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学生向けの肺癌画像の研究会に全国区で知られる胸部外科の先生が毎月教えにこられている。僕も学生時代、外科の肺癌検討会に毎週顔を出していたこと があり、学生時代からそういうふうに第一線の先生に教えてもらえることはありがたいことだと思う。この先生の説明されるのを今まで聞いていたのだが、僕た ち大学の教官より、よほど忍耐強くしかも熱心だと思う。また、経験に裏打ちされた知識がすばらしい。それでいて、それを見せびらかすようなところがない。 脱帽した。
2006年06月22日
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休憩時間中。今日は産業医の外勤である。産業医というと、健康診断が仕事だとい認識が多いが、健康診断の中で も一般定期健康診断という主に結核予防法の結核検診と肝機能、血糖、コレステロールなどの血液検査を行う検診を会社で行っているのわが国だけだと言ってよ い。本人の生活習慣に起因する病気について会社が責任を負う立場にはないからだ。その点、米国などでは健康保険自体が国家としてないのだから、通常の疾病 については会社どころか国家さえ責任を負う立場にはないわけだ。 欧米で会社での健康診断というと業務の関係で特別に有害な環境におかれていてそ影響をモ ニターするために行うものだとの認識が強い。つまり、日本で行われている特殊検診がそれに該当する。そのあたりの認識の違いが、会社でのがん検診の実施な どに現れている。がん検診の対象が職業癌でない限り(アスベストに職場でばく露されている場合、これは職業癌だ。)会社で行う必然性はない。もちろん、会 社が費用を負担する必然性も無い。ただ、地方自治体や国が実施するがん検診事業の受診率を上げて有効なものにしようとするのならば、職場検診の機会を利用 させてあげるということはありだろう。このような議論が必要だと思う。休憩が終わったので、ここで終了。
2006年06月22日
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どこかのHPでみつけたAl Bazarという店に行きたくて、着いた初日に歩き回った。「ベルチェロ通りに程近い」と書いてあったのだが、通りといってもVia Corso などいくつかある。皆目見当がつかない。地図とにらめっこしてCorso Verochelliというのをみつけたのだが、そこに近いというだけで結局どこかわからない。"Dov'e il Al Bazar?" とやればよかったのかもしれないが、友人が泊まったホテルの受付で聞いても、始めて聞く名前だと相手にされなかった。インターネットで調べたらと言われたので調べたが、そこでもヒットしない。目の前に電話帳が置いてあり、それで調べると見つかった。Via Scarpe靴通り。確かに、Corso Verochelliの近くだ。 早速、友人を連れて行ってみた。店構えからして、マホガニーのようないい色の木でできたショウウインドウ。仕立てのよさそうなスーツが並んでいる。早速店に入ると、どこかのHPでみた名物オーナーと思しき白髪交じりの品のいい紳士が談笑していた。スーツは僕の体格だと46らしい。確かイギリスサイズだと38なのだがボタンを閉めようとするとおなかのところがぴったりで皺ができてしまう。「きつそうに見えるけれども、私たちはこれでピッタリのサイズだと考えるんだ。イタリア製のものはこういうスタイルなんだよ。イタリアではほとんど前のボタンは閉めない。だからこれでいいんだよ。もし、あなたが、これでは窮屈だと思うなら、もうすこし広げるけれど。」と説明してくれた。そして、袖丈については、「もう少しつめないといけないね。」といった。日本では手の長さにあわせて袖を詰めているので、あのサイズならこれでOKといわれただろう。だけど、彼らはシャツの長さを気にしているようで、シャツが1cmほど出る長さを示していた。 ファッションにうるさい友人は、わたしが試着を終え、ちょっと考えて決めますといって帰るころにも、夢中でカフリンクスやネクタイなど小物を見ていた。彼によると、今まで見た店の中で一番の品揃えだそうだ。スーツの値段は950ユーロでこのときの僕の予算には合わなかったので、今Wardrobeには加わっていない。かわりにMalpensa空港で帰り際に買ったBoggiのlino入りのgiaccaをいま羽織っている。250ユーロなり。
2006年06月21日
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コモ湖はミラノの北で特急列車で約40分程度で着く。Centraleから列車に乗り、Como San Giovannniという駅で降りて、歩いていくと湖が広がっている。さて、それまでの道中のはなし。Biglietteriaというのが駅には大きく書いてあってそれが切符売り場らしいことが分かる。切符をくださいというのは"Uno bigliette per Como San Giovannni, per favore."と本に書いてある。その通り、読んでみた。biglietteをビグリエッテと読んだのだが、一応分かってくれたらしい。しかし、すぐにbiglietteはビリエッテだということがわかる。やけくそでも、口に出していってみるとそこに言葉の先生がいるわけだから外国にいると言うことはすばらしい。小学生のころthirteenをアメリカの小学校の移民向けのクラスで徹底的に発音させられた。自分で結構うまくできていると思っても許してくれない。おかげでこのthirteenについては“トルルティーン”見たいな感じで前歯の間を平たくした舌がすごいスピードですり抜けていけるようになった。どのthについてもこれができればいいのだが、他の単語はそこまでスパルタ教育を受けなかったのでそれ簿度でもない。 さて、そうやって列車に乗り込む。Classe 2と書いてあるのでseconda classeらしい。2等車ならば自由席かと思ったのだが、空席があってもみなどんどんと進んでいく。お供のSignoritaとなんでここみんな座らないんだろう。と思いながら、ここだれかいるの??と英語で聞いてみると、ここに番号かいてるでしょと言われ、始めて指定席なのだと分かった。乗った列車はユーロスターのIC(Inter CIty)で結構快適。ヘッドレストが席の外側だけについていて、隣の人にもたれかからなくても眠れるようになっている。 帰りもICで帰ってきたが、予定変更して早いのに乗りたい!というと駅員はこのままでOKと指定席を変えてくれる様子も無い。確かにComoはMilanから一つ目の駅なので、空いてれば座ってOK帰りも無事座ることができた。改札は駅の入り口にはなく、途中車掌がパッチンとしにくるだけ、改札のところでばたばたと走っている人もいないし実に大人の雰囲気の駅だ。Milano Centraleに着くといかにもヨーロッパの駅ですという半円筒の終着駅のドームが見えてきて思わずシャッターを切った(デジタルなので本当はシャッターを切っていない!)。
2006年06月20日
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英語の問題で一番簡単なのは、長文読解でしかも英語で質問されて英語で答える問題である。なぜか、それは答えが問題の中に必ずあるからだ。問題文だけあって、論理的な文章を書かなければならない問題が英米の大学での問題なのだが、それとは話が全く違う。 英語の特に論理的な文章は、必ずパラグラフparagraphごとに主題文thesis sentenseがある。このthesis sentenseを引っ張り出してつなぎ合わせれば、文章の要約ができるし、thesis sentenseの親玉が文章全体のthesisとなるのだ。このthesisとtitleとはほぼ同一であるはずだ。この理屈が分かっていれば、2000語ほどの文章の要約は瞬時にできるし、読解で聞かれるのは文章のポイントなのでこのthesis sentenseが答えそのものである可能性が極めて高い。 こういう問題のほうが、不規則な発音ばかりを集めて聞く発音問題や、文法の問題よりも論理的な頭には解きやすい。そして実際に役に立つのはこのlogicalな考え方である。英米人は東洋の起承転結の論理は理解しがたいらしい。oratorial contest弁論大会で起承転結に基づいた話を書いてやってみたが、審査員は目を白黒させて「そういう論理の進め方もあるのか、確かに筋は通っている…。」と絶句していた。一次審査は通ったものの、そこから先に進めなかった。その弁論大会で優勝したのは身近な出来事から感じた気持ちを率直に表現して、そこから普遍的な真実を説いたウガンダ出身の同級生だった。会場が彼の話に共感していた。論理と感情とは別々であるようにも思えるが、生身の演説では会場の聴衆が沸き立たなければ渦が巻き起こらない。そういえばアフリカの女性牧師、アメリカの新聞屋と組んで出場したディベート大会では、僕の話に聴衆が大喝采を送ってくれた。そのときに背後で裏方をやっていたのがわが友Peter Duveenである。 ともあれ英語は論理でできている。論理を読み解けば枝葉末節にとらわれずに意味が取れる。それがわかると結構いろいろな情報を英文の情報源から取れるようになる。
2006年06月20日
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縦列駐車もすごかった。バンパーに擦り傷があるのは当たり前のようです。行きの飛行機の中でピンクパンサーを見ていたらクルーズ警部がスマートKに乗って登場。前後の車にがんがんに当たって駐車というシーンがあって思わず思い出し笑いした。そうとう暗いようにみえるが向こうはなぜか9時くらいまでは大変明るい。おかげでみんな9時くらいから夕食をとるらしい。だいぶイタリア料理を食ったが、量がすごい。パスタなどは絶対二人分入っている。間違えたかと思って、「これ頼んだ奴?一人分しか頼んでないよ。」と言ったがわざわざ2人用に分けてくれていたことが分かって驚いた。ミシュランをパリのシャルルドゴールで買っていったのが役に立ち、安くてうまい店にいった。しかし、ある人に招かれて中華料理屋に行ったときのこと、メニューに焼きそば=spaghetti, 餃子=ravioliとなっていたのには大変驚いた。そして結構そのスパゲッティー麺でつくった焼きそばがうまいのだ。
2006年06月19日
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ミラノより昨日帰国。小さなイタリア語の本(ジェラーニモ氏著)が結構役に立った。"Dov'e toilette?(ドヴェ トワレテ:トイレどこ)" "Minerale gassata.(ミネラーレ ガサータ:ガス入り水)" "Due Biglietti per Como San Giovanni andata e ritorno, per favore.(ドゥェ ビリィエッティ ペル コモサンジョバンニ アンダタ エ リトルノ ペルファボレ:コモ行きの往復切符2枚ください)" "Mi squsi. Dov'e Corso Verocelli?"という感じで使いまくった。おかげで結構対話ができた。下手なイタリア語でも使うと駅の窓口のおじさんも温かく見守ってくれて人情を感じる。アメリカなんかに行くより暖かい感じがしたのは観光立国のイタリアだからか? それからBar(バール)がなかなかよい。1 Euroそこそこであんなにうまいエスプレッソ、カプチーノが飲めるのはやはり本場というしかない。アメリカのコーヒーはかなわない。(アメリカのcoffee shopはそれで気に入っていていつも入るとブラウニーを食うことにしているが)ここにはパニーニやサンドイッチも置いていて、頼むと温めたりして出してくれる。学会場の近くのBarであわてて昼食を取ったときはpenneとcottoletta alla Milanese(ミラノ風カツレツ)を頼んだが、これがなかなかにおいしかった。観光客など殆ど来ないとみえるその店では地下鉄の構内で働く人が12時になった途端現われ、"Chao, Carlo"と挨拶をしながら品物を選び、店のひとは店の人で歌いだしたりして大変盛り上がっていた。
2006年06月19日
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職場の同僚が腰痛でしばらく休んでいたが、今日から出てきていた。そのせいか、今日は朝から三回ぐらいぎっくり腰になりそうになって、ドッキリ。明日は朝から飛行機の旅だと言うのに大丈夫か??と心配している。大体海外に行くと気管支炎になったり、声が出なくなって咳がひどくて、"This is not bird flu."とか言わないといけない羽目になる。今回は這いずりながら発表をしなくてもよいようにと祈っている。太ももの後ろがボーッとしていていかにもどこかの神経が圧迫されていますよ…という状況だ。あまり大きな身体ではないのに100キロを超える先輩にバックドロップを仕掛けるような柔道ばかりをしていたのが間違いだったらしい。やはり小柄な選手はその体形を生かして背負い投げを徹底して練習すべきだったのだろう。大きな技にあこがれて大外刈り払い腰と大柄な選手がやるような技ばかりをやっていた。その反動で、子供には背負い投げしか教えていない。 腰痛の治療は2,3日の安静が一番のようで、丸一日近い飛行機のたびはちょっと堪えるが、ファッションの都ミラノを楽しみにしていってくることにしよう。といってもこれから荷造りをすべく大学の研究室でゴソゴソやっている。このくらい切羽詰れば、発表の内容のまとめかたがまだ不十分だとか、やり残した仕事があるとかいうことも諦めがつく。大体のことは僕がいなくなっても代わりの人がいてやってくれるに違いない。毎日代わりがないからと自分を酷使しながら働いている人たちには理解できないかもしれないが、重病になって倒れたとしても世の中の営みが途切れることはない。堀江社長が捕まっても、村上さんが捕まっても人は自分のやるべきことをやり、穴が開いたところを埋める人が必ず出てくる。 自分がいなければみんなが困るというのはある面、自分を過大評価している。僕もその傾向があるが、パセリかクレソンぐらいの役割しか果たしていないのかもしれない。そういうと悲しすぎると言う人がいるかもしれない。もっと重要な、必要な存在だと認めてもらいたい人もいるだろう。僕も認められたいという思いもある。だが、背伸びをして認めてもらってもどうかなとも思う。パセリやクレソンでも添え方によっては最高に旨い。そういうパセリであれば善しとしようと思っている。
2006年06月09日
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PETでミリ癌が見つかるというセンセーショナルなうたい文句でPETドックが始まってからだいぶ経つ。私の所属する施設はPET研究の草分け的な施設で、かなり前から研究や臨床では使っていたが、ドックを始めたのはつい最近だ。これも法人化のなせる業だが。PET単独ではかなり偽陰性があることも分かってきており、CTなどとの併用が必要との報告もある。検診というスタイルなので、網をかけてその網に引っかかるかどうかということではあるが、ふるいのかけ方によって検査で異常が出たときに、異常すなわち病気である割合は大きく異なる。その点、ドックでの説明はすこし雲をつかむようなところがあるので、気を使う。外来に「最近、咳がずっと続いていて血が混じることもあるんです。」と言う人の検査結果から、精密検査をしましょうというときと、ドックで引っかかった人の精密検査のお勧めとは検査で異常が見つかる割合がおのずと違うのだ。 しかし、検査で異常を指摘した場合、ある程度精度の高い検査で精密検査をすることは必要だ。特に、悪性腫瘍などの死因になる病気の場合は特にそうである。自覚症状が無いときに見つけるのが検診の役割なので、ご本人にとっては寝耳に水だが、病気があるというだけでもかなり動揺するものなので、そのあたりは注意するようには心がけている。だが、医療従事者にとって、たいしたことは無いという病気でも、一般の方にとっては重大事件であることが多いので、一般人の常識が少ない私たちにとっては結構難しい作業だ。 検診についても、病気がでてくるまで知らないでいたほうが幸せだと言う人もいれば、医学の進歩により早期発見によって救われることを期待して受診される方もいる。どちらも一理ある。医療従事者は健康であることが絶対善であるかのような発言をしてしまいがちだが、人生をかけてもやる仕事や夢があっての人の一生だと思う。それを実現するための役割をこの肉体と精神が果たしているということだろうか。
2006年06月09日
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来週はMilanにいる。国際学会なのでいろいろと気を使うこともあるが、誰も邪魔が入らないので、少しは仕事が進むかと期待もしている。Milanといえばファッションの発信地らしい。雑誌に10万円以下のスーツ特集が載っていて、そこにBoggiとMacoというファクトリーの話が載っていた。作りの細部は日本製のものがよいが、全体のドレープなどが非常によいそうだ。評論家がよいというものがよいとは限らないが、着てみてしっくり行くものならせっかくなので手に入れたい気がする。Al BazarというセレクトショップにMacoのものが置いているらしいし、ホテルの近くにはBoggiの店もあるみたいだから覗いてみようと思っている。洋服なんて気にしなければどこまでも気にしないでいられるのだろうけれど、自分のスタイルを作りたいのにシャツにスーツの袖が引っかかったり、シャツが見えすぎたり隠れすぎたりすると気になってしまう。それでいて、麻布テーラーでつくった39800円のスーツが結構格好良く似合っていたりする。 そんなことより、まだ発表用のパワーポイントができていないけど、本当に大丈夫なのだろうか。荷物の準備はいつも前日の夜なので、こんなものかなと思うが、パワーポイントで発表可能になって以降は、学会開催地でいつも作っているような感じでやや心臓に悪い。完璧な発表にして世界を驚かせなきゃとも思うのだが…
2006年06月07日
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転移性の肺がんで入院中のおばあさんが先ほど亡くなった。当直医なので殆ど経緯はわからないまま、看取らなくてはならないのでご家族とも初めてお会いすると言うケースが最近は殆どだ。主治医で病状の説明を時々している関係ならまだ話しやすいと思うが、この「ご臨終です」という宣告はなかなかつらいものがある。14年目になるがこれだけはまだうまい接し方ができない。相手の大変さを思うと声が出にくくなってしまう。もう相当なお年寄りで特に何が原因と言うわけでもなくなくなる老衰ならば、「天寿を全うされたんですね」と一言付け加える気にもなるが、ご家族が悲しみに暮れているときに、かける一言というのは難しい。 自分の妹が亡くなったときは、その時は気ばかり働いて涙も出なかったが、葬式の時には涙が溢れてきて自分でも驚いた。父親との確執からか、臨終の床の前で言い争いをしてしまったことに悔いが残る。ご先祖様の仲間入りを先に果たした妹は、私たちを心配そうに見守っていたのかもしれない。私の子供たちは何度か見舞いに行ったせいか、私の妹のことを覚えていて、「モコちゃんは死んだのか」と何度も聞いていた。うちには仏壇はないのだが、お菓子などを買ってくると写真の前に供えたりしている。何度も喧嘩をした妹だが、その写真は大学生のころ岡山に遊びに来て後楽園で撮ったもので、実に可愛らしい。はやり死を通して、この世を超越した存在になったからか。
2006年06月04日
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当直に来ている病院で知り合いの先生のお子さんが英語の勉強に夢中なのだそうだ。中学2年になったばなりなのに高校の教科書まで勉強しているらしい。なかなかに頼もしい。わたしの場合は親父が言語学者で、「子供の英語習得過程について」なる論文を書いたねたのために小学生のころ実験台にされた。というのはまず中学校で使われるNEW PRINCEかなにかの教科書を発音させ、怪しい発音はすべて書き留められ、大学ノートに写させられ、英和辞典を与えられて「これを引いて意味を書け!」とやられた。これが大体4年生ぐらいから続いたのではなかったかと思う。妹弟も同時に始めさせられたが、当然年長者のほうが上達するに決まっている。意味を取り違えると、「想像せずに、書いてあるまま訳せ!」と怒鳴られる始末で、大体この実験の時間に一人や二人は泣き出して、さらに怒鳴られるという地獄のような特訓であった。星飛馬の家庭が実に身近に思えたものだ。わたしはと言うと中学の教科書は済んでしまって、子供向けの百科事典を訳させられるようになった。このころにはあまり怒鳴られることもなくなったが、星一徹の姿勢は変わらなかった。 中学に入り、一冊の本が英語に対する印象を変えた。田崎清忠というラジオ英語講座の教師だった人が書いた本で、アメリカ滞在時のエピソードが盛り込まれた「私の英語修行?(なんだったか忘れた)」という本で英語でこんなに人とやり取りが出来るのかと大変な関心を持った。事実、中一の頃の英語の成績は大してよくなかったのだが、それを読んで以降、飛躍的によくなる。もちろん、星一徹の大リーガー養成装置の効き目が後になって現れたのかもしれないが… 人に問われると、英語を勉強するより、英語を使って何かをすることが重要だと答えている。フラワーアレンジメントが好きならば、それに関する英語の雑誌を買ってきて読めばよい。ファッションが好きならば、ELLEなどを読めばよいだろう。英語で情報を入手できる人は、世界中の出来事の半分ぐらいは情報収集できる可能性が広がる。 うちの息子も小学4年になったが、そろそろ特訓でもやるか…。
2006年06月03日
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PTAの役員を引き受けたため、いろいろな会合に出る羽目になったが、自分の学校や幼保園の保護者と話をすると、いろいろ考えているんだなと思うのだが、県のPTA総会などというのは政治の世界のようで、御免こうむりたいと思った。 しかし、そういうPTAなどが無かったとしても、子供の一生に大きな影響を与えるのが親であることは間違いない。よい方向にも悪い方向にもである。子供が悪い方向に向かうと過去の親の教育が間違っていたと報道各社があげつらうが、その他大勢の親と大して変わりは無いと思う。むしろ、大きな責任を感じて苦悶しているのが悪い道に進んでしまった親の心根ではないか。 人間は親がレールを引いてその道をまっすぐ行くように育てれば道を誤らないかというとロボットではないのでレールを跨いでどこかへ行ってしまうのが殆どである。レールの上を進んでくれると信じて育て、そこから外れると周りの悪友のせいだという親もいるが、子供の可能性を自分が予測できると信じている阿呆だと思ってしまう。 私には男の子供が4人もいるので、この中の一人ぐらいはフーテンの寅次郎のような生き方をするよと義理の父に言われており、私も半ばあきらめている。大体どいつかは今から想像がつく。全員に武道を習わせるつもりでいるが、それは何も喧嘩が強くなればよいということではない。喧嘩が強いに越したことはない。私も小学生の3年の頃、親が妹と私を置いてアメリカに行ってしまったことがある。半年以上置いていかれたその頃登校拒否をして相当ぐれていたが、学校では悪がきどもにいじめられた。弁解するわけではないが、平和主義者であったので殴られても手出しをしなかったので、面白がって毎日殴りに来た。それも嫌で学校に行くのが嫌になった。このいじめはあるとき、堪忍袋の緒が切れた私が、そのいじめっ子をぶん投げて終わる。その後、彼らとは毎日プロレスごっこや草相撲を取る仲間になり、私はチャンピオンや横綱として君臨した。 武道に求めるのはそういう部分もあるが、武道の練習というものは痛い思いを我慢してくれる相手がいなくては到底出来ない。相手を大切に思う気持ちが無ければ練習が出来ない。もちろん、他のスポーツもそうだろうけれど、武道はそれがより具体的だと思う。 さて、親として子供に望むのは、人間ひとりひとりが大切な存在だと言うことを知り、そのような大切な自分自身の命を懸けることのできるものを見出してほしいということだ。自分の命よりも大切なものを持っている人間は、自分が世界で一番大切な人間よりも大きな世界を自分の中に持っていると思う。
2006年06月02日
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確か北大路欣也が主演した明治の元老が命を張って国を動かしていたころの話で「男児の本懐」というのがあったと思う。何故かこの言葉を聞くと妙に気が騒ぐ。大きな仕事をしている途上で命をとられても男児の本懐であるという生き方に妙に共感する。命を取られてもというのは、それが具体的であった時代や場所もあるが、今の日本ではまず考えられない。堀江元社長も「命まで取れられることは無いのだから、やってみなければ損だ。」と言っていた。個人的にはその行動力と先見性に注目していたので、今回の事件は自分の見る目が無かったのかと多少ショックを受けている。ただ、「命まで取られることはないのだから…」と言う点は、同意できない。 今の時代、子供が子供を殺すなどの悲惨な事件が多い。「命を取ることがどうしていけないのか」という問いに親が答えられないのではないか。自分はおばあちゃんっ子で小さい頃は、ヤマトタケルの尊のヤマタの大蛇の話を聞くのが大好きだった。そして、「武士は食わねど高楊枝」「文武両道」「男は三年に三口」「三歩下がって師の影を踏まず」などと教えられ、自分は島原藩士の子孫だと自覚していた。祖母は明治32年生まれだったので、そのお父さんやおばあさんは江戸時代を知っている。主君に対しては命を捧げるという儒教的な精神が綿綿と受け継がれてきていた。「君君たらずとも臣は臣」というのは忠臣蔵を題材にした歌の文句だが、一人の漢のできることは小さくとも自分を滅してもより大きな大義のために、死んで生きるというのは尊い精神だと思う。 小学校2年ぐらいのとき、親父が旧約聖書物語を買ってきてくれて、これを毎日のように読んでいた。長崎生まれで母親の里は隠れキリシタンの里だったらしく洗礼名マリアというのがあるらしいが、母親自身は若い頃エホバの証人を勉強していた程度でクリスチャンではない。また、親父も言語学者としてGenesisの言語を研究しているもののこれまたクリスチャンではない。なぜ旧約聖書かというのは未だに分からないが、この中で非常に興味を持った人物が、ヤコブJacobの子ヨセフJosephと怪力のサムソンSamson、そして大きな魚に飲み込まれたヨブJobである。ヨセフは腹違いの兄から父親ヤコブの寵愛を受けていることを妬まれエジプトの証人に売られてしまうのだが、夢の意味を解説できる能力を買われエジプトの総理大臣になる。そこに飢饉の際に助けを求めてきた兄たちが弟と知らずにひれ伏して再会し、かつて「ヨセフの刈った麦穂に兄たちの刈った麦穂がひれ伏している」という夢が成就するというような話なのだが、このヨセフのことが実に身近に感じられた。また、サムソンが敵に捕まり敵陣の柱にくくりつけられて力の源の髪が伸びるのを忍耐して待ち、自らの命を懸けて柱を引き倒して敵軍を全滅させたと言う話も非常に共感し、大学に入る頃までは自分が死ぬときにはこのような死に方がしたいと思い続けていた。今になって思うと、このような考え方では下手をするとアルカイーダと同じになっていたかもしれない。 ヨブのはなしはただ子供心には強烈で、深い意味はなかったがゴマの木が暑さを凌いでくれていたのに虫が食い荒らして木陰がなくなったことをヨブが嘆いていると、ついに神様が諭されるという話をすごいなあと思って読んでいた。 さて、武士道と儒教とキリスト教が共通点があるのは内村鑑三や新渡戸稲造の本を読んでみると分かる。内村鑑三は日本の歴史に現れた5人の義人を代表的日本人Representative Japaneseとして記しこれを読んだケネディー大統領が来日時の記者会見で、上杉鷹山を尊敬していると発言したとき、その人物を知っている記者は一人もいなかったという。古来の儒教なり武士道なり仏教なり様々な思想は、尊い人間の命を何に捧げるべきかということを説いているのではないかと思う。それは「生涯を懸けて何をするか」という問いにつながるし、「親の言葉に従おうか、師の言葉に従おうか、主君の言葉に従おうか」と苦悶するという儒教の命題にも通ずることになる。キリスト教の一麦信仰にしても然りである。 さて、わが命をなにに捧げるべきか?若い頃に考えた目標を果たさなければならないなと改めて感じている。
2006年06月01日
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