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親父の書斎が本のジャングルのようだったのが影響しているのか、自分の部屋が職場でも自宅でも同じ状況になっている。整理術の本など何冊も読んだがいまひとつしっくり来ない。もちろん、自分でもごちゃごちゃしてることが落ち着かないもとになることがあるのは承知していて、かつて受験勉強などをしていたころは一つの机が飽和したら次にいくというヤドカリ状態をつづけていた。もちろんそのうち行くところが亡くなるので、ゴソッと机の上のものをすべて別に放り出して次を続けることになる。片付けの上手な友人に昔聞いてみたことがあるが、「元に戻すのよ。」といとも簡単に言う。元どこにあったかさえもわからなくなっているので、あまり僕には役の立つアドバイスではない。というより、「元の場所」を作ってあげることができないぐらいモノがあふれている。特に本が溢れている。最近はレントゲンフィルムも溢れているので手が付けられない。デジタル化の波が押し寄せてきて大体のフィルムはPACSというオンラインで見ることができるようになったので大分減っているほうだ。そういうものの洪水に加えて、ワンガリ・マータイさんが「モッタイナイ!」とやるまえからの勿体無い人間なので、モノを捨てるということに一大決心がいる。ごみだこれはと冷静に考えれば分かるものでも大切に放置してある。おそらく私の部屋にまず必要なのは大きな作業机と大きなゴミ箱。大きな作業机には仕事をするときにしかモノを置かないようにする。そして終了したら、パタパタと片付けてさよならする。ということだろう。外来の机にモノを放置したままにするということは通常無いので、可能なのだろう。外来では使うものが限られているからか??そして、資料を持って運ぶための一時的な箱??ファイルボックスがあるとよいようだ。しかし、ファイルボックスを置くスペースさえない。やはりいらないものを捨てることが必要?大学の研究者は自分の興味を時間の限りとことん突き詰めるのが仕事なので、周りからみるとなにやってるのか分からない人が多い。実験系なら実験してるのでいかにも仕事している感じでよいが、僕のようなのはいろいろな人にあって話をつけるというのが結構重要だったりするので、営業さんみたいな感じもある。しかし、この分野で誰より詳しいよというオーラが出ていないと関心を示してくれないので、その詳しい状況を作るためには、せっせと論文を書かなくてはならない。この論文を書くのは気持ちをのせないと進まないので、ようは気持ちを盛り上げることが重要だと思う。僕の場合は気持ちを盛り上げるのに、本を読むのが一番いい。池波正太郎の「剣客商売」がいちばんいいようだ。あれを読むと秋山大治郎が剣の道を突き進むように、自分の道を進まねばと思うからだ。英語で論文を書く機会が多いので、その前には英語で小説を読むことも多い。そういうx全然違う分野の文章が創作(ほんとに論文を創作したら、大変なことだが)意欲を掻き立てる。
2006年07月22日
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タイ・バンコクに出張予定。海外出張をするといろいろな刺激をうける。タイは王室が非常な権威を持っていて一日に数回はサイレンがなって王宮に向かって敬礼をしている。非常な金持ちと貧乏な人が住んでいて、一見しただけではわからないが、行くところに行けば持ち物が違うという感じ。ホテルなんかも日本の感覚では一日分の宿泊費で一週間ぐらい泊まることのできるホテルがざらにある。さらにすごく安いところもある。また、オリエンタルホテルみたいに超一流ホテルもある。そういうことを知らずに初めてタイにいったとき、カード会社の勧めるホテルに泊まったところ、タイの厚生省の人に「すごいホテルに泊まってるんですね。」と驚かれた。今は彼が世話してくれるホテルに泊まるようにしているので安くてよい。 フードコートなどに行くと、一食百円で結構食える。ラーメンにパクチーが入っているのが初めは往生したが、そのうちこれがないと物足りないようになってくる。ラーメンがすごい甘い味なのだ。あまいラーメンって想像できないでしょう、普通は。だから、パクチーが必要なのだ。
2006年07月21日
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かなりブログを放っておいたが、心配してくれる人もいてありがたいことだと思った。今日は教室の研究会で体育の分野の研究生の発表だったが、身体を動かすことで心の状態が開放されていくというような主旨のことを研究したいようで、経験的あるいは感覚的には知られていても科学的に証明するにはきっと遠い道のりだろうなと思う内容であった。研究を始めたいという人たちはこういう青空のような夢を持って入ってくる。しかし、西洋哲学や科学の考え方に則った大学で研究をしているとこういう夢のような話の難しさばかりが目に付いて直ぐに現実的な方向へと走ってしまう。しかし、自分の夢を実現するという熱意がないと研究のように単調な毎日には直ぐに嫌気がさしてしまうだろうと思う。 自分が研究室を主宰していない状況では、主任教官が考えていることを実現するだけでも仕事になるし、その際に、いろいろとアイディアが取り入れられればそれで満足することもできる。しかし、自分が主宰するとなれば、ビジョンがあってそれを実現していく原動力がなければ到底続くまい。果たして今の自分にはそのようなビジョンがあるのか、と自問せざるを得ない。 学生時代に行く道を選択したときから、自分は前に進んでいるのか彷徨っているのか。主任教官の仕事を助けるということのみに満足していないか。追求すべき真理はなにか。どのようなビジョンを持っていて、それを現実のものにしたいのか。勿論、おぼろげなは見えていたとしても、学生時代のようにただ夢を描いているだけでは大人とはいえまい。それを現実のものとしてこそ、立派な大人と言えるだろう。実現するには夢を共有する仲間が必要だ。家来ではなく同志が必要なのだと思う。そういう仲間をどうも必要としているらしい。
2006年07月11日
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