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海外の学会でどのような言葉遣いが必要か、というと国際学会に参加する人たちは英語圏の人ばかりではないので、英語がまともでないのが普通だという迫力でやればまず問題はない。むしろ、タイなまり、インドなまり、ベトナムなまり、中国なまりなど様々な訛りに悩まされる。まともな英語なんていうのは日本人の中でまともな日本語を話す人がNHKぐらいにしかいないように珍しい。といっても、近頃はNHKのアナウンサーもあまりまともではない。 私自身は、アメリカ仕込の英語で結構サバイバル的にやっていたので、以前大学院時代にパプアニューギニアに教授と在外邦人の健康相談に1ヶ月ほど出かけたときは、「先生は、"you know"ばかりつかうね。」とたちまちチェックがはいった。合いの手のように、"Well it's, you know, a very interesting thing, you know."という調子だったのだろう。その傾向はいまもある。大体英語モードに入るのには3週間ほどかかるので、外国に1週間ほど行ってもまず日本語モードで生活している。初めは英語が出てこないので、you knowとかwell let me seeとかwhat can I sayとかいろいろ言いながら次の言葉を捜しているのである。そのあたりの言葉の選び方も、考えないとinteligent なお話のしかたにはならないだろう。 即席で、学会でスタッフ要員として連れて行かれることになった場合を想定すると、必須の項目はなんだろう。まず、口を真一文字に結んでぐっと横に引っ張ってSmilyのような笑顔をつくる。笑うときは歯を見せてもよい。くすくすとはにかんで笑わない。まっすぐ相手の目を見て対応する。自分から、"Good morning, have you slept well, Professor Parker?"と声かけする。相手がしゃべることが分からない場合は、"Sorry sir, I can't get you. Could you say it again?" "Could you speak more slowly, I can't follow you, Dr. Wilson?"という困った顔をして下向かない。それでも完全に分からない場合は、"Sorry I can't understand you, let me get someone who can help you."という。とりあえず、反応をしていればこいつ役に立つな、とか、こいつぜんぜん役にたたねーや、しゃべるのやめとこという判断はできる。 僕が小学校のときLAの小学校に通っていたころもそうだったが、全然ものを言わないとものが言えないのかと誤解される。とりあえず、言えることだけははっきりと大きな声で言おう。ちょっとした挨拶でも投げたボールが返ってくるとうれしいもので、へーこういうときにはこういうのか、書いとこ、という話になる。その積み重ねで外国語は上達する。くれぐれも海外に行ったのに日本人以外の誰とも話をしなかったということの無いように。
2006年05月30日
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今日は産業医をしている会社の管理職と滋賀にある障害者が多く働いている製造会社に見学に行ってきた。知的障害者、身体障害者など20名以上が働いており、初めは通常の会社の80%も出来ればよしとしていたらしいのだが、無理な作業の改善などの積み重ねで、むしろ、一般の会社よりもよい業績を上げているらしい。無理な作業であっても健常者ならば無理してやってしまうが、障害がある場合は実際に出来ないので改善せざるを得なかったらしい。厚生労働省は障害者雇用を推進しており、従業員数の1.8%の障害者を雇用するよう求めている(予定?)らしい。この会社は第3セクターだが、初期投資は国から補助金を得ているが、以降は自立して利益も上がっている。賃金は最低賃金と業界平均との丁度間ぐらいらしいが、国から補助を受けていた立場から納税者となるということで障害者である社員の意識が非常に高まっているという。 このようなモデル的な事業場は全国に30程度あるらしいが、ここで培ったノウハウを応用していけば障害者雇用促進は現実的なものになるのだろうか?この会社では休憩時間でも健常者と障害者が混在しているらしいし、社員旅行の際にも自然と車椅子を近くにいる人が押すらしい。今日見学に行っただけでは十分にはわからないが、新しい挑戦をしている会社であることは間違いない。これも大会社グループだからできるのかなという気もするが、いろいろな段階の人がいるだろうから、職場を提供する側もいろいろな程度の職場が求められるのだろう。なんらかでも社会に貢献している、あるいは、交流しているという感触が人間には必要なのだろう。大金持ちで働く必要が無くても、社会との交流が必要なのが人間だから。
2006年05月29日
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Digital Fortressを読み終わった。例の如く、知的な大学教授と謎解きの得意な暗号解読者の美女が織りなすサスペンスで女性のほうは今の僕と同じ年である。Dan Brownが描く大学教授(full professor)は文系の学者が多く(Da Vinci CodeのLangdon教授はsymbolologist今回のDavid Beckerはlinguist)彼らの生活を読んでいると自分の好きなことを時間の制約もなくやっているように感じられてうらやましい。そんなによいことばかりではないのだろうけれど、「若い大学教授の給料なんてたいしたことはないmodest。」なんていう表現があり、そうだろうそうだろうとほくそ笑んだりする。僕自身はfull professorではなくassociate professorなのでさらにmodestということになる。 そういう平和なことを書いているがニュースではジャカルタの地震の報が伝えられ3000人もの人が亡くなっているとのこと。JICAの国際緊急援助隊も出発したようだ。僕もこの緊急援助隊に登録まではしたのだが、研修会に参加できず結局除名されてしまった。こういう事態にも日本を空けられる状況ではないので、残念ながら縁が無いのかもしれない。出来ることは大学の講義で国際協力に関心のある学生を育てることか。 地震で3000人の死亡者というと自分も遭遇した神戸での地震を思い出す。あの時は、現場にいたのですぐにでも駆けつけたかったし、そう主張したのだが阻まれて出来なかった。それは医師という職業を選んだ者にとっては大変な屈辱で自分の人生が無意味であるかのように感じたものだ。研修医2年目ではたいした役にも立たなかっただろうけれど、周りに傷ついている人がいてすぐそばにいるのに、送り出すべき家族に阻まれて出られないとは。滅多にしない話である。
2006年05月28日
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鹿島新当流かと思っていたら、鹿島神流だったらしい。ホームページで発見した。その師範家の中には新陰流の開祖上泉伊勢守藤原秀綱もいるらしい。この弟子が柳生石舟斎といって無刀取りを完成させたひとだ。昨日見学にいった道場(といっても近くの公民館を借りているだけだが)の先生は師範の直弟子らしいので、直接教えていただくのが楽しみだ。 それにしても、今日になって手の指や肩太ももなど筋肉痛がかなりある。昨日の練習では女性が半分くらいいたのでたいした運動量ではないと思っていたのだが、これだけの筋肉痛があるということは、結構な練習だったようだ。新しいことをはじめた爽快な感じもあり、心地よい痛みだ。これが、大学生との柔道の練習になると、翌日は身体が硬直して姿勢がよくなってしまう。これは首や背中腰などが痛くてひねることさえ出来ないからだ。
2006年05月28日
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知人が古武術を教えている道場があるので今日初めて見学に行った。柔道着があればよいというので、柔道着を持って行き結局3時間練習をさせてもらった。手を円のように動かし遠心力で剣を振るうやりかた、足の構えと実に興味深く型が中心なので変に体力を使わなくてもよいからか疲れも殆ど感じなかった。高校の英語教師というアメリカ人も参加しており、国際的にも日本の武術が注目されているらしい。鹿島新当流は塚原卜伝に関係があるらしいので、伝説の武術の一つだ。土曜日の午前中なので、空いているときには行ってみようと思っている。 その後、外出して帰ってくると太ももや背筋など痛いところがそこかしこある。柔道で使っているのとは違う筋肉を使うらしい。もっとも、柔道といっても最近は大学生とは殆どしないので柔道自体をやっているとはいえないが。
2006年05月27日
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子供の頃は草相撲ばかりとっていて、40キロくらいのころ自分より30キロくらい思い相手をぶん投げていた。その頃の僕のヒーローは横綱輪島で右から強烈に絞って左下手投げを打つという型をまねして相当下手投げで友達を投げ飛ばしていた。その他の得意技はつり出し、外掛け、内掛け、打っちゃり、頭を付けて相手が押し返してくる瞬間に体を開いての上手投げなど多彩で技のデパート栃赤城よろしく逆とったり、内無双なども使っていた。本当は剣道をやりたかったが、行かせてもらえず結局高校に入って柔道を始めた。このときは柔道部の同級生全員を相撲で投げ飛ばしてしまい、一番気の強い黒帯の同級生は2度負けたのがよほどに悔しかったらしく3度挑まれ同体のような格好で最後は負けた。その後、「なかなか強いな、柔道部に入れば。」ということで柔道部員になった。柔道は相撲と違い腰を落とさずに重心をコントロールしなくてはならないので難しい。同級生で少年柔道からやっている奴がいて、小さい頃からやれば自然と身につくのかと思い自分の子供は今のところ3人まで少年柔道をやっている。 子供たちの成長は実に早い。この間まで3年生くらいのか弱い少年少女がいつの間にかがっしりとした体格の6年生になり、技のスピードや切れの上達も著しい。気を抜くと放られる。わが子はまだまだ気合が入っていないが…。それでも娘が小学校ですべって転んだとき見事な受身を取ったのを学校の先生が目撃していてわざわざ教えてくださった。交通事故か何かのときに受身を取って頭を守れるだけでもやった価値がある。 子供の成長は早いが、自分の体力の落ち方も早い。基礎体力作りが先決か?
2006年05月26日
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海外の日本人客はブランド店をバーゲンセールかのように襲うらしい。それはかつてヨーロッパの国々の通貨が日本円に比べて安かったことにもよるようだが、そういう客をあきれたような顔で店員が眺めているときく。ちなみにその場面でつたない英語で店員に話しかけた知人は非常に丁寧に接客されたらしい。 自分自身海外で買い物をすることはよくあるが、丁寧に接客してもらった記憶しかない。もっとも、学生時代インディアンズの帽子をかぶって飛行機に乗ったら、パーサーに「兄ちゃん、いい帽子かぶってるね!」という調子で応対されたが、近頃は必ず"Good morning, sir. Welcome aboard."という調子だ。スーツ着て乗ってるからか?それとも年取って見えるのか。それにしてもイナゴの大群と同じ仲間だと思われるのは真っ平ごめんだ。 私のシャツのカフスはダブルになっているがボタン止めだ。正式なシャツはダブルカフスだという意識が強いので、礼服のときは極力French cuffsをするが、日常はこのMilano cuffs or turn up cuffsをしている。今度そのMilanoに行くが、イナゴの大群と遭遇しそうで恐ろしい。黒メガネでもかけて知らないふりをしようか…。
2006年05月25日
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Dan BrownのAngel and Demon, Deception Pointがあんまり面白かったのでDa Vinci Codeまで読みつくし、Amazonで検索して見つけたDigital Fortressを頼んで読み始めたのだが、これはなかなかの曲者だ。いままで登場しなかった日本人がかなり重要な人物として登場したのだが、その名前がEnsei Tankadoいかにも無国籍チックな名前だ。東南アジアか?と思ったくらいだが、母親が広島で被爆して(Hibakushaという単語が出てくる)、Doshisha Universityを卒業したなどと結構detailを書いているのだが、日本人のひん曲がったようなイメージがそこやかしこに出てきて不気味だ。これに比べると、Kazuo Ishiguroの描く日本人のほうが同じ日本人の英語達者が書いたものとして安心できる。だが、Ishiguroの英語は非常に難しく、ついていけない。同じ長崎県出身なのに悔しいぐらいだ。どうも最近When we were ophanが翻訳されたらしい。 アングロサクソンが描く小説にあんまり魅力的な東洋人が登場するのも不自然かもしれないが、まだまだこの世界は国際的とはいえない。Dan Brownの物語は2,3日のうちに世界一周するような話が多い。ここ三作はみなそうだ。Digital Fortressもすでにアメリカからスペインに一人飛ばされている。今後どういう展開になるのかは読んで見なければわからない。空間的には国際的なのだがThink globally, act locallyとは実に難しい話なのだと思う。
2006年05月23日
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地区の体育祭があり、反省会の二次会から帰ったところなり。PTAの役員になったおかげで地域の人に出会って話をする機会が増えた。職種の違う人が多いせいか、肩肘張らないではなしができるのはよい。こういう役にでもつく前は、地区の体育祭なんて途中でさっさと帰っていたので、参加してみると裏方で苦労している人がたくさんいることが分かったり、同じ宿舎でも事務系の人ばかりが結構大変な仕事をしてたりすることも肌で感じる。尤も、普通に医者をやっていたころのことを思えば、とんでもなく重労働なので休日に何か活動をするということは若いうちはありえないと思うが…。まあ、誰でも自分の仕事が一番大変だと思っていて、そういう既成概念でいろいろな発言をして物議をかもすことになる。 それにしてもPTAの役員というのは連日のように会があり、県だの市だの学校の会だのと時期が時期なのかもしれないが、ありすぎだ。通常は自営業の人がなるのが普通らしいが、PTAを仕事としてやっている人がいるんじゃないかと思うほどだ。
2006年05月21日
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封切にあわせてダビンチ・コードの解説番組をやっていたが、結構重要な部分の種明かしをしてしまっていて、映画をこれから見に行く人には過剰サービスだなと思った。文字だけで呼んでいったときのほうが、もっとどきどきするんじゃないかと思う。秀逸なストーリイ・テラーは文字を使うだけで彼の頭の中の情景をそのまま読み手の頭の中にぶち込んでくる。池波正太郎然り、Dan Brown然りである。自分が書いている論文なんか読んでみても、そこまで情景が浮かんでこないので実に才能が無いなと一人嘆いている。 言葉のすばらしさを改めて感じ始めたのは実はつい最近のことで、3月の初めにアメリカの大学病院を見学に行ったときのことだ。知り合いの内科教授がフェロー(専門医候補者)とレジデント(研修医)を指導するとき、信頼しているフェローであれば、殆ど自分は患者を診なくても、報告を聞くだけで判断が下せるが、発展途上のフェローの場合には自分もベッドサイドにいって指導をしなくてはならないという話を聞いたときだ。これと似たような話を、沖縄中部という非常に有名な研修病院で訓練された先生に聞いたことがある。 言葉によって表されたことを現実のものにできるのも人間だし、現実のことを言葉という手段を使って経験したことの無い人に、あたかも自分が経験しているかのように伝えることが出来るのも人間なのだなということだ。
2006年05月20日
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近頃なぜか旧知の人からの便りが相次いでいる。懐かしい人ばかりで、いろいろなことを思い出す。共に過ごしたころから、自分がだいぶ変わったのか成長したのか、あるいはぜんぜん変わらないのかはよく分からないが、懐かしく思えるのは変わらない部分と振り返ってみることが出来る心の成長があるのか。尤も、成長ばかりではなく生き生きとした子供の心を失って、年をとっていっているという面もあるかもしれない。 若いようでいて、だいぶ年齢を重ねてしまった。まだ、半分ぐらい人生が残っていると思っているのだが、本当に半分残っているかはわからない。せっかくの人生だから、自分の能力を全部出し切ってみたいと思う。まだまだ、温存している力があるように思う。知恵を絞りつくし、出来ることをやり尽し、新しい考えを形にすることができるか挑戦してみたい。自分がやろうとしていることが、初めは断片の切れ端ばかりなのだが、ジグソーパズルのように少しずつ全体像を見通して作っていきたい。 学者というと知的好奇心だけで結構満足できてしまうのだが、自分が知恵を絞りつくしたものが、どういう風にかして世のためになるとよいのだが、それは世のためになれと思って考えればそうなるのか、知恵を絞りつくして、それでももっと頑張ったら、自分では考え付くはずもないようなエポックメイキングな発想・発明となるのか。田中耕一さんは後者みたいだな。
2006年05月18日
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この連休は熱を出して寝込んでいたがそのおかげでDaVinci Codeを読み終えた。Dan Brownの本はAngel and Demonが最初でDeception Pointと読み進んできたが、その語り口は却ってAngel and Demonの方が上のような気がする。これは映画の宣伝などでストーリーが少し分かっていたからかもしれない。何も知らないで読んだほうが、引き擦りこまれた主人公と同じ感じを共有できるのだろう。上流階級のSnobな会話がこの作者の得意なところらしく、Vaticanの高官、政府の高官などHarvardの教授など鼻にもかけないという感じが伝わってくる。WashingtonのRitz Carltonに泊まったとき、ホテルの客の素振りが偉くsnobでNYとは相当に違うなと感じたのを思い出す。 僕の知り合いのHarvardの教授も政府の機関にも勤めていたこともありsnobだが、それ自体がまったく受け入れられないというものでもない。それが彼らの話し方だ、考え方だということである。それはfriendlyで笑顔の国アメリカという印象とはかなり違う人たちで、この主人公のRobert Langdonはその中間ぐらいに位置するように思える。West Virginiaの知り合いよりはもう少しsnobかなという感じだ。Peter in NYのPeterとはかなり違う。 ストーリーはおそらく全世界のカトリック教徒からすると青天の霹靂だろう。しかしtheologyを少しでもかじったことのある人間にとっては、ある面当たり前のことが殆どである。それをどう解釈しているかの問題で、Sophieが実在するとは考えられないが、そういう解釈があってもしかた無いだろう。まあ、フィクションなのだからどんな話でもよいのだが…。案の定、ついこの間Venedict XVIがDa Vinci Codeを強く批判する声明を出した。この間は、Harry Potterを批判していたが、Angel and Demonはconclave自体をテーマにしていたのでもっと許せなかったのではないか。やはり、映画になると大衆への影響が強いと考えたのだろうか。 僕が哲学を習った先生は、Encyclopedia Catholicaの編集者でpast John Paul IIの友人だったポーランド人のpriestだが、人間と動物との違いは絶対他者に対する畏敬の念が生まれた時に生じたと解説していた。イエスが人であることを普通のクリスチャンは理解しないが、彼によると神ご自身は父と子と聖霊の三つのpersonaを持つのに対し、イエスは子のpersonaのみしか持っていないとはっきり説明していた。そんな学者がDa Vinci Codeに登場したら、ストーリーはDan Brownが考えたようには進まなかったかもしれない。 いずれにしても、ここに登場する学者たちは全く信仰心を持たずキリスト教を理性的に研究している。その対比として信仰者の姿が逆説的に描かれる。作者が信仰を全く否定しているのかというと前作を見てもそうではない。ただ、現代の大組織となった教会の姿を批判しているように思える。その中で真の信仰者がいることをこの作品でもBishop Aringarozaの姿を通して伝えている。弟子に撃たれたBishopの言葉が耳に残っているかのようだ。"If you didn't learn anything from me, learn one thing. Forgiveness, is God's the most special gift."
2006年05月09日
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本日より仙台入り。仙台は山形に来る際に、素通りしただけなのでまったく土地勘が無い。空港バスを降りたところで、I君に会った。この人とはいろいろな所で会う。この間はMelbourneにいく途中で飛行機を降りたところを見かけたし、帰りにも同じ機内に乗り合わせ急病人の処置を二人でやった。私があるところで先輩になるので、先生!と立ててくれるのだが、実は彼のほうが先輩でフィリピンの大学で教えたことがあるなど、実に面白い好人物だ。彼は知らない土地では迷うので、学会場のすぐ近くに宿を取ったらしいが、私はいつも迷うのを楽しんでいる。というよりも、計画性が無いのだろう。ホテルモントレイという名前だけで選んでしまったので、場所も知らないし、電話番号も控えてくるのを忘れてしまった。駅前の大きなホテルに入りたずねてみようとロビーに近づくと案の定、泊り客と思ったベルウーマンが荷物を取りに来る。「ここじゃないんですよ。聞いてみようと思って…、ホテルモントレイってどこにあるかご存知ですか」というと、ニコリと笑って「私どものちょうど前にございます。入り口を出ていただいて、横断歩道を渡ったところにございます。次は是非お待ち申し上げております。」と来た。空いていて余裕があったのかもしれないが、この大きなホテルの印象は非常によくなった。 ホテルモントレイには以前札幌でMentorというべき二人の老先生と朝食を採ったところで、確か自分たちは全日空ホテルに泊まっていたのだが、あそこはヨーロッパの小ぶりなホテルをイメージしたところでなかなかよいと、その老先生のうちのお一人が言われるので、連れ立って行ってみたのである。朝食のセットにサラダが入っていたので朝から草でもあるまいと思った私が、サラダをフルーツに変えていただけないかと聞いたところ、皆がそれがいいと言い出し、スペシャルメニューと成った。その思い出だけで決めてしまったのだが、その印象どおりのホテルのようだ。近代的な設備を板張りの床とタイル張りの浴室できれいに調度してある。やや部屋が狭いのが難点か。この部屋はツインなのだが、この広さでシングルなら納得できる。インターネットも無料で使える。泊り客は少し服装にも気を使ったビジネスマン風の男性が多く、丁度チェックイン時に一緒になった同年代の男性はイタリア風のスーツを着こなしていてなかなか格好良い。こちらがドアに鍵を差し込んでも空かずに困っているとチラッと一瞥を呉れて向かいの部屋に入っていった。 近くの店で牛タンを早速賞味する。歯ごたえがあって旨い。添えてあるキャベツときゅうり人参などの入った漬物によく合っている。麦飯にハマグリのスープがついて2100円なり。
2006年05月08日
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