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民主の圧勝はすごいのですがそれにともなって、30代の民主党の新人議員が大量当選している。。。さきほど、開票前に大学のサークルの仲間が立候補しているということも知った。そして開票速報によると当確。政権交代を超えて同年代の人たちが日本を動かしていくということに身が引き締まる。想いを次の世代に・・・きちんとバトンを渡してバトンを受け取った人も中間走者であることを意識して継承するものと新しくするものをきちんと見分けて未来を作っていってほしい。一緒にがんばりたい。
August 30, 2009
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今日のお菓子
August 23, 2009
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昨日ご紹介したHistyというサイトのプロデューサーの方、もうひとつ持っているサイトが、eQuiz。この高橋様、東大でクイズ研究会を設立、アタック25などで優勝されたご経歴あり。でもって、その方らしいクイズで社会貢献のサイトです。クイズに一問正解すると、お米が20粒、飢えに苦しむ人々に寄付されるのだとか。昨日、高橋様にお目にかかる前に、試しにクイズにちょっとだけ挑戦。1問正解すると20粒のお米が画面にあらわれ、正解ごとに少しずつ増えていって・・・5問正解でなんと米粒が稲穂に!つまり、100粒の寄付で稲穂マークが出ました。うわー、楽しい!と思って、昨日高橋さんにお話しすると「1000粒になると”おにぎり”になるのですよ」と言われて俄然興味がわき、今日はおにぎり一個を寄付!執筆に忙しいはずが、結構遊んでしまいましたが、、、サボってクイズで遊んでも、お米の寄付につながっていると思うと自分への言い訳がしやすくなります。。。というか、いいのかそれで!?(^^;回答後にクイズの正解に関する情報も出てくるので、勉強になります。いろんな言い訳が立つクイズサイト。ご興味あればお試し下さい。→ eQuiz
August 18, 2009
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Histyという自分史や年表型のSNSサイトを作られた高橋様をご紹介いただき、お会いしました。マウスの真ん中の回すやつで、年表が縦にうにうに伸びたり縮んだりするのがすごいっ!自分の年表をいくつももてるから目標管理などもできて、仕事にも使えるかも!?自分史のインタビューをする前には必ず年表を書いていただくし、何かご一緒できることあれば考えたいなーと思っています。===今日もそうですが、そして最近人とも「縦のつながり」ってまだ少ないな、という話をしました。世の中、人とのつながりは大切でネットであればSNSの広まりや、そこから派生した交流会、そして手紙の復活など、温かい話もよく耳にします。つまり、これは横のつながり。でも、「縦のつながり」がまだ少ない。Histyもそこを考えられようとした、新しいSNS。そして先般、医者の友人と話していたときにも「縦のつながり」のために「遺伝学」の研究にももっと目を向けていきたいという話題に及びました。ウィルウィンドは世代をつなぐ、それも、今生きている世代ももちろんですがそこさえも超えた100年200年をつなぐ…、そんなことをしようとしています。100年200年の家族のつながりはおじいさんやおばあさんに昔話しを聞けばすぐに開けていきます。時間軸を持って、家族をいっぱい掘り下げる。思わぬ先祖の性格が、自分に「似ている」なんて思ってうれしくなることもあります。横のつながりがあって、縦のつながりがそこに加わると一気に時空を超えた広がりがもたらされます。老いも若きも、生きている人も亡くなった人もみんなでつながったら、過去も、今も、未来も、もっとおもしろくなる!遠くの星空を見ながら、今をきちんと生きる。横でも縦でも全方位的につながってそんな豊かで幸せな日々に向かっていけたらと思っています。
August 17, 2009
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我が家にナウシカがやってきた。ナウシカとは、堤中納言物語に当時する「虫愛でる姫君」がモデルとか。前々から、この人の虫好き、動物好きのみならず言動といい、ちゃきちゃき感といい、行動力といい、明るさといいみんなをどんどん巻き込んでしまうワールド形成力といい・・・あきらかに「ナウシカ」だと思っていた人物、アニコム獣医師、島村麻子。(適当なリンクがないのですが、とりあえず何年か前のこれかな? 元、アニコム・パフェ代表取締役社長。 http://www.anicom-page.com/column/profile_s.html)ただものではない獣医師。ただものではない経営者。ここ数カ月、島村さんより「想い」のインタビューをさせていただいている。そして今日はランチからあれやこれやと話がはずむ。食後、事務所前の公園を散策する。あ、アオアゲハだ、あ、トンボだ、と「ナウシカ魂」満開である。しまいには、「あ、セミのぬけガラだ」と葉っぱにくっついている抜けガラを収集しだす。私は自然が大好きである。それが私の人生をウィルウィンドへと導いてくれた。それほどの自然好きであれど・・・「虫」だけは、どうにもこうにも生理的に受け付けない。人からは「えせ、ナチュラリストだ」と言われたってダメなものはダメ。しかし、島村麻子の「歩み」「想い」を聴いているうちに”どうぶつと人との関係”、という意味において彼女は圧倒的に新しい価値観を私にもたらしてくれた。今の私は、自宅の観葉植物についたアブラムシをなんとか触って駆除することができるように成長した。「いのちあるものと向き合う」といううわっつらではない本当の意味を獣医師、島村麻子は私に教えてくれた。今日、セッションを終え、島村麻子を玄関から送り出すとき・・・ぎょっとして、体が飛び跳ねる。玄関脇の棚に・・・ナウシカの忘れ物。私のおののきように、彼女は「ウケル」と返すのみ。。。
August 16, 2009
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今日はウィルウィンドの設立記念日です。4年前、登記が8月の中頃になりそうだと思った時、私たち日本人が忘れてはならない大切な日、8月15日を設立日にしようと決めました。多くの人たちの「想い」に恥じないよう、決意と覚悟を持って、想いを次の世代につなげるのだという気持ちでした。ここ2年、つづけて靖国神社に参拝していましたが今年は静かに、一日パソコンに向かって執筆をつづけました。55歳の女性の闘病回復期と向き合い51歳の男性の波乱の仕事史と向き合い85歳の女性の女手一つの人生と向き合いました。なんだか、64年前の8月15日を感じたくて冷房を消して、窓を開け放ち、むせかえる蝉の声を聞きながらじっとりと汗ばむ体を椅子に沈めて丸一日、多くの方の想いと向き合いました。みなさんの想いに支えられて、4周年を迎えられているというこの感覚はどんなに言葉に表そうと思っても伝えきれないものなのだと知れば知るほど・・・この仕事と丁寧に向き合い、一生懸命に精進することだけが私のできることのような気がしてきます。4年前の私には頭でこそわかれ、心の側面では想像も及ばなかった「支えられてがんばれる」という、この心強い感覚。それを知ることができただけでも少しは成長しているのかなとうれしくなり、また、だからこそ、応援してくださっている方々にもこれからももっと頑張ります!と・・・お伝えしたい。夕刻になって、部屋を流れる風の涼しさと、今年もしかしたらはじめて聴いたかもしれない公園から響いてくる虫の音に囲まれて遠のきはじめた夏を感じています。
August 15, 2009
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今日の「ルビコンの決断」(テレビ東京)で取り上げられたのはパナソニック創設者、松下幸之助。戦後すぐにアメリカに渡り、一般家庭にあふれる電化製品、特にテレビを見て、日本の一般国民にもこのような豊かさをもたらしたいと一大決心をする。ところが日本にはテレビを作れるだけの真空管技術がまだなかった。技術がなければ「買うたらいいんや」!当時の日本は、技術のアウトソーシングや、M&Aがまだ一般的ではない時代。松下幸之助はオランダのフィリップスとの技術提携に踏み出す。しかし、契約前夜、彼は不安で一睡もできなかった。技術提携料は2億円。当時の松下電器の資本金は5億円。2億円はすべて銀行からの借り入れだったが事業が立ちゆかなくなれば返済が滞り従業員と家族を路頭に迷わすのに十分な金額だった。そして彼は思い出す。「この技術提携は、会社のためだけやない 日本を豊かにするための技術提携なんや!」と。何のためにそれをするのか、志をでっかくもてば勇気だって、決断力だって、覚悟だって、桁違いにでっかくなる。松下幸之助はこうしてまずは当時足りていなかった「物質的豊かさ」を追求した。そしてあれから60年。。。世界中の人の心がより豊かになることを目指して今日も1日「バトン自分史」の執筆です。世界中の人の心が豊かになるはじめの一歩はひとりひとりのかけがえのないいのちを大切にすること。はじめの一歩で、そしておわりの一歩でもあると感じています。
August 13, 2009
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パソコンに向かって一日執筆する日は気分転換がなによりも大切。家の前に公園があるのは本当にありがたい。体にたまった電磁波を地中に流すには木に触れて瞑想したり、裸足になるといいらしいと聞いて今日は両手でしばらく大きな木に触れてみる。うわーっとエネルギーが入ってくる気がする。これでいいのかな・・・?周囲に人の気配を感じて何食わぬ顔をしてやめる。(^^;公園の中には神社もある。二礼、二拍手、一礼・・・目をあげると中で一組のカップルが結婚式を挙げていた。平日の夕方4時、参列者は一人もいない二人きりの結婚式。もう一回、今度はお二人の幸せに手を合わせる。こういうちょっとした幸せがうれしいお散歩。
August 12, 2009
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あと少しで7か月になる甥っ子の成長がすごすぎる。今日妹宅を久し振りに訪ねたら、ずりずりと腕を使って満面の笑顔で私ににじりよってきた。今までは、寝返り以外、自分の意思ではどこにも移動できなかったのに前に進めるのがうれしくて仕方がないらしい。まだはいはいには至っておらず、フローリングで足を引きずっているので足の皮が一部摩擦で赤くすりむけている。うー、痛そうっ。でも、それよりも彼は前に進みたいのだ。負けてはおれん。こっちだって笑顔で、前進あるのみ!
August 11, 2009
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昨夜、NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.htmlを見ました。戦後、機密資料がほとんど燃やされた中昭和55年から毎月1回、平成に入るまでの130回に渡って当時の海軍幹部たちが「反省会」と称して自らの口から、自らの戦時中の「恥」の部分を語ったその400時間にわたるテープの内容に関する特集でした。反省会のメンバーが生存中は、絶対に公開しないという約束のもとタブーにも対峙して語られた赤裸々な反省会・・・衝撃でした。こんな内容のテープが残っていてそれが今こうして公開されたということが。そして、反省会で繰り広げられた一つ一つの発言はあまりにリアルでした。リアルさの所以はそこに渦巻くすべての思考や感情が今を生きる私たち一人一人の中にあるものとまったく同じであったからです。最後にナレーターの方もおっしゃっていました。組織、役割、肩書、セクショナリズム・・・そこから生まれる隠ぺい体質などなど今の私たちが組織の中で日々向き合っている状況と同じで彼らの心情を一概に批判をすることができないと。今、これが公開されたということはその反省会に出席した方々がほとんど亡くなられてしまったからです。あと、数年。。。日本人を300万人、そして無数の世界の人々を犠牲にしたあの戦争というものが私たち一人一人の心の中にリアルに存在する思考や感情から生まれたものであったということを私たちは今、直視しなければなりません。このブログを読んで下さっている団塊の世代の皆様、戦争を生きたご両親がご健在であれば是非、お話をうかがっていただきたいと思います。戦前世代は価値観の大転換から多くを語らない方がほとんどです。でも、子供から教えてほしいと聞けば、お話いただけけるかもしれません。孫のために伝え残してほしいとお願いすれば、重い口を開いて下さるかもしれません。団塊ジュニアの皆様(私はそれより少し上の世代ですが、ほぼ同世代です)ご両親とともに、またはご両親が動かなければご自分で是非ともおじいさん、おばあさんの話を聴いて下さい。それは批判のためではない、判断のためでもない。ただ歴史が、我が事に直接通じるのだということを血のつながりというさらなるリアルさの中から一人一人が感じていただけたなら、未来は確実に進化するはずだと思うからです。歴史から学べ、歴史は繰り返すと言われますが、歴史を字面(じずら)だけで追ったり遠い昔の物語、だと思っている間はやはり本当の意味で学ぶことはできません。時代を超えても「普遍的な想い」を知ること。綺麗事だけではない本当の想いを知ることによってそれが、まざまざと自身の心の中にも存在するものであると認識できたとき歴史の教科書の1ページが今を生きる自分自身につながりそこから”過去を繰り返さない”新しい未来への一歩が私たちには踏み出せるはずだと思うのです。今回のテープの存在は人の心の陰陽を見事に表していると思いました。反省会のメンバーが自ら「恥部」だと認める、かの日の海軍の行いとそしてテープを残しながらも公開を先延ばしにした行いを人の「陰」の部分だとするならばしかし、同時に「後世のために」と語らずにはおれずまた彼らのしわがれた声から感じずにはいられない”年老いてなお、自らの「良心」と真剣に向き合い、400時間も相互対話・自己対話を続ける”というその行いはまぎれもなく、人の「陽」の部分であるはずです。陰も陽も進化のためには必要ですが、「よりよく」進化する道を選べるのなら自身の陰陽をきちんと見つめた上で、よりよい方をを選びたい。私が感じた衝撃は「あの戦争はなんだったのか」という本質的な問いがこうして戦争に加担した中心人物たちの良心から真剣に語られたということ、さらにきちんと後世に伝わる形で残されたというすなわちこれは私たち人類がまだ進化しうることを物語っている「希望」への衝撃です。長期的な時間のものさしを持って自分と対峙する、そのためには世代をも超えて自分と対峙することが今の時代、何よりも必要だと思うウィルウィンドは「想いを次の世代につなげる」を、使命に掲げ息子や娘、孫たちが感じる「教えてほしい」「話してほしい」からはじまるご両親や祖父母様の「バトン自分史」をインタビューによって作成しています。終戦記念日、そして同じ日のウィルウィンドの創立記念日を目前に控えて気持をあらたにしてくださった旧海軍反省会メンバーの皆様に感謝します。戦時中の行いをよしとすることはできませんがそれでも一概に批判もできない、真剣な想いと気付きを遺して下さった。昨夜のNHKスペシャルは、3夜連続です。今夜、「日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090810.html明日、「日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090811.html昨夜、第一回の放送を見逃された方は、NHKオンディマンドでも見られるはずです。https://www.nhk-ondemand.jp/
August 10, 2009
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6日間もの出張の間何が一番気になったかって家で育てている植物たち。特にバジルはそれまでは1日2日、目を離すだけでしなびそうになっていました。出発前にたっぷり水をあげ、窓辺から直射日光の当たらないキッチンに移動して6日が経過・・・出張から帰ってみると、多少くったりしているものの生存を確認して一安心。まずは一度、たっぷりの水をあげました。そしてあれから4日。水は追加であげていなのにわっさわっさと育っています。それまで過保護に育てていたからすぐしおれていたバジルも今は6日間の出張を乗り越えて強くたくましく成長したということでしょうか。旅に出せないかわいい子は・・・ほっとけ。ということなのですね、きっと。
August 9, 2009
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知人の津軽三味線奏者、湯浅大吾さんが出演する「遠峰あこと爛漫社中」のライブに、横浜の山手ゲーテ座ホールまで行ってきました。遠峰あこさんはアーコディオン弾きの民謡歌手(という表現であっているのか!?)。そのパワーと声量とパフォーマンスは圧倒でした。私が特にじんときたのは「やあさかりんりん」というあこさんの100歳のおばあちゃんが作詞したオリジナル民謡。最初にあこさんから説明がありました。あこさんがずっと一緒に暮らしてきたおばあちゃんは今年100歳。いつもいつもおばあちゃんの昔話を聞くのが大好き。子供のころの思い出話になると、それはざっと95年前の話。95年前の話をライブで聞けるなんてすごいっていつも耳を傾けていたそうです。そんなおばあちゃんも今年のはじめ、100歳で亡くなりました。あこさんは、おばあちゃんの子供のころの話を元に、歌詞を作りました。だから作詞はおばあちゃん。歌を聴きながらあこさんのおばあちゃんがお寺の境内で遊んでいる風景が見えてきました。そして、その歌を、今日はYキッズという横浜のちっちゃな子供たちが一緒にコーラスしてくれました。95年前のおばあちゃんの子供時代のお話がこうやって歌になって孫のあこさんが歌ってお寺で遊んだ年頃と同じ子供たちが歌っている。。。今も昔も未来までも遠いはてまでつながっている。ステージにぽっかり空いた穴からなんだか知っていたことを思い出したような懐かしい感動がじわじわと心に響いてきました。
August 8, 2009
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お仕事でお世話になっている方、60歳をとっくにすぎていますが、毎日東京に出勤してフルタイムで働いています。そして朝と週末は畑仕事に精を出し、時には絵筆をとって野山の風景を水彩画で描かれます。お会いするたびに、狩猟犬である愛犬が風のように丘陵を舞う姿を惚れ惚れと語られます。とういわけで、その方が朝4時に起きて畑で収穫してくださった「アイコ」という名のトマトをおすそわけしていただきました。こんなにしっかりと果肉がつまって食べ応えのある果物のようなトマトははじめてです。
August 7, 2009
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広島で買ってきたもみじ饅頭を実家に届けたいがどう考えてもこの先1週間は実家に立ち寄る時間がなさそうだ。今日、最初の打ち合わせに向かう途中実家の最寄駅を通過するので母に無理を言って、駅の改札まで出てきてもらえないかと頼む。一旦実家の駅で降りて改札で母にもみじ饅頭を渡し、次に来る電車に乗ったなら、なんとか打ち合わせには間に合いそうだ。改札に一番近い車両に乗り込み、ドアが開くと同時に飛び出ようと位置について態勢を整える。電車がホームに滑り込むと・・・ホームにたたずむ母の姿が横に流れていった。改札で待っていてよいというのにホームの中にまで入ってきてしまうのが母という生き物。それも、改札の目の前に立っているのではなくなぜかだいぶずれたところに立って必死に電車の中を捜しているその抜け方もまた、母という生き物。「改札入るのに、わざわざ160円を払わなくてもいいのに~!」と、怒ると電車に乗ってきた人に渡すものがあるんですと言うといつも駅員さんが入れてくれるのよ、と涼しい顔をして答える母という生き物。うーむ、やっぱりかなわない。
August 6, 2009
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いよいよ最終日。梅雨明けしたばかりの炎天下またあの急坂を、はーはーいいながら登り切ると玄関先でお母様はわけぎの球根を剥いていました。瑞々しく元気な芽がすでにちょこちょこ出ています。畑に植える準備だそうです。今日はこれまでの人生を振り返って感じられたいろいろなお気持ちを伺いました。人生で一番楽しく幸せだったのは心配事もなにもなくのんびり過ごしている今の日々とそして苦労しながらも子育てに夢中だった日々だとお話して下さりました。最後は玄関先まで出てこられて深々と頭を下げて見送ってくださった一期一会の5日間。タイトルは「みんなに助けられて」になりそうです。(お母様の大好きな木彫りの恵比寿様)
August 5, 2009
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今日は一日お休みをいただいてこれまで3日間の聴き取りのまとめをホテルに缶詰めになってさせていただきました。外界から遮断されたホテルにこもって筆を執る文筆家の気分がはじめてわかった気がしました。一日早く東京に帰ることも考えましたが雑務に追われるより、明日最終日の聴き取りにむけて聴き洩らしのチェックと整理をさせていただきました。静かに流れる一人の世界。窓の外ではようやく今日梅雨明けが宣言された呉の青空が広がっていました。
August 4, 2009
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今日は一日かけて船乗りでほとんど家にいらっしゃらないお父様と結婚され一人で3人のお子様を育てられた苦労話をうかがいました。空襲で焼け出され、財産も持たず、病気に苦しみとにかく生きていくこと、食べていくことだけに精一杯。命がけの子育てでした。連日、坂下のバス停を降りてこの坂道を登って聴き取りに向かいました。私の足でも厳しい坂道。腰が痛いとおっしゃりながら今でもこの坂道を往来される85歳のお母様。そればかりか、ご自宅のさらに上に山肌を切り開いた急斜面の段々畑で毎朝畑仕事をされます。畑があったから、貧乏でもひもじい思いをせずにすんだ。ご先祖様に感謝だと、お母様は繰り返しおっしゃりました。
August 3, 2009
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午前中、お母様の幼少期のお話を伺いました。お母様のご両親のお話も伺いました。ご両親は明治生まれですから100年前のお話です。午後は、お母様、三人の息子さんと一緒にお父様のお墓参りに同行させていただきました。お墓も入れた家族5人の写真を撮らせていただきました。帰り道、呉の街にそびえる700メートルを超える灰ヶ峰山頂の展望台に立ち寄っていただきました。展望台は戦時中に設置されていた高射砲台が台座になっています。呉の海軍工廠への空襲時、この高射砲から敵機に向かって銃撃がされるのを娘時代のお母様は、あれじゃ当たりゃせんと見上げていたそうです。そして昭和20年7月1日、呉の街を襲った大空襲が、今、展望台から見えるこの街すべてを焼きつくしました。
August 2, 2009
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呉には85歳のお母様のお話を伺いにきました。依頼主は息子さんです。息子さん方そろってまずはお母様の年表を作成しました。人生の大きなイベントを思い出していただきながら翌日からの本格的聴き取りに備えます。懐かしい写真もみんなで選びました。今は亡きお父様の海軍履歴出てきました。乗船された海防艦の名前が列記されていました。終戦後は復員船、引揚船の船員として多くの人を乗せて、大陸と日本を何度も往復されました。呉駅前への帰り道、聴き取りのお宅の近くにあった戦艦大和の慰霊碑に手を合せました。夜はこっちに来て知った呉の花火大会でした。尺玉をあんなに間近でみたことはありませんでした。お父様、ありがとうございました。
August 1, 2009
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