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大学は普通の企業ではないので利益を追求するというだけでは困るでしょうが、今までのように公務員だから定年までは首にならないし、給与も年々挙がっていくのが当然という考えは法人化で消えたと思っていたのですが、どうも引きずっているようですね。人事院勧告に準じてというのがいつまで続くんでしょうか?独自の戦略を打ち出して、多少我慢してでも小粒でもぴりりと辛い大学にしようという意気込みが経営陣には足らないのでは...と思います。若手がしがらみに縛られない意見を提出してもなかなか聞いてくれないというのはどこかの国の行財政改革と全く同じ構造で安倍政権を注視するのとおなじくらい大学の経営には目を光らせないといけないようです。ドラッカーは21世紀は公共サービスの時代だといっています。大学や病院といった公共サービスを提供するところが何を成果とするのかという観点で評価し、独自の経営の指標を出さないといけないのかもしれません。大学のスタッフ一人ひとりの仕事は教育、研究、医療、社会貢献であるでしょうが、経営陣はただ文部科学省の言いつけどおりに何かをするのではなく独自の戦略を提示することこそ本文だと思いますが、大学人が経営のプロになるのは難しいことのようです。
2006年09月29日
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石井さんという人が書いているプチリタの話しっていますか?結構売れていて女性にも人気があるようです。本は読んだことがありませんが、メルマガの登録をどこかでしたらしく、ずっとその関係のメールが来ます。「直ぐに辞表を提出しよう!」「理解されない人は成功者になれる」「時間が欲しかったら風呂に入る時間をなくそう」という調子でかなり過激です。しかし、僕も結構過激にやっていた時代があるので共感できる部分もあります。経済的には彼ほど成功していないですが…MIXIが上場して売り出し価格の10倍の値がつき、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)というネット上の村づくりも活発化しているようです。中には悪い人も紛れ込んでいるのでしょうから、気をつける必要はあると思います。でも、本田健さんの本でも、多くの人に共感してもらえて、彼らを巻き込んで行えば一人ではかなり難しいということでもあっという間に達成できます。僕もなかなか人を信じないところがあって、なんでも自分ひとりでやってしまおうという傾向があり、背負い込みすぎることがよくあります。そうすると実力の6割程度しか出せずに終わってしまうこともあります。「これが大変なんだ」といって友人に愚痴るだけでも力が湧いてできてしまうこともあります。友人が協力してくれることもあります。影で支えてくれているということも限りなくあるでしょう。そういう現象がSNSでも起きるのかなとちょっと期待して、前述、石井さんのやっているココロネットというやつに入ってみることにしました。なにかいいことが起こるでしょうか。すこし楽しみです。
2006年09月20日
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英語で日付書けますか。英国式だと16 September 2006米国式だとSeptember 16, 2006 ですね。斜線で区切ると 9/16/06です。2006/9/16の順に書く人もいます。英国式はカマ(comma)がないのに、米国式はカマがあるのは数字が二つ並ぶからだと思います。でも、曜日が入るとどうでしょうか。子供の頃に毎回Monday, September 11, 2006と書かされていたので米国式だとカマがいるのは知っている(つもり)なのですが、英国式だとどうなるんでしょう。さっきの理由がカマの存在意義なら、文字の次が数字になる英国式ではカマは不要???知っている人がいたら教えてください。
2006年09月16日
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Barneys NYと書いたのに、そのことについて書いていなかったので追記。それとapostrophe " ' " は不要らしい。 イタリア製の洋服はちょっと若者向きかなと思って今まで買ったことはないのだが(イタリアの学会帰りに空港でBoggiのジャケットは買って帰ったことあり)、昨日寄ったBarneys NYにはちょっといいスーツがあった。前にも、横浜の店で目を付けていたのだが、1年振りくらいに着てみてもやはりきれいなスーツだと思った。Castangiaというのだが、日本ではBarney's NYにしか置いていないらしい。仕立て屋さんに仕立ててもらうと自分の体型に合わせていろいろ補正をしてもらっているし、腕がいい仕立て屋さんだとよく作ってあるなあと思うのだが、プレタポルテは完成しているデザインなので、全体のバランスがよいからだろうか。 いくつか違うブランドのものを着てみたが、圧倒的にこのCastangiaがよかった。しかし、値段がいいのでもう一声出せば仕立てられる額なのだ。なんか理由をつけないと買って来れない感じ。やはり株で一儲けして、「パーッと行こう!」という感じでなきゃ買えないかもしれない。松阪屋にHenry Pooleという英国の老舗の仕立て屋の既製品が置いてある。仕立ててもくれるようだが、Castangiaのほうが断然よかった。福井にいる非常に腕のいい仕立て屋さんに作ってもらったことがあって、できればそこでいつも作りたい(夢は大きく!)。彼のマイスターなら、おそらく、型崩れがしますよと忠告するのだろう。実際に、Barneys NYの店員さんもそういっていた。確かに仕立てたスーツは型崩れがしない。脱いでもかっちり形が整っている。それがよいか、今風のUnconstructedなスーツがよいかということだろう。でも、たまには今風の洋服をきて若い気持ちになってみたいもする。
2006年09月14日
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朝から御茶ノ水で会議だったので、昨夜は山の上ホテル泊。いままで泊まったホテルの中ではかなり気に入っている。たまたまかどうか、前回と同じ部屋だった。単に楽天の予約の割引の部屋がそこなのかもしれないが、快適だった。前回同様、夜食にハヤシライスを頼み、朝はてんぷら山の上で朝食をとったが、前回ほどの感慨がなかったのかまあ普通に旨いなという程度であった。前回はくたくたに疲れていたので、ホッとしたところに旨いものが出てきたので、ああ旨いと感じたのかもしれない。昼は幸いにして、何も出なかったので飛行機の時間まで3時間ほどあったので銀座まで出て天一で天丼を食した。ここの天ぷらは旨い。出張費ではこんなところで食うほどのものは出ないので自ずと持ち出しになる。勿論、山の上ホテルに泊まるほどのものもでない。こういう出張にはできるだけ金をかけないというプラクティカルな人もいるが、僕は人生経験だと思うので、ひどい贅沢をしようとも思わないけれど、評判のよいホテルや食堂があれば寄ってみたいと思う。その評判というのが自分のオヤジの世代の人が言うことを頼りにしているので、同年代の人からするとちょっと時代遅れかもしれない。お土産に羽田限定黒い東京バナナを買って帰宅。これからPTAの集まりがある。
2006年09月13日
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国際語としての英語をマスターしたいのか英国人や米国人になりたいのか。日本を世界に伝えたいのか。ということも、考えてみるとよい。英国人俳優や米国人スターのしゃべり方をそのまま真似て振りも添えてやってみるというのは楽しい勉強法だと思う。僕も結構やってみた。大分昔、東後勝明先生がやっていたラジオ英語会話は、米国人だけではなく英国人の登場人物がいて微妙に発音が違っていて面白かったし、アルクのEnglish Journalではそれこそあらゆる国籍の人が登場して、訛りが強くて殆ど聞いていても分からない人もいた。10分程度のインタビューを聞くというのは結構しんどいが当時高校生だった僕でも何回も繰り返し聞いて結構分かるもんだなというところまではいった。 年齢を重ねて世の中を知ってくると経済の動きとか政治の舞台でどのような登場人物がいてどういうトピックがあるのかということも分かってくる。こういう背景を知ることはどのような言語を使っているとしても情報を掴むためには重要だ。日本語の中にはかなりの外来語があり、日本にいる大人の殆どは学校でならった英語とあわせて2万語程度の英語の単語を理解可能だという。勿論カタカナ英語のすべてがそのものの意味を表すわけではない。アメリカで初めて英語を習った頃、一緒にいた妹がウイニーの宣伝の歌を歌っていたら、「それはおちんちんのことよ!」と日系一世のお母さんに怒られてしまった。そういうこともあることを忘れてはいけない。お父さんにパピー!なんて読んでいる女の子!それはpuppy子犬ちゃんのことですよ! さて、本題に戻るが、戦後の占領のせいか、日本の英語教育は米語一辺倒だが海外で学会などに参加したり、アジア諸国で話をしてみるとむしろ英国の英語に近い発音が多いように思う。米国に留学した人も徐々に増えているので一概には言えないが、米語といえども英語の一方言と考えたほうがよいかもしれない。正しい米語は3大放送(ABC、CBC、NBC)のアナウンサーしかしゃべれないというほど米語の方言はいろいろある。Ronald Reaganが話した英語とGeorge Bushが話す英語は全く違って聞こえる。金持ち父さんのRobert Kiyosakiは日系人なので「この英語なら真似できそう」という感じがかなりある。興味のある方は、www.richdad.comを覗いてみよう。
2006年09月12日
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英語の発音は日本人にとってはちょっと難しい。全く同じにはできないとあきらめたほうがよいと思う。西洋人と口腔の中の形が違う。だから多少工夫をしないと似た音にならない。ところで、世界で活躍しているビジネスマンや外交官の英語を聞いてみると、留学帰りのお兄さんたちお姉さんたちとはかなり違うことが多い。はっきり言って発音自体は下手な人が多い。しかし、見事なほどに論理的で、必要なメッセージが含まれていてはっきりと相手に伝わる。十分にコミュニケーションしている。アメリカでグリーンカードを取得して、アメリカ人と対抗して生きていこうと思えばCalfornia Rを身に付けないと出世はできないだろうが、国際人として生きていく上には論理的な思考やユーモア、異文化の理解、伝えるべきメッセージを持っていれば十分すぎるほどの活躍ができる。まず、目指すべきところは日系アメリカ人の英語か?勿論、自分はCatherine Zeta Jonesが大好きで、その口真似をしているとか、何が何でもSean Conneryだという人はその路線で行くしかない。小林克也が南部訛りの英語を話すのは有名で、彼の発音は日本人離れしているなあとその昔うらやましく思ったものだ。しかし、個々の単語の発音が非常にうまくてもメッセージが十分に伝わらないスピーチをしてしまう人もいる。区切るところを間違えていると非常に聞きづらい。そしてゆっくり過ぎるスピーチは話がどう流れていくのかみえない。原稿のあるスピーチはある面非常に簡単だが、原稿のない即興のスピーチやちょっと知的な会話ということになると積み重ねないとたくわえが底を突くことになる。AOLのchatをアメリカの友人としたことがあるが、別のアメリカ人もそのchatのなかにいたこともあり、挨拶してちょっと発言しただけでついていけなくなったことがある。思ってタイプしようと思ったら、既にそれに対する反応が書かれてしまっている。それに対する答えを考えていると次のメッセージがという調子で、彼ら同士の会話のスピードに対応するのはかなり大変だ。理解するだけではコミュニケーションにならない。そのあたりが、今の自分の限界のようでその頃の状況から大幅に上達したとはいえないだろう。英語でのBlogをやるべきだなとはおもうが、継続的にはできていない。彼の「英語道」の松本道弘氏は英語で日記を書き、日系アメリカ人と偽ってデパートなどで英語でしか話をしないという訓練を続けていたそうだが、日本に居ながら英語を習得するにはそれなりの努力が必要だ。ただ、努力といっても好きなことならば長続きがするし、努力という印象も薄れる。ファッション雑誌を眺めるのが好きな人なら、ELLEやVOGUEといった雑誌の英米版を購入すればよい。アメリカの雑誌のHPでは定期購読のキャンペーンが時々されていて、以前にEsquireが年間8ドルというので「うそだろう!」と思って注文したら、毎月アメリカから送られてきて本当に8ドルしか取られなかった。でも、これは国際郵便代を明記し忘れていたらしく、次の年に更新しようとしたら、北米以外は受け付けませんという状態になった。注文したのは僕だけではなかったようだ。現在は郵送費が別に取られるようになっている。購読してみてはいかが?
2006年09月11日
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ということで、英語の習得法を書いてみよう。オヤジが英語の研究者だったせいで、小学校の頃に中学生の教科書と辞書を渡され、「これを訳せ。」と言われ、大学ノートに本文を書き写し、辞書を引いた言葉に線を引き、反対のページに訳を書く。これをオヤジ殿が○×を付けるというのが英語勉強事始であまりよい記憶ではない。今の世の中のように、素敵でやさしい青い目の先生がやさしく教えてくれたのではない…とひがんでみたところ、ああ、それ以前にLos AngelesでBobbyのお母さんに習ったのが最初だと思い出した。オヤジ殿の留学に随行したわたしたちは現地の小学校に入れられた。だが、全く英語も分からないので、特別授業を受けることになった。その担当者が日系一世のその先生だ。丁度、息子さんがわたしと同じクラスでよく面倒を見てもらった。確か一番最初に習った言葉が、ant(アリ)とaunt(伯母さん)。それから、fat(太っている)とthin(痩せている)ではなかったか。それをしばらく続けた後、本当の外国人向け英語クラスに入れられ、アメリカ人の先生の厳しい発音の訓練を受けた。中でもよく覚えているのが、thirteen。thの発音が上と下の歯で舌の先を軽く挟んで、引っ込めながら発音し、「(サ)トゥルルティーン」という感じで発音するのを数十回やらされた覚えがある。西海岸はrの発音に厳しいようだが、そのせいもあったのだろう。 さて、若し読者の方が英語を習得したいと今考えていて、どこから始めてみたらよいのか分からないと思っているのなら、まず、英語を使う国について興味を持つことからはじめてみたらどうだろうか。それには彼の国の本を読んでみることだ。ベストセラーになったDaVinci Codeの訳書でもよいし、「大草原の小さな家」でもよい。今考えてみると、子供の頃に見たアメリカは魅力的な国だった。肌の色や髪の色目の色のの違う子供たちが一緒の学校に通い、言葉が分からないながらも一緒に遊んでいる(勿論、言葉が分からなかったのは妹と僕の二人だけのようだったが)。唇を横に広げて、えくぼができるような笑顔の国、すばらしい青空。もう少し長くいたならば、苦労せずに英語を習得できたのだろうが、4ヶ月のみの滞在で帰国したおかげで、英語を習得する難しさも体験できたと言えるだろう。 彼の国に興味を持ち、自分が興味のある音の出る教材があれば、それを使ってみるのがよい。英語のポップスなどが好きであれば、その曲を聴き口ずさむのがよいだろう。事実、同級生にもBeetlesが好きな奴がいて、えらく発音がうまく感心したものだ。僕はその頃、そういう音楽には関心が無かった。むしろ、「大草原の小さな家」にでてくるお父さんに西部開拓魂のようなものを感じ、その話が好きでたまらなかった。だが、我が家には二ヶ国語放送のチューナーなるものが無く、友人に頼んで録音してきてもらったりしたものだ。そうやって聞いた大草原の小さな家は、日本語の放送を聴いているから内容を追えるものの、基礎英語や続基礎英語とは異なるスピードだった。実際に話されているスピードでなければ、役に立たないなとそのとき強く思った。
2006年09月11日
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作家や評論家が「私は雑誌に何本の連載を抱えています。」というと格好がよいが、Blog等の普及で今すぐにも何本もの連載を抱えることができる。要は自分で自分にあるテーマで文章を書いて意見を述べてみよと課題を出して、思うさま書いてみればよい。その瞬間から、作家になれるし評論家になれる。新しい考えの提案者になれる。もちろん考えているというだけの話ならば、一億人以上の人が悩みながら生きているこの国の中だけでも似たようなことを考えた人はいるのは確実で、それをどう実現するのか、どういう体験があるのかというあたりが他人と自分を分ける違いになるのだろう。考え方が斬新であるというだけでは、その人の実に成っているとは言い難い。 作家であれば、自分が生きてきた中で感動した体験があり、その感動を伝えたいという気持ちがあって、それを表現しきったときに分かってくれるひとが何人か現れるのではないか。それが明確なテーマを持つということだろう。テーマからずれていると何か違うなという印象をぬぐえない。一貫したテーマがあれば、この人はこれを伝えたいのだなということが分かる。その人の意図が分からない話は、普通の会話でもやりづらい。「今日はただ話がしたくて来たんだな。」という理由であっても、明確なメッセージを出しているほうが付き合いやすい。 十分には使いこなせていないが、RSSリーダーなるものを使えば魑魅魍魎が渦巻くインターネットの世界から自分の関心のあるテーマを常にフォローしていくことができる。一級の執筆陣さえそろえることができれば、個別の雑誌を編集するようなものだ。ある人の話によれば、本を書こうと思えば、一人の明確なターゲットを意識してその人に語りかけるつもりで書くのがよいのだそうだ。その人の背後には20万人の似たような読者がいるのだという。今はその20万人につながる一番よいルートは出版社のようだが、徐々にインターネットの無料の世界に変わっていくらしい。無料の情報で且つ信頼性の高いものというのがGoogleのPageRankなどの信頼性の指標で示されるようになってくると雑誌社の意向に沿った文章を信頼性の高いものとして読んできた時代から、世界中の人が信頼性が高いと考える記事を自分で編集して読むような時代へと移り変わっているらしい。 わたしも2,3本の連載を抱えて書くという訓練を始めてみようと思う。最初のテーマはなんだろうな。英語の習得法、国際的日本人、男と女は分かり合えるか、なんてところだろうか。
2006年09月11日
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本日は朝から当直。コンバインに巻き込まれかかった人が来た。幸い脂肪の多いところで血管など損傷なし。その他、蜂刺傷、クラゲ刺傷など。越前クラゲは今年は少ないらしい。ケーブルテレビで壬生義士伝をやっていてちらりちらりと見ている。ずいぶん前に新春12時間ドラマでやっていたときにも見たが、極貧の南部の武士が妻子を養うために脱藩して新撰組に入る話。こういうドラマを見ると自分がこの吉村嘉一郎の立場だったらとついつい話の中に入り込んでしまう。極貧で食べられずに死ぬということに実感がわかない自分は恵まれすぎか。自分の稼ぎをすべて里に仕送りし、自分は裸一貫で命を懸けるという生き方はかつての出稼ぎ労働者に通ずるところがあるのかもしれない。今の自分はそのくらい妻子のために尽くしているのかと考えると疑問だ。尤も何をしたかというだけが、すべてではあるまいが。形だけで心が伴っていないということもありうる。結局、自分が納得したやり方でなくてはやったことにならないし、相手にそれが伝わらなくては完結しない。死んでしまって後に始めてわかるということもあるようだが…壬生義士伝、小説はもっとよいようなので、読んでみたいものだ。大分昔にミンピの井戸?のシリーズを読んだが、壮大な話を書ける作家だなと思った。
2006年09月10日
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昨日は子供をつれて近所のグリーンセンターへ。一輪車の練習をしたり、子供と相撲を取ったりした。子供はエネルギーが有り余っているらしい。投げても投げても襲い掛かってくる。5人もいるのでなおさら大変。足を持ってぐるぐる回すと大喜びで「もう一回やって」と騒ぎ出す。犬の訓練をしている人がいた。フリスビーを投げると矢のように飛んでいく。この犬も失敗しても何回も何回も挑戦していた。一輪車も失敗を厭わず繰り返して挑戦する子供のほうが上達が早い。あまり比べてしまうと、上達の遅いほうがやる気をなくすので、どう励ますか難しいところだ。
2006年09月10日
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うどんの映画がなかなか面白いらしい。讃岐で育った者としては大変うれしい。楽天の亀城庵さんもなかなか旨いが、最近再会した小学校のころの友達がやってる店(郷屋敷という)もなかなか旨かった。香川には旨い店は山ほどある。つい最近までは、香川のどのうどん屋で食っても旨いと信じていた。セルフサービスも子供の頃毎日通った枝川など最高に旨い。昼時になると行列が店の中から外までできている。大体県庁の職員だろう。その当時、かけ小で70円!これがうどんの麺がプルプルで最高に旨かった。そういう体験があるので、この間、栗林公園の近くの青空駐車場に止めて、「おじさん、ちかくに旨いうどんや無い?」ときいて紹介してもらったセルフの店が不味かったのには閉口した。これはなんというべきか、昼時をはずしたのが失敗の原因かもしれない。明らかにゆでてから大分たった乾き始めのうどんをあたためて…「岡山のセルフうどんのレベルだ!」とあたためるそばから思っていたら案の定旨くない。やはり、はるばる来たときは知った店しか行かないのがよいのかと思った。 しかし、その岡山(といっても倉敷の水島だが)で珍しい本物のうどん屋にであったことがある。これも高松で近所にあった「こんぴらうどん」の名前そのもので、入ってみると細切りざるうどんがある。ちゃんぽん麺ぐらいの細さのざるうどんでしかも讃岐うどんのプリプリ感だ。オヤジに聞いてみると、高松のこんぴらうどんで修行をしたという話で納得した。
2006年09月05日
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妙な名前のホテルだが、結構部屋はきれいだ。TBSの裏にあり、疲れ果てて赤坂までたどり着いた昨夜は地下鉄の駅から遠いなあと感じた。モダンな作りでテーブルなどは曲線で狭い部屋の中に快適な空間ができている。シャワーしかないのだが、洗面所からの空間も清潔でシックな感じ。そのシャワーが、手に持って使えるものと、頭の上から垂直に打つものと、腰にあたる感じのボディーシャワーと三種類あり、これがなかなかよい。洗面所の空間も狭いのだが、そこに拡大鏡?クローズアップミラー?なんと呼ぶのかは知らないが、ひげそり用の拡大鏡がありちょっとうれしかった。この鏡、大分前にドイツのドルトムントの個人営業のホテルに泊まったときに初めて使ったのだが、そのときこんなにいいものがあるのかと大変喜んだ記憶がある。しかし、日本に限らずアメリカその他の国でも高いホテルに泊まったからといって必ずあるものでもない。髭剃りは男の身だしなみの基本なのだが、そういう配慮のあるホテルでいいなと思った。 朝食はビュッフェ。ホテルの雰囲気が西洋風なので洋食を取ったのが間違いだったらしい。やはり日本で洋食の朝食の旨いホテルと言うのは限られたものなのかもしれない。といっても朝食で旨いなあと思ったのは前述のドルトムントのホテルが一番だ。何種類ものブルスト(ソーセージ)やチーズがあり新鮮な野菜があり淹れたてのコーヒーがありというものでこれ以上のものにはワシントンのリッツカールトンでもお目にかかったことは無い。それに対抗できるのは山の上ホテルの和定食の朝食か。 昨夜久しぶりに夜の渋谷を一瞥した。昔はよく歩いたものだが、田舎暮らしになれている今高校生と思しき制服姿の女の子が外人男性と抱き合っているのをみると、「日本は異常だ!」という思いが湧き上がってくる。安倍くんの「美しい国」どころの話ではない。政治家は夜の渋谷を歩いてみるべきだ。憂国の情がふつふつとたぎってくるのは間違いない。そのカップルとインド人夫婦と思しき慎ましやかなカップルとが実に対照的だった。
2006年09月05日
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人間、常に燃え続けているという人がいるのだろうか。ホメロスのトロイの木馬の戯曲を信じて発掘を続けついにトロイの町を発見したシュリーマンが「古代への情熱」の中で「天才とは情熱を保ち続けることのできる人である」と述べた。上がり下がりのある人間ではなく、一つのことに対して心を燃やし続けることができるかどうかが、大物になれるかどうかの分かれ道だと言うことだろう。果たして不惑の年を目前にして情熱を保ち続けることができているのか。若き日に志したものは今どうなっているのか。反省すべきところが多い。だが、行くべき道を選ぶについて悩んでいても仕方が無い。胆を据えて、失敗すれば自分が責任を取ればよいという姿勢で行くしかない。人の責任にするような卑怯な生き方だけはしたくない。潔い生き方をしたい。
2006年09月03日
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