藩政時代の町名、南材木町は戦後の住居表示の波を免れ、今も正式な住所として使われている。
仙台大空襲の被害エリアの外にあるため、今なお残る旧奥州街道の道筋からも、そしてその道沿いに建つ建物からも、歴史的な雰囲気をいくつか感じることができた。


旧奥州街道の両側に建つ歴史的建造物たち
奥州街道は南材木町と穀町の境でS字に大きく曲がっている。敵の軍隊が街道を攻め込んできた時、その勢いを落とすため工夫がこのクランク、と聞いたことがある。
辻標五十六番「竹屋横丁/南材木町」には読み方を「みなみざいもくまち」として次のように記載している。
【南材木町】(みなみざいもくまち)
・寛永初期に城下を南方へ拡張する際に用材供給のため割り出され、当初は若林材木町と称した。
・城下町方二十四町のひとつで、材木のほか煙草の専売権も与えられ、江戸道中南口、後の国道沿いの商人町として栄えた。
・戦災を免れたため今も土蔵建築や町内神などが残り、昔日の面影を伝えている。
辻標と旧奥州街道
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