミャイン横を流れるタンルウィン川には,以前ほどではないが,さまざまな船が停泊している。その中に,軍の小型戦艦もある。軍人が甲板にいる。 その近くの,食堂兼飲み屋に行った。行ったのは,食事時が終わった昼過ぎ。店に客はいなかった。奥を見ると,生ビールのサーバーがあった。 店員なのか家族だかよくわからないが,みんなヒマそうだった。客の私を見ても,特に何するわけでもなかった。客が入ったので,男性の店員が注文を取りに来た。最初は,生ビールを頼んで1人で飲んでいた。 しばらくすると,店員の兄ちゃんが話しかけてきた。いろいろと聞いてくる。私に興味があるようだ。さらに,日本のことも聞いてくる。自分のことまで,いろいろと話してくれた。互いに,怪しげな英語だが… 一緒に撮影だ。なかなかいい兄ちゃんだった。 そのうち,その店のシンガーと言う年配の女性が現れた。この店で,夜は生伴奏で歌を歌うらしい。確かに,電子ピアノやスピーカーが置かれていた。 生ビールを飲みながら話をしている間に,あっという間に時間が過ぎていった。その食堂は,建物の半分が大きなベランダのような形で川の上に建っていた。ただし,その部分はテーブルがあるが,客が入る場所ではなさそうだ。 後半は,その経営者や従業員しか行かないベランダで飲んだ。そのシンガーの女性と話した。近くには,画像の軍の小型戦艦…軍人もいる。見つかるとやっかいなことになるので,さっと撮影した。 酒が進み,話が盛り上がった。私は片言の英語しかしゃべれないので,どこまで通じているかが甚だ疑問ではあるが…そのうち,ミャンマーの公衆の面前ではタブーの軍や政治の話になった。見つかれば,直ちにしょっ引かれるはずだが,英語ならわからんやろう!と勝手な判断で好きなことを言い合った。思っていた通り,かなりいろんな思いがあるようだ。 話の中から,軍や政府に対して良く思っている人などあまりいないことがよくわかった。批判のオンパレードだ。軍事政府がいくら統制しても,一般市民は,おかしいことがよくわかっている。これから,どのように進んでいくのだろう?? そうこうしているうちに,5時間経っていた。次の日は早朝からバスで移動だったので,早い時刻に切り上げた。生ビール15杯(5250チャット=約570円),ご飯の値段は忘れた…記憶は曖昧だが,いい日だった。 夜の街だ。タンルウィン川沿いに,屋台がある。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/18
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タイ北部の町チェンラーイ。私は,チェンライと呼んでいる。'04年8月に,じつに10年ぶりに訪れた。本サイトからの抜粋である。こちらの方が,詳しく書くが。 この間,ドリンクのことを書いたときに,この日記を思い出した。コメントが少なかったので,リニューアルしての再登場だ。今日も,画像を増やした。 町の様子は,かなり変わっていた。漢字併記の標識もある。景洪(中国雲南省)との間にタイ航空の定期便が飛ぶ予定だったのに,タクシン前首相の出身地のチェンマイに変更になったとか…よって,えらい被害だとか。 メンラーイ王像なんて,結構派手になっていた。しかし,見覚えのある建物や風景は,そのまま残っていた。懐かしかった。 1番驚いたのは,そのときに泊まったホワイトハウスゲストハウス。見に行ってみた。同じ場所に,3階の建物がある。横に平屋建てもあったが,「あれ?なくなったのか??」以前は,平屋建て2棟と2階建ての計3棟だったのだ。 平屋建ての方に“ホワイトハウスホテル”の文字。「なに??」ホテルになったのか!?ずいぶんと変わったもんだ。 街をウロウロ歩き回った。あちこちに懐かしい風景が広がる。また,以前歩かなかったところも歩いた。通りかかった高校の前では,多くの女子生徒が手を振ってくれた。 こちらの高校生は,英語がうまい!私のあやふやな英語に「英語,大丈夫??」なんて言ってくる始末だ。中国語も習っているとか。下校中に公園や店に寄ったり,楽しそうだ。たいへん,にぎやかだった。 町歩きの途中,小学校の前を通りかかった。下校時間のようだ。結構多くの親が迎えに来ている。車での送迎もあるようだ。 門の横を見ると,何やら乳酸菌飲料の販売をしている。私を見つけると,正体の知れない一介の旅行者に一斉に手を振ってきた。兄ちゃんが声をかけてくる。「5バーツ(約15円)ですが,買いませんか?」,「え~?街や学校の様子を撮ってるだけやし,いらんけど…」と私。 別に,のどが渇いているわけでなかったので,特にほしいと思わなかった。通り過ぎようと思ったが,しかし…横から「安いので,買ってくださ~い!」と,今度は女の子だ。「う~ん」と悩んだが… 「はい,買います!」…で,この通り。女の子が出てくると,とたんに…しゃあないやつやなあ~(^_^;) しばらく一緒に呼び込みもした。 この前に書いたとおり,タイには乳酸菌飲料や大容量のヨーグルトドリンクがたくさんある。この時以来,ヨーグルトドリンクを多く飲むようになったのだ。ちなみに,この帰国後に有名なアジア光俊さんに教えてもらって知ったことだが,この乳酸菌飲料はタイで大手のダッチミル社だった。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/17
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ラオスでは,何回も地元人の宴会に参加している。私のためにしてくれたこともある。ラオスでの宴会については,今までにも何回も書いたが,初めての宴会の時のことを今回まとめて書こうと思う。初期の頃の日記を画像を大幅に増やしてリニューアルした。 場所は,初めて訪れた南部の町サワンナケート。'01年12月だった。私は,メコン川沿いを歩いていた。いつものようにVTRを回しながら歩いていた。…と,ニコニコして話しかけてくる女の子がいた。英語で「日本人ですか?」と聞いてきた。なんでも,日本語を覚えたいと言うことだった。片言の日本語の単語を少し話せた。話しが長くなり,「お茶でも飲みながら」という感じで,近くの小さな店に入って話を続けた。しかし,東南アジアでは,たいがい向こうから話しかけてくるのは怪しいのが多い。とは言え,観光地ズレしていないラオスの田舎の町ではどうなのか?と思いながら話していた。 話をしていると,女の子は大学生で,2日後に友だちの家で忘年会&新年会をするので,ぜひ参加してほしいと言う。しかし,2日後は,次の町へ行くつもりだった。「どうしよう??」迷ったあげく,地元の人の行事に参加できる機会なんてそんなにあるもんやないと思い,滞在を延ばして参加することにした。 当日の昼前に,バイクで迎えに来てもらい,家へと向かった。着いてみると,比較的広い庭に欧米人らしき人が3名いた。「んん??」何か怪しい雰囲気。「まさか,何かの詐欺に引っかかるんやないやろなあ??」一気に緊張が走る。他国では,賭博詐欺や睡眠薬強盗などいろいろな詐欺があることを知っていたので,いつでも逃げられるように,出口などをしっかりと確認しておいた。 スキを見て欧米人に聞いてみた。すると,みんな私と同じように街角で声をかけらたらしい。2人の青年がオーストラリア人で1人の女性がアメリカ人であった。話してるうちに,どうやらこの人たちは怪しくなさそうだと思った。 アメリカ人の女性は,ニューヨークから来たと言う。あの9.11の米での同時多発テロのあとだ。聞きたいことはいっぱいあったが,あえてやめた。 そのうち,ラオス人の人たちがどんどんやってきた。みんなで料理の下準備を始めている。楽しそうにワイワイやっている。聞くと,大学の仲間や近所の友人らしい。大学の教授もやって来た。「これなら大丈夫や!」と思った。ただし,まだ警戒は解かなかった。 飲む前から陽気な人々。みんな,たいへんフレンドリーだった。 台所だ。ガスなどない。薪などを燃やしているのだ。これで,調理をしている。これぞ,現地の家だ! 待っている間,庭でラオラーオ(ラオスの焼酎のようなもの)の回し飲みが始まった。ラオスでは,基本的に自分で酒はつがない。1人がみんなについで回り,つがれた人はまたみんなについで回るのである。どんどんつがれるが,自由に飲めない。 ビールは,たくさん飲まれるが,ラオラーオをたくさん飲む人は,あまりいないようである。しかし,私は焼酎が好きなので,どんどん飲んだ。度数は強い。宴会前に,すでにいい気分だ! 宴会が始まった。30人以上は,いそうだ。恒例の回し飲みからだ。ビールが,次々につがれていく。女の子たちは,やや遠慮気味だ。あまり多くを飲めないようだ。 料理も,たくさん並んでいる。どれもおいしそうである。スプーンとフォークもあるが,ほとんど手で食べる。 しかし,ビール(酒)を回すこの習慣,自分のペースで飲めないのが辛い…回ってきたら,すぐに全部飲まなければならないのだ。それも次々に回ってくる。 よく見ると,女の子の中には,横に置いてある入れ物にそっと入れていたりしている。外で飲んでいる子は,地面に捨てていたりもする。 私は,酒は好きだが,ビールは短時間に多く飲めない。苦しかった…オーストラリア人と,「好きなように飲めないし,しんどいなあ~」,「これは苦しいね。」などと話していた。女の子も,何気なく外に逃げているようだった。でも,ラオス人でもあまりたくさん飲まないラオラーオを1人でたくさん飲んだ。また酔いが回った。 宴会は,部屋の中だけでなく,外でもテーブルを出してやってる。次から次へと人がやって来た。気がつくと,50人近くになっていた。 そのうち,音楽が流れはじめ,みんな陽気にダンスを始めた。大騒ぎになってきた。カラオケ用のVCDかと思ったが,歌が入っている欧米のダンスミュージックVCDだ。少し古いが,乗りのいい曲には違いない。 ラオスでは,ふだんは男性と女性が体を触れあったりすることはいけないらしいが,私は長時間に渡り,酔いにまかせていろいろな女性と手をつないで踊ったりしてしまった。おおいに盛り上がった。とにかく乗りまくっていた私をどう思われたかは定かでない。もちろん,踊ってばかりでなく,いろいろな人と話もたくさんした。大学の女性の教授とも長い間話したが,「あなたたちは,どういう関係なの?」と聞かれて,困った… 宴会は,6時間以上続いた。まだまだ続いていたが,夕方,終わらぬうちに数名で郊外のタートインハン(寺院)へ行った。参加していたトゥクトゥクのドライバーがただで乗せてくれた。しかし,このドライバーの兄ちゃんもかなり飲んでいる。完全な飲酒運転だ。しかし,この国では交通規則はあって無きに等しい…誰も気にしていなかった。だいたい,私も意識朦朧だ。 タートインハンは,内部は女性の立ち入りは禁止だ。タイのタートパノムの組になっていて,交流があるようだ。 ドライバーと宴会に誘ってくれたラオス人の女の子に連れて行ってもらったのは,私と米の女性,豪州の兄ちゃん2人だ。みんな,かなり酔っていた。 お参りした後,町の食堂へ。そこで,また食べて飲んだ。画像は,ラープ・ルアート・ペットと言って,アヒルの肉を生血で固めたラープ(肉料理)だ。 その後,写真館でみんなで記念撮影をした。 この日は,私にとってたいへん印象深い1日となった。この後,何回かこの地を訪れることになるのである。宴会にも,何回も参加することになる。 帰ったのは,10時前だった。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/16
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昨日は,東南アジアのドリンクについて書いたが,続編だ。今日は,あちこちの国で見られる「エナジードリンク」限定だ。まだ,体調が完全でないので,タイから輸入した「クラティンデーン」を飲みながら,目からもエネルギー補充だ。 どこの国へ行っても,何らかのエナジードリンクがある。どれも薬品味になっているが千差万別だ。全てを撮影したわけではないので偏りが見られるが…クラティンデーンがメインなのだ。撮っていないものの方が圧倒的に多い。 興味がない方は,すみません…(^_^;) カンボジアの「クラティンデーン」だ。タイでは,以前よくあったカンだが,今は見たことがない。カンは「レッドブル エクストラ」ぐらいだ。ビンばかりである。 ベトナムの「クラティンデーン」だ。同じように見えるが,下の方にベトナム語が書かれている。 これはスリランカだが,よく見ると,「クラティンデーン」と「Red Bull」が並列してある。(ピンぼけです…)この国でも売っているとは思わなかった。 これは,カンボジアで買った「M-150」のカンだ。これも,本家タイでは今は見ない。見るのはビンのみだ。 なお,「クラティンデーン」や「M-150」はタイ隣国のラオスでも数多く見かける。この国では,タイ製そのものだ。ラオラーオ(ラオスの焼酎)のM-150割りなんてある。 ベトナムのホイアンで見たエナジードリンク。「クラティンデーン」そっくりだ。しかも,THAILANDと書いてある。このような,そっくりさんがじつに多い。 バングラデシュでは,「スーパーライオン」,「ロイヤル タイガー」という,やはり似た感じのドリンクを見た。ピンぼけが激しいので,小さめにした。恥ずかしながら,この頃は接写機能を使っていなかったのだ… ベトナムのエナジードリンク。なぜか,どこもカンの色が金色なのは,なぜなんだろう??味は,イマイチだった…6000$とあるが,もちろん米ドルではない(72万円だ!)。6000ドン(約48円)だ。 同じくベトナムで見た,おなじみ「リポビタン」だ。カンになっている。ちゃんとベトナム語が書いてある。 台湾で。これは,オーストリア版の「レッドブル」だ。日本でも売られているものだ。しかし,日本とは仕様が違う。左下の青いところにはタウリンと書かれている。これは,欧州仕様と同じと思う。しかし,日本では薬事法の関係でタウリンではなくアルギニンになっている。表示も,そうなっている。 日本で売っているのと台湾で売っていたものの味は,ほぼ同じだった。おそらく,欧州でも同じ味だろう。世界中で売れているそうだが,日本では,高いのと同時に,味がイマイチ自己主張がないので,苦戦していると思う。 私は,やはり本家タイの「クラティンデーン」がいい!もちろん,「M-150」も。 こうやってみると,今まで結構あちこちで撮ったもんだ。最初は,別に載せようと思って撮ったのではない。ほかにも,タイで有名な「カラバオデーン」のほかいろいろあるのだが,味が好きでないので画像がない。台湾でも,かなりいろいろな薬品があった。 また,いろいろなものを撮っていこうと思う。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/15
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アクセス記録を見ていると,.thなど,時々タイからのがある。でも,.co.thもあるが,企業なのか??まさか,タイ人??日本の人が,向こうで見られているだけだと思うが。海外のことを書いているんで,向こうから見られていても不思議ではないと思う。 しかし,さっき見ると,.atとあった。「どこや??」と思い,調べると,オーストリア。ここからのアクセスは,見たことがない。しかも,今日UPしたレッドブルはオーストリアの企業だ。これは,偶然か?? 長時間寝たので,寝つけない。鼻が詰まったままで苦しいが,体調はマシになっている。つい,思ったことを書いてしまった。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/14
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今まで何回かアジアの食事を紹介してきたが,今日はドリンク類の紹介だ。今までに何度か書いたが,併せて書くことにした。既に紹介している画像もある。 私は,高校の頃から薬品類が大好きだった。薬品と言っても,もちろん非合法なものではなく,オロナミンCをはじめとする栄養ドリンクのことだ。薬局で売っている医薬品ではなく,自販機でも売っている100円ぐらいのものだ。昔からいろいろあったが,クラブの帰りにはよく飲んでいた。オロナミンCの味は好きだったが,ほとんど買わなかった。私は,昔からタイガースファンだからだ。 さて,薬品好きは今でも同じである。日本のコンビニでは,高いものも売られるようになった。結構よく買う。 それは,海外へ行っても同じだ。タイの「クラティンデーン」(日本でも発売されているレッドブルのもとになった飲料)をはじめ,いろいろ売っている。行くたびに,買うのだ。どれぐらい効いているのかは定かではない… これは,以前の日記でも紹介した「クラティンデーン」たちだ。何回か載せているので,しつこくなるかも知れない。 日本でも売っている「レッドブル」は,タイのTCファーマシューティカル・インダストリー社の「クラティンデーン」をもとにライセンスを取得してオーストリアの会社がつくった飲料である。もとの味が残っているものの,かなり薄くなっており,炭酸も入っている。オーストリア産の「レッドブル」は世界130カ国で売られているが,本家タイの「クラティンデーン」も,タイ以外での商品名が「レッドブル」だ…ややこしい。 で,左端が日本で売っているレッドブル。横がシンガポールのレッドブル(タイ製),次がタイのクラティンデーン,右端が「M-150」(タイのOSOTSPA社製)である。 フィリピンの「レッドブル」だ。確認しなかったが,これはタイ製と思う。味が「クラティンデーン」だ。右側はライト版である。 これもフィリピンで。おなじみの「リポビタン」である。タイでは,初めて行ったときから既に売っていたと思う。味も,日本のものと似ている。日本の他社製もあったと思う。 栄養ドリンクは,他にも各社から多数売っているが,あまりおいしいと思わない。私的には,味は1番が「M-150」で2番目が「クラティンデーン」だ。 これも以前に紹介したが,今度はヨーグルトドリンクだ。これは,タイのダッチミル社製だ。オレンジ味やフルーツ味などいろいろある。これは450ml入りだ。ヤクルトサイズ~もっと大きなサイズもある。日本では,この手のドリンクは発売されていない。似たようなものがあっても,違うのだ。 これまた,以前に紹介した。同じくヨーグルトドリンクだ。これは,CP-MEIJI製だ。明治乳業の関係会社だ。明治が作っているのなら,日本でもぜひ売ってほしいと思っている。ヨーグルトドリンクは大好きで,必ず買って飲んでいる。薬品類と違って,日本に持ち帰れないので残念だ。 日本でもおなじみの「ゲータレード」だ。これはタイだ。タイ語になっている。日本では,確か味が1種類しかなかったと思うが,東南アジアでは,いろいろな味がある。 これは,フィリピン版。味もボトルもいろいろある。日本でも,昔はいろいろな味があったような気がするのだが… 栄養ドリンクやヨーグルトドリンクは,味はおいしいが,あとに残ってしまう。主に,ホテルや車内などで飲んでいる。行くたびにいろいろ飲んでいるうちに,使い分けをするようになってきたのだ。 そこで,町歩きのときに本当に暑くてのどが渇いたときは「ゲータレード」がお薦めだ!!ミネラルウォーターでは物足りないがジュースはちょっと…というときにはじつにいい。水のようにゴクゴク飲めて味も濃くない。個人的には,レモンライム味が1番だ。と言うより,あとの味も悪くはないがピンと来ない。レモン味は,もともとそんなに好きではないのだが,これに関してはこの味が1番飲みやすい。個人の好みもあるでしょうが,ぜひ,お試しを! ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/14
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久しぶりに長い時間寝た。薬を飲んだこともあり,熱は一応下がっている。体も楽だ。しかし,鼻は詰まったままで痛く,話すのは苦しい。まあ,一人暮らしなんで話す相手はいないが…電話にも出られない。長時間寝たので,恒例の腰痛も出ている。これは,仕方ない。 たくさんのコメントをいただき,ありがとうございます!感謝いたします!! 更新は,今日もう少し後にします。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/14
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2日ほど前から風邪気味で体調がイマイチだったが,昨夜からダウン…いろいろしなければならない仕事があったのだが,今日は休むはめになってしまった。さっきから起きているが,ほとんど寝ていた。 人に,あまり言ってなかったので,驚いた人もいたようだ。私は,いつもギリギリまで表に出さないタイプなのだ。気を遣われるのはイヤなのだ。 昨年から,いろいろあって体調がずっとイマイチだったが,回復しきらないままだ…歳のせいもあるのか??GWは,'03年以来,久しぶりに日本にいることにした。資金面で,苦しいこともあるのだが…この時期に休むのは初めてだ。土日で直したいと思う。 更新は,明日の昼頃になると思う。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/13
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ベトナムのハノイの画像は多く紹介したが,ホーチミンは少なかった。今日は,ホーチミンの様子だ。 これと似たような画像は,現地からUPしたかも知れない。バイクがいっぱいだ。さらに,シクロ,向こう側にバスや自動車などが走っている。 通りかかった通りはマーケットになっていた。店が並んでいる。 ウィスキーの瓶が並び,ビールやペプシ,7UPなどの箱が積まれている。ベトナムでも,箱で買う人が多いのか?手前は,もう屋根がない。屋外だ。 アジア各国で見かける屋外の食堂だ。なんとなく,ミャンマー風にイスが低い気がした。これは,ここだけではなく,あちこちにあった。 大きな街であるホーチミンでも,ちょっと裏通りにはいると,こんな家がある。こういう家は大好きだ。裏通りといっても,ブイビエン通りと言って,世界中からバックパッカーが集まる場所でもあり,地元の生活の香りがするところでもあるのだ。 これまた,安宿街,安食堂の集まるファングーラオ通りの端にある市場だ。やはり,ここでも整然と売り物が置かれ,上からも多数吊されている。 他にも撮影した画像がたくさんあるので,そのうちUPする。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/10
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昨日の日記で,コメントにカンボジアの地雷の話が出たので,8/26の日記(ここをクリック)を再UPする。恒例のリバイバル版だ。ほんの少しだけ,文章と画像を加えた。 カンボジアには,ご存じのように,まだ地雷が多数残っている。未撤去のところには「DANGER MINES」の文字(もちろんクメール語も)とどくろのマークが入った赤い看板が掲げられいる。または,近くの木に赤いペンキが塗られている。 6年前に,クバル・スピアンへ行ったときは,赤いペンキに全く気がつかなかった。危なかったかも知れない。7/28の日記(ここをクリック)で書いている。だが,観光客や外国人がふつうに行くところは,かなり撤去が進んでいると思う。見ることがない。 さて,今回行った中で,バッタンバン郊外の遺跡の中の1つ,ワット・バナン。駐車場から長い階段を登った。かなりきつい。バイタク(モトドップ)の大学生の兄ちゃんは,「しんどいから行かない。」と言う。ガイド兼任のはずだが…それ以前の時からどうも体力がない。 変わってガイド役の子どもがついてくる。まだ小学校1年生ぐらいの男の子だ。何回も止まりながら待っていた。350段だったかな?その子は,片言の英語だ。こういったところにいる子どもたちは逞しい。本物にはほど遠いが,英語を話す。 丘の頂上に着いた。ミニアンコールワットと呼ばれているらしいが,本当に小さい。あちこちが崩れている。そこには,少年たちが数名いた。だいたい5,6年生ぐらいだ。ガイド役の子を冷やかしたり悪さをしていた。この辺りは日本と変わらない光景だ。 さらに,僧侶や,何をしているのかわからない大人たちが数名ウロウロしている。僧侶が話しかけてくる。「あなたは日本人か?」…そうとわかると,日本のことを聞いてきたり,カンボジアの感想などを聞いてきた。手にはロンリープラネット(有名な海外のガイドブック=もちろん英語)だ。それを見ながらも話してきた。周りの大人たちも興味深そうに(ヒマだから??)見ている。結構いろいろなことを話した後に,カメラを取り出し「一緒に撮ってほしい。」と言ってきた。撮影は,ヒマな?大人(失礼)だ。ついでに,私のデジカメでも撮ってもらった。 その後,先ほどのガイドの子の案内もあり,見て回っていた。最後に崖下の方へ行きだした。一応道はあるが獣道だ。下に何かあるらしい。…と,そこへさっき上にいた6年生ぐらいの子がやって来て,何か言っている。どうも,「この先は危険だ。」と言っているようだ。何やろう??英語で言っている。「スネーク」とか聞こえた。ヘビが出るのか??小さい子は先へ行く。しかし,大きい子は何回も止める。困りながらも,この先に興味があったので前へ進んだ。と,大きい子が横を指さしている。見ると,木に何か赤いものがついている。近づいた。 「あっ…DANGER MINESや!」壊れているが実際についているのは初めて見た。ってことは,この近くに地雷があるのか!大きい子が横で「ボン!ボン!」と爆発するまねをしている。最初から,そう言ってくれ!長い説明より,「ボン!」の方がよっぽどよくわかる。 要するに,危ないから行かない方がいいと言うことだった。たぶん,小さい子はそのことがわからないのだろう。足が吹っ飛んではシャレにならん!即座に引き返した。ちょっと怖々だった。戻るときに,あとから来た欧米人をやはり同じように崖下に案内している子が来た。また忠告するやろか?と思って見ていたが,仲のよいグループではないらしく,全く言葉を交わさないで行き違った。大丈夫なのか??…しばらく耳をすませていたが,爆発音はしなかった。 実際についているのは初めて見たと書いたが,じつはそこへ行く前に手前の食堂で置いてあるのを見ていたのだ。ただし,掲示されていたのではない。 ご覧のように,うちわだ。掲示されていたが地雷が撤去されて外したものを再利用したのか,余っていたものから作ったのかはわからない。こんな工夫があるのだ。写真に撮ったら,なぜかみんな笑っていた。 ちなみに,プノンペンでは,「DANGER MINES」Tシャツを何枚か買った。 さらに昨日に,さごしラーメンさんに,「地雷注意の看板です。クルオァプ ミーンとは、地雷敷設のこと。プロヤットとは、注意しなさいということです。」とのコメントをいただいた。ありがとうございます! ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/09
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カンボジアの北部の町バッタンバン。ここから南西へ約35km行くと,コンピン・プイと言う名のダムがある。ポル・ポトが残した数少ない価値ある施設だ。ここについては,8/28の日記(ここをクリック)で書いている。 昨日は,台北の人工的な森林の公園を書いたが,今日は自然が残る田舎だ。やはり,都会よりも田舎の方がのんびりとしていていい! まあ,8/28の続編に近い感じだ。 ダムへは,ガイドの兄ちゃんのバイクで行った。バッタンバンの町は大きいが,少し走ると,もう田舎の風景が広がる。 ダムに行く途中の民家である。家は,ポツリポツリとある。 この家は,ダム湖上食堂の横にある,主の家だ。アンテナが立っているところを見ると,電気も来ているのだろう。ただし,自家発電かも知れない。電線には気がつかなかったが,たいていの家にはアンテナがあった。 その食堂の道路を挟んで向かいの家で。同じ一族の家だ。 これは,水を飲んでいるのではない。何をしているのでしょう??(わかる人は,すぐにわかると思うが…)水瓶です。 少し離れた家の少年たち。この少年たちは,10/5の日記(ここをクリック)でも登場している。別ヴァージョンだ。他にも数枚撮った。食事の用意ができるのに時間がかかると言うことで,待っている間に周囲を見に行ったのだ。 ダム湖には,蓮が多く生えていた。この蓮の種は食べられるようだ。みんな,ふつうに食べていて,私にも勧められたのだが,どうも抵抗があって食べなかった… 言葉は全く通じないが,この少年たちの相手をしばらくしていた。 さて,先ほどの水瓶,これを見てわかったでしょうか?水を移し換えているのだ。坂になっていて手前が下になっている。でも,全部が流れてくるのか疑問だったが…子どもたちの仕事らしい。 田舎に行くと,故郷に帰ったような気になる。風景,人々の笑顔,ゆったりとした時間の流れ…何もかもすばらしい!! ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/08
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アジア37回の渡航になった。当然,飛行機で行くわけだが(フェリーなどもあるが,乗ったことはない),いろいろ気になることがある。機内で,いつも気になることを挙げてみた。これは,日本人に限ったことではない。《シートのリクライニングを思い切り倒す人》 まあ,違反ではないのだが,最後まで倒すのはどうなんだろう??後ろの人が困るのだ。特に,食事のときに戻さない人がいる。食事のときは,乗務員が注意をしているが,気がつかないときもある。ただでさえ狭いシートなのだ。前後のピッチの狭いシートのときは最悪だ!何も考えてないのか?? 私は,全く倒さないか,多くても半分までにしている。《食事が運ばれているとき,または食事中にトイレに立つ人》 どうしても我慢できないのなら仕方がないが,通路には食事を乗せたカートがある。通れないので,少しの間,後ろで待たなければならない。客室乗務員も,気を遣って隙間を空ける,どうにも感じが良くない。《人の席まで思い切りヒジを出してしてくる人》 狭い機内なのだ。お互いに気を遣って,自分の居住範囲を守ってほしい。 《到着後に,すぐに立ち上がる人》 着陸し,停止する前に,もうシートベルトを外し動こうとする人が多い。確かに早く降りた方がいいが,もうちょっと待てないのか?どうせ,ドアはすぐに開かないのだ。《携帯の電源をすぐに入れる人》 着陸後に早々と携帯の電源を入れる人がいる。その時点では,もう操縦席の計器に異常が出ても問題ないのかも知れない。しかし,機内には決まりがあるのだ。だいたい,そんなに急ぐ必要があるのか? 他にも,「なに考えてんねん!!」という客がいる。みなさんは,いかがでしょう??深夜に,ちょっとグチってみました。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/07
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台湾の台北は大都市だ。ビルが建ち並び,行き交う人々も多い。日本の大都市と遜色ないぐらいだ。しかし,アジアの香りがあちこちでしている。12/5の日記で,TAIPEI101を紹介したが,ビルが林立している。 その中にあって,市街南部の大安区には,大安森林公園という大きな公園がある。あちこちから入れるが,ここは建国南路と和平東路の交差点からの入り口だ。 かなり大きい。この広大な公園には,たくさんの樹木が植えられている。今後,大きな森林に成長していくようだ。イベントができる広場もある。土ではなく,ちゃんと芝生のようなものが植えられている。 このように,花も植えられている。たいへん,きれいに整備されている。トイレや休憩所などもあった。あちこちで,人々がくつろいでいた。あいにく天候が良くなかったので,人はすくなかったが,天気がよければ,多くの人々がくつろぎに来るだろう。 私は,公園の近くのコンビニでおにぎりとジュース(ビール??)を買ってきて,ベンチに座ってボーッとしていた。近くでは,同じようにしている人もいた。また,ジョギングをしていたり,散歩をしている人もいた。 これは,リス??たくさんいた。こんな小動物たちもいるのだ。木々の間や地面のあちこちを走り回っていた。都会の中に,こんなのんびりとした場所があるのはいい。町歩きに疲れたら,寄ってみるといい。平和なひとときが味わえる。 公園を1歩出ると,こんな感じだ。全く世界が違う。ここは,新生南路と和平東路の交差点だ。 しばしの休憩後,また街に繰り出した。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/07
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マニラの日記が続いている。まだネタはあるのだが,明日からは,通常の各国の画像に戻そうと思う。残りは,また後日。 まず,3/29の日記で現地から書いた食堂だ。 この前にUPした画像よりも見やすいと思う。これは,2日目だ。 2日目に食べたもの。ちょっと野菜不足だ。右側は,野菜と豚肉を煮込んである。 1日目には気づかなかったが,カラオケの機械がある。店に入ったときに歌っていたのだ。歌っていた女の子は私を見ると,ちょっと恥ずかしそうだった。しかも,この機械は得点も出る。カラオケの店は,あちこちにあるが,このようにふつうの店にもあるのだ。字幕スーパーは,フィリピノ語(タガログ語)だった。 客がいないときは,このようにイスに座ってしゃべっている。カメラを向けると,笑顔で手を振っていた。何枚か撮ったが,いつも笑顔だった。 これは,ちょうど2年前に来たときのものだ。イスは多くあるが,テーブルは少ない。よく見ると,カラオケの機械が見える。今になって,初めて気づいた!この頃から置いてあったのだ。 大きな店や観光客用の店は,あちこちにある。しかし,目立たない地元のこんな店に入ってしまうのだった。 ケソン市からの帰りだ。ケソン市からは,まずMRTに乗って,終点のタフト・アベニュー駅で降りる。そこから,LRTのエドゥサ駅までは長い通路でつながっている。その間には,ショッピングセンターを通らなければならない。そこには,飲食店も多く並んでいる。うまくつくってあるもんだ。 夕方で,お腹が空いていた。いいにおいが漂ってくる。足を止める。セルフ式の店があった。いろいろなメニューがある。そういえば,こういう店には,ほとんど入ったことがない。 注文をして代金を先に払う。番号札をもらって席で待つ。声がかかったら,取りに行くのだ。Beef TAPAというのを頼んだ。鉄板に乗ってきた。うまかった。57ペソだ。ジュースが25ペソだったので,合わせて82ペソ(約205円)だった。ほかにも,照り焼きや焼き肉,焼き鳥風のメニューもあった。 フィリピンも,いろいろあるもんや!と思った。あちこちの店には,客がいっぱいだった。しかし,たくさんいるように見えても,富裕層は少ないのだろうな…と,つい複雑な思いが,頭をよぎるのだ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/06
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マニラのLRT・ライン1の先北端のモニュメント駅の2つ手前のロメロ・パパ駅。モニュメント駅周辺があまりにも都会すぎたので,下町を求めて帰りに下車してみたのだ。3/31の日記でも,現地から書いた。そのときにUPした気になる家が見えたからだ。 この駅で降りる人は,ほとんどいなかった。駅の階段から下を見ると,家が駅のすぐ近くまで迫っていた。小さな川が流れているが,ゴミだらけで色も灰色,非常に汚かった。 高架の下には,道路が走っている。ここは通行量が多い。ここだけを見ていると,大きな街に見えるが,そうでもない。日本と違って,これだけの橋脚でも大丈夫なのか?? 日本の田舎の街角には,お地蔵さんがあるが(我が家の周辺には多数ある),これは,お地蔵さんならぬキリストさん?? ごくふつうの町だ。何があるわけでもない。わざわざ,ここを見に来る旅行者はいないだろう。ガイドブックには,町の地図など一切出ていない。 教会があった。お祈りをしている人がいる。周りには,何することなく座っている人も多かった。 袋小路になっているところがあった。その手前で遊んでいた親子。ビリヤードの玉の代わりにペチャンコの円盤を使っていた。いきなり撮影されて怒るかと思えば,この笑顔だった!ずっと,手を振ってくれていた。これだから,やめられないのだ。 商店の前は鉄格子だ。街のスーパーやデパート,LRTの駅でも荷物・ボディチェックがあるぐらい治安は良くないが,ふつうの商店もこんな感じのが多い。 車の中古パーツの店のようだった。しかし,なぜ屋根の上にも乗せているのだろう?? のんびりした町を歩き回って,なにかホッとした。しかし,こんな町でも,トライシクル(バイクのサイドカータクシー)の兄ちゃんはたくさんいて,私にきっちりと声をかけてきた。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/04
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マニラ首都圏にあるケソン市。もともとフィリピンの首都であった。ここは,第2次大戦後に計画的に作られた人工都市だという。 確かに,広く整然とした道や緑も多い。昨日に書いた大きなショッピングセンターがあり,さらに巨大なショッピングモールが建設中であった。しかし,味気ない街か?といえば,そうでもない。 ケソン・アベニュー駅から見た様子だ。大きな街に見える。車の通行も多い。人も多くいる。 LRTのケソン・アベニュー~ノース・アベニューの間では,一瞬こんな光景が目に入る。これは,ふつうの民家なのかスラム化した住宅街なのかはわからない。周りの風景とは異彩を放っている。 これが,その住宅だ。ここは,以前の日記でも紹介した。来るのは2年ぶり2回目なのだ。奥へ入る道がいくつもあるが,舗装はされていない。中に入ると路地は細くなる。どう見ても一介の旅行者が入るところではない。路地裏を見てみたい気はするが,様子を詳しく知らない者が入るのは危険だと思いやめた。前回も,そうだったのだ。 洗濯物が並び,表には老若男女問わず,いろいろな人がいる。子どもは遊び回っている。大人は,洗濯をしている人,ただしゃべっている人,座っている人様々だ。日常の生活そのものだ。 2年前には気づかなかったが,大通りを隔てた別の一角でも,こんな民家があった。しかし,なんでこの地域は水色の家が多いのかが不思議だった。 撮影していたら,横から声がかかる。見ると,信号待ちのジプニー(ジープニー)の助手席から兄ちゃんが手を振っている。人相は悪かった(失礼!)が,笑顔でサインを送っていた。 この前も書いた,ニノイ・アキノ公園の入り口だ。入場料が若干いる。しかし,中は家族連れや若者がいっぱいだった。緑がいっぱいで,小さな動物園もある。池もあって,くつろげるのだ。 しかし,小さな子ども同士で遊んでいる姿も多く見るのだが,この子たちはお金を払ってまで入っているのだろうか?? もう少し先に行くと,メモリアル・サークルがある。ここも緑が多くてくつろげる公園だが,ここには2回とも行っていない。その手前で,力尽きて?辿り着いていない。いずれ,行ってみたいと思う。 このように,大きな街でありながら,意外と庶民的な部分もあるのだ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/03
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無事に日本へ帰っているが,まだ寝ていない。帰って「はいお休み」といかないのが辛いところである。…書いているのは深夜だが,UPは朝にした。 でも,なんやかんや言っても,日本は恵まれている。日本にいるだけでは,世界の貧困は,いくらTVなどの報道を見ても実感しにくい。私も,イラクの様子や各国の難民などの本当の苦しさは,わかったつもりでわかっていない思う。 フィリピンの街も発展してきて,大きなショッピングコンプレックスやモールができている。別に今に始まったことではない。もう何年も前からである。 大きなショッピングモールの中には,楽しそうに買い物をする家族,友だち同士で歩く若者や子どもたちが多くいる。日本のそれと,ほとんど変わらない風景だ。日本円で言えば何千円ものお金を支払っている家族連れもいる。現地の物価からすると,かなり高い。 しかし,その一方で貧しいくらしをしている人が大多数ということも確かだ。 マニラ首都圏のケソン市にあるSMモールだ。各地に展開する大きなショッピングモールだ。マニラ首都圏だけでも,かなりの店舗があったと思う。ここには,多数の客がやってくる。これだけを見ていると,裕福に見える。 この人は,そのショッピングモールへ行く途中の陸橋にいた人だ。他にもいるのだ。明らかに病気にかかっている人もいた。生まれつきの障害を持った子を抱えて物乞いをする親子もいる。早く専門の医者に診てもらわないと…と思うのだが。2年前に来たときも,別の人がいた。 道路で,信号で停止する車にものを売る子がたくさんいる。近くの家々は,どう見ても裕福には見えない。また,後日UPする。 LRTの駅へ上がる階段には,ほとんどの駅で,誰かが寝ていた。これは,ピンぼけだが少年だ。別の駅では,起こされても去ろうとはしていなかった。ひょっとしたら,帰る家もないかも知れない。通りがかる人々は,さも当たり前のようにふつうに横を通っていくのだ。 街を歩けば,物乞いの人々がたくさんいる。さらに,この前にも書いたが,巧妙なスリもいる。なんとも複雑な気分になるのだ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/02
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マニラのホテルから,myPCで3日間ダイヤルアップで接続した。接続速度は,26.4Kbpsという今となっては恐ろしく遅い速度だった。そのため,時間がかかってしょうがない。日本でも,数年前まではこうだったことを懐かしく思い出す。それでも,64Kbps近くはあったと思うが… 毎日,2時間以上つないでいた。何が心配と言って,電話料金だ。今までも,あちこちの国でつないできた。しかし,同じ国でも,地域やホテルによって,かなり違いがあるのだ。 例えば,タイでは,何時間しても何百円のところから,何千円のところまである。ベトナムなんか,接続ポイントが少ないので,地方へ行くとかなり高かった。と思えば,無料のLANケーブルが来ているとこもあった。 さあ,チェックアウトのときだ。今回は,不調でかけ直しを含めて3日で5回分だ。覚悟をしていた。…と,請求書を見た。「あれ??」…105ペソ(約260円)だった。21ペソ×5回らしい。時間は関係なく,回数だ。拍子抜けした。 日によっては,時間が長くなるので,長いなりに急いで終わった事もあった。これなら,遅いなりにゆっくりとできたのだ。 携帯からも,何回も書き込んだ。しかし,本当は行方不明状態であちこちを歩き回るのが,いいのだが…若いときは,それでよかったが,歳をとってくると周囲との関係で,そうはいかなくなってくるのが苦しいところだ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/01
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無事に関空へ着いた。機体は、3+3の2列だ。しかもピッチが狭かった。代替機だからか?行きは、3+4+3の3列だったから、えらいちがいだ。道理で「フル」なわけだ。 空港を21時半過ぎに出て、今は特急はるかだ。発車は22時16分なので、まだだ。家に着いたら24時半を回る。 明日から、また現実に戻って仕事だ。まあ、帰ってから、少し仕事をしなければならないが…
2007/04/01
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機体は香港から来た便になるらしい。昼食が支給された!ただし、アナウンスに気づかなかったら、ないだろう…左の包みの中はライスボールだった。 私が空港に着いたのは12時。フライトが14時30分の予定が、16時35分になった…1人で待つのは長いw(゜o゜)w
2007/04/01
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空港入口の長い行列をやっと通過したと思ったら、関西行きは機材変更のため2時間ほどのディレイ…(*_*) さらに、アナウンス「本日は予約が一杯なので、6名ほど明日のフライトに変えてください~」だと!!変えたら、3000ペソかホテル1泊をつけるそうな。それと、あと1つ何かサービスを言ってた。 もし、いなかったらどうするんだろう??幸い、チケット発券後だった。 あまり施設のない空港なので、ヒマだ!
2007/04/01
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空港だ。いつも思うが、この長蛇の列はなんとかならんのか!!
2007/04/01
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