2004.08.17
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UFJが「野武士」で東京三菱が「公家」だとするメディアの観測をそのまま採用するならば、統合ではなく「吸収合併」であることをはねのけて、ともすればUFJは、少なくともシステム部門に限っていえば、対等かあるいはそれ以上の権利を獲得することになるのではないかとオレは思いはじめている。

野武士たるUFJが、公家三菱にたいして完全に屈服するような図を想像できないであろうことは、例えば彼らの暴力的恐怖政治を目の当たりにしてきたオレの直感によるものだけれども、そのことを全く考慮から外したとしても、歴史からみても、日本人の国民性といった観点から考えてみても、「野武士」と「公家」では、ゆくゆくは野武士が政権を握ることになっている。

鎌倉以降、江戸幕府瓦解にいたるまで、執政を担ってきたのは武士であり、それは武士という階級そのものが消滅した明治以降も、帝国陸海軍の参謀本部が、実質的な権力を握る形で引き継がれていて、昭和20年の終戦までその体制は続いた。
いい国(1192)つくろう鎌倉幕府から、終戦1945年までだから、だいたい750年ぐらいにわたって、日本はサムライによって統治されてきた。

世界的にみると、確かに統治や外交の背景には軍事力はあった。多くの戦闘も行われてきた。ところが海外の場合、軍艦や兵隊といった武力をコントロールしていたのは、サムライや軍人ではなく、あくまでも「貴族」だった。つまり日本でいう「公家(くげ)」のことである。
皇帝を補佐する官僚が貴族であるのとほとんど同義に、日本史では天皇の側近が「公家(くげ)」と呼ばれている。

「民主主義」のようなアメリカ的価値観が日本に最初に導入されたのは明治時代からだが、だいぶ定着してきたと確信していえるようになったのは、1972年ごろからだろう。ちなみにこの年、オレはこの世に生をうけ今にいたるわけだが、主題には関係ない。

話は戻るが、日本史の大半において、武士が政治を担ってきた。
武士は民を「統治」するために、恐怖をあたえた。槍や刀や鎧が示す暴力への恐怖をかきたて、領民を押さえつけた。

それが「天皇」だ。

戦国大名にとっては「天皇のかわりに世を治める」ことが大義名分だったし、戦中の参謀本部は全国民に「天皇陛下バンザイ」といわしめる作戦に成功した。
武家による日本史は、領民を戦闘にかりたてるその意義と理由を、ことごとく「天皇のため」だといってきた。

UFJが「野武士」で東京三菱が「公家」だとするメディアの観測をそのまま採用するならば、野武士側の強引な理由づけにより、統合後のUFJ(とりわけ三和出身)はいつのまにか、公家としての東京三菱を、くってかかる勢力に発展してゆくことになるだろうと思わざるをえない。
「野武士」という自覚があるのかないのかUFJ内は、「吸収合併」であるにもかかわらず、むしろ勢いが増してきているような感じさえする。





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最終更新日  2004.08.18 01:54:24
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