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メールで音楽が送られてくるようになった。だからパソコンで音楽を聴くようになった。一番最初に届いたのはたしかオアシスだったと思う。お返しに何か送り返したくてもオレのパソコンには1曲も入っておらず、CDラジカセで聴いていたリンキンパークをに取り込んでみたりした。そうしてる間にも彼女からは曲は送られ続けてきていて、今ちょうどリンキンを聴いていると話していたことから「Nnmb」が届いた。JAY-Zとのコラボ曲で、CDでは持っていなかった。「それでもファン?」と疑われてしまったりした。おかげでオレのパソコンの中には、今や何百もの曲が入っている。最初のうちはロックが多かった。多分好みを尊重してくれていたのだろう。そのうちビリージョエルのような古いポップが届くようになって、今ではブリトニーとかなんでもある。彼女の好みなのか、オレが気に入ると思っているのか、どっちなのかはわからない。ブリトニーは嫌いじゃない、というようなことは言ったような気がする。でもそれはきっと、歌がどうこうというより、派手なおねいちゃんという印象が嫌いじゃないといいたかっただけだったと思う。そういえば、「おねいちゃん」という言葉を男が使うことを彼女は好まない。親愛さもこめているのに、軽蔑してる感じがそれを打ち消しているのだろうか。若者には、言葉を選別したり、新しい言葉を作りだすチカラがある。ちょうど女が、男を選り好みし、子を産むことができるように。しかしたとえ理解されくても、大人は若者の言いなりになってはいけない。若者は大人を軽蔑することで成長し、大人は若者を押さえつけることで安定性を維持する。そうしてなにかの回転速度が保たれている。テレビで、「日本のフォーク&ロック」という番組をやっていた。長渕剛や浜田省吾が流れていた。年の瀬になるとどういうわけか、テレビでは音楽番組が多くなる。しかも、古い曲がよく特集としてプログラムされている。このごろ、中学生ぐらいのときに聴いていたような曲が流れてくると反応してしまう。若者が聴くようなかちゃかちゃした音楽なんか聴いてられるか、といってる大人たちを、子どものころには軽蔑していた。そんな大人になんか絶対なるまいと誓っていたはずなのに、見事にそんな大人になってしまったようだ。なんなら演歌だって聴ける。老いたわけではないと思う。経験が蓄積されて、善し悪しの区別がつくようになってきたのだ。だから子どもだましの下手な歌にはだまされない。クリスマスが近づくにつれて、クリスマスソングが届けられることが多くなっている。去年のクリスマス、心を奪われて告白したのに、今年のパーティーでは僕のことを見向きもしてくれない特別な人のことを歌ったワムの「ラストクリスマス」は名曲であり、この時期、街のいたるところで流れている。「特別な人なんか最初からいないんだよ、だから悲しい曲なの」彼女はこの曲に出てくる「サムワンスペシャル」がいないという解釈を打ち出して、そのことをメールで発表してくれた。メールのタイトルは「特別な人」だった。いったい何を伝えたいのか、オレにはさっぱりわからなかった。「クリスマスキャロルが流れる頃には、君と僕の答えもきっと出ているだろう」とは、稲垣某が歌う「クリスマスキャロルの頃には」の一節である。テレビで流れていたから思い出した。先週、彼女から送られてきた。日本語の曲はこれが初めてだった。答えが出るとはどういうことだろう。何か重大な発表があるということを暗示させているともとれるが、きっとただのクリスマスソングというだけだろう。「クリスマスキャロルが聞こえる頃まで、何が大切なのか一人考えたい」一人で考えるのは結構なことだと思うが、一人になりたいことをわざわざ発表するのはどうしてなんだろう。と、いとし・こいし のようにぼやきたくなる。
2007.12.22
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朝からWOWOWで桑田佳祐のライブをやっていて、今まさにそれを観ながらこれを書いている。最初はビートルズのカバーでまとめたステージだった。それが終わったと思ったら今度はディスコ&ソウルの曲目でまとまった演奏が繰り広げられている。番組表を見たら朝の10時から始まった桑田佳祐のライブ特集は夜の10時まで続くらしい。おかげでテレビの前から離れられない。まったく迷惑な話だ。フランスさんほど桑田佳祐のことが好きでないとしても、どういうわけか彼の歌声を聴いているだけ、楽しくて幸せな気持ちになってくる。ところが今日はどうもおかしい。どういうわけか切なくて、悲しい気持ちなのである。ビートルズの曲だからとというわけではないことの証拠に、ソウルの曲になっても、このおかしな感情は続いている。だったら観るのをやめればいいのだろうけど、テレビを消すことができない。動きたくない。胃のあたりが締めつけられるような感じがして動けないといったほうが正しい。かろうじて指先だけは動かすことができる。早く終わってくれないかなとも思うけど、この演奏が止んでしまうことは考えたくない。桑田佳祐の声は、今日のオレにとって切なく悲しく聴こえるが、沈黙はもっと絶望的だ。ちょうど1ヶ月前、稲村ヶ崎へ行った。「稲村ヶ崎は今日も雨」とか、「古戦場で濡れん坊は昭和のヒーロー」というようなサザンの曲の歌詞を思い出したことをまた思い出してしまった。稲村ヶ崎に登って見下ろした鎌倉の海と、古戦場と、女の横顔が、頭の中から消えない。消えてくれとも願っているし、消えてしまわないでもいて欲しい。いったいどっちなんだ。ただ、そのこを書くのはまだ早すぎる。昨日は深夜まで飲んでへべれけに酔ったはずなのに、どういうわけか今朝は泥のようには眠れなかった。酔って眠れば何も考えなくてもすむ。寝続けるのにも体力がいるそうだ。こういうところでもう若くないということに気づく。でもまだ老いを受け入れることができない。受け入れるわけにはいかない。「苦しい。訳はいえない。でもなんとかして欲しい。」と女はいった。はじめは、抱いて欲しくてそんなことを言っているんだろうかと思った。古い友人から連絡があったのは3日前だった。「話がしたい。」と一言だけ、メールに書かれていた。やがてパコソンで話をするに至って、冒頭のようなことを言われた。3日続けて話をして、昨日の夜は5時間以上話した。前に話したのは何年前かわからないほど前だったからなのか、話すネタには事欠かなかった。女友達は、痛みを負っていた。情緒不安定そうだった。女とはまだセックスしたことがなかったから、もし実際に会っていたら、セックスするには絶好のチャンスだったかもしれない。あるいは寸前で拒まれて、友人関係が破れてしまっていたかもしれない。男女の間に友情は成立しないと思っている。思っているが、彼女は友人だ。矛盾している。オレはいつも、友人であっても女であれば、恋人のように話す。友人となっている全ての女は、恋人になる前の猶予期間であるに違いないと思っている。そんなオレをこの「友人」は、ばかなやつだと思っているに違いない。女神のような微笑を湛えて。苦しみを紛らわせて欲しくてやってきて話をしている女の友人を、オレは口説き続けた。永遠に口説きに応じてくれることがない女を口説くのは徒労だが、どういうわけかこのときばかりは楽しく、他のことを忘れられた。そしてそのときだけは、オレの苦しみは幾分薄まり、和らいだような感じがした。「女神に救われた」と彼女を讃えたら喜んでくれた。恋人になるまでの距離が、少し縮まったかもしれない。彼女の苦しさがどうなったかは、知らない。桑田佳祐が流れている。ブリティッシュロックを歌っている。
2007.12.01
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