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昨日、大学の同級生と久々に会いました。女性3人、大学を卒業してから13年の間に紆余曲折してそれぞれが事業を運営しています。一人は半年振りくらいですがもう一人は10年振りくらい。みんな全然違う人生を歩んできているけどまわりまわってなんとなくたどり着いている想いのステージは一緒でした。大学卒業後それぞれ三者三様の方向に向いて歩き出したと思っていたけれどこうしてまた三人が人生の同じような「想い」の交差点で出会った。生まれた時もそれぞればらばらだったけど大学という交差点で、同じような価値観を共有して出会った。全然別の道を行く。遠回りする人もいれば一直線に進む人もいる。道に迷う人もいるかもしれない。でも、そんな紆余曲折を経て途中何度か交差点で出会ったりしながら人生という道を歩き終着点付近では結局多くの人が同じような「想い」に終結していくのかな。そんなことを考えていました。次の世代に何を遺すか・・・どんな未来を応援していくか・・・高齢者のお話を聞いていると特にそんなことを思います。そして大切なのはそこに至るまでのプロセスなのだと思います。その紆余曲折のプロセスの重みがあるから高齢者のお話はずしんと身にしみるのだと思います。
April 27, 2006
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USENビジネスステーションでパーソナリティーをやらせていただいていますそこで以前、ゲストとしてお越しいただいたメルマガコンサルタントの平野友朗さんに今日はばったりと、とあるセミナーでお会いしました!(それもなんと、私の目の前に座られていました)とにかくわかりやすくよどみないしゃべりでコメントいただいた平野さん。父が放送を聞いて、娘のパーソナリティー振りではなく平野さんのことを「この人は頭がいい」と絶賛。笑平野さんのサイトで、その時の収録の様子を紹介していただきました。ここをクリック(ページ下の方です)恥ずかしいけど・・・ちょっぴり嬉しいです。というわけで、これからもUSENのお話し、時々このブログでも書いていきたいと思います。今週は、「起業・独立の強化書」の増田紀彦さんの放送がオンエア中です。収録中、真剣に緊張している私を、笑わそうとされるんですこの裏話はまた後日。USEN放送受信できる方、よかったら是非、聞いてくださーい♪
April 26, 2006
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昼過ぎまで激しく殴りつける大雨が降っていたかと思ったら今は雲ひとつない快晴に新緑が揺れています。明後日、自分にとってチャレンジングなイベントがあります。私の器次第で、よくも悪くもなるものです。人生の大きなチャレンジです。今の私の器の枠を超えて挑む未知の世界。これを通じて、いっぱいの挫折や反省が押し寄せてくると思います。嵐のような大雨が降ってくる気がします。でも、今のこの快晴のさわやかさ、そして新緑の瑞々しさは激しい嵐の後だから尚一層感じるもの。雨が上がった頃にはまた一回り大きく成長した瑞々しい葉っぱが青い空に映えるように私も成長できたらいいな。緊張しています。肩の力を抜いて気負わずに・・・でも、きっとぎこちなく力んでかっこ悪くなると思いますが・・・でもやっぱり頑張ります。人生、快晴ばっかりじゃありがたみがなくなっちゃう。それどころか快晴ばっかりじゃ・・・水不足で砂漠化してしまいます。人生もお天気も地球環境もやっぱりバランスなのですね
April 20, 2006
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掃除をした。洗濯をした。何もかもピカピカにしたかった。本当は自分の心を綺麗にしたいのだ。そういうときって掃除に限る。ごめんなさいとかありがとうとかいっぱいいっぱい磨かなきゃ。あと数日、要掃除。
April 18, 2006
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今日は久々に実家に立ち寄った。ここ最近の仕事の話をするとそれを嬉しそうに聞き入る両親。あれも食べろ、これも食べろとどんどん私を太らせる。そして最後はあれこれ持っていきなさいといつもどおり色々と持たされた。数時間後、ありがとうを言うために実家に電話をした。母が言った。「ママはね、 直子(私)が産まれる時 麻酔に入る直前まで 神様にお祈りしていたの。 どうか女の子を授けてください。 どうか女の子でありますように。 そうすればみんなが幸せになりますから。 って」父と母の結婚には父方の両親の反対が大きな壁として立ちはだかっていた。結果的に許しを得て結婚はできたけれどこれから母が父の家で幸せになるためには女の子が必要だというのが母の直感だった。なぜなら、父は男三兄弟の次男。その三兄弟を産んだ祖父母は実は女の子が一人でも欲しかったのだそう。そして祖父母にとっての初孫もやはり男の子だった。だから反対されて結婚した母に女の子が授かれば祖父母にとって初めての「女の子」誕生となりきっととてもかわいがられて、母もより、祖父母に受け入れてもらえるだろうだから「女の子が生まれればみんなが幸せになる」と祈っていたという。母は帝王切開だった。麻酔が覚めて「女の子ですよ」と聞いたとき「ああ、これで幸せになれる」と思ったのだそうだ。「そして、今、ママはその通りになったわ。 ・・・そんなことをね、今、お料理しながら思い出していたの」涙が出た。はじめて聞く話だった。私は実際、祖父母にかわいがられた。特に祖父には字の読み方から自転車の乗り方まで教えてもらった。どうやら私は「みんなを幸せにするために」生まれてきた女の子でそしてその役割が果たせていると母は昔を思い出ししみじみと感じてくれていたのだ。「なんだかママも涙が出てきちゃったわ」私も人目ある雑踏で歩きながら涙ぐみちょっとうつむき加減・・・夜、出かけていた父は会っていた友人達に昼間聞いた私の仕事の宣伝をしてまわったといまさっきの電話で言っていた。「パパは本当に安心したよ」私の仕事の話を思い出しながら噛み締めるように何度も繰り返していた。自分の為・・・世界の為・・・いや、何か大きな力に動かされて・・・自分が頑張る源はなんなのだろうと考えていたここ数週間「両親の為に頑張る」そんな頑張りがあってもいいかもしれないとあらためて思った。いや、この世の中で少なくとも一つだけ確かな私の役割は「両親を幸せにすること」なのかもしれない。子どもがいない今の私にとって確実にこれだけは私が生まれたその瞬間から役割として与えられたのだ。使命感を感じてやっていることも時には虚構に感じてしまう弱い自分を発見する。何のために生きているのか生きる意味はなんなのか先人達が繰り返し問うてきた永遠の命題。神に一つだけ質問ができるとしたら何を聞くかと聞かれたアインシュタインは「なぜ、この宇宙を作ったのですか?」と聞くという。そうすれば、自分が今ここにいる意味もわかるからと。私もそんなエンドレスな問答に入り込んでしまうこともあるけれど今日はそんな拡散傾向の思考をぐっと身近な現実に引き戻して少なくとも私に愛を与えてくれその恩返しをするという確実なる生きる意味を提示してくれた「両親の幸せ」こそ私が向かうべき一つのベクトルなのだと感じた。そして両親からもらった一人では抱えきれない幸せを両親だけではなく少しでも多く世の中に還元しなくてはいけないのだという感覚もなんだか自然に体の中から沸いてきた。明日も、私の頑張る源となる両親の為にガンバろう ^^
April 16, 2006
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NHKで「奇跡の山 富士山」」という番組を見ました。本当に素晴らしい映像の数々でした。音楽と共に季節を追い、水を追い、雲を追う。その周辺に生息する植物の可憐な営みや動物の不思議な生態 すべてが自らであることに精一杯”いのち(命)”を”使って”います。 それが彼らの”使命”ということですね。 実は・・・最近、ちょっとだけ悩んでいました。 なんだか大きな夢を持って一歩を踏み出した自分に対して 私はこんなことをする器なんだろうか・・・ という悩みです。 できる、できない、という問題ではなくてそもそも私というこんな未熟な人間が取り組んでいいテーマなのだろうか。おこがましいんじゃないだろうか。という感覚です。 そんな悩みを大切な友人に話したら「”おこがましい”と思うことが”おこがましい”」と言われました。 はっとさせられました。 自分がとても恥ずかしくなりました。夢の大きさや内容に心のどこかで優劣というのかなんらかの評価を加えようとしていたそんな自分に気付かされました。 富士山は大きいかもしれないけれど富士山は富士山たろうとしているだけ。そしてその麓で可憐に咲く小さな花も精一杯、その花を咲かすことにいのちを注いでいます。富士山がかっこよくてそれと同じくらい小さな花もそして根をはる大木もかっこいいのは与えられた使命をまっとうしているから。そこに評価はいりません。そしてそこから発展して今日はもう一つのことに気付かされました。というのは、大自然の生き物たちに与えられた使命は一つのことではなかったということ。富士山はその存在で人々に神を見せそして気流から雲を生み出し雨を降らせ同時に巨大な水がめとなって周囲の自然を育んでいました。コケ類は自ら繁殖しつつ自身に水分を含んで花の種に水を補給していました。大木は自ら大きく成長しそしてその幹にきのこや多くの植物を生殖させていました。私はみんなの想いを後世に繋げるお手伝いができればと思っています。そしてできることなら子どもを授かって別の形で後世にいのちを繋いでいきたいとも思っています。その二つのことは天秤にかけられないくらい両方とも大切なことだけれどそんな二つのことは無理だからだったら私は足元に近い方からそう、より身近な子どもの方から取り組んだほうがいいじゃないかってちょっと弱腰になっていました。でも、両方とも使命なら両方ともうまく行くはず。どっちかだけなら、どっちかになるはず。大切な使命に順番も優劣もなくて私は私が感じたようにいくつもの使命にそれも「使命」などと気負わずにもっと自然体で取り組んで生きていけばいいのですね。「子どもが欲しい」と思う体の声も「人類としてきちんと他の動植物のように生きられているか 後世にきちんといのちを繋いでいけているか」と聞こえた自然からの声もその両方にきちんと耳を傾けてその道をまっとうしていきたいと思います。その二つに優劣も大小も順番もなにもないのです。美しい映像とどこまでも懐の深いかっこいい大自然たちを見ながら私も野に咲く花のようにそして天にそびえる富士山のように気負いなく生きていきたいと思いました。オンリーワン・・・二年ほど前に色々と悩んでいたときに出てきた言葉。自分の中では使い古された言葉のように思っていましたがこうしてまた別のステージで浮かび上がってきました。試行錯誤しながら逆戻りしているように思えてもそれでも少しずつ実は螺旋状に成長していく。今回もそんな成長に繋がっていることを祈りつつ明日も気負わずにがんばりたいと思いました。考えれば考えるほど向き合えば向き合うほど自分の未熟さを思い知らされます。先日の日記にも書いたように自分をきちんと知ってまた新たなスタートです。***自然というものは本当にいつもいろいろなことを気付かせてくれます。そして私の大切な友人も。
April 10, 2006
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無限の可能性への挑戦は「自分を知る」ことからはじまります。26歳で単独無寄航世界一周の最年少記録を打ち立てた白石康次郎さんは次のようにおっしゃっています。「船や海を知ると同時に 自分についても知っておく必要がある。 僕はどんな人間なのか どこまでがんばれるのか 客観的に分析する。 これができていれば 準備ができます。 寂しくなりそうなら 寂しさを紛らわせるものを 持っていけばいいんです。」改めて考えさせられました。私は、どこまで自分自身を知っているだろう・・・心の奥底まで見つめて背伸びしない自分をまずは知る。それができていないと無限の可能性に「無謀」な挑戦をするにすぎなくなってしまいます。謙遜とか過大評価とかそういうのをいったんやめて「自分とはいかなる人物か」それをきちんと把握する。それができてはじめて無限の可能性に向けた準備をし自分に足りないところをなにか別の手段や方法で補う。そうしてようやくスタートラインに立つのです。
April 3, 2006
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桜に霞む都庁です。
April 3, 2006
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