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一旦、ここまでブログの間があいてしまうと書き出すタイミングがわからなくなってしまいます。ですが、肩の力を抜いて、軽く準備運動。。。(^^;元気かといえば、元気すぎるほど元気です。年初の一大イベントは妹に子供が産まれたことでした。出産予定日にシンガポール出張が入ってしまい立ち会いはあきらめましたが帰国後4日目、打ち合わせと打ち合わせの間に妹が出産。出産15分前の昼12時に家族で唯一、分娩に間に合って病院に到着、カーテン越しに妹と新しいいのち、その両方の叫びをを耳にしました。そして産まれてすぐ分娩室横での赤ちゃんの最初の身体検査の場面で妹から仰せつかっていたビデオ撮影という役をまっとうし妹の処置が終わるまでの30分以上もの間看護婦さんの次に、この地球上で最初に赤ちゃんを抱かせてもらいました。腕が震えるほどのいいようのないエネルギーがこの手にあるということ、もうそれだけでこみ上げるものがありでもまだ正常に考えることができずただただ、昼も過ぎているのに「おはよう、よくきたね」としか赤ちゃんに繰り返し話しかけられませんでした。なんで「おはよう」なんだろうと、今考えてもおかしくなります。そして処置が終わった妹の胸の上にカンガルーケアとして赤ちゃんを託し私は午後1時半からの打ち合わせに走ったのでした。父いわく、神がかり的なタイミングで分娩に立ち会えた私のこのお役目とはなんだったのだろうかと考えるまでもなく腕の中のあかちゃんを見ながら今まで感じたことのない感情があふれました。「私が守らなければ・・・」妹はきちんとしていますし、もちろん妹には夫もいます。だから姉の私が出る幕ではないのですがそこを出しゃばるということではなくただいいようのない「父性愛?」のようなものが芽生えそれ以来、以前にもましてとにかく仕事に精を出させていただいています。その日から、携帯の待ち受けは当然ながら甥っ子。私自身、妹とはとても近しく、妊娠中も一週間に一回は会っていて日々刻々と変わるお腹を眺めたり触ったりしていましたが、出産してからというもの、甥っ子に会いたいけれど私が会ってなんになる、それよりも私は仕事を頑張るのだとあれだけしょっちゅう行き気をしていた妹と今は電話とメールでコミュニケーションするのみ。甥っ子にも、まだ数えるほどしか会っていません。多くの人に支えられながらも今は元気な両親のことを気遣いながらもそれでも制約のほとんどない環境で一人で生きてきた私にとって「誰かのためにがんばる」という新しい軸ができたということは自分でも驚くほどのモチベーションをもたらし私が出る幕ではない甥っ子という存在でさえただただその存在だけが、ここまで私を奮い立たせるのだということにある種の驚きを覚えています。「誰かのため」という言葉が以前はあまり好きではありませんでした。誰かのためもなにも、結局自分のためでしょ、と思っている部分がありました。いや、それを否定するつもりはありませんし今でもそれはそうなのだと思います。ただ、ここまで無償に、ただその存在のおかげだけで前に進むためのエンジンが、自家発電エンジンというたった一つのエンジンから甥っ子エンジンが付加されて合計二つのエンジンになったということ。この感覚は、頭ではわかっていても、やはり実体験としてはじめて感じたものでありました。「人は自分のためだけには生きられない」自分ひとりの限界を感じていた時に神様は私に甥っ子の出産に立ち会わせ最初に胸に抱く感動を味わわせてくれました。もしそんな体験をさせてもらった私にお役目があるのだとしたらそれは今、もっともっと「想いを次の世代につなげる」というウィルウィンドを頑張るということなのだと感じています。この内なる感覚を大切にひとつひとつのお仕事を丁寧にまっとうさせていただきたいと思っています。
March 6, 2009
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