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明日(既にもう、今朝か)は午前9時半から、予備校で授業があるのだが、予習をしていたら、午前4時になってしまった。 勉強してもしても、英語を身近に感じられない・・と絶望的な気分に陥っていたのだが、ふと、気付いたことがあった。今、中途半端な実力で、テストのスコアだけ良くなって志望校から合格通知が届いたとしても、向こうに行って、英語に歯が立たなければ、当初の目的を達成するのは不可能なのだ。ここで、英語の壁を高く設定して下さっているのはやはり、神様の思し召しなのだろう。 そう思ったきっかけは、ネットサーフィンで、米国留学日記を見つけたことだった。日本人の男性が、第一志望の大学院に合格して渡米するも、途中で英語についていけなくなって、大学を中退する羽目になる様子が、事細かに記してあった。まるで、渡米後の自分を見ているようで、胸が詰まった。いざ、向こうにいって絶望するぐらいなら、日本にいる間に、いくらでも絶望しよう。そこから抜け出るにはひとえに、わたしの勉強にかかっているのだ。何だか、すっきりした。 一進一退で、時間が掛かる。けれど、去年のこの時期に比べたら、明らかに潮は満ちつつある。この流れを信じて、前へ進もう。
2004年07月30日
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CNNニュースを自宅で聴きたいとずっと思っていた。しかし、チューナーとアンテナを購入してアンテナを取り付け、さらに月々、千円ぐらいの受信料を払わなくてはいけない。お金もさることながら、チューナーを置く場所はおろか、アンテナの設置場所もない。困ったと、途方に暮れていた。 ところが、驚いたことに、インターネットを通じて、音声と画像を受信することが出来るのだ。今日、CNNのホームページに行って、そんなサービスがあることに初めて気付いた。月々、たったの4.95ドルで、音声と画像を自由に受信できる。14日間のフリーサービスがあるので申し込んだところ、全く問題がなかった(わたしは、PHS端末でネットに接続しているため、画像はそれほど滑らかではなかったけれど、音声は問題なかった)。改めて、テクノロジーの進歩に唖然としてしまった。 ボストンで開かれた民主党大会で、大統領候補にケリーが指名されたという話がトップニュースだった。日本語で書かれたニュースを読んでから、CNNの放送を聴くと、ところどころ、知っている単語が飛び込んできて、何となく意味が分かる。最初は、それで良いのだと思う。何より、無理かな・・と諦めていたCNN放送受信が、テレビとは異なる手段で、こうもスムーズに実現することに驚いた。 最近、受験生のような禁欲的な生活を送っていて、本も雑誌も(新聞さえも!)満足に読んでいない。新しい情報に触れる機会があまりなくて、今はそれで仕方ないと思っていた。けれど、このように、知ることによって諦めていたことがスムーズに実現する実例に直面すると、こんな生き方で良いのだろうか・・とふと、自問自答してしまった。 情報との接し方って本当に難しい。あまりにも大量の情報の中から、本当に自分に必要なものだけを抜き出すのが極めて困難だからだと思う。今みたいに、世間の認知度とタイムラグが生じるけれども、本当に自分が必要になったときに初めて情報を入手するという方法しか、今はないのかもしれない。
2004年07月29日
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昨日、日記を一度書いたものの、数分後に削除した。離婚を考えている友人への愚痴になってしまって(どうしてこんなにも、結婚という人間関係を軽く捉えているのかと書いた)、自分まで侘しい気分に襲われた。嘆き口調の文章は、どうも、いけない。 今日は、伊豆半島への日帰り出張。台風が近づいているせいか、波が荒ぶっている。岩にぶつかると、しぶきがばっと広がる。相撲で、高見盛関が塩を巻いている姿が脳裏に浮かんだ。訪問先の方は、ダイビングショップを運営していて「海に潜れないから一週間、商売にならないですよ」と肩をすくめていた。 熱海駅午後9時2分発の上り新幹線に乗って、戻って来たのだが、熱海で花火大会が開かれていて、ちょうど午後9時ごろ、フィナーレの花火が矢継ぎ早に、勢い良く上がっていた。ホームで待っていたひとたちと、思わず歓声を上げた。 波と花火。それだけでとても気分転換になった。こんなとき、自分の単純さに救われるのだろうか。
2004年07月28日
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6月に結婚した友人と、結婚後初めて、会った。 今日はのろけ話のオンパレードだろうか・・と半ば覚悟(?)して待ち合わせ場所に行ったのだけれど、彼女はがりがりに痩せて、こわばった顔つきをしている。表情にまるで、柔らかさがないのが、変だった。 店について着席した途端、彼女が口を開いた。「ねぇ、わたし離婚しようかと思っているの。あんなひとだとは思わなかった。日増しに幻滅していくのよね」。・・・ちょっと待ってよと言いたくなった。何度もお見合いを繰り返して、慎重に選んだひとなのに。自分で決めたことなのに。あんなにたくさんのひとたちの祝福を受けたばかりなのに。約3時間、ひたすら彼女の愚痴を聞かされた。立て板に流れる水のように、矢継ぎ早に、とんがった言葉が続く。がっかりしたのと、気疲れとで、最後の方はあくびばかり出てしまった。 オセロのように、人生でも最初「黒」と出たものを「白」にひっくり返すことはいくらでも可能なのだと思う。けれども、それ相応の力量を身につけなければ無理だ。結婚生活を始めたばかりの二人が衝突し合うのはいくらでもある話で、そこをお互いに譲り合って、折り合い点を見つけ続けることが、夫婦の信頼関係につながるのではなかったか。・・こんなに彼女が幼いひとだとは思わなかった。話がまるで、通じない。 彼女曰く「わたしは結婚に向いていないのがよく分かった。結婚って、仕事以上に適性があるかもしれない」。結婚って、一体何なのだろう。こればかりはどうも、想像できない。
2004年07月25日
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先日、テレビのスイッチをつけたら、都市から沖縄の離島に「留学」した子どもたちを特集した番組が放映されていた。自宅に住んでいた時は、色々な事情から学校に行けなくなり、家に閉じこもっていた子どもたちが島に移り住み、里親、学校の先生、島のひとびとに見守られて、少しずつ、自分を取り戻していく。その過程が、丁寧に紹介されていた。 わたしたちは、ものの価値を測るとき、物差しを使う。逆に言えば、適切な物差しが無ければ、ものの価値は、明確に把握されないことになる。 都市の学校に行けなくなった子どもたちが、自分を取り戻すために必要としたもの。島の豊かな自然、島のひとたちの温かい思い遣り、ゆったりと流れる時間。本来、都市にもこういったものがちゃんと備わっていれば、子どもたちは都市から逃れる必要は全く無かっただろう。けれど、こういった効用をきちんと測る物差しがないばかりに、わたしたちは平気でそれらを捨ててきた。 時代が変化するにつれて、それまで当たり前のようにあったものが、どんどん無くなっていく。戦後の日本は、全国至るところでそれを繰り返している。人間は悲しい生き物で、身近に豊富にあるものの価値にはなかなか気付かない。その代わり、失って初めてはっとする。とすると、急速に失われつつある中で、わたしたちがその流れを食い止めるには、新たに、適切な物差しを作って当てはめることが効果的ではないだろうか。 適切な物差しを作ることは同時に、資源が限られている中で、複数の課題に直面したとき、それらの優先順位を決めるのに非常に役立つ。現在ある物差しは果たして十分だろうか、適切だろうか、問い続けることが必要だろう。
2004年07月21日
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生きる上で、どんな道を選択するかが、きわめて重要な問題だとこれまで思っていた。しかし最近は、選択自体が問題なのではなく、選択した道を進む上で、どれだけ学べるかが問題なのではないか・・と考えるようになった。 松本清張の生き方が脳裏に浮かぶ。家が貧しくて、小学校しか行けなかった。電気会社の給士を皮切りに、印刷工を経て、やっと朝日新聞社の正社員になれたと思ったら、戦争が激化して応召される。泣きたい気分だっただろう。復員したときには既に、36歳になっていた。ところが、41歳で初めて、自作の小説が週刊朝日の懸賞に入賞する。遅咲きの花は、大輪となって、82歳で亡くなるまで、現役だった。 作家になるための道のりとしては、彼のたどった半生は、決して適切なものではなかっただろう。しかし、そのときそのとき、常に精一杯のものを吸収したのだと思う。七転び八起き。苦難があったとしても、それを何とか、成功に変えていくところに、人生の妙味があるのだと思う。 自分のこれまでを振り返ると、逆境に本当に弱いと思う。順調に行くのが当たり前で、それでなければ道の選び方を誤ったと落ち込んでいた。けれど、そのままでは何も学べない。短期間で物事を判断して、すぱっと可能性を切り捨ててしまうやり方は修正しなければ、人生の幅が限られてしまうのではないか・・と反省している。 ひとの人生は、タペストリーにたとえられるかもしれない。ひとの性別や両親、兄弟などが縦糸で、自ら選んだ道を横糸として織り込んでいく。予め、寿命が分からないのがちょっと困るけれど、それでも、これまで仕上がったタペストリーの色合いを見て、今後の生き方を軌道修正することはいくらでも出来る。色々なものを飲み込んで、それを乗り越えていく生き方はきっと、タペストリーに深い色味をもたらすに違いない。
2004年07月18日
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望む、望まないにかかわらず、親しいひととの別れが訪れることがある。前にも書いたかもしれないが、ひととの付き合いの深さは、予め決まっているような気がするのだ。頻繁に会っていると、それだけ、別れは早く訪れる。当事者はそれを望んではいないのに、少しずつ、互いの考えていることがずれていき、距離を取っていくのが自然に思えてくる。 ここのところ、それを予感させることが続いていて、次の段階に進む時期が来たのかも・・と思っている。常勤の仕事を辞めたのが昨年の8月だった。もうそろそろ、1年になる。今の境遇は、当時、想像していた以上に居心地良くて、ちょっと油断すると、留学したいという意思が消えてしまいそうになる。神様はやはり、行くべきだと仰せなのだろうか。 変らないのは、ひとに対する興味である。見知らぬひとと会うと、反射的に、水面を思い浮かべる。ひとによって、湖だったり、池だったり、時には単なる水溜りだったりするのだけれど、水の透明度、深度がそれぞれ違っていて面白い。穏やかな感情の持ち主は、水面も凪いでいる。しかし、激しい感情に見まわれていると、ザッ、ザッと波が立って、そばにいるだけでひりひりする。そっと、相手の目を見て、会話を交わす。だんだんと、水面の映像がクリアになってくる。性別や年代、肩書き、顔つきなどをこえて、そのひとの本質が少しずつ、あらわになる。 英語は相変わらず、ツンツンと澄ましていて一向に優しくないけれど、より多くの人に出会えるための道作りなのだと思えば、耐えられるか。相変わらず、暑い。汗だくの中、ぼーっと考えている。ゴールはまだ、見えない。
2004年07月17日
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テレビの選挙速報をちらちらと見ながら、読書をしていた。各党の党首が次々と、各テレビ局とつながって、アナウンサーの一問一答に答えていく。同じ党首でも、質問者によって微妙に、答え方を変えている。各アナウンサーの質問力を比較できて、面白かった。各テレビ局とも、看板アナウンサーを持ってきているけれど、その中でも実力の差は歴然と、見える。 普段、議論することを避けに避けているわたしたち日本人が、唯一、議論らしきものをする、あるいはわが身を振り替えるのが選挙なのだと思う。たった一票で何が変わるのか・・と言われればそうかもしれないと言うしかないが、それでも、参加することに意義があるのだと思いたい。 ひとに勧められて、「ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則」という本を読んだ。良好な業績を出していた企業が、偉大な企業へ飛躍するとき、何が要因として働いたのか、実際の企業に対する膨大な調査データから、帰納法によって浮かび上がらせた力作である。ここでは企業が対象になっているけれど、個人に当てはめても十分に納得力があると思った。久々に、夢中になって読んでしまった。調査に5年かけただけのことはある。 筆者のジェームズ・コリンズは真っ先に、「第五水準のリーダーシップが欠かせない」という。第五水準とは企業幹部の能力に見られる5つの水準の最上位であり、野心は個人の名声よりむしろ、偉大な企業を築くということに向けられている指導者を指す。 以前からぼんやりと考えていること、すなわち、時代を超えて引き継がれるものを生み出したいという野心に通じるものがあると思った。自分が生きた証を、エキスとしてこの世に遺したい。それの企業版が、偉大な企業への挑戦なのではないか・・。 落ち込むと、いつも書店に駆け込んでいる。自分が悩んでいることは、大抵、他の人も悩んでいるし、そのヒントになるようなことを、誰かが本に著していることが多いからである。自分だけではなかったということに大きな慰めを感じるし、誰かが苦闘した結果、大いなる成果を遺していると本当に励まされる。書くということは、考えていることを、ギュッと濃縮し、エキスとして表現するのに非常に優れた手段だと思う。人間が頭脳の中に抱えている状態では(すなわち、ひとの思考の状態では)、ひとに広まらないし、普遍性に乏しい。しかし、いったん文章になれば、見知らぬひとも、それを読むことによって筆者の思考に触れることが出来る。しかも、翻訳家がいてくれるから、例えば、米国人の経営学者の力作を、わたしは日本語の枠組みの中でじっくりと吟味出来るのだ。本当に有難い。
2004年07月11日
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7年ぶりに経験する東京の猛暑(昨夏も東京にいたけれど、冷夏だったから)に、体がついていかない。外を歩けば、もわっとした空気が真綿のように全身にまとわりつき、室内に入ると、冷房のキーンとした冷気が体を直撃する。以前は、関節の痛みで済んでいたが、今は、体全体が痛くなって冷え性に拍車がかかる。おかしいなァ・・、環境への配慮から、冷房の設定温度を上げましょうというキャンペーンがだいぶ行われた筈なのに。どうしてこんなにがんがんにクーラーを利かせるのだろう。もしかしたら、11日の参院選が影響しているのだろうか。しかし、世間が選挙で白熱しているとは、とても思えない。 自分の家は2畳のキッチンと6畳の居間の1Kで、窓は真南に向いている。日の差し込む時間が長くて、春、秋、冬は本当に助かるのだが、夏は灼熱地獄である。冷房による体の冷えがひどいので、家では全く冷房をつけないのだが、暑さで眠りが浅くなる。今日のように、曇り空が広がるとほっとする。 気候の変化があまりにも激しいと、不安になる。例年なら今頃は、まだ、じめじめとした雨が降っている時期なのに、どうしてこんなにかんかん照りの猛暑が続くのだろう。東京はもはや、天候だけ見れば、亜熱帯地方と言って良いかもしれない。 今晩、幼なじみの友人と6年ぶりに会う。愉しい時間を過ごすことが出来れば良いのだが・・。**************************************************** 友人との食事を終えて帰宅した。以前はぴりぴりしたところがあって、いつも会うと気疲れでへとへとになったものだが、今日は、やわらかい時間が続いて、気付いたら3時間が過ぎていた。お互いに、良い意味で、年を重ねたと思う。 食品メーカーの研究室に勤める彼女は、基礎研究に長年、携わってきた。一つ一つ、実験結果を積み重ねて大きな結論を導き出す。それが面白くてずっと続けてきたのに、会社が成果主義を導入したのをきっかけで、少しずつ、上司との間に隙間風が吹くようになったという。「出世に対する欲が無さ過ぎると言われたの。それがきっかけで、落ち込んでしまって。初めて、会社を辞めるかもしれないと思った」。 組織に対する考え方、あるいは組織とかかわる動機は、ひとによって千差万別だ。とりわけ、男性と女性とでは異なる気がする。それを、ひとつの視点ですぱっと分類してしまうと、大事なものを見失う気がする。
2004年07月10日
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ひとが、自分の能力をどれだけ発揮できるかは、ふたつのステップがあって、最初に、自分自身でその能力を高める努力をして、次にその能力を発揮できる場所を見つけることに尽きると思う。要は、互いにとってどれだけ適切な相手と巡り合えるかなのだ。 わたしの友人で、コンピュータシステム構築にプロ級の技術を持っているひとがいる。その会社や団体の業務、構成員のスキルのレベルをよく把握した上で、どういうITの使い方をすれば、最も業務が効率かつ正確になるのかを判断し、最も適切な形のシステムを作り上げていく。 1年前、初めて会ったとき、そのひとは、数年間続けた会社経営の仕事を辞めたばかりだった。会社の株式を譲渡したので、当座の暮らしに困らないだけの資産は手にしていたが、へとへとに疲れ切っていて、次の仕事を考える気にもならなかった。今、疲れは取れたけれども、社会復帰のきっかけが掴めず、自分自身にいらいらしているのが垣間見える。 わたしは、そのひとの確定申告の仕事を無償で引き受ける代わりに、コンピュータ関係で困ることがあると、すぐにメールで質問している。いわば、互いの得意分野を物々交換しているような、面白い関係である。いつも感心させられるのは、わたしがよく内容をのみ込めないまま漠然と質問しても、鮮やかな形で内容を分類して、それぞれに対して的確な回答をくれることである。しかも、レスポンスが非常に速い。このひと、きっと、相当優秀なひとに違いない・・と思っていた。 一昨日、人間の欠点と圧縮ソフトはある意味、似通っているのではないか・・と思いついたとき、ふと、そのひとのことを思い出した。彼の能力も、圧縮されたまま、未解凍の状態なのではないか。そして、自分でどうやって解凍したら良いのか、分からないのでは・・。 昨日、仕事でお世話になっているある法人の社長に会う機会があったので、「コンピュータのシステム構築をやらせたら非常に優秀なひとがいるのですが、何か面白い仕事先、ご存知ないでしょうか」と聴いてみた。そしたら「えっ、実は困っていることがあるのだけれど・・」という答えが返って来て、彼に問い合わせたら、まさに得意分野の業務であることが分かった。早速、来週の初めに3人で会うことになって、わたしが一番驚いている。 Win-winもそうだけれど、今は、どれだけ適切な組み合わせを見出せるかが、とても重要なのかもしれない。個人ブランドで動いているひとが、増えているから。わたしは今まで、とにかく自分の能力を磨くことだ・・と思い込んでいて、窮地に嵌っていたような気がする。何かうまくことが運ばないとき、ソフト本来の性能が劣っているのか、あるいはソフトの性能は十分だけれども、適切な解凍方法が見つからないのか、その視点で物事を分析することが、大きなヒントにつながるような気がする。
2004年07月09日
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暑い。日中、外を歩いていたら、日光があたかも、皮膚の上に「乗っかっている」感じだった。質感があるというのか。 ぼーっとした頭で、取りとめもないことを、脈絡なく考えている。パソコンに向かっていてふと思ったのは、解凍して初めて使える圧縮されたファイルという存在は、ひとの欠点に似ているのではないか・・ということ。 欠点とは、圧縮された状態のファイルであると捉えれば、うまく解釈できるような気がする。人間が何か、とても重要なことに気づいた瞬間、その欠点は長所に生まれ変わる。まるで、圧縮されたファイルが解凍されて、本来の姿をあらわすように。いわば、欠点だらけの人間というのは、長所に生まれ変わる可能性をたくさん秘めているひと・・と言えるかもしれない。 取り立てて欠点のない優等生のようなひとは、ある方向からみれば、平凡で詰まらないと言えるかもしれない。
2004年07月07日
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今日は朝から事務所へ行って、午前中は明日からの仕事の準備、午後は英語の勉強をしていた。沖縄の離島で録音したという、波の音や鳥のさえずり、虫の鳴き声、風の音などを収録したCDをかけていると、雑念が消えていく。 ひとりの時間が漸く、しっくり来るようになった。体調も元に、戻りつつある。仕事に追われていた間、自分のベストの体重から3kg程、オーバーしていたのだが、最近は食欲も落ち着いて、減量も進んでいる。人間の体の調子は、波長によって大きく左右されているらしい。 英文を読んでいてつらいこと。それは、一語一語、目で追っていかないと意味が取れないことだ。全体をさっと見渡しても、意味が頭に入ってこない。やはり、単語との距離の遠さを思う。 夜、髪を切りに行こうと美容院を予約していたのだが、先々週、約束の流れた友人から電話が掛かってきて、一緒に飲むことになった。ここのところ、遊び過ぎかもしれない。もう少し、生活をシンプルにしよう。
2004年07月04日
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ここのところ、演奏会づいているのだが、今日は、横浜に住む友人に誘われて、横浜みなとみらいホールで催された日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に出かけた。今年3月に音楽監督に就任した、指揮者、小林研一郎氏の就任披露演奏会で、想像以上に充実した中身だった。 就任挨拶で小林氏がプログラムに寄せた文章が泣かせる。「私ども日本フィルは、皆様のお力を頂きながら、生活の糧を自らの血や肉で獲得してゆかなければなりません。この問題をクリアするために、私はこの度音楽監督の任をお受けし、日本フィルとともに闘いを始めることと致しました」・・日本フィルは、かつての日本フィルが分裂して出来た片方のひとつで、もう片方は新日本フィルである。新日本フィルは、小澤征爾が率いて出来たオーケストラで、比較的恵まれた再出発を切り、分裂前のオーケストラの主力メンバーの多くがそちらに移った。一方、日本フィルには、比較的高齢の男性奏者及び女性奏者が残り、特に、金管奏者の層が薄い。このため、オーケストラの演奏も、いまいち、迫力に欠けるところがあって、どうしても新日本フィルに注目が集まりがちである。多分、小林氏の文章には、そういった差し迫った危機感が背景にあるのだろう。 けれど、今日の演奏会では、再生へ向けた団員の集中力と熱意が、良い形で音につながったと思う。小林氏の要求する水準に、みんな歯を食いしばって続いているような、真摯さを感じて嬉しかった。昨日に続いて、今日も、素晴らしい精神のビタミンを受け取ったような気がする。 以前のわたしは、絶対的な演奏の水準ばかりに気を取られて、一流以外のものは聴くだけ無駄と思い込んでいた。今から振り返ると、なんて幼かったのだろう。本当に貴重なのは、ひとがどれだけ、真摯に、あるべき水準を追い求めていくかだと思う。例えば、ウィーンフィルが、80%の力で弾いた演奏と、日本フィルが120%の力で弾いた演奏があるとする。もしかしたら、演奏の絶対水準という基準で見れば、ウィーンフィルの80%の演奏の方が音が優れているかもしれない。けれど、客席で見ていて、より感動するのはきっと、日本フィルの120%の演奏に違いない。 何か困難なことに挑んで、それを乗り越える素晴らしさ。分野は違っても、そこには普遍的な感動がある。絶望的な怪我を負った運動選手がリハビリの末、奇跡の復活を遂げる様子に胸を打たれるのも、長い間の下積み生活に耐えて、60歳過ぎて漸く花開いた作家やピアニストの存在に励まされるのも、そのためだろう。
2004年07月03日
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虎ノ門のJTホールで、シューベルトのピアノ三重奏曲第二番を聴いた。この曲が演奏会に採り上げられる機会は滅多に無くて、生演奏を聴くのは10年ぶりだった。 演奏者の方々は皆さん、素晴らしいキャリアと経験を積んでいらっしゃる。それでも、とてもしんどそうだった。シューベルトが本当に、生きるか死ぬかの瀬戸際まで自分を追い詰めて、おそらく、血を吐くような思いで生み出した作品だからこそ、演奏者にも極限の精神的集中を、迫るのだろう。演奏者同士が生み出す緊迫感が途切れることなく続き、あたかも43分間のサッカーの試合を見ているような錯覚を覚えた。その様は決して、この曲本来の姿とは言えなかったけれど(本当は、まもなく死を迎えざるを得ないシューベルトの苦悩、絶望と、そしてそれを乗り越えて初めて得られるかすかな安寧、生への憧れを表現したものだから)、それでも、3人の方々は、一生懸命、演奏して下さった。これだけの難曲に、力を振り絞って挑戦して下さったこと、それがとても有難かった。曲が終わって、大きな拍手がわいたとき、シューベルトに思わず、呼びかけた。「あなたの作品は、こんなにも、大切に扱われています。この作品を遺して下さって、本当にありがとうございます」。 そろそろ、留学先の絞込みをしなければならない。したいことはかなり、固まってきた。やはり問題は、自分の英語力だろう。高い堰に遮られて、流れが止まっている水溜りを思う。堰を越えて、次の段階へ流れ出さなければならない。徐々に、近づいてはいる。後は、時間との戦いか。 今日は満月なので、先ほど、月を見に外へ出た。煌々とした光。何か、祈りを託したくなる。
2004年07月02日
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六本木ヒルズで、楽天の三木谷浩史さんの講演を聴く機会があった。 楽天日記を書いていて、どうして無料でホームページを作れるのだろうと、度々不思議に思っていた。今日の講演でも、三木谷さんご自身が、コミュニティービジネスを重要視しており、その理由として、楽天というブランドに対する愛着を高めてもらうのに効果的であるからと説明していた。 Win-winという言葉があちこちで聞かれるようになって久しい。この楽天日記もまさしく、そうなのかもしれない。わたしたち利用者はタダで日記をネットに掲載できる。日記を書き続けることによって得られる効果を考えると、これはとても有難いことだ。例えば、自分をじっくり見つめるのにとても役立っている。それに、サイトを通じて、色々な方と交流が出来るのもとても愉しい。書き込みが無くても、足跡が残されるので、嬉しくなる。わたしのサイトを訪問して下さる方には比較的、楽天日記のユーザー以外の方が多くて、例えば、足跡の多くは、******.home.ne.jp といったように、アスタリスクで表示される。だからこれは、一方通行の交流なのだけれど、日記を更新するたびに訪れて下さるのを見ると、何だか、勇気付けられるのだ。何故だろう・・わたしは昔から、「変わったことを考えるんだね」と言われることが多かった。その大半は、「変わっていて、何を言いたいのか分からない」という本音があったように思う。記者になって初めて、「変わっていて面白いね」と好意的に解釈するひとたちに巡り合った。この日記には、自分の思ったこと、考えていることを、何ら飾らずに書いている。多分、見て下さる方の多くは「変なことを書くな」と呆れていらっしゃると思う。それでも継続して訪れて下さる。 その一方で、楽天というブランドに対する親近感は着実に増している。先日、とうとう、楽天で初の買い物をしてしまった。山形産のさくらんぼを、お世話になっている方に贈ったのだ。まさか、この自分が、ネット販売で商品を購入するなんて、思いもよらなかった。多分、日記を書くために楽天にアクセスする機会がかなり増えて、サイトに対する親しみが高まり、ネット販売への抵抗感が減少していったのだ。 三木谷さんは今日の講演で、社是を紹介していた。その中で印象に残ったのが、「仮説→実行→検証→仕組化」という項目である。以前は、「仮説→実行→検証」で終わっていたのを、最近になって「→仕組化」と付け加えたそうだ。「何か検証したのなら、それをより効率化するための仕組みづくりへつなげなければ意味がない」と話していた。多分、この楽天日記のWin-winの構造も、こうやって試行錯誤を繰り返しながら、生み出されたのだろう。 今の日本社会のように、閉塞的な空気が強ければ強いほど、それを打破するような、新たな仕組みづくりがとても重要になってくるのだ。「社会起業」という言葉の大切さを改めて思う。
2004年07月01日
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