December 20, 2005
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カテゴリ: TOTO日記
サメと泳いだ経験のことは、それから何回も頭の中で反芻しました。

サメの様子、ボクが感じたこと、生きること…
あれから数日、海の上で揺られながら、
記憶を絞り出すようにして考えました。



おかしな考え方かもしれないんですけどネ…

小さい頃、「どんな死に方したい?」って話になると、
「暖かい縁側でポックリ」なんて思っていました。
逆に、一番イヤな死に方は、「食べられる」ことでした。



サメに喰われて死んだっていいじゃん、って…


自然界は食物連鎖で成り立っています。
食物連鎖の底辺にいるもの以外、
すべての生命は、生きているものを食べて生きていきます。

植物は、日光と水と養分で、生きるエネルギーを得ます。
動物はそうはいきません。
生きているものしか食べられない。
そして、
その犠牲になった生命のエネルギーを、
自分の血と肉に変えて生きていくワケです。

「命」というものは、


生きるってことは、「受け取る」こと。
死ぬってことは、「与える」こと。

そうやって命というエネルギーは、
みんなの周りを廻っていく。


なんか、そう考えると、




サメと泳いだコトを正当化するつもりではありません。
あれはアホです。無謀だし無責任です。

ただネ、
この自然界で生命を授かった以上、
この自然界の中にいたいなぁ、って思うんですよね。

人間は、
自分の社会を自然から切り離すことで安全を確保してきました。
大昔、農業が発明されたことでそれが可能になり、
人間の人口は一気に増えました。
ところが今度は密集して生活するようになったので、
疫病が流行るようになりました。
しかし、医学や技術の発達、そして産業革命…

人間はもう自然を脅威と思わなくなり、
どんどん「自然」を「人工」に変えていったわけです。


その歴史のおかげでボクも生まれました。
ボクは自然界で生きていけません。
そんな風に育てられてないからです。
そもそも、人間が自然界から隔離しないでいたら、
ボクは生まれていなかったかもしれないワケです。


でも、体の芯に近いところで、
自然界への帰属意識
自然界の懐かしさ
って残ってると思うんですよね。


自然界に出れば、必ず「やられる」リスクが生じます。
(必ずしも人間社会が安全なワケではないですけどね。)

でも、リスクを恐れて、人間社会に閉じこもるのはイヤだなって思います。
また、簡単に自然界に出て、リスクを知らないで能天気でいるのも、
例え結果OKだとしても、イヤだなって思います。

「サメに喰われてもいい」というのは、
「死に方」の話ではなくて、「生き方」の話なんですね。


もちろん、サメと遭えば全力で逃げるし、
できるだけ出遭わないように避けて生活すべきです。

ただ、サイパンでは、
目の前でイワシとカツオとカモメの激しい生命の攻防を見て、
ものすごく心が動いたんです。
そして、そうやって生きることの原則や意味を
自分の目で確認したかったんだと思います。
理屈じゃなくて。
「行かなきゃ」「行かなきゃ」って気持ちを抑えられなかった。



おかしいかな?
おかしいよね。








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最終更新日  December 21, 2005 11:35:15 AM
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