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大晦日いよよ明日から新年ですねゆく年の をしくもある哉 ますかがみ 見る影さへに くれぬとおもへば(紀貫之 古今和歌集巻6-342) (夕照)この1年 偐万葉田舎家持歌集に遊びにお越しくださいました皆さまどうも有難うございましたこの1年のご愛顧を心より感謝申し上げます来たる2025年 新年が皆さまにとってよき年でありますようお祈り申し上げますけん家持(偐家持)(大阪城)この1年、当ブログにコメントをいただきましたお方は下記の通りであります。MoM太郎009氏、岬麻呂氏、ひろみちゃん8021氏、ビッグジョン7777氏、龍の森氏、lavien10氏、小万知氏、めぐの郎女氏、今日郎女氏、オガクニマン氏、偐山頭火氏、かほりの郎女氏、七詩氏、ひろろ氏、英坊3氏、男なら思い当たる節があるかも氏(コメント件数順) それぞれのコメント、まことにありがたく、楽しく拝見させていただきました。茲にあらためまして厚くお礼申し上げますとともに、明年も変らぬご好誼のほど、よろしくお願い申し上げます。 今年1年間の掲載記事件数は104件、 日記記入率は28.42%(過去最低) でありました。<参考>過去10年間の記事件数の推移2015年 210件2016年 178件2017年 183件2018年 183件2019年 184件2020年 185件2021年 150件2022年 136件2023年 131件2024年 104件 今年のカテゴリ別の記事件数は次の通りです。 囲碁 19件(21) 花 16件(13) 岬麻呂旅便り 13件(21) 銀輪万葉 12件(21) 友人ほか 10件 ( 7) 若草読書会 8件 ( 7) 虫 4件 ( 3) 近隣散歩 3件(10) 和郎女作品展 3件 ( 1) 絵画 3件 ( 4) ブログの歩み 3件 ( 5) 自転車 2件 ( -) 偐万葉 1件 ( 6) 万葉 1件 ( 1) 言葉遊び 1件 ( 4) 未分類 5件 ( 7)※( )内は昨年の件数たつ年の 腹たつことも 今日のみに みのあるみ年と 春をや待たむ (辰巳持)今年の作歌数は激減、上記の干支歌1首を加えても78首(昨年187首)にとどまりました。 よって、今年末現在の累計作歌数は9237首ということになります。<参考> 過去10年間の作歌数 2015年:533首(6798)2016年:530首(7328)2017年:394首(7722)2018年:352首(8074)2019年:195首(8269)2020年:280首(8549)2021年:264首(8813)2022年:159首(8972)2023年:187首(9159)2024年: 78首(9237)※( )は年末現在累計数そんなこともあってか、ブロ友氏へのコメントとして作る歌の数も減り、偐万葉シリーズ記事に関しては、今年は1件(昨年6件)のみの掲載にとどまりました。従って、このシリーズでの偐家持作歌掲載累計数は6558首(昨年比24首増)です。 年間アクセス件数については、まだ少し時間を残しているので確定しませんが、9年ぶりに30万を下回ることが確実です。今年は、記事アップやブログへのかかわりを怠け過ぎたようです。来年はもう少し頑張るように努めましょう。今年1年間のご来場の皆さまには、心より感謝申し上げ、今年最終の記事とさせていただきます。どうもありがとうございました。 どちら様もどうぞよいお正月をお迎えください。
2024.12.31
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一昨日(12/28)は年末の墓参でありました。 久々にMTB(マウンテンバイク)を引っ張り出して、これで墓に向かうことに。(墓地からの眺め) 自転車での墓参は、毎回ではないが何度もしているので過去記事を調べてみたが、自転車が写っている写真は意外に少ないようです。 直近では2022年8月13日の記事に掲載されていましたが、これはMTBではなくCB(クロスバイク)の方でした。 MTBが写っている写真はと探すと2012年8月10日の記事にありました。(2012年8月10日記事掲載写真<部分>) 12年も前の写真ですが、MTBが写っています。 まあ、この日もこんな感じでMTBを駐輪しました。 背後のクスノキの大木は、まだ元気な姿です。現在は枯死した部分が広がり、枝などが打ち払われて、幹の一部を残すのみという寸詰まりの姿になり果てています。(墓地のクスノキの大木の現況<2024年7月5日記事掲載写真>) 墓参の道の途中のお寺の門前の言葉。 この日のそれはこんな言葉でした。(門前の言葉)<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 そして、昨日(12/29)は、瓢箪山稲荷神社・石切神社・枚岡神社の順にこれを巡って元日のブログ記事のための絵馬の撮影であります。 この何年間かは、元日の記事にはこの3社の絵馬の写真を毎回掲載して来ましたので、今回も、とこの3社をMTBで巡って参りました。 去年は枚岡神社の絵馬は撮影できなくて他の2社のそれのみの掲載で終わり、枚岡神社のそれは掲載できなかったのですが、今年も拝殿脇のいつもの場所に絵馬はなく、どうやら今年から干支の絵馬を掲示することを取り止めたようです。干支の絵馬を毎年奉納していた団体が何らかの事情で去年から奉納することを取り止めたか奉納できない事情に陥ったということであるのかもしれませんが、委細は不明で、何の情報も持ち合わせません。 ということで、来年も、といっても明後日のことになりますが、元日の記事に掲載の絵馬は石切神社と瓢箪山稲荷神社のそれのみの掲載となります。 で、その絵馬に記載された干支が「乙巳」。 来年は、乙巳(きのとみ)の年なんですね。 645年大化の改新。蘇我入鹿が首を刎ねられ、曽我本宗家が滅亡することとなった乙巳の変は今から1380年前。干支は60年で一巡しますから、来年で乙巳の変のあった年から23巡目の乙巳の年を迎えることになります。
2024.12.30
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 同氏曰く「西表島のサガリバナ、石垣島のカエンボクとあわよくば寒緋桜のお花見が目的の一人旅」とのことですが、3泊4日の今年納めの旅でもありました。(開聞岳と池田湖・往路の機上から) 旅便りと添付写真は以下の通りです。(旅・岬巡り報告336)※上掲報告336については、画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでご覧ください。以下に掲載の写真についても同様です。(添付写真1) (同2) (同3) (同4) (同5) (同6) では、旅の日程に従い、順次写真を紹介させていただきます。12月17日関西空港→新石垣空港→ホテルミヤヒラ(3連泊) この日は、午後遅い便で関西空港を発たれ、「暗くなる直前に離島ターミナルに近いホテルミヤヒラ到着」ということで、写真は冒頭に掲載の機上からの撮影写真1枚のみでありました。12月18日新石垣空港→与那国空港→ダンヌ浜→夕日の丘→西崎→Dr.コトー診療所ロケ地→立神岩→サンニヌ台→東崎→ティンダバナ→祖納港→アヤミハルヒ館 この日は空路、与那国島への日帰り旅。(与那国島) 天候不良で条件付きの出発であったが、無事着陸。 ご昵懇にされているという与那国ホンダ社長・西條氏のお出迎えを受けられたとのこと。 上の地図でお分かりのように、与那国空港は島の北部中央に位置する。 先ず、西に進路を取り「日本最後の夕日が見える丘」へと向かいます。(日本最後の夕日が見える丘) この日は天候が悪く夕日は望めそうになく、天候が更に悪化して欠航ということも考えられるとのことで、西條氏からのアドバイスに従い、帰りの飛行機を早い便に変更されたこともあって、夕日の写真は諦められたそうですが、当初計画では下掲のような写真を撮影する心づもりをされていたのでしょう。 はい、15年も前に岬麻呂氏が目にされた日本最後の夕日であります。(2009年2月24日撮影の写真) 島内は車だと3時間もあればひと通り巡ることができるとのこと。(西崎)(西埼灯台) 日本最西端の地です。(日本最西端の地) 日本最西端の地から、とって返して島の反対側に向かう。 立神岩を経て、東崎へ。(立神岩)(東埼灯台) 東崎では、ヨナグニ馬の群れ。(ヨナグニ馬) 岬麻呂氏によると「この2頭はじゃれあっているのか、近寄っての撮影直前、右の馬が左の馬を組み敷いて馬乗りになっていました。馬の馬乗りというシャッターチャンスを逃がしました。」とのこと。 左の馬が態勢を立て直したところでシャッターだったようで、「馬の馬乗り」という珍妙な光景は記録には残らずであります。(ヨナグニサン)<参考>ヨナグニサン・Wikipedia 与那国島に生息する日本最大の蛾、ヨナグニサン。 ヨナグニサンは、八重山方言ではアヤミハビルというらしいが、上掲の標本は、島のやや東寄り中央部に位置する、ヨナグニサンの資料展示博物館、「アヤミハビル館」に展示されているものです。(祖納の街並み・ティンダバナ展望台から)<参考>祖納(与那国町)・Wikipedia(祖納港の水路)12月19日石垣港→西表島・大原港→(レンタカー)→白浜→イダの浜→船浮港→星砂の浜→由布島→大原港→石垣港 この日は西表島を巡ります。 石垣港から船で西表島の大原港へ。(石垣港・海上保安庁の巡視船)(西表島地図) 西表島の南東部に位置する大原港から、レンタカーで島の西北・白浜へと向かいます。 今回の旅の目的の一つが「西表島のサガリバナ」であります。 はい、見つけました。(サガリバナ)サガリバナ 咲きたる姿 つばらに見む 家なる妻が 待ち問はむため (西表猫持)(本歌)難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)のなごり つばらに見む 家なる妹(いも)が 待ち問はむため (神社忌寸老麻呂 万葉集巻6-967)(白浜・子午線モニュメント)(イダの浜<左方向>)(同上<右方向>) イダの浜から船浮港を経て北上、星砂の浜へと向かいます。(船浮港)(星砂の浜) トックリキワタも花咲かせ、由布島ではアサギマダラが蘭の花に憩い、睡蓮が欠伸をし、水牛が黙々と働き・・。(トックリキワタ)(アサギマダラ)(スイレン) 由布島には水牛車で渡れるのだそうです。(水牛車) この日の夕食は、前記の西條氏とご一緒されたそうですが、二次会での飲み直しもあったようで、いささか酩酊。ホテルにどう戻ったのか記憶にないとのこと。朋在り遠方より訪問亦楽しからずやのいいお時間を過ごされたようです(笑)。12月20日バンナ公園(カエンボク)→バンナ展望台→御神埼灯台→川平湾→玉取崎展望台→新石垣空港→関西空港 最終日は、もう一つの目的、カエンボクの花を見なくてはなりません。(竹富島)(カエンボク) はい、カエンボクもしっかり見届けました。(同上) 今回は、お天気には恵まれなかったようですが、最終日にようやく笑みを垂れてくれました。 海も空もこうでなくては・・。(石垣の海) 石垣島の美しい海です。 御神埼灯台もすっくとご機嫌なようです。(御神埼灯台) そして定番の川平湾であります。(川平湾)(同上) 今日はいい天気だ。 寒緋桜も咲いている。(寒緋桜) 真っ青な空を背景に「あわよくば」の寒緋桜のお花見も達成。 めでたし、めでたしであります。(吹通川河口)(玉取崎展望台) 以上、今年納めの「岬麻呂旅便り」でありました。 来年も岬麻呂氏がお元気に旅をお続けになられますようお祈りしつつ、この1年、旅便りにお付き合いくださった皆様に心より感謝申し上げる次第に御座候。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.12.28
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昨日(11日)は、今年最後の囲碁例会。 マイCB(クロスバイク)で会場としている部屋のある梅田スカイビルまで銀輪散歩。前回(12月4日)の例会は健人会の集まりと重なってしまい、欠席したので、ヤカモチとしては、ほぼ1ヶ月ぶりの囲碁であります。 出席者は、村〇氏、平〇氏とヤカモチの3名のみ。 最初の対局は村〇vsヤカモチ戦。 これは、10目余の差でヤカモチの勝ち。 次は、平〇氏vsヤカモチ戦。 これは、大差でヤカモチの負け。 ということで、今年の成績は、22回開催中19回の参加で24勝26敗。 残念ながら2つ負け越しで、勝率は4割8分に終わりました。 昨年に続き2年連続の負け越しとなりましたので、来年は頑張らなくてはいけません(笑)。 最後は、村〇氏vs平〇戦。ヤカモチは観戦。 これは平〇氏の勝ち。 さて、自宅から梅田スカイビルまでの往復の銀輪散歩について記述することとします。と言っても、最近は寄り道・道草なしの直行直帰ばかりですから、代わり映えのしない記事になってしまいますが・・。 このところ冬らしい寒さとなりました。しかし、銀輪散歩にはちょっと寒い位が丁度よい気温です。 花園中央公園からジグザグに西へ、北へと走り、河内中野南交差点で中央大通り(国道308号)に入り西へ。 そこから二つ目の交差点が横枕西交差点。 暑い時には水分補給などでよく休憩することがある横枕南公園がこの交差点の南側にある。 ここで信号待ちの間に撮ったのがこの写真。(キリンの居るオフィス) 住宅会社のビルのようですがキリンが居ます。 隣の木はミモザの木。春には見事な花を咲かせますが、過去記事でその写真を掲載した記憶があるので、のちほど調べてリンクを貼って置きます。<参考>囲碁例会・李、桃、ミモザ 2024.3.6. 中央大通りをひたすら西へ。 緑橋交差点まで来たところで、スマホに電話着信音。 平〇氏からのお電話でした。 前日に福麻呂氏から欠席する旨のメールが入り、平〇氏も前回は体調が良くないので欠席する旨の電話を頂戴していたので、今回はどうされますかというお電話を入れたところ、「当日の朝の体調次第で決める」という話であったので、その電話だろうと出ると、「今日は出席します」とのこと。 ひょっとすると村〇氏とヤカモチの二人だけの出席となる可能性があったが、これで3人出席となり、何とか例会の面目を保てたと喜ぶ。 大阪環状線JR森ノ宮駅の前から大阪城公園に入り、これを通り抜ける。(大阪城公園・森ノ宮入口) 噴水広場を横切り、東外堀沿いの道へと向かう手前にカエデの木が沢山植えられている広場がある。(大阪城公園・カエデの紅葉1) 暫し、紅葉をお楽しみください。(大阪城公園・同上2) そして、銀杏並木です。(大阪城公園・銀杏並木1)(大阪城公園・同上2) 銀杏並木が黄金色に輝き、思わず自転車を停めて1枚パチリ。(大阪城公園・同上3) 1枚では収まらず、パチリ、パチリと・・。(大阪城公園・同上4) 大阪城公園を通り抜け、天満橋で大川(旧淀川)を渡り、滝川公園で小休止。(滝川公園とマイCB) 滝川公園に立ち寄った際は、道路向かいのお寺の門前の言葉を写真に撮るのがお決まりの行動。この日の言葉はこれでした。(門前の言葉) 梅田スカイビル到着は11時35分。 駐輪場に自転車を預け、先ずは昼食。 全席喫煙席というカフェレストラン、CAFE PIAZZA POPOLOへ。(CAFE PIAZZA POPOLOの店内) 未だお昼休みの時間には早いようで、先客は一組の男女の姿があるのみで、ご覧のように店内はガラガラ。 パスタランチセットを注文して、タバコをプカリ、プカリしているうちにだんだんとお客さんが入って来ました。 余り混み合っているのもどうかと思うが、このようにガランとした感じも何か居心地のいいものではない。 昼食を済ませて、地上に出ると(店は地階にある。)、中庭・ワンダースクエアでは、毎年恒例のドイツ・クリスマス・マーケットが開催されていました。(梅田スカイビル・ドイツXmasマーケット) ぐるりひと回りしてから、囲碁例会の会場としている部屋に行く。 ヤカモチが一番乗り。待つこと20分位であったでしょうか。 先ず、村〇氏が来られ、少し遅れて、村〇氏とヤカモチとの対局中に平〇氏がお見えになりました。 その後のことは上述の通りです。 囲碁例会終了は午後3時20分頃。 復路では、大川端の公園、天満橋近くの、天満の子守歌の碑と像のある前のベンチに腰を下ろして小休止。桜の紅葉をしばし楽しみつつ、水分補給でありました。(大川<旧淀川>端の公園・天満橋の近く) 上の写真の右奥に写っているのが天満橋です。 ベンチの少し手前に、天満の子守歌の碑と子守の少女の像があるのですが、その写真と天満の子守歌の歌詞は下掲の参考記事に掲載していますので、興味のある方はご参照ください。<参考>囲碁連勝ストップする。 2009.12.12. 大阪城公園の銀杏並木の道を、今度は逆方向から撮影。(大阪城公園・銀杏並木<復路>) 往路の朝日に照り輝く姿とは違って、日没前の姿は何やらうら寂しき感じもあって、これはこれで眺めていたき景色であります。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.12.12
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昨日(4日)は、健人会の集まりで大津市石山まで出かけて参りました。 昔の仕事仲間の集まりであるが、元々は彦根営業所に勤務したことのある人たちの中の有志の集まりが発祥で、その後、滋賀県内在住とか滋賀県下事業所に勤務経験があるとか、何らかの形で「近江」に関係のある人たちの集まりに変化したよう。やがてそのような要件を必要としなくなったのか、どちらにも無関係のヤカモチにもお誘いがあり、いつの頃よりかこれに参加するようになったという次第。 この日は、囲碁例会の日でもあったのだが、健人会の方を優先することとしました。 11時55分JR石山駅前集合、12時15分料亭新月にて開宴というのが世話人・草麻呂氏からの案内メールの内容。 予定していた電車よりも1便か2便早い電車に乗ったので、石山駅到着は11時21分。 改札を出ると、草麻呂氏ら数人が既に到着されていて、ヤカモチもこれに合流。 その後、現地合流の鯨麻呂氏と岡〇氏を除く全員が揃ったので、料亭新月の送迎マイクロバスで石山駅を出発。 ということで、この日の出席者は、杉〇氏、只麻呂氏、鯨麻呂氏、岡〇氏、草麻呂氏、徳〇氏、今〇氏、竹〇氏、森〇氏、正〇氏、北〇氏、生〇氏、〇庭氏、平〇J氏とヤカモチの全15名。常連で会の中心メンバーでもある平〇氏は検査入院とかでご欠席でありました。検査結果が問題ないことを祈ります。 草麻呂氏のご発声で乾杯。開宴。(前菜)<参考>日本料理・新月 食レポは柄でもないので、致しませんが、前菜だけは写真に撮りましたので掲載して置きます。 そして、羹の椀が出て来て、その蓋を開けると・・。(椀の蓋の内側に紫式部) 蟹と何やらの羹でしたが、食った尻から何を食ったかを忘れてしまうという特技の持ち主のヤカモチ。記憶がありません(笑)。 もっと正確に言うと、出された料理への関心も薄く、その説明を受けてもいい加減にしか理解しないのがヤカモチ流であります。 NHK大河ドラマ「光る君へ」で、石山寺にも人気が出て、参詣客が押し寄せているとのことで、石山寺にほど近い料亭・新月もお客さんの予約が増えているのではないかと推察します。そんなことで、このような図柄のお椀を新調されたのかもしれません。 こういうお心遣いも、観光客にとっては嬉しい「おもてなし」と言えるでしょうね。 もみぢ葉も瀬田の流れも馳走なり (偐芭蕉)(瀬田川) 料亭の2階の部屋からの眺めです。 上の偐芭蕉の句は、「わが宿は蚊のちいさきを馳走也」という松尾芭蕉の句のパクリです。 料亭・新月の西方の国分山に芭蕉が4ヶ月の間滞在した幻住庵址があり、それが復元された建物が存在している。 10年ほど前に、同じくこの健人会に出席するついでにこの幻住庵に立ち寄ったことがあるのだが、元句である芭蕉句は、金沢の蕉門俳人・秋之坊が幻住庵を訪ねた折の挨拶吟で、「これといった接待もできないわが家では、蚊の小さいことがせめてものもてなしだ」という意味の句である。 勿論、料亭・新月の料理は十二分に美味しく、文句のない「おもてなし」であったのだから、偐芭蕉の方の句は「もみぢ葉も瀬田川の眺めもそれに加えてのおもてなしである」という意味である。<参考>幻住庵へ(上) 2013.9.6. 幻住庵へ(下) 2013.9.7. 各人の近況報告のスピーチとなり、それも「遊び」というテーマで話すべし、というのが司会役の草麻呂氏からのご指定。 ヤカモチとしては、自転車、万葉集、囲碁、読書会、ブログ位しか思い浮かばないところ、この幻住庵の連想から、芭蕉の句を話の切り口にすることとし、「行く春を近江の人と惜しみける」をとり上げました。 この句は、芭蕉自身でもお気に入りの句であったようで、かなりいい出来の句であると思っていたようです。ところが、大津の医者にして芭蕉の弟子でもあった江差尚白から「行く春」は「行く歳」と言い換えることもでき、「近江の人」も例えば「丹波の人」と言い換えることもできるから、どうしても「行く春」「近江の人」でなければ句が成立しないという必然性がない。従って余り出来がよくない凡庸な句であると批判されたそうな。 これを根に持ったか、頭に来たか、芭蕉さんは尚白のことをよく思わなくなったらしい。わが手許の本でも、尚白の項では「(芭蕉とは)後に離反」とあるから、この一件が原因かもしれない。尚白の批判も小賢しいと言うべきであるが、芭蕉も懐の小さい奴だという気がするエピソードではあります。しかし、人の琴線が奈辺にあるかは人それぞれであるから、それは置くこととしましょう。 このエピソードを紹介し、尚白さんが置き換え可能とした「行く歳」を頂戴することとし、「行く歳を近江の人と惜しみける」にすれば、この日の健人会の集いにピッタリ当て嵌る句ではないか、というようなことをお話しました。 ということで、この記事のブログタイトルにもこのパクリの句を採用させていただいた次第。 で、自転車遊び、囲碁遊び、万葉遊び、ブログ遊びの日々であることを話し、このパクリ句を更に万葉調のパクリ歌にしてみようと、自分の順番が回って来るまでの間に作った歌がこれ。ゆく歳を 惜しみつどはな 思ふどち みな真(ま)幸(さ)きくも あれと願ひて<行く歳を惜しみ集まりましょう、心通じ合うこの場の友人皆がつつがなくあることを願って> まあ、これも道祖王の「あらたしき年の始に思ふどちい群れてをれば嬉しくもあるか」(万葉集巻19-4284)のパクリですから、パクリ歌人偐家持の面目躍如であります(笑)。 これを犬養節で朗唱して、スピーチの締めとしました。 まあ、皆さんそれぞれに愉快なスピーチで、アチラコチラから色んな突込みが入り、その突込みにもまた他からの突込みが入るということで、さながら集団漫才といった成り行き。何とも楽しい3時間でありました。 午後3時を少し過ぎ、散会することとなりました。(料亭・新月) これは、散会後、JR石山駅まで送っていただくマイクロバスが料亭玄関先に横づけしたところを撮った写真。 次回は、来年4月9日にまたこの料亭・新月に集まることにしようと決めての散会でありました。<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2024.12.05
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ブログの更新をサボっているうちに、友人・岬麻呂氏は早くも次のご旅行を実施されたようで、その旅便りが届きました。 今回の旅は、昔の勤務地の一つである浜松での仕事仲間のOB会が開催されることになったのに合わせて、もう一つの勤務地であった甲府の仕事仲間との会食とお見舞いをセッティングされたようで、これを目的としつつ、松本に寄り道をして安曇野の紅葉も併せ楽しんで来ようという、三泊四日の一人旅でありました。(旅・岬巡り報告335・松本、甲府、浜松)※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでご覧ください。以下に掲載の写真も同様です。(同上・添付写真1)(同上・添付写真2)(同上・添付写真3)(同上・添付写真4)11月24日マイカーで自宅を出発→名神高速道→東名高速道→中央自動車道→安曇野・大王ワサビ園→松本城→アピコプラザホテル(泊) マイカーで自宅を発ち、名神・東名・中央自動車道経由でお立ち寄りになられたのは大王ワサビ園(大王わさび農場)。(大王ワサビ園)<参考>大王わさび農場 同・見どころ 同・歴史 (大王ワサビ園の水車と紅葉)※岬麻呂氏「安曇野の大王ワサビ園には3棟の水車小屋が並んでいます。」 大王ワサビ園(大王わさび農場)は、長野県安曇野市穂高にある農園。 大阪から440kmの距離。5時間半をかけて、到着したのは午後3時も過ぎて、日が西に傾きかける頃。光線不足で写真撮影には不適とのことでしたが、紅葉は最盛期を過ぎていたものの、未だ十分に綺麗でありました。(大王ワサビ園の水車小屋1) 安曇野というと古代氏族の「安曇氏」を連想するが、この農園の西方・2kmの位置にある穂高神社(里宮)の祭神は安曇氏の始祖とされる、綿津見命とその子である穂高見命である。 まあ、「大王」という名称から古代史に連想が及んだという次第。<参考>阿曇氏・Wikipedia 穂高神社・Wikipedia(同上2) 水車小屋と紅葉もいい風情です。(同上3) 松本城を経由して、この日宿泊の松本駅前のアピコプラザホテルへ。(松本城・南東側夕刻) はい、ホテルでの夕食では、「地酒楽しむ」とありますので、例によって例の如し、であります(笑)。11月25日松本城→アルプス公園→諏訪大社上社本宮→小渕沢→八ヶ岳高原ライン→昇仙峡→甲府市(友人宅訪問・会食)→古名屋ホテル(泊) 二日目は、早朝の松本城にご挨拶して、アルプス公園では北アルプスの峰々にもご挨拶して、諏訪湖畔の諏訪大社上社本宮に向かいます。(松本城・北西側早朝)(アルプス公園)(諏訪湖・中央自動車道サービスエリアから)(諏訪大社上社本宮)<参考>諏訪大社・Wikipedia(同上・一の御柱)※岬麻呂氏「7年に1度建て替えのため、木材を山から切り出して急斜面を引き下ろす御柱祭が有名。」 八ヶ岳高原ラインをドライブして、昇仙峡から甲府へと向かいます。(八ヶ岳高原ライン)※岬麻呂氏「小渕沢から清里まで。標高の低い小渕沢周辺の紅葉。」(八ヶ岳・東沢)※岬麻呂氏「赤い橋は高原ラインの橋で、左が小渕沢方面、右が清里方面。」(八ヶ岳山麓からの富士山)※岬麻呂氏「水蒸気が多く霞んでいます。真冬の午前中はくっきり見えるのですが。」 昇仙峡の紅葉は、ほぼ終盤です。(昇仙峡) 昇仙峡から甲府盆地へと下って行きます。(甲府盆地と富士山)(甲府の紅葉)※岬麻呂氏「昇仙峡から甲府中心部に下る道で、名称は知らなかったのですが『和田山もみじ坂』と看板表記されていました。」 甲府では昔のお仕事仲間と会食、楽しいお時間を過ごされたようです。11月26日御坂トンネル経由→河口湖・西湖・精進湖・本栖湖→下部温泉→中部縦貫道→浜松市(友人宅訪問)→OB会→アクトシティホテル浜松(泊) 三日目のこの日は、河口湖、西湖、本栖湖などを巡って、今回の旅の主目的であるOB会に出席するため浜松へと向かいます。(河口湖畔の紅葉)※岬麻呂氏「写真の奥には駐車場が多く、観光バスで大渋滞でした。」(河口湖と富士山)※岬麻呂氏「西から雲が押し寄せて来て、富士山の裾野が一部見えただけでした。すぐ全部見えなくなりました。」(本栖湖)※岬麻呂氏「正面に富士山が見えるはずでした。旧の五千円紙幣の裏面デザインと同じアングルです。」<参考>●新渡戸稲造五千円札裏面●野口英世千円札裏面 下部温泉から中部縦貫自動車道で浜松へ。(下部温泉・道の駅の紅葉)※岬麻呂氏「温泉街は写真右側すぐ近く、坂の下にあります。」 この日のホテルの部屋は37階という高層階の部屋。 小雨の中、OB会へ。ご出席者27名の中には40年ぶりというお仲間も居られたようで、旧交を温められました。(雨の浜松駅・ホテル37階の部屋の窓から) 二次会へと繰り出す頃には、台風のような暴風雨になっていたそうですが、雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、であります(笑)。11月27日引佐・龍潭寺→奥浜名湖畔周遊→名古屋湾岸道路→第二名神高速道→帰宅 最終日は井伊家菩提寺の龍潭寺に立ち寄り、奥浜名湖畔をドライブの後、帰阪の途につかれました。(遠州灘の日の出)※岬麻呂氏「左端が牧ノ原台地の先にある御前崎。中央の河口は諏訪湖を源流とする天竜川。」(朝の浜松駅)※岬麻呂氏「左が新幹線、右が在来線。」 奥浜名湖や龍潭寺はヤカモチも10年前に銀輪散歩したことがあるので、懐かしい限りです。<参考>奥浜名湖銀輪散歩(その1)(その2)(その3)(その4) (その5)(その6)(その7)(その8)(龍潭寺)※岬麻呂氏「今年の紅葉は遅れています。昨年の同時期は綺麗でした。」 今回も、美しい紅葉写真、富士山や八ヶ岳高原ラインのすがしき眺めなど楽しませていただきました。 走行距離全1184kmのロングドライブ旅、お疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.12.02
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